1.あかりが聞く
「おはざーす、あーす、うーす、お、……うおおぉぉ!?」
人って朝からこんなに大声出せるんだ、と我ながら感心した。眠気眼で部室に入って来た部員達に流れ作業で挨拶をし、挨拶をし、挨拶をしようとしたが、流せない視覚情報が目に飛び込んできた。俺がガン見しているその男は気恥ずかしそうに目を逸らした。
「……うす」
「テクノ! 髪! テクノじゃなくなってる!」
テクノの髪がテクノカットじゃなくなっていた。
目の前の男──テクノは俺と同じ学年、ついでに言うと俺と同じクラスの男だ。高校に入って出会った時からずっと、全く同じテクノカットをしていた。同じバスケ部に入り、新入部員の半強制通過儀礼であるバリカン刈りなるものをうまいこと避けに避けまくって、この男はその髪型を崩すことなく3年目に突入した。こんな生意気な後輩、多分時代が違えば先輩から容赦なく白い目を向けられていただろうけど、俺らの代の先輩はみんな優しかったので、「まあお前かっこいいしいいか」とお咎め無しだった。俺は畏敬の念を抱き、コイツをテクノと名付けた。マジでそのテクノカットが似合っていたのだ。昔のジョン・コナーくらい似合っていた。
そのテクノが、テクノカットじゃなくなっている。
それはもうバッサリ。ビブスが死ぬほど似合いそうな、爽やかなベリーショートに。
「テクノがテクノじゃなくなってる!?」
「うるさいな……」
テクノが鬱陶しそうに視線を流して、自分のロッカーを開けた。いや、何回でも言うよ。だって本当にずっと同じ髪型だったのに。驚くだろそんなの。みんな驚かないの、と周りを見渡したけど、眠そうにあくびをするか着替えるか食いそびれたおにぎりを食べるかのどれかだった。同じ3年の部員が着替えながら苦笑いを浮かべる。
「もうその話終わったって」
「俺が先に準備してる間にそんな……」
俺はマネージャーなので、朝練の日はみんなより早く来て部室の鍵を開けるようにしている。俺が一番乗りで雑務をしている間に、どうやらテクノがテクノじゃなくなった話題は盛り上がり尽くしたらしい。
「ねえテクノなんで!? いきなり何故!?」
「あーーーもーーー朝からうるさいななんだっていいだろ」
テクノに詰め寄ってみたけど、聞きたい情報は聞き出せず。乱雑にロッカーの扉を閉め、テクノは体育館に向かって行った。
「えぇ……? なんであんなに不機嫌なの、俺の声が馬鹿デカいせい……?」
「まあそうだよ、お前のせいだよ」
「そっとしといた方がいいっすよ」
「今日は謙虚に粛々と過ごした方が身のためだよ」
「先輩、もう今日は帰った方がいいんじゃないですか?」
なんでこんなに言われなきゃいけないんだよ。こいつらはテクノの突然イメチェンの原因を知っているんだろうか。聞こうとしたけど、部員はみんな早々に準備を済ませて部室を出て行った。
……テクノが、テクノじゃなくなってた……。
朝練が終わってからもテクノに散髪の理由を聞きまくり、授業が始まるまでずっと聞きまくり、休み時間も聞きまくったけど、苦い顔をするだけで答えてくれなかった。
そして昼休み。いつも一緒にご飯を食べているテクノがそそくさと教室から離れようとしていたのをすかさず引き止め、無理やり俺の席に座らせた。俺もテクノに向かい合って座り、お弁当箱の蓋を開けた。
「で、なんで髪切ったの?」
「……」
テクノの冷たい視線が俺に当たる。いやほんと、なんでこんなに不機嫌なのか意味分かんねえし。テクノは俺のしつこさに堪忍したようで、一緒にお弁当を食べ始めた。でも、食べるために口は開けど声は出さず。全然会話してくれない。この不機嫌の理由は、やっぱり俺にあるんだろうか。
「……っあ! いや、今の髪型めちゃくちゃ似合ってるよ!」
「ああ、そう」
「うん、そりゃまあ、俺はテクノのテクノカットをすっげー気に入ってたんだけど」
「……」
ハァーーー、と長いため息。そしてまた俺を睨みつけてきた。いや、睨むというか、もういっそ呆れに近い。ただでさえ顔面が強いのに、あのバングが無くなったことによって余計高圧的なオーラを感じる。駄目だ。このままだと何言ってもパス回してくれなさそう。
「ちなみに俺はお前がどんだけだんまりを決め込もうが不機嫌だろうが散髪した理由を一生聞き続けるけど」
「……………………失恋したんだよ!!」
「っお、……………………ええぇぇ!?」
ぱすん、と軽く頭を叩かれてしまった。静かにしろ! とテクノがジェスチャーをする。俺は机の上にぽろっと箸を落とした。
頭を鈍器で殴られたような衝撃。実際の凶器は手なんだけど。そんなくだらないことどうだっていい。悪いニュースと超良いニュース、どっちから聞きたい? じゃあ先に悪いニュースから。
テクノって好きな人いたんだ〜〜〜! 嫌だ、嫌すぎるぜ〜〜〜!!
