8【勝てますように】

1
 高校2年生というのは、穏やかなようであっという間に時が流れていく。
 瀬戸くんや林くんと共に日々を過ごすのは楽しくて、気がつけばもう夏休み前に差し掛かっていた。
 千晶の部活が終わるのを待ち、一緒に下校していた。すると千晶は言い難そうに改まって俺に話しかけてきた。

「あ、あのさ」
「うん?」
「大会、夏休み入ったらあるんだけど、観に来ない?」
「え……」
「市内でやるから、あの、行ける距離ではあると思う」

 陸上競技の大会が近々あるそうだ。確かに、毎年この時期になると運動部は大会で忙しくなるイメージがある。
 そして、俺は去年同じ時期に同じように千晶から大会に応援に来ないかと誘われて、断ってしまった。その時の事を思い出して、俺は言い淀んでしまった。
 千晶はそんな俺を見て、少し悲しげな顔をした。

「あー……。やっぱ、嫌かな、こういうの」
「……ううん、えっと……。か、考えとく」
「……ほんと?」
「うん。千晶、2年で部活引退するんでしょ。だから、その、最後だし、せっかくだから観に行けたら、……というか、み、観に行く勇気があれば、行きたい」
「!……マジで!……は、はは、やった」

 そう言って千晶はとても嬉しそうにし、俺に競技場の場所や千晶の出る種目や陸上が強い高校の話なんかをしてくれた。
 ああ、どうしよう。まだ行くって決めた訳じゃないのに。俺一人で行くにはとてもハードルが高いのに。


2
「じゃ、一緒に行こうよ!」
「ええ」
「俺達も一緒に行くよな、な!林」
「ん、俺も……?」

 翌日、大会に来ないか誘われたとの旨を瀬戸くんと林くんに伝えた。行きたいけど行く勇気がない、と俺が言うと瀬戸くんは揚々と一緒に行くと言ってくれた。
 そして林くんの肩をガシっと掴み、有無を言わさぬ笑みで林くんを巻き込んだ。
 林くんはまさしく「俺も?」という顔をしていたが、瀬戸が何やらこそこそと林くんに耳打ちをした。すると林くんは俺の顔を見つめ、こう答えた。

「……あー、うん。みんなで観に行こう」
「……え?」
「よし!じゃあ、みんなで大月くん応援してあげよう!」
「あ、うん……。ありがとう……?」

 一体瀬戸くんは林くんに何を言ったのか疑問だが、結局陸上の大会は三人で観に行く事になった。
 何はともあれ、一人で行くのは不安だったため、とてもありがたかった。
 放課後、千晶に3人で観に行くと伝えたら驚いた顔をし、そして胸の前で拳を握った。

「すげー嬉しい!俺、頑張るから!!」
「うん。頑張ってね。なんの力にもなれないけど、俺達も頑張って応援するから」
「いや、観に来てくれるだけで力になるよ」

 そう言って、千晶は本当に嬉しそうににかっと笑った。なんだかこっちまで嬉しくなってくる。
 去年は観に行きたくても行けなかった。俺が千晶から逃げていたせいだ。でも今の俺達の関係は、去年とは少し違う。

 千晶の頑張る姿をこの目で直接見て、自分の声で応援できたら、俺はもっと変われるのだろうか。


3
 夏休みに入り数日が経ち、陸上の大会の日になった。俺達三人は駅で待ち合わせをして、一緒に会場に向かった。

 千晶は会うたびに肌がこんがりと焼けていて、まるでその分だけ成長しているようだった。1度千晶が練習している様子を遠くから見た事があったが、素人の俺が見てもとても速く思えた。多分、部活の中だったら飛び抜けて速いんだと思う。でも、千晶本人は「他校にライバルがいて、そいつとは毎回争っている」と言っていた。

 競技場に入るとたくさんの観客が観戦していて、応援の熱気に包まれていた。
 正直千晶を応援するためだけに来たので他を応援するつもりはなかったが、直接いろいろな種目を見ていると、周りの応援も相まって素人ながらに観戦を楽しむ事ができた。

 すると瀬戸くんがプログラム表を見て口を開いた。

「次、男子1500mだって。千晶くん出るんじゃない?」
「そうだね。1組目だって……」
「よし、応援頑張るぞ!」

 客席の最前列を陣取った俺達は、プログラムのアナウンスが聞こえたと同時に立って競技場内を見下ろした。
 千晶の姿が見えた。遠いので表情まで分からないが、入念にウォームアップしているのが目に入った。
 選手達が位置に着いた。会場が静寂に包まれる。選手でもないのに、俺は心臓がどきどきと鳴った。

