1
「ううっ……ヒッ……うぅ……」
俺は昔から方向音痴で、よく迷子になっていた。
どうやって進んで来たのか、どこに向かえばいいのか、振り返ると分からなくなるのだ。
その日は、千晶とクラスの子数人とで一緒に外で遊んでいた。かくれんぼをする事になり、鬼は千晶だった。俺は絶対に見つからないように、とはしゃいでかなり遠くまで逃げてしまった。
そして、ちょうどいい隠れ場所に隠れた時に、ふと「ここはどこなんだろう?」と考えてしまった。
多分、誰もこんな所まで行ってると思っていないだろう。ここまで来ないかもしれない。
見つかりたくないから遠くまで来たのに、見つけて貰えないかもしれないと思うと酷く不安になった。
元の場所に帰ろうと思い歩き出したが、どこから来たのかが全く分からない。
右?左?どちらに進んでいいか分からず、その場をうろうろと往復した。
数分経ってももちろん誰も来ず、俺もどうすればいいか分からずに、また隠れ場所に戻って膝を抱えて蹲った。
時間が経てば経つほど帰れない不安が大きくなり、怖くて涙が出てきた。
(このまま、誰にも見つけてもらえずに死んじゃったらどうしよう)
幼い頃の発想は大げさで、死まで意識してしまった。
(誰か、見つけて……)
そう願いながら、膝に顔を埋めて静かに泣いたていた。
2
文化祭当日になった。この高校の文化祭は2日間行われる。今日はその1日目だ。
文化祭役員である俺は朝からバタバタと動いていた。
外部の人も立ち入りが許可されているので客も多く、尚且つ大規模校であるため各クラスの模擬店やアトラクション、個人ステージでの発表者も多い。
校内の見回りや誘導などの役員の通常業務に加え、いろいろな場所で起きるアクシデントの対応に追われ、予想以上の忙しさだった。
個人ステージでの舞台進行は大変だったけど、ステージ裏で発表も聞けるし、なかなかやりがいのあるポジションだった。
進行の仕事も終わり、一息つこうかという所で、小さい男の子が一人で泣いているのを見かけた。迷子かと思い、声を掛けてみた。
「どうしたの?一人になっちゃった?」
「……うん」
「そっか。誰と来たの?」
「ママ」
「ママ、一緒に探してもいい?」
「う、うん」
「よし、探そっか」
俺はその子の手を握って、歩き出した。
迷子の不安さは俺はよく知っている。なるべくこの子に安心してほしいと思って、たくさん話しかけた。
「ママ、どんな人かな」
「ママ、やさしいよ」
「ふふ、優しいんだ。どんな髪の毛してる?」
「かみのけはね、短いよ。あっちゃんと同じでね、黒いの」
「あっちゃん?僕のお名前かな?」
「うん。あつきだよ。ママとパパはあっちゃんって言うの」
「あつきくんか。お兄さんもあっちゃんって呼んでいい?」
「いーよぉ」
「ありがとう。お兄さんの名前は、旭って言うの」
「あさひくん?」
「うん。よろしくね、あっちゃん」
「うん」
年少か年中くらいだろうか。ポンポンと会話が出来るから賢い子かもしれない。
とりあえず近くの教室から見て回ることにした。
「俺もね、昔よく迷子になってたよ」
「いっしょ?」
「うん。一緒だね」
「いまはー?」
「今……うん、そうだね。大事な人とバイバイしちゃう時あるから、今も迷子かも」
子どもになんてことを言うんだと思いつつも、ついポロッと溢してしまった。
「バイバイしないよ。まいごはバイバイじゃないよ」
「……!」
「あさひくんもママ見つかるよ」
「……ふはは、そっか。ママね。俺も見つけられるかな」
「うん。だいじょうぶだよ」
こんな小さい子に励まされてしまった。子どもは年に関係なく意外と鋭い所があるな。
そして、お母さんを探していたら見回りをしている瀬戸くんに出会った。
「黒川くん!お疲れ様!……って、その子誰?」
「うんとね、この子迷子みたい。よかったら一緒に探してくれる?」
「もちろん。早く見つけよう」
瀬戸くんも一緒に捜してくれる事になった。あっちゃんがちらちらと瀬戸くんの方を見ている。
「あー、あっちゃん、この人は俺の友達だよ」
「おともだち?」
瀬戸くんはニコッと笑いながら、あっちゃんに目線を合わせて自己紹介した。
「うん。旭くんの友達の、瀬戸夏樹です。夏樹でいいよ」
「なつきくん?」
「そう。俺もあっちゃんって呼んでいい?」
