ハッピーハッピーハロウィンデイズ

⚠注意⚠

ゴコイチ魔法学校パロです。

いつも以上に一宮がかわいそうです。みんなが一宮大好き人間ではありません。





1

「二井、放課後予定は無いか」

「はい、特には」

「これ、渡しに行ってくれないか?」


 他クラスの教師から渡されたのは、明日締め切りの進路調査表だった。一体誰に。言語学の教師のくせに主語が抜けている。


「これは誰のものですか」

「……一宮の」

「……」

「あー……。えっと、悪いけど、一宮の家に渡しに行ってくれないか?お前が一番近いんだよ」

「これ俺はだいぶ前に貰いましたけど。なんで一宮には渡してないんですか?」

「一宮、その日学校休んでたから」

「こんな締め切りギリギリじゃなくて、もっと前もって渡してくださいよ」

「なかなか渡すタイミング掴めなくてな」

「責任持って先生が行けばよくないですか?担任じゃないですか」

「まあ、先生はあれだ、忙しいんだよ。いろいろと」


 頑なに手を出さない俺と、頑なに手を引っ込めない先生。意地でも行かないという意思を感じる。俺はため息をついて、その紙を受け取った。


「悪いな。……できれば明日絶対持ってきてって言ってくれないか?学年主任がうるさくて……」

「……」


 はあ??と大きな声を出しそうになったのを堪え、俺は無言でその場を後にした。


 果たして、一宮の家に行くのはいつぶりだろう。

 いや、家に行くどころか、最後に喋った記憶すら曖昧だ。幼馴染だった俺達の間には、随分と大きな溝ができてしまった。


 玄関に向かい廊下を歩いていると、ゴミ箱の近くに空き缶が落ちているのを発見した。俺はそれを手で掴む……ことはせず、離れた距離から指を動かして空き缶を浮かせ、そのまま指をゴミ箱のほうに移動させて有るべき場所に還してやった。なんの造作もない。これくらいなら小学生でもできる。




 この世界は誰しもが多かれ少なかれ魔力を保有している。つまり、誰でも魔法が使える。小学校から高校にかけて魔法に関する勉強をすることが当たり前で、ここは全国から学生が集まる、歴史ある魔法学校だ。

 そんな学校の教師が何故あんなにも一宮を避けているのかというと、一宮の家系が原因だった。

 

(一番近いって言っても……俺の家から歩いて30分くらいあるんだが)


 住宅街を抜け、この街にそびえ立っている山奥へと足を進める。薄暗くて湿っぽい。おおよそ人間が生活するような場所じゃない。

 昨夜は大雨だった。泥濘に足を取られていると、前方に黒猫がいるのが見えた。こちらを見て、何かを訴えかけている。近寄ると俺から顔を逸して歩いて行った。この猫は見覚えがある。確か、一宮の飼い猫。ついてこい、ということだろうか。


 そのまま黒猫の後をついて行くと、掘っ立て小屋のようなボロボロの家に到着した。呼び鈴らしきものすらない。黒猫は前足をカリカリと扉に擦りつけていた。すると数秒後、どたどたとこちらに向かってくる音が聞こえた。


「ボタン!もう、勝手に出て行かないで!病み上がりなんだか……ら……」


 このボロ小屋から出てきた人物__一宮守は、飼い猫の後ろに立っている俺を見てポカンと口を開けた。


「え……あ、え?に、二井?」

「あ、ああ」

「……どうしたんだこんな所で?……迷子?」

「迷子でこんな所来るかよ……」


 俺は鞄から進路希望調査表を取り出して、一宮に渡した。


「これ。……お前のクラスの担任から。明日までに出せって」

「えっ!明日ァ!?急すぎる!」

「俺に文句は言わないでくれ……」

「ま……また俺だけ……」


 一宮はその紙を見て一人でブツブツと何かを呟いていた。もうここにいる理由もないので、踵を返そうとした時だった。


「あっ!えっ!もしかしてこれだけのために来てくれたの?」

「……まあ」

「ええ!?ごめん、ありがとう、え、ありがとうっ!ほんとありがとう!」

「大したことは……」

「上がってく?久々に」

「! いや、いい、もう日も暮れるし」

「あ、そう……」


 しゅん、とあからさまに項垂れる一宮。罪悪感が無いわけではないが、ここに居続ける方が世間的に気まずいのだ。

 すると一宮は何かを思いついたように顔を上げ、飼い猫を持ち上げて俺の顔を見た。


「そうっ!日が暮れると危ないから!俺、麓まで送るよ!」

「え……」

「ほら、ボタンも送るよって!」


 そう言って一宮は持ち上げた猫を俺に見せつけた。猫は毛を逆立てながらふがふがと一宮の手を引っ掻いている。どう見てもそんな優しい気持ちを抱いているとは思えない。


「いや……いいから!一本道だから、簡単だし。それに次は一宮が夜道を一人で引き返さないといけなくなるだろ」

「俺は別に大丈夫だから!ほら、通学路だし!」

「いい、いい、本当にいいから……」

「……そっ……かぁ……」


 次こそ本当に諦めたのか、一宮は腕の中で嫌がっている飼い猫を降ろし、ぎゅっと唇を結んで家の中に入っていこうとした。するとその瞬間、


 グギュウウウウウウ!


「…………」

「…………」



 魔獣の鳴き声かと辺りを見渡したが何も気配は無く、そこにいたのは真っ赤な顔をしてお腹を抑える一宮だけだった。


「あ……あの……ごめん……。ボタン、ご飯にしよう。お薬ちゃんと飲んでね」

「に"ゃーーーっ!」

「ご、ごめんて!でも飲まないと……」


 あのお腹のなり具合は、相当お腹を空かせていたのだろう。なんせ、魔物の鳴き声と間違えたくらいだ。

 一宮の体を見る。小さいし細いし、こんなボロ小屋に住んでいる人間が一体どんな食事を取るのだろうか。しかも、誰が作ってくれるわけでもない。一宮はここに一人で住んでいる。お世辞にも良い環境とは言えない。親からは一宮に近付くなと散々言われているが、今更、本当に今更ながら、この男がどんな生活を送っているのか気になってしまった。


「……やっぱり、家上がってもいいか?」

「……えっ」

「食事にするぞ」

「え!」

「手配する」

「え!?」


 早速一宮の家の中に入り、テーブルの上に手を向けながら指を鳴らす。すると机の上にぽんぽんと料理が並ぶ。


「すご!?どこから!?」

「俺の家から。単純な移動魔法だ」

「ほえ〜……すげー。俺、コップを机の端から端まで動かすので精一杯だから」

「……」


 それは、一般的に見ても小学生レベルだ。一宮の魔力は相当低いらしい。


「凄いな!これ、こんなの、本当に食べていいの!?」

「……ああ」

「やった!いただきます!」


 机の上に乗っているのはパンとサラダとスープで、簡素なものだった。特別何かが良いというものでもない。それでも一宮は目の前に並んだ料理を幸せそうに口に運んだ。続けて、俺も一緒にご飯を食べる。


「おいしー……」

「いや、こん……」


 こんなもの、と言おうとしたがそれは失礼なのだろう。一宮にとってはこんなものではないのだ。


「……普段はちゃんと食えてるのか」

「うん。スープいっぱい飲んでるから」

「それだけか」

「いや、そんなことない!けど、今月はボタンの体調が良くなくて、病院連れて行ったから、お金なくて、だから、ちょっと節約してるだけで」

「生活費はどこから貰ってるんだ」

「えっと、支援団体からと、薬草採集のバイト……」

「支援団体?」

「う、うん。孤児の子どもにお金を配ってるとこ……な、なに?尋問?俺、なんか悪いことした?に、二井の家の人に、迷惑かけた?あっ、学校?なんか悪いこと起きた?俺、やっぱりなんか疑われてる?」

「あ、いや、違うんだ!大丈夫だから。ただ、気になっただけで」

「ほんと?大丈夫?……また魔女の血族が、って騒がれたら、俺、多分もうここにいられない」

「……」


 そう言って、一宮はへらっと笑った。俺はそれに何も返せずにいた。




 一宮は、所謂魔女と呼ばれる人間の末裔だ。

 この魔法が全員使える世の中でも恐れられているものがいくつかある。そのうちの一つが、魔女だった。古来から、厄災や災害は魔女のせいだと言われている。

 数年ほど前に大豪雨による食料問題や経済破綻が起きてしまい、それは全て魔女のせいだと国が決定し、大規模な魔女裁判が行われた。魔女だと判決を下された者はすべからく処刑され、今では魔女と言われる存在はほとんどいない。一宮の母親は、件の魔女裁判で処刑されてしまった。父親はもともとどこにいるか知らないらしい。


 一宮は男だったのでその裁判にかけられることはなかったけれど、「魔女の血をひく者」として周りの人から嫌煙されている。


 昔は俺達もよく遊んでいた。俺の親から一宮に近付くなと言われたのは、魔女裁判が終わってからだった。一宮も周りの目を気にしたみたいで、俺達に近づかず、誰とも交わることなく生活するようになった。

