毒にも薬にもなれないから

1 気の毒の男



『私が君を助けてあげる、はじめくん』


 差し伸べられたその手を掴んでから、俺は一生この方に仕えて生きていこうと決意した。

 教祖様は俺の憧れであり、生きがい。彼以外は何もいらない。彼の言う事だったら何でもできる。彼は俺の全て。

 俺の人生は教祖様の存在だけで完結していた。


 そのはずだったのに。





「どうか私の悩みを聞いてくださいませんか、スズ様」


 最近入信した女性が、教祖様であるスズさんに膝をついて頭を垂れている。

 スズさんは、まるで天使のように作り物めいた顔に微笑みを浮かべ、その女性を見下ろしていた。


「顔をあげてください。幸せでない信者を助けて差し上げるのは、私の使命です。どうぞ、なんなりとご相談ください」

「……!スズ様、ありがとうございます、ありがとうございます……!」


 その女性はスズさんの言葉を聞き、肩を震わせた。


「私の息子……、次男が、長らく部屋から出てこないのです。お恥ずかしい話ですが……、いわば、引きこもりで。その息子をどうにかしていただきたいのです。……今までは隠してきましたが、もう世間の目に耐えられません」

「ほう」

「もう、私が何をしても何も反応しないのです。……私は、[[rb:幸々会 > こうこうかい]]の皆様に助けられました。そのお力で、息子も救っていただけませんか……」


 女性は手を組んでスズさんに祈りを捧げていた。

 スズさんは、顎に手を当て少し考える素振りをみせ、また女性に微笑みを向けた。


「分かりました。私共がどうにかしましょう。息子さんを社会復帰させればいいのですね?」

「……はい!そうです。ありがとうございます、ありがとうございます……」


 女性は涙を目に浮かべながら、恍惚とした表情でスズさんを見上げた。

 スズさんのそのご尊顔は整い過ぎているため、女性の反応は無理もない。


 女性はしきりに感謝を述べ、去り際にスズさんに追加のお布施を押し付けていた。その右手には幸々会が作っているブレスレットが艶々と輝いていた。

 女性の姿が見えなくなると、スズさんは後ろに立っていた俺にくるっと体を向けて、子守唄のような優しい声色で語りかけてきた。


「はじめくん、今の話は聞いていたよね」

「はいっ!」

「はじめくんがどうにかしてあげて?」

「っえ、俺がですか」

「うん。息子、って言ってたよね。娘さんならアレだけど……。俺も他の幹部も救済活動で忙しいからさ。……はじめくん、できるよね?」 

「えっと……」

「はじめくん」

「は、はい!」

「はじめくん、最近救済活動の成績落ちてきてるの、自分でも分かるよね?」

「は、……はい」

「挽回のチャンスだよ。行っておいで」

「……はい」


 スズさんはその表情も声色も一切動かさず、俺の事をじっと見つめながら言葉を綴っていた。


 スズさんは優しいけれど、教祖様らしくえもしれぬ圧がある方だ。


 俺はスズさんにちゃんとした姿を見せるため、必ずこの依頼を遂行しようと決意すると同時に、失礼なのは承知でスズさんに頼み事をした。


「あの、俺、頑張ります!それで、その……」

「……何かな?はじめくん。ハッキリ言いなさい」

「は、はい。あの、ちゃんとできたら、……その、褒めていただきたいです……」


 俺は制服の裾をぎゅっと握りしめてうつむいた。

 スズさんは俺の肩をぽん、と叩いてデスクに向かった。


「分かったよ。さあ、行っておいで」

「……!はいっ!行ってきます!」




 

新興宗教団体、『幸々会(こうこうかい)』。


 教祖様であるスズさんが数年前に立ち上げた宗教団体で、着実に団員と信者の数を増やしいている。

 

 以下、スズさんのお言葉である。


 "神はいない。神はこの世を憂いて皆消えてしまった。ただ、消える間際に神々が残していった「この世で人間が幸せに暮らせる掟」を代々受け継いでいるのが、私の血筋。"


 不幸の渦中にいたり、この先の人生に不安を抱えて憂いている、特に世の女性を中心に入信する者が多い。


 そして信者にはやらなければいけないことがある。


 毎月の集会へ参加し、お布施をスズさんに捧げる。そして、身を守り、家に結界が張れるという『幸せのブレスレット』の購入と、そのブレスレットや自身を清めることができる『幸せの水』の購入。

 そしてこれらは、金額を注ぎ込めば注ぎ込むほど人生が豊かになると言われている。


 スズさんを始めとする幹部達が、困っている人に救いの手を差し伸べ、新たな入信者を増やし、ブレスレットと水を購入させる。この事を俺達は『救済活動』と呼んでいる。


 スズさんや他の幹部の人達は顔がいいため、主に人生に困っていそうな女性を相手に話しかけている。そして、大体の人は彼らに落ちていく。


 俺は__いたって普通の男なので、よくお年寄りをターゲットにさせられている。

 外にいる不幸せそうなお年寄りに声をかけ、話を聞き、物を売り、入信させる。


 それに何の疑いを持ってはいけない。疑いを持った時点で、救済活動はうまくいかなくなってしまうのだ。




 

 そして俺は今、依頼された女性の家の前に来ている。

 『重神』と書かれている表札のその家は、都内の一等地に建てられていた。一目見ただけで、お金持ちだということが分かるほど、大きな家だった。インターホンをならすと、あの女性__重神さんが顔を出した。


「はい!ようこそおいでくださいました……って、あら、あなたなのね」

「……今日はよろしくお願いします!」


 あからさまにがっかりした顔をされてしまった。きっとスズさんや、他の顔がいい人が来るのを期待していたのだろう。


「次男は2階にいます。ついてきてください」


 案内されて家の中を進む。家の中は整然と綺麗にされていた。リビングと思われる入り口の前で、お手伝いさんのような人が一礼していた。

 重神さんは移動中、ぼそっと息子さんについて語っていた。


「うちは代々医療従事の家計で、兄……長男は本当に優秀に育ってくれたのに、なんでこうなったのかしら……」

「……」


 2階に進むと、たくさんの扉があり、部屋の多さを物語っていた。その最奥の扉の前で重神さんは足を止めた。


「ここが次男、[[rb:神壱 > しんいち]]の部屋です。部屋には内鍵がかかっているの。多分今も鍵がかかっているから、まずはどうにかして中に入って頂戴」

「え」

「私は下で仕事をしているので、よろしくお願いしますね」


 そう言うと重神さんは下に降りて行った。

 

 肉親でも開けられない扉なのに、全くの他人である俺が開けられるのだろうか。


(えー……、どうすれば……)

 

