【中1後期 すれちがい】
廊下の奥の方で、ドサドサッと何かが大量に落ちる音がした。
音がした方に目を向けると、恐らく1クラス分の量の課題と思われるノートやプリントが床に散らばっていた。
小さな背中が、よろよろと落ちた物を回収し、彷徨っていた。
遠くからでも分かる。旭の姿だった。
俺達はもう数ヶ月も口を聞いていない。それどころか、最近は対面すらもしていない。
だから、そんな状態で手伝いに行くのはとても気まずい。俺は見なかった事にして、踵を返した。
……かったが、そんな事はできなかった。
旭がいない所であんな酷い事を言っておきながら、目の前で困っている幼馴染はやっぱり放っておけなかった。
俺は旭のいる所までずんずんと歩いて行った。幸いな事に、周りに俺の友達は誰一人としていなかった。
急いで掻き集めたのか、床に落ちていた物は少なくなっていた。旭は、近場に散らばったプリントを拾っていた。
遠くに飛んでしまったプリントを拾い、旭の元まで行った。なるべく驚かせないように、と思って、床に膝を着いている旭に視線を合わせた。
「これ」
数ヶ月ぶりの発言が、これって。
もう昔のテンションが思い出せず、プリントを手渡すだけなのに、緊張して口から出た言葉はぶっきらぼうな2文字の言葉だった。
なんでこんなに緊張しているのだろう。
旭は体をびくつかせ、ゆっくりと顔を上げた。
そして、俺と目が合った瞬間、口をはくはくと動かし、不自然なくらい目をきょろきょろと動かした。
「あっ、ごっ、ご、ご、」
「え……」
「ごめんなさいっ」
そう言って、旭は俺の手から素早くプリントを抜き取り、さっきまでのスピードの比じゃないくらいわたわたと落ちている物を拾い上げた。
俺がぽかんとしている間に、旭は走って去って行った。
まだ、俺の側に数札ノートが落ちているのに。
「__クソッ……」
違う。怖がらせたい訳じゃなかった。
全部、俺のせいだって分かってるけど、旭にあんな反応をされた事が悔しくて仕方がなかった。
(タメ口ですらなかった……)
落ちているノートを拾い上げ、俺は暫くその場から動けなかった。
【高1冬 気付いちゃった】
お昼休み開始を告げるチャイムが鳴った。
黒川くんが購買でパンを買ってくると言って、教室から出ていった。俺は机をセッティングして、先にお弁当を食べていた。すると、教室が少しざわついた気がした。
なんだと思い、扉の方を見ると噂の大月くんがいた。もしかして黒川くんに用事なのだろうか。と思ったが、そのまま中に入って、俺の方に近寄ってきた。そして本当に自然な動作で、普段は黒川くんが座る椅子、つまり俺の目の前の椅子に座った。
「ほ?」
「あー……瀬戸くん、だよな。突然ごめん」
「本当に突然だね」
周りの女子たちが嬉しそうな悲鳴を上げている。
ちなみに、俺と大月くんは今まで一言くらいしか会話をしたことが無い。たしか、文化祭の時に1回だけ。しかも内容が「旭どこにいる?」だったので、まともな会話ではない。
でも俺は面白そうな事が大好きなので、大月くんとそのまま話す事にした。
「何か用かな?大月くん」
「え、俺の事知ってんの?」
「ふはっ、勿論だよ!自分がどんだけ有名人か分かってない?」
「そんなに?」
大月くんは、スポーツ万能で、所属している陸上部でも既に優秀な成績を残している。それに、なんと言っても顔がいい。男の俺が見ても惚れ惚れするような爽やかなイケメンだ。この学年で一番かっこいいのは誰かと問われれば、間違いなく大月くんと言えるだろう。
そして、大月くんは黒川くんの幼馴染らしい。
今まで話した事もなかった俺の元にこうしてわざわざ出向くなんて、黒川くん絡みの事だろう。
「黒川くんの話?」
「!……そうだけど……なんで分かった?」
「だって、最近俺が黒川くんと話してると君に見られてんな〜って思ってたよ」
「……マジで?」
「マジマジ」
お箸を片手に持ちながら、ダブルピースを作った。目の前の大月くんは大きなため息を溢して項垂れた。
よく分からないが、なんだかとても面白そうなにおいがする。