 それから俺達は一切関わらなくなり、喋らなくなり、今日まで他人のように振る舞っていた。

 別に俺は魔女の力が本当にあるなんて思ってもいない。しかもこんな魔力の弱い人間がなにか人に悪影響を及ぼすなんてできるはずもないだろう。


 ……なんて後出しのように今更思うのは、あまりにも身勝手すぎる。俺はこの孤独な男を数年間避けてしまっていた。

 棚に立て掛けてある一宮の母親の写真をぼーっと眺めていたら、一宮はなあなあ、と俺に声を掛けてきた。


「二井はなんて書いたの?この紙」

「え?……ああ」


 一宮が指さしたのは、進路希望調査表だった。


「普通に、大学」

「魔導士育成のとこ?」

「ああ」

「超賢い人しか行けないとこじゃん」

「そうか?得意な専門分野があれば入りやすいらしいが」

「俺なんて一つもないよ。羨ましいな。俺、どうしようかな」

「夢……とかはないのか」

「夢なんてないよ。叶えられるようなお金も魔力もないし。……高校卒業したらもう俺達って成人でしょ。成人になったら支援受けられなくなるんだ」

「そうなのか」

「うん。だから、早く就職先見つけないと……。でも、俺、魔力少ないし、魔女って言われるし。どこも就職できなくてお先真っ暗かも!あはは」

「……」

「勉強頑張んないと」


 一宮は席を立ち、その細い腕で食器を流しに運んだ。


「ごちそうさま。二井くらい魔法使えると、これも全部魔法で洗えるの?」

「あ、ああ。それくらいなら」

「凄いな!俺もそれくらいできたら食器洗いの仕事くらい貰えそう」

「移動魔法の応用だからな。ある程度できればこれもできるようになる。俺が洗おうか?」

「ううん、いいよ。ご飯くれたし、これくらい俺が洗うよ」


 そう言って一宮は自分の手で食器を洗浄し出した。俺は横に立って、洗われた皿を布巾で拭いた。


「魔法使わないの?」

「たまにはいいだろ」


 そっか、と言って一宮は笑った。


「ご飯ありがとう、久しぶりにこんな美味しいの食べた!」

「……ああ」

「あと、誰かと普通に喋ったのも、一緒にご飯食べたのも、久しぶりだったから楽しかった」


 それを聞いて、俺は固まってしまった。一宮に他意なんてない。だからこそ、心が苦しい。


「二井は優しいな」


 俺はぐっと拳を握った。

 そんな事はない。今日だって、はじめはすぐに帰ろうとしていた。数年ぶりの近くて遠い存在の幼馴染を前に、俺は逃げようとしていたのだから。


 その後、片付けを終えて帰ろうとしたら何度も一宮にやっぱり麓まで送る、と言われたが丁重に断った。名残惜しげに玄関から手を振る一宮は、最後の最後まで「またね」と言うことはなかった。




 阿呆らしい。親も、世間も、自分も。

 あんな無力な男を避ける理由なんて、どこにもなかったのに。





2

 大規模校だからといって、毎日なにか特別なことが起こったり変わった人に出会うということはない。寧ろこれだけ生徒が多いと自分にとって合わない人も多くなるわけで、だからこそ普段一緒にいるメンツだけと話して勉強してご飯食べて遊んで、それだけで1日は終わってしまう。


 不満はないけど、特別楽しくはない毎日だ。なんだろう、昔はもうちょっと楽しかった気がするのに。


「三好くん、横座ってもいい?」

「あー、ごめんね!ここ、二井が座るんだ」

「そっかあ。残念」


 誰なのだろうか。よく知らない女の子が話しかけてきた。この子には悪いけど、二井の席がなくなるのは可哀想だし後からくどくど言われそうだから仕方ない。


「意外だよね。三好くんと二井くんが仲いいの」

「仲いいってか、ただの幼馴染だけどね」

「へえ。四ツ谷くんとか五藤くんも?」

「うん」

「いいな〜!みんなイケメンじゃん」

「えへへ、よく言われる」


 この学校では自分で受ける授業を選択して単位を取る。だからあいつらと同じ授業の時はなるべく固まって授業を受ける事にしている。特に二井は重宝している。なぜかというと、俺が授業中寝てしまってもお手本みたいなノートを見せてくれるから。めちゃくちゃ嫌そうな顔はされるけど。


 女の子は前の方の席に移動し、自然な流れでまた他の男に話しかけていた。うーん、肉食系だ。


 数分後、二井が入り口から入ってくるのが見えた。そのまま俺のいる席まで移動してくる。

 二井、昨日先生に捕まってて面白かったな。なんの用だったのかは知らないけど。


「オハヨー」

「ああ、おはよう」


 と、通路横に来て立ち止まった二井は俺に挨拶して、そのまま俺の席の横を通り過ぎて行った。え?と思ってそのまま二井の動向を視線で追う。そして俺はぎょっとした。


「隣、いいか?」

「…………えっ、俺に言ってる?」

「ああ」

「ど、……うぞ」


 こんなに講堂には生徒が集まっているのに、彼の周りだけ綺麗に空席になっている。まるでみんなの視線から逃れるように一番後ろの隅っこにいる男、一宮の隣に二井は座ったのだ。

 もちろん俺はめちゃくちゃ驚いているし、周りの人間も驚いているし、一宮本人も驚いている。唯一二井だけがさも当たり前かのように堂々と座っている。


 授業が始まっても俺は気が気じゃなかった。定期的に後ろをチラ見しては、二人の様子を伺った。度々二井が一宮に授業内容を教えている場面が見えた。なんで、いつ、そんな関係に。


「すげーな、あいつ。怖いもの知らずかよ」

「よく近付けるよな」


 コソコソと噂をする声が聞こえる。

 怖いもの、か。確かにそうなのだろう。だって一宮のお母さんは魔女だったから。正直俺も少し怖いと思っている。一宮本人がなにをしたわけでも無いが、根拠もなくみんなが恐怖心を抱いている。


「二人って接点あったの?気まぐれ?」

「いや、魔女と接点ある人間なんている?」


 授業内容なんてもう頭の中に入ってこなかった。


 接点もなにも。

 俺達は昔、五人で一つだった。その中には、一宮の存在もあった。




「びっくりしたよ〜。なんでいきなり?」

「別に。空いてる席に座っただけだ」

「いや、俺の横空いてたじゃん!」

「……」


 授業後、俺は二井に問い詰めた。聞きたいことはいっぱいあった。二井って本当に嘘下手なんだよな。すぐ黙るから分かりやすい。馬鹿真面目で馬鹿正直なこの男には何か意図があったのだろう。


「……三好は、誰にも手に負えないような訳アリな犬が捨てられていたらどうする?しかも、その犬に懐かれていたら」

「なに?いきなり」

「いいから」

「……うーん。俺は拾うかも。家、いっぱい動物飼ってるから、一匹増えても変わんないし」

「その犬が怪我してるかもしれないし、言う事聞かないかもしれないし、誰とも仲良くできないかもしれなくても?」

「それでも、見捨てらんないよ。俺にもう懐いてるんでしょ?尚更情が湧いて持って帰るしかなくなるよ」

「まあ、そういう事だ」

「ん??」

「あいつ、このまま卒業したら野垂れ死ぬ」

「……ん、あいつ……?」

「ちょっとでもいい所に就職できるように、俺がなんとかしてやらないと。多分早々に餓死する。流石に人が死ぬところは見たくない」

「……あっ!待って!?一宮のこと!?」

「そうだ」


 ああ、それで。なるほど。

 とはならないんだよ!