 とりあえず扉越しに、話しかけてみる事にした。まずは扉を3回叩いた。


「あの、えっと……、幸々会の者です!あっ、知らないか。あ!じゃなくて……」


 初めての事に、全く言葉が出てこなかった。俺はいつもおばあちゃんやおじいちゃんにやっているような定型文を話すことにした。


「あの、神壱さんは今、幸せですか?私はあなたを幸せにするために来ました。よかったら私とお話しませんか?」


 中から返事はなかった。暫く待ってみても、なんの音沙汰も無かった。俺はもう一度扉越しに語りかけた。


「扉、開けてくれませんか……。あなたの悩みから、私が、救って差し上げます……」


 本当に中に本人がいるかどうかも怪しくなってきた。思わず尻すぼみになって喋ってしまった。


 すると、扉の奥からガチャっという音が聞こえ、僅かに扉が開いた。……入ってもいいということなのだろうか。

 なんだ、意外とチョロいじゃん。今回の救済活動は思ったよりも簡単そうだ。早く終わらせて、帰ってスズさんに褒めてもらおう。


 そう思い、扉の取っ手に手をかけて部屋の中に入る。中には誰も見当たらず、ギョッとして辺りを見回した。


 すると、いきなり扉の死角から大きな塊が俺の前に姿を現した。


「うわあっ!!」

「うわって……」


 彼が神壱さんだろうか。重神さんの上品だった身なりとは比べ物にならない、上下黒の安そうなスウェットを着ていた。髪も伸び切っていて、表情がよく分からない。俺と同い年くらいだろうか。そして驚くのはその身長だ。


(で、デカ……)


 ゆうに180cmは超えているだろう。俺の前に立ち塞がると、もはや壁のようだった。

 俺は緊張ぎみにその男に話しかけた。


「し、神壱さん、ですよね?」

「うん」

「私はあなたを救いに来ました、幸々会のはじめという者です!」

「ふーん」

「それで、えっと、あの……」


(ヤバイ、いつも相手しているようなおばあちゃんとかおじいちゃんじゃないから、緊張する!)


 俺が言葉に詰まらせていると、神壱さんが俺に話しかけた。


「そんなとこ突っ立ってないで。ここらへん適当に座っていいから」

「は、はい!」


 案内され、ローテーブルの側に腰を掛ける。神壱さんも俺と対面するように座った。


 引きこもりと聞いていたが、部屋の中は俺の引きこもりのイメージとは全然違い、とても綺麗にされていた。


 俺は一呼吸つき、神壱さんを説得することにした。


「あなたのお母様が入信している宗教、幸々会はご存知ですか?」

「いや、知らない。なんかあいつが変なのにハマってるってのはなんとなく分かってたけど」

「あ、あいつって……」

「……そのなんちゃら会の人がなんでここに来たの」

「幸々会です!幸々会の教祖様、スズ様の教えを信じれば幸せになります。そして、世の中に出て生活すればより人生は豊かになります。私はあなたを幸せにするためにやって来たのです」

「幸せねえ……」

「はい。幸せになりたくありませんか?」


 神壱さんの目は長い前髪で隠れていて、俺の事を見ているのか見ていないのかも分からなかった。ただ、俺が話している間なんともいえない視線を感じた。

 そして神壱さんは、「んー」と小さく溢して、こう呟いた。


「別に俺引きこもってることに対して不幸だと思ってないけど」

「っえ」

「なんで俺が幸せじゃないって決めつけるの?」

「そ、それは……」

「どうせあのババアに頼まれたんでしょ。体裁が悪いから社会復帰させてくれって」

「!」


 全てお見通しで、思わずビクッと体が反応してしまった。神壱さんを見ると、広角を持ち上げて笑っていた。


「逆に君……はじめくんだっけ。はじめくんは今幸せなの?」

「え?」


 まさかそんな事を聞いてくるとは思わなかった。救済活動をしている時に、時々同じ質問をしてくるお年寄りはいたが、その時は自信満々にはいと答えていた。

 それなのに何故か今はスッと言葉を返せなかった。


「……も、もちろん、です。私は幸せです。スズさん、……教祖様に仕えることが私の、幸せなので……」

「ふーん。そう」


 神壱さんがどういう意図を持ってその返事をしているのか分からず、妙に鼓動が早くなった。

 なんだか、心の奥底を見透かされているみたいで怖かった。


「ま、いいや。どうせ最近暇してたし。俺の話し相手になってよ」


 すると神壱さんはその場から立ってベッドに移動し寝そべりだした。

 神壱さんが離れて俺は少し安心してしまった。


「はじめくん、今何歳?」

「えっと、21歳です!」

「そーなんだ。俺22だよ。そんな敬語遣わなくていいから。タメで話してよ」

「え、わ、分かりました。あ、じゃなくて、わかった、よ、神壱さん」

「その神壱さんってのもやめてよ」

「じゃあ……神壱、くん」

「ん、それのがいいや」


 やっぱり神壱さん、改め神壱くんは俺と近い年だった。長らく引きこもりを続けているらしいので、話し相手なんていなかったのだろう。神壱くんは楽しそうに俺に喋っていた。


「幸々会の人って何をしてるの?」

「普段は、救済活動と教祖様のサポートだよ」

「救済活動って?」

「幸せでない人に、幸せのブレスレットと幸せの水を与えて入信させるの」

「……有料?」

「うん。ブレスレットは1個2万、お水は2L300円」

「……なまじ買えない値段じゃないのが逆に悪徳っぽいね」

「悪徳なんかじゃない!!みんな、これを買って幸せになってるんだ!」

「あー、はいはい。で、何、俺にそれを売りつけて入信させようとしてた訳?ってか、外部の人間にそんなに怪しい情報ペラペラと与えてもいいの?」

「あっ!そっか、え、えっと、……」


 その通りだった。本来の計画では、神壱くんの弱みに漬け込んで言いくるめ、ブレスレットと水を買わせて幸々会に入信させ、集会に参加させて引きこもりを強制的に直そうと思っていたのに、何もうまくいかなかった。それに普段は言わないような事も何故か喋ってしまった。全て見透かされている。

 本当はこんな悠長に話してる場合ではないのだ。


「別に、はじめくんが満足するんなら買ってあげてもいいけど。俺株やってるし、お金はあるから」

「えっ!?そうなの!?」

「はじめくん、そのキューサイカツドーってやつ、うまくいってんの?」

「え……」

「なんか普通に訪問営業みたいで大変そうだね。ちゃんと儲けれてるの?」

「そ、そんな不敬な言い方しないでよ!俺は、ちゃんと救済活動できてるから。今までたくさんの人を救ってきた。今も、活動は順調だ!」

「へえ」

「……だから、神壱くんのことも救って、スズさんに認めてもらって……」

「……」


 今までお年寄りばかり相手していて、こんな事を他人に話した事なかった。途中で我に帰り、何を言ってしまったんだと後悔してしまった。


「……ごめん、なんでもない」

「いやー、別にいいよ。そのスズさん?って人の事好きなんだ」

「す、……好きなんて、恐れ多い。俺が、この世で最も尊敬している方だよ」

「……そうなんだ。なんで?」

「スズさんは、俺を救ってくれた。……もう生きるの辞めようかなって思った時に、俺を導いてくれた。衣食住も与えてくださっている。だから、俺はスズさんの為に生きている」