対して超良いニュース、テクノがなんかよく分からんけど失恋したらしい〜〜〜! やった、テクノの失恋ほど美味しいものはないぜ〜〜〜!
感情の交互浴で頭が痛くなってきた。テクノの恋愛事情で心の底から一喜一憂できる俺は、何を隠そうテクノのことをお慕い申し上げていた。テクノがバリカン刈りを拒んだ時から、俺がテクノにテクノと名付けた時からずっと!
「……て、テクノ、好きな人いたんだ……」
「……いたよ。いちゃ悪いか……」
「相手は誰?」
「言う訳ないだろ」
「そんな、禁忌じゃないんだから」
「……とにかく言わない。しつこく聞くな」
意中の相手の名前は教えてくれなかったけど、テクノの不機嫌な理由は分かった。テクノって、失恋したら髪を切る派の人だったんだ。じゃあ逆に今まで失恋は経験してこなかったのか。いや、テクノに彼女がいた覚えがないから、そもそも恋愛をしてこなかったのか。そんなテクノが好きになった子、めちゃくちゃ気になるな。俺のテクノ攻略のヒントにさせてもらいたいんだけど。
いやはや、こんなにかっこいいテクノが失恋か。しかもかなり荒れてる。いつものテクノはもっとクールで凪いでいるんだぞ。珍しいものが見れた。
「じゃあさー、今がテクノの狙い時ってこと? 傷心中だし」
「そーですねー」
テクノはやけ食いのように一心不乱にご飯をかきこんでいた。テクノには悪いが、俺はニヤニヤが止まらない。そうだよ、だって今テクノは正真正銘狙い時だ。調子に乗って、冗談1割、本気9割のテンションで言ってみたり。
「俺にもチャンスがあるって訳だ」
「ん?」
「今俺がグイグイいけば、テクノが俺の彼氏になる可能性も、なきにしもあらず、ということで」
「は?」
「だはは。本気出しちゃおうかな」
「は?」
「ははは」
「……は?」
「……ははは」
「……」
「……スゥーーー……。ジャブ……」
冷や汗をかきながら右の拳をゆる〜くテクノに伸ばしてみたが、チョップではたき落とされた。そしてテクノはもう一度、は? と俺を睨んだ。ジャブよりよっぽど牽制力がある。
「そ、そんなに怒らなくていいじゃん……」
「あかりは、一夫多妻制を是とする派か?」
「は?」
「それとも、本妻、愛人で分ける派か?」
「はぁ?」
今度は俺がは? だ。テクノの言っている意味が分からない。
「冗談でもそんなこと言わない方がいい。特に今の時期は」
「なに、え、時期とかある?」
「いや……、あかり、浮気は良くないと思う。普通に」
「……?????」
始めて円周率を見たときくらい顔を顰めた。どこまでも果てしなく続く意味の分からない数字の羅列。それくらい意味が分からない。さっきからコイツはなにを言っているんだ?