「あのね、……えっと、いつそんな関係になった?」

「昨日の放課後、一宮の家に進路調査表を渡しに行ったんだが、劣悪すぎる環境に胃が痛くなった」

「昨日の用ってそれか……」

「あいつ、食器の一枚すら魔法で洗えないんだ」

「ええ……そんな人いるの」

「ヤバイだろ。魔力が指一本分くらいしかない。多分魔力持ってる小一の方が強い。小学生集団にリンチに合ったら絶対死ぬぞ。だから、三好も気にかけてやってくれ」


 二井の発言に、俺は苦笑いを零す。


「いやあ、分かるけど……。大丈夫なの、だって魔女の血じゃん」

「皿一枚魔法で洗えないやつが何かできると思うか?」

「それはそうだけど……」

「あいつは、自分の食費削って猫を病院に連れて行くような人間だ」

「え……」

「動物を大切にするやつに悪い人はいないんだろう?」


 それは、俺が普段からよく言っていることだ。そんなことを言われてしまったら、返す言葉もない。


「……はあ、分かったよ。でも俺が教えられる勉強なんて一つもないからね!」

「猫の抱き方でも教えてやってくれ」

「あはは、なにそれ」




 と、笑い合っていたのが数日前。


「ボタン〜、そろそろ帰ろうよ。俺、宿題しないと……」

「んにゃあ」

「んにゃあじゃないの。可愛いけど!帰るよ!」

「ふみ"ゃ"ーーーーっ!」

「いたっ!いたたた!」


 俺の家の近くの公園で一宮が猫と格闘していた。


 わー、あれ、一宮だ。なんでこんな所にいるんだろう。タイムリーすぎる。どうしようかな。スルーしよう。

 と考えていたら、散歩させていた愛犬がその場所に向かって全速力で駆けて行った。


「わっ!待って、どうしたの!」

「ワンッ!」


 そのまま愛犬のハナが公園に走っていき、そしてあろうことか一宮の懐に突っ込んで行った。


「ワンッ!ワンッ!」

「ぎゃっ!?え、でっけー犬!?うわっ!」

「シャーッ!!」

「ごめんっ!大丈夫!?」

「んむっ、う、う、助けてっ!」


 ハナが嬉しそうに一宮の顔をぺろぺろと舐めている。一宮の飼い猫と思われる黒猫は、突如現れた大型犬を前に威嚇が止まらない。俺は慌ててハナを一宮から引き離した。


「こら、ハナ!離れてっ!」

「わふっ」

「は、はあ、……あ、あれ?三好?」

「あ〜……。久しぶり!」

「あ、うん……久しぶり……?」


 久しぶりて。まあ久しぶりなんだけど。最早俺達はそういう関係ではないのに。


「あっ……もしかして、ハナちゃん?」

「ワンッ!」

「そうそう。覚えてたの?」

「えーっ!大きくなったね、昔あんなに小さかったのに!」


 確かに、俺達が仲良くしていた頃のハナはまだまだ小さかった。一宮はよくハナをかまっていたし、ハナも一宮の事が好きだった。


「ハナも一宮のこと覚えてたんだろうね」

「そうなの?ハナちゃん、撫でてもいい?」

「うん。ハナも撫でてほしそうだし」


 一宮は目をキラキラと輝かせてハナをわしゃわしゃと撫で回した。ハナの尻尾がぶんぶんと揺れる。また顔をぺろぺろと舐められた一宮はくすくすと笑っていた。あー、めっちゃ可愛いじゃん。……ん?俺、今なんて?


「……。あー、一宮、飼い猫?逃げそうだよ」

「あっ!ボタン待って!」

「ん"みゃぁっ!」

「痛いって!もう!」


 その猫は一宮が手のひらを向けた途端、カプリと手を噛んだ。


「この子な、ボタンっていうんだ。一応ペット……?みたいなのなんだけど、全然懐いてくれなくて。今日も、勝手に家飛び出して……」

「猫の触り方最悪だもんね」

「最悪!?」

「鷲掴みみたいにしたら駄目だよ〜。嫌がっちゃうから。あと足の付け根とかもあんまり触り続けないほうがいいかも」

「そ、そうなの!」

「うん。ゆっくりね、触ってあげて」


 俺はボタンに近付いてゆっくりと背中を撫でた。大人しく触らせてくれたので、そのまま抱っこしてみる。


「お利口さんじゃん」

「すげーっ!えっ、魔法使い!?」

「まあ魔法使いなんだけどね」

「そっかあ、俺の触り方嫌だったんだ」


 一宮は抱っこされているボタンにそっと手を近づけて、ゆっくりと頭を撫でた。


「わあ……わあ、……は、初めて嫌がられずに撫でられた……」

「飼って何年?」

「三年」

「長い戦いだったね……」


 そのまま撫で続けていると、ボタンはウトウトとしてきて最後は完全に眠ってしまった。起こさないようにゆっくりと一宮に渡す。


「ありがとう、三好は凄いね。天才だ」

「いや、動物いっぱい飼ってるだけだから……」

「ああ、そうえば三好の家たくさんいたな」

「うん。……ハナ、帰るよ」


 ハナのリードを引っ張ると、まだ一宮と遊びたそうに足元にじゃれついた。


「こら、一宮困ってるでしょ。ボタンも起きちゃうよ」

「ううん、いいよ。俺、三好んちの動物と遊ぶの大好きだったし。ハナちゃん、バイバイ」


 そんなことを一宮が言うものだから、俺も無意識のうちにポロッと自然に返してしまった。


「今度俺んち遊びにおいでよ」


 と、そう言って数秒後に気付いてしまった。


 え? え……俺、何言ってんの?


 上手に訂正するような言葉を一瞬で考えられず、頭を回転させているうちに一宮は目を見開いて俺の顔を見ていた。


「いいのっ!?」


 その顔があまりにもキラキラとしていたせいで、何かを挟む前に、俺も無言でゆっくりと首を縦に振っていた。


 すると、大きく開いた一宮の目からボロボロと涙が溢れ出す。俺はぎょっとして一宮を見た。


「エ!?!?!?」

「うー……」


 猫を抱いている一宮は肩で不器用そうに涙を拭った。

 俺はそんな一宮をどう扱っていいか分からず、最後までただおずおずと背中を撫でることしかできなかった。


 後で気付いたけど、俺、全然普通に一宮と喋れてたじゃん。





3

「庭園のプランターが荒らされたらしいぞ」

「誰がやったんだ?」

「分からないけど、魔女の仕業じゃないかって」

「ああ……その時間授業受けてなかったしな」

「きっと魔術に使うんだよ、その抜き取られた植物」


 廊下で、他生徒とすれ違いざまにとある噂話を耳にした。

 正直、そんなわけないだろうと思った。あんな小さくて無力な人間にそんな事できる勇気もないだろうし、もしも本当に「魔女」の仕業ならそんな低俗なことしないだろう。自然災害を起こせるレベルの人が、わざわざプランターの花なんか私欲のために荒らさない。おおかた素行不良な生徒の仕業だろう。


 別に。別に、あいつを擁護しているわけではないけど、それくらい考えれば誰でも分かるし。

 



「もう一匹増やそうかなって」

「次は何飼うの」

「犬……かな。次は小型犬」

「また?犬二匹になるじゃん」

「犬なんて何匹いても可愛いでしょ」

「まあそうだけど。突然なんで」

「………………飼いたくなったから」

「ああ、そう」


 三好の動物園(自宅)にもう一匹動物が増えるらしい。それ自体は珍しくないけど、三好から希望しているのが珍しい。大体いつも三好の親かお姉ちゃんが相談無しで連れてくるイメージだけど。


 講堂に教師が入ってきて、魔獣学の授業が始まった。この世界には一般的な動物の他に、魔力を保有する動物がいる。それを総称して魔獣と呼ぶ。


「攻撃性のない魔獣はいますが、中には人間の匂いに反応して魔法をしかけてくる魔獣もいます。未熟な魔法では太刀打ちできないので、こちらから攻撃することはやめてください。出会ってしまったら、冷静に防御魔法を張り、静かにその場から逃げるように」


 昔、魔獣は闇市場で高値で取り引きされていたらしく、今では滅多にその姿を見ない。その中でも、攻撃性の低い魔獣は普通のペットとして売られていたりする。国に申請すれば誰でも飼育できるらしい。


「私の家でも魔獣を飼っていますが、とても可愛いんですよ。体長は私より大きいんですが、撫でてやると子どものように嬉しそうにするんです。魔獣は頭が良く、脳から電波を出して仲間の居所を探ったり、人間の動きを読んだりします。なので、頭を良く動かすので、凝ってしまうそうです。頭をほぐすように撫でてあげると魔獣は喜びますよ」

「え〜いいな。魔獣も可愛いな。四ツ谷はなんかペットとか飼ったりしないの?」

「……俺に飼育能力あると思う?」

「ネガティブだなあ」


 動物なんて今まで一度だって飼ったことなんかない。ましてや手のかかる魔獣なんて。自分の人生を生きるのすら面倒くさいのに、その気力を動物に向けるなんてきっと無理だろう。俺が先に死んでしまう。


「まーあれだね。どっちかっていうと四ツ谷が人に飼われそう」

「はあ?」

「四ツ谷もでっかい魔獣みたいなもんでしょ。気性は穏やかだけど、扱いにくいとこが」

「あー……」


 怒るべきか?多分馬鹿にされている。怒るべき所なんだろうけど、想像してみてまあそれも悪くないなと思ってしまった。


「俺のこと世話してくれるんなら、それでもいい」

「だって!女子のみなさん!」


 周りの席に座っていた女子の肩がぴくっと揺れた。教壇の前に立つ教師がうるさいぞ、と注意する声が聞こえる。


「三好、うるさい、ほんとやめて……」

「乗り気だったくせに」

「乗り気じゃないし」




 さっきの魔獣学の授業が今日の最終の授業だったが、筆記用具を講堂に忘れていたことに気付いて三好と別れて引き返した。

 講堂の扉を開けると、窓際にひとりぽつんと座って鉛筆を動かす人の姿が。


 あー、嫌だな。なんか。後ろ姿だけでその人物が誰か分かってしまう自分も嫌だ。別に気にしていたわけじゃないけど、なんとなく分かってしまう。


 バレないように、そっと歩いて自分が座っていた席に近付く。その人__一宮が座っている席より後ろなのがまだ良かった。良かったけど、俺のこの無駄にデカイ体は余白を測れず机にぶつかってしまう。ガタンと音が鳴った方向に一宮は振り向く。やべ、と思い、咄嗟に筆箱を掴んで引き返そうとした。


「あっ__あのっ!」

「ウッ」

「えっと、えっと、あの、おっ……じゅっ……と、と、取ってた?」

「……はい?」

「授業……魔法薬学の、授業」


 まさか話しかけられるとは思わず、俺の肩は大げさに反応した。一宮も一宮で、多分、話しかけたのはいいけど俺のことが怖いのだろう。ずっとびくびくしている。俺達は近くもないけど声が聞こえなくもないない微妙な距離感で会話する。


