1
その案内がグループチャットに届いたのは2週間ほど前。
課題や卒論や未だにお祈りメールを見ることしかできない就活に追われているさなか、それは俺の心がさらにどんよりと重くなるお誘いだった。
「心よりお祈り申し上げてるんなら採用しろよクソ……」
ベッドに身を投げ出し、虚ろな目でスマホを眺めた。
『末筆ながら、四ツ谷様の今後のご活躍とご健闘を心よりお祈り申し上げます。』
また落ちた。期待はしていなかったけど、こうも不採用が続くと気が滅入ってしまう。今の所10社連続で落ちている。これを兄に言ったら「そんなのまだまだ大丈夫! もし50社受けてうまくいかなかったら俺が天音の面倒見るし」と返ってきた。
「それはいいですねぇ……。誰か養ってくんねーかな」
俺の兄はブラコンだ。でも俺はブラコンではないし寧ろ兄のことは苦手なので、兄の扶養に入るのは最終手段にしよう。いや、いっそここで見切りをつけて今を「最終」にしてしまい、全てを諦めて兄に養ってもらうのもアリか。それくらいもう就活には嫌気がさしている。そもそも人と目を合わすことも喋ることも嫌いだし、就活のせいで伸ばしていた髪も切ることになったし、ピアスの穴も閉じかかってるし。俺にとっては最悪なことの連続だ。苦手な兄と暮らすか、このままゴールの見えない就活を続けるか。
ぐるぐると考えていたらお腹が鳴った。この無駄にデカい体を人並みに使うのには人以上にエネルギーがいるらしい。本当に燃費が悪くていいことがない。そんなこと言うなら俺に身長分けろよ、と言われたことをふと思い出した。思い出すと、またお腹が鳴った。でもお腹が空いたより動くのが面倒の方が勝ってしまい、俺は真っ白な天井を見上げてそのまま動かずにいた。すると、顔の横に置いたスマホからピコンと通知音が。
大学か、バイト先か、エントリーした会社か、親か、公式アカウントか。ああどれも鬱陶しいなと思いながらスマホを確認すると、かなり久方ぶりにグループチャットが動いていた。ゼミのでもバイト先のでもない、『ゴコイチ!』と名前が付いたグループ。
五藤空良︰みんな14日空いてる?空いてる人で飲みに行こうぜ
五藤……。コイツのアイコンも久々に見たな。14日、お盆だ。確かに予定はない。し、あいつらの顔を久々に見てやらんこともない。けど。
最初に三好がOKとスタンプを送り、続いて二井も了解、と返信した。そして、暫く様子を見てみたけどあと一人の返信がない。数分間ネットサーフィンをして寝かせてみたけど、やっぱりまだ返信はない。俺はため息をつきながら渋々ベッドから立ち上がり、キッチンに向かい適当にインスタント麺を茹でることにした。味噌味。これ昔クリスマスにみんなで集まって大量に作って食べたよな。俺は味噌派じゃなかったんだけど、買ってきてやったんだから文句言うなと。袋から麺を取り出して沸騰したお湯の中に次々と放り込んでいってた小さい姿を思い出す。数年経って俺は味噌派になってしまった。
はぁ。またため息が溢れた。頭の中で「幸せが逃げてくぞ」と咎める声がぐるぐると回る。うるさいな。今一度グループチャットを覗いたけど、やっぱりまだ返信はない。目の前のインスタント麺が完成してもチャットが動く気配はない。面倒くさすぎるので鍋ごとテーブルの上に持っていき、近くにあった何年も前の月刊誌1月号を鍋敷き代わりにした。これはもともと俺のではない。1回生の時に貰ってしまった本だ。人から貰った本勝手に鍋敷きに使うなよとか、そもそも本を鍋敷きに使うなよとか、別になにも言われてないけど思わず「はいはい、スミマセン……」と一人で小さく呟いて麺に箸をつけた。麺を啜りながらまたグループチャットを確認したけど、動きはナシ。
はぁ。これでため息何度目だ。スルーするか。それか、忙しさを理由に断ってしまうか。感じ悪いか。いや、俺らの中に今更気遣いとかないか。でもな。でもな……。ぐるぐると脳みそが回る。心臓が重い。
俺はふと鍋敷きになった本を見下ろした。
『じゃあ、また』
この本を貰ってから、もうずっと会ってない。あの時を思い出す。わざわざ俺の家までこの本を持ってきてくれた。せっかくだからと部屋の中に入れて、温かい飲み物を出して、中身のない話をたまに喋ったり喋らなかったり。帰り際玄関まで見送ると、開いた扉の隙間から身をよじるほどの冷たい風が流れ込んできて、目を細くした。アイツはさむ、と呟いて、鼻の先と目を赤くしながら帰って行った。じゃあ、また、と言って。
鍋肌に指の腹を当て、ぬるくなったことを確認して鍋をテーブル直に置き直した。最後にもう一回、息を吸って細く吐いて。
いいよ、とチャットに3文字返した。送ってしまった。気が付くと顎の先から汗がぽたりと垂れていた。クーラーもつけず、真夏にラーメンは暑すぎた。エアコンのリモコンに手を伸ばして操作したけど、冷たい空気が流れてこない。そうだ、故障してるんだった。修理は明日だった。ほんの少し苛立ちながら部屋の窓を開ける。なまるぬるい風が短くなった俺の髪の毛を揺らした。あの時と季節は真逆だ。この暑さを経験すると、あの寒さすら無性に恋しくなる。
じわじわと蝉の音が重なり、体感する暑さが増していく。それに混じって、スマホから通知音がピコンと鳴った。見たいような、見たくないような。冷静さを努めて、俺はチャットを確認した。
一宮守︰いいよー!
俺が返信して2分。まるで俺の反応を伺っていたみたいだ。俺はその場でずるずるとしゃがみ込んで、網戸に背を預けた。
じわじわ、じわじわ。蝉の音がとにかくうるさかった。
2
幼馴染同士で恋人の関係になる確率は一桁台らしい。ましてや、それが同性同士となるとほとんど天文学的確率のようなものだろう。
俺は、過去にその天文学的確率を引き当てた。つまり、俺はかつて幼馴染と付き合っていた。このグループチャットを作った張本人、俺らの中心人物、一宮守と。俺が、一宮と。
どうやって付き合ったか、どっちが告白したか、なんてものはあまり記憶してない。というか、明確な言動はない。なんとなく、なんとなーく付き合う流れになった。高校3年生の頃だった。一宮は俺のことが好きなんだろうなって薄々感じていたし、多分あの鈍感な一宮にも、俺が一宮のことを好きだってバレていたんだと思う。
いつかのタイミング、なんらかのきっかけでお互いの手が触れて、一宮の手が全然離れなかったから、だから俺はおずおずと一宮の手を握ってみて、そしたら一宮はゆっくりと俺の手を握り返した。言葉はなかったけど、そのときの俺達にはそれで十分だったらしい。
これだけ自然に付き合ってしまったからだろうか。俺達はみんなに俺達の関係を言えずにいた。一宮が「言わないで」と言ったからというのが大きい。俺もそれには賛成ではあった。恥ずかしかったし、関係が崩れるのも嫌だった。俺達は五人で1つだと言っておきながら、その中心人物がどこかに傾いてしまったら一気に崩れてしまうよな、そんな危ういバランスの関係だった。俺達はひっそりとこの関係を傾けたまま付き合っていた。
みんなに内緒で出かけたり、キスをしたり。背徳的でドキドキした。高校を卒業してからは、その先も。でも、挑戦してみたけど、駄目だった。もともと男は性行為で受け入れる側として体が作られていない。それに加えてこの体格差だ。俺はデカいし、一宮はチビだし。一朝一夕でうまくいくはずがなかった。俺も性急だったのかもしれない。絶対痛い、無理、とびしょびしょに泣く一宮を見て、諦めて大事にするしか方法はなかった。初夜だけでなく、二夜三夜四夜五夜までも受け入れてもらえず、もうこういうことするのやめた方がいいんだろうな、と自分の中で蹴りをつけて、これ以上先に進むことを諦めた。