「ふーん……。って、待って、衣食住?住?ってか、え、食?」

「あ、うん。今俺が住んでいる部屋は、スズさんが用意してくださった。ご飯も、スズさんが用意してくださった物を食べている。普段はこの制服しか着ないから、衣食住全部だよ」

「……ヤバ〜」


 ヤバイ?何がヤバイのだろうか。

 俺はスズさんと出会ってからこの生活だったから、何がおかしいのかがわからない。


「じゃあ、スズさんに全部管理されてんだ」

「管理……。う、うん」

「俺と一緒だね」

「え?」


 神壱くんの発言が気になって、ベッドに横たわる神壱くんを見た。


「あー……眠い……。久々にこんだけ喋ったから疲れた……。はじめくん、もう今日は帰ったほうがいいんじゃない?」

「えっ!そんな、困るよ!」

「……また来ればいーじゃん。勝手にでてっていいよー」

「またって……」

「……」


 そう言って神壱くんは眠りについた。こうなってしまえばもうどうすることも出来ないので、俺は帰ってスズさんに報告することにした。


 階段を降りてリビングのドアをノックし、重神さんに挨拶をした。


「あの……。神壱くんの部屋に入ってお話はしました。でも、外に出てはくれませんでした。すみません」

「えっ、部屋に入れたんですか!?」

「え、はい」

「……そう。じゃあ、外に出てくれるまであの子をサポートしてあげてください」

「は、はい!」


 重神さんは目を見開き、俺の事を見ていた。きっと部屋の中に入れると思っていなかったのだろう。


 目的はまだ達成できていないものの、少し手応えを感じて、俺は上機嫌で帰っていった。そして、スズさんの執務室に入って今日の報告をする。


「スズさんっ!今日の重神さんの件ですが……」

「ああ、引きこもりのね。どうだった?」

「……すみません、今日一日では無理でした。あっ、でも、部屋には入れてくれて、お話はたくさんできました!あと何日か繰り返せば、きっとうまくいきます!」

「そう」


 するとスズさんはデスクの前で立っていた俺の側まで来て、手を俺の頭の上に乗せた。もしかしたら、褒めてくれるのかもしれない。


「っ、す、スズさん」

「はじめくん、仲良くなることが目的じゃないからね。そこだけ間違わないように」

「……」

「あんまり長い事彼に時間を使っちゃ駄目だよ。はじめくんの本職はいつもの救済活動だからね」

「……はい」


 __そうだ。俺の本来の目的は神壱さんの社会復帰だ。

 これが達成されないかぎり、俺はスズさんから褒めてもらえる事は無い。


「今日はもう遅いから、早く部屋に戻りなさい。また明日からよろしく頼むよ」

「はい、おやすみなさい……」


 俺はそのまま教団施設の上階にある自室に入り、ベッドへと沈んだ。


(スズさんに認めてもらえるように、頑張らないと……)





 そして数日間俺は重神家に通い詰めることとなった。重神さんが仕事でいない日は神壱くんが家の鍵を開けてくれるので、どうやらあの部屋から一歩も動かないという訳では無さそうだ。


「神壱くん、そろそろ外に出てみない?」

「えー嫌だ。てかいろいろ売り付けなくていいの?」

「売り……その言い方やめてって。……もう諦めたよ。神壱くんは入信する気無さそうだし、外に出てくれたらそれだけでいいよ」

「嫌だ。だって俺が外出られるようになったら、はじめくんもう来なくなるんでしょ?」

「そりゃ、そうだけど……」

「じゃあ尚更嫌だ」

「こっちだって嫌だよ!時間かかりすぎて、最近スズさんの目も冷ややかになってきたもん……」


 そうなのだ。あの日から重神家に足繁く通って、毎回の収穫は「昨日より仲良くなった」だけだった。雑談や世間話を軽くして終わり。それの繰り返しだった。流石にスズさんに顔向けが出来なくなってくる。


「そもそも、なんで神壱くんは引きこもってるの?」


 今までいろんな雑談をしてきたが、意外とお互いの身の上話はしたことがなかった。

 神壱くんが何故家から出ようとしないのか聞いてみることにした。


「ん〜……引きこもりの理由なんて、大体が人間が嫌になったとか面倒くさくなったからとかでしょ」

「神壱くんも、そうなの?」

「うん」


 ベッドの上でスマホをいじっている神壱くんは、くわっとあくびをした。この話にあまり乗り気では無さそうだったので、あまり深入りしない方がいいのかもしれない。

 すると暫くして、神壱くんの方から話してくれた。


「……高校の時に、学校行かなくなって、そんで人間関係面倒くさくなって、ずっと家にいる。進学校だった。その時に、いろいろ……やっかみを受けて、嫌がらせされて、あーもういいやってなって、……そっから」

「……やっかみ」

「うん。俺、普通に賢かったんだよね。顔も悪くないし」

「顔……?」


 その顔は前髪に覆われて全く見えない。かっこいいのだろうか。


「それで俺の事あんまり良く思わなかった人達が、陰湿な嫌がらせをね。大人に気づかれないようにやってんのが進学校っぽいよね」

「……」

「……あのババア、将来は医者になれってうるさいんだ。ちょっと成績下がっただけですげー怒るし、学校終わってからもスケジュール管理されてたし、すぐ兄ちゃんと比較するし、毒親だよ。本当の俺の事なんて見てない」