 そして、レース開始を告げるピストルの音が響いた。
 会場の空気は一転して、応援の声と熱気でいっぱいになった。俺達も必死に応援した。

「凄い!大月くんめっちゃ早いじゃん!」
「あの選手も速いな……ほぼ二人の接戦って感じ」

 千晶は群を抜いて速かったが、その後ろにぴたっとくっついている選手がいた。きっと、千晶が言っていたライバルの選手だろう。俺はその二人を目で追いかけた。
 そして、ラスト一周に入ったところで千晶はその選手に抜かされてしまった。

「ああ!抜かされた!」
「あとちょっとなのに……!」

 瀬戸くんと林くんがはらはらとしながらその様子を見ていた。
 悔しい。俺はこの場所でただ祈る事と応援を送る事しかできない。ああ、もうすぐで終わってしまう。
 気が付くと、俺は無意識に普段では考えられないほどの声量をトラックに向けて飛ばしていた。

「__っ、千晶ーーー!!頑張れーーー!!」

 横の二人はそんな俺を見て、ハッとし、俺と一緒になって大きな声で声援を送った。

「いけーーー!!あと少し!!」
「大月くーーーん!!頑張れーーー!!」

 すると、最後の100m辺りのところで、まるで俺達の応援が届いたかのように千晶が前にいた選手を抜かした。千晶はそのまま加速して、2位と差をつけてゴールした。
 1位。千晶が1位でゴールした!

「……!やったあ!!」
「やったね!凄いな、大月くん!」
「めちゃくちゃ速かったな!最後の追い上げ、かっこよかった」

 俺達はハイタッチをして喜んだ。
 凄い。やっぱり千晶は凄い。観に行ってよかった。
 俺は熱が冷めやらず、暫くトラック内にいる千晶を目で追っていた。

 二人は、そんな俺を微笑ましげな顔で見ていたらしい。


4
 全ての種目と表彰式が終わり、客席にいた人も解散していった。
 俺は千晶にどんな結果でも一緒に帰りたいと言われていたので、二人には先に帰ってもらって、競技場の外のベンチで千晶の事を待っていた。
 俺は座りながら、先程までの事を思い浮かべた。
 表彰台に登って満面の笑みを浮かべている千晶の表情が、頭から離れない。

 __かっこよかったな。千晶の本気の姿。

「お待たせ!ありがとう、待っててくれて」
「っあ、ううん!全然」

 暫くすると千晶が駆け足で俺の所まで来てくれた。
 何か気の利いた言葉をかけたい、と思ったが、なかなか言葉が出てこず、俺はしどろもどろに言葉を紡いだ。

「あ、あの、えっと、1位おめでとう!」
「うん。ありがとう。ちょー嬉しい」
「凄かった!本当に、凄かった!最後、すっごく速かったね。前にいた選手追い越した時、俺、わーってなった!!」

 なんて子どもっぽい感想なんだろう。上手に褒める事ができず、言ってから恥ずかしくなり、我に返って顔を赤くした。
 千晶はそんな俺を見て顔を緩め、くつくつと笑った。

「わーってなったんだ」
「う、うん……」
「応援のおかげかな、やっぱり」
「え?」
「嘘に聞こえるかもしれないけど、俺、あの時みんなの声が聞こえた気がしたんだよ。……特に、旭の声」
「ほ、ほんと?」
「うん。だから、ぜってぇ負けたくないって思って、それで頑張れた」

 千晶はそう言って、俺にピースサインを向けた。
 そっか。じゃあ、俺の応援、無駄じゃなかったんだ。
 俺も嬉しくなって、思わず笑ってしまった。

「なんか……俺も頑張りたくなった」
「何を?」
「なんだろ。うーん、何か、新しい事、やりたくなった。千晶が頑張ってたから」
「はは、そっか。旭も十分頑張ってるよ」

 千晶は、ぽんっと俺の頭を撫でた。
 穏やかな表情の千晶を見て、心臓がぎゅっとなった気がした。


5
 千晶の試合を観戦したのは、小学生ぶりだった。昔、少年野球の試合を観に行った事がある。俺が野球を辞めて半年くらい経った頃だったと思う。
 あまり良い辞め方ではなかったし、それに俺の事を良く思っていないチームの人達に会うかもしれないと思って、なかなか千晶を応援しに行けずにいた。でも、野球の練習や試合に忙しい千晶と、何もやる事がなくなった俺とでは繋がりが薄くなり、当時の俺は千晶と離れてしまう事を恐れていた。だから、せめて試合くらいは観に行きたかった。