周りに俺達の関係を告白できず、相談もできず、恋人らしいこともできず、加えて休みをなかなか合わせられない社会人の一宮と、想像していた以上に大学生なりの忙しさに追われる俺。気付かないうちに俺達の間にはヒビが入り、緩やかに、冷えた水で氷を溶かすみたいに、ゆっくりと関係性は崩れていった。
『じゃあ、また』
あの日、別れ話をしたわけではない。でも、いつもは一宮から借りた月刊誌は来月号を借りるときに交換で返していたのに、「間違えて2冊買っちゃったから、あげる」と言って1月号を渡された。この頃はもう、本の貸し借りくらいでしか顔を合わせていなかった。
これ、返さなくてもいいんだ。来月は本を返すという建前で一宮と会わなくてもいいんだ。俺は喋るのが苦手だから、ツンと鼻の奥が痛くなったのを隠して「いや、俺ミニマリストだから返すよ」と適当なことを言った。一宮は適当なこと言うな、と笑っていた。
じゃあ、また。
そう言って、一宮は帰って行った。
そこから俺達は連絡を取り合っていない。
自然に始まった恋人という関係は、自然に終わっていった。
3
と、いうのが俺達の過去。最後に一宮と会ったのが1回生の12月だから、あれから2年半ほど経っている。だから、久々に一宮と会うことが気まずくないハズがない。
更に気まずさを加速させる要因として、俺は1ヶ月ほど前に一宮から個別のチャットに送られたメッセージを無視してしまっている。元気? というメッセージだった。正直そのときは全然元気じゃなかった。今よりもっと就活を頑張っていたし、課題の締め切りに追われていたし、バイト先では辞めるスタッフが続出で穴埋めのようにシフトを増やされたし。
一宮からのメッセージになんと返そうか散々迷った。元気じゃない、と返すといらぬ心配をされるだろうし、元気、と返して、そこから何か発展しても一宮を満足されられるほどの余力もないだろうし。というかそもそも、俺達は自然消滅した気まずい関係であるし。
いろいろ考えてその日は何も返せず、次の日も返せず、1日置いてしまったら更に返しづらくなり、うだうだ悩んでいるうちに一週間が経ち、もう時効だろ、と既読無視を決めることにした。
そこからの今日、8月14日。集まりに参加すると決めたはいいものの、心身ともに重すぎてしょうがない。いや全部俺が決めたことなんだけど。重い足を引きずって、集合場所の駅に向かった。
五人で集まるのは本当に久しぶりだ。高校卒業後、一宮は地元の企業に就職、二井は東京の頭がいい人達が集う大学へ、三好は美容系の専門学校を卒業して美容師に、五藤は体育大学に進学した。噂によると、二井はそのまま大学院入試を受ける気らしく、五藤はもう就職先が決まったとか。
なんだか俺だけ取り残された感じだ。俺は普通の大学に行って、普通に大学生をやり、普通に就活で躓いている。
もう物理的にも精神的にも五人で1つなんてことは難しくなってしまった。今日の集まりだって、1年ぶり__もしかしたらそれ以上かもしれない。こういう集まりがある時は、一宮が参加しない時しか俺は参加しなかった。ズルいかもしれないけど、俺の心を守るためには必要だった。来年からは、きっともっと五人で集まりにくくなっていくのだろう。
気付けば集合時間を数分過ぎていた。とぼとぼ歩きすぎたかもしれない。ちょっと遅れる、とグループチャットに送ったけど、誰一人として既読はつかなかった。多分、俺の遅刻そっちのけで会話に花を咲かせているのだろう。
到着すると、駅前の記念碑前に4人は集まっていた。少し身構えると、いち早く三好と五藤が俺に反応した。
「うおー! 四ツ谷久しぶり! 髪短っ!」
「ほんとだ、めちゃくちゃ若く見える」
「十分若いですが」
三好と五藤が俺を囲い、いつ切ったとかこんなに短いの小学生ぶりじゃないとか、質問攻めをしてくる。二井はおい行くぞ、と声掛けをしていた。
そして、一宮は。
二井の横で、俺をじっと見つめていた。
一宮、ちょっと大人っぽくなってる。そりゃそうか。だってあれから2年以上も経ったんだし。大人っぽくというか、実際働いてるから大人になったんだろう。
なんだかいたたまれず、俺はすぐさま目を逸らした。そのまま三好と五藤に挟まれて歩き出し、二井と一宮が後から着いて来た。
「四ツ谷もさあ、真人間になっちゃったね」
と、三好。三好は相変わらずというか、更に洗練されたというか、綺麗な男のままだった。
「見えるか、真人間に。俺が」
「うん」
「俺が真人間に見えるのなら、就活がもっと上手くいってるハズだけど」
「ごめんて」
三好はゲラゲラ笑った。この笑顔を見てるとなんだかどうでもよくなってくる。昔からどうも、三好には怒ろうという気が無性に起きない。
「俺の先輩も30社くらい受けて引っかかったの3社くらいとか言ってたし。まあ、これからだろ」
五藤は気遣うようにそう言った。五藤は俺とは逆に少し髪が伸びた気がする。爽やかさは相変わらずだ。
「そんなこと言って、五藤はどうせすぐ受かったんでしょ」
「まあ……」
「五藤ってほんと世渡り上手いよね」
じとっと見つめようとしたけど、五藤の顔があまりにも爽やかだったので結局前を向いた。俺には眩しすぎる。
あとは俺を挟んで会話が上手な三好と五藤が近況を喋っていた。それを程々に耳を通過させ、残りの神経は後ろの二人に向けてみた。けど、小さく談笑している雰囲気しか伝わってこず、何を喋っているかまでは残念ながら分からなかった。妙にそわそわする。一宮が全然うるさくないからだ。
結局よく分からない後ろ二人の会話に耳を傾けているうちに、五藤が予約してくれていた居酒屋に到着した。個室、ナイスだ。座高が高いと変に他の席の人と目が合ったりするから、周りに人がいない方がいい。
通された個室は座敷で、上手と下手で座布団が三枚、二枚と別れていた。座布団が三枚並んでる方に三好、二井と並んで、俺は座布団が二枚並んでる方に座った。まあ俺の隣に五藤が来るかなと踏んでいたら、一宮がどこか焦りながら俺の隣に座った。五藤は空いている一席__二井の隣に座る。俺はみんなにバレないように、目を見開いて隣に座った一宮を見た。
なんで。こういう場は、俺達が付き合ってた時ですら、一宮は好んで二井の横に座っていたのに。そうなるんだろうなと思って、俺は二井の横の席を空けておいたのに。
あまりにも一宮を意識しすぎたのが本人にバレたのか、一宮も俺に気付いて顔を合わせ、へへ、とぎこちなくはにかんだ。
なんだこれ。どうすればいいんだ。コイツは2年半前に別れた男の隣に座ってこんなふうに笑えるのか。俺は感じ悪くも何も反応せず前を向き、手のひらからにじみ出続ける手汗をおしぼりで拭き取った。
4
「二井はー、理系男子でその顔で、家が太いってもう絶対モテるでしょぉ」
「ハン、お前ら、俺の普段を知らないからそういうことが言えるんだ。実験、レポート、発表、実験、レポート、発表の繰り返しだ。俺の周りには男しかいないし、そいつらと教授以外とはほぼ交流がない」
「もったいねー!」
何杯目だろうか。酒豪の五藤が次々とグラスを空けていき、5杯目に入ったあたりで数えるのをやめた。みんな酔いが回って声量が大きくなっている。俺の目の前にいる三人は完全に出来上がっていた。
