俺ご都合ラブらないトリップ 1


J庭58のために書いた新刊です。

無料公開は途中までとなっております。

完全版はBOOTHで販売しております。




真エンドを探して、この世界から脱出してください


_周目/_年_月



『監禁と障害の疑いで逮捕されたのは、指定暴力団多治比組の幹部、■■容疑者と■■容疑者の二人です。二名は先月三日から二日間、知人男性を無理矢理車で連れ去り、事務所倉庫内に監禁したうえ顔や体を殴り、骨折など全治二ヶ月の大怪我を負わせた疑いがあります。警察は、二人が所属する指定暴力団多治比組の事務所を家宅捜索し、動機とともに容疑の裏付けを──……』


「いやねぇ、最近多治比組の事件が多くて。これでこの事務所が潰れてもまだどこかに残ってるんでしょ? 安心して外も出られないわ」

「ホントいやだよねぇ〜」


 お母さんの不安げな声は俺の鼓膜を半分くらい、テレビのニュースから流れているアナウンサーの声はさらにその半分くらい通った。特に目立った反応をしたくなくて、同じような口調で同調するしかなかった。

 タイムリーな話題すぎて自らは触れたくなかったのだ。


 お母さんは自分用の朝ご飯を机に置き、俺と対面するように席に着いた。俺の方は食事終盤で、ぬるくなったカフェオレを啜っていた。いつもの朝の光景だ。


「今日は? 仕事休み?」

「うん。今日は一日出かけるから」

「もしかして同窓会?」

「は?」

「この前高校の時の顧問の先生にスーパーで偶然会ったのよ。なんだっけ、名前……」

「藤川先生」

「あ、そう。藤川先生が、夏休みに部活の同窓会やるから大地くんも来ませんかって。あんたに言うのすっかり忘れてた」

「……行くわけないじゃん。今日はフツーに友達と遊ぶの」

「まあ、そうよね」


 取り立てて反応することもなく、お母さんは視線をテレビに向けた。

 高校の頃の部活の話は極力しない。若月家には自然とそういう雰囲気がある。それでも、昔に比べればまだマシになったもんだ。俺が丸くなったからか。


「この辺で遊ぶんなら気をつけなよ。多治比組の抗争とかに巻き込まれないように!」

「大丈夫だって。俺一般人だし」


 ただし、限りなくそのエリア近くには向かうことになる。それでもお母さんに心配かけさすまい。知らんふりをしないと。まさか息子が、話題のヤクザが運営していると噂の金融会社の上にあるカラオケ店に行こうとしているなんて、微塵も思っていないだろう。


「外は容赦なく暑いからね、暑さ対策はしっかりするのよ。ホント、外は炎に包まれるくらい暑いから」

「分かってるって」


 俺は用済みの食器を洗い、外に出る支度をした。

 まったく、うちの親は過保護なんだから。俺がフリーターとして実家でのびのび生活できているのは親のおかげではあるんだけど。



■■■■■



「あちぃな!」


 ミンミン、ジワジワ。正に肌が炎に包まれているような熱気だ。

 真夏の外はお母さんが忠告していた通り、思わずひとりで叫ぶほどの暑さだった。暑いだろうなと思ってヘッドバンドで前髪を上げたおでこに汗の粒が吹き出る。寧ろこのヘッドバンドが俺の体温をおかしくしているのかもしれない。

 それでも足取りはなんとなく軽い。

 なんと言っても、今日の目的はオフ会だから。しかも俺が主役の、俺を称えるためのオフ会だ。俺はこの日を心待ちにしていた。


 俺、若月大地はコンビニのアルバイトをして生計を立てている。大学は行っていない。つまり、フリーターである。そんな一般人すぎる俺が主役でどんなオフ会をするのかと言うと、俺が自作したゲームの感想語りが目的だった。

 俺は今二十一歳の年だけど、高校生の頃から自主制作でゲームを作っていた。ギャルゲーで、タイトルを『俺ご都合ラブ』という。通称ごつラブ。タイトルの由来は、俺にとって都合の良いゲームだから。俺が好きそうなキャラクターや展開しか組み込んでいない。世界中の誰よりも俺が一番女の子との恋愛を楽しめるゲームなのだ。それがつい数ヶ月前にやっと完成した。

 完全素人の自主制作だし、誰でもゲームクリエイターになれるが売りのコンストラクションツールを使用してだいぶ楽して作ったので、販売なんてしていない。高校の頃からずっと仲良くしているネット友達が数人いるので、そいつら全員にデータを渡してプレイしてもらった。ギャルゲーらしからぬパンチの効いた展開が意外にもみんなに好評だったので、俺の気分を上げるために俺がオフ会をしようと提案した。無償提供とはいえ、数年かけて作ったこのゲームと頑張りをちやほやしてほしいと欲が出てしまった。


 オフ会のメンバーは俺を含めて五人。本当はもう一人来る予定だったけど、今日は諸事情で来れないそうだ。

 俺達がどんな関係かと言うと、高校生の頃流行っていたオンラインゲームがあり、そこで出会ったメンバーだ。そのゲームは少し特殊で、ギルドメンバーを募集する時に性別や年齢、住んでいる地域なんかも狭い範囲で絞り込んでマッチングできた。まあ、個人情報うんぬんの観点からプレイヤー同士で事件があり大炎上し、数年の内にサ終してしまったわけだが。

 そこでぴったりと条件の合った六人こそが、今日のオフ会のメンバーだ。つまり、みんな男で、同い年で、みんなが簡単に集合できるような近い場所に住んでいる。

 俺達には他にも共通点があり、全員が高校をサボりがちだったということだ。だからこそ当時平日の昼間にマッチングし、簡単にチームを組めた。何故みんなが高校に行くのが嫌だったのかは全く知らない。どういう過去があるのかも知らない。どれだけ仲良くなっても、本人から開示しない限り、プライベートなことは詮索はしないというのが暗黙のルールとしてあった。

 そういう根っこの部分が一緒なのと程よい距離感があったおかげか、俺達は案外ウマが合い、そのゲームがサ終しても俺達の関係はSNSや他のオンラインゲームを通して長く続いていた。でも、全員が直接顔を合わせるのは今日が初めてなのだ。だからこそワクワクして仕方がない。


 足早に向かっていると、オフ会会場であるカラオケ店の看板が遠くの方に見えた。

 俺の家の最寄り駅から徒歩十分程度の場所、どんよりとした雑居ビルの六階にそのカラオケ店はある。

 ちなみに──カラオケ店の一階下、五階にある『サンサンローン』という胡散臭すぎる名前の事務所が、例のヤクザが経営していると噂の闇金の事務所だ。何故こんなビルの中にカラオケ店があるのか。こっちも例のヤクザが経営しているのではないか。こちらに関しては確証は全く無い。俺がそう思っているだけだ。

 俺はオフ会をしようと提案はしたけど、こんな場所は希望していなかった。「夏休みだから下手に知り合いと会うような場所は嫌だ」という数名からの意見を取り入れた結果(俺も含む)、メンバーの一人である『[[rb:木葉 > このは]]』がこの場所を提案してくれた。ここだったら確実に知り合いに会わないよ、と。最初は不安だったけど、確かに、ここは穴場かもしれない。口コミを見てみたけど法外な値段を搾取されるとか、ドリンクにヤバいものが混じっているという書き込みもなかった。普通のカラオケ店という感じだ。断る理由は下の階が怖いという一点のみ。それに、反対意見を言う前に木葉がもう予約を済ませていた。俺達は何も言えなかったのだ。


 と、怪しげな雑居ビルを見上げて思い馳せていると、既に集合時間を迎えてしまったことに気付き、もう着いているであろう一番仲のいい男に連絡をした。


『Daichi︰ごめんちょっと遅れる』

『かなえ︰俺も』


「なんだよ」


 遅刻確定が俺以外にもいて胸を撫で下ろした。いや、駄目だろ。2/5が遅刻って。

 エレベーターを待ちながら、今度はグループチャットの方に謝罪を入れた。


『Daichi︰ごめん俺と金江ちょっと遅れる』

『木葉︰俺も』


「なんだよ!」


 3/5の遅刻が確定した。俺達は時間にルーズすぎる集団なのかもしれない。

 自分がマイノリティーでなくなった安堵とこのオフ会が成功するかの不安が混じった頃、チャットにまた一つメッセージが送られた。


『イズミ︰俺今受け付け済ませてトイレ』


「あれ?」


 このイズミという男──『泉水』は、元々今日のオフ会は不参加だったはずだ。俺達が、というか俺が一方的に可愛がっている男で、俺の中ではオタサーの姫のような存在である。だから今日会えないことを俺はめちゃくちゃ悲しんでいた。


『Daichi︰今日お休みじゃないっけ』

『イズミ︰行けるようになった!』

『Daichi︰嬉しすぎるんだが〜!』

『HAYATO︰春火くんと二人で喋ることないからみんな早く来てや』


 つまり、今集合場所の部屋に揃っているのはHAYATO──隼土と、[[rb:春火 > はるひ]]の二人だ。この二人も集合時間にここまで人数が揃わないことに驚いているだろうな。


 エレベーターを出た先はもうカラオケ店のフロアだった。目の前を進めば受け付けのカウンターがある。

 中は思っていたよりも普通のカラオケ店という感じだったが、俺の思い込みのせいかどことなく煙草臭く、油臭く、薄暗い感じがした。まず辺りを見渡したが、客はいない。とりあえず受け付けを済ませようとした矢先、背後のエレベーターのドアが開き、客がやって来た。

 男の人だ。長くて細い体を丸めて、息を整えていた。この炎天下の中走ってきたのだろうか。髪の毛は黒く、前髪はセンターで分かれているが片目しか見えない。そして、その目と俺の目が合ってしまった。俺はピンときた。


「あー……おー、もしかして、[[rb:金江 > かなえ]]?」

「え、あ、はい」


 間違いない。目の前の男は、今日のオフ会のメンバー、その中でも俺が一番仲良くしている『金江』だった。しかも金江はただ仲が良いだけではなく、ごつラブ内のイラストを全て担当してくれた。ごつラブは俺のゲームというか、正確には俺と金江のゲームだ。

 その金江はおどおどと視線を泳がせながら、手の甲で汗を拭っていた。不審がられている。


「俺、大地だよ」

「あっ、……おぉ……大地、さん……」

「なんでさん付けだよ!」

「ごめん、緊張して……。な、なんで俺って分かったの?」

「いや、なんとなく。アバターと似てたから」


 俺達が昔やっていたオンラインゲームは、自分の写真を読み込ませると自動で自分と似たアバターを作ってくれる機能があった。ちなみにキャラメイク時にこの機能を馬鹿正直に使っていたプレイヤーは少ない。金江くらいだろう。


「あ、そっか……。大地は……その……髪の毛が金色だね」

「そこかよ」

「こんな明るそうな見た目の人だとは思わなかったから……」

「誰が好き好んでギャルゲーを作るようなド陰キャ野郎だって?」

「そ、そんなこと言ってないよ……」


 金江は小さく笑った。ネット上とは言え深い付き合いがあるからだろうか。金江とは初めて会ったような気がしない。元から、性格は全然違うのに喋っていて心地がいい人だなとは思っていた。


「とりあえずさっさと向うか」

「うん。先に集まった二人が可哀想だからね」


 金江と受け付けに向かうと、数メートル先のドリンクバーのコーナーに人が立っているのを見た。後ろ姿しか見えないけど、多分男だ。


「……なあ、あれ泉水じゃないか?」

「もし今さっき受け付け済ませたんなら、そうかもね」


 さっさと受け付け済ませて声掛けてみようぜと、金江と顔を見合わせた瞬間だった。




 ジリリリリリリリリリリリリリ!!