「き、……今日の?」

「うん。プリントの提出あったの?」

「ああ……。授業終わりに……一応」

「やっぱり……」


 一宮ははあ、とため息をつき、暫くそのプリントとにらめっこしてからまた俺の方を見た。


「ごめんなさい、教えてほしいです」

「え……」

「分からないところいっぱいあって、提出できない、です」


 俺は目を丸くしながら一宮を見て、暫くなんて言おうか考えた。快く引き受ける気はなかったけど、かといって堂々と断る勇気も持ち合わせていなかった。


「あ……はい」


 そう言ったはいいものの、どうすればいいんだよ、と自分に焦りながらぎこちなく一宮の元まで近付いた。そのプリントを覗くと、確かに今日の一限に授業内で提出したものだった。


「……サボり?」

「ちがっ……たまたま、今日魔法薬学の授業あるの忘れてただけで……。ロッカーに、このプリントだけ入ってたから、わ、分かんなくて、内容」

「無視すれば?」

「できないよ……。これ以上成績下げたくない……ですし」

「ああ、そう……」

「……」


 普通に教えればいいのに、妙な緊張感と俺と一宮の微妙な関係性のせいで屈折した受け答えしかできない。一宮も俺との喋り方分かってないし。ああ、変な空気になってしまったなと思っていたら、一宮が床に置いていた鞄を抱えた。


「あの、ごめん、やっぱいいです。ごめんなさい、……迷惑、かけました」

「え」

「呼び止めてごめんなさい」


 一宮は俺と顔を合わせることもなくそそくさと片付けて席を立った。きっと俺が乗り気では無いことに気づいたのだろう。こうなったらなったで俺も罪悪感が湧いてしまい、離れようとする一宮の腕を掴んだ。


「ま、待って……ごめん、えっと……大問の問一は、教科書に載ってるのそのまま書けばいい、よ」

「!」

「教科書持ってる?」

「……持ってない」

「……俺の見て」


 移動魔法で自分の教科書をその場に持ってきて、机の上に置いた。すると一宮もゆっくりとまた座り直した。


「ロッカーに置いてないの?教科書」

「前の大雨の時、鞄を傘代わりにしてたら一番上にあった魔法薬学の教科書ボロボロになっちゃって……新しいの買うお金なくて」


 こいつはどうやって授業受けてるんだ?大丈夫か。返す言葉もなかった。


「これはいつもの配合にリョウブの粉を入れると効果が遅れて表れるってやつだから……分かる?この空欄は」

「…………ゴマ油?」

「なんでちょっと美味しそうにするの」

「ま、魔法薬美味しくないから、分からない時はいっつもゴマ油って書いてる」

「魔法薬学って料理じゃないんだよ」


 バカなのかこいつは。そういえば昔から勉強は苦手って言ってたな。教科書もない、知識もこのレベル、おまけにまともに勉強を教えてくれる人もいない。誰かが命知らずにも一宮のことを劣等生と言っていたが、これは無理もない。


「覚え直したほうがいい。基本だから。全部このページにのってる」

「このプリントのは、これ?」

「うん」

「ここは?エビヅル?」

「エビヅルだけ書いても満点はもらえないかも……エビヅルの実と根っこで効果違うから」

「へえ、そうなんだ」


 既に習っているはずのことを、初めて学習したみたいな驚き方をして聞いている。本当に大丈夫なのだろうか。流石に心配になってくる。


「その……授業ついてけんの、それで」

「ついてけてない」

「でしょうね」

「でも最近は二井が教えてくれるから」

「……は……二井?……、え、マジで二井?二井虎太郎?」

「うん」


 耳を疑った。でもあいつもこいつも人を騙すような高度な技術は持ち合わせていない。だから本当なんだろう。


「な……んで?」

「俺が聞きたいよ」

「無理やり?」

「無理やりっていうか……いつのまにか横に二井がいた」


 二井の中で何か合理的な理由でも見つけたのだろうか。たしかに最近二井の横で授業を受ける回数が減った気がする。一宮と一緒に授業を受けていたのか。


「迷惑なら迷惑って言ったほうがいい」

「迷惑なんて、そんな」


 一宮は目元を赤く染めて小さく笑った。


「二井、優しいんだ」


 二井が優しい?あの二井が?


 みんなでテスト勉強中に、仮眠するから21時に起こしてって頼んでもちゃんと朝まで寝かせるあいつが?分からないところ教えてもらう時も「なんでこれくらい分からないんだ、授業聞いていれば分かるだろ」っつって見下すあいつが?集合時間に遅れたら容赦なく無言で置いてく、あの二井が?ありえない。


「……………………俺のが全然優しいと思う」

「あ……え……?」

「俺はせめて連絡入れてから先に行く」

「うん……?」

「ここ、間違ってる」

「あ、ありがとう」


 多分一宮はあの二井にすら騙されている。可哀想にな。まあ俺には関係ないけど。


 一宮はその後も空欄を埋めていって、一時間くらいかけてやっとプリントを最後まで書き終えた。無知すぎる人間に教えるのも一苦労だ。俺も俺で疲労感を抱えながら帰る準備をした。


「あの、あの、ありがとう。助かった、本当にありがとう」

「あ、いや……」

「ごめん、いっぱい時間とっちゃった。なんかお礼させて」


 帰ろうとしたらそんなことを言われ、俺は首を横に振った。


「いいよ、そんな……」


 俺が一宮から貰うような礼なんてない。俺は一宮になにもできないし、一宮も俺になにもできない。一宮は無力だけど、俺だって無力なことに変わりはない。

 一宮に断りを入れて、席から立とうとした。すると一宮の腕が俺の方に伸び、俺の顔に影を落とした。反射的に目を瞑ると、頭部に温かさを感じた。


「__え」


 わしゃわしゃ、と小さく音が聞こえる。頭皮が慣れない他人の肌の温度に反応し、ぴくりと肩を震わす。

 俺は目を見開いて一宮を見た。


「背の高い人って頭撫でられると嬉しいって聞いたことある。四ツ谷、背高いから」

「………………あ、……え」

「嬉しい?」


 まるで子どもが親に素朴な疑問を投げかけるみたいに、純粋な眼差しで俺を見ている。心臓が経験したことのない暴れ方をする。


「わ………………かんない……です……」

「微妙かぁ。じゃあまたお礼考えとく!」


 一宮は最後にぺこりと深くお辞儀をして講堂を出て行った。


 取り残された俺は、乱れた髪の毛に自分の手を置いたきり、暫くその場から動けないでいた。





4

「魔女、実際何してたんだろう」

「……何?突然」

「いや、別に」


 食堂でご飯を食べていたら、隣にいた四ツ谷が珍しく話題を振ってきた。しかも、話題も話題だ。こういう、なんというか、割とセンシティブな話を出してくるなんて。


「厄災をもたらすみたいに言われてるけど、誰が直接見たわけでもないんだよな」

「本当にどうしたん?」

「いや、別に」


 それしか言わねえ。別になことあるか。あまりこの話は人前で言えないので、こそこそと人目を憚って口にした。


「それはそうらしいけど。まあ、諸説あるし」

「魔女って、悪いやつなの?」

「悪いやつ……なんかな。本当に厄災を引き起こしてるんなら悪いやつだけど。それも噂だしな。昔は白魔女もいたらしいし」

「白魔女?」

「村人の病気治したり、占ったりする魔女」

「いい人だ」

「いい人だな」


 四ツ谷は大きい口を開けてオムライスを飲み込んだ。大食漢なので見ていて気持ちがいい。


「ま、ほとんどが処刑されたか国外逃亡したから……今となっては本当のこと知ってる人も少ないけど。……いや、それにしても急だな」

「……急に気になってもいいでしょ」


 絶対なんかあるな、とは思ったけど100%教えてくれないだろうから、これ以上は突っ込まなかった。


「五藤はハロウィンなんかすんの」

「うち?……あー、妹が毎年トリート強盗になるから、お菓子買い込んでそれに備えるかな……」

「トリート強盗」

「お菓子あげないとマジで殴ってくるからな。四ツ谷は?」

「うちは本家に親戚が集まるからそこに行くらしい……けど、俺は集まりとか絶対嫌だからサボる」

「ああ、家によって風習だいぶ違うしな」

「俺んちは先祖の魂が本家に集まるって言われてるから……それがほんとだったら魂ヤバイ数になるけど」


 この世界ではクリスマスもお盆もハロウィンも各家庭で過ごし方が大きく違う。四ツ谷家は死者の魂が家に帰るという風習らしい。


「それ、行かなくて大丈夫なの」

「俺一人くらいいなくてもいいでしょ。仲良くもない集団の中に一日中いなきゃいけないなんて吐きそう。俺の健康の方が大事」

「それでこそ四ツ谷って感じではある」


 結局俺も四ツ谷も普段の日と変わらないハロウィンになりそうだ。




 二井に用事があると言った四ツ谷と別れ、一人で中庭を歩いていた。そろそろ肌寒くなってきた。いつもこの時期は、なんとなく昔のことを思い出す。


(昔はハロウィンって何してたっけ……)


 地面に落ちていたお菓子の破れた袋を拾い、意識を過去に飛ばした。


 俺には幼馴染が四人いた。これを過去形にしていいのかは分からない。幼い頃のハロウィンは、俺を含めた五人で仮装したり、お菓子交換したり、結局ハロウィンの意味も分からずゲームしたり。

