一宮先生とクソガキたち

一宮が先生、他のみんなが生徒のゴコイチ学園パロです。

生徒のみんながクソガキです。

一宮が相変わらずかわいそうです。






1

 私立順律高校。所謂金持ち高校だ。金持ち学校がいき過ぎた故、金さえ積めば誰でも入学できるし、金さえ積めば誰でも卒業が確約できるという、教育界にあるまじき不純さで有名な学校ではあった。


「頼みますからせめて1年はやってくれませんか……」


 新しく赴任するには遅すぎる7月。俺はそんな順律高校の理事長室に呼ばれていた。入念に磨き上げられた、嫌味なほど輝いているデスクに額を擦りつけて、理事長は俺に決死の思いで頼みごとをしていた。


「いや……俺数ヶ月間ただのフリーターだったんで今更……」

「でも、教員免許は持っているでしょう! 大丈夫大丈夫」

「今までが大丈夫じゃなかったから、こんな数ヶ月で前の担任辞められたんですよね!?」

「まあまあ、コンビニバイトの5倍はお給料出しますから!」

「いつから出勤しましょうか」


 つまり、時給5000円。お金に目が眩んで、思わず首を縦に振っていた。あ、やべやべ。と思ったその瞬間から、あれよあれよとここの教師になる手続きが始まり、そして次の日には、担任が蒸発してしまったクラスの新担任として出勤することになってしまった。なぜ前担任が蒸発したかと言うと、精神を病んでしまったらしい。理由は、クラスの生徒たちにある。




 ガラ、とそのクラスの扉を開けると、頭上から黒板消しが降ってきた。真っ白い粉が全身に振りかかる。スーツ、一応卸したばかりなのに。教室の中からはゲラゲラと笑う声が聞こえてきた。なるほど、これが教師いびりで有名な問題児集結クラスの洗礼。ここで動じてはいけない。俺は動揺していない振りをして、教卓に向かおうとした。が、


「オワッ」


 1歩進めた所で、故意に置いてあった水の入ったバケツに足をぶつけてしまった。倒れるバケツと、俺自身。水がぶちまけられた床の上に、俺は膝をついた。更に盛り上がる教室。時給5000円じゃ割に合わないと、俺はもうこの時点で後悔していた。


「センセー、早く自己紹介しないと授業終わっちゃうよ〜」


 笑いながら馬鹿にする声が聞こえ、俺は怒りをパワーに変えてその場から立ち上がり、やっと教卓の前に立った。


「今日から赴任してきた一宮守です。このクラスの担任をします。25歳です。君たちよりずっと年上です。大人をなめるなよ!!」


 チョークまみれ、水でびちょびちょの体で、ここにいる生徒たち全員を睨みつけるように言ってやると、一瞬空気が静まり返った。


(これは成功なんじゃない!?)


 俺はただ、逆らうと怖いやつがやってきたんだぞというアピールをしたかった。こういうのは初めが肝心だ。ここで失敗したら恐らくずっとなめられる。


 顔についたチョークの粉を拭っていると、割れんばかりの笑い声が教室中に響いた。


「へ……」

「25!? ちんちくりんすぎんだろ、中学生じゃないの!?」

「こんなの担任にしてくるとか、いよいよネタつきたんだろうな!」

「大人をなめるなよ、だって〜! 元気いっぱいじゃん!」

「おあぁ……」


 大失敗。早速めちゃくちゃなめられてんじゃん。始まりにして終わった、俺の新しい職場環境。このオリエンテーションが終わったら理事長に辞職願出そう。


「せんせー、本当に成人してるんですかー?」


 手を上げて楽しそうに発言する生徒を見た。顔がいいな。明るい髪の毛は男にしては長く、軽くウエーブがかかっていた。


「本当だ! ちゃんと25歳だ!」

「証拠見せてよ、じゃないと未成年が不法侵入して勝手に授業してますって通報しちゃうよ」

「本当だもん!!」


 もうこの時点で完全に生徒たちの手のひらの上なのは置いておくとして。俺はヤケになり、スーツのポケットに入っていた財布から免許証を取り出して、みんなに見せつけた。


「おー、本当に25だ」


 と、教卓の前にいた生徒に俺の免許証を奪われる。こいつも顔がいいな。スポーツやってそう。滲み出る一軍感がある。俺が恐れているタイプだ。


「あっ、とるなよ!」

「じゃあ出すなよ」


 その生徒は俺の免許証を隣の席に回し、そしてそれがどんどんいろんな人の手に伝わっていった。個人情報もクソもない。そしてこのクラスの全員が俺の免許証を確認するという嫌すぎるトロフィーを獲得し、最後に俺の免許証を手にしていた生徒の所に駆け寄った。


「返せよ!」

「……はは」


 俺の免許証がとんでもなく高い位置にある。その生徒は俺の免許証を持った手をまっすぐ上に伸ばした。身長がかなり高い。なんだよ、こいつも顔がいいな。でも独特のオーラがあってちょっと怖い。俺が惨めにぴょんぴょん飛び跳ねている姿が面白かったのか、小さく笑った。全然返してくれない。全然取れない!


「もおおおおおなんでこんなことすんだよぉぉ」

「ふははは」


 教室に笑いの波が起きる。ビッグウェーブ起こしてんじゃん俺。その背の高い生徒は教室の後方に歩いていき、そしてロッカーの上に置いた。俺では手の届かない場所だ。


「ここでうまくやりたいんなら、こういうの軽率に俺らの前で見せない方がいいよ」

「言うの遅いよ!!」


 台とか脚立とか勿論ないし、俺は結局この授業が終わるまで免許証不携帯となってしまった。休み時間にやっと免許証を奪還することができたが、意外とこのクラスの生徒が取ってくれた。失礼だけど、問題児ばかりのこのクラスには不釣り合いなくらい真面目そう。意外とまともなやつもいるもんだ。あと顔がいい。多分ここの理事長顔採用してるな。


「あ、ありがとう……」

「……」


 その生徒は俺の顔をガン見し、俺が謝辞以外の言葉を喋らないと分かると、俺を一睨みして教室を出て行った。前言撤回、やっぱりこいつも癖ありのようだ。

 そしてこれ以降は初対面の生徒に足を引っ掛けられたり、背中に「145cm」とか書かれた紙を貼られたり(163だボケ)、意味も無く胴上げされたりして(これに関しては本当に意味が分からない)、初日にして既にSAN値はゴリゴリに削られていた。

 ここの生徒は新人教師を使って遊んでいびり倒すことで有名だった。





2

 あれ、上履きがない。昨日確かに下足箱に入れて帰ったのに。次の日の朝、俺は早速陰湿な嫌がらせを経験していた。


「おはようございます」

「あ、おはようございます……」


 俺の横から上履きを取り出し挨拶をするこの先生は、養護教諭の千田先生。朝から顔がいい。もうやだこの学校、なんでみんなお顔が整っているんだろう。劣等感が果てしなく掻き立てられる。


「どうしたんですか、渋い顔をして」

「上履きが無くなって……」

「……おぉ〜……」

「なんですか……」

「いや、また始まったなぁ、と」


 話を聞くと、どうやらこれは新任の通過儀礼のようなものらしい。前のクラスの担任も、こういう嫌がらせをさんざん受けて蒸発したらしい。学校側はもっと問題視しろ。


「俺もう教室行きたくないんですが……」

「まあ、悪い子達ばかりじゃないですよ。知らないですが」

「『知らんけど』をそんな丁寧に使う人います?」


 千田先生は来客用のスリッパを出してくれて、俺の足元に置いた。


「ちょっとだけ頑張ってみてください。で、もしも疲れたら保健室に来てください。いつでもお悩み相談は受けますよ」


 千田先生は俺の頭をぽんぽんと撫で、保健室に向かって行った。クソ、なんかムカついてきた。爽やかに笑いやがって。俺はこれから邪悪な子どもたちと向き合わなければいけないのに。養護教諭って普段何してんだよ。


 俺は職員室で授業の準備をし、重い足を引きずって、自分のクラス__2年A組の前にやって来た。扉上を確認、黒板消しナシ。俺はもう同じ失敗は繰り返さない。すうっと息を吸い込んで、勢い良く扉を開けた。