俺が期待いっぱいに大月くんに目を向けると、大月くんは気まずそうに口を開いた。
「……旭、今まで友達いなかっただろ。だから、今更できた友達って、どんなやつかなーって……」
「何それ!モンペみたい!」
大月くんがまさかそんな人だとは思わず、俺はわははと笑った。
だって、黒川くんは前に大月くんの事を友達と言い切れていなかったから、てっきり複雑な関係かと思っていたのに。大月くんは黒川くんの事めちゃくちゃ気にかけてるじゃん。
まあ、最近はよく一緒に帰っているのを目にするし、クリスマス前に黒川くんに「大月くんって彼女いるの?」と聞いたらめちゃくちゃテンション下がってたしなあ。お互いがお互いの事を大事に思っているのだろう。
「あ、旭には内緒な。お母さんみたいな事するなって言われてるから」
「んはは、やっぱ言われてんだ。りょーかい」
ただの幼馴染に対してはちょっと過保護過ぎる気もするけど。
「いやー、まあ、分からなくもないよ。黒川くん、なんか放っとけないしね。目離すとすぐどうにかなっちゃいそう。小さいからかな」
「……」
すると、大月くんは何に引っかかったのか、いきなりぴたっと固まった。え、俺、無意識にまずい事言ったのだろうか。
「……大月くん?……おーい」
「……瀬戸くんはさ、」
「うん……?」
「……旭の事、どう思ってんの」
「は?」
……なんだ、その質問。思わず普通には?と口をついて出てしまった。
「どうって……え、それは、例えばなんて答えればいいの?」
「例えば……好き、とか、嫌いとか……」
「あー?……え、まあ、好きだよ」
「!……なんで、どういうとこが?」
「えぇ……」
意味が分からない問いをグイグイと押し付けられる。流石の俺も困惑した。
「んー、そうだなあ。猫みたいなとことか。昔近所に居ついてた野良猫に似てるんだよね、黒川くん」
「それは……まあ、分かる」
「だよねー!あと普通にいい子だし。まあ、だから好きかな」
「……その、好きってのは……なんというか、……あー……」
そこまで言って、大月くんはとても言い難そうに口を開閉させた。そして暫くしてから、ぼそっと、本当に微かな声で呟いた。
「ラブ系の、アレとかは、ないよな……」
俺は目を丸くさせた。
ラブ系の、アレ。
もしかして、……恋愛感情の事だろうか。
「あははははっ!!待って、何でそうなんの!?」
「わ、笑うなよ!」
「ひっ、ひぃー!え、逆に、そう思った!?ふは、ごめん、ライクの方だよ!!」
突拍子も無さすぎる発言に、俺は笑いが止まらなかった。だって、無理やり好きか嫌いか聞かれて、それで好きと答えたのに、それで恋愛感情の方の好きって……あまりにも発想が暴力的すぎる。
「あー……笑っちゃった……。あのさ、心配しないで。別に俺達普通の友達だし」
「……」
「……ははーん。もしかして、大月くんは黒川くんの事、そういう意味で好きなのかな?とか言ってみたり。……なんちゃってね。わはは」
と、俺は本当に冗談のつもりで大月くんに聞いてみた。多分、ちげーよ、とか返ってくるんじゃないかなーと思っていた。のに、
「……まあ、ご想像に、おまかせします……」
「……んえ……?」
そう言って、大月くんは手で口元を隠しながら、顔を赤くさせた。
__いや、大月くん。それは、その反応は……限りなくさぁ……。
俺はもうなんて言葉をかけていいか分からず、その場しのぎの乾いた笑い声をあげた。
すると、タイミングよく黒川くんが帰ってきた。
「え、なんで千晶いるの」
「あー……。ごめん、たまたま用事あって。帰るわ」
「えー、なんでよ!大月くんも一緒にご飯食べようよ!」
「……いや、遠慮しときます……」
そう言って、大月くんはまだ耳をほんのりと赤く染めながら教室を出ていった。
「……なに?なんか話してたの?」
「んー、まあ、人生相談的な」
「え?千晶が?瀬戸くんに?」
「うん。大月くん、面白いねー」
「……?そう……?瀬戸くん、なんでも面白いって言うからなあ……」
俺は黒川くんをじっと見てにやにやっと笑った。
「……なんでしょうか……」
「いやー?別にー」
なんだよ、めちゃくちゃ面白いじゃんこの2人!
