お題:求と斜森の新卒時代の話・斜森が求を好きになった(好きだと気付いた)きっかけ
『私ばっか好きみたいで嫌になる』
という台詞を、特定多数から何度も言われてきた。
俺が世界で一番嫌いな言葉だった。何度かその後に「別に良くないの」と続けたことがあるが、余計面倒なことになるだけだった。
別に、良くないの?
好きが数値化される訳でもないし、同じ熱量で好き合わないと付き合えないという法律もない。付き合っているという事実だけで良くないのか、と思わないでもない。
こんな性格だから俺は異性との関係を長く続けられない、らしい。
「求、まーた同じようなミスして」
ストローを甘噛みしながら片手でキーボードを弄っていると、空間の片隅から気になる言葉が聞こえてきた。気になってちらっと振り返ると、俺の同期の求が先輩に叱られていた。
「これさ、別に難しいことじゃなくて、見直せば見つけられるミスだと思うんだけど」
「あ、はい、すみません……」
「2ヶ月後には新卒も入ってくるんだから、もうちょっと気張ってくれないと」
「はい……すみません」
求は申し訳なさそうに萎縮して謝っていた。最近何度も見る光景だ。
見直せば見つけられるミスだから、そのミスを見つけてもらうための先輩なんじゃねえの。先輩が見つけたんならそれで良くない? それに、求が気を張ってない日なんて1日たりとも無いだろ。
と思ったが、いくら擁護相手が求でも、この会社でわざわざ面倒事に首を突っ込みたくない。求の前の教育担当だった先輩は数ヶ月前に会社を辞めた。今の先輩とは相性が悪いらしい。心の中でドンマイと呟き、仕事に戻った。
求丞。漢字も響きも、変な名前の男だ。
仰々しい名前とは裏腹に、気の弱さを十二分に集めたような男。せめて邪魔にならないようにと、狭すぎるテリトリーで小さく息をしながら生きているような男。いつ崩れてもおかしくないのに、それを自分で気付けていないし、自分からは動くことも助けを呼ぶこともできないような男。見てるだけで非常にハラハラする男。
求は、そんな人間だ。
コイツ、俺がいなかったらとっくに腹切ってたんじゃないかと思ったことも過去に何度もある。たった一年しか経っていないのに。こんなにいろいろと不安定で、俺と出会う今までどうやって生きてきたんだ。
「お疲れ」
「あ……おつかれ」
1時間ほど後、求の姿が見えないなと思い自販機のあるフロアまで移動すると、求はその近くで壁にもたれて突っ立っていた。
俺が声を掛けるまで、どこかを見ているようでどこも見ていなかった。どうせさっき怒られたことをずっと引きずっているのだろう。俺とタイプが違いすぎる。理解はしてあげられるけど共感はできない。
「あの人いちいちうるさいよな」
「え? ……ああ、俺がいっつも怒らせてるだけだよ」
求は視線を落として苦笑いをした。1回くらい求の口から上司の悪口を聞いてみたいけど、職場内では頑なに言わない。360度見張られているとでも思っているのだろうか。アルコールが入れば、この鉄壁は少しくらい崩れる。
「今日どっか飲みに行かない?」
「ん?」
「給料入ったし」
それに今日は金曜だ。飲みに誘うと、求はやっと肩の力を抜き、ほのかに笑った。
求とは、同期の中でもよく飲みに行ったりご飯を食べに行ったりしている方だと思う。特にこういう求がへこんでそうな日はなるべく誘うようにしている。
そしてそういう日は──求は大体潰れるまで飲もうとする。
元々そこまでアルコールに強くないらしい。大丈夫ではなくなりそうになる前に止めようとするが、求はいつも大丈夫大丈夫と言ってどんどんグラスを空ける。そして俺が潰れた求を自分の家に持って帰って寝かせる。ここまでが一連の流れだった。
あまり良い酔い方ではないとは思う。それでも、求がここまで箍を外せるのはこの時間しかないのだろうなと思うと、中々強く止められない。遠慮以上に、微かな優越感すらある。
「あ」
案の定酒を煽りすぎて潰れた求を介抱し、肩を貸しながら俺の家に向かうと、求は家の扉の前で突然我に返ったかのように声を上げた。
「え」
「彼女とか」
「あ、別れたから」
俺は数週間前に彼女と別れたばかりだった。交際期間は二ヶ月ほど。好意の比重が合わないという理由で、俺が振られた。俺の中ではもうとっくに過ぎたことだったし、情緒が乱れることも全くなかったから、特に誰にも報告していなかった。
求は俺に彼女がいたことを思い出し、俺の家の中に彼女がいる可能性を危惧したのだろう。
「ああ、そーなんだ」
求は俺の言葉を聞いて安心したかのようにはにかんだ。
「今回長かった方だねえ」
「あ? 煽ってんのか」
そう言って面白くもないことで笑い出したので、そろそろ寝そうだなと思いながら求を引きずってベッドに座らせた。シャワーは明日の朝にでも浴びてもらおう。
寝る前に水を飲ませようと思って冷蔵庫からペットボトルを取り出して求に渡すと、それを受け取りながらうつろに俺を見つめた。
「斜森も大変だねー」
「は?」
「誰にたのまれてもないのにおれの面倒見てさ」
「まあ確かにな」
「アハハ」
