1
小学生の頃の事だった。
授業が終わり、放課後走って帰宅した。家に入るなり、リビングにいたお母さんに抱きついて俺は泣きながら喋った。
「ひっ、うっ、千晶と、喧嘩したあ〜……」
お母さんは一瞬驚いた顔をして、それでも当時まだ泣き虫だった俺の対処はお手の物といった感じで、背中を撫でてくれた。俺はよく泣く子だったけれど、千晶と喧嘩して泣く事は殆ど無かった。
「なんで喧嘩したの?」
「……千晶が、みんなとサッカーするから、旭もやろって言って……。ほんとは、今日は俺と虫取りに行こって、先に約束してたのに」
その時俺はお父さんに新しい虫かごと網を買ってもらったばかりで、その日虫取りに行くのをとても楽しみにしていた。
「旭は、一緒にサッカーしなかったの?」
母は俺を許容するでも咎めるでもなく、ただただ優しい口調で俺に話しかけていた。
「だって、俺がいても迷惑になるだけだもん……」
「……そっか」
お母さんはきゅっと眉を下げて悲しげな顔をした。
その頃の俺は野球も辞めていて、自分の運動能力の低さを自覚し始め、集団で運動をする事が苦手になっていた。
「俺の方が先に約束してたのに、みんなずるいよ」
「うん、そうよね」
お母さんが頭をそっと撫でてきた。俺はそれに安心して、だんだん涙もひいていった。そして、ぽつりぽつりと何があったかをお母さんに話した。
「俺、千晶に酷い事言っちゃった……」
「あら」
「そしたら、千晶も怒って、サッカーしに行っちゃって」
「……」
「……お母さん、俺が悪いのかなあ」
「うーん、そうねえ。……ううん、悪くないわよね」
その頃は俺も幼かったので、どんな事でも知っていると思っていたお母さんに否定してもらえて、全て正当化されたような気がした。
「じゃあ、千晶が悪いの?サッカーやろって言ったみんなが悪いの?」
「ううん、誰も悪くないわ。でもね、ちゃんと千晶くんにごめんなさいは言わないといけないわよ」
「俺悪くないのに?」
まだ複雑な善悪がはっきりとしていなかった俺は、純粋な疑問をお母さんに投げかけた。
「うん。旭が最初に約束してた事が守られなくて、それで怒るのは当然よね。でもね、千晶くんに酷い事を言ってしまったのは別よ。旭は今傷付いているけど、きっと同じように千晶くんも傷付いているわ。だから、それに対して謝るの。酷い事言ってごめんねって」
「……なんで?」
「だってね、旭も、千晶くんに嫌な事言われたら悲しいでしょ?」
「うん……」
「あとね、言葉にするのは難しいけど……。旭は、千晶くんと一緒に遊べなかったことと、旭くんに酷い事言っちゃったの、どっちの方が嫌だった?」
「……酷い事、言ったの」
「うん、そうよね。旭ならそう言うと思った。旭は千晶くんの事大事に思ってるわよね。……だから、ごめんなさいは言わないといけないの。大事なら、余計ね」
「だから……?分かんないよ」
「ふふ、そうね。まあとにかく、千晶くんににごめんなさいは言おう!大丈夫、千晶くんもきっと旭と同じ気持ちだから。また仲直りできる!」
「うん……」
その日の夜お母さんと一緒に千晶の家に行って謝る約束をした。
俺はお母さんが用意してくれたホットミルクをくぴくぴ飲んで、一旦落ち着いたらメモ帳を取り出して紙に願い事を書いた。
そして第二公園に行き、あの木に願い事を書いた紙を括り付けた。一人で願い事をしに行ったのはその時が初めてで、妙に緊張した事を覚えている。
【なかなおりできますように】
2
4月になり、俺達は2年生になった。
クラス替えがあり、今まで話した事がなかった人も多数同じクラスになった。