絶対間を取り持ちたい。あわよくば、うまくいってほしい。
俺の学生生活はこれからもっと楽しくなりそうだ。
【高2夏 衝撃】
「そういえば、あの子達は元気?あのー……文化祭であつきを案内してくれた子達」
「……ああ、瀬戸と黒川くん?元気だよ。よく一緒にいる」
「あら、そうなの。よかったら今度遊びにおいで」
「おー、言っとくわ」
去年の文化祭に、母さんと俺の弟のあつきが遊びに来ていた。人が多くて、目を離した隙にあつきが迷子になってしまったのだ。そして、たまたま瀬戸と黒川くんが見つけてくれて、俺達の元まで案内してくれた。二人とも好青年だった!と言って、母さんはちょくちょく二人の話題を出してくる。
本能的に二人の話をしていると察知したのか、あつきが俺の膝の上までのぼってきた。
「あさひくん?」
「うん、そうだよ」
「あさひくん、あいたい」
「えー、なつきくんの方は?」
「なつきくんも」
「はは、空気の読める園児だ」
あつきもあれ以来二人の事がお気に入りらしく、特に黒川くんには会いたい会いたいと言っている。
あれだけの関わりだったのに、まさか2年になってよくつるむようになるとはな。
瀬戸は、まあ顔が広いし、1年の時俺のクラスに寄った時は軽く雑談くらいはしていた。でも、黒川くんに関しては名前くらいしかしらなかった。時々クラスの女子が黒川くんに大月くんの連絡先教えて、と頼んでいるのは見た事がある。だから、イケメンの橋渡しをする人、といううっすい印象くらいしかなかった。
けど、喋ってみると意外と気が合ったし、思ったより喋りやすかった。それと、真面目なのに抜けている所が多い。テストの答案用紙に名前を書き忘れたり、課題のページを間違えていたり、未だに校内で迷ったり。正直、マジかよと思うけど、なんかそういう小動物だと思って接している。
「これ、あさひくんとなつきくんにあげて」
「ん?何これ」
「きんメダル!」
「金メダルか〜。あいつらも喜ぶと思うよ。明日渡しとくな」
あつきは最近メダル作りにハマっているらしい。丸く折ってある金色の折り紙の中心に、文字のようなものが書かれている。多分名前だろう。
そんな弟が可愛くて、頭に顔を埋めると、きゃらきゃらと笑い声が聞こえた。
「はい、これうちの弟から」
「……メダル?」
「金メダルだって」
「えー!超可愛いじゃん!」
「これ、俺の名前かな?ありがとう、林くん!あっちゃんにもありがとうって言っといて」
「うん。あつきとうちの母さんが、二人に会いたいってさ」
「んじゃ、今度二人で遊びに行こっか!」
瀬戸は妹と弟がいるし、黒川くんも案外小さい子が好きなので俺の弟の話を楽しそうに聞いてくれる。
「来週末とか空いてる?」
「うちは大丈夫」
「来週……。あー……」
「ん、黒川くん予定ある?」
「予定っていうか……。えっとー……、あのさ」
黒川くんはなにやら悩みがあるようだった。
「……千晶が、陸上の大会観に来ないかって……」
「ああ、大月くん」
「いいじゃん、楽しそう!」
黒川くんと大月くんはどうやら幼馴染らしく、こうして何故か気まずそうに大月くんの話をする事がある。いや、気まずいというか、何かに遠慮しているような感じだ。
「でも、俺、大会の応援とか……絶対に一人でいけないよ」
確かに、黒川くんはフットワークが軽かったり、アクティブに動くイメージがない。休みの日は基本家にいると言っていたし、多分人がたくさんいる所が苦手なのだろう。
すると瀬戸が黒川くんに向けてにこっと笑った。
「じゃ、一緒に行こうよ!」
「ええ」
「俺達も一緒に行くよな、な!林」
「ん、俺も……?」
瀬戸は何故か俺の肩をガシっと掴み、こちらを見た。……ノーと言えない凄みがある。そして俺の耳元に口を寄せて、こそっと耳打ちをされた。
「多分、両片思いなんだよ、2人」
「は?」
「俺達で応援してあげよ!」
「……」
両片思いって……。え、あの両片思い?