「五藤、ビールでいい?」
「おー、サンキュー」
「一宮ー、俺ハイボールがいいなー」
一宮はタッチパネルを操作して、甲斐甲斐しくみんなの注文を聞いていた。
「はいはい。二井は?」
「んー……」
二井は顔を赤くして、目を細めながらふるふると首を横に振っていた。水飲む? と一宮に聞かれ、それにも首を振っていた。これだけ酔っている二井を見るのは初めてかもしれない。ストレスが溜まっているのだろうか。
「四ツ谷何飲む、ウーロン茶?」
この流れで俺に聞いてくるのはごく自然だろう。でも、たったそれすらも身構えてしまう。それくらい俺達は、俺達だけはまだ打ち解けられていなかった。
「うん……」
「じゃあ俺も一緒のにしよっかな」
確か一宮は今までもずっとソフトドリンクだったか。
「飲まないの?」
「うん」
一宮は軽く頷いて、送信ボタンを押した。
俺はあまり酒が強くないので、滅多なことが起きない限りは酒は飲まない。対して、一宮はこんな見た目に反して以外と酒好きなので、こういう席では絶対酒を飲むんだけど。いっそ一宮も目の前の三人くらい飲んで馬鹿みたいに酔っぱらってくれればよかったのに。
「おいっ、それ、俺の酒だから!」
「んええ? ごめん俺の使用済み割り箸挿しちゃった」
「なんで割り箸挿す必要があるんだよ!」
「マドラーないんだもーん」
「ビールだ! 混ぜる要素ゼロだろ!」
「ごめーん。じゃあお詫びに、五藤が一発芸してくれるって」
「エグい角度で無関係の俺殺しにかかってくんのやめてくれない!?」
「あははは」
三人のやり取りを見て、ただ笑う一宮。いつもだったらこの中に混じって一宮も馬鹿をやる……はず。本当にいつもの一宮じゃないようだ。
三人は三人でヤマもオチもないような話を繰り広げ、シラフの俺達は取り残された。俺と一宮は新しく用意されたウーロン茶を飲んだ。この空間の雰囲気はこんなにも明るいのに、俺だけはずっと気まずい。横が一宮だからか、一宮が静かだからか。
目の前の三人を眺めていると、横からふっと笑う声が聞こえた。三人に対してではなく、俺に。少しだけ顔を横に向けてみると、一宮が小さく笑っているのが見えた。
「それ」
「え?」
「そのクセ、直ってないな」
一宮は俺が口にくわえていたストローを指差した。くっきりと歯型が付いている。完全に無意識だった。昔から、ストローを意味もなくがしがしと噛んでしまう癖がある。一宮に指摘され、なんだかとてつもなく恥ずかしくなってしまった。
「直そうと思ってたんだけど、口が勝手に……」
「成人しても続けてる癖って、直りずらいよな」
「ああ、うん」
「氷も?」
「……うん」
「はは!」
グラスに入った氷をボリボリ食べてしまうのも癖だった。今も食べようとしていた。なんでだろう。噛むと落ち着くのかもしれない。
一宮は俺を見て笑った。言葉が詰まる。笑った顔が全然変わってない。ほんと、どういう気持ちで俺に笑いかけてんの。
「……一宮は、仕事はどう。順調?」
「あー、うん。うん、でも、転職しようとは思ってる」
「なんで?」
「……んー」
間延びした声だった。一宮の視線がこちらに向こうとしている気配を感じて、俺はグラスに視線を注ぎ、氷を噛み砕いた。
「まあ、なんか、心機一転みたいな。うまくいけば4月に同い年の新卒に混じって入社できるかもしれないし」
「……フーン」
カコンと氷がグラスに当たる音が横から聞こえた。
ボリボリ。俺はもう1つ氷を噛み砕いた。
……心機一転。なにか、新しくしたいんだろう。
一宮は今の会社に入りたての頃、「優しい人ばっかで良かった」と俺達に言っていた。多分、嘘でも気遣いでもなんでもなく、それは事実だったと思う。そんな職場だけでは不満だったのか。環境を新しくして、何を求めているのか。優しい人の輪から抜け出して、どんな人と付き合っていこうと言うのか。今のままじゃ駄目なのか。今のままじゃ。
何か足りなくて、何かを求めているんだろうか。
「……ねえ、一宮、」
「したらさ、いきなりバァッ! って、でっけぇゴールデンレトリーバーが」
「んハハハハ!」
「そんなの来ると思わないだろ!? ワァァっつって、ヤバいでけぇ犬だ! っつって、犬もワァァみたいな、めちゃくちゃふざけた顔してたし、いやなんだコイツ! って死ぬほど驚いた後に絶対おかしくて死ぬほど笑って」
「なんで犬だよ、どこからその犬沸いて出てきたんだよ〜」
俺の声を完全にかき消す盛り上がりが起き、釣られて俺も一宮も顔を上げた。二井と三好が腹を抱えて笑っていた。五藤、なんの話してんだよ。
ヒィヒィ、と三好が顔をテーブルに伏せて笑い、暫くその姿勢のままだったので、流石に笑いすぎだろと横にいた二井が三好の体を揺さぶった。すると、くぅくぅと健やかな寝息が聞こえてきて、全員が三好をガン見した。
「え、この流れで寝れるの」
多分三好も疲れてたんだろうな……。美容師なんて今がかき入れ時だろうし。
「三好もこんなんだし、そろそろお開きにするかぁ」
五藤が仕方なさそうに笑った。
そうだな、それがいい。これ以上この場所にいると俺はいろいろと必要以上に考えてしまって自滅するだろうし。
「二井、一人何円払えばいい?」
こういう時は二井に全部計算を任せている。正確だし。二井は顔を赤くしたままタッチパネルを確認して計算しだした。
はぁ。目の前のコイツらはあんなに楽しそうだったのにな。俺はずっとずっと、ずっと隣を意識してしまって情けない。酔った勢いに任せて今までのこと全部コイツらにぶちまけられたらどんだけ良かったか。
一宮はなにをもって俺の隣に座ったのか。わざわざ選んでしまったのか。一宮はこんな俺の隣で楽しかったんだろうか。
「じゃあ、一人5500円で。おい三好、起きろ」
「んんー……?」
「金を出せ」
「賊かよ〜」
三好がへろへろと起き上がった。俺達のルール、学生であれ社会人であれこのメンバーで飲むなら平等に割り勘で。五藤と三好が自分の財布を触り出したので、俺も用意しようとした時だった。
ちょん、と。
そんな感じの効果音だ。
床に付いていた右手に人肌が触れる。跳ね上がりそうになったのを堪えた。多分これはきっと、一宮の左手だ。俺と一宮との席の間隔は、意図しないと手が重ならないくらいの距離感だ。だから、そう、一宮がこちらに近寄っているのかもしれない。でも見れない。いやこれはまぐれかもしれない。ここで意識して手を移動するのもあからさますぎて気まずいし。という理由で、その場から手を動かさずにじっと待ってみた。
すると、一宮の指先がするする……と俺の右手の甲をなぞり、そして小さい手のひらで俺の手を覆った。
びっくりすぎて何も反応できない。周りの喧騒が全く入ってこない。俺の全ての神経が今右手に集約されている。どう、すれば。俺はどうすればいいんだ。
「あれ、二井、これじゃちょっと足りないんじゃない?」
「ああ、別にこれでいい」
「えーなんで。あと一人何百円か出せばいいだけでしょ」
何か言ってる。何も聞こえない。
俺は汗をたらりと流しながら、心臓を加速させて恐る恐る右隣を見下ろした。
俺の左手の上に乗った小さい手。その手を辿っていき、目線を上げると、耳の先まで真っ赤にして一宮が俯いていた。
頭の中の何かが弾け飛んだ。
目の前が白んで、熱くなる。
反射的に一宮の手を握り返そうとした瞬間、一宮の手はぱっと離れていった。
一宮は自分の鞄から財布を取り出して、せっせとお金を用意しだした。