 突然室内に鳴り響くけたたましいベルの音。心臓が跳ねて、俺と金江は肩を揺らした。この音は昔聴いたことがある。たしか──避難訓練だ。

 俺も、金江も、受け付けにいた店員も全員その場で固まった。数秒後、ドリンクバーのある奥の方からこちらに向かって灰色の煙がやってきた。身の毛もよだつ、恐ろしいスピードだった。煙のせいで、ドリンクバーにいた男の姿は既に見えなくなっていた。

 呑気に観察している場合ではない。目と鼻の奥をつんざくような刺激に、咄嗟に顔を手で覆う。


「か、火事!? 嘘だろ!?」

「な、なんで……エレベーター乗ろう!」


 俺達はすぐに背後にあるエレベーターのボタンを押した。しかし、ボタンが光らない。つまり反応しなかった。何度も何度も押したが、稼働する気配を感じられない。


「クソ、早く来いよ!」

「駄目だ、故障してる……!」

「階段向かうぞ! 姿勢低くしろ!」


 生理的な涙を流しながら天井を見ると、非常口のマークは煙がやってきた方向を指していた。さっきまではなかった炎が、もうこちらまで迫っている。辺りは真っ黒い熱風に包まれてしまった。あの油の匂いは、きっとガソリンか何かがここまで撒かれていた匂いだったんだ。なんでもっと早く気付なかったんだ。後悔しても、俺達はとっくに手遅れだった。

 ぼやけた視界の中、横で姿勢を低くしていた金江が必死に掻き集めたような声で叫ぶ。


「む、無理だよ、あっち、いけなっ、っ、が……」


 金江がとうとうその場で蹲り、何度も苦しげな咳をした。もう俺にはどうすることもできない。恐怖に怯えながら、金江の肩を抱くしかなかった。


「金江、しっかり……」


 虚ろに呟く。身を寄せ合って数秒後、金江からは咳の音すら聞こえなくなった。

 熱い、苦しい。目が痛くて涙が止まらない。

 最悪だ。なんでだよ。こんなところで終わる人生に、意味なんてあったのか? 俺が何をしたって言うんだよ。


 段々と意識が遠のいていく。

 轟々と燃える炎の熱気と、鼓膜を割くような報知機の音だけが、俺が最後に感じたものだった。




 ジリリリリリリリリリリリリリ──……





『本日午後二時頃、東京都▲▲区の六階建ての複合ビルで火が燃えていると近隣住民から通報があり、駆け付けた消防により火はおよそ二時間半ほどで消し止められました。この火事で二名が死亡、六名は逃げ遅れて心肺停止の状態で搬送されました。警察と消防によりますと、火災現場と見られるビルの六階はカラオケ店となっており、個室が火元とみられています。また、カラオケ店の階下には指定暴力団多治比組が運営する金融会社があり、火事と関連性があるとみて警察の捜査が続いております──』



■■■■■



 ──『俺ご都合ラブ』、通称ごつラブとは?


 主人公は俺、若月大地がモデル。名門「天王学園」に通う、勉強も運動もできない、夢も希望も持っていない劣等性だ。

 そんな俺が、個性豊かで魅力たっぷりな女の子五人と学校生活を共にし、時に笑い合い、涙し、協力し、喧嘩しながら愛を育んで成長していく恋愛シュミレーションゲーム。


 ……だけじゃない!

 ただ純粋な恋愛ができるとは限らない。女の子を振り回し続けていると、ヤンデレモードになって俺を監禁したり殺そうとしてきたりするぞ!

 そうなりたくないビギナーには、推しのキャラクターを一途に愛することをおすすめするぞ。


 ここで攻略対象の女の子を紹介しよう。




□カナ□

俺の幼馴染。隣の家に住んでいる。しっかりもので成績もいいけれど、引っ込み思案で自分の気持ちをなかなか伝えられない性格。モデルは金江。

出現条件︰

初日から自動的に出現。俺と一緒に登校してくれる。


□ミズキ□

生粋のお嬢様。強くたくましく美しく、スキがない。

親が勝手に決めた許婿がいる。でも本当は普通の暮らしや恋愛に憧れている、夢見る女子高生。モデルは泉水。

出現条件:

美術の能力が一定値を超えると出現。


□ハルヒ□

生徒会執行部の書記。二年後期になると生徒会長になる。誰よりも努力家で負けず嫌い。ツンデレメガネ。モデルは春火。

出現条件:

初めての生徒総会で出現。


□サヤカ□

明るいギャル。とにかく楽しいことが大好き。縛られることが大嫌いで、自由を愛するがゆえ恋人がなかなかできない。モデルは隼土。

出現条件:

購買で最後のパンを買うと出現。


□コノミ□

隠しキャラ。授業はサボりがちで、周りからは怖いと評価を受けているが、実は主人公一途な女の子。モデルは木葉。

出現条件:

一週間お昼ご飯を屋上で食べると出現。



 以上、五名。

 ……え、モデルが全員男だって?

 だって現実世界では俺の周りに女の子が一人もいないから想像しにくかったんだよ。喋り方とか性格とかを軽く参考にしただけ! ゲームだからなんでもありだろ。それに金江が書いてくれた立ち絵やイベントイラストが可愛いから全然問題ない。問題ないったら。


 あ、そうそう。攻略対象がヤンデレ化するのともう一つ、気を付けないといけないことがあった。


 このゲーム、二十周すると──




一週目/一年四月



「……い」


 こうして、俺の短い人生は幕を下ろしたのだった。


「……ぉい」


 せめて天国に行けるといいな……。でも人生頑張ってたわけじゃないし、人のためになるようなこともやってこなかったし。とはいえ地獄に行くほどの悪いこともしてないと思う。この場合俺はどこに行くんだ?


「おーい」


 地縛霊になって一生あのカラオケ店に縛られたら最悪だよ〜、も〜。どうせ霊体になるんなら、自由に動き回っていろんな人の家とか入ってみたいよな。


「おーい!」


 あ、もしも動き回れる霊体だったら、これ、映画館とか勝手に入って無料で鑑賞し放題じゃないか!? それは結構ラッキーかもしれない! ラッキー! 不幸中の幸いってね! いや幸いもクソもあるか、死んでんだぞこっちは!


「おーい! 朝よ!!」

「あ、あ、え!?」


 ガツンと頭を殴られたような衝撃。殴られたのではない。俺の頭が逆さになって床に落ちたんだ。

 ……と、反転した誰かのスリッパと御足をじっと眺めて気付いた。


「あんたってほんっとに自分で起きれないわよね」


 何が起きているのか分からず、ゆっくりと体を持ち上げて声のする方を見ると、全く知らない壮年の女性が布団を剥ぎ取りながら立っていた。


「……誰?」

「は? 寝ぼけてるの? 今日から高校生でしょ、しゃきっとしなさい!」

「は、はぁ……?」


 俺は今年で二十一歳、フリーターのはず。

 ……享年かもしれないけど。笑えないな。


「ほら、早く制服に着替えて顔洗ってきなさい」

「はぁ……」


 そのマダムはぷりぷりと怒りながら部屋を出て行った。

 理解が追いつかない。ここはどこだ。窓から差す陽の光で朝だということは伺える。なんとなく見覚えのあるような、ないような部屋を見渡すとハンガーラックが置いてあり、そこに制服が掛けられていたので、とりあえずマダムの指示どおりそれを着てみることにした。正直二十一歳男が制服を着るのはキツくないかとは一瞬思ったけど、コスプレだと思って割り切った。……この制服も見覚えがあるな。

 そして、言われた通り手探りで洗面所を探し、顔を洗う。いつも通りの俺の顔だ。鏡で確認しても俺は俺のままだった。


 ……なにこれ。死後の世界?

 転生とかではなさそう。俺の顔が変わっていない。

 幽霊にもなれない、転生もできない、この世界は一体なんなんだ。これが新しい地獄か。だとすればここを出れば罰が待っているかもしれない。俺が何をしたって言うんだ。正社員で働かなかったことがそんなに罪だったのか。


 鏡の前で自問自答を繰り返していると、右の太ももがブブッと振動した。スラックスのポケットに何かが入っているようだ。

 手を突っ込んでそれを取り出し確認すると、見たことのないメーカーだったが、いたって普通のスマホだった。電源ボタンを押し、ウインドウに表示されたメッセージを確認する。そこにはこう書かれていた。


【真エンドを探して、この世界で幸せに暮らしてください】


「……真、エンド……?」

「大地ーーー! 早く支度しなさーい!」

「あ、え、はいっ!?」


 戦慄、恐怖の名前把握マダム。なんで俺の名前を知っているんだ。あの人こそが地獄の番人なのかもしれない。

 俺が洗面所でガタガタ震えていると、見かねたマダムがひょこっと顔を出して青筋を立てた。


「カナちゃん! 迎えに来てるわよ!」

「は?」

「だから、カナちゃん!」

「カナちゃん……」


 マダムは眉をひそめて消えていった。俺はポカンと口を開きながら立ち尽くした。

 カナ、って、確かによくある名前だとは思うけど、ごつラブのカナと一緒の名前だよな。カナという名前の人が、朝、制服姿の俺を迎えに来る。作り話にしては出来すぎている。

 そんな訳はないとは思いつつも、俺は緊張と期待で胸を弾ませながら玄関に向かった。


 ……嘘だろ。まさか。



■■■■■



「お……はよ、ひ、久しぶり」

「お前かよ!!」


 思わず膝を付いた。付かずにはいられなかった。ちょっとでも期待した俺が馬鹿だった。


「は? なんで? 死後の世界ならせめて都合良く俺が考えた女の子であれよ!!」

「あの……なんかごめんね」

 