そして俺の周りも変わらないものと変わったものがあった。
「おはよ、黒川くん!無事に一緒のクラスになったね」
「おはよう。うん、また1年よろしくね」
同じ文系を選んだ瀬戸くんとはまた同じクラスになった。分かっていたけれど、それでも同じクラスになれた事に一安心した。
そして、瀬戸くん以外の知人とも一緒のクラスになった。
「お、二人も一緒のクラスなんだ」
「林!えー、このクラスになつき二人もいんじゃん」
「はは、被っちゃったなあ」
林那月くん。文化祭の時に案内した迷子の子のお兄ちゃんだ。その林くんも一緒のクラスになった。
瀬戸くんと林くんはもともとそれなりに交流があったらしいが、俺は普段瀬戸くんと千晶以外とはほぼ喋らないので、少しドキドキした。
「黒川くんも文系なんだ」
「う、うん。理系、結構苦手で」
「同じ同じ、俺も。ま、1年間よろしくな」
「うん、よろしく、林くん」
「おっ!黒川くんが俺以外のなつきとよろしくしてる〜」
瀬戸くんは俺が自分以外の人と仲良くしているのを見て、とても嬉しそうにしていた。
この後、俺は林くんともよく一緒に行動するようになる。林くんは年の離れた弟がいるだけあって、優しくて面倒見もすごくよかった。
1年前の俺は、まさかこんなに友達ができるなんて思ってもみなかった。
旭とはもちろん今みたいな関係になれるとは思っていなかったし、最悪友達なんていらないし一人でもいいやと思っていた。それが、今は友達もできて、千晶とも復縁できている。そして、今では彼らと離れる事を自分自身嫌だと感じている。
本当に、全部みんなのおかげだ。
3
始業式とホームルームが終わり、今日は早めの下校になった。
千晶も部活がない日だったので一緒に帰る約束をしていたが、担任の藤崎先生に捕まってしまって資料を運ぶ手伝いをする事になってしまった。藤崎先生にはお世話になったので断る事もできず、引き受けてしまった。すぐ終わる訳でもなさそうだったので、千晶に先に帰るよう言いに行く事にした。
「千晶」
「あ、旭!帰ろっか」
「あ……」
千晶は少し驚いて、そして急いでこちらにやって来た。今まで俺の方から千晶の教室に出向いたことが少なかったからだろう。
一緒に帰る気まんまんの千晶を見て、少し申し訳なく思いつつも先に帰るように伝えた。
「あの、ごめん。ちょっと用事できて、一緒に帰れなくなった。先帰ってて」
「えー、まじかぁ。俺待ってようか?」
「いや、いいよ。多分時間かかるし」
「そっか……」
千晶は散歩に行けなかった犬のようにあからさまにしゅん……とした。そんな顔をしないでほしい……。
そんな様子の千晶を見て俺があわあわとしていると、千晶の後ろから誰かが現れた。
「じゃ、千晶くんは俺と帰るか〜!」
「うおっ」
「え……」
その人は千晶の肩に腕をまわして、千晶と距離を縮めた。
__この人、どこかで見た事ある。
「おい!小野田!いきなりやめろよ」
「びっくりした?あ、久しぶりだねえ、ヨワヨワくん」
「……あ!あの時の……」
思い出した。卒業式の日に、教室で千晶を待っていたら俺に話しかけてきた人だ。
その人__小野田くんはにやっと笑いながら、猫のようにキュッとつりあがった目を俺に向けていた。
その目はまるで、俺を牽制しているようで思わず1歩後ろに下がった。
そんな俺を見て、千晶は小野田くんを宥めた。
「おい、俺から離れろ。ってか、その変なあだ名もやめろ」
「えー、だってコイツ弱そうだもん、その通りでしょ」
「な……」
それで、そんな変なあだ名!