 それが楽しかった、そう思う。その輪から一人抜けてからは、なんだか足が浮いているような、不確かで実感のない日々が続いている。もうハロウィンなんて暫く楽しいと思ったことはない。


「おい、ふざけんなよ!!お前がスイセン入れるといいっつったんだろうが!」

「馬鹿でしょ!普通毒って分かるじゃん!脳みそ足りてないの?」


 意識を目の前に向けると、同学年の生徒同士が揉めていた。俺はそういうのに敏いのですぐに分かった。多分庭園のプランターが荒れてたのはこの人達のせいだな。

 スイセンは魔法薬に入れてもその毒性は消えない。魔法陣の作成や詠唱用に使用するのはいいけど、魔法薬に入れるのは絶対駄目だと授業で習ったことがある。きっとそれを知らずに騙されたのだろう。


 すると、騙された方の生徒が片手を振りかざした。その手には杖が握られている。大きな魔法を使用するときは、杖が必要だ。あ、まずい、と思った時には遅く、杖から出た攻撃魔法はもう一人の生徒の方に放たれた。


「あぶなっ!!」


 その生徒は咄嗟に防御魔法を張ってその魔法を跳ね返した。……のは良かったものの、軌道がずれ、あろうことか無関係な俺の方向に飛んできた。情けない話だが、俺は瞬時に動くことができずにその場で固まった。チリ、と音がして、一瞬にして魔法は俺の横スレスレを通り過ぎた。時差で頬が熱くなったのを感じた。若干、生温い液体が頬を伝うのが分かる。


 マジで危なかった!セーフ、と思った直後、俺の後ろで呻き声が聞こえた。


「うあ"っ……」


 後ろを振り向くと、小さな男が右腕をもう片方の手で抑えていた。白いワイシャツがじんわりと赤く染まるのが見える。俺は顔を青くしてその生徒に近寄った。

 

「大丈夫か!?」

「だ、だいじょうぶ」

「!」


 痛みに顔を歪めているその生徒は一宮だった。一宮守、俺の幼馴染だった男。

 まずは応急処置を、と思ってガーゼを移動魔法で持ってこようとしたら、一宮は腕を押さえつけながら揉めていた生徒の元まで歩いて行った。


 その生徒二人は魔女にとんでもないことをした、と怯えきっている。一宮は二人を前にし、あの、と声をかけた。


「えっと、全然大丈夫です!」


 いや、どこが!?

 全然大丈夫じゃない血の量だけど!?


「だ、大丈夫だから、あの、」

「ヒッ!!」

「ごめんなさいっ!」


 一宮が何かを言いかけたが、その生徒達は恐怖に耐えかねて脚を震わせながら無様に逃げて行った。後で教師に報告しておこう。


 一宮は逃げられたことに対して悲しんでいるのか、しゅんと項垂れている。俺は慌てて一宮に駆け寄った。


「や、ヤバイって。早く手当しないと……保健室行こう」

「いや、大丈夫」

「馬鹿か!ほっといても治るもんじゃねえぞ」

「本当に大丈夫、だから」


 頑なに首を横に振り続ける一宮を見ていると、押さえつけていた左手を患部から少し離してすうっと息を吸った。そして、なにか小さく呪文のようなものを唱える声が聞こえた。するとみるみるうちにその空間が光りだし、時間が巻き戻るみたいに傷口が塞がっていった。俺は何も言えず、息をするのさえ忘れてその光景を見ていた。

 傷口が完全に塞がった時、その光も消えていった。一宮は肩をぐるりと回して問題がないか確認した。


「全然大丈夫」


 ああでも制服破けちゃった、どうしようと別のことで悩んでいる一宮を見て、俺は恐る恐る口を開いた。


「え……今のって……」

「あ、えっと、治癒魔法」

「……あんな高度な治癒魔法、学校じゃ習わないのに……」

「そうだっけ?俺も長時間とか病気治すとかは無理だよ」

「……」


 こいつ、何者なんだ?

 確かに、こいつの母親は魔女で、一宮は紛れもなくその血を受け継いでいる人だ。でもまさか、劣等生と言われている一宮にこんなことができるなんて。

 魔女は実際何をしていたのかは誰も知らない。諸説があり、その中には白魔女も存在していたという噂もある。一宮がさっきやっていたのは、つまり__


「あの、五藤」

「! あ、え、なに?」

「痛くないの?それ」


 一宮が指差したのは俺の頬だった。そういえば、俺も怪我したんだった。一宮の先程の怪我に比べれば、これくらい大したことない。


「……ああ、全然平気」

「そっか」


 よかった、と言って笑う一宮を、俺はどうしようもない感情を必死に抑え込みながら見ていた。すると、さっきまで傷口を治していた一宮の左手が俺の頬の傷口に触れる。


「__え」

「一日に二回もやんの、初めてかも」


 一宮はまた呪文を唱えて俺の頬にできた傷口を塞いだ。傷口から温かさが流れ込むたび、心臓がドクドクと音を立てる。一宮の手が離れたので傷口だった部分に触れてみると、跡形もなく傷は消え去っていた。


 お礼もできずに一宮を見つめていると、一宮も俺の顔を見つめ返してにっと笑った。


「五藤、かっこいいのに、怪我あったら勿体ないから」

「………………………はい」


 一宮は俺が手放してしまったお菓子の袋を地面から拾い上げ、じゃあ、と言って去って行った。


 __なにも、なに一つも、敵わなかった。


 ただその場に佇んで、空白の数年間を悔やむしかなかった。





5

「親指は思いやり、人差し指はひたむき、中指は和やか、薬指はくよくよしない、小指は心」

「おもいやり、ひたむき、なごやか、くよくよしない、こころ」

「うん。指折確認してくの。魔法を使う時に大事なこと。守もいつか分かるときが来るよ」


 幼い頃から魔力が弱かった。親から魔法を教わったことなんてほとんどなかった。それでも、このおまじないだけは今でもずっと覚えている。


(あー……だめだ、ぐるぐるする……)


 隙間の空いた窓から風が吹き込む。寒さは嫌いだ。朝起きたくないし、すぐ風邪ひくし、寒いとなんだか寂しくなるし。

 首元に手を当てる。最早これが高熱なのかどうかも分からなくなってきた。金曜から今日の日曜まで風邪で寝込んでしまっていた。金曜の授業はまるまる休んだし、この調子だときっと明日も満足に学校は行けないだろう。


 ボロボロの天井を見上げて朧気に考えていた。

 ああ、また授業ついていけなくなるな。ただでさえ筆記も実技も駄目なのに。どうしようかな、このまま卒業して、どこからも仕事もらえなくて、お腹空かせて死んじゃったら、やだな。


 先のことを考えるとどうしても不安になる。瞳からじわっと溢れたなにかを堪えていると、ベッドの下からにゃあと鳴く声が聞こえた。


「あ……ごはんまだだったね。ちょっと待ってて……」

「んにゃ」


 体の節々が悲鳴を上げる。満足に歩くこともできない。よたよたとボタンにあげるエサを準備した。エサを床に置くと、ボタンは勢い良くそれを食べ始めた。


「俺もなにか食べたほうがいいよな……どうしようかな、なにもない……」


 その場にしゃがみこんでボタンを眺めていた。食べているところを見ただけで、自分もお腹いっぱいになればいいのにな。お金があれば、もっと元気だったら。本当は、今日はハロウィンだし街に出てボタンとお祭りみたいなあの空気を楽しみたかった。仮装すれば俺も魔女だって分からないだろうし、ボタンもずっと外に出たくてウズウズしてたし。昔はハロウィンも楽しかったのにな。

 寒くなってきたのでベッドに戻ろうとすると、食事途中のボタンが一鳴きし、俺の足元に駆け寄ってじっと見上げた。心配してくれているのだろうか。ゆっくりとボタンに手を伸ばし背中を撫でると、珍しいことに大人しく触らせてくれた。それが嬉しくて、また目の前が潤んでしまった。


 すると視界が回り、体が重力に負けて床に傾いていく。


(あ、やば……)


 冷たい床に体が打ち付けられた。ぴくりとも体が動かせなかった。ボタンが鳴きながら俺の周りをぐるぐると周る。

 そのまま意識が遠のいていき、視界が真っ暗になった。






「まもる、守。久しぶりね」


 __え


「何年ぶりかな……八年ぶり?」


 ……………お母さん?


「そう!あなたのお母さん。守、大きくなったね」


 ああなんだ。やっぱりお母さんか!

 お母さんはずっと変わんないね。あの頃からずっと。


「若いって?ありがとう」


 そうは言ってないんだよな。うん、でも若いよ。


「一緒に歳をとれたらよかったのにね。ごめんね」


 ほんとだね、一緒に……。


「寂しい?」


 寂しいのかな。昔は寂しかったよ。でも今はボタンがいるし、寂しくないよ。


「あら、ボタンだけ?あなたの周りにはたくさんいるよ」


 そうなの?


「うん。大丈夫よ、守はこれから幸せなことがたくさん待ってるから」


 マジで!?やったあ!お母さんありがとう!