呆然。熱が離れていった俺の右手は、じんじんしたままだった。
「……四ツ谷は6000円な」
「……は、はぁ、なんで」
「なんでもだよ!」
二井が赤い顔で俺を睨みつけた。理不尽。俺はもう何も考えられなかったので、無駄に抵抗せず財布から6000円取り出した。
5
店を出る前にトイレに行くと、五藤も行くと言って一緒に席を外した。
横並びに手を洗っていると、五藤が口を開いた。
「なんか懐かしかったな。こうやって集まるの」
「うん」
「ほとんど昔の話だったなぁ」
「うん。みんなちょっと変だったけど」
「変?」
「え、変だったでしょ。二井がいつも以上に酔ってたし、三好と五藤もいつもよりうるさかったし……一宮は全然喋んなかったし」
キュッ。五藤は蛇口のハンドルを閉めた。そして、手にまとった水を払いながら、眉をひそめた。
「四ツ谷さあ、ほんとに分かんねえの?」
「え」
「あのなー、俺と三好は楽しく頑張ってたの。一か八かだ。今日がどう転ぶか分かんなかったから。全部俺らなりの気遣いだよ」
「は?」
「二井をあの程度で留めたんだからな、俺と三好に感謝しろよ」
「え?」
「次会うときまでどうにかしろよなー。正直見てるこっちがやきもきするんだわ」
「……え」
どういう意味、と聞く前に五藤は出て行った。
トイレから出ると、レジで二井が支払いをしていて、周りに他の人はいなかった。もう外に出たのかもしれない。扉を開けて外を確認すると、店の前に三人が立っていた。扉の音に反応して、背を向けていた一宮がこちらを振り返る。俺は目を逸らす。どんな顔をしていいか分からない。なるべく明かりのない暗いところに隠れたかった。一宮から離れるようにして、三好が立っている横に並んだ。三好は酔っているのかそれとももう酔いは冷めてわざとそうしたのか、俺の肩に手を回した。三好の顔が近付く。酒臭い。
「おう四ツ谷ぁ、男見せなよ」
「……??」
「俺らが大事に育て上げた子だからさァ……」
そう言って、笑ってるんだか悲しんでるんだか怒ってるだか悔しんでるんだかふざけてるんだかよく分からない顔をした。今思うことじゃなんだろうけど、器用なやつだなと思った。
「さっきからなんの話……」
呟いたけど、開いた扉から漏れ出した喧騒に俺の声はかき消された。会計を終えた二井が店から出て来た。そして一宮の横に行き、お釣りであろう小銭を一宮に握らせていた。いや、それ受け取るとしたら俺だろ。それをじっと見ていると、二井が俺の視線に気付いて睨み返してきた。なんだよ。
「はいはい! じゃあ酒気帯び組はタクシーで帰るぞー」
と、五藤が二井と三好の腕を引っ掴んだ。油断していた三好の口から「ンゴッ」と声が漏れた。握力ゴリラが……。ていうか誰一人車で来てないからタクシー乗るのに酒気帯びもシラフも関係ないだろ。
「え、それなら俺もタクシー乗るよ」
「車一台に大男4人乗れねえよ。乗りたいんならもう一台呼べ」
予約していたのか、店の近くにはタクシーが止まっていた。五藤が完全に酔っている二井と三好をタクシーに押し込み、そして、じゃーなー!! と叫んで呆気なく去って行った。
俺と、一宮を残して。
さっきまでの賑やかさが嘘だったかのように、シン……と静まり返った。
なんで、よりにもよって俺ら二人を残すんだよ。
俺はタクシーが停車していた名残を未練がましく眺めていた。この状況どうにかしないと。いやどうにかというか一言挨拶して一宮と別ルートで帰ればいいだけの話なんだけど。
「……あ〜〜〜……」
ガシガシと、自然と頭を掻いてしまう。ゆっくり振り返る。一宮がリュックのショルダーベルトを握って俺を見上げていた。息を詰めた。あの時と同じだ。一宮は鼻の先と目を赤くして、既につま先を歩き出す方向に向けている。
思わず動きが止まる。今まで考えていたくだらないこと、全部が吹っ飛んでいった。
「……じゃあ、また」
そう言って、一宮が歩き出す。
駄目だ。あの時と一緒だ。あの時、冷気に包まれて出て行った姿と一緒。
ここでこのまま一宮を見送ってしまえば、「また」は何年も後かもしれない。もしかしたら、もう二度と来ないかもしれない。
そしたら、一宮はどんどん新しい環境に慣れていって、新しい人と繋がって。俺とのことなんて無かったみたいになっていくんだろうか。
そして、俺は。
俺は……?
「い、一宮!」
数歩走り、手を伸ばした。気付けば体が勝手に動いていた。一宮の腕を掴むと、一宮は歩くのを止めた。顔は進行方向を向いたまま。
大きい声を出すのも走るのも普段しないせいで、俺は何度も浅い呼吸を繰り返した。目を閉じて、一度つばを飲み込む。何言えばいいんだ。俺はこいつを引き止めてどうしようとしてるんだ。
一宮の手を見つめると、自然とあの熱が思い出された。
「あのさ……さっきのは……、なに……」
「……」
一宮は黙ったままだった。多分数秒しか経ってないんだろうけど、あまりにも長い時間のように感じた。
どうしよう。俺は三好みたいに無言の時間を喋りで埋められない。頼むからなにか、なんでもいいから喋ってくれと念じていると、前方から小さくなにかを吸い込むような音が聞こえた。ズズ……。ズズ?
「え?」
手を離して一宮の正面に回り込む。ぎょっとした。一宮が怪我の痛さを我慢する子どものように、あからさまに涙を堪えていたからだ。
「エ!?」
「うううぅぅぅぅ……よかったぁ……」
「え、な、っ、なにが……」
「うぇぇえ……」
タガが外れたのか、一宮はそのままボロボロと涙を流した。まさか泣かれるとは思わなかった。俺は分かりやすくうろたえ、何も入ってないポケットの中を探ってみたりしたけど、やっぱり涙を拭えそうなものは入ってなかった。そんな気遣いをするまでもなく、一宮は自分の腕で涙を拭っていた。
「ごめん、一宮、なにが」
「……これで……これで、四ツ谷が俺のこと引き止めなかったら、もう、完全に、諦めようと思ってたから……」
「は、え、諦めるって……」
衝撃的すぎて、動揺が止まらない。諦めようと思っていたって。それはつまり。
「そ、そんなの、とっくに諦めたんだと思ってた」
「……四ツ谷はそうかもしれないけど、俺はそうじゃなかった」
ズズ、と一宮が鼻をすする。涙を拭っていた腕が離れ、やっと一宮と目を合わせることができた。
一宮は額に汗をかいていて、前髪は天パのせいできつくウェーブがかっていた。少し大人っぽくなったと思っていたけど、こうして泣いているとあの頃の一宮と変わらない。一宮の瞳が潤んでいるから、俺も貰ってしまいそうになる。
「じゃあ、俺のこと、まだ諦めてないの」
「だからそう言ってんだろ!」
一宮はやけくそに叫び、また涙を流した。
強引に涙を拭う手を今度は俺が解き、手をぎゅっと握った。さっき返せなかった分だ。握ったまま、屈んで一宮と目線を合わせる。丸い瞳には不安がいっぱい滲んでいた。この顔を見て、今までの感情が全て押し寄せてきた。情けなく息を吐く。
「後悔した……」
「……四ツ谷が?」
静かに頷く。すると、一宮も鼻をすすりながら俺の手を握り返してくれた。
「俺も」
……それは、じゃあ。俺は都合良く捉えてしまってもいいのだろうか。俺も一宮も、同じ時間だけ同じ思いをしてたんだ。
今は目を合わせて、手を繋いで。俺らが始まった時と同じだ。
数十秒も経てば、一宮の涙は引っ込んだらしく、今度は俺の手を更にきつく握った。
「……やり直すぞ、今から」
一宮は俺の目をしっかり見て言った。
今から、なにを? 俺達の関係を?