 玄関先で所在なさげに弱々しく佇む、間違いなく男のコイツは、先程現実世界で一緒に命を落としたと思われる金江だった。俺と一緒の制服を着ている。

 一瞬期待してしまったカナはカナではなく、金江だったと。カナちゃんって言うなよ期待させんなよあのマダム。


「……あー、全然理解が追いつかない……」

「だろうね。歩きながら全部説明するから、とりあえず家を出よう。遅刻しちゃうよ」

「説明……できんの? なんで?」

「俺の方が大地より早く来たから……」

「?」


 とりあえず玄関に置いてあったローファーを履いて家を出ると、全く通ったこともない、見たこともない住宅街の風景が広がっていた。


「……死後の世界ってなんか、もっとこう、非現実的なところかと思ってた。これじゃただ違う土地に引っ越したみたい」

「土地というか、空間……」


 どこに向かえばいいのか俺にはさっぱりなので、金江に着いて行くことにした。金江の足取りに迷いはない。


「大地、この制服を見て何か気付かない?」

「お前、二十一歳なのに意外と違和感なく似合ってるな」

「そ、そういうことじゃなくて……」

「……そういえば、どこかで見たことあると思ったんだよなー」

「この校章、よく見て」


 金江は着ていたブレザーの胸元に付いているエンブレムを指差した。近付いて眺めてみる。

 ……あっ。


「天王学園の校章だ!」

「そう。つまり?」

「つまり……? 俺にとって都合の良すぎる死後の世界ってこと?」

「あ、いや、ちが……。俺達はごつラブのゲームの世界にトリップしたってこと」

「……ん!?」


 疑わしすぎる発言に足を止めた。なんだその香ばしい響き。


「……異世界トリップ?」

「うん」

「……それなら俺、ここが死後の世界って言われた方が信じるぞ」

「俺達死んでないよ」

「え?」


 金江は俺の右手を取って、金江自身の首元に指の腹を添えたさせた。ゆっくりだけど、とくとくと動脈が動いているのが分かる。


「……生きてる」

「うん。大地の動脈も動いてるよ」


 そう言われ、今度は左手を自分の首元に添えた。動いている。比べてみると、金江と違うリズムだ。顔を見合わせると、金江はぎこちなく笑った。


「速さ、違うよね」

「うん」

「俺の勝手な予想だけど……、これが大地個人の意識の世界だったら、脈なんて無いと思うんだ。あったとしても、俺と大地の鼓動は同じリズムになると思う」

「どういうこと?」

「例えば、大地がもしも植物状態になって、眠っている間頭の中でごつラブの世界を作っていたとしたら、登場人物それぞれ、違う呼吸とか心拍数とかで登場すると思う?」

「……思わないな。絶対そこまでこだわれないし、考えもしないと思う。俺の頭の中はそこまで器用じゃない」

「だよね。だから、まあ、理由って言ってもその程度なんだけど」

「……じゃあ、俺達、死んでないの? この世界って、俺一人の妄想の世界じゃないの?」

「うん。きっとね。大地一人の妄想の世界でも死後の世界でもなくて、どういうわけか、俺達は全く同じ世界……ごつラブの、ゲームの世界に飛ばされたんだよ」

「な、なんと……」


 俺はその場で腰を抜かした。驚きと安堵だ。噛み締めたような言葉が口から漏れ出る。


「俺達、死んでないんだ……」

「うん」

「……ゲームの世界かぁ……。あっ!?」

「ンッ」


 胸を躍らせる閃きに、俺はガバリと立ち上がった。代わりに隣の巨体がビクッと怯える。


「ってことは、カナが何故か金江として登場したのは置いといて、他のキャラはちゃんと出てくれるのかな!?」

「あ、その件だけど……」

「どうしよう、俺、好みの女の子しか作らなかったから、誰と付き合お〜!?」

「あ、……うん、……そうだね……、あの、そうなんだけど……」

「あ? なんだよ、金江も誰かと付き合いたいのか?」

「いや、そういうことじゃ……」

「照れんなって。お前も制作者の一人だから一回くらいはごつラブをプレイしたんだろ? 誰推しだった?」

「や、なんというか……全部俺が描いたイラストだったから、そういうのは別に、そんなに」

「なんだよ〜。お前自分の絵を愛せよ、もっと自信持てよ〜」

「はは……」


 金江は苦笑いをして流していた。

 俺は絵がド下手だから、金江の協力無くしてはごつラブは文字通り永遠に完成しなかった。高校生の頃から抜群の画力だったのに、金江はいつも自信がなさそうにイラストを提出していた。俺には理由が分からない。



■■■■■



「学校もスチルのままじゃん! すげー!」


 金江に着いて行くと、数分後には天王学園に到着した。好立地に住んでいる設定にしておいてよかった。そして驚いたのが、校舎のクオリティー。外国のメルヘン建築風にしてと金江に熱く希望して、見事形にしてくれたこの天王学園。細部まで金江が書いてくれた建物にそっくりだ。過去に再現度の高い実写化映画を見て感動する経験はあったが、これはそんな感情を優に超えている。俺の考えた世界が、今、目の前に広がっている。ゲームの主人公として俺は登場している。


「でも校舎はこんなに細部まで作り込まれてるのに、モブの生徒は雑把な作りだな」

「ごつラブでもモブは顔パーツ無かったからね」

「そういうとこもごつラブ本家と一緒なんだな。ってことは、やっぱりキャラクター全員フラグ立てないと出てくれないのも一緒?」

「うん。そうだと思う」

「あ、だから金江が一番最初に出てきたのか。お前一応カナだし」


 カナは作中で必ず最初の入学式の日から迎えに来てくれる。本家は主人公の隣の家にカナが住んでいたはずだから、この世界でも俺の家の隣に金江が住んでいるのだろう。


「……あれ? なんか、気付けばもう入学式じゃない?」

「うん、この世界は大体イベントごとに時間が進むから。通常の日は秒速で過ぎていくよ」

「あ、そこも本家基準なんだ」


 さっきまで天王学園の美しい建築に見惚れていたのに、今俺たちはいつの間にか体育館にいた。整列をして、入学式が始まるのを待っている。そして数秒後にはステージの上に校長が立って挨拶をしていた。この世界でも校長の話は長いのかなとあくびをしていると、いつの間にか俺達二人は学園を出て校門に向かっていた。


「えっ、入学式終わった?」

「だから都合良く時間が流れるんだよ」

「はぁー……。なんでもスキップしたい現代っ子に優しいシステムだな。じゃあ都合良く授業とか日常生活とかも秒で流れてくれるわけ?」

「大地が攻略キャラとフラグを立てたくなければ……」

「なるほど」


 確かにごつラブでは、プレイの仕方によっては攻略キャラを出現させずにエンディングを迎えることもできた。俺が動くか動かないかでこの世界の時間の流れも変わるらしい。本当にゲームシステムのままだ。


「でも、大地には全員と出会ってほしい」

「俺もみんなに会わずに終わるのは嫌だよ。どうせならちゃんとギャルゲーしたいし。早く顔のある女の子に会いたい!」

「……あー……。うん。みんな、大地に会いたがってたよ」

「え? お前、みんなと既に出会ってたの?」

「うん。大地がこの世界に来る前に。前の周回までは俺が主人公だったから」

「え?」

「それで、まあ、いろいろと」

「はっ……はぁ!?」


 俺は気まずそうに首筋を擦る金江の肩を掴み、ガクガクと揺さぶった。


「どういうこと!? このゲームの主人公って俺じゃないの!?」

「だって、その大地が不在だったから……。その時、最後にこの世界に来た俺が主人公代理みたいな感じになっちゃって、それで」

「え、じゃあお前、俺が来るまでは、攻略対象とつ、付き合ったのか!? 誰と!? っていうか、俺抜きで何この世界を楽しんでんだよ!」

「いや、付き合うとかそういうことは全くなくて、むしろ……。……なんて説明すればいいのかな。とにかく、大地にはまず先にみんなと出会ってほしいんだ」

「なんだよぉ……。正規主人公じゃないくせに美味しい思いしやがって……」

「美味しいって……。本当にそんなことないよ。今は大地が主人公だから、ね」

「……俺は攻略キャラと付き合ってやるからな。明日から授業が始まるから、まずはミズキに出会うぞ」

「あ、えっと、そのミズキのことだけど……」

「俺顔だとミズキが一番タイプなんだよなあ。三次元のミズキってどれだけ可愛いんだろ。楽しみだなぁ」

「あ……そうだね……」


 俺がごつラブのミズキの顔を思い出してニヤけていると、金江は何故か気まずそうに俯いた。



■■■■■



 ごつラブのゲームシステムでは、受ける授業科目はプレイヤーが選択できる。何を重視して成績を上げるかで攻略キャラの好感度の上がり方も変わってくる。

 俺が今から出現させようと思っているミズキは、美術の授業を三回程度受けて美術の能力値を上げれば出てきてくれる、はず。お嬢様キャラなので、美しい作品に精通しているのだ。


「あー、しまった。俺死ぬほど絵下手だった」


 この学園では初回の美術の授業からデッサンをしなければいけないらしい。俺の絵心は皆無だ。棒人間ですらまともに描けないレベルで下手である。こんな状態で、どれだけ絵を描いても美術の能力値は絶対に上がらないだろう。


「金江、お前が絵を描け」

「え」

「その絵を俺が描いたってことにする」

「……いいのかなあ」


 今は美術の授業。俺の横で、美術室の中心に置かれた石像をさらさらとスケッチブックに描いていく金江に頼るしかなかった。金江は現実世界では美大に通っていた。正に適役だろう。


「いいんだよ。これは俺が作ったゲームだ。俺がストーリーテラーだからどうにでもなる」

「はい……」


 金江は仕方なさそうに呟き、手を動かした。俺が言うのもなんだが、金江は人の言うことハイハイ聞きすぎじゃないだろうか。


「やっぱり金江って絵うまいよな。さすが美大生」

「美大生って言っても、学校じゃ下の下だけどね」

「そのレベルで?」

「いっつも講評でズタボロ言われてたよ」

「ほ〜……。厳しい世界だな。俺にはお前の絵の欠点が全く分からん」


 素人のフォローごときでは響かないのか、金江は苦笑いをした。


「じゃあ、その調子でそれを三日間続けろ」

「ええ……」


 とは言いつつも、金江は否定しなかった。なんてノーと言えない日本人気質なんだ。こういう人間がキレたとき一番怖いからな。指示してる俺が言うなという話だけど。


 それから三日間、金江は本当に俺の代わりに絵を描き続けてくれた。

 ごつラブでは三日目の放課後に、忘れ物を取りに美術室に寄るとミズキに会える展開が待っている。


「なあ、俺変な顔してない?」

「……してないよ」


 俺達は放課後、美術室に向かっていた。テンションが上がって仕方がない。仕切りに自分の身なりを金江に確認したが、金江は話半分に反応していた。

 美術室に辿り着き、扉を開けたが中には誰もいなかった。作中では忘れ物を探しているとミズキがやってくるので、意味もなくガラガラの机の中を覗いてみたりした。


「あ、足音……。誰か走ってくる。絶対ミズキだ!」


 信じてやまない俺は、扉を注視した。正方形の磨りガラスに写ったシルエットに胸が高鳴り、思わず隣にいた金江の肩を思いっきり揺さぶった。

 そして、教室の扉が勢い良く開く。

 よし。よし、来るぞ!


「わー! 大地だよね、やっと来てくれた!」

「ッッッ男じゃねぇか!」


 これなんてデジャブ。金江が登場した時と同様、俺は床に崩れ落ちた。

 満面の笑みを浮かべてスキップしながら駆け付けたその人物は、ミズキなどではなかった。というか、女ですらない。


「え、え、ミズキじゃない……」

「うん、泉水だよ」

「イズミ!? イズミって、あの、俺らの泉水!?」

「そう! みんなの泉水だよ!」


 ギルドメンバーであり、オフ会のメンバーでもあった泉水。クエスト遂行中は、他プレイヤーである俺らに惜しげもなく良アイテムを譲ってくれた泉水。俺が勝手にオタサーの姫のような扱いをしていた泉水が、今目の前に。

 ミズキではなく、泉水。金江に続いて、またしても……。


「……」

「ん、どうしたの?」

「ほんとにお前が泉水……?」

「うん、泉水だよ!」


 膝をついて顔を上げている俺の前で、泉水は輝くように笑った。実際西日の影響で後光が射していたわけだけど。

 登場した人物がミズキでなかったことに怒りたかったはずなのに、そんなものはこの笑顔を前に消え失せてしまった。だって、なんと言っても、泉水は凄く可愛い顔をしていたのだ。


「……性別女だったりしない?」

「失礼だな、俺男だよ! 確認する?」

「いやっ、いいですっ」


 それはそれで変な性癖を拗らせそうだからやめてほしい。こんなセクハラ発言も、逆に俺がセクハラになるのではと疑うほど泉水は可愛かった。

 俺が呆然と見上げていると、泉水は俺に手を差し伸べた。その手を掴むと、ヒヤッとしていたけど確かに体温を感じた。


「ミズキじゃなかったけど……。泉水、会えて嬉しいよ。オフ会では会えなかったもんなー」

「俺も大地にやっと会えて嬉しいよ。俺達はもっと待ちわびてたもんね、金江?」

「……うん」


 俺と泉水から少し離れた場所で佇んでいた金江は小さく呟いた。


「あ、俺が来る前に二人はもう出会ってたのか」

「うん、そうだよー。他のみんなも大地に会いたがってたよ! あの時集まれなかったからねー」

「……ちょっと待って」


 なんとなく嫌な予感がして、俺は泉水に待ったをかけた。今、あの時集まれなかったって言った。


「みんな……」

「うん、みんなだよ」

「もしかして、みんなって、ごつラブの女の子じゃなくて、その……オフ会のメンバー?」


 恐る恐る金江に視線を合わせる。

 すると、金江はなんとも気まずそうに目を瞑り、無言でゆっくりと頷いた。


「……クソッ!! 無駄に期待させんなよ!! 俺の思い込みを訂正するタイミングなんていくらでもあっただろうが!!」

「いやだって……そんなに喜んでるとこ申し訳ないなって……」

「そういう気遣いとも言えない自己中な気遣いが人の悲しみを強くさせるんだよ! ってかなんで俺の考えた世界なのに俺の望んだキャラが出てきてくれねえんだよ! 俺はなんのためにこの世界に飛ばされたんだよぉ〜!!」