「浮気、は、うん、そうだな。俺も浮気は良くないって思うけど」
「は? お前どの口が言ってんだ?」
なんだよこれ。なんでだよ。何言っても不正解なんだけど。俺は浮気賛成だぜ! って言えば良かったのか?
「いや、さっきから何?」
「だから……。………なんで分からないんだ? お前の倫理どうなってんだ?」
「えぇ……。なんで俺今倫理観疑われてんの?」
「……まさかあかりがこんなに軽い男だったとは……」
テクノが軽蔑するような目で俺を見てきた。ゾクゾクするな。いやこんなところで目覚めちゃ駄目だろ。理不尽極まりない罵りを受けてんだけど。
「テクノごめん、バカでも分かるように説明して」
「だから、彼女を持ちながら、そういう発言はいただけないと思うって言ってんだ」
「…えーっと、彼女がいる人は、傷心中の第三者を狙うな、と?」
「ああ、そういうことだ」
「あー、うん。そうだな」
「そうだぞ」
やっと分かったかミドリムシ、と極めつけのように俺に悪口を吐いて、テクノはお弁当箱をしまった。代わりにカバンから甘い菓子パンを取り出す。運動部の男子高校生にはお弁当だけではエネルギーが足りないらしい。対する俺はお箸を机に落として以来、食材を口に運んでいなかった。俺も食べないとな。そう思ってお箸を持ち直して好物の唐揚げに手を付けようとした時、ふと「やっぱり今の会話おかしかったよな」と考えがよぎった。
「いやなんで俺が怒られなくちゃいけないの?」
「は? 逆になんで怒られないと思ったんだ? 俺も浮気する派の人間だと思った?」
「いや、テクノは一途だと思うよ。知らんけど」
「そうだよ、俺は一途だよ」
「そうだよな。じゃなくて。もしかして、俺が浮気をする疑いがあるって言いたかった? だから俺お前に怒られたの?」
「そうだよ」
「なんで俺浮気すると思われてんの」
「なんで? あかりが言ったんだろうが」
「ンンンン?」
「つい数分前の自分の発言忘れたのか? ミドリムシが」
「ミドリムシ馬鹿にすんなよ。食べたことある? ミドリムシクッキー」
「あるある。普通にクッキーだった」
「だよな。まあだからって好んでミドリムシクッキー買って食べないけど」
「カントリーマ○ムの方が美味いしな」
「それ引き合いに出すの土俵違いすぎてズルいだろ〜」
「俺は冷やす派だ」
「あ、マジ? 俺は焼く派」
「俺の兄貴は牛乳にディップする派だった」
「それ、対象のお菓子違うくない? マアムでやるやつじゃないだろ」
「ハハハ」
アハハハ……。あれ……なんか……このまま和やかな雰囲気になってしまいそう……。
「いやそうじゃなくて……違うよ別に俺はミドリムシクッキーの話がしたいんじゃなくて」
「あかりが始めたんだろ」
「そうだけど。そんなことじゃなくて、なんで俺が浮気するような男だと思ったの?」
「……だからァ〜……」
テクノは短い髪の毛を意味も無くかきあげた。テクノカットだった頃の癖だ。テクノ自身もその意味のない癖に気付いたようで、バツが悪そうに口を開いた。
「だから、お前が彼女を持ちながら、その……俺に……俺の……彼氏、チャンスがある、とか」
「……ンッ!?」
俺はもう一度箸を落とした。今度は床に。テクノがあーあー、と眉をひそめながら床に落ちた箸を目で追い、仕方がなさそうに屈んで拾おうとしてくれた。俺も咄嗟に席から降りてテクノと同じ体制になり、テクノが拾う前に先に俺が箸を拾う。教室で今一番低い位置にいるテクノに向かって、同じく一番低い位置にいる俺は思いっきり叫んだ。