「おはようございます!!」

「膝の位置低〜」

「あぎゃっ」


 かくん! と己の膝が勢い良く曲がる。俺はみっともなく教室の床に膝をついた。後ろを振り返ると、うちの生徒が笑っていた。


「おい! 膝カックンは普通に危ないからやめろ!」

「にゃはは」


 その生徒__三好は菓子パンを食べながら教室に入って行った。授業前に食うなよ。もう、目の前を意識しても後ろから嫌がらせされたらなにも心の準備ができない。


「座って座ってー! 出欠取ります!」


 じろりと睨む生徒、ニヤニヤと笑う生徒、言うことを聞かず座ろうとしない生徒。パッと見ただけで反抗的なやつらばっかだということが分かる。こういうやつらにはまずデカい声だ。本当は死ぬほど帰りたいけど、雰囲気だけでも強く見せないと。

 教卓の前に立って出席簿を開く。そして俺は決意通りバカでかい声を発することとなる。


「キャーーーーーーーッッッ!?」


 反射的に出席簿を投げ捨てた。クラス中から笑いが起きる。出席簿を開けたらアレがいたのだ。ゴ、ゴ、ゴキ。……言うのも憚れる。あの黒くて速い黒光りするやつ。


「きゃーって、そんな女の子みたいな!」

「センセー、それオモチャだから」

「お、おも、おもちゃ……」


 生徒たちは俺の反応を見てゲラゲラと笑っていた。いつの間にこんな仕込みをしたんだよ。

 三好が地面に落ちたその虫のおもちゃを拾って俺に見せつけた。偽物と分かっていても、鳥肌が止まらない。


「お、……は、はは、ほんとだ……ハハ……」


 めちゃくちゃ怖かった。怖すぎて、意味もなく力ない笑いがこぼれる。


「……え」


 すると、三好が唖然とした顔をしながら俺をガン見していた。なんだ、と思って自分の顔をペタペタ触ると、なんと、頬が濡れていた。これは、涙……?


「え、え」

「……そんなに苦手だったの?」

「いや、ちが、うっ、う……フツーにおどろいて、せ、生理現象で……」


 そう言ってる間も涙が止まらなかった。確かに、突然のゴキには驚いたけれど、それ以上に、赴任2日目にしてあまりキャパが広くない俺の心が限界を訴えたのかもしれない。今までの人生で運動も人間関係もなにも頑張ってこなかったゆとり野郎だから、メンタルが弱すぎる。


 俺が静かに泣いてるのが気味悪かったのか、気が付けば教室はシーンとしていて、誰かがふざけるような雰囲気はなかった。三好も、なんとも言えないような顔をして自分の席に帰っていった。俺は一向に止まない涙を流しながら出席を取った。


「ひっ、ぅ、あ、青木……」

「はい……」

「う、ぐすっ……井ノ上……」

「うーす……」


 なんだこの空気。まさか大の大人が泣くとは思わなかったのだろうか。どこかでヒソヒソと俺を見て何かを話す声が聞こえたけど、それを注意する余裕はもうなかった。本当に、今日こそは辞職願提出する。





3

「一宮、SNSなにかやってる?」

「SNSってなんだ? あと一宮先生!」

「あ、絶対やってないなこれ」


 放課後、どうしてもこのプリントをやらせてくださいと数学の教師に頼まれ、とある生徒を居残り補習させていた。俺に悪質なゴ……の嫌がらせをさせてきた生徒、三好叶斗。


「敬語もちゃんと使う!」

「なんで? じゃあ一宮も俺に敬語使ってよ」

「じゃあ三好もちゃんと敬語使ってください」

「もー、一宮うるさーい」

「誰のせいだよ! あと一宮先生って呼べ!」


 三好が分からないやりたくなーいと喚くので、仕方なく隣に座って面倒を見ることにした。もともと人見知りしなさそうな子だとは思っていたけど、距離感がゼロすぎる。


「一宮、ここの答え教えて」

「答えは教えない」

「じゃあヒント教えてよ」

「ん……これは……。……んーーーーーっと……エーーーーー」

「……なんでバカなのに教師なれたの?」

「うるさいな! 俺は歴史担当! 数学は苦手なの」

「俺と数学一緒レベルの人間に敬語使えとか答えは教えないとか偉そうなこと言われたくないんですが〜」

「ぐ……」


 んだよこのガキ! 確かに俺は教員免許持ってることが奇跡のバカだけど!


「俺にそうやっていちいち突っかかるのやめろよ」

「おもしろいもん」

「おもしろくないです。そんなんだからここの担任の先生みんな辞めてくんだよ」

「でも俺ら一宮にはかなり手加減してると思うよ」

「これで……?」

「あのオモチャ、本物の虫じゃないだけいいでしょ」

「ヒェ……」


 つまり、前任には本物を……? そりゃ気病むわ。何が楽しくてこんな教師いびりをしているのか理解できず、頭を抱えた。


「はぁ、俺も1年ももたないだろうな……」

「え?」

「え?」

「……辞めんの? 担任」

「……え。だってそりゃあ、こんなことされたら誰だって辞めたくなるだろ……」

「……」


 びっくりした。三好がきょとんとした顔で俺を見ている。こうやって見ると、年相応の可愛いガキに見えるのにな。


「……いや、なんだよ……」

「……別に、ふーんって思っただけ……ってか先生が生徒の前で堂々とそんなこと言っていいの?」

「え、駄目か……。駄目かな!?」

「んはは、一宮はバカだね」

「それ次言ったら単位落とすからな」


 あれ、なんで俺ら居残りしてるんだっけ。三好の手元を見ると、プリントには名前を記入しただけでそれ以降は白紙のままだった。これは閉め出されるまで居残りコースだな。

 多分俺が喋るからこいつも調子乗るんだろうな。とにかく回答欄を穴埋めしてくれればそれでいい。俺は教えるなんて高度なスキルは使わず、大人しく横でホッチキス止めでもしておこう。と思い手を動かすと、いやに視線を感じた。生徒とはいえ、これだけ顔がいい人間に見られると妙に緊張する。


「なんでしょう……」

「ここ、ボタン取れかかってる」

「あ、ほんとだ」


 三好が俺の着ているカッターシャツの第一ボタンを指差した。買ったばっかなのに。スーツは昨日粉まみれ水浸しになったし、もう散々すぎる。ジャージで出勤するべきかもしれない。


「そんなにいっぱい着てたの?」

「いや、これは……」


 今日お昼に他クラスの生徒にぶつかって胸ぐらを掴まれた時に多分こうなったとは言えない。俺一応大人だし、プライドはある。

 体のいい言い訳を考え黙っていると、三好がム、と不機嫌な顔をして、そしてあろうことか第二ボタンから下を外し始めた。


「え!? なっ、なっ、なにっ」

「貸して」

「やだよ! なんで!?」

「インナー着てるからいいじゃん」

「いやだよ!」

「あーもう、ワガママだなぁ。俺のシャツ貸してあげるから」


 そう言って三好は自分のシャツを脱ぎ、俺に差し出した。いきなり脱ぎ始めて慌てふためいたが、三好は中にTシャツを着ていた。行動の意図が分からず三好を見ていたら、カバンから何かを取り出した。


「ボタン縫ってあげる」

「え……」


 取り出したのは小さめのソーイングセットだった。こんなに素行不良な男子高校生が裁縫道具を持っている。俺に散々いたずらを仕掛けてきたガキが謎の優しさを見せている。俺は驚きつつも素直に自分のシャツを三好に渡し、三好のシャツを羽織った。


「そんなことできんの?」

「これくらいできるよ。一宮はやらないの?」

「新しいの買う以外の選択肢無かった……」


 三好は慣れた手つきで素早くボタンを縫い直していた。これは流石に見入ってしまう。俺はとにかく不器用だから、裁縫なんて学生の頃授業でやったっきりだった。


「すげー!! 早いし、めちゃくちゃキレイじゃん!」

「……まあ、簡単だしね」

「これって簡単なの? 三好凄いな!」


 少なくとも俺の周りにボタンを自分でつけられるような人はいない。うちのお母さんもめちゃくちゃ不器用なので、裁縫をやっている姿を見たことがない。それを、こんな若い男の子が。俺は感心して思わず三好の頭を撫でていた。三好は俺の手の感覚に気付いた途端、じわじわと顔を赤くした。