「行くぞ」
一宮は腕を持ち上げて、とある一点を指差した。指先を追う。その延長線上にあるものを見上げ、俺は目をひん剥いた。文字通り、目をひん剥いた。
「一宮」
「……」
「……山か……月……?」
「……違う!!」
違う。やっぱり違うらしい。そびえ立ってる地元の山でも、うっすら雲がかかってる月でもない。俺は視線を横にずらし、もう一度それを見た。いやまさか。そんな……。
「お城!!」
一宮は顔を真っ赤にして叫んだ。近くを通った通行人が俺らの方を振り返り、俺は慌てて一宮の高く上げている指を掴んだ。
地元で隠語のように使われているけど、もうほぼ隠せていないその建物。やっぱり、あれで間違いなかった。
一宮は俺の腕を引っ張り、指差した場所に向かってずんずんと歩き出した。
「う、うお」
「……」
「い、一宮、あの」
「……」
一宮は意地でも俺の言葉を聞かないらしい。多分、俺は一宮にいろいろ言わなきゃいけないんだろう。まず頭にうかんだ「合意」の2文字。一宮は本当にそれでいいの、いやいいから一宮の方から俺を無理やり連れて行こうとしてるんだ、いやそれにしてもこっち側にも意思確認は必要だろ。
なんて、不思議なことに、何一つ口から出てこなかった。俺は一宮に連れられるがままだった。今が夜で良かった。こんな俺の顔誰にも見られたくない。
お城の形をしたお城じゃない、夜に発光してる建物。隠語にしても隠せてない建物。
俺達は二人して俯きながら、ラブホに向かって歩いていた。
6
遠くから聞こえるシャワーの音を聞きながら、俺はベッドに腰掛けて床の木目を眺めたり、立ち上がってご飯のメニュー表を見たり、読めもしない英訳を読んだりしていた。つまるところ、全く落ち着かなかった。
この部屋に入って、一宮に先に風呂に入ってと言われ、言われるまま入り、入れ替わりで今一宮が風呂に入っている。俺が風呂から上がったとき、備え付けのバスローブを着て「いかにも」みたいな格好をした俺を見た一宮は、口を開けて分かりやすく顔を赤くして固まった。恥ずかしすぎて自分をぶん殴りたくなった。なんというか、この状況とか自分の態度とかが。
別にこういう流れになるのは初めてではない。お互いの裸はなんなら幼少期の頃から見てるし、昔挿入までいけなくても触り合ったりはしたし、俺達は性的なことの経験がない訳ではない。なのに、今この状況の火が出るような羞恥はなんだ。あの頃よりもずっと緊張している。
うだうだ考えていると、浴室から一宮が出てきた。俺と同じバスローブを着て、髪の毛は半乾き、石鹸の清潔な匂いと風呂場の熱をまとって。
思わず一宮を見て固まる。なるほど。今なら一宮の気持ちが分かる。こういう姿を見ると、今から本当に始めてしまうんだと実感してしまう。
俺が何も言わず一宮を見続けていたのに痺れを切らしたのか、一宮は大股で近寄って来て、そして、ベッドに腰掛けている俺の下半身に手をやり、あろうことか俺の着ているバスローブをおもむろにはだけさせた。
「っえ!?」
ヤるんだよなぁ……と思って、下着は履いてなかったけど。けど、まさか、こんなに早く脱ぐ……脱がされるとは思っていなかった。一宮の眼前にまだ平常運転の俺のものが晒される。一宮は床に座り込んでそれを両手で掴み、ごくりと唾を飲み込んで、口をぱかりと開けた。のを、俺は見逃さず、一宮の頭を手で押さえ込んで静止させた。
「待って! なんで!?」
急すぎる。だって、まだそういう雰囲気にすらなってなかったじゃん。俺も別にやってって言ってないし。
一宮は俺の顔を見て恥ずかしがりながらも少し不満げな顔をした。
「四ツ谷は、何もしなくていいから……」
そう言って目を伏せて、口を開けて、俺の中心を咥えた。緊張もあって萎えてたはずなのに、温かい粘膜に包まれた途端一気に熱を持ち始める。慣れない感覚に思わず口から息が漏れた。フェラは今までやってもらったことはなかった。ヤバい、こんな感じなんだ。歯は当たるし、奥まで咥えられてないし、舐められてるだけだから、全然上手くはない。けど、ヤバい。視覚的な情報と、この拙さが……。
「……っふ……」
俺の吐息が聞こえたのか、一宮は目線を上げて俺を見た。もっとヤバい。俺のを咥えてスイッチが入ったのか、確実にエロい顔付きになって、目を潤ませている。鼻で呼吸する音と、唾液と先走りが混じった生々しい水音。一宮は顔を紅潮させ、必死に頭を上下に動かしていた。ああほんと、慣れないことするなよ。
今俺は必死に我慢してるけど、正直気を抜くと腰を動かして喉の奥を突いてしまいそうで怖い。そんなことしたら絶対一宮に泣かれる。この緩やかな動きで我慢するしかないけど、こんなのいつまで任せていいやら。
俺が我慢しているのが不満だったのか、一宮は今度は趣向を変えて、先の部分……かなりのウィークポイントを重点的に、舌で磨くようにしてきた。思わずぎく、と身じろいでしまう。それに気を良くしたらしい一宮は、躍起になって亀頭ばかりを攻めた。気持ちよくて体が震える。
「一宮、も、いいって……」
一宮の髪の毛を柔く梳くと、一宮は口を離した。俺の性器は完全に勃ち上がってしまって、口に咥えられていた部分がてらてらと光っていて、自分のものなのに自分のものじゃないような気がした。恥ずかしくなり、目を逸らしながら呼吸を整える。この後どうすればいいんだ、と考えていると、今度は一宮が俺をベッドに押し倒してきた。油断してた俺も俺だけど、こんなチビに簡単にマウントを取られてしまった。
「ちゃんと寝転んで」
「は、はい」
何故か咎められ、床に着いていた脚をベッドの上に移動させた。一宮は俺の中心をまたぐように乗り上げてきて、俺を見下ろした。一宮に見下されるなんて、なかなかない光景だ。心臓がバクバクと音を立てる。
「一宮、」
一宮は腰を少し持ち上げて、数回呼吸をして、意を決したかのように完勃ちした俺の中心を逆手に持った。そして、先端を自分自身の後孔にあてがう。一宮は唇を震わせて今一度大きく息を吐く。俺も目を見開いて、若干結合してしまっているその部分を見てわなないた。いやゴムもしてないし、そんな急に。
「ぅ……」
一宮が目をぎゅっと瞑って歯を食いしばった。
駄目だろ、こんなの、これじゃ昔の俺達と変わらない。
「待って待って、待って一宮」
とりあえず必死に一宮の腰を両手で掴んで動きを止めた。一宮は顔を持ち上げ、へ、と呟いた。
「一宮、分かってるよね、すぐには入んないんだよ。昔痛いって泣いてたでしょ」
「知ってるよ! だからちゃんと入るように準備してきたんだよ!」
「え」
なんて言った。
一宮の言ったことを頭で反芻していたせいで両手の力が弱まったのか、一宮が動きを再開して腰を下ろしてきた。
ぐぽっ……と。先端の膨らみが、少しだけ体内に入り込む。あ、ヤバい、ヤバい。めちゃくちゃあったかい。なんか濡れてるし。これ、絶対気持ちいい……じゃなくて!
「だから、待てって!」
今度は無理矢理一宮を引き剥がして、体を起こした。危ねえ。冷静になるためにはぁーっと息を吐くと、ポカンと間抜けな顔をしていた一宮はみるみるうちに悔しそうに顔を歪めた。
「ううううぅぅぅぅーーーーーッ」
「っいてっ、ちょ、なに」
「止めんなよ、待たせんなよ!!」
一宮はぽかぽかと俺の体を拳で殴りつけてきた。そして、また泣かれた。ここに来る前にも泣かれたし、2年半前の最中にも泣かれたし。ああもう、なんでこうも上手くいかないんだよ。
「な、なんで駄目なんだよっ、やっぱり俺が昔い、嫌だって言ったから?」
「そうじゃない、なんで、なんでそんな自分だけで全部進めようとするんだよ!」
「っお、俺はっ!」
一宮は胸ぐらを掴むかのように、俺が着ていたバスローブをぐいっと掴んだ。怒りをはらんだ瞳だ。じっと見つめていると、その瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちた。
「俺は、お前とやり直すために、全部、準備してきたんだ!」
「ぜ、全部……。全部……? 挿入がうまくいくようにってこと?」
一宮は首を横に振った。
「それもだけど、それだけじゃない。言ったんだよ、あいつらに……」
あいつら。あいつらって。何を?
「三人に、俺らが付き合ってたことと、別れたことと、まだ俺が四ツ谷とやり直したいって思ってること……全部」
混乱。頭が真っ白になった。
「……は、ちょ、……えっ!?」
「そしたら、五藤がお盆にみんなで集まろって言ってくれたんだよ。俺が誘ってもどうせ四ツ谷は来ないだろうからって、五藤が招集かけてくれることになって」
「ちょっと待って、いつそんなことしたの!?」
「1ヶ月前」
「なんで、そんなこと……え、なんで隠してたの」
「だって四ツ谷が無視したからだろぉ!!」
一宮は掴んだ俺のバスローブを揺さぶった。
無視した……? いや、そんな話そもそもなかったし。1ヶ月前、1ヶ月前……。1ヶ月前……?