悪口を言われる事にはまあまあ慣れていたが、ここまで面と向かって言われたことがなかったので、何も言えずに怯んでしまった。
「失礼だろ!謝れよ」
「んふ、ごめんね、ヨワヨワくん」
俺のあだ名を変える気はないようだ。からかっているのか、敵対視しているのか。
どっちにしろ、俺の事はあまりよく思っていないのだろう。
千晶とずっと距離が近い小野田くんを見てモヤモヤしてしまったので、早いとここの場から退散する事にした。
「あ、あの、俺、先生に呼ばれてるから、もう行くね」
「あー、旭ごめん。じゃ、先に帰るわ……」
「俺と帰ろうね〜、ヨワヨワくんもバイバーイ」
そして小野田くんはニコッと笑って俺に手を振った。小野田くんは終始千晶の肩にまわした腕を外す事はなかった。
走って自分の教室に戻る。
千晶がいろんな人から好かれるのは知ってたし、そんな千晶と一緒にいる俺が白い目で見られるのも重々承知だった。
でも、なんでこんなに胸が騒ぐのだろう。
4
それから、小野田くんと出会う度に地味な嫌がらせをされるようになった。いじめとまではいかない。本当に、嫌がらせくらい。
例えば、廊下ですれ違った時にわざと軽くぶつかってきたり、この前みたいに悪口を言ったり。
「ヨワヨワくんじゃ〜ん!何?購買で何買ったの?」
「っあ!か、返してよ!」
「ふはは、チビだから届かない?」
今日はお昼時に運悪く捕まり、購買で買ったパンを小野田くんに奪われてしまった。
小野田くんは手にしたパンを上に持ち上げた。単純に身長差のせいで背伸びしても届かなかった。
「ねえ!もう、やめて、よ!」
「んー、取れたら返してあげるって」
「取れないよ!」
取れない位置にあるパンを必死に取ろうとしている俺は、小野田くんの目には滑稽に映っただろう。小野田くんは実に愉快そうにしていた。
「おい、やめろって」
「は、林くん……」
「……あーあ」
そこに、たまたま通りかかった林くんが小野田くんに奪われたパンを取り返してくれた。
「なにしてんだよ。可哀想だろ」
「遊んでたの!ねー、ヨワヨワくん」
「……」
「……はぁ、教室戻ろ、黒川くん」
林くんに連れられて俺は教室に戻った。林くんにこんな醜態を見られて恥ずかしいやら、助けてくれてありがたいやらで上手に林くんを見れなかった。
教室に戻ると、いつも通り美味しそうにお弁当を食べる瀬戸くんがいてなんだか安心した。
俺は机の向きを変え、瀬戸くんの目の前に座り、林くんは俺の横に座った。
「あ、おかえり。遅かったね、混んでた?」
「……混んでたというか……」
「あー、……黒川くんが、小野田に絡まれてた」
「小野田くん?」
「い、言わなくていいよ……」
林くんが、俺が小野田くんに絡まれていた事を普通に報告したので、焦って止めようとした。
「小野田くんって、あー、あの、ちょっとヤンチャそうな」
「そう。黒川くんは小野田と友達なの?」
「友達……いや、友達なんかじゃないよ……」
「じゃあなんであんな……めちゃくちゃからかわれてなかったか?」
「う、うん……えーっと……」
まあ、相談してみてもいいかと思って二人に小野田くんの事を話す事にした。
「ええ、なんだそれ。黒川くんの事気になってるのかな?」
「いや……それはないと思うけど」
「まあ、あり得ない話じゃないんじゃない?……ちょっかいかけたくなるんだよ、多分。なんか、……黒川くん小動物みたいだし……」
「えっ」
「だよね〜!!俺も思う!猫みたいだよね。やっぱ俺だけじゃなかったんだ〜」
「そ、そんな事、ないよ」
確かに、同じような事は瀬戸くんにも言われたが、まさか林くんにも言われるとは思わなかった。一応俺も男なので、矜持的にあまり嬉しくはない。
二人が意気投合し微かな盛り上がりを見せていたが、林くんは真剣な目で俺を見た。
「またさっきみたいな事あったら間入るし、言いなよ」
「あ、ありがと……」
「えー、俺にも言ってよ!」
「ふ、ありがとう、二人とも」
二人の優しさに思わず笑みが溢れた。
小野田くんの行動の意図は掴めないが、俺には心強い味方がいるのだ。きっと大丈夫だ。
5
その日の放課後、俺は部活終わりの千晶と下校していた。
小野田くんの事を言おうか迷ったが、荒波をたてたくないと思い、結局言わない事にした。
「あ、明日部活午前しかないんだけどさ、午後暇?一緒に遊ばない?」
「あー……」
明日は土曜日だ。最近では千晶からの誘いは断る事がほぼなくなっていたけど、明日ばかりは予定が入っていたので言い淀んでしまった。