「……笑わないの? 男がこんなの……」

「なんで? 得意なこと1つでもあるのかっこいいよ。俺はなんにも得意なことないし。みんながあんまりやらないことやれる三好は凄いよ」

「……………………別に〜……」


 と、小声で呟きそっぽ向いた三好は、まあ、普通に可愛かった。三好はこれ以降俺にちょっと優しくなった。気がする。





4

 昨日は最後まで居残りに付き合っていたから辞職願を出せなかった。今日こそ出してやる。そう思って昼休みに理事長室の前に来たが、『本日不在だヨ〜』とふざけたドアプレートが飾ってあった。ここの生徒がこんなになめたマネをしてくるのは、絶対こいつが上に立っているからだな。


「一宮先生、ちょっといいですか」

「ほ、え、はい」


 理事長室の前で突っ立っていると、たまたま通りがかった他学年の歴史担当の先生に呼ばれて、とある部屋の鍵を渡された。


「これ資料室の鍵なんですが」

「はぁ」

「ちょっと中片付けといてくれません?」

「え」

「本当はこの前の大掃除で一宮先生のクラスの歴史係の子がやるはずだったんですが……勿論やってくれなくて」

「勿論……」

「先生もあまりこの学校のこと分かってないでしょう? いい機会だと思って!」

「……ハイ……」

「あ、ちゃんと生徒にもやらせてくださいね。じゃないと理事長がうるさくて……」

「……ハイ……」


 下っ端なので断れない。その先生は俺が引き受けると、スキップで職員室に戻って行った。あからさますぎる。

 俺のクラスの歴史係は誰だっけと思い返したが、全く名前が出てこない。担任としてあるまじきだけど、俺は未だにクラスの人の名前を覚えられないでいた。何度も言うが、俺は教員免許を獲得できたことが奇跡な単細胞生物だった。


「誰だっけ……よ、よん……? よ、つ、よつ……」


 その生徒の名前、ギリギリ思い出せそう。歩きながら喉元まで出かかった言葉を必死に探っていると、どしん! と巨木な生徒にぶつかった。


「……ちゃんと前見ろよ」

「四つん這い」

「四ツ谷ですが」


 そう、四ツ谷天音。四ツ谷は俺を蔑んだ目で見下ろし、舌打ちをした。こ、コエ〜〜〜。体でかいしピアスバチバチだし目つき悪いし、こいつ絶対気に入らない生徒とか先生ボコボコにしてる。でも俺は動じないぞ。


「四ツ谷、今日の放課後ヒマ?」

「……」

「ハイかイイエくらい言って……」

「こんなクソチビと会話するメリットない」

「……」


 どどど動じないゾ。これでビビってたら生徒を色眼鏡で見ることになる。ひいては、生徒への対応の格差が出てしまう。強い者には強気でいかないと、俺は男だ。


「今日の放課後、社会資料室の片付けやってくれない?」

「はぁ?」

「ヒッ……。そ、そもそも、これは大掃除の時の四ツ谷の仕事らしいので……。って、田中先生も言ってたし、言ってたし……」

「……」

「……お願いしますから〜……」


 じわじわと目が潤んでくる。なんでこいつの顔こんな怖いんだよ。身長の差も相まって威圧感が凄い。教師としてもっと堂々としなければいけないのに、情けないほど下手に出てしまった。


「……絶対イヤだ」


 俺の顔をまじまじと見ていた四ツ谷はそれだけ言って、その場を去って行った。

 クソ、クソ! 俺がプライドを捨てて頼んだのに! 

 恐怖は一周して怒りに変わった。





5

 放課後になり、速攻帰ろうとしている四ツ谷めがけて俺はダッシュで駆け寄った。


「待っ……て!!」

「っ、は」


 四ツ谷の腕を掴んで待ったをかけた。ぐら、と体が傾く。あれ、意外とヒョロい?


「帰らせない、ぞ!」

「……」

「し、資料室の掃除、やるぞー……」

「……」

「……あ、アイス1本くらいは奢るからさ……」


 未だに冷めた目をしながら俺を見下ろしている。周りの生徒も俺が四ツ谷と話していることに興味津々なようで、面白そうに見物していた。めちゃくちゃ居心地が悪い。


「アイス1本くらいは奢るから!」

「なんでアイス1本でゴリ押しできると思ってんの」


 俺が四ツ谷の手を引っ張ると、渋々着いてきてくれた。着いてくるんかい。いや、それでいいんだけど。


「俺、イヤだって言ったんだけど」

「イヤが全てまかり通る世の中だと思うなよ。イヤってのは、普段やるべきことを全てやってる人間が言うからその意見が通るんだよ」

「……」


 なんとか資料室の前まで辿り着き、扉の鍵を開けた。中は薄暗くじめじめしていて埃っぽい。いろんな参考書やファイルが乱雑に積み重なっていて、どれだけ放置されていたかが伺える様相だった。


「うわー……。今日中に終わるかな……」

「……」


 入り口付近にあった電気のスイッチをつけたが、蛍光灯が光らない。何度かカチカチとスイッチを動かしてみたけど、電気はつかなかった。


「もー。蛍光灯も替えないといけないじゃん」

「……」

「……四ツ谷?」


 俺が部屋の中に入ってもピクリとも動かず、何も喋らない四ツ谷が不思議に思い、後ろを振り返った。そして俺は思わずえ、と声を上げた。


「どうした? 顔色めちゃくちゃ悪いぞ」


 ただでさえ真っ白な顔をしているのに、死人かと思うくらい顔色が悪かった。体調が悪いのかと思ってすぐに駆け寄ると、その大きい体は小さく震えていた。


「……四ツ谷?」

「……知らないの、ここの噂」

「噂?」


 四ツ谷は俯いて弱々しく呟いた。


「出るらしい。幽霊」

「え……」

「……だからイヤなんだよ」


 俺は部屋の中を一瞥し、そしてもう一度横にいる四ツ谷に目を向ける。ぎゅっと口がしまっている。掃除がイヤって、そういうことか。え、なんだ、この大男めちゃくちゃ可愛いじゃん。


「大丈夫、そんなの俺が倒す!」


 四ツ谷の手を握って、資料室の中に入って行った。四ツ谷は何か言いたそうに俺を見ていたけど、大人しく着いてきてくれた。だから、着いてくるんかい。


「まず埃が凄いからそこからだな。はい、雑巾。四ツ谷背高いから、棚の上これで拭いて」

「……」


 四ツ谷は俺から雑巾を渋々受け取り、棚の上を拭き始めた。意外と聞き分けがいい。幽霊が怖いただの男子高校生だと思えば、途端に扱いやすく思えてきた。そんなに怖い人ではないのかもしれない。


「これ、ブラインドも壊れてて全然開かないな。電気もつかないし……」


 夏とはいえ、光の射さない夕暮れ時の部屋は作業するにはかなり暗い。そしてこの部屋には都合良く新しい蛍光灯も無さそうだ。


「ごめんだけど、俺蛍光灯貰ってくる」


 と、俺は職員室に行こうとした。すると四ツ谷が物凄い勢いで俺のシャツの裾を引っ張った。振り向くと、不安そうな表情を隠しもせず四ツ谷が俺を見ていたので、もう、もう。


「ワーッ! ごめん、俺が軽率だった! ずっと一緒だぞ!」


 思わず四ツ谷を抱きしめて背中をさすってあげた。これは俺が悪い。あと四ツ谷が可愛く見えて仕方ない。もうなんか、赤ちゃん。これは体の大きい赤ちゃんと一緒だ。

 完全に拗ねて仕事放棄してしまった四ツ谷を宥めていると、突然奥の方からガタッと大きめの物音が鳴った。


「!」


 その音と一緒に跳ね上がる四ツ谷。それにびっくりして連られて跳ね上がる俺。四ツ谷は俺のシャツの裾を摘むどころか、怖がっている様子を隠しもせず俺に抱きついた。


「おおおお、俺っ俺が倒すからっ、だいっ、大丈夫っ!!」

「無理無理無理無理……」


 ここで中途半端なまま終わらせるわけにもいかない。ここで終わってしまったら、多分俺は一生この部屋に入ることができない。不安要素を無くすため、俺は四ツ谷を引きずりながら部屋の奥に向かった。