「うん。あっちゃんのにーちゃんも、なつきって言うんだよ」
「え?本当?」
確か、他のクラスにもなつきと言う名前の人がいたはずだ。その子の弟だろうか。
「なつき……林那月じゃない?2組の」
「そうかもね。2組ってたしか、ドリンク販売だっけ」
「だね。一応行ってみるか」
俺達は、あっちゃんと手を繋ぎながら目的地へと向かった。
教室の前には林くんとそのお母さんと思われる人物が不安そうに会話していた。
「ママ!にーちゃん!」
「!……あつき!!よかった!」
あっちゃんが、お母さんの元に飛び込んで行った。
「ごめんね!ママが目を離したから……!」
「はぁ〜、よかった。校内放送で呼ばれて恥かくところだった」
林くんもあっちゃんの頭を撫でながら安堵している。
「お二人が見つけてくださったんですか?ありがとう!」
「サンキュ。助かった!母さん、この二人文化祭の役員だよ」
「あら、そうなの。お仕事中にごめんね、本当にありがとう!あつきもお兄さん二人にありがとうして?」
「あさひくん、なつきくん、ありがとお」
「いいえ、どういたしまして」
「ママとにーちゃん見つかってよかったね」
「あ、そっか。瀬戸もなつきって言うのか」
「そうそう!それで、もしかしたら林の弟かなーって、ここに連れてきた」
「流石特進クラス、頭いい〜。本当にありがとな。休んでく?今なら席空いてるよ」
「林も特進クラスだろ。ううん、いいや。ありがとう。役員の仕事あるし、また時間空いたら来るわ」
「分かった。いつでもどうぞ!黒川くん、だっけ。黒川くんもありがとうな」
「黒川で合ってるよ。ううん。どういたしまして」
「あさひくんっ」
林くんにお礼を言われると、あっちゃんに声を掛けられた。
「……ん?何?」
「あさひくんも、ママ見つかるといいね!」
「ははは、うん、ありがとう!」
俺達は三人と分かれて、また持ち場に戻った。
「……黒川くんもママ探してんの?」
「なんか、話の流れでそうなった」
「なんだそれ。にしても良かったな、お母さん見つけられて」
「うん。本当に良かった。一緒に見つけてくれてありがとう」
「ううん、全然。黒川くんって、子どもには案外優しいんだ」
「案外って……」
「いや、はは、子どもに敬語で接するイメージだった」
「そこまで堅物じゃないよ」
「そうだね。黒川くんは意外と喋りやすいしね。懐いてきたら全然棘がなくなるよね」
「懐くって……。死んだ猫投影しないでよ」
「いやだって、どうしても似てるしさ。どう?俺的には最近かなり懐いてくれてるなーって思うんだけど」
「……まあ、前よりは」
「ふへへ。嬉しいですねえ」
瀬戸くんはニヤニヤとこちらを見ながら笑った。
そして、思い出したように俺に質問してきた。
「てか黒川くん、今休み時間だよね。自分の仕事以上に仕事してない?大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
「そう?ちゃんと大月くんと文化祭周れてる?」
「……」
千晶の名前が出てドキッとした。正直に言うか、誤魔化すか一瞬迷ったが、正直に言うことにした。
「……実は、時間が合わなくて、一緒に周れなくなって」
「えっ!……俺替われるところはシフト替わるよ。行っといで?」
「いや、いいんだ。瀬戸くんに迷惑掛けたくないし。ありがとう」
「……」
瀬戸くんは少し悲しげな顔で俺を見て、黙ってしまった。
「ちょっと、ここで待ってて」
「え?うん」
そう言うと、瀬戸くんは来た道を引き返して行った。暫く待つと、何かを両手持った瀬戸くんが小走りに戻ってきた。
「はい、これあげる」
「これ……」
林くんのクラスが売っているドリンクだ。ゴロゴロした黒い塊がカップの中に沈んでいる。
「タピオカ?」
「うん。意外と美味しいよ。あげる」
「え、貰っていいの?」
「いいよ。俺の奢り」
「ありがとう……嬉しい」
「俺が一緒に文化祭周ってあげたいけど、俺もう予定つめつめでさ。だから、これで一緒に周った気分味わお」
「ふふ、ありがとう。これで十分だよ」
俺達は次のシフトまで階段の隅に座り、ひっそりと束の間の休息を楽しんだ。
その後も俺は役員の仕事に追われ、結局、この日は一度も千晶と会うことは無かった。
3
文化祭2日目になった。