求は笑いながら水を飲んだ。そして少しむせて服に水を溢す。俺は側にあったティッシュを数枚取って濡れた部分に押し付けた。こういうとこだよな。さっそく面倒を見てしまった。
求とは、特別仲良くなるつもりはなかった。
初めて求と出会ったのは、新人研修の会場だった。配属先の支社が同じで、たまたま求と横並びになった。
ぱっとしない雰囲気のわりに、厳つい名前。机に置かれた名札を見て興味を持ったから、読み方を聞いてみた。すると求は笑ってしまいそうなほど萎縮しながら、恐る恐る自分の名前を口にした。単純に俺が怖いんだろうなと思った。俺の第一印象は大抵マイナスに見られる。
だから、俺から求に無理に話しかけるのはやめておこうと、その時は決めていた。怖がらせるだけだし。それに、俺の方もこんな気が弱そうなタイプの男、友達として関係を続けたことがなかったから。
そう思っていたのに、そう決めた数時間後には、求の方から俺に話し掛けてくれた。
俺が百均で買った安物のボールペン一本を、持ち主の俺に届けるためだけに。
わざわざ走って俺を追いかけて渡してくれた。
誰が見ても安物だと分かる、たった一本のボールペンのためだけに。
そのユーモアとも受け取れる、この男の優しさというか、生真面目さがどうしても脳内にひっかかり続け、同期として仲良くしなければいけないと自然と思わされた。
そして、今は……。
「あ、さっき言えなかったけど、俺きょうほかの部署のおんなのこに話かけられてー」
求は服が濡れたことはお構いなしに、俺のベッドに無遠慮に寝そべった。もう寝てしまいたいのだろう。目がとろんとしている。
「へぇ」
求は、見た目だけで言うと話し掛けやすいタイプだと思う。それこそ気の優しそうな他部署の子なんかと良い仲になってもいいのでは、と思わなくもない。
「斜森のこといろいろ聞いてきて」
「あ、俺かよ」
「なんか、甘いものは食べれますかとかー、カノジョいますかとか……」
「あー」
「俺その時まだ斜森に彼女いると思っているって言っちゃったけど」
「それでいいよ」
自分で聞きに来いよ。なんで本人に直接聞くことができねえんだ。
「俺自分で聞いてよっておもったけど、言うの我慢した」
「ハハ」
勝手に心の声がハモっていたようで、不覚にも笑ってしまった。求にもそれなりに人への不満があるらしい。
「この子がもしも次の斜森の彼女になったらって思うと、凄く嫌だったな」
聞いた感じ、その女の人はあまりいい態度ではなかったのだろう。自分には関係ないのに俺のせいで間を取り持つことになって求が可哀想だ。
「面倒なことに巻き込んでごめん」
「んーん、そうじゃなくて、……あー」
求は唸りながら目を瞑り、眩しさを抑えるようにして手の甲で瞼を覆った。
「……そーじゃなくて、俺の方が先に斜森のこと見つけたのに……後から来た人にとられるの、絶対いやだから……」
言葉を頭に通すまで、時間が止まったように感じた。俺の酔いはこの瞬間に完全に覚め切ったみたいだ。
「……なあ、それ、どういうつもりで言ってんの?」
「んー? んんんー」
顔の半分が手で隠れている求は、口角だけをゆるっと持ち上げた。
求は肝心なところを言わない。
こう言っちゃなんだが、だから営業成績も伸びないんだと思う。因果関係を証明したわけではないので口にはしないが。
「オイ、言えよ」
「んー……」
求は最後に掠れた声で小さく呟き、数秒後にすうすうと寝息を立てた。
ほらな、肝心なところは絶対言わない。
俺はその場で深く息を吐く。
「なあ、俺も分かんねえんだよ。お前をどうしていいのか」
求は眠った。返答はない。
「お前に何してあげたいか、お前とどうなりたいか。……言えよなー……。求、言葉足りないんじゃねえの」
勿論返答はない。気持ちよさそうに、健やかに眠っている。
いや、求が悪いんじゃないな。
求が悪いんじゃなくて、俺が悪いんだけど。
言葉が足りないのは俺の方だ。
一瞬他責を経由する自分に嫌悪すら感じる。
なんというか……。
『私ばっか好きみたいで嫌になる』
頭の中に浮かんで、ハッとした。
数週間前に言われたばかりの言葉。俺が世界で一番嫌いな言葉だ。
世界で一番嫌いな言葉なんだけど。
「……もしかしてこういう気持ち?」
乾いた笑いが込み上げる。
笑えない。笑えないのに笑えてくる。
何も面白くないのに、笑うしかない。
最悪なことに、その言葉を理解してしまった。
「俺ってそうなの」
答えが返ってこないと分かっていても、求の頬に指を滑らせてみた。求は眉を寄せ、小さく唸った。
俺ってそうなのか。
そう、だとしたら。
尚更、求は大事にしないといけない。
価値観が合わなくなったらすぐさよなら、なんてしたくない。
こんな碌でもない人間関係を続けてきた自分に、そんなことを言える資格があるのか。間違っても俺から手は出せないだろう。
「あー……これが恋愛を疎かにしてきた報い……」
誰も聞くはずのない独り言が、一間に虚しく響く。
俺は暫く求の隠れていない口元を眺め、布団を掛けて部屋の電気を消した。
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