 次にやる試合はいつもいい勝負をしてもなかなか勝てないチームが相手だと、千晶から聞いた。確かに、俺がいた時の試合もそのチームに勝てた思い出がない。
 千晶自身も、前回のそのチームとの試合でいい成績が残せなかったからリベンジしたいと言っていた。
 野球を辞めて、勝負事の世界から早々に身を引いてしまった俺にとっては、幼いながらにそんな千晶の事を単純に凄いな、と思っていた。
 きっと、俺だったらそこで終わってしまう。それが俺と千晶の差なのだろう。

 俺は絶対に勝つと意気込んでいる千晶の姿を見て、第二公園の木にお願いをしに行った。

【勝てますように】

 願い事を書いた紙を枝に括り付け、俺も試合を観に行こうと決心をした。

「千晶、俺、次の試合観に行くね」
「え!マジで!」
「うん。頑張ってね。あの、俺、勝てますようにって、お願いしたから……勝てるよ、きっと」
「!……そっか。ありがとう!」

 千晶は俺の頭をくしゃっと撫でた。きっと、これは千晶の癖なのだろう。

 そして試合の日になった。俺はお母さんと一緒に試合の会場まで足を運んだ。お母さんも、久しぶりに千晶が野球をしている姿を見れて嬉しそうだった。
 試合はまさにデッドヒートで、1点取られたら1点を取り返すような感じだった。点が動くたびにお母さんとともに一喜一憂をした。
 
 試合は9回になり、1点差で千晶達のチームがリードを許していた。9回裏、千晶がバットを構えた。
 俺は必死になって千晶に声援を送った。ベンチにすらいない俺の声なんてきっと届いていない。それでも、俺は千晶に向けて叫んでいた。
 カキーン、と。
 千晶の打った球は甲高い音とともに宙を高く飛び抜け、そして相手チームの誰もがキャッチできない所まで飛んだ。ホームランだった。
 逆転勝ちの展開に、会場が歓喜の声で包まれた。
 みんなとハイタッチをしながらベンチに戻っていく千晶を眺めて、俺はあの時の事を思い出していた。

 俺が、野球を辞めるきっかけになった、最後の試合。
 試合の状況が酷く似ていたのだ。

 違うのは、成功した千晶と、失敗した俺という、たったそれだけ。
 千晶はみんなから祝福され受け入れられ、俺はチームメイトから責められて、疎まれた。

 __あぁ、一緒に生きてきたのに、もうこんなにも違うんだな。

 千晶が喜ぶ隣に、俺の姿はどこにもなかった。


6
 大会の帰り、千晶は途中で飲み物が買いたいと言ってコンビニに寄った。
 俺は特に用もなかったので、外で待っているとコンビニのガラスに貼ってあったチラシに目を奪われた。

『○○神宮祭り 日程 8月○日〜○日』

(お祭り……)

 俺はそのチラシをじっと眺めた。

 昔、千晶と毎年一緒に行っていたお祭りだ。中学に入ってからは、一度も行かなかった。去年の今頃は、千晶との距離感をはかりかねていたので誘わなかったし、期間中もずっと家で過ごしていた。

 お祭り、本当は大好きだった。まるで現実ではなくなるようなあの感じや、最終日に上がる大きくて綺麗な花火を見るのも、小さい頃から、ずっと。

 暫くすると千晶が店内から出てきて、いつの間にか俺の隣に立っていた。
 千晶は俺とチラシ交互に見て、口を開いた。

「お祭り、一緒に行く?」
「へ……」

 千晶は俺を見て笑っていた。俺はなんだか心を見透かされたようで、咄嗟に言葉が出なかった。

「去年はさあ、大会で俺が優勝した後ご褒美で水族館一緒に行ってくれたし、今年もご褒美頂戴よ。お祭り一緒に行こう」
「ご、ご褒美……」
「ダメ?」

 出た。千晶の無自覚タラシ。
 さっきまでトラック内を颯爽と走っていた大男が、今俺の前でお預けをくらっている忠犬よろしく首をこてんと傾けている。正直ちょっと可愛い。こんなの断れるはずもない。