 俺は美術室に響き渡る声で咆哮した。叫ばせてくれ。何が悲しくて攻略対象が全員男になったゲームをプレイしなくちゃいけないんだ。


「アハハ、俺ミズキのがよかった? でも一人ぼっちよりはマシじゃない? 友達が五人も一緒の世界にいるんだよ」

「……」

「俺達と楽しい学園生活を送れるよ〜。これも立派な青春じゃない?」

「……それもそうか」


 可愛い顔にそう言われちゃ、この状況を肯定するしかない。俺は高校生の頃学校をサボりまくってたから、なんだかんだその言葉に弱かった。

 それに、俺達はオフ会で出会うことすら果たされなかった。一応死んでないにしても、未練があるとすればその部分だ。闇の高校時代からの付き合いであるみんなと直接会ってみたかった。オフ会の会場が変わったと思えば、この訳が分からない状況も正当化できるかもしれない。


「金江も大地も、もう他の三人と会ってるんだよな」

「うん、そうだよ」

「じゃ、早くみんなを登場させないとな」


 ごつラブ内での次のイベントは、四月に入って二週目の生徒総会だ。そこで生徒会入りしたハルヒが役員紹介の時に全校生徒の前に立つはず。

 ハルヒな……。


「……一応確認だけど、ハルヒも男なんだよな?」

「そうだよ」

「……はぁ。そうだよな……。まあ、これはオフ会の続きだからな、仕方ない、仕方ない……」


 ツンデレメガネっ娘に会いたかったけど。めちゃくちゃ会いたかったけど。思いっきり恋愛してみたかったけど。こればかりは仕方がないのだ……。


「てか泉水、ごつラブ褒めろよ。大褒めしろ。楽しいゲームだっただろ」

「うん、すっごい面白かった! 俺全キャラ全ルート攻略したよー。お気に入りのルートは何周もしたし」

「凄いな!? 結構時間かかっただろ!」

「うん。大地からデータ貰ってからずーーーっとやってたよ。正直俺的には、ミズキの攻略が一番難しかったかな。ミズキって俺をモチーフにしたキャラだよね? 俺のキャラなのにミズキのこと全然分からなかった」

「俺なんて、ゲーム制作結構手伝ってたのに、どのキャラも攻略できなかったよ。ちょっとでも選択を間違えるとキャラが病むってのが結構ハードだった……」


 泉水と金江はごつラブの話題で盛り上がっていた。

 これだよこれ。俺が見たかった光景はこれだ。俺が作ったゲームを他人が褒めたり語り合ったりな。なんて気持ちがいいんだ。


「人間なんてそんな簡単に攻略できないだろ。だから全キャラに二面性を持たせたんだ」

「ただ単にヤンデレが大地の性癖って言ってたよね」

「うるさいな」


 図星を突かれたので金江の背中を叩くと、金江は前のめりによろめいた。長いくせにヒョロい男だ。俺達のやり取りを見て、泉水が笑う。

 制服を着て、学校でこんな風に友達と喋って、笑って。まさか、俺の人生でもう一度こんな経験ができるとは思わなかった。



■■■■■



 四月の第二週目、金曜日。

 今日は生徒総会がある日だ。生徒会の役員が発表される日。一年生でも役員になることができ、そういう人たちは入学してから一週間のうちに立候補したり声を掛けられたりする。

 ハルヒは生徒会書記として、この会に登場するはずだ。


 全校生徒が待機する中、入り口からぞろぞろと生徒会役員がステージに登壇した。

 学園と名のつくものの生徒会の集団というのはやっぱりロマンがある。いくら俺が作ったゲームとは言え、独特のオーラがあった。ただ残念なことに、今作ではハルヒ以外の役員は全員モブである。生徒会長すら顔パーツが無い。

 その中でも際立っていたメガネ。

 間違いない。あれはハルヒ……ではなく、春火だ。以前春火はSNSで目が死ぬほど悪くて眼鏡を掛けないと生活できないと言っていた。だから春火をモチーフにしたハルヒはメガネキャラになった。ちなみに春火本人はごつラブを初プレイした時、なんでコイツだけ俺の名前そのまんまなんだよと怒っていた。


『──生徒会書記、一年三組、橘春火』


 生徒会顧問の先生が名前を読み上げると、その男は一歩前に出てお辞儀をした。やっぱりあのメガネが春火だ。冷静でいて気難しそうな表情をしている。春火はみんなとクエストを遂行していた時、よく作戦を練ってくれたり指示してくれたりした。俺達が言う事を聞かないとガチギレすることも。想像していたよりも春火本人はなかなか良い顔をしていたが、それでも纏う雰囲気は想像していたままだった。

 ステージに立つ春火を眺めていると、こんなに生徒が大勢いる中で、春人と目がばちっと合った気がした。そして、思い込みだといいんだけど、メガネの奥で俺に睨みをきかせた気もした。



■■■■■



 ごつラブでは、主人公は生徒会に入るか、この日の放課後に生徒会室に向かうと春火とのイベントが発生する。 


「金江、生徒会室に行くぞ」


 生徒総会を終えるとまたたく間に放課後になったので、俺は金江に声を掛けた。よく考えると、別に金江に同行してもらう必要はないんだけど、異世界に来た不慣れな体は自然と「この世界の先輩」を欲していた。ちなみに俺と金江は同じクラスの一組、泉水は二組、そして春火は三組だ。


「お前、春火と喋ったことある?」

「うん。あるけど……俺が主人公の時はさっさと喋れとかノロマとかよく怒られてたから、ちょっと苦手だった」

「あいつただのネット弁慶かと思ってたんだけど、実際口うるさいんだ」


 俺も金江もゲームは好きだけど、別に得意な方ではなかったから、よく指示役の春火に怒られていた記憶がある。


 金江に生徒会室まで案内してもらい、静かに扉を開けると、先程まで体育館のステージに立っていた春火が目の前に立っていた。それも腕を組み、不機嫌そうな表情をして。


「おー、春火〜……」

「遅いんだよお前!!」

「え」


 開口一番にキレられた。おー、これこれ。ネット上と変わらぬ短気さ。春火はこうでないと。


「遅いか? 最短ルートで春日を登場させてやったんだけど」

「ちげえよ! お前がこの世界に来るのが遅すぎんだよ! 俺らが何周したと思う!?」

「は?」

「春火、あの、大地はまだ何も分かってないから……」

「何がまだ何も分かってないだよ。お前の考えた世界のくせに」

「なんでそんな怒ってんの、なんで俺怒られてんの?」

「チッ」


 あ、舌打ちした。こいつ言葉だけじゃなくて態度も悪いな。生徒会役員のくせに。俺が生み出した最高にかわいいツンデレメガネのハルヒに比べてなんだ、このただのヒステリックメガネ男は。


「春火、全然可愛くねえな。泉水と金江は男でもまだ可愛げあるぞ」

「……あ゙ぁ?」

「もっとごつラブ制作者の俺に会えて嬉しいって思えよ。お前もなんだかんだ楽しそーにプレイしてただろ?」

「お前があんなゲーム作ったから、こんな意味分かんねえ世界に飛ばされたんだろうが!」

「俺がごつラブ作ってなかったら、もしかしたらみんな異世界トリップなんてワンクッション挟まずに即死してたかもしれないだろ! 感謝しろよ!」

「……俺はもうこんなクソみたいな世界うんざりなんだよ……!」

「は?」


 なんだそれ。制作者を前にあまりにも失礼だろ。


「……死ぬ方がマシって言いたいの?」


 そう捉えられてもおかしくない。俺にはそう聞こえた。俺はこの世界に来てゲームの時間軸でまだ一ヶ月も経っていない。その「クソみたいな世界」とやらの片鱗も見つけていないのだ。

 俺が問うと、春火は拳を握って黙った。何かを言おうとしたが、隣にいた金江が俺の肩に手を置き、小さく首を横に振った。


「春火、大地が主人公だったら何か変わるかもしれない」

「……ふん。じゃあさっさと全員集めてこの世界を終わらせろ。最短で終わらせろ。この周回で終わらせろ」

「終らせる……? 最短?」

「エンディングも時間の流れも主人公以外は選択できねえんだよ。お前が動かない限り俺らだって道連れだ。だからさっさと考えて動けって言ってんだよグズが」

「く、口悪ぅ〜……。分かったよ、はいはい、とりあえずあと隼土と木葉の二人を登場させればいいんだろ。つーか春火に言われなくてもそのつもりだったし……いてっ」


 春火に体を叩かれてしまった。なんて態度の悪さだ。こいつ手も出すのかよ。


「お前、カルシウム取ったほうがいいよ」

「うるせえな!」

「胸ぐら掴むなよ! もうツンデレとかじゃないじゃん! ツンギレはマジで可愛くない!」

「だからうるせえって! 早く動けよ!」


 春火は俺と金江を引っ張って、生徒会室の外に放り出した。そして勢い良く、ピシャン! と扉を締める。

 ……。あいつの誕生日プレゼントは煮干しで決まりだな。


「春火、なんであんなにキレてたの」

「……大地に会えてテンション上がってたんじゃないのかな」

「あれテンション上昇のパフォーマンスかよ」


 とてもそうは見えなかったぞ。ネット上で散々話したことがあったとはいえ、初対面であんなに他人に怒れるか、普通。


「ともかく、春火はこれで登場させられたな。次は……隼土かな。購買のイベントで出現だから、また明日な。今日はもう帰ろう」

「うん」


 俺達は玄関へ向かった。ここから家に帰るまでの道中をスキップできる時とできない時がある。その差は分からない。けど、多分、俺がまだ金江と喋っていたいとちょっとでも思うとスキップできなくなる、ような気がする。


「そういえば、金江の家って俺の家の隣だけど、泉水とか春火にもこの世界に帰る家はあるのか?」

「うん、あるよ。それぞれに生活があって、大地と同じように知らない家族がいる」

「よくできてるなぁ……。俺ごつラブ作ったとき、プレイヤーの家族のことまで考えてなかったぞ。本当にどういう仕組みなんだ。この学園から家に帰る道のりのマップとか背景とかだって、全然考えてなかったのにこの世界には存在してる。俺の作ったゲームのはずなのに、俺の知らないデータがたくさん存在してて凄いよな」

「そう……だよね。俺もそれは薄々不思議だなって思ってたんだよ」

「AIで補完したのかな」

「この世界、最新技術が搭載されてるんだ……」


 制作者しか分からない違和感を、金江も感じていたようだ。

 俺はここでの暮らしがまだ始まったばかりだ。この世界のことを何も知らない。俺達がここに飛ばされた理由も、春火がクソみたいな世界と貶していた理由も。



■■■■■


 そして翌日のお昼、俺と金江は購買にやって来た。ごつラブでは、購買に売っている「海軍カレーパン」が生徒から人気で、そのラスイチを手に取るとサヤカの手と重なるというイベントがある。

 サヤカ──つまり、オフ会のメンバーである隼土をモデルにした攻略キャラだ。明るいギャルで、楽しいことが大好き。ネット上の隼土もそのままだ。春火の命令を無視して一人で変な行動を取ることも多かったし、自ら危険に飛び込んで行くこともザラにあった。オフ会で会えるとなった時、実際はどんな人物なのか楽しみでもあった。