「お父さんは……」

「仕事忙しいって言って、ほとんど帰ってこない。何年ももう顔見てない。……で、いろいろ面倒くさいなーってなって、こうなってる」

「そっか……」


 神壱くんは何てことないような普通のトーンで話していたけど、本当はいろいろ辛い思いをしたのだろう。

 すると神壱くんは横になっていた体を起こし、俺の方に体を向けた。


「かっこ悪いでしょ?」

「え?」

「逃げてばっかでさ」


 前髪の奥の瞳が俺をじっと見つめているような気がした。


「かっこ悪くないよ」

「!」

「それを逃げるって言うのかは俺は分からないけど、……俺は逃げる勇気なんて無いから」

「……逃げる勇気」

「自分の意思で、一人で逃げられるのって凄い事だよ。……俺は出来ない」

「……」


 神壱くんはベッドから降りて、俺の横に腰をおろした。


「そっか……。そんな事言ってくれるの、はじめくんだけだよ」

「そ、そう?」

「うん。はじめくん、いい子だね」

「いい子……」


 そう言って神壱くんは俺の頭を撫でてくれた。

 いつしか前に、スズさんにも同じように頭を撫でて褒められたのを思い出してしまった。


「じゃ、次ははじめくんの番ね。はじめくんはなんで救済活動してるの?」

「な、なんでって?」

「何事も理由がないと続けられないでしょ?」

「なんで、なんで……」

「……分かんない?」

「スズさんが俺に救済活動をしなさいって、言ってくださったから……。理由なんて、それだけだった」

「楽しい?」

「え?」

「それ、楽しいの?」


 咄嗟に言葉が出なかった。楽しいとか、楽しくないとかを考えたことが無かったからだ。スズさんに言われたから当たり前にやっていた。その他の感情を持ったことが無かった。


「……わ、わかんない」

「……はじめくん、前に救済活動うまくいってるって言ってたけど、本当?」

「っ……」

「そんな顔に見えなかったよ」

「そ、れは……」


 神壱くんの発言に、思わず体を強張らせてしまった。心の隙を突かれた気がした。

 神壱くんがさっき自分の事を話してくれたせいか、つられて俺も自分の事を話し始めてしまった。


「……本当は、最近うまくいってないんだ」

「そうなんだ。なんで?」


 こんな事誰にも話した事無い。スズさんには、勿論言えないような事だった。冒涜に値するような気がして、声が震えた。


「……思っちゃいけない事なのに、……だ、騙しているんじゃないかって、最近思えてきて」

「……」

「俺、最初はスズさんに救われたから、絶対いい物だって思ってみんなにブレスレットとか幸々会とか勧めてたんだけど、……最近、わかんなくて」

「わかんない?」

「うん……。これで、幸せになれるのか。……俺、最近スズさんに褒められなくて……、初めて神壱くんと会った時、幸せなのって聞かれたけど、本当は分からなかった。俺が幸せじゃないのに、この人達は幸せになれるのかなって。そう思い始めたら、みんなを騙しているような気がして……」

「うん……」

「……スズさんの側にいれるだけで、よかったのに……、俺、悪いヤツだ……」

「……はじめくんは、スズさんにどうされたいの?」

「俺は……み、認められたい。たくさん、褒めてほしい……」

「それだけでいいの?」

「うん……」

「ふーん……」


 本人の前では無いにしろ、スズさんに反抗するような態度をとってしまって心臓がドクドクと鳴った。

 すると神壱くんは俯いている俺の頬に手を当てて上を向かせ、強制的に神壱くんの顔と対面させてきた。


「俺が外に出たら、はじめくんはスズさんに認めてもらえる?」

「え、うん、多分。……褒めてくださいって、お願いしたから……」

「へぇ。可愛いね」

「え……」

「取引しない?」

「取引?」

「うん」


 神壱くんはニコッと笑って口を開いた。


「俺、外にでてあげてもいいよ。なんなら、働いてもいい」

「えっ!?なんでいきなり……」

「その代わり、俺のものになってよ。はじめくん?」

「……え」


 俺のもの、俺のもの……。

 どういう意味か分からなかった。


「俺のものって?」

「そのまんまの意味だよ。どう?いい話でしょ。うんって言うだけで、スズさんに褒められるかもしれないよ」

「!」


 正直意味は分からなかったが、神壱くんの最後の一言で俺の思いは決まってしまった。


「な、なる!神壱くんのものになる!」

「……あはっ、じゃあ今日からはじめくんは俺のものね」


 すると神壱くんは口をぱかっと開けて、おれの首元にがぶっとかぶりついた。


「っ、えっ!?何、……い、痛い、やめて!」


 あまりに突然の行動に、気が動転してしまった。抵抗しても、神壱くんは長らく俺の首を噛んだままだった。


「ひ、ぅ……やめ、やめて、しんいちくん……」

「ん、」


 暫くすると神壱くんは口を離してくれ。とても満足そうな笑みを浮かべていた。


「な、なんでこんな事するの!?」

「マーキングだよ」

「えっ」

「忘れないでね。はじめくんは俺のものになったから」

「あ……う、うん?」


 もしかして、俺は迂闊な約束をしてしまったのではないだろうか。


 すると神壱くんはあっさりと自室の扉を開けて、階段を降りだした。


「っえ!?そんな、簡単に……」

「言った事はちゃんと守るから」

「あ、ありがとう!!凄いよ、神壱くん!!」


 1階に降りると俺達の騒ぎを聞きつけてか、重神さんとお手伝いさんがリビングから顔を出していた。

 重神さんはわなわなと震え、あり得ないものを見るかのような目で神壱くんを見ていた。


「し、神壱……!」

「……」

「なんてことなの……」


 感動の再会、かと思いきや、重神さんは想像もしなかった言葉を口にした。


「今まで何やってたの!?どうしてこんな事になったの!!恥ずかしくてご近所に顔向けできたもんじゃなかったわ!!」

「え……」

「あなたが引きこもっている間、お兄ちゃんがどれだけ立派に働いていたか分かる!?本当に神壱は何をしているの!!」

「し、重神さん……!そんな事、言わないであげてください……」

「外の人間は黙っていて。私は神壱と話をしているの」


 あの日スズさんに縋っていた人とは思えないような豹変ぶりだった。思わず気圧され、一歩下がると後ろで神壱くんが俺の体を支えてくれた。

 そして神壱くんもお母さんに言葉を返した。


「ギャーギャーうっせえな、クソババア」

「は……?」

「し、神壱くん……?」

「恥ずかしいのは子どもに自分のエゴを押し付けてひたすら文句ばっか言ってるあんただろ。おまけに変な宗教にハマってるし、世間から見たらどっちが恥ずかしいんだよ。俺はあんたのおもちゃじゃねえんだよ」

