1
約3年ぶりに対面した幼馴染は、まるであの頃のままタイムスリップしてきたみたいに変わっていなかった。
「あ〜、旭、身長伸びたな」
「うん。でも、ちょっとだけだけど……」
旭は忙しなく目線を泳がせ、居心地が悪そうにそう答える。
身長伸びたな、と言ったものの、俺の目からすると、ほんの少しという感じだった。
声も、あまり変わっていない。
3年だ。俺達が離れていた期間は3年もある。
多分成長期が遅いのだろうが、それにしたってあの頃と変わっていなさすぎる。
まるで、旭だけあの頃のまま閉じこもっているような気がして、胸が痛くなった。
俺は、もう二度とこの幼馴染を手放さないと決心している。
2
俺達は物心つく前からずっと一緒だった。友達というか、ほぼ家族のような存在。旭が隣にいて当たり前だった。
自分で言うのもなんだけど、俺は昔から容量が良くて、やりたい事は何でも挑戦した。
対する旭はそうではなく、苦手なものと得意なものがハッキリ分かれていた。引っ込み思案で尻込みする事も多かった。だから、俺が旭の手を引っ張っていってた。
正直、俺の後ろを一生懸命ついてくる旭のことが可愛くて仕方なかった。俺を真似して、俺と同じ事をしようとする旭。
旭は俺がいないと駄目だな。
同世代の友達も少なかったので、旭は俺の事を大事に思ってくれていたし、勿論俺も旭のことを大事に思っていた。
旭は俺の事をよく「こんなこともできて凄いね」と褒めてくれたが、俺からすれば、旭も俺の知らない事をたくさん知っていて凄いと思っていた。
旭は植物が好きで、公園に咲いている花や家で育てている花の名前を俺に教えてくれたりした。
俺は正直植物に興味は無かったけど、ニコニコとしながらちっちゃい手で一生懸命花を育てていた旭は凄く可愛いと思っていた。
俺は好きなものを大事にする旭が好きだった。
旭の口から野球を辞めると聞いたのは、事が起きた数日後の事だった。
どうやら、試合後に他のメンバーに悪口を言われたらしい。
俺の知らない所で旭が複数人に責められて泣かされたという事実が耐えられず、頭に血がのぼった。
俺も野球を辞めようと思ったが、旭に必死に止められてしまった。
旭がいなくなってからは、野球自体は楽しかったけれど、どこかに虚しさがあった。ずっと一緒だったのに、いきなり隣にいた人がいなくなったのだ。無理もないだろう。
最初は悲しさ、次に苛立ちをを覚えた。
何で俺を置いて辞めたんだとか、何ですぐ言ってくれなかったんだとかを考えて、ムカムカするようになった。
放課後野球の練習に行ったり休日に練習試合がある俺と、何もすることがなくなった旭とでは会えない時間が増えていった。
旭は運動が苦手であることを自覚し始め、俺と遊ぶ時も体を動かすような遊びを好んでしなくなった。対して俺は体を動かしたい盛りだったので、遊びたい事の種類も合わず、喧嘩も増えてしまった。
今思うと何を小学生の遊びごときで、と思わなくもないが、幼い頃の喧嘩なんて些細な事から始まるものだ。
旭が野球を辞めてしまった事はもう諦めがついてしまったし、旭自身もついていけない練習から解放されてホッとしているようだった。
もう一つ、俺が焦りを覚えた事があった。
クラスの男子から、旭の「花を育てている」という趣味を馬鹿にされたのだ。
小学校も高学年になると、性差を意識するようになり、「男らしくないもの」に対してからかうようなやつらも多い。
彼らは旭のことを「女の趣味だ」「ダサい」と攻撃していた。
俺はそれに我慢ならず、間に割って反論した。