一瞬思考が停止したが、今までの黒川くんと大月くんのやりとりを思い出して納得がいった。
だって、見てるこっちが恥ずかしくなるような……そういう雰囲気なのだ、2人は。ああ、そうか。両片思い……なのか?
「……あー、うん。みんなで観に行こう」
「……え?」
「よし!じゃあ、みんなで大月くん応援してあげよう!」
「あ、うん……。ありがとう……?」
そして、俺達3人は大月くんが出る陸上の大会を観に行く事になった。
お昼休みが終わり、自分の席に戻ろうした時、瀬戸が俺を見てウインクをしてきた。瀬戸は完全にこの状況を楽しんでいる。
対して俺は、その後の授業中もちょくちょく黒川くんと大月くんのやりとりを思い出し、一人で答え合わせをしていた。この状況を楽しんでいたのは、俺も同じだった。
【高1秋 見つかった】
「あー、疲れた……」
「一旦休憩しよっか」
机の上にシャーペンを起き、千晶が床にごろんと寝転がった。
今はテスト期間で、俺の部屋で一緒に勉強をしている。
千晶はやり始めるととにかくやり続けるタイプなので、長い事勉強をして集中力が切れてしまったようだ。暫く千晶はボーッとしていたが、突然思い立ったように部屋を見回した。
「ど、どうしたの」
「いや、どっかに無いかなと思って」
「何が?」
「俺があげたオウジくん」
オウジくんというのは、前に千晶と水族館に行った時に千晶がプレゼントしてくれたイルカのぬいぐるみだ。ちなみに、千晶の家にはリンくんというもう一匹のイルカのぬいぐるみが置いてある。
「……あるけど」
「え?どこにある?ぱっと見ないけど」
「……」
言えない。本当はベッドの中、布団に潜り込んでいるなんて言えない。だって……
(毎晩オウジくんを抱いて寝てるなんて知られたら、恥ずかしすぎる……!)
どうにか話を反らせないものか。
「えっと、リビングに置いてあるから。それよりさ、俺、飲み物のおかわり持ってこようか?」
「え、嘘だ。だって前リビング覗いた時なかったもん。……あ、もしかして……」
「あ、ちょ、ちょっと……!」
俺の飲み物おかわりのくだりは完全にスルーされ、目ざとい千晶はベッドの方へと手が伸びていた。そして俺が妨害する隙もないまま、素早く掛け布団をめくられた。
「ふ〜ん、やっぱりあるじゃん」
「う……!!」
千晶はそれはもうニヤニヤと笑って俺を見た。俺は必死にどう言い逃れしようか考えたが、まだこの段階だったらなんとでも言えるだろう。
「あー、あのさ、掃除した時、ベッドに置いて、そのままだった」
「……へぇ?」
「ほ、ほんとだよ」
千晶がじとっと俺を見てくる。何も悪い事をしていないのに、ごめんなさい俺がやりましたと言いたくなってしまった。
そこで、扉がノックされる音が響いた。
「旭ー?入ってもいい?」
「あ、はーい」
お母さんが扉から顔を出した。なんていいタイミングだ。
「はい、これも食べて!これ、千晶くん好きだったでしょ」
「あー、はいはい」
「おばさん、ありがとうございます!」
お母さんは大量にお菓子を持ってきて、俺より先に千晶にお菓子を渡した。俺のお母さんは千晶の事が本当に大好きだ。
するとお母さんはオウジくんのぬいぐるみを持っている千晶を見て、あら、と口を開いた。
……頼むから、余計な事言わないで……!