「__!?」


 その言葉を聞いて、重神さんはそれはもう顔を真っ赤にさせて、言葉にもならない怒号を発した。ほとんどの言葉は聞き取れなかった。

 必死でお手伝いさんが重神さんを抑えていたが、俺は怖くなって神壱くんの手を掴んで玄関の外に飛び出た。


「お、お邪魔しましたっ!!」


 扉を急いで閉める。未だ中から叫び声が聞こえてきた。


「神壱くんっ!?何言ってんの!?お、お母さん、めちゃくちゃ怒ってたよ!!」

「スッキリしたねえ。あいつにはガツンと言ってやりたかったから、満足できた」


 神壱くんは今までで一番の笑顔を向けていて、なんだか拍子抜けしてしまった。


「そ、れなら……よかったけど……あっ!ごめん、無理矢理外引っ張り出して……!」

「あ、ほんとだね。……ふふ、意外と外も悪くないね」

「……」


 握っていた神壱くんの手首から手を離そうと動かすと、今度は神壱くんの方から俺の手を掴んで手を繋いできた。


 夕日が神壱くんを照らしている。生温い風がそよそよと吹き、長く伸びた髪の毛を揺らしていた。


「はじめくん、俺外出られたよ」

「……うん。そうだね。本当に良かった」

「はじめくんがいたから、外も平気だって今思えてる。外に連れてってくれてありがとう……俺の居場所を作ってくれて、ありがとう」

「……!」

「はじめくん、もし居場所が無いと思ったら、俺がはじめくんの居場所になってあげる。逃げてきていいからね」

「え……」

「もし帰って嫌な思いをしたら、ここにおいで。俺、待ってるから」

「……うん」





 俺は手を振って神壱くんと別れ、教団施設に帰って行った。

 なんだか長い1日だった。けれど、やっと俺の使命を果たすことができた。神壱くんを助ける事が出来たし、スズさんにも久しぶりに褒めてもらえるだろう。


 スズさんの執務室に入る。俺は期待に満ちた顔でスズさんに報告した。


「スズさんっ!俺、ちゃんとやってきました!神壱くん……重神さん、外に連れ出せました!」

「そう……。ねえ、はじめくん」

「はいっ!」


 褒めてくれると思い、俺は笑顔でスズさんを見上げた。

 するとスズさんは光の無い目で俺を見つめて、静かに語りかけてきた。


「……お母様から、『あの子のせいでうちの息子がありえない暴言を吐くようになった。もう幸々会の事は信じない』って電話が掛かってきたよ」

「……え……?」


 体が強張った。何も返せずにいると、スズさんははぁ、とため息をついて、無表情で俺を見た。


「……はじめくん、君は何をしたいの?俺の言った事できないの?」

「そ、そんなこと、ないです……」

「じゃあなんで俺に迷惑をかけるのかな?」

「……ごめんなさい」

「……明日からは普通の救済活動に戻るように。ちゃんと成果をあげてね。次は無いから」

「はい、スズさん……」

「もう帰って寝なさい。おやすみ」

「はい、おやすみなさい……」


 執務室の扉を閉め、自室に行こうと階段を上がった。歩いている途中、自然と涙が溢れて止まらなかった。


 スズさんに褒められなかった。

 それどころか、迷惑をかけて怒られてしまった。


 全てを否定されたような気がして、とても悲しくなった。スズさんに捨てられてしまったら、俺は生きる意味が無くなってしまう。

 階段の途中で足を止め、涙を拭った。

 そんな時に思い出したのは神壱くんの言葉だった。


『もし居場所が無いと思ったら、俺がはじめくんの居場所になってあげる。逃げてきていいからね』


(逃げる……)


 俺は体の向きを変えて震える足を動かし、気付いたら神壱くんの家へと向かっていた。





2 手薬煉を引く



 俺は昔から、兄と比較されて生きてきた。


 お兄ちゃんは優秀なんだから、あなたも頑張りなさい。お兄ちゃんは前のテスト、クラスで一番だったわ。あなたは一番になれないの?

 お兄ちゃんは、お兄ちゃんは。


 うるさいな。なんで誰かのために勉強をしなきゃいけないんだよ。


 そう思いつつも、自分には何も出来ないという無力感から親の並べる道に沿って生きてきた。


 高校に入った時、クラスの男子から嫌がらせを受けた。きっと成績も家柄も、……あと顔も良い俺に嫉妬したのだろう。

 別に大したダメージは負わなかったが、なんのために学校に来ているのか分からなくなって、そう思ったら急に何もかもが面倒くさくなって、家から出なくなった。最初は扉越しに母が口うるさく説得してきたが、それももう聞かなくなった。


 引きこもり生活は、意外と俺の性に合っていた。部屋にこもりながら高卒認定をとって、大学の勉強やお金の勉強をし、株を始めたら案外稼ぐことが出来た。

 誰も家にいない時間は普通に家の中を移動していたので、そこまで閉鎖的にはならなかった。


 でも、やっぱり外に出る事はできなかった。人と会うかも、と思うととてつもなく億劫になってしまったのだ。


 そんな時に、はじめくんはやって来た。


『扉、開けてくれませんか……。あなたの悩みから、私が、救って差し上げます……』


 お世辞にも、何も救ってくれなさそうな弱々しい扉越しの声に、思わず興味が湧いてしまった。実に5、6年ぶりの他人との会話だった。


 はじめくんの第一印象は「何も無い人」だった。


 喋る言葉は、全てどこかから借りてきたようで、はじめくんの意思なんて何も無いようだった。

 何かを聞けば、スズさんが、スズさんに、スズさんの。

 ああ、この子は昔の俺みたいに他の人に操られて生きているんだろうなと思った。


 そして、俺と似たようなものを感じて、こう思った。


(この子はきっと、俺の拠り所になってくれる)


 スズさんなんて俺は知らない。はじめくんは絶対に俺のものにしたいと思った。





 はじめくんに引っ張られて外に出ることが出来た日の夜、俺は家の前で立っていた。


 きっと、はじめくんはここに来てくれる。

 なんとなくそう予感していたのだ。


 すると、日付が変わる前くらいに思惑通り、はじめくんが俺のもとにやって来た。

 思わず俺はほくそ笑んでしまった。


「はじめくん」

「!………し、神壱くん……」


 はじめくんは俺を見た途端、目から大粒の涙を溢した。

 綺麗だな、なんて場違いな事を思い、こちらに向かってくるはじめくんを抱きしめた。


「おれ、俺……、スズさんに、怒られたぁ……」

「そっか……。それ、俺のせいかな」

「ち、違う。神壱くんのせいじゃなくて……違うから」


 本当は俺のせいなんだろう。俺があいつに突っかからなければ、こんな事にならなかった筈だ。

 お人好しなはじめくんに愛しさを覚えた。


「スズさんに、褒めて貰えなかった。俺のせいだけど、でも、……。俺、自分が何をすればいいのか、どうしたいのか、分からない……」


 はじめくんは俺の腕の中でまたボロボロと涙を流した。きっと己の全てである人に認めて貰えず、絶望しているのだろう。


 そんな思いをしてまで、その人に執着しなくていいのに。

 そう思い、俺ははじめくんにある提案をした。


「はじめくん、俺と一緒に暮せばいいよ」

「え……」

「多分はじめくんひとりくらい余裕で養えるよ。俺ははじめくんを悲しませたりしないし、認めてあげられる」

「!」

「幸々会……いや、スズさんから抜け出して、俺と一緒に暮らさない?」


 はじめくんはきょとんとした顔で俺を見た。そして暫く考えて、重々しく口を開いた。


「それは、できないよ……」

「なんで」

「……スズさんは俺の恩人だから。裏切るような事は出来ないよ……」

「じゃあ、ここまで抜け出して俺に会いに来てくれた意味は何?俺に助けてもらいたいんじゃないの?」

「……それは……」


 はじめくんはもごもごと言い淀んだ。煮え切らない様子に少し躍起になって、先程齧りついたはじめくんの首元に、犬のように舌をぺろっと這わせた。はじめくんの体がびくついた。