本当にそんなことない。旭は自分の好きなものに一緒懸命で、好きなものを大事にできるかっこいい人なんだ。何でこいつらは分かってくれないんだろうと躍起になってしまった。
相手が俺の反論に怒って、俺に手を上げようとした。
その瞬間、旭の大きな声が聞こえて、相手の動きもピタリと止まった。
「や、やめてよ!!俺、女じゃない!花も、好きじゃない!!」
「あ、旭……?」
「違うから……。俺、好きじゃない……。き、き、嫌い。お、俺、女じゃ、ない……」
旭はボロボロと涙を流しながら、途切れ途切れに言葉を発していた。
血の気が引いた。
俺を庇うせいで、旭に自分の好きなものを否定させてしまった。
そいつらは旭の涙を見て狼狽え、その場から逃げていった。
「旭、ごめん」
「うっ、うぅ」
「ごめん……」
「ぅ、うぅっ」
俺は旭にただただ謝るしかなかった。
旭から好きなものがどんどん奪われていく。
俺はそれが何よりも怖かった。
旭はその日以来、植物の話をする事が無くなった。
3
中学に上がった段階で、俺達の道はもう確実に別れていたんだと思う。
いや、俺が別れさせてしまった。
旭とクラスが別れてしまって、最初は悲しかったし物足りなさを感じた。
入学式前にクラス分けの紙が貼られた掲示板の前で泣きそうになりながら、俺がいなくても頑張ると決意した旭を見て感情がぐちゃぐちゃになった。
頑張れ
嘘だ、旭は俺がいないと駄目だろ
旭なら大丈夫
無理だ、きっとすぐ俺を頼るだろ
真逆の感情を抱いたが、全部本心だった。
俺はどの感情も言葉にできず、ただ「うん」としか返せなかった。
それでも、旭の事をちゃんと気にかけないとと思ったのは最初のうちだけだった。
俺は、新しい友達がたくさんできた。
俺が知らないような遊びとか、知らない場所とか、知らない音楽とかをたくさん知っていて楽しかった。俺の知らない世界ばかりで、まるで俺の世界が広がったみたいだった。
そいつらは誰が見てもカーストトップと言える部類の人間だった。俺はそのグループに属し、そいつらにズブズブと染まっていった。
思春期も相まって、誰とつるむかとか周りの目とかを気にし始めていた。
そして、あんなに大事にしていた旭の事を蔑ろにしてしまっていた。
決して思ってはいけないことなのに、「大人しくて真面目な旭と一緒にいると変だと思われる」と思っていた。
だから、俺は旭のことを自然と避けるようになってしまったし、登下校で一緒になった時も旭に冷たい態度をとってしまっていた。
それでも、旭は一生懸命俺についていこうとしていた。
夏休みに入る前の日。
俺は、言ってはいけないことを言ってしまった。
「あいつ、お前の幼馴染?」
「うん、まあ」
「似合わねーな。めちゃくちゃ地味じゃん」
「はは……」
「あんな奴と一緒に学校行ったり帰ったりしてんの」
「……時間が合えばな」
「へぇ。そんな時間勿体ねえって。部活無い時は俺らと遊ぼうぜ」
「……」
「何?嫌?もしかして結構仲良かった?あんな奴好きなのかよ」
「……俺は__」
鼓動が早くなった。考えてはいけないのに、言ってはいけないのに、溢れた言葉は止めることが出来なかった。
「……俺は、別に仲良くしてるつもりはない。ただ幼馴染なだけで、好きとかじゃないから」
言い終わって、体から力が抜け落ちた感覚がした。旭のことを蔑ろにしつつも、口に出した事は無かった。
俺は今、とんでもない事を言ったのではないのか。
言ってから後悔した。
本当はそんなこと思っていない。
嘘をついてしまった。