「ごめん、予定ある」
「え、何?あ、お母さん?瀬戸くん?林くん?」
「あ、そうじゃなくて、えっと……」
「何?……俺に言えない事?」
「違う!えっと、……中学の時の友達と、遊ぶから……」
別に後ろめたいことは無いけれど、未だに千晶の前で中学時代の事をほのめかすような話題を出すのは少し躊躇ってしまう。
何故なら、あの頃の俺達は絶縁していたと言っても過言ではないから。
すると千晶は動かしていた足を止め、口を開けて俺の顔を見た。なかなか見ない表情だ。
「中学、友達……」
「え、え、何」
「……もしかして、……新井?」
「え、なんで分かるの!?」
「!……やっぱり」
その通りだった。俺が明日遊ぶ人は、俺の中学時代の唯一の友達、新井湊くんだった。
湊くんは3年間学級委員長をしていて、ちょっとおかしいくらいに頭がいい人だった。何故か俺に興味を持ってくれて、同じクラスになった中2の時に湊くんの方から話しかけてくれて友達になった。
千晶と湊くんは接点がないと思っていたけれど、まさか俺と湊くんが友達だった事を千晶が知っていたなんて。
「なあ、マジでアイツと遊ぶの?」
「え?うん……」
「はぁ、そっか。……本当に?」
「……うん。いや、なんで?」
珍しく千晶が俺の交友関係に探りを入れてきた。瀬戸くんや林くんには友好的なのに、何故なのだろうか。
「……俺、アイツ好きじゃないんだよ」
「えっ、そうなの」
意外だった。小野田くんは置いておくとして、千晶は基本的に誰とでも仲良くなれる。そんな千晶が、ハッキリと誰かを好きじゃないと言ったのだ。
「でも、遊ぶのは俺だよ?千晶が会うわけじゃないし」
「……」
千晶は何故か黙ってしまった。言いたくない事情でもあるのだろうか。
すると千晶は悔しげに顔を歪めて呟いた。
「……旭、アイツと遊ぶのはまあ、百歩……五百歩くらい譲るけど、一定の距離は保って。遅くなる前に家に帰って。それでなんか……いろいろ勧誘されても絶対断って」
「へ?」
「頼むから」
「あ、あ、うん。……?」
距離?勧誘?……お母さんか?訳が分からなかったが、千晶がとても必死だったので、あまり探りは入れずにとりあえず頷いておいた。
その後も千晶は俺が話しかけてもあまりちゃんと聞いていなくて何度も聞き返してきたし、仕切りに明日何して遊ぶのかとか、どこまで行くのかとかを細かく聞いてきた。本当にお母さんのようだった。
6
そして、土曜日になった。
湊くんの家の近くの駅で待ち合わせをする事になった。普段待ち合わせをする事なんてあまりないからそわそわしてしまい、待ち合わせ時刻より30分程早く駅に着いてしまった。……流石に早すぎたかもしれない。
どこかで時間を潰そうか考えた時だった。
「旭くんっ!」
「あ、湊く……う、わわ!」
湊くんが遠くから俺を見つけて手を振り、そして走りながらこちらまで来て俺に抱きついてきた。
「え、え?」
「旭くん、久しぶりだね!」
「あ、うん!えっと、早いね、湊くん」
「ふふ、旭くんも早いじゃん」
俺も湊くんも早く駅に着いてしまったので、結局30分前倒しになった。
久方ぶりの挨拶をしている間、湊くんは俺をハグしたままだった。そこで俺は千晶から言われてた約束事を思い出した。
「あ、だ、駄目だ!湊くん、離れようか」
「え?どうして?」
「あの……禁止されてるから」
「禁止?なになに」
千晶は湊くんの事を嫌っているそうなので、もしかしたら湊くんの方も千晶の事を好きじゃないかもしれない。それなのにわざわざ千晶の話題を出すのはどうなのか、と思った。でも、千晶の言った事を破るのも、何故か俺の隠し事をすぐ見破ってしまう湊くんに説明しないのも嫌だったので、湊くんに正直に話す事にした。
「あの、千晶が、一定の距離を保てって」
「え……千晶って、大月くん?」
「うん」
「俺との一定距離を保てってこと?」
「う、うん」
「……へぇ〜」
湊くんはじとっと目を細めた。……多分湊くんも千晶の事をあまりよく思っていないのだろう。一体二人の間に何があったのだろうか。
「ま、いいじゃん!どうせ見てないんだし」
「わ、ちょ、」
湊くんは離れるどころか、俺の手を握り俺を引っ張って行った。
「お腹すいたでしょ?ごはん食べよ!」
「うん」
湊くんに引っ張られるがままついていき、辿り着いた場所は意外にもファストフード店だった。
「い、意外だね。湊くんもこういうとこでごはん食べるんだ」
「え、なんで?」
「賢い人ってこういうとこ行くイメージあんまりなくて……」