「んっ、な、なに……」

「……はじめくんは俺のものになったんでしょ。さっさと俺のとこ来ればいいよ……」

「う……」


 はじめくんの瞳がふるっと揺れた。


「俺は、はじめくんがきっかけを作ってくれたからこうやって外に出られた。俺も、はじめくんのきっかけを作ってあげられるよ」

「きっかけ……」

「だから、自分がどうしたいかは自分が決めなきゃだよ、はじめくん」

「……」


 俺の言葉を聞いたはじめくんは、そのまま考え込みながらふらっと帰って行った。

 はじめくんは、これからどうするのだろうか。


 まあ、はじめくんはもう俺のものだから、どうなっても追いかけるけど。





3 自家薬籠中の物



 俺の団員であり俺が毎日お世話をしている男の子、はじめくんがどうやら部屋から抜け出したらしい。こんな事は初めてだ。

 はじめくんの部屋には監視カメラがついている。はじめくんの行動は全てお見通しだ。


 数日前、はじめくんに初めて普通の救済活動以外の仕事を任せた。

 どうやら依頼主の子どもに心を許しているらしい。今日ははじめくんに少しきつく言ったから、もしかしたらその子に会いに行っているのではないだろうか。


 __あんな金にもならない話、さっさと終わらせてほしかった。

 宗教とは銘打っているが、俺の本当の目的は利益追求だ。金にならない話なんてなんの意味もない。

 しかしはじめくんは任務を長引かせただけでなく、大事な信者の数を一人減らしてしまった。本当に困った子だ。怒られて当然の事だ。


 ただ、あの時のはじめくんの顔は良かったな。褒められると期待して、褒められるどころか怒られて絶望している顔。


 俺ははじめくんを思い出して一人で笑った。





 はじめくんとの出会いは、普通の街中だった。

 いつものように救済活動をしようとめぼしい人を探していたら、はじめくんを見つけた。彼は何をするでもなく、お店の壁にもたれ掛かってただぼーっとしていた。それも、俺がいつも格好の餌食にしている、生気の灯ってない顔をして。学ランを着ていて見るからに学生ではあったが、俺は学生なんて関係なく声を掛ける。


「あなた、もしかして悩み事があるんですか」

「え……」


 少年は突然声を掛けた俺に驚くでもなく、ただゆっくりと顔をこちらに向けた。目に光が感じられなくて、それが凄く良かった。


「暫くここにいましたよね。どうされたんですか?」

「あ……、いえ、なんにもないんです。本当に、なんにも」

「……こんな所にずっといたら寒いでしょう。良かったら私の事務所に来ませんか?悩みなら聞きますよ。本職なんで」

「本職……?」

「はい。私、こういう者です」


 その少年に名刺を渡した。彼はその名刺をじっと見つめて、ぼそっと教団名を口にした。あまり感情は読み取れなかった。


「はい、幸々会のスズです。幸々会の施設まで案内しますよ。よければお話聞かせてくれませんか?」

「……はい」


 少年はびっくりするほどあっさりと俺の後を着いてきた。こんな迂闊で今までで大丈夫なのか、俺でも心配するほどだった。


 教団施設まで少年を連れていき、応接室まで案内した。そして椅子に座らせ、彼の話に耳を傾向ける事にした。少年の顔をじっと見つめると、暫くしてぽつりと言葉を呟いた。


「……俺、昔に交通事故で両親を亡くして、それからずっと親戚の家をたらい回しにされてるんです。どの家もあんまり良く思ってくれなくて。俺、高3なんですけど、今お世話になってる親戚は進学するのはお金がかかるからって反対してるし、早いとこ家を出て行けって言うし、でも一人で生きていける気もしないし、だから……」

「……だから?」

「……もう生きたくないなって……」


 少年は何を考えているのか分からない表情をしていた。第一印象から"ぴったりの人間"だと思っていたが、彼の過去を聞くと想像以上に適した人材だったので、心が踊った。


「それで、あんな何もない所でぼーっとしてたんですか」

「はい。家にいると居心地が悪いので……。あと、……あなたみたいに、誰でもいいから連れ去ってほしかったんです」

「……ははっ!!良かったですね、私みたいな善人で」


 自分の意思はまるで無く、薄っぺらそうな人間だけれど、意外と度胸はありそうだ。ますますこの子を俺の下に置きたいと思った。


「君、名前はなんて言うのですか?」

「……古井吉です。大吉の吉で、はじめ」

「いい名前じゃないですか」

「俺に似合わないですよ」

「そう思うから、そうなるんです。……はじめくんは、今いる所から抜け出したいですか?」

「……はい」


 はじめくんは小さい声で、だけど強い口調でそう答えた。それなら、俺はこの子に救いの手を差し伸べなければならない。


「私が育ててあげる、はじめくん」

「……え」

「私の元で生活をすればいいですよ」

「は」

「今の家から、抜け出したいんですよね?」

「は、い」

「私のサポートをしてくれるなら、衣食住全て与えてあげます。今よりよっぽどいいんじゃないんですか?」

「!」


 はじめくんは目を丸くして俺を見た。ほのかに口元が緩んだ気がした。

 俺は、これはいけるな、と確信した。


「ああ、言い方を変えようか……。私が君を助けてあげる、はじめくん。どうかな?」

「あ……」


 俺ははじめくんに手を差し出した。

 はじめくんは暫く思考を続け、そして決意したかのように口をきゅっと結んで、俺の手を握った。生気の無かった顔は、目が涙で潤んでキラキラと輝いていた。


「俺を助けてっ……」

「もちろん。よろしくね、はじめくん」


 こうして、はじめくんは俺の下にやって来た。





 __あの頃は、ただひたすらに俺の後を追って、俺の言う事だけを聞いて、はじめくんの考えなんて無しに動いてくれて、大変扱いやすかった。


 どうやら最近は自分でいろいろと考えるようになったらしい。俺にとっては良くない事だ。はじめくんは俺のためだけに働いてくれればそれでいい。


 はじめくんを改めて俺だけに心を向かせるため、俺ははじめくんの部屋で彼を待機した。


 日付も変わった真夜中に、階段から音が聞こえた。きっとはじめくんだろう。

 扉が開かれ、はじめくんは暗い顔で入ってきた。そして部屋に立っている俺を見て顔を真っ青にさせた。その反応に思わず笑いそうになってしまった。


「おかえり。遅かったね?」

「な、なんで……ここに、」

「はじめくんの管理は全部俺がしてるからね。なんでもお見通しだよ。……今日みたいな約束破りもね」

「!!」

「はじめくんは1日に何度も俺の手を煩わす、本当に悪い子だね」


 俺ははじめくんに夜11時以降の外出を禁止している。今までそれを破ったことは無かった。

 はじめくんは更に顔を青くし、体を震えさせた。初めて俺に反抗した事への恐怖を感じているのだろう。彼の口からは乱れた呼吸と謝罪の言葉が溢れた。


「あ、ご、ご、ごめんなさい、ごめんなさい、なんでもします、ごめんなさい」

「なんでも?」

「はい、はい、なんでもしますから、スズさん、捨てないで……」

「ふ……ふふ、ふふ」


 俺に見放されそうなると必死に縋りつく所は昔から変わっていない。それが俺の支配欲を満たしてくれた。笑いが止まらなかった。


 __ああ、可愛いな、はじめくん。


 そう思ったら自然とはじめくんに手が伸びた。はじめくんの頬に手を当て、顔を固定させた。


「じゃあはじめくん、口開けて」

「……?は、はい」


 はじめくんは口をぱかっと開けた。なんの疑いも持っていなくて、また笑みが溢れた。

 俺はその口にかぶりつき、はじめくんの舌を優しくねぶった。


「……!?ふっ、ンっ!?ん、んん!!」


 まさか慕っている男にこんな事をされると思っていなかったのだろう。はじめくんは塞がれた口から声にならない声をあげた。俺から逃げようと必死に胸の辺りを手で押していたが、俺ははじめくんの腰に手を回して逃げられないように固定した。