「ゲームでは簡単にラスイチゲットできたのにな。狙って手に取るの難しいって」

「こういうとこは都合良くいかないね」


 俺は売られているカレーパンの在庫が見える位置でその時を伺っていた。これでラスイチに手を付けられなかったら、また明日再チャレンジとなってしまう。そうなると、なにをちんたら動いてんだよと春火に怒られてしまうかもしれない。

 賑わう購買をじっと見ていると、不自然に列が途切れ、カレーパンが残り一つという状況になった。主人公補正がかかったのかもしれない。俺はすぐさまそこまで移動し、勢い良くカレーパンを掴んだ。

 すると俺の手の上から、俺の握力を凌駕する勢いで手が重なった。昔ながらの名物と名高い海軍カレーパンがぐしゃっと潰れる音がする。


「ヒッ」

「それなぁ、俺に譲ってくれん? 俺んちのお母さん何故かメシマズの設定なんよ」


 声が降ってきて、俺の右隣、腕が伸びた先を見上げると、なんとも奇抜そうな男が笑みを浮かべ立っていた。俺は唖然とした。


「大地くんやんな? やっと会えたなあ。初めまして、俺隼土な」

「お、おお、よろしく……お願いします……」

「なんで敬語なん!」

「緊張して……」

「今更緊張せんでも」


 今なら初めて俺と会った時の金江の気持ちが分かる。明るくてやんちゃそうな見た目の人に出会うと、何故か敬語が出てしまう。

 ネット上のイメージだけを参考にギャルのサヤカを作ったけど、まさか本当にこんな見た目の人だとは思わなかった。正にサヤカを男にしたという感じだ。

 失礼極まりない考えだけど、正直俺は、オフ会に集まるみんなのことは、ノーマルでプロトタイプのオタクの姿を想像していた。なんなら髪の毛が無駄に明るい俺が一番垢抜けているのではとすら思っていたけど、実際は俺以外のみんなの方が何倍も姿かたちが整っている。


「金江くんは……おー、主人公やなくなったんやな。よかったなあ」

「あ……。おかげさまで」

「金江くんどう考えても主人公の器やないしな。……そんなこと言ったらせっかく頑張ってた今までの周回全部不毛やったってことになるか! 失言やったなあ、ごめんな!」

「あ、いや、事実だし……」

「なんよ、受け入れるんかい」


 隼土は潰れたカレーパンを持ち上げ、レジに渡して購入した。慣れた手つきだ。

 俺は今日隼土に会ったばかりだから戸惑うことも多いけど、少なからず金江は隼土のこの雰囲気には慣れているようだ。隼土が「不毛」と称した、今までの周回という単語が妙に引っかかる。


「大地くん、俺以外に誰登場させた?」

「木葉以外は、一応全員。……みんな、隼土みたいにやっと会えたとか遅いとか言ってきたんだけど、そんなに久しい? 確にオフ会では俺達出会えなかったけど、カラオケ店で火事があってからそんなに時間経ってないとは思うんだよ」

「大地くんはそういう感覚なんか。俺らなんて、もうこの世界四十周したで」

「え?」

「これで四十一周目。大地くんがなかなかこの世界に落ちてくれんかったから、主人公不在で結構苦労したんやでー」

「……マジで? ……四十一?」


 思ってもみなかった数字が飛び出してきて、耳を疑った。四十一だって?


「マジやで。分かる? 四十ってのは、一年生から三年生まで、この学園を卒業するまでの三年間を、四十回したってことな。ゲームの時間軸で時が流れるとは言え、流石におじいちゃんになるかと思ったわ」

「それは、その……卒業したら、大学生編とか、社会人編とかは始まらなかったのか?」

「何言うてるん。ごつラブ考えたのは大地くんやろ。卒業後にそんな展開あったか? この学園卒業したら、スタート画面戻ってまた新しい一年四月の始まりや。この世界も一緒」

「嘘だろ……。……じゃあ、つまり、俺が来るまでに、みんな、……ひゃ、百年以上ここで、この学園で過ごしたってこと……?」

「そういうことやな。正確には、三年経たんと次の周回いってまうこともあったから、もしかしたらもうちょっと少ないかもやけど」

「……」


 衝撃の事実。愕然として言葉も出なかった。そりゃあ春火も遅いってキレるよ。逆にみんなよくウェルカムムードで俺のこと迎え入れてくれたな。


「……多分、あの火事で、俺より金江の方が先に意識を失ってた。でも数分ほどの差だとは思う」

「じゃあ俺らはその数分間で一世紀分の時間を過ごしたんやな」

「なんか、ごめん……」

「あ、責めてるわけやないで。俺は結構この世界楽しんどるから。何周しても、未だに新しい発見があるんよ。今回からは大地くんも合流したし、もっと楽しくなるやろうなあ」

「いやでも、春火はこんなクソみたいな世界うんざりだって」

「あー、春火くん。ほんまに気の短い男やで。一年四月に戻るたびにイライラしとってウザかったわー」


 隼土はその場でカレーパンの封を開けて口に含んだ。表情から、揶揄いや冗談のように聞こえなかった。なんとなく二人の関係性を察した。


「あと出てきてないのは木葉くんだけなんやな?」

「うん」

「木葉くんなぁ……。現実ではまだ会うてなかった?」

「うん。全員あのオフ会で会うのが初めての予定だった」

「そっかぁ。あんまびっくりせんといてな」

「え? 何を?」

「木葉くん。デカくて黒くて蛇みたいな男やから。隣におる金江くんみたいな、ヒョロくて頼りなさそうなのに慣れてしまったらびっくりするかも」

「え……」


 奇抜な見た目の隼土がそれ言うか。それはもうカタギの人間ではないのでは?

 弄られた金江は、言われたとおりの頼りなさを滲ませながら苦笑いを浮かべた。


「はは……。一応俺の方が木葉よりデカいんだけど……」

「嘘やろ!? 金江くん背中弱々しすぎてそんなふうに見えんかったわ! ははは! 人って身長やないなあ!」


 そう言って隼土は金江の背中をバシバシと叩いた。随分ストレートな物言いだ。金江は気圧されているのか言われ慣れているのか、勿論言い返さなかった。


「あ、大地くん、カレーパン譲ってくれてありがとうな。俺の好感度ゲージ上がったんちゃう?」

「え、そんな機能まで再現されてんの?」

「スマホ見てみ」


 言われたとおり、ポケットに入れていたスマホを取り出した。現実世界のものと仕様が違いすぎるから全く使っていなかったけど、よく見るとホーム画面に写っているアプリがごつラブでの操作コマンドとそっくりだ。

 それに気付き、俺はキャラクターの好感度が確認できるコマンドをタップした。開かれたページには、全員の顔写真とそれぞれのゲージが表示されている。ごつラブと同様に登場したキャラクターの好感度を可視化できるようだ。このゲージが溜まれば溜まるほど、俺に対する好感度が高いということが分かる。

 一緒にいる時間が他の人より比較的長いためか、金江が一番好感度が高い。そして、隼土は自分で言っていたとおり、泉水や春火に比べて好感度が高かった。それでも微々たるものだ。このゲージには真ん中に「友愛」と書かれた点線が引いてあり、ここに到達すると親友モードに、そしてその上の「恋愛」の点線に到達すると恋モードになる。みんな、まだまだ友愛にすら到達していない。


 このゲージが存在している時点で、俺は嫌な予感がして仕方がなかった。


「……これってさ、好感度が恋愛まで行くと……」

「結ばれるんちゃう?」

「……くッ……、なぜ……。男同士でそんな……」

「そういう仕様にしたのは大地くんやん」

「対象が男は想定してなかったよ! カレーパン返せ!」

「この程度なんともなーい。ええやんか男でも。みんなの好感度は上げとくもんやで。いつどんなふうにエンディング迎えられるか分からんから」

「エンディングって……」

「あ、チャイム」


 どうやら話し込んでしまったようだ。昼休み終了のチャイムが鳴った。

 隼土は大きなあくびをひとつして、どこかに歩き始めた。


「こんなに誰かと話したの久々で楽しかったわ。大地くん、俺のことひいきにな」


 歩いて行ったのは、俺達の教室がある方向とは真逆。ごつラブではサヤカは授業をサボりがちだったので、隼土もそうなのかもしれない。

 取り残された俺達は、というか俺は、この世界の理不尽さに打ちひしがれていた。


「……ひいきにしすぎたらさ、俺と隼土って、……」

「……うん、そういうこと」

「……」


 これで何回目か。金江は非常に言いづらそうな表情をして答えた。


 ──過去の俺へ。恋愛シュミレーションゲームなんて作ろうと思わないでください。



■■■■■



 まだ登場させていない人物は、残すところ木葉一人となった。木葉は、ごつラブで言うコノミのモデル。コノミは隠しキャラだ。大抵のキャラは適当に日常生活を送っていたら卒業までには出てきてくれるけど、コノミは出そうという意思を持たないと出現させられない。平日五日間、屋上でお昼ご飯を食べ続けないと出てきてくれないのだ。

 ということで、お昼休みに金江と屋上に向かった。血の繋がらない母親の作ったお弁当を広げ、せっかくの機会なので俺は金江に疑問をぶつけてみることにした。


「俺はな、自分なりに考えてみたんだよ」

「何を?」

「俺がこの世界に来るまでの、みんなが経験した四十周のことを」

「う、うん」

「これって、四十回エンディングを迎えたってことだよな」

「そうだけど……」

「ダブったエンディングあった?」

「……いや、多分なかった」

「……それは……つまり……。……お前、……全員と一回は結ばれたってこと?」

「ングッ」


 俺が恐る恐る問うと、金江は飲んでいたお茶でむせた。俺も昨日の夜、自室でこの事実に気付いた瞬間顎が外れるほど口が開いた。

 根拠はある。俺が考えていたごつラブのエンディングは三十通りほど。それぞれの攻略対象と親友になるか、告白されて受け入れたり断ったりするか、病んだ攻略対象を受け入れたり拒絶したりするか、が主なエンディングだ。それにプラスして隠しエンディングが数通り。だから、エンディングにダブりもなく四十周しているのはその時点でおかしい。この世界なりの独自のエンディングがいくつも存在しているのだろう。

 そして、俺が考えていた以上のエンディング数をダブりもなく迎えているということは、確実に「恋愛エンド」も経験しているということだ。

 つまり、つまり、主人公代理だった金江は、泉水や春火達と結ばれた経験があるということだ。


「そういうことだよな!?」

「ごほっ、ちがっ……」

「え、え、卒業式の日、抱き合ったりキスしたりしたの……?」

「ないないっ、本当にそれはない、ごっ、誤解を解かせて……!」

「なんだ、違うのかよ」


 金江は顔を真っ赤にして首を横に振った。安心したような、ちょっと残念なような。男同士の馴れ初めを聞きたかったわけじゃないけど、そんなことになっていたらちょっと面白いと思ってしまった。


「……好感度の調整をして、いろんなエンディングを試してみたんだ」

「好感度の調整?」

「ごつラブの中で、攻略対象にプレゼントすると好感度が急激に上がるアイテムあったでしょ。あれをあげると、本人の意思に反して好感度ゲージが恋愛に到達するから……。それで、卒業式に、形だけでも、こ、告白の儀をしてもらったり」