「それ、千晶くんが買ってくれたやつでしょ?」
「あ、そうです。水族館行った時の」
「ふふ、旭ね、それ毎晩抱っこして寝て……」
「わーーー!!わーーー!!もういいから!!お菓子ありがとう!!じゃ!!」
余計な事言った!何がナイスタイミングだ!
俺はお母さんをぐいぐいと外に追いやって、バタンと扉を閉めた。
そして、俺は何もなかったかのような顔で机に戻った。
「……さあ、勉強しようね」
「あははははっ!!いや、無理あるだろ!!」
千晶も大笑いしながら机に向かった。俺はただただ恥ずかしかったので、静観の構えでワークを開いた。それとはお構い無しに、千晶は俺にしつこく語りかけた。
「なー、オウジくんいっつも抱っこして寝てんの?」
「……」
「……へぇ~、そうなんだ〜」
「……俺、なんも言ってないよ」
「はいはい、可愛いなあ」
「__っ、だからぁっ!」
この日、暫くは全く勉強ができなかった。
【高2春 俺のお気に入り】
「また新井が1位かよ」
「禄に勉強もしてないくせに、ほんとムカつくよな」
ちょっと、聞こえてるんですけど。
新学期早々、張り出された順位表の前で全く爽やかじゃない陰口が聞こえてきた。
先日、新学期1発目に学年内の実力テスト的なものがあった。俺は総合で1位だった。
確かに、必死になって勉強してはいない。ちょっと要領良くやれば、勉強した事は大体頭に入ってくる。でも、全く勉強してないわけじゃない。だから、禄に勉強もしてないという噂は嘘である。俺はやるべき事はちゃんとやっている。
それなのにな。
(あーあ。……つまんない)
俺は高校に入って、友達という友達をつくっていない。というか、めんどくさかった。
中学の時の唯一の友達__旭くんの事を考えると、なんだか高校に入って友達を作る気力が無くなってしまった。
こんなにつまらないのなら、一人くらい友達と呼べる存在をつくっておくべきだったかも。でも今更なあ。
と、いろいろ考えて歩いていたら、廊下にいた生徒にぶつかってしまった。
「って……」
「あ、ごめん!」
「前ちゃんと見ろ……って、新井かよ」
俺がぶつかってしまったのは、同じクラスの……鈴本くんだった。多分、鈴本で合ってる。
「ごめんごめん、ぼーっとしてた」
「はぁ……。いいよな、お前はお気楽でさ。この後もどうせ普通に家帰るんだろ」
「うん。まあ、そうだけど」
「……俺なんか、予備校行ってもお前に勝てないのに……」
「……」
彼は、毎回のテストで俺の1、2こくらい下の順位にいる。だから、毎回何かと突っかかってくる。
鈴本くんは自虐するような、嘲笑するような顔で俺を睨んだ。
「天才はやっぱ頭のつくりが違うわ」
そう言って、彼は去って行った。
うるさいな。頭良くて、何か悪いのかよ。
俺に勝ちたかったら、もっと努力すればいいし、量を積んで無理だったら、もっと工夫すればいい。負け惜しみを俺にぶつけるなよ。
ああ、イライラするな。
もともと今日はあまり体調も良くなく、おまけに陰口まで聞いてしまったので、気分は最悪だった。もうこんな所にいても気分が優れないだけだし、早いとこ帰って寝てしまおうと思った時だった。
携帯の着信音が鳴った。
画面を見ると、黒川旭と表示されていて、俺は咄嗟に電話に出た。
「っ、もしもし!」
「あっ、湊くん?えっと、突然ごめん。今大丈夫?」
「うん、全然!大丈夫!どうしたの?」
まさかの人物からの電話に、俺の心は弾んだ。でも、今まで旭くんの方から電話をかけてくるなんて滅多になかったから驚いてしまった。
「あの、特に要は無いんだけどね。……はは、えっと、元気かなーって……」
「……え、それで電話してくれたの?」
「う、うん。……迷惑だった?」