 暫く口内を甚振っていると、押していた手の力も弱くなり、へろへろと体から力が抜けるのが分かった。


「ん、ん、ふ、ァ、ンン、……ふぅ、ふ、」


 鼻から抜ける声が完全に嬌声に変わり、見開かれていた目もだらしなく垂れ下がっていた。

 そろそろはじめくんが息を上手に吸い込めなくなってきた所で、俺は口を離した。

 はじめくんの顔を見ると耳まで真っ赤になっていた。口から涎が垂れていて、間抜け面でそれが少し面白かった。


「……気持ちよかった?」

「ふ、へ、……?」

「あはは、可愛いね」

「っ……」


 肩で大きく息をしていたはじめくんは、可愛いと言う言葉にピクリと反応し、じわっと下手くそな笑顔を浮かべていた。


 どうやら、俺に少しでも褒められるのが大好きなようだ。

 俺は面白くなって、はじめくんをベッドまで連れて座らせ、その体をぎゅっと抱きしめてあげた。はじめくんは今度は嬉しさからか、体を震えさせた。俺に体を預け、完全に心身を委ねていた。

 俺ははじめくんの耳元に口を当てて脳を震わせるよう囁いた。


「はじめは俺の言う事なんでも聞ける、いい子だなあ」

「っ、あッ」

「俺、そんなはじめに裏切られて悲しかったな。……この首の跡、誰につけられた?」

「あ、あ、……し、しんいちくん、です、ごめんなさい、」

「……そ。はじめの飼い主は、誰かな?」

「ふぅ、スズさん、スズさんです……」

「そうだよね。ちゃんと分かってるね。偉いね、ねぇ、はじめ」

「__ッあぁ、ア♡」


 俺ははじめくんを抱きしめたまま頭を撫でて耳元で囁き続けた。褒められるたびに体をビクビクと動かし、声だけで感じ入っていた。まるで俺が喋るだけで他人の体を操れているようで俺もゾクゾクした。


 チラッと下を見ると、はじめくんのものが上に兆していた。まさか声だけで本当に気持ちよくなっていたなんて驚いたが、ずぶずふに溺れさすには好都合だろう。

 俺ははじめくんの兆したものに手を伸ばし、服の上から握りこんだ。


「あ"あっ!?!?」

「はじめは俺の言葉だけで気持ちよくなれて偉いねえ」

「あ、あ、ア♡」

「どうしてほしい?俺もなんでもしてあげるよ」

「ン、あぁ、あ、ほ、ほんとっ?、」

「うん」


 手の力を強くすると、はじめくんの腰がガタガタと揺れた。キスした時に拭わなかった涎は量を増やして首元まで伝い、顎にたまったものは体が揺れるたびにぽたりとシーツに落ちた。

 はじめくんは顔を真っ赤にさせ、目に涙をためて必死に俺にお願いをした。


「アっ、あ、う、ちゃんとさわって、さわって、」

「ちゃんとって?」

「う"う、ちょくせつ、さわってほしっ」

「ん、わかったよ。もうお願い事終わり?」

「あ、いいの、いい、いいの?」

「うん。まだあるでしょ?」

「あの、アッ、ほめて、もっとほめて、くらさい……っ」

「……うん、いいよ、はじめ♡」

「__ッあ"あああぁぁアッ♡」


 俺ははじめくんの下着の中に手を突っ込み、直接扱いてあげた。面白いくらいに既にどろどろになっていたので、スムーズに手を動かせた。意地悪なんて無しに、ただ気持ちよくいかせるだけの手つきだった。


「ン"うッ、う"っ、は、ぁああ"、あ"ああアア"ア"♡す、スズさんっ♡スズさんっ♡」

「ん、なあに?」

「アッ、あっ、きもちい、きもちいいっ♡」

「よかったね。上手に気持ちよくなれていい子だね、はじめ」

「ぅうう"う"ッ♡♡」

「はは、おっきい声出た」


 俺はまたはじめくんの耳元に口を近づけ、とびっきりの甘い声で囁いた。


「はじめ、はじめは俺の大事な右腕だからね。いなくなったら困るよ。俺の側に一生いてよ」

「あ、あ、ほ、ほんとにっ?ほんと?」


 はじめくんはその言葉でどんどん顔を蕩けさせていった。俺のたったひとつの言葉で一喜一憂するのだから、本当に可愛い子だ。


「うん。はじめはいい子だから、俺の言う事聞けるよね?」

「ハ、はいっ♡スズさんと、いっしょに、いますっ……ン、ぁあああ、あ"あ"ア"ア"ッ♡」


 その返事を聞いて、俺は手の力を強めて動かした。いい子だねと褒めるようにはじめくんの耳の中に舌を這わせると、不自然なくらい体がビクビクとはねた。


「ん"ぅ"う"う"ぅ"っ♡あ"っ、も、もぉ、むり、れすっ♡いく、いく、いきますぅ、ぅぅ♡」

「ちゃんといきますって言えて偉いね」

「____っア"ァッッ♡……ふあっ、う、う、ふ、ぅ、……ん、はぁ、はぁ」


 はじめくんは体を大きく震わせ、俺の体に必死にしがみついて果てた。初めて他人のものを触ったし、他人の精液なんて気持ち悪いだけだと思っていたが、案外嫌悪感は無かった。