旭が自分の好きなものを否定したあの時も、こんなに心が苦しかったのだろうか。
教室の外で誰かが廊下を走り抜ける音がした。
4
夏休みを境に、旭から全く話しかけられなくなった。
夏休み中は部活や大会が忙しかったし、特に気にすることもなかった。
毎年旭と行っていた夏祭りを、今年はこいつらと行くんだな、と思ったくらいだった。
我ながら酷い話だと思う。
明らかにおかしいと思い始めたのは、夏休み明けからだった。
母さん伝いで、旭が朝早く学校に行って勉強する事にしたから、一緒に登校できなくなったと聞かされた。
正直ホッとしてしまった。あいつらに旭と一緒にいる所を見られなくて済むから。
もう、旭の事を守りたいのか、自分の事を守りたいのかも分からなくなっていた。
それ以外の異変もあった。
あんなにタイミングを見計らって俺の元に来て、いつ空いているかとかこの日一緒に遊べるかとかを俺に聞いてきてた旭が、一切俺の元に来なくなった。
それどころか、旭に避けられていると感じるようになった。
廊下の先で旭の姿を見ても、絶対にそこで曲がって階段に逃げていたし、体育が合同になった時も、絶対に目を合わせようとせず、俺から一番遠い位置にいた。
離れていったら離れていったで、心がざわついた。
なんで避けるのか、こちらをチラとも見ようとしないのか。
もしかして、夏休み前の俺の発言を聞いていたんじゃないか。
ありえなくない。あの日俺は、旭は絶対俺の予定を聞きにくるだろうなと思っていたから。
結局部活が終わるまで一度も旭の姿を見る事がなかったから、肩すかしを食らった。
でも、もしあの時全部を聞いていて、それから俺の事を意識的に避けるようになってしまったのなら。
だとしたら、俺は旭に謝らないといけない。
あれは嘘だって言わないといけない。
でも、このくだらないプライドが邪魔して謝れなかった。
その時の俺の立場が崩れるのも嫌だったし、長らく旭の事を蔑ろにしておいて今更何を、と思ってしまった。
今思うと本当に情けない。
結局あの頃の俺は、自分が一番可愛かっただけだった。
でも、旭から意識的に避けられるくらいならまだマシな方だった。
中1の終わりくらいの頃だった。
もう俺の事をなんとも思っていないんだろうな、と感じたことがあった。
その日は移動教室があり、目的地に向かっていつものグループのやつらと歩いていた。
廊下の先から、旭がこちらに向かって歩いて来た。
いつもは逃げるのにおかしいなと思いつつも、もしかしたら俺達の存在に気付いていないのかもしれないと思った。
中1の終わりともなると、俺と旭はまず対面することがほとんど無くなっていた。久しぶりの邂逅に、少し緊張した。
なのに。
旭は何の感情を見せることもなく、俺の横をスッと通り過ぎて行った。
表情が抜け落ちた、何も考えていない、楽しいことなんて一切なさそうな顔で、通過したのだ。
__気にも止められなくなってしまった。
自業自得であるのに、俺はそれを信じたくなくて、思わず立ち止まってしまった。
「ん?どうした?」
「……いや、なんでもない」
なんでもないなんて嘘だ。
本当は、振り返って、走って追いかけて、旭を引き止めたかった。
なんでだよって、俺の事興味無くなったのかよって、今すぐ言いたかった。
でも、できなかった。俺の心が弱いからだ。
俺はやるせない思いでいっぱいになった。
後悔だけが、すれ違った場所にずっと留まり続けていた。
5
中学2年になった。
もし次のクラス替えで旭と一緒になれたら、少しくらいは歩み寄れるかもしれないと思ったけど、結局クラスは離れてしまった。