「……俺も、行きたい」
「やった!じゃあ、最終日一緒に行こ。俺、花火見たいし」

 千晶はとても嬉しそうにしていた。寧ろ俺が千晶と一緒に行きたいと思っていたから、誘ってくれてよかった。というか、言い出し辛いと思って千晶の方から誘ってくれたのかもしれない。
 千晶とお祭りに行く予定を立て、俺達は解散した。逸る気持ちが抑えきれず、俺は柄にもなく鼻歌を歌ったりなんかもした。


7
 そして、お祭り当日になった。
 いつもみたいに千晶が迎えに来てくれるのだと思ったけれど、千晶からある提案をされた。

「えっとさ、あの〜……、現地集合にしない?」
「え、なんで」
「待ち合わせみたいなの、したくて」
「いいけど……や、なんで?」
「……」
「?」

 千晶は言い淀んでいた。別に会場まで一緒に行っても行かなくても、目的は変わらないから一緒だとは思う。正直どっちでもいいけど、何か理由はあるのだろうか。
 俺が不思議がって千晶をじっと見つめていると、千晶は観念して恥ずかしそうに答えた。

「……待ち合わせ、良くない?」
「え、そうかな」
「うん。だって、デー……。や、いいや。なんでもない」
「……うん?」

 結局、千晶はその意図を教えてくれなかったが、当日は鳥居の前で待ち合わせになった。

 そんなこんなで、俺は神社の鳥居に向かった。日は暮れていたが、屋台や街頭の灯りと多くの人で神社の周りは賑やかだった。
 予定時間前に到着したが、千晶の方が先に来ていた。俺は千晶の元に駆け寄った。

「ごめん!待った?」
「いや、全然。俺も今来たとこ……ふはっ」

 すると、千晶はいきなり笑い出した。

「え……なに?なんか変?」
「いや!違う違う。……堪んないなーって」
「え?」
「待ち合わせ、やっぱりたまにはいいな」
「そ、そう?それなら、いいけど……」

 一体千晶の何にはまっているかは分からないが、待ち合わせにしてよかったようだ。千晶は上機嫌だった。

 鳥居をくぐると、境内にはたくさんの屋台が並んでいた。初詣に行った時の比ではない。等間隔にいろいろなお店があり、それだけでお祭りの楽しさが伝わってきた。5年ぶりのお祭りだが、昔見たままの屋台もあった。

「あ、ここのカステラ屋さん、美味しかったよね」
「おー、そういえばそうだったかも。毎年買ってたな……ちょっと待ってて」

 そう言うと、千晶はベヒーカステラ屋さんの方まで歩いて行き、なんともスマートにカステラを購入して俺に渡してきた。「はい、プレゼント」
「え、あ、ありがとう」

 いーえ、と言って千晶はにっこりと笑った。

 ずるい!こういう事を平然とやってのけるんだ。
 1年前、水族館に一緒に行った時も同じようにぬいぐるみを買ってくれた。同い年で、高校生なのに、隣にいるこの男がとても大人に感じてしまう。
 そう思うと、俺なんかが一緒にこの空間にいていいものなのかと思い、途端に緊張してしまった。

「あ、の」
「ん?」
「千晶の分は、いいの?」
「あー、いいよいいよ。気にしないで」

 俺にくれるためだけに買ってくれたんだ。嬉しいけどなんだか申し訳ないので、俺は袋の中からカステラを一つ取り出し、千晶に向けて差し出した。

「千晶、どうぞ」
「え」
「あ、あげる。……って言っても、もともとは千晶が買ったものだけど……」

 千晶は一瞬間を空け、そして顔を俺の手に近付けた。千晶はそのまま口を開けて、俺の手から直接カステラをぱくっと口の中に入れた。

「うまいな」
「っ……」

 なんで、そんな事をするんだ!
 普通に手で取って食べればいいじゃん。いちいちこういう行動をしてくるのは心臓に悪い。
 俺がその場で固まってどぎまぎしていると、千晶はニヤッと笑って俺の頭を撫でた。