この日は一大イベントととして、外部からロックバンドがステージに登場してくれる。
このあたりでは割と有名人らしいが、俺はそういうのに疎いので名前を聞いたことが無かった。
どうやら噂によると、若者に人気の青春応援ソングが心に刺さるだとか。
2日目にもなると、業務も慣れて、次第に時間の余裕が出てくる。
昨日は忙しさの余り余計な事を考える暇もなかったが、今日は時間が空けば、嫌なことをあれこれと考えてしまった。
千晶に、酷い態度をとってしまった。
俺は千晶からの誘いを断って以来、一度も顔を合わせていない。千晶が近くにいると感じたら、ついつい逃げてしまった。
スマホに届いていたメッセージも返せていない。
本当に最低な事をしていると自分でも思う。けれど、気まずくて避けてしまっていた。
千晶、怒っているかな。それとも、酷い人だって、軽蔑したかも。もう愛想尽かして喋りかけてくれないかもしれない。
今度こそ、本当に俺のことを嫌いになったかも。
そんなことをぐるぐると考え、いや、どうせ他の友達と楽しくやってるだろうと無理やり気持ちを切り替えていた。この繰り返しを何度やったか分からない。
そしてまた、卑屈になって嫌なことを考える。
__せっかく、また前みたいに話せるようになってきたのに。
__俺にもっと自信があって、千晶に見合うような人だったらよかったのに。
__そしたら、こんなんじゃなくて、中学の時だって。
駄目だ。どんどん気持ちが沈んでいく。
周りを見渡すと、文化祭を楽しんでいる人でいっぱいだ。
肩を組んで真撮影をしている人、大声を上げて笑う人、手を繋いで歩いている人。
いいな。俺も、もしかしたらこの中にいたのだろうか。
心臓がキュッとして、壁に寄り掛かってじっとしていたら、瀬戸くんがやって来た。
「黒川くん、今何?見回り?」
「うん。瀬戸くんは?」
「俺も。もう見回り飽きた〜無くてもよくない?」
「確かにね。でも昨日みたいに迷子の子とかいたら大変だよ」
「それもそっか。黒川くんは真面目だね」
「言われるまま行動してるだけだよ」
「大人だねえ」
一言二言会話をし、暗い気持ちの時に瀬戸くんが来て安堵したからか、ため息を溢してしまった。
「疲れた?しんどい?」
「うん……ちょっと、体調良くないかも」
「え、保健室行く?俺ついていこうか?」
「ううん、大丈夫。ちょっと人酔いしたみたい。……外の空気吸ってくる。穴が空くと大変そうなシフトの時までには戻るようにするね」
「それは全然いいけど……本当に大丈夫か?」
「うん。多分すぐ良くなるから大丈夫」
俺は心配してくれる瀬戸くんに断りを入れ、校舎外へと向かった。
フラフラと歩いていたら、俺が毎日手入れをしている花壇の側、用務員室の勝手口に辿り着いていた。
この場所は校舎の裏側になっていて日も当たらないし、人が来ることも滅多にないので格好の場所かもしれない。
俺は扉にもたれてずるずると腰を降ろした。
遠くで歓声が聞こえる。きっと、ロックバンドの人たちが登場したんだろう。
暫くすると、歌が聞こえてきた。学生向けの応援ソングだろうか。
『光を無くして遠くに感じた 駆け出した過去は戻らず あの頃のままで 消えない残像を追いかけた』
薄っすらと流れる歌に耳を傾けた。
光を無くして遠くに感じた 消えない残像。
俺の中に、ずっとこびりついて消えない思い出がある。
俺が、千晶から逃げた日の事だ。
4
中学1年生の夏。
俺と千晶は、一緒にいる時間がかなり少なくなっていた。
特に千晶は陸上部の練習で忙しく、休みの日も部活の人と一緒に過ごしたり、クラスの人と遊んだりする事が多くなっていた。
彼女が出来たなんて噂も聞く。
俺と千晶が遊べるのも、一週間に一回あればいい方だった。
俺はなるべく千晶と遊ぶために、いつも早めに約束をしているけれど、決まって「その日は予定がある」と断られていた。
きっと、いろんな人と出会って、俺よりも楽しく遊べる人がたくさんできたのだろう。
「旭は友達できた?他の子と遊んでみると意外と楽しいかもよ」
と、遠回しに遊ぶのを拒否されたこともある。
悲しかったが、今思うと禄に新しい友達も作らず、千晶に執着していた俺に投げかけて当然の言葉だった。
千晶は同じクラスの、所謂、かなり学年カースト上位の人たちと一緒につるんでいた。俺とは真逆のタイプ。軽いイタズラをしたり、少し校則を破る事を楽しいと思っているような人達だ。