「ぎゃはは! マジで!? じゃあヤンデレルートも!?」

「い、一応、やったよ」

「面白すぎるだろ! だってあれ攻略キャラに不誠実な行動を取らないと見れないだろ!? お前もそんなナリでなかなかプレイボーイだなあ!」

「やめてよぉ……。俺だってやりたくてやったわけじゃないから……!」

「なんだよー。お前ら全員この世界存分に楽しんでんじゃん」

「……そういうわけじゃ、ないんだよ……」


 金江は過去の周回を思い出しているのか、苦悶の表情をしてお弁当を食べた。



■■■



 そして、五日目のお昼。


「聞こえよく一途ってことにしてるけどさ、ヤンデレになりやすいってだけだから」

「ちょっとでも選択ミスると殺されるよね」

「コノミは特別難易度にしたからな。迂闊に攻略しようとしてはいけないし、簡単に主人公を殺そうとしてくる」


 改めてコノミというキャラを金江と語っていた。俺が攻略のヒントを与えない限り、きっとどんなプレイヤーもコノミと結ばれて終われないと思う。


「にしても一週間経たないと出てこないなんて面倒くさいキャラだよな。早く出てこいよー」


 談笑しながら屋上の扉を開けると、目前に男が佇んでいた。


「俺のこと?」

「ギャーーーッ」


 思わず腰を抜かしてしまった。

 真っ黒い髪の毛、真っ黒い瞳、青白い肌、大きい体躯。間違いなく木葉その人だった。

 隼土がなぜあんな忠告をしていたのかが分かる。この一身に感じる威圧と恐怖は、説明されずとも察することができてしまった。何より怖いのが、その表情。笑っているのに目が笑っていない。本当に蛇のような人だ。


「大地だよね」

「はっ、はひっ」

「俺木葉だよ」

「あっ、あっ、お噂はかねがね」

「ごめんね、めんどくさくて」

「いや、いえ、あの、コノミちゃんの話っす、決して木葉さんの話などではなく」

「やめてよ、いつもみたいに木葉って呼んで」


 完全に恐怖で萎縮した俺へ向け、木葉は手を差し伸べた。この手を拒否することなんてできない。小さく体を震わせながら、俺は木葉の手を取って起き上がった。

 そして、そこで気付く。

 指にいくつもついているシルバーのリング、特徴的な手のひらの傷跡、立ったときの目線の違い、口に付いているピアス。頭の中で一気にシナプスが繋がり、俺は大声を上げそうになった。


「アッ! もしかして常連さん……!?」

「うん。そうだよ」

「……え、あ、常連さん、木葉だったのぉ……!?」

「そうだね、お兄さん」

「マジか……」


 俺が口を開けたまま突っ立っていると、金江が「どういうこと?」と不思議そうな顔をした。


「木葉、俺が働いてたコンビニの常連さんなんだよ……」

「……えっ、そんな偶然あるんだね」

「そっか、あのゲーム、住んでる地域も絞ってメンバー集めてたから……そっか、そういうこともあり得るのか……」

「ふふ」


 木葉は静かに笑った。

 今こうして対面すると、コンビニでレジをしていたときの光景を鮮明に思い出した。俺とこの常連さん──木葉に会話があったわけではないけど、木葉は絶対俺がいる方のレジを選んで来てくれていた。かっこいいけど怖い人だなとずっと思っていた。タバコや酒を買いそうなのに、俺の店では一回も買っていなかったのも記憶している。やり取りをする時にいつも見ていたシルバーのリングと手のひらの傷跡と口のピアスも。


 というか。

 これが木葉だって。

 俺は今までこんな人と気軽にやり取りをしていたのか。俺はこんな人にごつラブをやらせたのか……。


「ごつラブ面白かったよ」

「えっ」

「全部声に出てたよ」

「嘘っ」


 なんて馬鹿正直な脳みそと口だ。今更どうにもならないが、慌てて口を手で抑えると、木葉は目尻を下げた。


「ふ……可愛い」

「え」

「やっと会えたね。嬉しいよ」

「は、はは……俺も……」


 こ、こわぁ……。可愛いって何……? 

 この息苦しい雰囲気に耐えられず、ジリジリと金江の方に寄ると、金江も俺の心情を察してか少し笑っていた。


「おー! やっと全員揃ったね!」

「!」


 すると突然、屋上の扉が開き、ぞろぞろと人が集まってきた。泉水、春火、隼土の三人だ。

 つまり、この屋上という空間に、遂にオフ会のメンバーが揃ってしまった。


「なんでみんな……」

「俺が呼んだんだよ」

「金江が?」


 金江はこくりと頷いた。何かみんな揃って話したいことでもあるのだろうか。


「……あっ、オフ会やる!?」

「阿呆か。こんなとこでやっても時間が無駄なだけだバーカ」

「せめて阿呆かバカかどっちかにしてくれない?」


 全員やっと揃って俺は少しばかりはテンションが上がっているというのに、春火は春火のままだった。


「まあまあ。だってみんなで揃ったの初めてだもんね? 俺達高校生の頃からの付き合いなんだよ、そりゃあ嬉しいよねー!」


 そう。そういうこと。嬉しがって当然なのだ。泉水は本当にいつも素直で可愛い。


「なぁー? 泉水くんの言うとおりやで。春火くんもそうカッカせんと。今更生き急ぐ必要ないやろ」

「生き急ぐっていうか、死に損ないなだけだけどね!」

「はは! そうやなあ、俺ら火の海で倒れてもうたから、あっちの世界では生き急げるほどの健康体やないよなあ! 生き急げる資格ナシ!」

「ふふ……」


 隼土と泉水が狂ったブラックジョークを笑顔で言い合い、それにツボった木葉がくつくつと笑った。今のやり取り何も笑うところねえよ。指摘された春火を見ると、心底軽蔑した目で隼土を見ていた。……案外お前が一番正常だよ。


「あー、えっと。金江、この集まりは何?」

「……大地が主人公になって一周目だから、決起会、のような……」

「決起会? みんなで楽しく学園生活過ごしましょーっていう?」

「ハッ!」


 春火が鼻で笑った。こいつ、なんでもかんでもいちいち突っかかってくるな。


「そうじゃない。逆だよ」

「逆?」

「うん。……この世界を終わらせてほしいんだ」

「はい?」

「この世界が終わらない限り、俺達は現実で目覚めない」

「……え、いや、でもそれは、現実世界の俺達が目を覚ますのを祈って待つしかないんじゃないの?」

「祈って待って、それで目覚めるといいんだけどね。でもここはゲームの世界だよ。俺達がこの世界に飛ばされたのには、きっと理由があると思うんだ」


 それは、つまり。


「……クリアしたら、目が覚めるかもしれないってこと……?」

「うん。逆に言うと、俺達が目を覚ますための手段としてゲームが選ばれて、このごつラブの世界に飛ばされた」

「選ばれるって……そんなの、誰が選んだの」

「大地じゃねえのかよ。製作者だろ」

「俺じゃないよ! そんな人知を超えたことできるわけがないだろ!」

「やったら、神様か仏様かバケモンか、人知を超えた何かが俺らをこの世界に飛ばしたんやろうな。オフ会での邂逅も果たせんかった俺らへの同情か、それか俺らでゲームみたいに遊んどるんか」


 そう言う隼土の気持ちも理解できる。おとぎ話のような強大な力のせいにしないと、ゲームの世界へトリップなんて、いろいろと説明がつかない。


「……あ、じゃあ、お前らが、違うエンディングで四十周もしてたのって……」

「……そう。『真エンド』をずっと探してたんだ。現実で目覚めるように」


 そういうことか。合点がいった。いくらゲームの世界に入り込んだといえど、四十回もエンディングが被らないように考えながら三年間を過ごすなんて、おかしいほどに「頑張りすぎ」ている。

 この世界は主人公の行動を元に時間のスピードが決まる。ゆっくりと学園生活を過ごすことだってできる。でも、金江とみんなはそれをしなかった。主に金江が積極的に動いていたのだろう。四十回分目覚めようと努力して、四十回分が無駄に終わったんだ。──それを、俺は金江に、この世界を存分に楽しんでるだなんて。なんて浅はかなことを言ったんだ。


「俺が試せる限りのエンディングは全て試した。でも目覚めなかった。きっと俺が主人公代理だったから……」

「……ごめ……」

「ううん。でも今は大地がいる。大地は本物の主人公だから、真エンドを見つけられるかもしれない」

「俺が……」


 俺は全員と顔を見合わせた。全員が神妙な面持ち──をしていなかった。泉水は雲の形を眺めていたし、隼土はニヤニヤと笑いながら話を聞いていたし、木葉にいたっては寝ていた。真剣そうなのは金江と春火くらいだ。春火だって真剣というか、失敗は許さんぞという顔で俺を睨んでいる。


 俺の責任は重大な割に、チームとしての協調性が全く無さそうで頭が痛くなった。こんな人たちの中で、金江は一世紀も主人公代理をやっていたのか。こんなナリで意外と度胸がある。


「……分かった。俺、頑張る。真エンドを見つけてみんなの目を覚ます! まずは金江と親友になって金江親友エンドを迎えてみる」

「えっ、俺?」


 金江はぱちくりと目を開き不安そうに俺を見た。すると、泉水が可愛い顔を崩して不満を漏らした。


「え、え、それなら別に金江じゃなくてもいいじゃん。俺でも良くない?」

「だって、金江が前まで主人公だったってことは、金江が攻略対象としてのエンディングはまだ解放してないってことだろ。だから、まずは金江の親友エンドで」

「……そっか」


 えー、と言いつつも仕方がなさそうに諦める泉水。金江は照れくさそうにしていた。


「よし、じゃあ、とりあえず今日は解散な。明日からはみんな流れのまま生活しろよ」

「流れのままかあ。楽しいこといっぱい起きるとええなあ」


 隼土は現実世界でもずっと楽しいことを求めていた。この世界で生活する心持ちは、金江や春火とは全く違うかもしれない。


「起きるよ。だって俺が作ったゲームだし、今回からは俺が主人公だし。どうせなら楽しみながら真エンドを探そう」

「主人公がイベントを楽しめば楽しむほど一周する時間も伸びるんだよ……遊んでないでさっさと真エンドを探せよ」

「えー、俺高校ってあんまり行ってなかったし、せめて一周目の一年生くらいは思いっきり楽しませろよ」


 春火はやっぱりすぐにでもこの世界から脱出したいようだ。俺の楽観的な発言に顔を歪めていた。


 そろそろ教室に戻るかと声を掛けると、ばらばらにみんなが動き出した。俺と金江以外は、全員がバラバラのクラスだ。俺にとって金江が一緒のクラスなのは、かなり精神安定剤になりうるかもしれない。

 みんなが俺達の前を歩き、だいぶ距離が離れたところで、金江はハッと何かを思い出して立ち止まった。


「あ、大地、言い忘れてたことがあって」

「ん?」

「俺達、今はさっき屋上で集まってた時みたいに普通の様子でいられるんだけど、……そうだな。例えば、自分の思い通りにいかなかったり、気が動転したり、話し合いがうまくいかないと……」

「おう……?」

「……いや、ごめん、なんでもない」

「ええ、言えよ! そこまでいったら!」

「ううん。ごめん、本当になんでもない。とにかく大地はいろいろ考えずに生活すればいいよ」

「? うん、もともとそのつもりだけど……」


 金江はじゃあいいんだと曖昧に頷いた。こういうのって中途半端に話し始めだけ聞かされた方がモヤモヤするんだよな。先輩としてアドバイスしてくれようとしたのだろうか。四十周分の、経験値を活かして。

 ……四十周かぁ。一世紀分、みんなはこの世界で……。


「……金江、絶対生き返ろう」

「ふは……、うん。そうだね、生き返ろう」


 生きて帰ろうではない。これは生き返りをかけたゲームだ。俺達はギリギリ死んでないだけだ。現実世界で命の鼓動がずっと続いてくれる保証なんてどこにもない。そう思うと途端に不安になってきた。