 この部屋の奥にはもう1つ部屋があって、そこと薄い扉1枚で繋がっている。昔は社会科の教師専用の書斎として使われていたらしいが、今はただの物置となっているらしい。きっとこの部屋から音は聞こえてきた。

 そっとドアノブに手をかざし、深呼吸をした。心臓がバクバクと音を立てている。


「四ツ谷、あ、開けるぞ」

「無理無理……」


 四ツ谷は背を丸めて俺の背中に顔を押し付けていた。本気で嫌がっていたところを無理やり俺が連れてきたんだ。教師として、俺は四ツ谷を守らなければいけない。


「テクマクマヤコンッ!!」

「それなんの魔除けにもなってねえよ!!」


 お互い叫んで、勢い良く扉を開けた。

 すると。


「ギャーーーーーッ!! 人っ! 人がっ倒れてるゥ〜〜〜!!」

「え……」


 様々な書類に囲まれながら、壁に持たれて目を閉じている生徒がいた。何故こんなところに。部屋が暗く俯いているので、その姿は完全に死人のようだった。

 四ツ谷は俺から体を離し、その生徒をチラッと見てため息をついた。


「なんだよ……クソ……」


 その生徒は俺達の声に反応し、鬱陶しそうに目を開けた。


「……あー……? んだよ……うるさ……」

「生きてた……!」

「せっかく人が気持ちよく寝てたのに……」

「こんなとこで寝るやつがおるか!」


 その生徒は俺のクラスの生徒、五藤空良だった。いろいろと俺達のドキドキを返せ。四ツ谷も無言で五藤に近寄り、ゲシゲシとその体を蹴っていた。


「いたっ、おい、暴力反対」

「噂の原因、お前かよ」

「……あー、あの幽霊どうたらってやつ? 噂流したの俺だけど」

「は?」

「そういう噂があれば誰も近寄らないだろ。せっかく俺の個室にしてたのにな」

「……」


 四ツ谷はまた無言で五藤を蹴っていた。五藤の手元を見ると、資料室の合鍵までちゃっかり用意されていた。コイツ……。


「俺、帰る」


 完全にやる気を削いだらしい四ツ谷は、今度は俺に縋ることなく背を向けた。いやいや、まだ1mmだって掃除終わってないのに。


「待って!」


 多分言葉で止めようとしても止まらないだろうなと思い、その大きい背中に抱きついた。コアラの親子のようだ。ここまでする必要ない? 俺もそう思う。


「まだ終わってない!」

「もういい、帰る……」

「わ、分かった! 今日はもういいから」


 四ツ谷は身をよじりながら振り返り、困ったように俺を見下ろした。あ、睨んでるとかじゃなくて、多分こういう顔なんだな。なんだ、全然怖くないな。


「明日も一緒にやろ、な?」

「……分かったから……」


 四ツ谷は本当に小さい声でそう呟き、部屋を出て行った。おおぅ、耳が赤かった。……可愛いな。





6 

「なにイチャイチャしてんの?」

「いっ……!? してないですが!?」


 未だに床で寛いでいる五藤は半笑いで俺を見ていた。というか、生徒が勝手に合鍵を持ち出して不法にこんな部屋に入るの、絶対駄目だ。


「なに私物化してんだよ。全部片付けて、合鍵も返して!」

「えー、ケチ。教育委員会に教師から不当な怒りをぶつけられてますってチクっちゃおうかな」

「マジでやめてね、本当にそういうのだけはやめようね、俺が干されても誰も楽しくないでしょう」

「確かに」

「なんなんだよコイツ」


 思わず口に出た。なんなんだよコイツ本当に。爽やかな顔してとんでもない事を考えてるな。

 五藤はこの部屋を本当に私物化しているようで、家から持ってきたであろう社会とは関係ないものがたくさん置かれていた。そして五藤の横に積み重なっていて置いてある、とある本が目に入った。


「あー! ゼネラルウォー!」

「あ、知ってる?」

「勿論知ってるよ!」


 それは昔の漫画だった。簡単に言うと、人間vs宇宙人の戦いの話だ。全24巻。なかなかに長いので、俺の周りでは単行本を買って読む人はあまりいなかった。


「へぇ、今時の子も読むんだ」

「先生も好きなの?」

「うん、大好き!」

「俺以外に読んでる人初めて見た」


 五藤は積んである漫画からとある巻を取り出し、途中の見開きのページを俺に見せてきた。


「この味方を裏切って人間側につくヤツと宇宙人の一騎打ちのシーン、いいよな」

「そこ、最高だよな!? 若い子もそう思うんだ!」


 これは激アツシーンだ。当時俺はその熱量に悶ながら読んでいたが、周りでこの作品を読んでいる人がいなかったので誰とも語り合えなかった。大体マイナー作品を好んで読んでしまう傾向にある。だから、こんな今時の生徒がこれを読んでいることが嬉しくてしょうがない。


「ほんと、ここのエリスめちゃくちゃかっこいいよな〜」


 懐かしくなって俺もしゃがみながらその漫画をパラパラと読んでいると、五藤がふ、と笑ったような気がした。顔を上げると、薄暗く笑った五藤に鼻を摘まれた。


「うぎゅっ」

「アホそうな顔」

「なっ……」


 ムカついたので、全巻この場で読んでしまいたい気持ちを抑え、この漫画たちが入っていたであろう紙袋の中にしまいこんでやった。


「とにかく、五藤はここの部屋の掃除をちゃんとするように。鍵も返しなさい」

「俺の部屋なくなるじゃん」

「そもそも生徒個人の部屋なんてありません!」

「じゃ、先生の家行っていい?」

「じゃ、ってなに? なんでそうなるの?」


 五藤は仕方なさそうに荷物をまとめ、俺と一緒に資料室を出た。なんとなく掴みどころがない。意外と五藤みたいなタイプが1番攻略が難しいかもしれない。





7

 許せない。子どもとか関係ねえ。犯人見つけたら絶対に締め上げてやる。心では思っていても、傷は普通に痛いので涙を堪えながら保健室に向かった。


「すみませーん……」

「はい、どうしました……って、派手にやりましたねぇ」


 自転車練習中の子どもレベルの怪我を負ってしまったので、大人しく千田先生に手当してもらうことにした。千田先生は憎いほどきれいな顔をして笑っていた。かたや血が出て土に汚れている俺。


「どうしたんですか、その怪我」

「なんか……グラウンドの草むしり頼まれたんですけど」

「え、こんな暑いのにそんなことやってたんですか?」

「え!? 田中先生から通過儀礼って言われたんですが……」

「……まあ、じゃあ、はい」

「……」


 絶対嘘じゃん。クソ、あのなんでも押し付け野郎めが。もう言うこと聞かない。


「勝手口から出てやってたんですが、戻って水飲んで帰ってきたら、その……勝手口のとこになんか紐が張られてて」

「……おぉ〜」

「それ気付かなくて、足引っかかって……それで……一応水道で洗ったんですけど……」


 擦り剥けたジャージの膝の部分と、皮が捲れて血が出てしまった手のひらを千田先生に見せた。千田先生は困ったような顔をして、俺を椅子に座らせた。正面に千田先生は座り、俺の手のひらを手に取った。


「消毒しましょうか。ちょっとイタイイタイですよー」

「俺のことなんだと思ってます?」


 エタノールを染み込んだ脱脂綿が傷口に染みる。大人になってもこの痛みは慣れない。この学校に赴任してたった数日で、なんでこんなに心身ボロボロにならなきゃいけないんだろう。