「彼女ォ!? 俺が!?」
「声デカっ」
また軽く頭を叩かれた。テクノは起き上がり席に座った。頭叩きたいのはこっちの方なんですけど。困惑したまま俺も席に座り直した。テクノは既にパンの咀嚼を再開していた。いやいや、なんでそんなおすまし顔で。
「俺、彼女なんていないけど」
ピタッと。テクノの動きが止まった。びっくりした。微動だにしていなかった。今度はテクノが菓子パンを机の上に落とした。
「そういうことかー。どうりで話が噛み合わないわけだ」
「……え」
ギギギと壊れたロボットのように、ぎこちなく俺に顔を向ける。つい数十秒前まで不機嫌だった顔からは一切の表情が抜け落ちていて、間の抜けた顔をしていた。俺は思わず笑ってしまった。
「その噂の出どころどこだよ。ってか俺と誰の噂?」
「いや、え、だって、あかりと吉井が……」
「え!? そうなの!? なにその噂!?」
俺と噂になってるらしい吉井ちゃんは、俺と同じくバスケ部のマネージャーをしている3年生の女の子だ。
「だって、他の屋内部活のヤツらとか、みんな噂してる……し……」
「なっ……そっ……マジかーーーーー……」
俺は頭を抱えた。
確かに、俺は吉井ちゃんと仲がいい。もしかしたら距離も近かったかもしれない。でも俺らの関係は男女の仲に発展するものではなかった。決して、断じて。
何故なら、吉井ちゃんには既に俺のテクノに対する気持ちがバレているから。バレるも大バレ。俺の黒歴史でもあるし時々思い出して死にそうになる出来事がきっかけだった。
1年生の頃、大会が近付いていた部活中。誰もいない部室で、俺はその時スマホの待受にしていたテクノの写真に熱いキスをお見舞いしていた。やましい気持ちは一切ない。スタメンが発表される直前のことだった。テクノの名前が呼ばれるように、願掛けでこそっと。やましい気持ちは一切ないのだ。やましい気持ちは一切ないけど、それはもう、気持ちを込めて、熱いキスを。それを、突然部室に勢い良く入って来た吉井ちゃんに見られてしまった。驚愕する俺、化物を見るような目で俺をみる吉井ちゃん。時が止まった。吉井ちゃんは「……もうすぐ始礼だよ……」と引き気味に呟いて、部室を出て行った。頭が真っ白になった。テクノの名前は呼ばれたけど、俺はそれどころじゃなかった。隣で体育座りをしている吉井ちゃんの存在が気になって気になってしょうがなかった。
それから俺は吉井ちゃんに全てを正直に話した。意外にも吉井ちゃんは俺の気持ちを理解してくれて、応援もしてくれた。ただただ俺の熱いキスに引いていたらしい。
そんな吉井ちゃんと俺。俺達が楽しそうに話しているところを見た他の部活の人達が噂を流したのかもしれない。大体俺がテクノかっこい〜♡ と言ってるのを、吉井ちゃんがうんうんそうだねと雑に返したり、今のあかりくんへのファンサだよ、と雑に茶化したりしているだけなんだけど。
「俺別に吉井ちゃんとなにもないよ……ただの戦友というか」
「……でも、俺は見たぞ」
「何を?」
「あかりが吉井に『俺も好き』って言ってるの」
「んんんっ!?」
パニック。俺の知らないところで俺の知らない俺が吉井ちゃんと結ばれている。そんなわけない。
「え!? 言わないよ!? だって俺っ……」
テクノしか好きじゃないから〜〜〜!!