 でも金江は俺を見て笑っていた。



■■■■■



 こうして、俺のごつラブトリップの一周目が始まった。

 金江と親友になって親友エンドを迎えると宣言はしたものの、まずこの世界のことやみんなのことを知るために、一周目は積極的にイベントを起こそうと思っている。

 ごつラブ内では、金江をモデルにしているカナとの親友エンド攻略が一番難易度が低い。幼馴染としてよく共に行動するので、それだけで好感度が上がりやすい。つまり、金江の攻略が一番チョロいと考えた。実際金江に「俺達一番の親友な」とか言ったらすぐ落とせそうだし。この攻略に余裕のある時こそ、下調べのチャンスだ。


 俺は直近で起こるイベントを思い起こしてみた。

 まず、部活や生徒会への入部を自由に選択できる。これは強制ではないのでスルーはできるんだけど、ごつラブでは部活や生徒会に入っている方がキャラクター攻略に繋がりやすい。

 そしてその後にテスト期間が始まる。プレイヤーの成績は授業コマンドを多く選択していれば選択しているほど上位になる。ちなみに俺は今の所この世界で、泉水を出現させるために美術の授業を受けたくらいの実績しかなく、他の授業はスキップしまっくているので、このままでは目も当てられないような成績になるだろう。


 部活、生徒会、テスト……。

 お昼休みに掲示板に貼ってある部活紹介のチラシを眺めて佇んだ。どうしても陸上部の文字を目で追ってしまう。

 部活、な。

 

「おー、何、大地くん部活入るん?」

「おっ、あ、いや、見てるだけ」


 背後から声を掛けられ振り返ると、隼土がそこにいた。


「俺陸上部なんやけど、見学来る?」

「え、そうなの? ……サヤカって、部活なんて入ってなかったよな」


 俺は主人公だから選択肢があるけど、俺以外はどうなんだ。元々のキャラにない属性だぞ。


「そーやで。やから、俺がこの世界で部活に入ったらヤバいかなーって思って、興味本位で」

「ヤバいって何が……?」

「バグ」

「バグ?」

「あ、まだ経験してない? 変なこととか無茶なことするとな、バグが起こるんよ。ま、この世界よく作り込まれとるから早々バグらんのやけど」

「へぇー、そういうとこもちゃんとゲームなんだ」

「あまりにも重大なバグやと生活に支障をきたしまくるから、その時は前のセーブデータを読み込むかリセットして最初から始めなあかんくなるんや」

「……え、セーブデータとかあんの?」

「知らんかったん? 危ない危ない、セーブしとき!」


 俺の持っているスマホを確認すると、確かにごつラブと同じセーブマークのアプリが入っていた。俺は真っさらな状態のセーブデータにタップしてログを書き込んだ。セーブ機能があるということは、過去の時間に戻れるということか。今更だけどなんでもアリだな。


「ヤバ! ってなった時のために、こまめにセーブしといた方がええで」

「ヤバ! みたいな時ってあるの?」

「あるよ、そりゃもちろん。バグなったら、場合によってはゲームオーバーやし、キャラクターが暴走する時もあるし。俺はそのバグを起こしたくて部活入ってみたんやけど、なんも起きんな。期待外れやわー」

「え、バグるとゲームオーバーになる可能性もあるんだろ。なんでバグらせたいの?」

「え、おもろいやん!」

「オモロイのか……」


 面白さや楽しさの追求に関しては、隼土はかなりジャンキーなのかもしれない。けたけた笑って俺の背中を軽く叩いた。


「まあ、大地くんよかったら部活見学来てや!」

「ん〜……。まあ、うん、分かった」

「ん! 楽しみやな!」


 隼土はほな、と言って去って行った。

 それにしても、陸上部か。

 よりによって……なんで陸上なんだ。



■■■■■



 その日の放課後、隼土に誘われたとおり陸上部の見学に行ってみることにした。

 ごつラブでは、この天王学園は文武両道を掲げている名門校なので、学習面だけではなくどの部活も上位の成績を修めている。だから、陸上部もきっと強いのだろう。


 学園らしい広すぎるグラウンドに出ると、いろんな屋外部活に混じり、陸上部がアップをしていた。その中には勿論隼土の姿もあった。他の部員はモブ顔だけど、隼土はそんなのお構い無しに、いろいろコミュニケーションを取りながらやっているようだ。本当に部活のワンシーンのようだ。

 俺はその様子を遠くから伺いながら、昔のことを思い出していた。


 俺も元の世界では、中学生の頃から高一まで陸上部に所属していた。自分で言うのもアレだけど、同世代の中だったらそこそこ名の知れた選手だったと思う。昔から走るのが大好きだった。将来の夢は、実業団に所属して陸上の選手になることだった。

 でも、小学生の頃から感じていた足の違和感をそのままにしていたせいで駄目になり、高一の頃には使い物にならなくなってしまった。医師からもう今までのようには走れないと告げられた時、頭の中が真っ白になったのだけ記憶している。

 走れなくなり部活のメンバーや友達には心配されたり同情されたりしたが、その時の俺は、その言葉すら聞きたくなくて、退部届を提出し、学校自体もサボるようになってしまった。


 そんな時にたまたまネットで出会ったのが、あの五人だった。


「タイム測るぞー」


 指示する声が聞こえ、ハッと意識を戻す。

 タイム測定か。モブの生徒がトラックを走っている。あの距離はきっと400mだ。俺も昔は400mに力を入れていた。

 隼土も400mのタイムを測るようだ。コーチの合図に合わせ、隼土が走り出した。


「……!」


 驚いた。重力を感じさせないほど軽やかな走り。素人ではないのがひと目で分かる。

 そして、あの綺麗なフォームにはどこか見覚えがあ

った。俺は人の走りを見る目だけは長けていて、走り方で選手を記憶していたこともあったほどだ。

 ……じゃあ、隼土の走りは一体どこで。


 結局考えても答えはでなかった。あれだけ綺麗なフォームだ。きっと現実世界でも有名な選手だったんだろう。だったら、俺が隼土のことを知らないはずがない。もしかしたら似たようなフォームの選手のことを思い出したのかもしれない。


 部活の時間が終わると、隼土は制服に着替えて俺の元まで来てくれた。この世界で金江以外の人と下校するのは初めてだ。


「どう? 入部せん?」

「いやー、俺、運動部はちょっとなー」

「まだ脚だめなままなん?」

「あ、そうそう。ちょっと走るくらいならいいんだけど、全力疾走は怖いな」

「リハビリは?」

「やったけど、まあ、最低限って感じ。現役の時みたいには絶対無理──」


 ここまで話しておいて、俺はおかしいことにやっと気付き、口が止まった。隼土は笑みを崩さず俺を見ている。


「なんで俺が走れないの知ってんの」

「なんでやと思う?」

「……大会、どこかで会ってた?」

「そ、正解!」

「……隼土? ……そんな人……。……あ」


 隼土という名前を呟いた瞬間、突然頭に電気が流れたようにあの時の全ての光景が頭をよぎった。


「……思い出した、高一のインハイだ」


 俺が出た、最後の大会。

 最後のレースで、隼土は俺の横に並んで走っていた。今まで見たこともない名前の選手だと思って、それで……。

 ……。


 その日、その走りで、俺の選手生命は絶たれた。

 走っている最中にいきなり激痛が下半身を襲い、脚が動かなくなり、転倒し、自分でも何が起きたかを理解できないままその場で顔を上げた。

 隣にいた選手は地に落ちた俺のことなんて一切顧みず、俺を通り越して、颯爽と走っていた。

 それが、あまりにも綺麗なフォームだった。

 俺はその時自分の身に起きたことを受け止めきれず、ただ呆然とその背中を眺めていた。

 それが俺にとっての最後だった。

 後に、俺を通り越していったその選手が大会新記録を叩き出したということを小耳に挟んだ。


「……変わった名前だと思ってた。逆瀬隼土、だろ」

「やーっと思い出してくれた? 若月大地くん」


 隼土はまるでネタバラシをするかのようにいたずらに笑った。


「俺のこと知ってたの……?」

「知ってたで。この世界来るよりも前やし、オンゲーで会うよりも前やし、なんなら中学生の頃からな」

「えっ」

「大地くんのことはな、中学の陸上の大会で見てたんよ。綺麗に走る子やなーって思っとった」

「中学……? でも、俺、隼土のこと高校のインハイで初めて見たし。中学の頃に逆瀬なんて選手聞いたことなかった」

「そりゃそうやん。俺高校から陸上始めたし」

「え?」


 嘘だろ。じゃあ、たった数ヶ月練習しただけで、当時の大会新記録を出したって言うのかよ。

 この男何者だよ。


「俺なー。なんでもできてまうんよ」

「なんでも……」

「ほんまに、なんでも。ある程度練習すれば勉強でも運動でもなんでも。陸上は元々興味あったわけやなかったけど、中三の時にな、友達の応援でたまたまその大会見に行っとったんよ。でも、俺は友達より、他校の子に目がいってしゃあなかった。気持ち良さそーに走るなーって。だって、みんなが真剣に走っとる中、一人だけ笑っとったもん。なのに、ぶっちぎりで速いんよ。走るって単純な動きを極めるのって、こんなにかっこええんやーって、生まれて初めて人に見惚れたな。……ま、それが大地くんやったんやけど」

「……俺に……?」

「そ。やから、高校で陸上始めたのも、それだけの理由なんや」

「え?」

「若月大地って選手と大会で走ってみたかったから。大地くんの走り見て、フォームまで寄せたんよ」

「……ま、マジで?」


 なんてことだ。それはつまり、俺に憧れて陸上を始めたということじゃないか。綺麗だと思っていたあのフォームは、俺のかたちだったのか。


「マジやで。で、インハイ出られて、大地くんと一緒のレースで走れるってなって、俺はほんまに嬉しかったんよ。しかも隣同士やで。神様が手繰り寄せてくれた運命やと思わん?」

「……でも、俺……」


 そのレースで、俺は。

 最後まで走り切ることすら叶わなかった。


「……せやなあ。あんなに綺麗やなーって思っとった大地くんは、倒れて、動かんくなってもうて、……俺一人でゴールして。本来ならあの大会新記録は俺やなくて大地くんが獲るはずやった。倒れるまでは大地くんのが俺の先を走っとったんよ。俺、そうなったらめっちゃ嬉しいって思っとったんやけどな」

「……なんで」

「俺より綺麗で、俺より早くて、敵わん男がおるなんて、そんなの嬉しすぎるから! ……やのに、なあ」


 隼土は歩く足を止めた。口元は笑っているのに、落胆したような眼差しを俺に向ける。


「……俺、それでも暫くは陸上続けとったんよ。また大地くんに会えるかもしれんから。でも、次の大会にはもうチームにすらおらんくて。あの後すぐ退部したんやなあ?」

「……」

「そしたら、もー、走るのなんもおもんなくて。俺別にタイム伸ばすために陸上始めたわけやないし。いきなり目的無くなって、俺も陸上やめたわ」

「そんな……」

「大地くんみたいなスポーツマンには失礼やろな。許してなあ。でもな、俺はほーんまに驚いたんよ。たまたま始めたオンゲーで大地ってプレイヤーとマッチングして、流石に同一人物はないやろなって思ったんやけどな。前にみんなが現実世界で運動できるかどうかみたいな話になった時に、大地くんは高一まで陸上続けてて、インハイも出たって言ってやろ。俺、唖然としたわ。んで、この世界来て初めて大地くんの顔見て確信した。やっぱりあの『若月大地くん』やって」

「な、なんでもっと前に言ってくれなかったんだよ」

「言ってほしかった? 俺、あの時横で走ってた選手やでって。陸上初めてたかが数ヶ月やったけど、選手生命絶たれた大地くんの横を通り抜けて大会新記録を出した選手やでって」