「ここの新人教師ってみんなこんなもんですか……」

「うーん、これだけちゃんと怪我する人はあんまりいないかも」

「え……俺だけ……? 千田先生は?」

「俺は担任とか持ってないし、何もなかったなあ」

「おれ……俺はなんでこんなにナメられるんでしょうか……」

「そういうとこじゃないですかね」

「へ」


 千田先生は、俺の手の怪我の上から丁寧に絆創膏を貼った。そして両手で包み、ニコッと笑って俺を見た。


「なにかしたくなる顔をしてます」


 それは、どういう……。


「整形するか……」

「しなくていいですよ、キュートなんで」

「……きゅ〜〜〜……???」


 千田先生の口からにわかに信じがたい言葉が聞こえ、思わず歌舞伎みたいな顔をしてしまった。それがお気に召したのか、ふふふと穏やかに笑って俺を立ち上がらせた。


「ストレス軽減しますか」

「え? どうやって……」


 すると千田先生は手を大きく広げて、俺に1歩詰め寄り、そして、ハッ、ハッ……、


「ハグじゃないですかこれ!?」

「そうですねぇ」

「なっナゼッ」

「ハグはストレスを軽減する効果があるんです」

「やっ、そっ……、え……、こんなの、いろんな人にしてるんですか……」

「してないですよ」


 特別です。そう言って、千田先生は体を離した。信じられないくらいいい匂いがした。今もまだちょっとドキドキしてる。


「クソガキどもが嫌になったらまたいつでも来てください」

「意外と口悪いんですね……」





8

 この学校に赴任して数週間が経った。何故かまだ辞職願を出せないでいる。何故、というか、なんとなく答えは分かっている。全体で見ると悪質な子どもばかりだけれど、俺のクラスの生徒たちだけは若干優しくなっている気がする。マジで若干。10辛が8辛になったくらい。出席簿を開くとあのオモチャではなく、シート状の平べったいガムが挟まっていることもあった。ちょっとだけ嬉しかった。


 たまたま廊下を通りかかると、外では俺のクラスの生徒たちが体育をしていた。一生懸命みんなボールを追いかけている。つまり、サッカー。こんな炎天下の中。昔はそれが当たり前だったけど、よくあんな拷問みたいなことされてたなと今なら思う。しかも俺はヒョロガリ貧弱ボールと仲良くなれない族だったので、夏のサッカーは本当に地獄だった。


(お、あれは__)


 次々とゴールを決め、相手のボールを華麗に奪う生徒がいた。遠目からでも分かる。あのサッカーが死ぬほど似合う生徒は五藤だった。スポーツできそうだとは思っていたけど、まさかここまで上手いとは思わなかった。多分ちゃんと部活とかに入れば確実に良いところまでいけるだろう。

 こいつらもこんなクソ暑い中サッカー頑張ってんだから、俺も無限草むしり頑張ろう。




 放課後になり、俺はちゃんと終わりの見えない草むしりに挑んでいた。マジでやりたくないと思っていたけど、学生があんなにボール追いかけを頑張っていたのだから、少しは自分も外で頑張ってみたくなった。

 用務員のおじさんから借りた麦わら帽を被り、汗をぽたぽたと地面に落としながら黙々と作業をしていた。いや、やっぱり頑張るのやめよう。そうだった、俺は意思弱々の貧弱人間。あまりにも範囲が広すぎる。1人で終わらせようと思うと、最初に草抜いたところからまた生えてきて永遠ループしそうだ。


「除草剤撒けば一発なのにな」

「そうだよなぁ。俺もそう思う」

「先生みたいな人間が社会に出た時、会社の犬になるんだよ」

「ナチュラルに会話の流れ作ってサラッと悪口言うのやめてくれない?」


 いつの間にか俺の横で五藤がしゃがんでいた。俺に見せつけるようにごくごくとスポーツドリンクを飲んでいる。


「なんでそんなことやってんの」

「……押し付けられたんだよ」

「ハハッ、時給以上の労働してて可哀想」

「もっと他の先生にも言ってくれよ」


 俺を揶揄う目的があったのか、ただの暇つぶしなのか、五藤はその場から動く気配はなかった。この前まで放課後は資料室で過ごしてたし、もしかして家に帰りたくない子なのだろうかと勘ぐってしまう。


「サッカー、めちゃくちゃ上手かったな」

「……見てたの?」

「うん」

「やらしー」

「自分の生徒が外で体育してたら見ちゃうだろ!」

「自分の生徒ね……」


 五藤は手にしていたペットボトルを俺に傾け、いる? と聞いてきた。


「間接キスになるからいらない」

「あはは!」


 なにがおかしいのか、五藤はゲラゲラと笑っていた。


「サッカー、やらないの」

「昔やってたよ」

「やめたの?」

「まあね。派手に怪我したんだよ。走り続けると膝が痛むから、それで諦めた」


 五藤はスラックスの右足の裾を持ち上げ、ほら、と見せた。膝に向かって筋が1本入っている。手術の跡だろう。


「……治んないの?」

「体育で精いっぱいだろうな」

「そっか」


 俺は反省した。一癖も二癖もある生徒たちだけど、こういうふうに、何かを諦めざるを得なかった過去がある子ももしかしたらいるんだろうなと。単に『教師に歯向かう素行不良な生徒』でまとめるのは勝手すぎた。もし五藤のその怪我が原因で、家庭内で衝突が起きて家に帰りたくないと思っていたら。俺は何も知らず五藤の居場所を奪っていたのかもしれない。


「なんつー顔してんだよ」

「うぎゅっ」


 あの時と同じように五藤は俺のこと鼻をつまんで、眉を下げて笑った。生徒に気を遣われてしまった。気分転換に楽しい話でも出そう。


「そういえばサッカーやってる時の五藤、エリスにそっくりだった」

「エリス……って、ゼネラルウォーの?」

「うん。五藤、ちょっと顔似てるのな」

「それって先生の推しキャラ?」

「ゼネウォーの中だったら、そうかもなぁ」


 五藤はふーん、と呟き、そして俺の顎をすくった。所謂これは、顎クイという……やつ。


「エリスに似てるって、俺がかっこよかったってこと?」

「……そーだよ」

「へぇ」


 めっちゃ見てくる。何だコイツ。いたたまれず、俺は顔を振ってその手から逃れた。するとそれが気に入らなかったのか、五藤の顔が余計近付いた。すげー近い! だって鼻先に五藤の鼻あるもん!

 五藤は俺と目を合わせてニヤリと笑った。


「どう? 推しに似てる顔がいい男がこんなに近くにいる気分は」

「__おっ……」


 思わず、咄嗟に五藤の顔を手のひらで覆った。


「大人をからかうんじゃありません!!」

「っ、うわっ!! 最悪!!」


 そうだった、軍手をしたままなのをすっかり忘れていた。土で汚れた軍手のまま五藤の端正な顔を触ってしまった。五藤はゴシゴシと自分の腕で顔を拭っていた。イケメンの顔を汚すという背徳感と、一種の娯楽を見出してしまいそうで危ない。


「それと、顔は似てるけど性格は全然違うからな! エリスは五藤みたいに不良じゃない」

「更生しろってこと?」

「そうだよ!」


 さっきの顔面ドアップで心臓のBPMが上がりまくったせいで、俺は半ばキレながら説教していた。五藤は俺と違い余裕綽々なようで、それもまた腹が立った。


「じゃあ、俺が学生らしく真面目になったらなんかしてくれる?」

「なんかってなに……」

「うーん、なんだろ。……奉仕作業」

「……なんもしないよ!」

「じゃあ俺もなんにもしない」

「お前ズルいぞ! どうせ、そうやって人の上に立って生きてきたんだろ!」

「ええ? そんなことないって」


 五藤はくつくつといたずらそうに笑った。掴みどころがなくて妙に大人びていると思っていたけど、そうやって笑っているとちゃんと子どもっぽいんだなと思えた。





9

 ところで、俺一宮守は1ヶ月ほど前まではしがないコンビニ店員をしていた。そして、そのちょっと前までは違う学校で教師をしていた。1年ほどしかいられなかったけど。辞職した理由は最悪で、先輩教員からのセクハラ被害だった。そいつはゲイなのかと思ったけど、ただ俺をからかうのが面白かったらしい。同性でストレートがゆえ、セクハラがエスカレートしていった。もう絶対教師なんてやらねーと決めていたのに、俺というやつは。流されに流されまくって、こんな教育制度が崩壊している学校に赴任してしまった。