 はじめくんは浅い呼吸を繰り返し、そして俺を真っ赤な顔で見つめ、覚束ない口調で喋った。


「スズさん、スズさん、おれのこと、すてない?」


 俺はいつも信者達に向ける笑みを浮かべて、はじめくんに返事をした。


「捨てないよ。俺の大事な[[rb:吉 > はじめ]]」


 はじめくんはまた顔を緩め、俺の胸にぐりぐりと顔を押し付けた。


 捨てる訳がない。

 俺が見つけた、この可哀そうで可愛い男は一生手放すつもりはない。





4 毒は回った



 __やっぱり、俺はスズさんから離れられなかった。


 先日神壱くんの元に行き、せっかくの神壱くんの手助けを断ってしまった。

 たった一言、「そう」と呟いて家に入っていった神壱くんの顔は、やっぱり良く見えなかった。どんな顔をしていたのだろうか。怒りか、悲しみか。

 俺は罪悪感でいっぱいになったが、救済活動をしなければならなかったので、足早にその場を去った。


 それから数日が経ち、今日は団員集会の日だ。いつもはすぐにミーティングをスタートするけれど、今日はなんだかいつもと様子が違った。

 スズさんが部屋に入ってきて、団員が一斉に立ち上がって頭を下げた


「みんな、顔をあげて。今日は新しく入ってくれた団員を紹介します」


 久々の新入りに、部屋の中が少しざわついた。  

 俺は例外らしいが、スズさんは基本的に顔のいい男の人しか入団させない。


 スズさんの合図で扉が開き、男の人が入ってきた。


 その顔は、スズさんに負けず劣らずの美男子で、まるで絵画から出てきたようだった。滑らかな肌にくっきりとした切れ長の目、高い鼻、黒くてつやっとした髪の毛。スズさんの隣に立つと、スズさんが白、彼が黒という感じで、そのコントラストが際立って更に美しさを増した。

 そして、彼はとても身長が高かった。もしかしたらこの中の誰よりも背が高いかもしれない。


 前に立った彼は、自己紹介を始めた。そして、俺はその言葉に驚く事となる。


「__重神神壱です。よろしくお願いします」


(……え!?)


 本当にあの神壱くんなのだろうか。髪はバッサリと切られていて、あの頃の陰鬱とした感じがまるでない。まさか、前髪の奥にはこんな顔が隠されていたなんて。

 というか、なんで入団してきたのだろうか。疑問しか残らなかった。


 神壱くんは集団の中に混ざり、いつものようにミーティングが始まった。俺は終始唖然としたままで、スズさんの大事な話はほとんど記憶に残らなかった。


 そして集会が終わり、各々持ち場につくため解散した時だった。


「はじめくん!」

「あ、え、うわっ!」


 神壱くんは俺めがけて一目散に駆け出し、そして俺にがばっと抱きついた。180オーバーの身長は、俺の体には少ししんどすぎた。

 周りが何事かと俺達を見つめていた。


「神壱くん、本当に神壱くんなの!?」

「うん、そうだよ」

「なんで、幸々会に入団したの……」

「だって、はじめくんは俺のものなのに、こっちに来てくれないから。だから、俺からはじめくんのとこに来た。はじめくんに、会いたかったから」

「え……」


 俺はびっくりして神壱くんを見上げた。神壱くんは愛おしいものを見るかのような目で俺を見下ろしていた。

 神壱くんは俺の首元に手を当てて、執拗にその部分を擦った。あの時の感覚が蘇って、体がぶるっと震えた。


「首、跡消えちゃったね。……後でまたつけてあげる」

「えっ」


 俺が神壱くんにどきまぎしていると、執務室に帰ったと思っていたスズさんが俺の背後に立ち、俺の体をぐいっと引っ張った。


「新入りくん。先輩団員に何してるのかな?」

「!す、スズさん……」

「ああ、スズさん。入団させてくれて、ありがとうございます」


 神壱くんのその端正な顔に笑みが浮かんだ。背後にいるスズさんの表情は分からなかった。

 頼むから何も起きないでくれと願ったが、そうはならなかった。


「はじめくんは俺のものなので、返してくれませんか?」

「……は」

「……」

 

 まだ信頼関係を築けられていないこんな段階で、スズさんに歯向かうなんて。俺にはとても恐ろしくてできない。俺は擁護も反論も何もできずに固まってしまった。

 そして黙ったままだったスズさんはゆったりとした、だけど怒気をはらんだような声で話し出した。


「……誰のものだって?はじめはここに入った時からずっと俺のものだよ」


 それに対して神壱くんは何も臆することなく応えた。


「はじめくんを縛って、管理して、それで自分のものにしたつもりですか?さすが教祖サマですね」

「……」


 俺の肩を掴むスズさんの手がふるっと震えたような気がした。後ろを向いてスズさんを確認するなんて、とてもできなかった。

 神壱くんはまた言葉を続けた。


「……はじめくんは俺を暗い所から救ってくれた。だから俺もはじめくんを救いたい。スズさん、はじめくんを離してあげてください」


(あ……)


 神壱くんの言葉を聞いて、きっとこの状況だけじゃなくて、俺の生活の事も言っているんだろうなと思った。

 神壱くんは、本気で俺の事を救おうとしているんだ。

 そう思うと心の中がじんわりと温かくなった気がした。


 するとスズさんは俺の肩に置いていた手を移動させ、片手で俺を後から抱き抱えた。


「何を新入りがごちゃごちゃと言ってるんだろうね?本当に礼儀がなってないよね……はじめ、部屋に戻れ」


 とても強い口調だった。俺に前怒ったときもこんな言葉は言わなかった。

 俺は怖くなり、足早に部屋に戻る事にした。





5 毒を食らわば皿まで



 不穏な気配が漂ったこの部屋には、もう2人以外の誰も残っていなかった。

 暫くお互いが無表情で見つめ合いながら、火花を散らしていた。


 神壱が通りのいいはっきりした声で語った。


「俺、はじめくん以外の他の奴らと馴れ合う気は無いです。スズさんとも」


 同じチームに所属しながら、明らかな敵対宣言だった。

 それに対しスズはぴくりと眉を動かして、冷静に反応した。


「……入団前の面談で君が猫被ってんのは分かってたよ。ま、利益を生んでくれるんなら別に君がどんな人間でもいいけど」


 スズが最も大事にしているのが、利益だ。大きな利益を生むと踏んで、こうなると分かっていながらも神壱を入団させたのだ。


 神壱は表情から感情を読み取れないスズの思惑が分からなかった。


「スズさん、はじめくんの事どうしたいんですか」

「どうもこうも、はじめは俺がいないと生きていけないからなあ。……どうやら君に唆されたみたいだけど」


 スズには、はじめに関する事は全てお見通しだった。計算の上で、はじめに手を出した。そして計算通りはじめはあっさりとスズの手の中に戻ってきた。


「勘違いすんなよ、はじめは頭の先からつま先まで、血の一滴も残らず俺のものだ。はじめの飼い主は俺だ。はじめの境遇に感化されたぽっと出のやつなんかにはやらないから。あいつはお前のものじゃない。俺のものだ」


 スズは神壱を睨んだ。その凄みすら、まるで宗教画のような美しさだった。


 神壱は握っていた拳をさらに強くさせ、スズを睨み返した。


「絶対はじめくんは取り返す。俺のものにしてみせるからな、このサイコパスが」

「やれるもんならやってみろよ、クソガキが」


 緩やかな毒薬の中でがんじがらめにされているのを、当の本人は知る由もなかった。


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