「ふふふ……。思いやり、ひたむきに、和やかに、くよくよせず、心を持って。忘れないでね」


 うん。忘れないよ、忘れたことないもん。


「じゃあまたね、守」


 うん、またね。






「またね……」


 自分の寝言で目が覚めると、床に倒れたはずの体はベッドの上に寝ていた。あの後の記憶が思い出せなくて体を起こして周りを見渡すと、そこには俺以外の人間が四人いた。最近関わった、あの四人。


「っ!?!?!?!?」


「あっ、一宮!起きた!?」

「無事か!?」

「しんどい?」

「熱は?食欲は?」

「えっえっ……エッ!?!?」


 駄目だ。幻覚かもしれない。友達がいなさすぎるあまり、俺が見た幻覚……風邪の時に見る夢の上位互換だきっと……。


「ほ、本物ですか……?」

「何が……?」

「君たち……」

「え?俺達って偽物だったの?」

「じゃあ本物どれだよ」

「培養?」

「なんだよそのクローン、殺すか」

「さ、殺意高……」


 俺の想像上の幼馴染がこんなに不穏な訳ない。よってこの人達は本物であり現実だ。

 本物と分かったところで頭がついていかず、口をぱくぱくと動かしながらみんなを見ていた。


「はい、これ三好くんお手製の七草粥だよ〜!」

「え……」

「とにかく食え。寒さと食事量の少なさで免疫力が落ちてるんだきっと」

「風邪薬ももらってきた。ご飯食べたら飲んで」

「え、え……」

「一宮が取ってる授業のノートも持ってきたけど……今は食べて寝るの優先な」


 まともに動かない脳を必死に動かしてみたが、やっぱりその理由が分からない。この四人がここにいるのは現実だと分かっても、未だに信じられなかった。


「なんで、みんなここにいんの……」


 俺が小さく口を開くと、二井がボタンの方に目を向けた。


「……猫、ボタンが俺の家まで来た」

「えっ!?」

「それで連れ戻してやろうと思って、……道中、他の三人もいたから連れてきた」

「そんなことある!?」

「飼い猫が家出してんの見捨てらんないでしょ!」

「別に、暇だったし」

「まあ、暇だったんだよな」

「んにゃあ」


 ボタンはベッドの上に飛び乗り、俺の体の上で丸まった。


「ボタン、二井の家なんで分かったの?みんなのこと呼んでくれたの?」

「みゃう」

「……ありがとう」


 ボタンをそっと撫でると、目を細めて喉を鳴らした。三好がそれを見てにっこりと笑う。


「ほら、ご飯食べて!お腹空いてるでしょ」

「う、うん」


 三好が作ってくれ七草粥を一口食べる。美味しくて、温かくて目の奥がつんとした。人が作ったあったかいご飯なんて、いつぶりに食べたのだろう。なんで、こんなに優しくしてくれるんだろう。


「なんで、なんで……。こんなこと、してくれるの。俺、魔女の子どもだよ」


 カタン、と匙が器に当たり音が響く。手の震えが止まらない。今自分がどういう感情でここにいるのかさえ分からなかった。

 四人は目配せをして、そしてそれぞれに笑って俺を見つめながら、声を揃えた。


「だって、幼馴染だから」


 心臓が止まったような気がした。俺は手にしている器の中に水滴が入っていくのも止められず、気付けばボロボロと涙を流していた。


「……今までごめん。これからはちゃんと支える。俺達が」


 泣きながら、ぼんやりと遠くに聞いた声を思い出す。幸せなことが待ってるって言ってけど、もう目の前にあった。寒さなんてもう感じることもなかった。


「う、う……。ありがとう、みんな大好き」


「オゥっ」

「ヴァッ!」

「ワァ」

「グッ」


「ん?」


 四人が口々に鳴き出したので、泣くのをピタッとやめ、眉間にシワを寄せながらみんなを見た。鳴いたよな?今、確実に。


「ど、どうした?風邪移った?」

「風邪ではないものにやられたかも……」

「えっ……お、お大事に……?」


 その後、ご飯を食べて薬を飲んだ俺はまた眠くなってうとうとしてしまった。これが夢だったら嫌だな、寝てもう一回起きてみんないなくなってたら嫌だな、と思い眠気と抗っていたら、それに気付いた二井が俺の頭に手を置き、優しく微笑んだ。


「起きるまでここにいるから」


 安心して、重たくなる瞼をゆっくりと下ろしていった。最後に聞こえた声は、誰のものか分からない。でも、俺が今日聞きたい言葉だった。


「一宮、ハッピーハロウィン」


 お母さんありがとう、またね。


「ハッピーハロウィン!」









おまけの6


「なに選んでもいい、なんでもいい!?」

「うん、なんでもいいよ」

「えっえっ!どうしよう、どうしようかな!えへへ、何食べよう!うーん、迷うな、どっちにしようかな」

「何と迷ってるの?」

「これと、これ……どっちが美味しい?」

「じゃあ二つ頼んではんぶんこしようか」

「は、はんぶんこっ!する……!」


 目をキラキラと輝かせて一宮くんは俺を見た。もう高校二年生になったが、彼のこういうところはいつまでたっても可愛くてしょうがない。

 俺は店員を呼び止めてメニューを頼んだ。本当はなんでも買ってあげたい。普段の生活のせいで少食だから仕方ないけれど、一宮くんの興味をひくものはなんだって食べさせてあげたい。


「俺、今日凄く楽しみにしてた。昨日眠れなかったもん」

「ははは」

「十倉さんは?」

「ん?」

「十倉さんは、楽しみにしてた?」


 ええ、ええ、それは勿論。


「俺も、超楽しみにしてた」

「超!」

「超だね」

「えへへ!」


 そう言って嬉しそうに俺の顔を見る一宮くん。ねえ可愛いでしょ俺の子、と周りに言って練り歩きたくなる。


「一宮くん、大きくなったね」

「そう?周りの人と比べると全然小さいよ」

「比べちゃうとね。初めて出会った頃って本当に小さかったから」

「俺、自分では分かんないけど、ちゃんと身長伸びてる?」

「うん。もっといっぱい食べて大きくなろうね」

「うん!」


 店員が料理を運んでくれ、机の上にハンバーグとパスタが置かれた。俺は二つを半分だけ別皿によそい、片方を一宮くんの前に置いた。一宮くんはお行儀良くいただきます、と言って食べ始めた。ハンバーグを口に入れた瞬間、目元が垂れ下がって幸せそうな表情になる。俺が初めてご飯を食べさせた時もこの顔をしていた。


 俺は孤児を保護する施設で働いている。元々一宮くんもその孤児院に入る予定だったけれど、一宮くんがそれを強く拒んだ。本人の意思を尊重して独り暮らしを続けさせているけど、流石に施設側も見放せないので俺がこの子の担当になって、定期的にお世話をしたり様子を見に行っていた。

 最初の頃は何も喋らず、首を動かすこともせず、ただ下を向いて縮こまっていた。無理もない。あの頃の一宮くんは周りの人間に対してかなり警戒心を見せていた。それが俺に表情を見せるようになったのは、俺が一宮くんに手料理を振る舞ってからだった。おいしい、と言って泣きながらご飯を食べるこの子を、俺はずっと大事にしたいと思った。俺にとっては魔女の子どもだとか魔女の血なんていう不確かなものよりも、目の前で幸せそうに頬張るこの子の方がずっと大事。


「進路希望の紙、なんか保護者のサインがいるって言われて再提出しなくちゃいけないみたい。十倉さんサインしてくれる?」

「うん。進路どうするの?」

「まだ分かんないから就職って書いただけなんだけど、俺、多分今のままだったらどこも雇ってくれない」

「そうかな」

「俺成績悪いし、魔法もほとんど使えないし」

「魔法を使わなくてもいいお仕事もいっぱいあるよ。大丈夫。でも内申点は上げておかないとね」

「勉強頑張らないと」

「そうだね。時間ある時俺が教えてあげるよ」


 一宮くんはまたニコニコと笑ってありがとう、と言った。


「でもね、大丈夫。俺友達に教えてもらってるの、勉強」

「__え」

「十倉さん、俺、友達いっぱいできた!」


 思わず手にしていたナイフを皿の上に落としてしまった。雷に打たれたかのような衝撃。


 だって、だって。

 今までずっと友達ができないって俺に泣きついてきてたのに。十倉さんしか喋ってくれる人いない、ってずっと悩んでたのに。


「へ……へえ。そうなんだ、よかったね。どんな子達かな?」

「俺の幼馴染だよ。四人いるんだけど、また昔みたいに話せるようになった」

「……幼馴染」

「うん。みんな優しくてかっこいいんだ」


 優しくてかっこいい?いや、俺じゃんそれ。一宮くんにとって、俺以上に優しくてかっこいいやついる?