……とは言えず、一度冷静になって咳払いをした。
「……あー、ちなみにそれはいつ?」
「……前の土曜、部室で……」
現在週頭の月曜日。土曜は一日部活だった。その日俺と吉井ちゃんが部室で喋っていたのって、多分部活終わりに部室を掃除していた時しかない。何話してたっけ。テクノのこと、チームのこと、大会のこと、家族のこと、吉井ちゃんのお父さんがファンキーなこと、吉井ちゃんのお父さんが音楽を好きなこと……。
「あーーー……それ……」
多分、吉井ちゃんのお父さんが好きなバンドと俺とテクノが好きなバンド一緒だということが発覚して、その「俺も好き」な気がする。インディーズだからまず知っている人がいること自体珍しく、かなりテンション上がったっけ。
その旨を伝えると、テクノはぽかんと口を開けた。
「え……じゃあ俺は……」
「うん」
「とんだ勘違いを……」
「やっと分かってくれた?」
そうか。俺と吉井ちゃんが付き合ってるってそれで確信してしまったから、テクノを誘惑するような真似はよせと。馬鹿みたいなすれ違いを起こしていた。
テクノはわなわなと震え、深々とため息を吐いて項垂れた。そして、地を這うような低い声を唸らせた。
「はぁ、なんだよ、髪切らなくてよかったじゃんクソ……」
「お前、あの絶妙な長さに誇りを持ってたもんな」
「髪ってどうやったら早く伸びる?」
「ワカメじゃね?」
「俺海藻嫌いなんだよな。ミドリムシは?」
「もうミドリムシにゾッコンじゃん。ミドリムシは全知全能ではないからな」
「でもアレ緑色だろ」
「緑色全てが髪の毛に効くと思うな。引っ張ったら伸びるって言うし、常に引っ張っとけば?」
「そうする……」
言うなり、テクノはその短い髪の毛を片手で一生懸命摘み出した。もう片方の手で、スマホを使って『髪の毛 早く伸びる方法』と検索している。そんなにこの髪型が嫌だったのか。顔面が整いすぎて髪の毛の長さに頼らなくてもめちゃくちゃかっこいいけどな。
…………………………ん?
俺は何か、重大なことをスルーしてないか?
とんでもない発言があった気がして、必死にさっきまでの会話を思い返した。髪、髪、髪……。あ……。
「っなあ、髪切らなくてよかったって何!?」
早とちりはいけない。と、思いつつも、俺は一つの可能性を見出してしまったことによって顔を真っ赤にした。肝心のテクノは、そんな俺を訝しげに眺めた。
「あ? だから、あかりが吉井と付き合ってないんなら、俺はわざわざ髪切る必要なかったって……」
ハッ。テクノは息をのんだ。この馬鹿は、今になって自分が何を口走ってしまったか気付いたらしい。みるみるうちに紅潮していく顔。つられて俺も更に赤くなる。テクノはもう言葉も出ないようで、ただ弱々しく口をぱくぱくと開閉させていた。
いやもう、これ、つまり、そういうことだろ。
「俺、チャンスしかないってこと!?」
俺が恥も外聞もなく教室で堂々と叫ぶと、テクノは崩れ落ちた。耳まで真っ赤にさせ、ぐしゃっと机に伏してしまった。
なんだ、俺チャンスしかないじゃん。
テクノがアホ可愛かったので、とりあえず短くなった髪の毛をわしゃわしゃと撫でておいた。
2.吉井が見る
入部したときから、この子はやけに特定の人物にだけ尻尾の振れ幅が違うなと思っていた。
「おーい、あかりくーん!」
これはノックをしなかった私も悪かったかもしれない。……いや、部室なんてわざわざノックしない。部員が着替え中はまず入ろうと思わないし。やっぱり私は悪くない。したっぱマネージャーの遅刻のせいで始礼が遅れるなんて絶対避けたいから、何故かちんたら部室に籠っているあかりくんを呼ぼうとした。
ガチャン! と扉を勢い良く開けると、そこには、小さな電子の媒体に向かって、画面がめり込むくらい口付けをしているあかりくんが……。
私は思わず目をガンガンに開いてその光景を眺めてしまった。あかりくんはそんな私に戦々恐々として、手元からそのスマホを地面に落とした。床に落ちたスマホの画面をチラ見する。
──テクノくんだ。テクノくんの待ち受け。
私はこの瞬間、今までのあかりくんのテクノくんに対する態度を思い出し、一瞬で合点がいった。
「……もうすぐ始礼だよ……」
今度はゆっくりと扉を閉め、体育館に向かって歩いて行った。
よし、見なかったことにしてあげよう。あかりくん、今にも死にそうな顔してたしな。