「はは、俺の事なんだと思ってんの?俺も普通の人間だよ」
そして二人で店内に入り注文をしてボックス席に座った。
「改めて、久しぶりだね。元気だった?」
湊くんは柔和そうな笑顔を俺に向けた。中学の時からどこか大人びていたが、1年ぶりに見た湊くんはさらに大人っぽくなっていた。身長も伸びていたし私服もシンプルなものだったので、俺が隣にいると余計大人のようだった。
「うん。元気だったよ。湊くんは?」
「俺も。……だけど、旭くんいないから超退屈」
「え、俺そんな……そんな面白い人間じゃないよ」
「俺は面白いと思ってたよ。俺、今日旭くんに会えるの凄く楽しみにしてた。誘ってよかったな」
湊くんは人と話す時、じっと相手の目を見て話す。そんな事をじっと目を合わせながら言われると流石に恥ずかしくなってくる。
「あーあ、旭くんもうちの学校来ればよかったのに」
「ご、ごめんね」
高校受験期間の割と最後の方まで、湊くんには「一緒の学校いかない?」と誘われていた。
その学校は、お母さんから噂で千晶が受験する所だと聞いていたから、結局首を縦に振ることはなかったのだけれど。
そして湊くんは、県内でも随一の偏差値の高さを誇る高校に入学した。
湊くんは少し不満げな顔をして、俺に質問した。
「そっちの学校は楽しい?」
「……うん、楽しいよ」
湊くんは目を丸くした。ストローでジュースを吸う音が止まった。
「……意外だね。中学の時は楽しくないって言ってたのに」
「あ、うん……」
「……なんかムカつくなあ」
「え」
「それって、大月くんのおかげ?」
「う……」
高校に入ってからの事をいろいろ考えてみたが、楽しい思い出にはやっぱり千晶と一緒にいる事が多かった。確かに、千晶のおかげでもあるかもしれない。
「図星?」
「あ、いや、千晶も関係あるんだけど、他の人のおかげでもあるから……」
「ふーん……。なんか、旭くんも変わったね」
「え……」
湊くんが少しつまらなさそうな顔をした。もしかして、気を悪くしたのかもしれない。
どんな言葉を返せばいいか考えていたら、湊くんはそんな俺を見てハッとし、言い直してくれた。
「あー、ごめんごめん。いい意味でだよ」
「あ、ありがとう、えっと……、あの、中学、あんまり楽しくなかったけど、湊くんと一緒にいた時だけは楽しかったよ」
「え?」
「ほ、本当だよ。なんか後付けみたいになっちゃったけど、本当だから」
流石にフォローが雑過ぎただろうか。俺が必死に喋っていると、湊くんは不機嫌そうだった顔を緩めて笑った。
「あー……、そうだよね、旭くんはそういう人だよ」
「へ……」
「……はあ、ごめんね。なんか、俺の知らない所で楽しそうにしてる旭くんを見て嫉妬した。旭くんは悪くないよ、悪いのは俺」
そう言って湊くんはポテトを摘んで食べ始めた。
湊くんは、高校楽しくないのだろうか。それを聞こうか迷っている間に、先に湊くんの方から俺に話を振ってきた。
「大月くんとは、関係は良好なの?」
まさか湊くんの方から千晶の話題を出すとは思わなかった。
俺は過去に1度、湊くんに千晶とは疎遠になってしまった事や、あの時の__千晶が俺に対して言っていた、陰口も話した事があった。
「う、うん。……一緒に登校したり、あと……遊んだりしてる」
改めて言うと気恥ずかしくなって、ジュースを飲んで恥ずかしさを誤魔化した。
「へえ。そうなんだ、よかったじゃん」
「あの、気になってたんだけど、湊くんと千晶って関わりあったの?」
「……あー、まあね」
湊くんは俺と同じようにズズッとジュースを啜った。そして一息ついて、なんでも見透かされそうな眼差しで俺を見てハッキリ答えた。
「旭くんみたいに可愛い子をずっとほったらかしにできる幼馴染ってどんなもんかなって思って、それで俺から話しかけた」
「えっ!?」
「あはは、知らなかったでしょ」
「え、う、うん」
動機が動機だったため、俺は顔を赤くしてしまった。そんな俺を見て湊くんは楽しそうにしていた。
「あの時から大月くんは変わったみたいだね。……仲直りできたんだ」
「……う、ん」
「……酷い事言われたって言ってたもんね。別に仲良くしてるつもりはない、好きじゃないって」
「っ……」
湊くんはそうストレートに伝えてきた。きっと悪意は無いのだろう。でも、俺が今までで一番傷付いた出来事だったので、あの時の光景が蘇り、一瞬心が痛んだ。
そして次の言葉で俺の挙動はぴたっと止まった。
「その時の事、ちゃんと謝ってもらえた?」