「嫌だった?」
「いっ……嫌、とか、じゃないけど……恥ずかしいから、やめて……」
「ははは!ごめん、つい」

 つい、なんだ。千晶はついでこういう事を誰にでもやるのだろうか。なんだかとても悔しい。
 俺は千晶に顔を見られたくなくて、先を歩いた。


8
 奥に進むと、出店としてはかなり広い面積を使っているお化け屋敷があった。

「あのお化け屋敷、昔から毎年あるよな」
「そうだね。なんか、昔は凄く大きく見えたし、外観を見ただけでも怖かったのに……今は平気かも。お化けも手作り感あってちょっと可愛いし」
「へぇ。……入る?」
「……や、いいよ。今回はパスで……」

 そう言った俺を見て、千晶はけらけらと笑った。昔千晶と入って、千晶に引っ張られながら俺だけ泣きながら出た思い出がある。多分子ども騙しだとは思うが、割とトラウマなのだ。
 俺は絶対に入りたくはないが、このお化け屋敷は人気のアトラクションで、入り口には列ができていた。夜ということもあって、子どもは殆どおらず、その殆どがカップルだったり、俺達みたいに若い学生が並んでいた。中からは悲鳴が聞こえてくる。

「う、も、行こう」
「ふははっ、うん、行こうか」

 トラウマが思い起こされそうだったので、千晶の手を引っ張って早々にこの場を後にしようと思った時だった。

「おっ?……あー!千晶くんじゃーん!」
「げっ」
「げってさぁ!?酷くない?」
「お前千晶に何したんだよ」
「めっちゃ嫌われてんじゃん」
「そうなんだよ!俺はこんなに仲良くしたいと思ってんのに……」

 千晶のクラスの人達が、お化け屋敷の出口から出てきた。__小野田くんも、いる。

 そうだった。千晶はこういう場だと絶対に誰かに声をかけられる。
 俺は咄嗟に千晶から手を離して、少し距離を取った。千晶はクラスの人達に絡まれて雑談をしている。
 前もこう言う事があった。あの時は、俺はいたたまれず逃げてしまった。そして今も、情けない事に俺の足はまた境内の外へと向いてしまっていた。あの時から、何も変われていない。
 俺はじりじりと後ろに下がった。
 すると、手首をガシっと掴まれた。

「お、小野田、くん」
「どこ行くの?お話しようよ」

 小野田くんだった。既に千晶達とは距離を取っているので、俺と小野田くんの二人だけだった。
 俺の本能が、嫌だ、怖いと告げている。学校で会う度に嫌がらせを受けているけれど、まさか、夏休みに入っても会ってしまうなんて。

「小野田くん、離して……」
「んー、離しても逃げない?」

 俺はぶんぶんと首を縦に振った。小野田くんは、そんな俺をじっと見つめて、俺の手首を掴んでいた手を離した。いつになく言葉数が少なく、妙な緊張感が生まれた。
 逃げないかと聞いたくせに、何も喋ってこない。俺は痺れを切らせて、小野田くんに質問した、
 
「小野田くんは、その、俺なんかと話してていいの」
「え、嫌だけど。ほんとは千晶くんと喋りたい」
「じゃあ、向こう行けばいいのに……」
「だってさあ、あんな態度とられたし。ムカついた。あーあ、俺はこんなに千晶くんの事好きなのに」

 傍から見ていても、小野田くんは千晶の事が大好きなんだろうなと思う。校内で俺と千晶が喋っている場面に出くわすと、小野田くんは必ず間に割り込んでくるし、そのまま千晶をクラスに連れ戻して行く。そういう時はきまって俺をじとっと見つめてから帰る。

 多分、小野田くんは俺が嫌いというか、千晶と一緒にいる俺が嫌なんだと思う。
 小野田くんは態とらしくため息つき、俺はそれにびくっと反応した。

「俺、千晶くん誘ったんだよね。今日お祭り一緒に行かないかって」
「え……」
「断られたの、ヨワヨワくんのせいかぁ」
「……」

 小野田くんは、温度のない表情で俺を見下ろした。

「なんでお前千晶くんと仲いいの。全然違うのに。……千晶くんって、お前の事どう思ってるんだろうねぇ」
「__!」

『俺は、別に仲良くしてるつもりはない。ただ幼馴染なだけで、好きとかじゃないから』
『ねぇ、二人は本当に仲直りしたって言えるの?』
 過去に言われた事がフラッシュバックした。
 全然違うなんて、そんなの分かりきってる。
 今でも千晶が本当は俺の事をどう思っているかなんて分かんないし、千晶は優しいから、もしかしたら__惰性で、俺に付き添ってくれているのかもしれない。