いろいろムシャクシャして、新しい関係を作りたいと思い、告白してきた女の子と付き合ったりした。
来るもの拒まず、去るもの追わずの精神だった。
だからだろう。誰一人とも長く続かなかった。
数ヶ月たった時だった。
奇しくも一緒のクラスになってしまった1年の時つるんでいた数人が面白そうに、窓の外見てみろよ、と言ったので俺はそいつらの指す方向へ目線を向けた。
目を見開いて驚いた。
旭が一人で花壇の中の雑草を抜いて、花に水をやっていた。
「おい、あれ、お前の幼馴染じゃない?」
「お花育ててカワイーじゃん」
「すげーな。一人で雑草抜いてさ、頑張ってんな」
「委員の仕事でもないだろ、あれ。自分でやっんじゃないの」
「なんのためだ?内申点アップかぁ?」
「……」
そいつらはその様子をからかって面白がっていた。
俺はそれに何も反応する事なく、ただじっと旭を見つめていた。
あの時、俺のせいで好きなものを諦めさせてしまったと思っていたけど、植物はまだ好きでい続けているんだろう。
言いようのない安堵感に自然と目頭が熱くなった。
俺は、旭からいろいろなものを奪ってしまった。その後悔はまだ消えていないが、植物はまだ好きでいてくれている。それが嬉しく思えた。
それでも、一人でひたすらに雑草を抜く姿はとても小さく、寂しそうに見えた。
数ヶ月後、その隣に知らない男がいた。
俺はあれから部活の無い放課後は、教室の窓から植物の世話をしている旭の姿を見下ろすのが日課になっていた。
いままでは一人で作業をしていたのに、ある日突然知らない男が隣にいるようになっていた。肩をピッタリとくっつけて、一緒に花を見てる。たぶんそいつは旭から花の説明を受けているのだろう。旭が笑っているのが見えた。
誰だよアイツ。
人の事も言えないのに、旭が俺の知らない所で知らないやつと仲良くなっていて、妙にイライラした。
後に、その知らないやつは旭のクラスの学級委員長である、新井湊だということが分かった。
新井の事は知っていた。
2年連続で学級委員長になった男で、すこぶる頭が良くて、それを表立って鼻にかけることはないが、周りとは一線を引いているような奴だ。誰かと親しくしている所を見たことがなかった。あまりにも成績優秀なので、学年の中では有名人だった。もしかしたら、お互い一人でいる事が多かったから、惹かれ合うものがあったのかもしれない。
こんな形で旭の笑った顔を久しぶりに見る事になるなんて、思いもしなかった。
これ以上見ていられず、俺は足早に教室を出て行った。
6
ある日の放課後、部活終わりに玄関で外を眺めていた。
急に雨が降ってきたが傘を持っておらず、どうしようかと迷っている時だった。
「あちゃー、天気予報嘘つきだね」
「……え?」
俺の横に、新井が立っていた。
あの一件で新井の事は意識していたので、タイムリーだな、と思ってびっくりしてしまった。
「大月くん、だよね」
「あ、うん」
「傘無いの?俺も無いの。困ったね」
まさか、話しかけてくるとは思わなかった。しかも俺の事を認知していた。新井ってそんな誰にでも話しかけるようなタイプだったのか。
と、思ったが、違うようだった。
「旭くんさ、」
「……は」
「黒川旭くん。幼馴染なんでしょ?」
「あ……まあ」
「ふぅん」
この話題を振ってくるなんて、もしかしたら確信犯かもしれない。
すると新井は俺に、文字通り、言葉を投げてきた。
「旭くんさ、いいよね。ニッて笑うと八重歯見えるんだ」
はあ?