「……あ」
思い出した。1ヶ月前、一宮から突然メッセージが届いたことを。そして、俺はそれを既読無視したことを。
「……ごめんなさい」
「俺はお前にちゃんと言おうと思ってた。みんなに俺とお前のこと告白しようと思うって。……そしたら無視するし。ムカついて、勝手に全部言ってやった」
「だ、だって、そんな話だと思わないじゃん」
「『今から二井と三好と五藤に、俺と四ツ谷が昔付き合ってて自然消滅したけど俺はもう一回やり直したいと思ってるってこと言おうと思う』なんてワンクッションなしに送れるかよ! どうせ『話があるから今度会おう』とか『空いてる時あったら会おう』とか言っても無視するんだろ。だから『元気?』って送ったんだよ! こんな簡単な文章ちょっとくらい返せよ! 元気でも元気じゃないでも普通でも返せよ!! 俺はお前から返事が返ってきたらちゃんと全部相談しようとしてた!!」
耳が痛い。全て俺の落ち度だ。俺が全部悪い。頭を下げてただ平謝りした。あれ、俺さっきまでこいつにフェラされてたんだよな。
「ごめん、一宮。……でもなんで、一宮がそんなことしなくてもよかったのに」
「……そんなこと、なんて言うなよ……」
「え……」
「そんなことを、そんなことのままにしたから、俺が駄目にさせたんだ」
一宮は俯いた。両膝に置かれた拳がぎゅっと握られる。
「俺が、あの時全部避けたから……。みんなに俺達の関係言うのも、……セックスも」
「……一宮」
「だから、先に進めるように全部準備したんだ。……俺達がこそこそ過ごさなくてもいいようにみんなに言ったし、俺、ちゃんと……四ツ谷を受け入れられるように、練習もしたし。だから、」
固く握られた一宮の拳を、手のひらで覆った。一宮が顔を上げる。そうだった。一宮はどこまでも一人で突っ走る男だったし、俺らのため、俺のためなら自分を顧みずになんでもやるような男だった。全部一宮に責任があるわけじゃないのに。でも、そういう男だ。分け合うべきものを、全部自分だけで抱えようとする。
完敗だ。一宮は、いつまで経っても一宮だ。一宮は絶対に俺を諦めない。俺は一宮のそういうところを好きになったんだ。俺も覚悟を決めないと。
「一宮、ありがとう」
一宮の手から力が抜ける。そっと指の間に自分の指を絡めて手を繋ぐと、一宮はじわじわと顔を赤らめ、表情を崩した。なんでそんなに可愛いんだ。そのまま顔をゆっくり近付けると、一宮は戸惑いながらもぎゅっと目を瞑った。大丈夫だよな、受け入れてくれるってことだよな。緊張気味に唇を重ねると、一宮は強く手を握り返してくれた。心が満たされる。暫くして口を離すと、お互いの口からはぁ、と息が吐き出された。多分、俺も一宮も同じ顔をしている。薄く開かれた一宮の瞳と、俺の瞳。視線が交差する。熱を帯びていて、湿っぽい。
もう一回、なんて言わずとも俺も一宮も再度唇を重ねた。一宮の口が自然と開かれる。小さい隙間に舌を差し込むと、一宮も迎え入れてくれた。舌と舌が絡み合う。角度を変えて深く舌を舐めとり、吸い上げると、一宮の鼻から甘えるような声が抜けた。唾液が混ざり、吐息を交換して、もうどっちのものか分からない。繋いでいた一宮の手から完全に力が消え、落ちていく。俺はキスを交わしながら空いた自分の手を一宮の耳に持っていき、神経を撫でるような力加減で耳の凹凸をなぞった。
「ン、あ、あぁっ……!」
触っている耳が熱いし真っ赤だ。合間合間に聞こえる嬌声に、俺の耳も熱くなった。
久々のキスに夢中になって、随分長い間そうしていた。もしかしたら何分もしていたかもしれない。いよいよ一宮がくたくたになってきた頃、俺は口を離した。一宮は弱々しく息を整えていた。やりすぎたかもしれない。でも、一宮も一切拒まなかったし。
「……触ってもいい?」
一宮はこくんと頷いた。一宮のバスローブをはだけさせると、今度は一宮が俺のバスローブに手をかけた。
「俺も触りたい」
「うん。触り合いっこしよ」
一宮の腰に手を添え、ゆっくりと擦る。ぴくりと体が跳ねた。そのまま手を背後に移動させて背中に指先を這わせると、一宮の口からはふ、と息が漏れた。一宮も負けじと俺の腹や胸をぺたぺたと触るが、くすぐったくて笑いが込み上げてくる。俺は手を下の方にもっていき、尾てい骨のあたりを撫でた。ひときわ大きく一宮の体が震えた。
「昔からここ弱いよな」
「ッあ、う、ぅぅ」
一宮は目をうつろにして喘いだ。尾てい骨から尻に向かって優しく撫でるのを続けると、びくびくとして一宮の口からたらりと涎が落ちてきた。可愛すぎて、汚いとも思わずに手の甲で拭ってあげた。まだこれだけなのに、頭が回らないほど気持ちよくなってしまったのか、一宮の俺に触れる手は完全にストップした。さっきは一宮が頑張ってくれたから、次は俺の番だ。
唇に軽くキスをすると、一宮はまた目元を緩めて赤く染めた。一宮を押し倒して胸元に触れる。一宮はぴくりと反応して、不安そうに俺を見た。
「別にいいよ、そこは」
「なんで? 触らせてよ」
どうせ前に触られたとき気持ちよくなれなかったから、とかそういう理由だろう。絶対に喘がせたい。気持よすぎて嫌だって言うまで気持ちよくさせたい。
意欲を燃やして、まずは胸の中心にはいかずに周りを指の腹でそっと撫でた。くすぐったいのか、腹筋を固くして断続的にふ、と笑っている。
「いいってぇ……もう次いこ……」
そんなこと言われたら意地でも続けたくなるんですけど。
躍起になって乳輪を指で円を描くようになぞり続けた。それはもうしつこいくらいに。一宮はまだやるの? みたいな顔をして、俺の腕を静止しようとした。そのたびに、俺は一宮にキスをしてはぐらかした。無言の「まだ待って」という訴えは届いたらしく、キスをされるたびに一宮も諦めてされるがままになった。
口では反応してないけど、もう乳首の方は完勃ちなんだよな。うまく快感を拾えてないだけだと思う。指先を乳首に持っていき、軽く弾くと一宮の背中が少ししなった。あ、いけるかも。爪で上下にカリカリとひっかき続けてみる。一宮は手で控えめに顔を隠し、呼吸を早くした。俺はベッドサイドに置いてあったローションパックを手に取り、中身を手のひらに注いでローションを指先に絡めた。そしてその指を一宮のぷっくりと膨らんだ乳首に擦り付けてみた。
「ぅひっ」
「うひって」
その感覚に驚いたのか、一宮は顔を持ち上げて、俺の指を凝視した。
「そのまま見てて」
そう言うと、一宮は俺の言葉を守って俺の指の動きを追い続けた。濡れた指で弾いて、撫でて、ひっかいて、摘んで、押しつぶして。続けていると、一宮の呼吸が早くなっていく。
「は、はぁっ、ぁ、っ……うぅ……」
「どれが好き?」
「わっ、分かんない……」
分かんないか。お前は多分摘まれた後に優しく撫でられるのが好きだよ。という言葉は口にせず、行動に移した。まずはぎゅっと摘む。びく! と体が跳ねた。
「あ! っう、う、ううぅ」
「痛い?」
「はっ、は、はぁっ」
一宮はなにも答えず、手を宙に浮かせぎゅっと拳を握ったり離したりした。なにかを逃そうとしている。この快感にかなり夢中なようだ。
次は指の腹を先端に持っていき、ローションを撫で付けるように優しく撫でてあげた。すると、一宮が俺の腕を掴み、かぶりを振りながら脚バタバタとを暴れさせた。
「んぅ、ぅああっ! は、はぁ!! よつ、ぁ!」
「うん、気持ちいね」
「っう、あ、あぁっ」
「どうしたの? 今日すごいじゃん」
「もういいっ、それいいからっ」
「良いってこと?」
「ぅ”あぁぁー!」
もう一度乳首をぎゅっと摘むと、一宮はカクンと腰を浮かせた。摘んでいる間、ずっと脚がガクガク震えていた。手を離すと、一宮はパタンと腰を下ろして大きく呼吸をした。エロすぎてくらくらしてくる。