「そうなんだ。それは今度会ってみたいなあ」

「うん!みんなで遊ぼ!」


 遊びという名の査定を行わなければいけない。幼馴染と言っていたな。そもそも昔仲良くしていたのに今の今までこの子と距離を置いていたようなやつだ。俺が厳しく見てやらないと。一宮くんの人間関係が広がるのは嬉しい、はずなんだけど、どこかに寂しさがある。一宮くんに関わる人、本当に俺だけだったから。


 俺がぼんやりとしていると、一宮くんはそれに気付き、椅子から立って腕を伸ばし、俺の頭に手を置いて優しく撫でた。


「え?」

「前十倉さんが背の高い人は撫でられると嬉しいって言ってたから」

「い、言ったね……」

「嬉しい?」

「……めちゃくちゃ」

「よかった!人によってだね」


 一宮くんは手を引っ込めた。最後の発言が気にならないでもないが、この優しさとか可愛さにどうにかなってしまいそうだった。

 俺は今はただの保護者で孤児である一宮くんの担当者。でも高校を卒業してこの子が成人になったら、俺達はどうなるのだろう。どういう関係になるのだろう。どういう肩書になれば、この子とずっと一緒にいられるのだろうか。


「一宮くんは、卒業したらこの街を出たい?」


 丸くて優しい瞳がこちらを見る。俺に一宮くんの進路の決定権なんてない。否定も止めることもできないけど、遠くに行ってしまったら悲しいな。


「ううん、あそこが俺の家だから」


 あの、小さくて古い家。一宮くんとお母さんが十年にも満たない時間を過ごした家。幼い頃の一宮くんは決してあの家を手放そうとはしなかった。一宮くんの発言を聞いて、少しほっとした自分もいる。


「……そう。一宮くんが高校を卒業しても、俺遊びに行ってもいい?」

「うん!いっぱい来て!俺んちに住んでもいいよ」

「えっ!?」

「え?」

「本気で言ってる?」

「う、うん。でもベッド一つしか置けないから、二人で寝ないといけない」

「え、ありがとうございます」

「ありがとうございます?」

「勝手に圧倒的優勝してた」

「うん……?」


 一宮くんを見る。そんな、なんて純粋な目を。はあ、これ絶対他の人にも言ってるだろ。なんかそんな感じがする。多分一人で暮らすのが寂しいんだろうな。もっと様子を見に行ってあげないと。一宮くんの迂闊さが心配だ。


「一宮くん、ソースついてるよ」

「ん、む?」

「ううん、こっち」


 口の端についたソースを指で拭ってあげた。可愛いな、ずっとお世話してあげたい。本気で一緒に暮らそうかな。もし就職できなかったら、俺が養ってあげるのもいい。仕事から帰って疲れてたら一宮くんが俺の頭を撫でてくれる。いいかもしれない。かなり、めちゃくちゃ、ウルトラ、いいなそれ。


「ありがとう。おいしいね、十倉さんも食べて」

「うん」

「デザートも頼んでいいの?」

「うん、いいよ」

「やったあ!」


 口に出してなくても、俺のことが大好きなんだろうなという雰囲気が伝わってくる。刷り込みみたいに俺の愛情を覚えさせて、優しさに触れさせて、誰よりも大きい信頼を勝ち取った。ズルいかもしれないけど、俺はズルい大人だから。


「これからいっぱい楽しみだね」

「なにが?」

「いろいろ、いっぱい」


 俺はこれからもこの子を守り続けるし、囲い続ける。友達がなんだ、幼馴染がなんだ。一宮くんと一番一緒にいるのは、この俺だから。









おまけの7


『環くんごめん!今日ちょっといけなくなった〜、マジでごめん』


「えー、俺ってドタキャンされることあるんだ」


 びっくりしすぎて思わず口から出た。ひとりごちた。俺は律儀な男なので集合時間の15分前にはちゃんと集合場所に到着したというのに。

 それはさておき、目の前をさっきから右に行ったり左に行ったり立ち止まったりしているフードを被った小さい男が気になって仕方ない。だからドタキャンされた悲しみとか怒りより、そっちに興味がいってしまった。


 両手に紙地図を持ち、首を傾げながらフラフラと歩くこの男が気になり、思わず声をかけた。


「どうしたの?迷子?」

「う、えっ」

「どこに行きたいの?」

「お……」


 その男は目をぱちくりと見開き、フードを深々と被り直して小さく呟いた。


「お、お花やさん」

「ブロンってとこ?」

「あ、そうです」


 大通りにはないけど、ここからかなり近い。迷うことがあるのだろうか。


「スマホとかで場所でなかった?」

「俺、携帯電話持ってないです」

「だから紙地図」


 なるほど。一人でおつかいをしに街まで来たのだろうか。そんな子を放っておくことなんてできない。


「俺、案内してあげるよ」

「え、いいんですか?」

「うん。すぐそこだし……あっ、別に怪しい人じゃないからね!ほら、何も持ってないし!」

「はい、大丈夫です」


 その子は本当に気にしてなさそうに笑った。1mmも警戒されていない。嬉しいけど、この子のことが少し不安になる。

 横に立ち、花屋まで案内をする。俺のことを警戒してはいないけど、フードは深く被り顔はよく見えないままだった。


「ここらへんの子?」

「ううん、もっと山の方……。山の方っていうか、山の中で住んでます」

「凄いね、じゃああんまりこっちは来ないんだ」

「はい。だからよく分からなくて……助かりました」

「わざわざ街に来てお花買うんだ。プレゼント?お祝いかな?」

「お墓参りです」

「お墓参り……」


 なんてことないように言った。こんな小さな子が、お墓参り。


「一人で行くの?家族は?」

「……家族、いないです。お母さんのお墓参りに」


 俺は動きを止め、自分の軽率さを悔やんだ。


「……ごめん、無神経だったね」

「いえ、気にしてないんで大丈夫です」

「お母さん、亡くなったんだ。辛かったね」

「はい……。でももう何年も前だから、そんな顔しないでください!」


 その子は俺の方を見てニコっと笑った。強くて優しい子なんだな、と思った。


 花屋に到着したが、一人でこの子が帰れる訳ないと思い、買い物が終わるまで付き添ってあげた。生前お母さんが好きだったであろうお花を一生懸命選んでいて、最終的に白いコスモスを手にしていた。


「それにするの?」

「うん、……あ、はい」

「いいよ、敬語じゃなくても」


 なんだか構いたくなる。この子の歳は分からないが、もう既に弟のように感じていた。


 花屋から出てまた俺達が出会った場所に戻る。その子は手にしたコスモスの花をじっと眺めていた。顔は見えない。見えないけど、何かを思い出しているようだった。


「……お母さん、病気で亡くなったの?」

「……ううん、病気じゃない。……病気じゃないんだけど……」

「ごめんね。言いたくなかったら言わなくていいよ」

「あ、あの、言いたくないんじゃなくて、言ってもいいけど、……本当に言ってもいい?」

「え?」

「聞いて、俺のこと怖くならない?」


 言っている意味があまりよく分からなかったけど、意味が分からないがゆえ首を縦に振っていた。その子はおずおずと口を開いた。


「俺のお母さん、魔女だったんだ」

「えっ」


 びっくりした。普通にびっくりしてしまった。


「てことは、君も魔女の血族?」

「う、うん。嫌だよね、ごめん」

「なんで、嫌じゃないよ!俺、魔女の血族初めて見た!」


 俺は嬉しさを抑えきれず、広角を上げながらその子を眺めた。

 反対にその子は俺の反応が斬新だったのか、次は彼の方がびっくりとした顔で俺を見上げた。反動でフードの下からちらりと顔が見える。幼くて普通の男の子で、とても魔女という感じはしなかった。


「俺のこと、怖くないの?」

「うん、怖くないよ!だって俺、悪魔の血族だし」

「あ、悪魔!?悪魔って本当にいたんだ……」

「うん。お互いレアだね〜」


 その子も俺の正体を知って安心したのか、強ばっていた体の力を抜いて微かに笑った。


 魔女と悪魔は昔深い関係にあった。切ってもきれない関係なのだ。


「なんか嬉しいな。よかったら連絡先交換しない?……って、そっか、スマホ持ってなかったね」

「あ、ごめん……。あの、俺んちあの森の中にあるから、そこに来てもらえば……」


 その子が指を差したのはこの街で一番大きい山だった。あれ、人が立ち入っていい山だったんだ。魔女も大変な所で生活してるんだな。


「でも山広いから流石に分からないか。えっとね、頂上に続く一本道があるんだけど……」

「あ、大丈夫だよ。匂い辿ればいいから」

「匂いで分かるの?」

「うん、悪魔は鼻が効くから」


 悪魔の全部がそうなのか分からないが、俺の家系は代々鼻がよかった。


「匂い覚えてもいい?」

「覚える?」

「うん。ちゃんと嗅がせて」


 その子の首元に鼻を近付け、すんと匂いを嗅ぐ。なんだか懐かしい匂いがする。


「いい匂いだね、なんか甘いミルクみたい……」

「そうなの?……ふ、くすぐったいよ」


 髪の毛が顔に当たったのか、鼻息が首にかかったのか、一宮くんはクスクスと笑った。噛みつきてえ〜、なんだこれ。


「ん、覚えた。じゃ、今度会いに行くね」

「うん。放課後だったら多分いつでもいるよ」

「分かった。じゃあ、また……あ」 

「あ?」

「名前、なんて言うの?」

「ああ、まだ言ってなかったね。普通に喋ってたのに」

「そうだね」


 なんとなく、初めて会ったような気がしない。この子が魔女の子で、俺が悪魔の子だからだろうか。見えない何かで繋がれているような気がする。

 彼は深く被っていたフードを頭から外し、その顔を俺に見せた。


「一宮守。よろしくね」

「まもる?俺はね、めぐる。千田環って言うの」

「なんか似てるね」

「ね」


 なんか、ちょっと、運命みたい。この世界で魔女と悪魔が出会える確率ってどれくらいなのだろう。

 元の場所に帰ってきた俺達は、そこで別れることになった。一宮くんは俺が見えなくなるまでぶんぶんと大きく手を振っていた。

 多分、すぐにでも俺達は再開するだろう。




 翌日。

 朝一番で昨日遊ぶ予定だった子に平謝りされたが、ヨシ!全然ヨシだ。むしろ超、ヨシだ。あのドタキャンがなかったら俺は希少種に出会えてなかったから。


「なんで?めっちゃご機嫌じゃん」

「んー?そう?」


 どうやら俺はご機嫌らしい。なんかちょっと恥ずかしいな。

 なんでなんでと聞いてくるこの子が鬱陶しくて控えめに後ずさっていると、つい先日覚えたあの匂いが微かに漂ってきた。反射的に体がその方向へ向かっていた。なんで?嘘、まさか。