俺はその発言にイラッとして、ムキになって返してしまった。
「……そんなん知ってる。あいつ、片方だけえくぼできるから」
「おお〜マウント返しですか」
何なんだこいつ。本当に腹が立つな。
「旭くんって面白いね。なんか、みんなとは違うよね。あ、みんなってのは、羽目をはずしている反抗期の人たちの事ね」
新井のセリフが全て挑発のように聞こえる。何故こんな事を俺に言うのだろうか。
そして、次の発言に俺の思考が止まった。
「旭くん、綺麗で可愛いよね。俺、すっごいお気に入りなんだ」
「は……?」
何?お気に入り?お気に入りとは、どういう意味合いだ。
「俺、学校ってそんなに好きじゃなかったんだけど、旭くんと一緒のクラスになってからはそこそこ楽しいよ」
「……」
「……あ、もうこんな時間。俺お先に帰るね」
そう言って、新井は鞄から折りたたみ傘を取り出した。
「え、傘あるじゃん」
「うん。あったね。じゃあね!」
新井は折りたたみ傘を広げ、振り返ることもなく去って行った。
絶対、傘ある事分かってやっただろ、あいつ。
新井とのやり取りには、全てモヤモヤしたものが残った。
7
中学3年になった。
3年目も旭と一緒のクラスになる事はなかった。
3年にもなって受験生の自覚が芽生えると、やんちゃしていたやつらが少しは落ち着いてきた。俺のまわりのやつらもそうだった。他人を比較してあーだこーだ言ったり、品の無い話をする事も少なくなってきて、それが俺は嬉しかった。
2年の終わり頃に一度進路調査票を提出する機会があったが、その時はあまり深く考えずに親に勧められてた高校の名前を書いた。この近くの進学校だ。
正直今まで勉強は手を抜いてしまっていたが、この一年でどうにかできる自信はあった。
旭の志望校を聞いたのは、母さんからだった。
俺の母さんと旭のおばさんは、俺達が離れていても交流を続けていた。そこで聞いた情報らしい。
旭の志望校は、この学校から進学する人はあまりいないような、距離の離れた高校だった。
もっと近くて同じくらいの偏差値の学校はいくつかある。わざわさそこを選ぶような人なんていない。
そう、旭はそこをわざわさ選んだのだろう。
理由は聞かなくてもなんとなく分かる気がして、それが辛かった。
でも、もううだうだ弱音を吐いていられない。
俺はその情報を聞いて、旭と同じ高校に行くと決心した。
結局、旭は俺がいないと駄目なんじゃなくて、俺が旭がいないと駄目だった。深く深く執着していたのは俺の方だった。
陸上部最後の大会で、俺は優勝する事ができた。それまでは、タイムが伸びず、練習が嫌になった時もあった。
ちょうどスランプ気味だった時だ。
夏休みに写真部の校内展示があると聞いたので、見に行く事にした。
俺は、旭の作品に目を奪われた。
見事に開花した、オレンジ色の花。
水滴が花びらの上に浮かんでいた。
タイトルを見ると、「カレンデュラ」と書いてある。
きっと、旭が育てた花なんだろう。
写真の事はあまりよく分からないが、とても綺麗な作品だと思った。
単純な話だが、「旭も好きなものにちゃんと向き合ってるんだから、俺も頑張ろう」と気持ちを切り替える事ができた。
そんな矢先にタイムも伸び、結果、最後の大会で優勝する事ができた。
正直、それまではこれでもう陸上は最後かな、と思っていたが、大会が終わってみると、まだ続けたいという気持ちに変わっていた。
進路希望としては、陸上を続けながら勉強についていけるよう、普通科の、俺みたいな普通の人が通う一般的な進学コースを選んだ。
母さん的には進学校に進んでほしかったらしく、そうでなくとも特別進学コースに入ってほしいと言われた。それだと、俺はちゃんと部活と両立できる気がしなかったので、話し合いの結果、進学コースでもいいけど、部活は2年間までで、3年目はちゃんと大学受験に励むように、ということになった。
中学の俺の生活態度があまりよろしくなかったので、母さんはそれを大分気にしているらしい。
ちゃんと親にも認めて貰えた事によって、俄然やる気が出てきた。
親には、「旭には同じ高校に行く事を受験が終わるまで知らせないで」と釘をさしておいた。
部活を引退する時期になり、みんなが徐々に受験モードに突入していった。
俺もそのうちの一人だ。今まで部活に費やしていた時間を、ちゃんと受験勉強に当てていた。