 そしてもう1つ、ところで。

 現在進行で俺の靴が隠されている。


「帰れねー……」


 今度は上履きではなく、普通に外で履く俺のスニーカーが無くなっていた。晴れの日なら、俺の気が狂っていればもしかしたら裸足で帰っていたかもしれない。でも生憎というか首の皮一枚というか、今日の天気は1日中大雨だった。流石に気が狂うにも狂いきれない。

 靴を隠すなら靴箱の中。というわけで、俺は生徒用の下足箱をひとつひとつ確認していた。完全に不審者の姿だけど、どうでもいい。もうこの頃になると、生徒の誰にどう思われてもいいという最悪な方向で俺自身にバフがかかっていた。多数の嫌がらせを受け、厄介な生徒たちの躱し方を学び、俺は精神が多少強くなった。強くなってしまった……。辞職願はとうとう出せず終いとなってしまったのだ。


「はぁ、どこに隠れてんだよ……出てこいよ……」


 どうしよう、このまま見つからなかったら。あれは俺が初めてのボーナスで買った、ちょっといいスニーカーなのだ。あまりオシャレには興味ないけど、スニーカーだけは好きだった。


「もーーー、このままだと本当に帰れないじゃん」


 下足箱の最後の列を調べ終わり、俺はその場でずるずるとしゃがみ込んだ。クソ、雨だし靴無いし今日は仕事押し付けられてお昼食べ損ねたし。……千田先生は出張でいなかったからストレス軽減できなかったし。


「もう嫌だなー……」

「一緒に帰るか」

「ヒィーーーーーッ」


 びっ……………………くりした〜……。なんでここの生徒はこんなに驚かすのがうまいんだよ。顔を上げると、俺の横に1人の男が立っていた。流石にもうクラスの人の名前は覚えた。彼はそう、二井虎太郎。厳つい名前だし頭がめちゃくちゃいいって噂だったから、すぐ覚えられた。あとな、顔がいいんだよな〜。本当にもう、どういうことだよ。イケメンパラダイスの舞台だったら俺詰んでたな。


「迎えが来てる」

「え……?」

「乗ってくか」

「え、ああ……。いや、生徒の家の車に乗せてもらうなんて駄目でしょ」

「じゃあそこで一生泣いてるつもりか」

「泣いてねえよ!!」


 確かに、この機会を逃したら俺は一生この学校から出られないかもしれない。それはなんとしてでも避けたい。それに、この二井からは俺が断っても絶対連れて行くと言わんばかりのオーラを感じる。


「じゃあ……今日はお言葉に甘えようかな……?」


 二井は本当に微かに広角を上げ、小さく頷いた。

 入り口のすぐ先には黒塗りでつやつやの車が停められている。左ハンドル……。しかも運転席に座っている人はかちっとスーツを着て手に白い手袋をしている。これは専属なのだろうか。この学校には金持ちしかいないという噂は本当のようだ。その運転手は外に出て傘を差し、俺を車内までエスコートしてくれた。なんかもう、全てを諦めた結果ジャージ姿の自分が恥ずかしくなってきた。

 俺が席に座ると、二井は俺の横に座った。助手席じゃないんだ。

 暫くすると驚くほど静かに車は発進した。音楽やラジオなどはかけないらしく、ただ雨の音だけが車内に響いていた。そういえば住所とか全然伝えてないなと思い、運転手に言おうと身を乗り出した時だった。


「A町の市営住宅でいいか」

「へ……」

「……やっぱり俺のこと覚えてないんだな、守」


 二井が悔しそうに俺を見ていた。

 俺のこと覚えてないって。守って……え?

 俺は必死に記憶を巡らせた。ちなみに市営住宅にはもう住んでいない。そこは俺の実家だ。二井は市営住宅を知っているようだから、もしかしたら過去にそこの住人だったのかもしれない。昔……誰だ……何人かいたな、面倒見てた小さい子。二井虎太郎。虎太郎、コタロー、コタ、コタ……。


「コタ!?」


 そう叫ぶと、二井は俺を見てじんわりと頬を染め、こくりと頷いた。俺は感動して大きくなったコタをまじまじと見つめた。


「ええ〜……嘘だ……こんなにかっこよくなるとは思わないじゃん……」


 あの頃のコタと言えば、それはそれは真面目で偏屈で人付き合いが苦手そうな、丸い眼鏡がトレードマークの小さい子どもだった。俺が高校生で、コタがまだ幼稚園生。二井家の新築が建つまでの間だけ、一緒の市営住宅に住んでいた。コタの両親が仕事で家にいない間、よく遊んであげていたのだ。本当に小さくて、俺の後ろを必死についてきて可愛かったのに。今ではこんなに大きくなって……。


「お、俺……かっこいいのか……」

「なんだよ、嫌味かよ」

「そうじゃない! おっ、俺……」

「ひっ」


 二井は固唾を飲んで、俺の手をバシッと握った。顔を赤くして俺を見つめている。わけも分からず、連られて俺も顔を赤くする。


「俺、俺……っ!」

「は、ハイッ……??」

「……」


 二井の言葉を待ってみたけど、口をぱくぱくと開閉させるだけで、結局何も言わずにため息だけついて、手を元の位置に戻した。なんなんだよ!


「……今はもう住んでないのか」

「うん。独り暮らししてるからね」

「ひっ、独り暮らし……」


 二井は目を輝かせながら、若干鼻息を荒くしながら俺に住所を聞いた。どこに興奮する要素があるんだよ。そしてちゃんと運転手に俺の部屋の住所を伝え、そこに向かってくれた。


「10年ぶりくらいに再会できたわけだけど、二井は今の今までどうして俺に声をかけてくれなかったんだ?」

「……」


 そういえば俺が初めてみんなの前で自己紹介した日、二井は俺のことバチバチに睨んでたな。あれは「気付けよ馬鹿!」という訴えだったのかもしれない。あの日の答え合わせをしていると、二井は未だに顔を赤くしながらとても言いづらそうに口を開いた。


「だって……俺が守って呼んだらみんな真似するかもしれないだろ。それが嫌だった。みんなには守のこと守って呼んでほしくない」

「……は……。お前それで俺に話しかけてこなかったの……?」

「……悪いか」

「いや、……んふ、じゃあ先生って呼べばよかったのに……ってか学校はそれが普通だろ」

「嫌だ。守は守だ。先生じゃない。俺にとっては守だから……」

「学年主席がなんつーこと言うんだよ」


 とは言いつつも、なんか、弟ができたみたいで可愛いな。俺はひとりっ子だし、まだ二井が小さかった頃も実際弟のような存在だと思っていた。そんな二井が俺のことを忘れずに記憶していてくれたなんで、普通に嬉しいな。俺は二井の豹変っぷりに気付けなかったけど。


「靴、見つからなかったのか」

「あ……気付いてた?」

「守が生徒用の下駄箱探し始めたところからずっと見ていた」

「それはお前もヤバイよ」

「誰にやられたんだ?」

「それが分かったら苦労しないよ……。もしも犯人見つけたら、こんなしょうもないことするなよって怒っといて」

「ああ……。分かった。半殺しにしておく」

「俺そこまで言ってないんだわ」


 昔は冗談を言うような子じゃなかったのにな。まさかこんなに気性が荒いとは思わなかった。


「でもスニーカーの心配はしなくていい」

「なんで? 探すアテがあるの?」

「俺が守に用意するから」

「は?」

「同じのを買ってやる」

「……いや、俺のあのスニーカー、限定品だったから多分もうどのネットショップ探してもないよ。それに生徒から高い品貰う教師がいちゃ駄目だろ」

「……? 高い品?」

「そうだよな、俺がポテチ買うくらいのノリで数万円出せちゃうもんなお前は。俺の言い方が悪かったよ。教師は生徒から贈答品を貰ったら駄目」

「違う、教師じゃなくて、俺にとっては守だから問題ない」

「お前はそうかもしれないけど、俺は生徒みんな平等なのー。気持ちは嬉しいから。ありがとな」

「……」


 二井は俺の言葉を聞いて、しずしずと俯いた。言い過ぎたかな。まさかここまで俺を慕ってくれていたとは思わなかった。落ち込んじゃったかな、と何か声をかけようとすると、二井は後ろの席から紙袋を取り出した。袋の口からは、四角い箱が2つ見える。