私があかりくんの恋心を知ってしまったのはこの時だった。秘密にしといてあげようと思ったけど、早々にネタバラシをしたのはあかりくんの方からだった。あかりくんは緊張ぎみに「気持ち悪いって思わない?」と私に聞いてきた。そんなことは少しも思わなかった。いやまあ、テクノくんの待ち受けにあのキスは流石に引いたけど。
あかりくんは私という理解者ができたことで相当気が緩んだらしく、部活中は私に隠すことなく「テクノかっこいい、汗舐めたい」と報告するようになった。最初は律儀に返していたけど、毎日毎日聞かされるものだから、「今すぐ飲みに行ってこい」と適当に返すようになった。めんどくさかったし鬱陶しかったけど、テクノくんのことで一喜一憂するあかりくんは普通に可愛かったし見ていて楽しかった。
そして、先輩達が卒業して、私達が2年生になった頃。新しく入ってきた部員の中に、中学の時のあかりくんの後輩がいた。中学の時はあかりくんもまだプレイヤーだった。あかりくんは主将だったらしい。その、同じチームの1個下の後輩。
「またあかりくんと一緒に部活できるの嬉しいっす!」
「えー、そんなー、めちゃくちゃ嬉しいじゃん! ちょっと、俺に人望ないとか言った人誰!? こんな可愛い後輩いるんですけど〜!」
175cmはあるであろうその後輩を、あまり背が高いとは言えないあかりくんがよしよしと鬼可愛がりをした。普段のあかりくんの振る舞いから、中学の時先輩然としてチームをまとめていた姿が全く想像できなかったけど、どうやらあかりくんは後輩からの評判が相当よかったらしい。
お前が主将なあ、想像できないな、と先輩や同期からからかわれる中、輪に割って入り、その後輩を静かに牽制する人がいた。更に大きい180cmはあるであろうテクノくんが、後輩の横に立つ。
「…… “佐々木先輩” な……?」
ニコッと笑って──るつもりのテクノくんは、後輩の肩に手を置いて力を込めた。テクノくんの雰囲気に圧倒された後輩は、素直に「ハイ……」と頷いて大人しく引き下がった。
あー、やっぱり。そうなのね。薄々気付いていたけど、今ので確信に変わった。私が周りに目を配ると、他の同期も私と同じような目をしていたので、アイコンタクトを取ってみんなで小さく頷いた。
「いや、え、別に俺そういうの気にしないよ」
「チームの風紀が乱れるだろ。上下関係は大事にしろ」
「バリカンキャンセルの人がなんか言ってるよ」
テクノくんはキッ! と怒って、楽しそうに逃げ回るあかりくんを追いかけた。仲がよろしいこって。
「俺達は何を見せつけられてるんだろうな……」
部長が遠い目をしながら二人を見つめて呟いた。周りも同調するかのように苦笑いを溢す。あ、この人達が両片思いなの、もう部員全員知ってるのね。
3.テクノが言う
「あの、いろいろ悪かった」
俺が髪の毛を切った次の週の土曜練の帰り、俺は菓子折りを吉井に渡した。吉井はなんのこと? と首を傾げていた。
「私謝られるようなことしたっけ」
「いや……その……勘違いで、吉井にキツく当たったり……」
「ああ」
「なに〜? テクノくん意外と嫉妬深かったのぉ〜?」
俺の横にいつの間にか滑り込んできたあかりが囃し立てる。本当にうるさい。片脚であかりの膝裏を蹴った。
「いやあ、私本当に気にしてなかったんだけど」
「いや、それでも、貰ってくれ」
「そうそう、吉井ちゃんにはいろいろお世話になったから。俺らからの気持ちってことで」
「もうあかり黙ってくれ、うるさい」
あかりははあい、とスキップをしながらその先にある自販機に向かって行った。ため息を吐くと、吉井は仕方なさそうに笑った。
「ありがとう。受け取るけど、これは部員みんなで食べよ」
「え?」
「みんな気付いてたからね。テクノくんがあかりくんを好きなこと」
「……え、え」
「だから正直、八つ当たりとか牽制されても、頑張ってるな〜としか……」
「っ……ぉ、……え、は……、え……?」
菓子折りが両手からすり落ちる。吉井はそれに気付き、おっと、と呟いて見事空中でキャッチした。伊達に吉井も中学の頃選手をやっていない。
「……マジっすか」
「うん。同期も、後輩も、卒業した先輩もみんな」
「嘘だろ……」
その場でヘロヘロとしゃがみ込み、膝を抱えた。
そんな、なんで、いつ、どのように。部員全員? は? 嘘だろ?