旭は3年のクラスでも新井と一緒になっていた。旭のクラスを通りかかると、よく放課後二人で勉強をしている姿を見た。とても悔しかった。
ただ唯一安心できたのが、新井は当初俺が母さんに勧められていた高校に進学する、という噂を耳にしていた事だった。
あの高校の特別進学コースは、県内でも随一の偏差値だ。新井はめちゃくちゃに賢いので、きっとそこに進学するのだろう。
俺は二人が一緒に勉強をしている姿を見るたびに、「来年は絶対俺が旭の隣にいるから」と勝手に敵意を燃やしていた。
そして、受験が終わり、合格発表の日になった。
受かっていた。とても嬉しくて、暫くその場から動けなかった。
母さんから、「旭くんは余裕そうよ」と聞いていたので、旭の結果に関しては心配はしていなかった。
合格発表の場で、旭に会うことは無かった。
8
受験が終わると、もうあっという間に卒業式だった。
いろいろあったが、なんだかんだいつも一緒につるんでいたやつらも、3年間を通してかけがえのない友達になっていた。
グラウンドでそいつらが涙を流しながら別れを告げてきて、不覚にも俺も泣きそうになってしまった。
ひとしきり別れを惜しんだ所で、さあ帰るかと思った時、視界に入った人物に全て意識を持って行かれた。
__新井が、旭を抱きしめている。
旭は背中しか見えなかったが、肩が震えていたので、きっと泣いているのだろう。
お互い別れを惜しんで泣いているだけならまだ良かった。
問題は新井だ。
新井が旭の背中を擦りながら、俺の方を見てニヤリと笑った。
俺は訳も分からず、その場から動けなかった。
二人は一言二言会話し、旭がまたね、と手を振って校門を抜けて行った。
残された新井は、俺の元にやって来た。
新井が何を言ってくるのか分からず、妙に緊張した。
「卒業おめでとう、大月くん」
「……お前もだろ」
「そういう意味じゃないよ。中学のいろんなしがらみからってこと」
「……」
本当に掴み所の無いやつだ。ずっと一枚上手な様な気がして、心底腹が立つ。
「あーあ。本当は旭くんに俺と一緒の高校来て欲しかったから、最後の最後まで誘ったんだけどなあ」
「はあ!?」
「旭くん、頭いいから。俺とコースは違えどきっと受かると思ったんだよね。……でも駄目だった」
こいつ、知らない間にそんな事をしていたのか。油断も隙もあったもんじゃない。もし旭が進路を新井と一緒の所に変えていたら、と思うとゾッとした。
「……悔しいよね。2年間ずっとずっと一緒にいたのは俺だし、旭くんと仲良かったのも俺だし、旭くんが心を開いていたのも俺だったのに……」
「……」
「結局、最後は君だったよ。君との関係を断ち切りたいからって、あの高校選んでた」
「……!」
「負の感情だとしても、俺は君に負けた。ずるいよほんと、幼馴染ってだけなのに」
「……違う。幼馴染なだけじゃない……」
「何?違うの?」
俺は、それに何も返せなかった。
「ま、いいよ。今回は俺の負けだから。執念で旭くんと同じ高校を選んだ、本当は意気地なしの幼馴染くんに一旦譲ってあげる」
「は……」
「また旭くんの事蔑ろにするんなら、俺が迎えに行くから。うかうかしないでよね」
新井はそう言って去って行った。
その時の俺は何も反論ができなかった。
クソ、あの野郎。最後の最後まで鼻につくやつだった。
でも。
これで完全に決意した。
もう旭の手は絶対に離さない。誰にも渡せない。
俺は卒業証書の入ったケースを強く握りしめた。
9
「準備できた。行こう」
「お、おう。早かったな。忘れ物ない?」
「多分」
「提出する資料は持った?」
「持った」
「定期は?」
「……持った」
「ハンカチとティッシュは?」
「なんだよ!そこまで心配しなくていいから!」
「はは、ごめん。なんか、やっぱり旭の事になると、いろいろ気にかけてしまうみたいだな」
「っ……」
「ん?」
「…………か、過保護はうちの親だけでいいから……」
いきり立っていた旭は、どんどんと尻すぼみになって最後はもう顔が真っ赤になっていた。
恥ずかしかったり、感情が高ぶった時に顔が赤くなるのは変わっていなかった。
そんな旭に可愛いな、なんて思って、俺はひとしきり笑った。
「じゃ、行こっか」
「……うん」
俺は旭の手を掴んで、玄関の扉を開けた。
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