「い、イッた……?」
「……ってない……っ」
呼吸にまじってかぼそく呟かれる。これでイッてないんだ。とはいえ、テント張ってんだよな。バスローブに若干隠れつつも、勃っているのがちゃんと分かる一宮の中心に手を伸ばして布越しに触ると、焦った一宮が俺の体を足で蹴ってきた。
「いてぇ!」
「も! そういうのいいから、早く入れろって!」
涙目で訴える一宮。またコイツは自分自身も俺の気持ちも置いてけぼりにして無理矢理先に進めようとしてやがる。
「一宮、俺別に急いでないよ。今日最後までいけなくてもいいし」
「……今日がいい」
「なんでそんなに急ぐの」
「はやく確信したい、から」
「……俺、もうどこにもいかないよ」
「そんなの分かんないだろ。もし駄目だったら、また前と一緒だ。だから、こーゆうのに時間かけなくてもいいし、俺もう準備してるから……」
はやくしろよ〜、と一宮はとうとうぐずりだした。
そっか。納得がいった。一宮は肉体的な繋がりで安心感を得たいんだ。多分、俺が……喋るのが苦手だから。言葉だけじゃ満たせない。
のそのそと起き上がって、また俺のマウントを取ろうとしている一宮の体を抱き締め、そのまま一宮をまたベッドに横たわらせた。
一宮の足元に手を滑り込ませると、一宮はぴくりと反応した。
「え、え……」
這わせた手を上に上に移動させると、一宮は途端に焦り出した。
「いっ、いいって、もう準備してるって言ったじゃん」
「俺に触られるのは嫌?」
「嫌じゃない、けど……」
「じゃあ俺にもやらせてよ」
トントンと。手を動かし、後孔に中指を押し当てた。一宮が眉を下げてぶるっと震えた。
「ぅ、あ」
「大丈夫、全部一緒にやってこ」
中指を押し込むと、ローションが既に腸壁にまとわりついていた。俺の指にびっくりしたのか、きゅっと締め付けてくる。さっき少しだけ挿入してしまったけど、この狭さを実感すると本当に入るのかと疑ってしまう。
「痛い?」
「痛くない……」
この不安そうな一宮の顔。思わず指を引き抜いてしまいそうになる。やめる? と聞くと、必死に首を横に振った。どうしようもなく愛おしくなり、空いている手で一宮のおでこの汗を拭い、唇に軽くキスをした。するとまた指を締め付けてくる。キス、好きだよな。気持ち良くなれるところを探しながら緩く中指を動かし、次は深くキスをした。一宮の声が一気に甘くなる。
「ンっ、ァ、ア」
あー。可愛い。いつもは口うるさくて子どもみたいにちょこまか動く一宮が、キスひとつでこんなんになっちゃうんだよ。本当に堪らない。
「ん、んっ、ぅ……」
俺が唾液を送り込むと、一宮は喉元を上下させて飲み込んでくれた。嬉しくてつい指の動きを強くしてしまう。
「ッあ! ひ、」
中のいいところに触れたらしく、一宮は口を離して反応した。思わずにやけてしまう。
「ここがいいの?」
「う、うぁ! ンっ!」
「一人でやってたとき、ちゃんと気持ち良くなれてた?」
「なっ、なれ、っな、い」
「そっか」
「……っよ、よつやの、ン、指、ながい……」
「長いからいいとこ当たるの?」
目をぎゅっと瞑って頷く一宮が可愛くてしかたない。
指を増やして前立腺を重点的に攻めると、一宮は更に声を上げた。昔やったときは、この時点で一宮を気持ち良くさせることができなかった。確実に、俺達は進んでいる。
「よ、よつやっ」
「ん」
「もう、ほんとに、いい、……ッ、ッぅ、い、ッ」
「んー」
「ッぅ、ッ、あ、あ!」
「お」
「〜〜〜ッ、あ”、はぁ”っ! あ”! っは、ぁ……」
一宮の体が大きく跳ね、その後も腰が断続的に震えた。一宮は目を白黒させて荒く呼吸をした。
い、イッた。エロすぎる。一宮の性器からはとろとろと精液が垂れていた。エロすぎて俺も目を白黒させた。こいつ、直接触らなくても射精できんの。
「一宮、一宮、可愛い……」
指を抜いて一宮を抱きしめると、余韻が残っているのかビクビクとまだ体が跳ねていた。
「ふ、は、はぁ、四ツ谷、もういれよ、俺もたない……」
「うん……」
一宮はもう既にぐったりとしていた。このまま前戯だけで体力を消費させるのも流石に気の毒だ。それに、俺ももう限界だった。素早くゴムを付けて準備をした。
一宮の腰を持ち上げて、ローションでてらてらと濡れている後孔に、俺の大きくなりすぎたソレをぴとっと押し当てた。一宮は荒く呼吸をしながらその部分をマジマジと見つめていて、俺も恥ずかしくなった。
「さ、さっきよりおっきい」
「……なんでそんなこと言うかな……」
そうだよな、一宮って無自覚でこういう煽りをしてくるんだよな。セーブできるか心配だ。
「入れてもいい?」
「うん……」
肯定してくれたけど、一宮は小さい震えていた。過去に何回も失敗してるし、痛がってたし。
「怖いよな、ごめん」
「え……」
「やっぱり、もっかい慣らす?」
「なんで、もう怖くないよ」
「震えてるし」
「違う、震えてない!」
一宮は何故か怒って手を伸ばし、そして挿入間近の俺の怒張を掴んだ。
「っえ」
「む、武者震いだ!」
「ちょ……腰動かすなよ……!」
「こっ、コーフンしてんだよ! 分かれよ! もう頼むから早く入れろよぉ」
一宮は顔をあかくしてふにゃっと顔を歪めた。あ、そうなんだ……。怖がってなかった。良かった。ここまで言わせてしまったんなら、もうなにがなんでも入れないと。
小さな窄まりにぐっと力をいれて押し込み、ゆっくりと中に入れる。一宮は最初目をぎゅっと瞑っていたが、以外に痛みはなかったらしく、徐々に目を開いて俺のものが入っていく光景をまじまじと見つめていた。
「ひ、は、ちょっと、は、入った」
「っ……う、うん……」
「まだ、あ、ある」
半分くらい入った段階で動きを止め、ふぅーっと息を吐いた。一宮も必死だけど、俺も必死だ。散々解したから中は柔らかくてとろとろとで、奥に行けば行くほど俺の熱を締め付けてくる。気持良すぎて、正直トびそう。
「はぁ、一宮、まだ大丈夫?」
「だい、ダイジョーブだから、全部入れて……」
「……わかった」
一宮も期待に満ちているのか、口元から少し涎が溢れていた。口元緩いよな。可愛い。
腰をゆっくり進めると、さっき弄っていたいいところにに当たったのか、一宮が身動ぎをした。さっきよりもより一層中をきゅうきゅうと締め付けてくる。分かりやすい。それでも、俺のものが全部入り切るのはもう少し先だった。本当に大丈夫か。突き破りそうで怖い。いやでも物理的に考えていけるはず……。
「んん〜〜〜ッ、ゥ、も、もうっ、ゆっくり、やめろってぇ……」
「なあ、ちょっと、黙ってくんねーかな……!」
こいつ、人の努力も知らずに。ムカついてきたので、あと数cm分を一気に押し入れた。肌と肌がぶつかる。一宮の目が開かれて、押し出されるように嬌声を上げた。今すぐにでも搾り取られそうな腸壁の動きに、俺は歯を食いしばって快感を堪えた。お互いの呼吸が部屋に響く。熱が馴染んでようやく落ち着いた頃、一宮は結合部分から目を離して、俺に目をやった。
「ふっ、は、はぁッ、はぁ、はいっ、入った……?」
「……うん、っはぁ、入ったよ……」
「はい……、ふ、はは、っん、入った……」
「うん……」
「は、はは……やったぁ……」
「うん……」
「よつや」
一宮が俺に向かって両手を広げてきた。なんて可愛いんだ。それに応えるように一宮を抱き締め返すと、一宮も俺の背中に回した腕に力を入れた。愛おしさでいっぱいになり、一宮の顔にたくさんキスをした。一宮は顔を赤くして顔をとろけさせている。
「痛くない?」
「うん……。変なカンジするけど、気持ちいい」
「俺も、すげー気持ちいい」