 それでも俺は、せっかく千晶と喋れるようになったのに、前みたいな関係になるくらいなら、今のままでいい。それで十分だ。

「……全然違うのは、分かってる。なんで千晶が仲良くしてくれるかは、分かんない。でも……どう思われてても、俺は別にいい」
「……ふぅん。じゃ、嫌われてもいい?」
「そ、れは……」
「俺は何故か最初から好かれてないからね。千晶くんに何でも言えるしなんでもできるよ。__だからさぁ」
「そうやって、曖昧なままであぐらかいてたら、俺が千晶くん取っちゃうぞ」

 小野田くんは、広角を上げた。

 なんで、なんで。
 なんで、みんなして、そんな事言うの。
 俺は、このままの関係でいいって思ってるのに。

「海斗ー!もうすぐ花火だから行くぞー!」
「はぁーい、今行くー!」

 向こうから、小野田くんの友達が小野田くんを呼ぶ声が聞こえてきた。
 小野田くんはさっきと雰囲気を変えて、俺を見てニコッと笑った。

「じゃあね、ヨワヨワくん。……千晶くんもバイバイ!今度は俺とも遊んでよー!」
「気が向いたらな」
「それ、気向かないやつじゃん!」

 小野田くん達は去って行った。
 千晶は険しい表情をして、俺の方へ向かってきた。

「ごめん、なかなか切り上げられなかった。あいつに嫌な事言われなかった?」
「……うん。大丈夫」
「そっか。俺達も花火見に行こ」
「うん」

 俺達も花火がよく見える高度がある場所へと向かった。昔から、二人で花火を見る時はここだと決めている。

「もうすぐ上がるんじゃない?__あっ」

 ドンッと、お腹に響く轟音が鳴った。
 空を見上げると、既に色鮮やかな火花はしだれて散り、俺は1発目の花火が咲くのを見逃してしまった。
 それに続いて、たくさんの花火が上がっていった。周りにいた人達がスマホをかざし、シャッターを切る音が聞こえる。

 千晶は、まっすぐ前を見上げて打ち上がる花火たちを見ていた。目に反射する花火の光がきらきらとしていて、とても綺麗だった。
 そんな俺の視線に気付いてか、千晶はゆっくりと顔をこちらに向けて笑った。

「花火、綺麗だな」
「……うん」

 空に鳴る花火の音が俺の心臓を揺らした。

 花火が打ち上がった後の宙に漂う煙は、まるで俺みたいだった。


9
 中1の夏休み、俺は、全く外に出ず家に塞ぎ込んでいた。いつまで経っても、夏休み前に千晶が言っていた言葉が頭から離れなかった。

(仲良くしてるつもりはない、ただの幼馴染なだけ……好きじゃない、って)

 直接言われた方がマシだったかもしれない。
 思いっきり、面と向かって、嫌いって言ってほしかった。

 あんな事言われても、俺はまだ千晶の事を嫌いになれない。だから、もう千晶の事考えるのも嫌なくらい、いっそこっぴどく悪口を言ってほしかった。
 俺はもう、千晶を忘れるために時間が過ぎるのを待つしかない。夏休みが明けたら、もう関わらないように自分から千晶を避けよう。千晶に迷惑がかからないように、俺の事を思い出さないように、視界に入らないように__

「旭」

 コンコン、と扉の外からノックの音が聞こえた。数秒おいてから、お母さんが扉の隙間から顔を出した。

「旭、ご飯できたわよ」
「……食欲ない」
「……そう。食欲なくても食べなきゃだめよ。ご飯置いておくから、お腹空いたら食べにおいで」
「……うん」

 お母さんは静かに扉を閉めて1階へ降りていった。
 俺と千晶がだんだん遊ばなくなったりいろいろ合わなくなったのも、お母さんは何も言わないが気付いているだろう。
 お母さんは千晶の事が大好きだったから、もしかしたら悲しんでいるかもしれない。

 何もやる気が起きなくて、ベッドに横たわった。

 去年までは、毎年この時期になると千晶とお祭りに行っていたのにな。
 もしかしたら、クラスの友達や部活の仲間と一緒にお祭りに行っているのかもしれない。
 そう思うと、余計惨めな気持ちになって悲しくなった。
 遠くから、微かに花火の音が聞こえる。

(花火、あんなに好きだったのに)

 __音だけじゃ、なんにも綺麗じゃない。

 俺はそのまま布団を被り、暗闇の中で目を瞑った。


0コメント

  • 1000 / 1000