2024.05.05 05:47サクリファイス・マイ・メシア 丞(下)18 なにしてるの、と声が聞こえる。 誰の声かも、誰に問いかけているのかも分からずただ佇んでいたけれど、再度なにしてるの、と聞こえてきた。声のする方に顔を向ける。目線を下げると、男の子がいた。その子は俺をじっと見ている。「……子ども?」「何言ってんの?お前も子どもだろ」 そう言われて、ああ、そうだったと自覚した。俺とその子の目線はおんなじ位置だった。 その子は腕にうさぎを1匹抱えている。何故だろうと思い足元を見下ろすと、他にもうさぎが複数匹いた。掃除された後なのか、餌だけが撒かれていて地面は綺麗だった。「こいつ、弱ってんだ」 その子に抱えられているうさぎを見ると、じっとしていて大人しく、弱々しく呼吸をしていた。「元気ないの?」「エサ、全然食べない」 う...
2024.05.05 05:33サクリファイス・マイ・メシア 丞(中)13「はいみんなお疲れ様〜!上半期は売上も大幅達成して、よく頑張ってくれました。コンテストの方もうちの支社から入賞者が複数人出てくれて、嬉しい限りです。えー、まだ新卒と十分に交流出来ていないメンバーもいると思うので、この会で思う存分話してください!今日は無礼講で!では、乾杯!」 俺が初めてボーナスを貰った月に、グループ会社内で行われていたコンテストの打ち上げと銘打って飲み会が開かれた。 正直、本当に行きたくなかった。入社したての歓迎会では苦手なビールを半ば強制的に飲まされたし、雰囲気が怖い上司からはもっと気合を入れろとどやされるし、いい思い出がなかったからだ。 ただ、その時マシだったのが、俺の横に斜森がいた事だった。あの頃はまだ斜森も嫌々ながら仕事を続...
2024.05.05 05:21サクリファイス・マイ・メシア 袷(下)9 お腹が減ったと思い、オフィス内の時計を見ると既に13時を超えていた。休憩にしようと腰を上げると、入り口付近から賑やかな声が聞こえた。「戻りましたー、お疲れ様です」「おー、お疲れ。どうだった?」「なかなかいい感じっす」 外回りから帰ってきた高見くんが笑って先輩に報告をしていた。彼がいると雰囲気が明るくなるのは立派な長所だろう。 財布を持ってその場から離れる。すると高見くんが足早にこちらまで来て慌てたように話しかけてきた。「求さん!木曜日ですよ!」「あ……」「ご飯食べに行きましょ。俺お腹空いたよ」「あ、う……」 高見くんにちゃんと話しかけてもらったのが久々で、喉が引きつってしまった。俺はあれ以来高見くんを避けてしまっている。高見くんだけでなく、周りの人...
2024.05.01 15:12サクリファイス・マイ・メシア 丞(上)1 今でこそかなり人数は減ってしまったが、新卒の頃俺の同期は20人ほどいた。その年は採用人数を例年より大幅に増やしたらしい。キラキラして若々しいパワーに囲まれながら、俺はなんて場違いな職場に就職してしまったのだろうと後悔していた。 俺は就活がうまくいかなかった。だから、手当り次第いろんな会社の面接を受け、何度もお祈りメールを見てきて、やっとの思いで奇跡的に受かった会社だったから俺の方が選り好む余裕なんてなかった。 入社初日、先輩達の前で自己紹介をした。俺は緊張とたくさんの人の目でどうにかなってしまいそうだった。昔から、注目される場面が苦手だった。言葉を詰まらせながら、当たり障りのない挨拶をする。両隣どころか、俺以外の人からはやる気や明るさやこれからの抱...
2024.05.01 14:43サクリファイス・マイ・メシア 袷(上)1 言葉を選ばずに言えば、俺は彼の事が怖かった。「それでは、我が部署に入社してくれた新卒達に期待を込めて……乾杯!」 たしか、3年ほど前の新人歓迎会。強制参加だったため断る事もできずに、俺は自分自身を浮いた存在だと認識しながらその場にいた。誰よりもお荷物な自分が新卒の子と喋る事なんて一つもない。 新卒が入社して1週間ほどが経ったが、最初の挨拶以降、俺は新卒の子達の誰一人として会話をした事がなかった。「おい求、先輩なんだから新卒ともっとコミュニケーション取れよ」「あ、は……はい」「高見なんて凄いぞ、あいつ自分からガツガツ先輩に話しかけてる」 自分の横にいた先輩に至極真っ当な事を言われて曖昧な返事をしていると、その先輩は目線を遠くにやった。その先には、今年...
2024.05.01 14:32サクリファイス・マイ・メシア 紲1「これ、なんて読むの?」「あ、へ……」「これ」 彼は、社会的に丁寧な人間か失礼な人間かと問われれば確実に失礼な人間の部類だっただろう。 トントン、と机の左上に置かれた俺の名前と支社名が書かれた紙を指で叩いて斜森は俺の顔を見た。「も、もとむ」「へー。すげー苗字。名前呼ばれるたびに求められるじゃん」「は、はは……」 全国の支社の新入社員が一同に介して行われた新人研修で、配属先が一緒の俺達は隣の席同士になった。この時がほぼ初対面だったが、彼は人見知りとか遠慮とかを一切見せず俺に話しかけてきた。対して俺は場所見知り人見知りが激しく、更には和気藹々と話していい雰囲気も感じられなかったので、まともな返しも出来なかった。それ以降は会話する事もなく、研修が始まってし...
2024.05.01 14:28サクリファイス・マイ・メシア1 どく、と心臓が鳴った。 一度朧気に呼吸をするも、俺の脳と心は正常に戻る事は無かった。 このドアを開けてしまえば、また生きながら死んでいるような1日が始まってしまう。かと言って、このまま引き返してしまう程の勇気なんて持ち合わせていなかった。 ドアノブの手前で手を止めてしまった俺の背後から、朝にぴったりの清々しい声が聞こえた。「おはよ、[[rb:求 > もとむ]]。入んないの?」 俺の同期である、[[rb:王野 > おうの]]が笑顔を向けてきた。「お、おはよう。入るよ」 俺の言葉を確認すると王野はドアノブに手を掛け、おはようございます、と言ってその空間に入って行った。入り口で立ち止まった彼が振り返り、俺に視線で訴える。入らないの?と。 すう...
2024.05.01 08:51山吹色に溶け合う1 俺、芝井秋穂、高校2年生。 特筆すべき点はない、強いて言うなら素行不良で派手な幼馴染の男が同じ高校の1年にいるくらいの、ごく普通の男だ。中学の頃はその幼馴染とともに少しばかりやんちゃしていたが、それももう過去の話だ。今では無難に高校生活を送っている。「秋穂はいいよね、俺も2年生がよかった」「なんで」「だって梅ちゃんと一緒に卒業できるでしょ。俺が3年になった頃には梅ちゃんもういないんだよ!?嫌すぎるんだけど」「俺がいない事はいいのかよ……」 目の前で悲しげに表情を歪めている俺の幼馴染__松原楓は俺の机にぐでっと伏した。「おい、邪魔!」「暇暇〜、ねえ早く終わらせてよ。俺もう待てない」「帰って一人でやれよ」「一人で討伐できないから秋穂の事待ってんでしょお...