「……なんか怒ってる……?」

「怒ってへんよ。そう見える?」

「だって、なんか、……怖い」


 不機嫌そうな表情とも見て取れる隼土は、作ったように口角を上げた。


「怒ってへんって。は、俺の気持ちと一年間返せよ、何全部捨ててゲームやっとんよとは思ったけど」

「お、怒ってるじゃん……! おっ、俺だって、いろいろ考えて、リハビリもして、駄目だって分かったから、断腸の思いで辞めたんだからな……」

「分かっとるって。今こうして会えとるしな。恨みっこ無しや」

「そっちが一方的に恨んでただけだろ!」

「んはは」


 一瞬仄暗さが垣間見えたが、隼土はいつもどおり朗らかに笑った。その落差にこそゾクッとしてしまう。


「俺な、なんでもできてまうから楽しいこととか意味分からんこと大好きなんよ。だから、現実世界では絶対に起こらんバグっていう変な現象を起こしてみたくて、ごつラブでサヤカはやってなかった部活をやってみたんや。ま、バグなんて起こらんかったし、大地くんも入部せんからもう部活やめようと思ってるんやけど」

「そんな不誠実でいいのかよ……」

「ええんよ。これはゲームなんやろ。大地くんやってお勉強スキップしまくっとるでしょうに」

「そうだけどさあ……」

「大地くんはこのゲームの製作者で、ホンモノの主人公やから、これから楽しいこといっぱいやってくれそうやなあ」


 帰り道を歩いていると、別れ道にさし当たった。俺と隼土の家は、ここからは別の方向になるらしい。

 バグなんて一つも起こらなさそうな、現実となんら変わりない夕焼け空をバックに、隼土は手を振った。


「俺、これから楽しみにしとるで」


 手を振り返して、俺も背を向けた。

 隼土はネット上ではノリが良くて、明るくて、話しやすくて、実際会ってもそうなんだろうなとは思っていた。でも、本当はちょっと怖い人かもしれない。俺に会うためだけに陸上を初めて、俺がいなくなったから陸上をやめるなんて。ある種執着とも取れてしまう。

 ……なんでこれが女の子じゃないんだろう。




一週目/一年五月



 次のイベントはテスト期間だ。

 俺の考えたごつラブの年間スケジュールでは、五月の下旬頃にテストがある。他の月にもテストはあるけど、この五月のテストはテストイベントの中でも大きい。何故かというと、五月のテストだけは上位二十名の名前が掲示板に貼り出されるからだ。これにプレイヤーの名前が乗れば攻略対象に知的アピールができるし、逆に、これに名前が載った攻略対象キャラクターに声を掛けたり褒めたりすることによって、好感度を上げられたりする。

 俺はハナからここに名前が載るなんて思っていない。載ろうとも思っていないので、ただただ、このテストイベントが億劫でしかない。自分で考えたイベントとはいえ、やっぱりテストはどの世界でも嫌なもんだ。


「金江は? 勉強得意?」

「得意ってわけではないかな……。並だと思う。大地はゲームのプログラミングとかやってるから、頭良さそう」

「……。本気でそう思ってんの? 頭良さそう? じゃあ次のテストで現実見せてやるよ」

「アッ……」

「察したような声色やめろ」


 テスト期間になると、放課後にテスト勉強コマンドが出てくる。今更頑張っても学力パラメーターはそこまで上がらない気がするが、あまりにもテストの結果が悲惨だと、金江の好感度が下がる可能性があるので形だけでもテスト勉強をしておくことにした。

 テスト期間の放課後、教室で俺は金江と机を向かい合わせてテキストとノートを開いていた。名門校である天王学園の学習内容は俺にとってはちんぷんかんぷんだ。


「てか、付き合ってくれて悪いんだけど、別に金江が勉強する必要ってないよな」

「ううん。誰かと一緒に勉強するとかやったことなかったから、楽しいしいいよ」

「これが楽しいだって……?」

「……あっ、ちょっと、俺の目の前で好感度確認するのやめてよ……!」


 もうそれは俺と一緒にいるだけで楽しいってことじゃね? 俺のことかなり好意的に思ってるんじゃね? と思って好感度を確認してみたけど、金江の好感度はまだ全然友愛に達していなかった。なんだよ。

 金江は恥ずかしかったのか、俺の行動を止めようとしながら顔を赤くしていた。

 テスト勉強そっちのけだ。二人で騒いでいると、教室の扉が開いた。


「なにー? 勉強してるの? 俺も混ぜて!」

「おー、いいよ」


 泉水だった。泉水は顔を明るくして教室に入って来た。近くにあった机を俺達の机にくっつけ、そこに座る。


「泉水も勉強する必要はないんだけどな」

「えー、俺テスト本気でやりたいもん」

「勉強得意そうだなー」

「え? 俺? 俺勉強全然できないよ」

「じゃあさっきのなんの宣言だよ」

「俺、やればできる子だから。今までやってこなかっただけで!」

「凄い、自信満々な馬鹿だ」

「大地だって勉強できないくせに」

「おい、俺勉強に関してはなんも言ってないぞ」

「なんか分かるもん」

「俺のことアホそうって言いたい?」

「だから金江が勉強教えてね」

「ええ……俺じゃ力不足だと思うけど」


 何が楽しいのか、泉水は心底楽しそうにニコニコと笑いながら課題をやっていた。可愛いな。

 泉水が勉強できないと言っていたのは本当のようで、分からない選択問題があるとどれにしようかなで決めていた。


「大地が来るまではこうやってテスト勉強をみんなですることもなかったねー」

「そうなのか?」

「うん、そうだね。俺が主人公の時は極力誰とのフラグも立てずに三年間過ごすことが多かったから。ほとんどみんなバラバラで、一人でいたよ」

「なんでそんなこと言うの。俺は頑張って金江に話し掛けたり遊びに誘ったりしてたよ。でも全然会話乗ってくれないし、金江の方からは俺に喋り掛けてくれないし。俺ルートの攻略の時意外は徹底的に冷たかったよねー」

「おい金江酷いぞ。こんな可愛い泉水になんてことするんだ」

「ごめん、あの、だって、その……。好感度上がりすぎて、望んでもない恋愛エンドになったら嫌だと思って……」

「望んでもないって失礼だな! てか俺別にそういう気持ちで金江に話し掛けてたわけじゃないし!」

「ご、ごめんね」


 金江は情けなさそうに背中を丸め、泉水はぷくっと頬を膨らました。可愛い。やっぱり可愛いな。俺がグループで姫扱いしていただけある。

 俺が堪えきれずニヤニヤ笑いながら泉水を見ていたのに気付いたのか、泉水が俺を見てニコーっと笑った。


「たくさんいると楽しいねえ」

「楽しいかあ? テスト勉強だぞ」

「うん。俺高校ってあんまり行ってなかったし。テスト勉強でも楽しいよ。今の方が昔よりよっぽど高校生できてる」

「そっか、泉水も……。ま、俺達六人ってそういう人で構成されてるもんな。金江も高校の時平日からガッツリオンゲーにログインしてたよな」

「あ、うん」

「意外だよなー。お前真面目そうだし、顔だけ見るとモテそうだから、学校楽しめただろ」

「い、いや……。俺なんて……」


 俺達の中には過去を詮索しすぎないという暗黙のルールがあった。それを忘れて深入りしすぎたかなと口をつぐんでいると、金江はぽつりとその先を話してくれた。


「本当にしょうもない理由なんだけど……。俺、双子の弟がいるんだよ」

「え、そうなの? そっくり?」

「いや、二卵性だから、顔も体格も性格も何も似てないよ。弟と俺は同じ高校に通ってて、その、まあ……偏差値が高い学校だったんだ。親が勧めるがまま入学したんだけど、弟の出来が良すぎて、俺はこんなんだからテストでもそこまでいい点数が取れなくて、そうなると家でも学校でもいろいろ比べられて……。……それで、嫌になってよく学校サボってたんだ」


 言いづらそうに溢した金江の言葉を聞いて、自分の無神経さに反省した。俺は馬鹿か。何勝手なイメージを押し付けてんだ。


「……しょうもなくねえよ。こめんな、ずけずけと聞いて」

「ううん。高校時代のことは俺が頑張らなかったから俺の責任なんだ。大地が謝らないでよ。だから、泉水ごめん、俺そこまで勉強教えられないと思う」

「でも確実に大地と俺よりはできるでしょ? 大丈夫だよー」

「俺を巻き添うな! 俺はこう見えてごつラブのプログラミング全部やったんだからな」

 コンストラクションツールを使ったけど。

「さっきは現実見せてやるとか言ってたのに……」

「じゃあ次のテストで俺と大地どっちが順位上か勝負ね!」

「おー。負けたら海軍カレーパン奢りな」


 その後、俺達は下校時刻がまで他愛もない会話をしながらテスト勉強を続けた。

 泉水はずっとニコニコしながら、三人だと楽しいねとしきりに呟いていた。



■■■■■



 五月の最終日。いよいよ先日受けたテスト結果が返ってきた。

 俺の順位は、300人中250位だった。確実に悪いけど、俺より下がいることに驚いた。


「金江は何位だった?」

「えっと、150位」

「……お前って本当に絵と顔とタッパ以外は全部普通なんだな」

「はは……」


 まあ、金江の順位はどうでもいい。良かろうが悪かろうが、好感度に影響することはそれほどない。

 それより泉水の順位が聞きたい。

 泉水のクラスまで行こうとすると、泉水の方も俺に会いにこようとしたらしく、廊下でばったり鉢合わせた。


「せーのだからね」

「うん」

「やっぱ見せないフェイントとか無しね」

「分かってるって」


 せーのの掛け声とともにテスト結果の紙を見せ合うと、泉水は俺の順位を見て、顔を輝かせてその場でぴょんぴょん飛び跳ねた。


「うおっっっしゃ!」

「一位差で負けた……」

「あれー? ごつラブ作った若月大地さん、俺に負けてるんじゃないですかぁー? はいカレーパン、カレーパン、カレーパン」

「う、うぜー……」


 たった一位しか変わらないくせに、泉水はこれみよがしに俺を煽ってきた。ムカつくけど、元気な子犬みたいで可愛い。やっぱりネット上で姫扱いしていたから可愛いの刷り込みがあるのかもしれない。


「せっかくだし、二十位までの人の見に行くか」


 掲示板には上位二十位までの名前が貼り出されているはずだ。俺は金江と泉水を連れて掲示板を見に行くことにした。


 到着すると、モブのギャラリーが集まっていた。みんなが貼り紙に注目し、そこに載っている名前を挙げて盛り上がっている。

 俺もそれを見上げて下から名前を確認した。

 木の葉の名前は……ない。あいつ、そもそもテストなんて受けてるんだろうか。

 そして、上の方へ目線をやると、なんと二位に橘春火の名前があった。あのメガネ、やっぱり生徒会に入ってるだけあってちゃんと賢いんだな。ただヒステリックなだけではないようだ。

 で、問題は一位だ。

 一位は隼土だった。紛れもなく、一位のところに逆瀬隼土と書かれている。しかも、ほぼ満点に近い点数だ。なんでもできてしまうと自分で言っちゃってたの、ただの痛いヤツとかじゃなくて本当だったんだ。


「ほー……。隼土凄いな」

「隼土は今までの周回でもずっと一位だったんだよ」

「一世紀の間王者か……。生きる伝説だな」

「隼土凄いよねー。しかも勉強なんてほとんどしてないって言ってたよ」

「マジもんの天才か……あ」


 ふと集団から離れた遠くの方を見ると、春火がいた。

 声を掛けようと思ったが、とてもそんな雰囲気ではない。レンズの奥から睨みつけるように、じっと順位表を眺めていた。

 ……二位、だもんな。もしも本気で一位を目指していたとしたら、二位ですら悔しいのだろう。

 春火はそのまま俺の視線には気付かず、険しい顔をしながら静かに去って行った。



続き↓

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