「え?」
心臓が、大きく音をたてた気がした。
暫く声を出せなかった。
__だってそれは、俺がずっと抱えていた心の重みの核心だったから。
「……ううん。その時の話は何もしてない」
「えっ?そうなの?」
「うん。なんというか、中学のその時の事、千晶も全く話題に出してこないし、俺も自分からその時の話あんまり言いたくないし……多分、気を遣ってくれてるんだよ」
湊くんは食べていた手を止め、真剣な顔で俺を見た。
「……ねえ、それって本当に気を遣われてるって言えるの?優しさ?……違うんじゃない?ただその時の事を話すのが怖いんでしょ、お互い」
「え……」
「大月くんの言葉で旭くんは傷付いたんでしょ。なんで中学の時楽しくなかったの?なんで俺と出会うまでずっと一人だったの?」
俺の口が挟まる余地もなく、湊くんはすらすらと言葉を紡いでいた。湊くんは頭の回転が違うのだろう。きっと、俺以上に俺の事を考えられるんだ。
「中学の時悩んでたのって、つまるところ、全部大月くんのせいだよね。じゃあ、ちゃんと謝ってもらわないと」
「ち、違うよ!」
湊くんはいつも正しい。いつも周りに流されない。
確かに、湊くんの言っていることは正しいのかもしれないが、千晶だけが悪者みたいになるのは違うと思った。
「……あの時の事は、俺が勝手に盗み聞きしちゃったから、多分千晶は俺があの発言を聞いてた事知らないし、それに、俺もそんな千晶から逃げてたから千晶だけのせいじゃないよ……。謝らないのも無理はないよ」
「じゃあ、旭くんも動かないと。俺は中学の時あなたの発言で傷付きました、謝ってくださいって」
「それは……」
湊くんの言葉がズブズブと心に刺さる。
煮え切らない様子の俺に、湊くんはさらに畳み掛けるように語った。
「じゃあ何?旭くんはそんな千晶くんも中学の時の事もひっくるめて許容してるの?こういうこともあったなあって、綺麗な思い出にしてるの?」
「……!」
そんな事ない。
ずっとずっと、心の中で引っかかっていた。
『……俺は、別に仲良くしてるつもりはない。ただ幼馴染なだけで、好きとかじゃないから』
なんであんな事を言っていた千晶が、今俺と仲良くしてくれているのか。本当は、俺の事をどう思っているのか。
ずっと、俺は気になっていた。気がかりだった。なんで、なんで。
「__ねぇ、二人は本当に仲直りしたって言えるの?」
なんで千晶は、あの時あんな事を言ったの。
7
「じゃ、俺帰るね。家までちゃんと帰れる?」
「うん……。多分」
「不安だなあ……」
時刻は18時になっていて、解散する流れになっていた。高校生にしてはだいぶ健全な時間だろう。
次に湊くんに会えるのはいつなのかな、と考えていたら、そんな俺を見て湊くんがふっと笑った。
「うち泊まる?」
「えっ」
「名残惜しそうな顔してたから」
「や、そ、そんな」
「旭くんってほんと可愛いよね」
俺は顔を真っ赤にさせた。湊くんは中学の時から変わらず、こういう事をあけすけに言う人だった。
「あの、気持ちは嬉しいんだけど、千晶が遅くならないうちに帰れって……」
「あー、はいはい、大月くんね」
湊くんはあからさまに「またか」みたいな顔をした。
「はぁ〜、あんだけ拗らせてくせに、いっちょ前に独占欲だけは成長しちゃってさ……」
「ん?何?」
「いや、何でもない」
何か小声で言っていた気がしたが、よく聞き取れなかった。
そして最後にもう一度、湊くんは俺を抱きしめて耳元で囁いた。
「大月くんが嫌になったら俺のとこ来ればいいからね」
「え……」
「よし、旭くん補給いっぱいできたし、帰るね。また遊ぼう!」
「う、うん!またね!」
そう言って湊くんは帰っていった。
俺も一人歩き出し、心を占めていたのはやっぱり千晶の事だった。
仲直りしたつもりでいたけれど、あの時のわだかまりが消えた訳じゃない。最近千晶といるのが楽しくて、その事から目を背けていた。
でも今更、何を話せばいい?それにあの時の話をしたとして、もしも千晶に惰性で幼馴染という関係を続けていたと言われてしまったら。
俺はきっと耐えられない。例えそれが本心だとしても、面と向かって聞きたくなんかない。
大丈夫、文化祭の時に言ってくれた言葉は本当のはずだ。
それだけでいい。俺はせっかく築き上げた今ある関係を崩したくない。
そうして、俺はまた自分の気持ちから逃げてしまった。
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