「消えたい……」
「ははは。気付いてないのあかりくんくらいだったよ」
「オオオ……」
追い打ち。恥ずかしすぎて地底に潜り込みたい。
「早く……言ってくれよ……巡り巡って髪を切らなくてもよかっただろ……」
「だって2人見てるの楽しかったし……どっちが先に告白するかダービーみんなでしてたし……」
「最悪だ! 性格悪いみんな!」
俺が顔を上げて叫ぶと、自販機の方から何かを喋るあかりの声が聞こえた。多分、当たり出た、とかだと思う。
吉井はニヤニヤと笑いながらしゃがみ、俺に視線を合わせた。
「で、どっちから告白したの?」
吉井の背景に「奢り」という文字が見える。絶対俺らで賭けてるだろ。もう外野で遊ばれるのはごめんだ。
「……どっちだっていいだろ」
立ち上がり、俺は自販機の方に歩いた。背後から「ちょっとー!」と声が上がったが、フルシカトした。
あかりの横に並ぶと、はい、とサイダーを1本渡された。本当に当たりが出たらしい。2人してペットボトルを飲みながら帰路を歩く。半日練習だったから、日はまだ高くて日差しが厳しい。
「吉井ちゃんなー、ずっと俺の恋バナ聞いてくれてたんだ」
「勘弁してくれ……」
想像して顔を歪めると、あかりはにへへと笑った。そして、おもむろに空いている手を俺の手に絡める。思わずあかりを見たけど、満足そうに目を細めていたから、俺は何も言えずに前を向いた。
「早くて1ヶ月1cmだから、部活引退くらいじゃない?」
あかりが言っているのは、多分俺の髪型のことだろう。前くらいの長さに戻るのにはまだまだかかりそうだ。
「……いや、別に髪型とかどうでもいい」
「ええ、あんなにこだわってたじゃん」
「もう別にいい」
俺があの髪型を続けていたのは、あかりが仕切りにスゲースゲーと褒めてくれたからだ。これだけテクノカット似合わせられるのはジョン・コナーかお前くらいだぞ、と。だから失恋したと思ったとき、気持ちを断ち切るために短く切ることにした。でも実際は俺は失恋していなかったし、この髪型でもあかりは好きだと言ってくれるし、……付き合えたわけだから、もう髪型とかどうでも良くなった。
「なあ、せっかく午後オフだし、どっか行こうよ!」
「受験生だぞ」
「今日一日だけ!」
「その言葉何回も聞いたけど」
「……デート誘ってんの、分かれよー」
ミチミチミチと繋いだ手が締め付けられる。あかりがいじけて口を尖らせたので、俺はもうなす術無く静かに頷いた。
ずっと明るくて声がデカいところが好き。誰とでも仲良くできて人気者なところが好き。朝練の時、誰よりも早く来て仕事しているところが好き。怪我で選手を諦めても、腐らず全力で俺らをサポートしてくれているところが好き。俺のことで一緒に一喜一憂してくれるところが好き。正直あかりの嫌なところも全部好き。
って、伝えた。
だから、そういうことだ。分かれ。もういいだろ。
……あー、クソ! いいよ、じゃあ俺から告白したってことで!
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