「っ、は……」


 足を止めた先にいた。校舎裏の、人気が全く無い所。木の影に紛れながら腕を動かしている、あの子がいた。もう一度大きく息を吸うと、間違いなく昨日嗅いだあの匂いだと分かった。本当にすぐに再開できてしまった。


「一宮くん……?」

「……えっ!千田くん!なんで!?」

「こっちのセリフなんだけど!え、同じ学校だったの!?……ていうか、高校生だったの!?」

「え!?なんだと思ってたの!?」

「高学年の小学生……」

「ムキーッ!」


 一宮くんはマンガみたいな怒り方をして杖を持った方の腕を俺に振りかざした。が、何も出てこない。


「……はあ、出てこなくて正解だけど、やっぱり駄目だな……」

「どうしたの?」

「移動魔法の練習。俺、魔力すっごく弱くて」

「魔女の血族でも魔力って弱いの?」

「うん、そうみたい。千田くんはそうじゃないの?」

「俺は筆記は駄目だけど……実技は苦労しないかな」

「いいなあ。俺は筆記も実技も駄目でさ……。次のテスト、実技の割合が大きいから練習してるんだ」

「どれくらいのレベルならできるの?」

「あ、見る?見ててね」


 一宮くんは杖を立てかけてあったスコップに向け、ん"ん"ん"と唸りながら少しだけそれを移動させた。顔を見るだけで重いのが伝わってくる。魔法使ってるのに重さ感じてたら意味ないな。どれくらい動いたのだろうか、多分15cmくらい。


「こ、これくらい」

「凄い!俺幼稚園の時にやってたくらいだ!」

「逆スゴだろ、逆スゴ」

「うん、逆スゴだわ」


 一宮くんは笑ってたけど、多分これはこの学校にいる以上死活問題だろう。


「俺、このレベルだからさ……次のテストこそどうにかしないと。でもやっぱり魔力上がんなくて」

「……魔力上げたい?」

「え、勿論」

「おっ」

「えっ?」


 言質取った!


「裏ワザあるけど」

「裏ワザ?」

「うん。でも裏ワザだから。一宮くんがどうしても必要な時は言って」

「え、ズルいことなの?」

「人によってはズルって思うかもね。でも伝統的な方法だよ」

「伝統的なのに裏ワザなの?ことどういう?」

「まあ、それはおいおい」


 その後も一宮くんは移動魔法の練習を続けていたが、全く成果は上げられなかった。

 これは裏ワザを教える日も近そうだぞ、と俺は一人ほくそ笑んだ。




「全然駄目だったぁ〜〜〜!」


 助けてフフえも〜ん!と言いそうな勢いで俺のもとに飛び込んできた。勿論一宮くんが。テストの結果を待つまでもなく答えは分かっていたが、実技試験の後一宮くんはすぐさま俺の所に駆けつけてくれた。これこれ!これを待ってた。


「どうしよう……俺、このままじゃ卒業すら危ういかもしれない……どうしよう……成人になったまま一生この学校から出られなくなったら……」

「ワァ、絶対嫌だね」

「もうどうしよぉ〜〜〜!難易度が割に合わないよ〜〜〜!」

「うんうん、割に合わないねえ」


 適当に宥めるが、一宮くんは俺にしがみついてぴえぴえと泣いている。悪魔はこういうの大好きだ。


「俺なら一宮くんの魔力最大限まで上げられるよ」

「もしかして……裏ワザ!?」

「うん。どうする?やる?」

「……やる。もうやるしかない……ダブり先輩なんて呼ばれたくない……」

「よし!よしっ!じゃあやろっか!」


 はい、もうご機嫌でーす。俺、めちゃくちゃご機嫌。流石にこれはご機嫌案件。駄目だな一宮くん、悪魔から内容も聞かずに承諾するなんて。


「裏ワザって、どうすればいいの?」

「お、聞いちゃう?」

「聞く聞く」

「うんと、まず、悪魔と魔女って昔深い繫がりがあったの知ってるよね」

「うん」

「なんでか知ってる?」

「えっ……。あ、なんでだろう?分かんない」

「魔女が悪魔から魔力を貰ってたからだよ」

「そうなの!?」

「うん。これは本当」


 一宮くんは俺を見上げて不思議そうな顔をしている。無知であればあるほど美味しい。


「でも、どうやって魔力貰ってたの?どうすればいいの?」


 その質問を聞いて、俺は一宮くんとの距離をぐっと詰めた。甘いミルクの匂いがして、自然と目尻が下がる。ぐるっと喉が鳴った。


「体を繋げるの」


 割と直球に言ったけど、一宮くんはポカンとして首を傾げていた。


「分かんない?」

「うん、分かんない……繋げるってどうするの?」


 本当に無知だこの子!絶対魂美味しいじゃん!最高!俺の気分はもう最高潮だった。俺は一宮くんの顔に極限まで自分の顔を近付けてニコっと笑った。


「どうって、セッ」


「ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっと〜〜〜!?」

「フガッ」


 俺が言い切る前に、一宮くんは誰かの腕の中に連れ去られてしまった。一宮くんも何が起きたか分かっていないようで、相手を見上げて驚いた表情をしていた。


「み、三好!?」

「あのねぇ、一宮さあ……。いや、もう今じゃないな、後でいい」


 そう言ってその三好と呼ばれる男は俺の方を向いてキッと睨みつけた。


「どちら様ですかぁ、一宮になにか用ですか〜!?」


 それ、特大ブーメランなんだけども。


「うん。用があるから話してたんだけど。どいてくれない?」

「生憎俺達はこの後予定がありますのでね、失礼しますね」

「え!?ないよ!なんで!」

「うるさいな、一宮は黙ってて!」


 一宮くんは喚き散らしながら連行されて行った。俺はその方向に聞き耳を立てる。悪魔は耳もいいのだ。


「一宮、もうあいつと関わっちゃだめだよ」

「なんで!?」

「なんでも!ちょっとは自分では自分の身を守って!」

「危なくない人だよ!?」

「危ない人なんだよ!!」

「なんでそんな失礼なこと言うの!?」

「事実なんだよ!分かってよ!」

「分かんないよ!ばか!離せ!俺の魔力!」

「魔力と貞操、どっちが大事ですか!?!?」

「テーソーってなんだよ!美味しいやつ?」

「ソテーねそれ……」

「あ、お腹すいたかも……」

「…………………………ご飯おごるよ……」

「マジで!?やった!」


 そして、二人の声は聞こえなくなっていった。


 おもしれ〜。おもしろすぎるだろ。ソテーね。

 おもしろいから、もう少しつついてみてもいいかな。いいよな、だって俺悪魔だし。


 そしてつつきまくった結果、俺より悪魔みたいな集団が敵になってしまったのは語るまでもなかった。








①一宮 守

どこの世界線にいっても可哀想。

この度めでたく友達が何人もできて大喜びしている。犬には好かれるけど猫には怒られやすい。


②二井 虎太郎

意外と冷徹らしい。一宮面倒を見るようになってからとても丸くなったらしい。なんでかな?この世界の二井もめちゃくちゃなお金持ちお坊ちゃんだぜ!


③三好 叶斗

一宮のことが“理解って”きた。もうすぐモンペになる。犬猫鳥兎魚全部飼ってるしみんな可愛いけど、自分に懐いている小さい人間が一番可愛いと知ってしまった。


④四ツ谷 天音

生きるのがダルいと言っているが、意外とタフだしなんだかんだ面倒見がいい。本当は頭もっと撫でてほしかったと気付いたのはかなり後だった。もう今更言えなくて悔しい。


⑤五藤 空良

クローン殺すかと言っていた不穏な男はコイツだ!一宮の凄さを知ってしまったので、自分の中で神格化して鬼のようなモンペと化していく。そのナリをまだ潜めているので今後が怖い。



●十倉

一宮くんの好きな大人な男、十倉さん。思ってたより十倉さんから一宮くんに向る矢印が大きかった。一宮くんは分かってないので平気で同棲を持ちかける。


●千田 環

悪魔の子。ただの性欲モンスターではない。美味しい魂をたくさん食べたいらしいけど、一宮くんはかなり美味しそうだったみたい。いつかペロッくらいはする。

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