「でも俺、もうそのスニーカー入手したし」

「はぁ!? いつ!?」

「これ、守が履いてた靴と一緒だろ?」


 二井はその袋から化粧箱を取り出した。この箱、めちゃくちゃ見覚えがある。大事にしすぎて俺はまだ部屋に化粧箱残してるもん。そしてその中を見てみると、俺が履いていたものと全く一緒のスニーカーが収納されていた。


「……25cm……サイズまで一緒なんだけど……なんで……?」

「……ま、守を見てたら、それくらい分かる……」

「……??????」


 分からないと思う。もしかしたら二井は測量の申し子なのかもしれない。国家試験を受けてみるべき。


「その、もう1つの箱は?」

「ああ、これは」


 二井は紙袋の中に入っていたもう1つの化粧箱を取り出した。俺が手にしているのと全く同じ見た目と商品番号。ただ、サイズだけ違って少し大きい。まさか……。


「お、おっ……、俺と、お揃い……」

「……はは……」


 これは怖いのか、可愛いのか、ちょっともうよく分からない。たかが数年遊んだだけの年上をここまで慕うか、普通。というか、いつのまに用意したんだよこんなの。


「……いや、貰えないってこれは……」

「……」

「あーもう、ちょっと泣きに入るのズルいって! 分かった、受け取るから! 貰わないけど、俺んちで保管しとくから!」

「そんなの意味がない。ちゃんと貰ってくれないと俺は今ここで飛び降りる」

「もおおおおぉぉ自分のこともっと大事にしてよぉぉぉ」


 負けた。なんだよこの押しつけヤクザ。二井ってこんなやつだったのか。俺はいろいろな罪悪感を飲み込みながら、そのスニーカーを貰うことにした。





10

「送ってくれてありがとう。じゃ、また明日」


 濡れるからと言ってマンションの前まで二井が傘をさしてくれ、そしてどうせならと俺の部屋の前まで律儀に送ってくれた。車を降りてから俺の部屋までは、申し訳なくも二井から貰ってしまったスニーカーを履いた。もうこれで返品できなくなってしまった。二井は大変満足そうだった。本当にこれでいいのだろうか。


 部屋の扉を開けて玄関に入ると、何故か二井も一緒に入ってきた。めちゃくちゃ自然だった。いやいや、普通におかしい。


「なんで?」

「俺、もう帰る足がない」

「は? 何言ってんの」

「だから、家に帰れないんだ」

「いや、そのまま車で帰ればいいじゃん」

「帰らせた」

「は!?」


 こいつマジでなにしてんの。意味が分からない。二井を見ると、通学には必要無さそうなサブバッグ的なものを持っていた。その持ち手部分をぎゅっと握って、二井は意を決したように呟いた。


「……守の家、泊まりたい」

「お前さぁ〜……。どこでそんな準備を……。いや、駄目です。今すぐ家の人に連絡して来てもらって」

「スマホはさっき車の中に置いてきた」

「退路を断ちすぎだ馬鹿!!」

「こんな俺を歩いて帰らせるのか? 土砂降りの中……」

「……二井の家のご両親が心配するから駄目です。タクシー代出すからお家へ帰りましょう」

「執事に伝えてある」

「何を」

「守の家に泊まること」

「待って、いつ?? 心と心で通じ合えるタイプ?」

「それに今日は家に両親はいない。だから大丈夫だ」

「……」

「……守、泊まらせて」

「……」


 なんだコイツ……。俺のことなんだと思ってるんだろう。普通担任の家に泊まるとか絶対に嫌だろ。


「分かったよ……」

「!」

「ちゃんと宿題して早く寝ろよ……」


 俺の言葉を聞いて、二井は目を輝かせて首をぶんぶんと縦に振った。いいんだろうか、これで。俺捕まったりしないかな。


 結局押しに負けて二井を部屋の中に入れてしまった。俺の部屋は、並の成人男性くらいの様相だ。あまり綺麗にしてないし、こんな狭いところにおぼっちゃんな二井を入れることに抵抗感はある。二井は狭い独り暮らしの部屋には慣れていないのか、辺りをきょろきょろと見渡したままその場に突っ立っていた。


「ずっと立たなくていいからな。狭いけど……ベッドとか普通にソファーにしていいから」

「ハ!?!?!?」

「ヒィッ!?」

「……わ、分かった……。っ、は、お、お邪魔し、します……」

「俺んち入る時すらそれ言ってなかったくせに、どういうタイミングで言ってんだよ」


 二井は両手を寝具の上に乗せ、「薄くて固い」やら「これが守の寝床」やら楽しそうに呟いていた。こいつの将来が少し心配になる。




 夜ご飯をどうしようか迷った。外食は、もしも2人でご飯を食べてる様子が誰かにバレたら困るし、コンビニ食は、もし二井が高度な食育を受けていたら俺がご両親にボコボコにされるかもしれない。消去法でいくと俺の作ったご飯しかなくなるわけで、そんな安い飯でもいいかと二井に聞くと「それしか食えない」と血眼で答えた。それしか食えないわけないだろうが。

 簡単な手作りオムライスを振る舞ったけど、俺の目の前でもりもり食べていて、それはかなり良かった。普段1人で作って1人で食べるしかないから、誰かが美味しそうに食べてくれるのは純粋に嬉しい。それに昔の二井は食が細かったから、俺が食事の面倒を見ていた時もすぐ残していたので、ちゃんと大きくなったんだなと感動もした。


「すっかり成長したなあ」

「俺がか」

「うん。昔はあんなに小さくて、1人でなにもできなかったのにな」

「……今はそんなことない。もう大人だ」

「はいはい」


 俺の中では高校生なんてまだまだ子どもだけどな。とは言わなかった。もう数年経てば、まだ子どもでいたいと思うはずだ。


「よし、俺食器片付けるし、先風呂入っといで」

「俺、シャワーの使い方分からない。一緒に入ってくれ」

「なんでそんな嘘つくの?」


 寧ろそれで俺がうんと言うとでも思ったのか。まあ一応シャワーの使い方は教えてやった。風呂場に入った瞬間深呼吸をしだした二井は普通に怖かった。もしかしたら独り暮らし成人男性オタクという特殊性癖をお持ちなのかもしれない。そう思うと途端に全てが許せる。


 その後入れ替わりで俺が風呂に入った。脱衣所には水滴がほとんど垂れていなくて、二井の生真面目さが伺えた。それか独り暮らし成人男性オタクとして現場の保存を徹底しているのか。

 風呂から上がると、二井は小さいローテーブルでちゃんと宿題をしていた。偉い。俺が二井の立場だったら絶対やってない。教師だけど、俺は普通に馬鹿だったから。

 22時くらいにはお互い全ての作業を終えていた。学生を遅くまで起きさせるのは忍びないので、消灯してさっさと寝ることにした。奇跡的に買っていた来客用の布団を用意し、二井にはそこで寝てもらうように言った。二井をこんな片付いていない床の上で寝させるのは如何なものかと思ったけど、ベッドを貸すといろいろ怖いことが起きそうな予感がしたのでやめておいた。


「じゃ、電気消すぞ。おやすみ」


 おやすみ、とは返ってこなかった。俺は電気を消してベッドに潜り、あー明日も仕事マジで嫌だな、などと考えていた。普通に仕事自体が嫌とかではなく、生徒のいたずらがストレスすぎる。最近は自分のクラスより他クラスの子の嫌がらせが激しい。なまじ給料が良すぎるから、それと天秤にかけてちょっとは頑張る決意をしたがゆえ、辞めるに辞められないけど。俺の靴、ちゃんと見つかるかな。誰がなんのためにやってるんだろう。お金持ちの家の子どもだっていろいろあるらしいし、ストレスのはけ口で俺を利用してるんだろうか。このまエスカレートしていったらどうしよう。俺はあの学校で今後もやっていけるのだろうか。