「ううん!迷惑なわけないじゃん!……ふはっ、はは、そっか……」
正直、全然元気じゃなかった。
エスパーか?というタイミングで旭くんは俺に電話をかけてきてくれた。
旭くんの少し高くて温かい声が俺の鼓膜を揺らした。なんだか、それだけで泣きそうになってしまった。俺はいつもみたいにスラスラと喋る事ができず、口篭った。
「……湊くん?」
「……旭くんは、元気?」
「えっとね、……元気じゃない」
「ええっ!大丈夫?」
「あの、花粉症酷くてさ……今年、花粉の量凄いんだよ」
「……何それ!あははは!心配して損した!」
「花粉症も立派な病気だよ。湊くんも他人事じゃないからね!」
相変わらずな旭くんに、沈みきっていた俺の気持ちはぐんぐんと上昇した。旭くん、やっぱりいいな。
あー、会いたい。
「……今度、一緒に遊ぶ?」
「……え?」
「え?って……。お、俺も、湊くん、会いたいし……」
「……待って、俺、口に出てた?」
「え?う、うん」
「あー……」
なんだよそれ。めちゃくちゃ恥ずかしいな。
久しぶりに旭くんと話せて、気持ちが完全に緩んでいたのかもしれない。
まあ、何はともあれ。
「旭くん、今週の土曜は空いてる?」
「うん。空いてるよ。遊ぶ?」
「うん!遊ぼ!あー、楽しみだな!」
「へへ、俺も……」
いや、旭くんめちゃくちゃ可愛いな。堪らない。この場にいないのが悔やまれる。
もしも旭くんに会って、大月くんに大事にされてなさそうだと思ったらすぐに奪還してやる。
「じゃ、また土曜ね」
「うん。バイバイ」
通話を切って、俺は気持ち悪いほど上機嫌で家に帰って行った。
やっぱり旭くんは俺のお気に入りだ!
【中3夏 やさしいじかん】
__5組の男子、熱中症かなんかで保健室行ったらしいよ。気をつけないとね。
そんな噂を聞いて、俺はすぐに5組のテントがあるエリアを見渡した。
5組、……旭がいるクラスだ。
今日は体育祭の日で、まだ6月だというのに外で運動するには厳しい暑さだった。
熱中症でダウンする旭が容易に想像できてしまうが、まさかな。と思い、旭の姿を探してみたけど見つからなかった。
俺の午前までの出場競技は終わっているので、誰にも内緒で急いで保健室に向かった。
保健室に入り保健の先生に聞くと、本当に旭は熱中症になってしまい、今はベッドで寝ていると教えられた。悪い予感が的中してしまった。
旭が眠っているベッドまで近付き、閉められていたカーテンをそっとスライドさせた。
ほんのりと顔を赤く染めた旭が静かに眠っていた。
俺はベッドの横に腰掛け、その寝顔をただ見つめていた。
もうずっと喋っていない。顔を合わせてもいない。
中学に入ったばかりの頃は、旭の方からあんなに必死に俺に着いてこようとしてくれてたのに、今では俺が旭の事を遠くから見つめている。
だから、こんなに近くで旭の顔を見れたのは久しぶりだった。
体調が優れないのか、嫌な夢を見ているのか、旭は顔をしかめた。
俺は、せめて夢くらいは俺と仲良くしてほしい、と思って旭の頭を優しく撫でた。
おばさん似のまっすぐで柔らかい髪は、とても心地がいい。子どもにやるみたいに撫で続けていたら、幾分か旭の表情が和らいだ気がした。
愛おしい。本当は寝てる時じゃなくて、ちゃんと起きてる時にやってあげたい。
って、素直に言えればいいのに。
どこまでも弱い今の俺には、出来なかった。
暫く撫で続けていたが、お昼休みのアナウンスが聞こえたので退散する事にした。
ヤバイな。早くここから出て行かないと、なんだか面倒な事になりそうだ。
名残り惜しいが、俺は保健室を出て行こうとした。そして、俺の予感が的中するのはその数秒後の事だった。
0コメント