そう言うと、一宮はへにゃっと笑い、背中に回していた手を動かして俺の髪の毛に触れた。
「短いのもかっこいい」
「髪?」
「うん。ほんとは会ったとき一番に言いたかった」
あー、なんか、全然よかったな。就活のために自分のアイデンティティーをいろいろ損ねた気がしていたし、この髪型だって俺は大嫌いだったけど、今やっと好きになれた気がする。
一宮はそのまま手のひらを広げて俺の頭を撫で始めた。そんな可愛いことばっかするんじゃないよ、と咎めようとしたが、その前に俺のブツが一宮の中でまた大きくなってしまい、俺も一宮も息を詰めた。
慣れるで待ったけど、正直生地獄だ。今ので限界がきた。もう腰を動かすことしか考えられない。
「一宮、ごめん、動いてもいい?」
何故か中がまたうごめいたので、俺は目を細めてぶるっと震えた。一宮も湿っぽく息を吐きながら、一宮の腰に添えている俺の手に、自分の手を重ねた。
「うん、うんっ……」
はぁ。可愛いな。どこまで可愛いんだ。絶対大事にするんだぞ俺。心の中で言い聞かせて、ゆっくり腰を引いた。すると一宮は目を見開いて大きくびくっと跳ねた。
「ッう、う、は、あぁぁ〜ッ……」
男同士のやり方を調べたときに得た知識だけど、抜くときの方が気持ち良い人もいるらしい。一宮もそうなのかもしれない。びっくりした顔をしている。
先の方だけ入れたままちょっと待って、次はゆっくりと入れ進んだ。
「ンッ、う”、あ、はぁっ!」
奥まで入れると、一宮がいやいやとかぶりを振った。いや? と聞くと、涙目でちがう、と返ってきたのが可愛かった。意地悪な質問だったかもしれない。
このままゆるゆると遅い動作で挿入を繰り返していると、一宮はひっきりなしに嬌声を上げた。
「ぅあ”、ン、あぁッ! ふ、はぁ”っ、あっ! や、あっ、あぅ!」
「あ”ーーー……」
快感と、多幸感。すべて詰まったような声が出た。心配事は杞憂だったようで、こんなにもピストンが無理なくできる。俺も一宮もずっと気持ちいい。気持ちよくて口角が上がる。
「っねぇ、一宮、」
「あっ、ん、んっ」
「ここ、中、すげー柔らかくて動きやすいの、頑張って一人で準備したの?」
一宮が喘ぎながらこくこくと頷く。
「俺と会えない間も、俺のこと考えてた? そんなに俺のこと、ずっと好きなままだったの?」
「っ、あぅ”……」
一宮はまた必死に頷いた。丸く、潤んだ瞳が俺を見る。中がきゅっと締め付けられた。
「ッ、ず、ずっと、好きだった! ほんとに、ずっ、ずっと、おれっ……」
「__ッ、う、ぁ、」
我慢できなかった。
勢いを付けて奥まで突くと、一宮は一層大きく喘ぐ。一宮がまた弱々しく手を伸ばしたので、俺はもう一度一宮を抱き締めた。そのまま腰を動かすと、耳元で一宮の声と吐息が響き、また腰の動きが早くなった。突くたびに一宮が俺の背中にぎゅっとしがみつくのが堪らない。
「一宮ぁ」
「ふぅっ、はぁ! あっ、あっ、あ!」
「一宮、俺の名前、呼んで……」
ごぎゅっ、と。耳の奥に、唾を飲み込む音が入り込む。体を少し起こして一宮を見た。顔を真っ赤にさせて、必死に快感に耐える顔。
「あまねっ……」
丸く、可愛い声。俺の大好きな、一宮の声。俺は一宮に名前を呼んでもらうのが大好きだった。もう一生こんな声で呼んでもらえないと思っていた。
「守、俺も好きだよ」
ちゃんと言えただろうか。笑って、一宮みたいにちゃんと言えただろうか。
一宮は俺を見つめてへへ、と笑った。
「あまね、あまね、大好きだ」
「うん、俺も……大好き」
最奥を突くと、一宮ががくっと腰を仰け反らした。細かく震え、性器から精液を流す。その影響で中の締め付けが強くなり、俺も一宮の中で果てた。
一宮の横に寝そべり、俺も一宮も呼吸を落ち着かせ、そして顔を寄せて小さく笑った。一宮の首元に顔を埋めて鼻から大きく息を吸うと、俺の大好きな甘いミルクのような匂いがした。
守だなあ、なんて。今更すぎるけど、そう実感した。
7
かくして、俺と一宮のヨリは戻ったわけですが。
「本気で聞きたくなかった。殺す」
「まあまあ」
「今後は割り勘の時に四ツ谷の支払金額だけ1.5割増でいくからな」
「もし今後俺と一宮の共同財布になったらどうする? そんなこと言えんの?」
「……殺すッ!」
「まーまーまー!!」
三好が横に座っている二井を必死に押さえつけた。二井の手はグーに握られていた。二井ってマジで勉強があってよかったな。冷静冷徹に見えて沸点低いし喧嘩っ早いし。
「いやあ、二井はちょっと落ち着いて……」
「無理だ、死にそう」
「自分が死ぬか四ツ谷を殺すかしかないの?」
「俺が死んでも一宮が悲しむだけだよ」
「……じゃあ俺に消えろってか!?」
「四ツ谷も煽らないの! 二井大丈夫だって、多分二井が一宮とくっつく世界線も今後あるだろうし。今回は譲ろう」
「メタ発言やめ」
二井がファミレスの天井を仰いで特大のため息を吐いた。こんな姿なかなか見ないぞ。学院入試の勉強と研究で相当滅入ってるらしいしな。俺が追い打ちをかけてしまった。二井を呼んでもレスポンスがない。そんな二井はほっといて、と俺の横に座っている五藤が切り替えした。五藤が一番情ないんじゃないか。
「まさかヨリ戻すまでいくとは思わなかったからなぁ。一宮が相当勇気出して頑張ったんだろ」
「……なんで俺が勇気出したとは思わないの?」
「四ツ谷はヘタレだろ」
「……俺も頑張ったよ」
はいはい、と五藤が俺の肩を叩く。五藤と三好には世話になった。特に五藤。五藤の一宮に対する過保護っぷりを知っていると、どうせ俺らの関係を言っても許してくれないんだろうなと思っていた。けど、そうでもなかったみたいだ。まあ四ツ谷か二井か三好以外だったら男も女も関係なくマジで別れさせてたな、と。俺は五藤を心強いと思った反面、本気で怖いと思った。分かりきったことだし、周知の事実ではあったけど。
目の前の三好がオレンジジュースを啜ったので、俺も釣られてストローに口をつけた。飲み口を噛もうとしたのに気付いて、堪える。悪癖はもう十分だ。
「あ、四ツ谷。そういえば内定おめでとー」
「ああ、ありがと」
三好が気の抜けたような笑顔でぱちぱちと拍手をした。俺の横にいる五藤も緩く拍手。二井だけは未だ虚空を見つめていた。次回作に期待ということで。
「一宮のアドバイスのおかげなんじゃない?」
「別に、そんなことは……ってかアドバイスとかじゃないし」
「とか言って〜」
三好がニヤニヤと俺を見るのがウザくなって、軽く三好の靴を踏んづけた。
俺の三人に対する報告会が終わり、長らく着続けたリクルートスーツをクリーニングに出しに行った。この先の勉強会や研修は私服でもいいらしい。というか、内定が決まった会社は面接自体私服でもよかったみたいだ。緩い会社なのかと思ったら、採用率はそんなに高くなかったし。俺はラッキーだったのかもしれない。
帰宅途中、俺はその会社に面接を受けに行った日を思い出した。
いくら面接を受けようとも、慣れないものは慣れない。緊張気味に面接会場に向かっていたら、一宮からメッセージが届いた。
一宮 守:四ツ谷は俺のイチオシだからダイジョーブ!
口元が綻んだ。
そっか。俺、一宮のイチオシだから大丈夫じゃん。と、胸がすく思いをした。
その時のメッセージをもう一度見ていると、頭の中が一宮でいっぱいになった。柄にもなくあの日の返答をしてみる。
『一宮のイチオシ、無性に一宮に会いたすぎて大丈夫じゃないって』
●一宮 守
四ツ谷のことが大好き!
●四ツ谷 天音
一宮のことが大好き!
一宮がいないと根暗で卑屈で無気力なだけのイケメンになってしまうぞ!
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