「守」


 俺の寝返りがうるさかったのか、床の方から二井の声が聞こえてきた。少し見透かされたようでドキッとした。


「んー、なんだ」

「……眠れないから、一緒に寝てくれないか」


 またそんなこと言って。オタクがすぎるぞ。言い返そうとしたが、夜目を効かせて見た二井は少し不安そうな顔をしていた。しょうがないと思い、ベッドの半分を空けて、二井を手招きした。


「狭いとか文句言うなよ」

「狭い方がいい」

「はいはい……」


 ブレないな。こういうキャラだと思えば愛くるしいかもしれない。二井が俺の横に寝転がったので、俺は二井に背中を向けて目をつむった。こんな状況、学校の誰にも言えない。未成年の生徒を自室に連れ込んで淫行、とか広められたら本当に社会的に終わってしまう。

 なかなか寝入れず数分経ったが、二井も同じようで小さくモゾモゾと動いていた。一緒に寝た意味ないなと思っていると、あろうことか、二井の腕と脚が俺の体に絡みついてきた。


「おい! これ禁止!」

「守も俺のこと抱き締め返せばいい」

「そういう問題じゃないの!」


 なんか、昔もこういうことやってたな。二井の両親が仕事で不在の夜、一緒に寝たことがあった。しきりに俺に「ぎゅってして」と泣きついていた。あれは可愛かった。ガキだったしな。


「コタ、もしかしてまだ1人で眠れないんでちゅか〜? お子様でちゅね〜」

「……」

「お子様はさっさとおねんねしましょうね〜」


 ヤケになって二井の腕と脚を振りほどいたが、何回やってもまた戻ってくる。クソ、赤ちゃん言葉が逆鱗に触れたのかもしれない。こんなことしてたら一生眠れない。


「おい! もう、さっさと1人で寝ろ__」

「俺はもう子どもじゃない」


 ギシ、と、安いベッドフレームが音を立てた。

 二井は俺の貧相な手首を掴み、俺に覆い被さった。俺の体は二井の体にすっぽり収まり、視界は二井でいっぱいだ。ああ、あんなに小さかったのにな。


「身長も守よりずっと大きい。力だって、こんなもんじゃない」


 俺の手首を握っている二井の手に力が入る。体が暑い。クーラー、消さなければよかった。


「子どもじゃないから、俺がこうする理由をよく考えてほしい」


 固まった。二井から視線をそらせない。耳の裏を流れる血流を感じながらなにも言えずにいると、二井は深く息を吐いて定位置に戻った。


「……おやすみ」

「……あ、うん、おやすみ……」


 本当、夏の夜は寝苦しい。





11

「一宮ぁー、なんで今日の朝二井んちの車に乗って登校してたの?」

「……」

「……二井と同じ頭髪の匂いがする……」

「……」

「首元、キスマークついてんぞ」

「ッッッエッ!?」

「うっそ〜。思い当たる節があるんですかァ?」

「……」


 もういっそ俺をクビにしてほしい。

 1限が始まる前に廊下を移動していたら、三好と四ツ谷と五藤に俺の周りをがっちりホールドされて朝の様子を問い詰められた。どういう繋がりかと思ったが、二井を含めてこの4人は幼馴染らしい。

 今日の朝、二井家の執事さんが二井を迎えに来てくれ、そのままご厚意で学校まで乗せていってもらったけど、これが本当の本当に軽率だった。なんで怪しいと思われると考えられなかったんだろう。そうだ、俺は馬鹿だった。


「教え子連れ込んでなにやらしいことしてたの?」

「してません」

「言えないんだ……」

「そんなことしてない!」

「あーあ、俺先生のこと信じてたのになぁ」

「もーお前らうるさいうるさい! 訳あって二井を俺んちに泊めてたけどマジでそれだけだから!」

「訳あることなくなーい?」

「……それだけなことないでしょ」

「あーあ、俺先生のこと結構信じてたのになぁ〜」

「キーーーッ、頼むからちょっと黙ってくんないかな! マジでなんもないから!」


 この3人を撒こうにも撒けない。どれだけ早歩きで移動してもぴったりと帯同してくる。あまりにも速く歩きすぎて、予鈴が鳴るよりずっと早めに教室の前に着いてしまった。そして教室の入り口の前には、何故か二井が腕組みをしながら立っていた。俺達の存在に気付き、二井は俺を見てあ、と口を開けた。頼むから何も言ってくれるな。


「守、ベッドの上に俺の枕置き忘れた」

「おまっっっ、よっ、っそっ、いっっ、あっっっ」


 お前よりによってそんな1番あやしそうな文脈。


 最悪だよ。確かに自分の枕じゃないと寝れないとか言って、カバンからマイ枕取り出してたけど。用意周到すぎてどこからどこまで仕組まれていたのか分からなくて何も考えなかったけど。

 冷や汗をかいていると、3人の視線が一気に俺に集まる。目を糸のように細くして、疑いの眼で俺を見ていた。


「……へぇ〜〜〜……やっぱりやらしいことしてたんだぁ〜〜〜。ふーーーーーん……」

「ああもう、本当になにもしてないんだってば……。ただ泊っただけだから……」

「でも俺達一緒のベッドで寝ただろ」

「「「は?」」」

「二井虎太郎くんさあ!?」


 全て分かって言っているのか、天然で言っているのかもう俺には分からない。二井はただ純粋に真っ直ぐな目をしていた。俺は今二井が恐怖でしかない。二井のたった一言で俺を社会的に抹殺できる。殺虫スプレーを向けられている虫のようだ。


「一緒のベッドで……?」

「マジで語弊がある。確かに、成り行きでそうなったけど……本当にそれだけで……ああもう何言っても駄目だ……」

「淫行教師……」

「違うから!! もお〜〜〜ッ! おい二井、誤解を解けよ!」

「守のことは抱き締めて寝たけど、それだけだ」

「主語と述語だけでいいんだよ……。その修飾語いらないんだよ……」

「なんでなんでどういう関係!?」

「意味分かんない」

「俺の事は家に呼んでくれないクセになぁ?」

「……」


 もう無視だ無視。今ちょうどチャイムも鳴ったし、教室に入ってしまおう。そう思って入り口の方向に1歩踏み出すと、物凄い力で腕を引っ張られた。四ツ谷が俺を睨みつけている。これは目つきが悪いとかそういうのではなく、本当に睨んでそう。


「出欠とるぞ。中入れ」

「……俺らもせんせーの家行っていいでしょ」

「え?」

「そうだよな。二井だけ贔屓は良くないと思う」

「贔屓とかじゃないって」

「じゃあ俺らだって一宮のお家遊びに行っていいでしょ」

「駄目だよ!」

「差別はんたーい」

「差別じゃない! 二井ももう家に入れないし、お前らも入れない! 教師と生徒の距離感大事!」


 もう、早く教室に入らないと。中に入ろうとしたが、四ツ谷が全く離してくれない。


「おい!」


 ぶんぶんと腕を振るも、離してくれる気配すらない。四ツ谷を見上げると、心底不満そうに俺を見ていた。


「いいって言うまで離さない」

「はぁ……もう……。おい二井、なんか言ってやれよ……」

「無理だ。こいつらはこうなったら目的達成するまで追いかけ続けるぞ」

「最悪だよ」


 片方の腕は三好に取られ、五藤は俺の肩に手を回している。二井はしまったみたいな顔をしてるけど、全部お前のせいだぞ。こいつ賢いのか馬鹿なのか分からん。今のところ俺の中でかなり馬鹿な部類だけど。


「……分かったよ……。今度遊びに来なさい……」

「マジで!」

「いつ? 今日?」

「俺ら寝れるスペースある?」

「ないよ! 今日は駄目! 明日も駄目!」

「ケチ!」

「俺くらい寛容な教師いねえだろ! ほら、早く席ついて!」


 みんなは、はーい、と各々返事をして漸く教室に入ってくれた。俺はまたなにかとんでもない許容をしてしまったような気がする。出欠をとるとき、いつも以上に4人からの目線がくどくて目をそらしてしまった。……単純に慕ってくれているだけならいいけど、なんとなく、そうじゃないような気がする。


 そしてこの後、案の定俺の部屋はあいつらの溜まり場となってしまった。



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