そして千晶もその人達に感化されて、ちょっとだけ雰囲気が変わっていった。
とても、俺はそのグループに近寄ることができなかった。
なので俺が学校内で千晶と一緒にいられる時間は、自然と登校と千晶の部活が無い日の下校だけになっていった。
俺は一緒にいられない間を埋めるように、千晶にこんな事があったとかこの授業が難しいなどと話題を振った。
千晶は俺の話を聞く。聞くけど、俺の話に返事をするだけで、あまり自分から話そうとはしなかった。
もしかしたら俺の話を面白いと思わなくなったのかもしれない。
前みたいに話すことが難しくなってしまった。
あれ?俺、どうやって千晶と喋ってたんだっけ。
だから俺は、第二公園の木に【仲良しに戻れますように】と書いた紙を括り付け、神様にお願い事をした。どうか、また前みたいに遊べますように、喋れますように、と。
そして、忘れもしない、夏休みに入る前の日の事だった。
早く授業が終わり、みんなが夏休み突入の開放感で嬉しそうにしていた。
俺は、千晶に夏休みの予定を聞こうと思い、千晶の教室に向かった。
この頃は携帯電話を持っていなかったので、予定を聞く手段が直接聞くしかなかったし、約束事も口頭で結ぶしかなかった。家の電話で通話するのは、千晶は乗り気じゃなさそうだったし、なんだか気が引ける。夏休みに入ってしまえば、きっと、ほとんど顔を合わせることが無いから絶対に今日聞かないと。今日は部活がある日だけど、多分お昼を教室で食べてから集合だったはず。
そう思って、千晶の教室の前まで来た。
チラッと教室の中を確認すると、千晶と、千晶がいつも一緒にいる友達がいた。
暫くは入れないなと思い、見つからないように廊下で待つことにした。こういうことは何度もあるので、もう慣れていた。
教室の廊下側の窓が開いていたので、彼らの会話が聞こえてしまった。
別に聞くつもりなんてなかったけど、俺はその内容を意識せざるをえなかった。
「なあ、いつも千晶と一緒に学校来てるやついるじゃん」
「え?……ああ」
「あいつ、お前の幼馴染?」
「うん、まあ」
思わず息を呑んだ。
俺の話をしている。俺は耳をそばだてた。
心臓が、どくどくと音をたてた。
「似合わねーな。めちゃくちゃ地味じゃん」
「はは……」
「あんな奴と一緒に学校行ったり帰ったりしてんの」
「……時間が合えばな」
「へぇ。そんな時間勿体ねえって。部活無い時は俺らと遊ぼうぜ」
「……」
俺が地味で千晶に似合わない事なんて十分に理解していたが、改めて他人から聞かされるととても苦しくなった。
俺は顔を歪めてを拳を握り、必死に自分の心を守ろうとした。
「何?嫌?もしかして結構仲良かった?あんな奴好きなのかよ」
「……俺は__」
……千晶は、それになんて答えるのだろうか。
呼吸する音が速くなる。拳が震えた。
お願い、どうか、頼むから__
「……俺は、別に仲良くしてるつもりはない。ただ幼馴染なだけで、好きとかじゃないから」
5
俺は一心不乱に走った。
もう訳も分からず、勝手に涙が溢れて止まらなかった。
制服も靴もぐちゃぐちゃで、途中何度か通行人にぶつかったけど、気にしていられなかった。
行き着いた先は、第二公園だった。
大きな木に近づく。
きっと、酷い顔をしているだろう。
感情を何も整理できないまま、枝に括り付けられたお願い事の紙を解いた。
そしてそれを、俺はビリビリに、文字が何も読めなくなるほど破いて宙に投げた。
紙切れがひらひらと舞って、風に飛ばされていった。もう跡形もない。
俺の願い事は完全に消滅した。
「ヒッ、うっ、うっうっ」
涙が止まらない。心が苦しい。手が震える。何もしたくない。
「なっ、何が……仲良しに、戻れます、ようにだっ……そんなっ……そんなのっ……」
もう、叶うわけがないのに。
俺は涙が枯れるまでそこから一歩も動けなかった。
これが、俺が千晶から離れようと決心した話。
6
歓声と拍手が聞こえてきた。そろそろ、バンドのステージも終わるだろうか。
蓋をしていた記憶が脳内に一気に流れてきた。
俺はあの日以来、千晶を避けて生きてきた。そして俺は、さらに暗く、卑屈な人間になってしまった。
10数年築いた関係は、たかが数ヶ月であっという間に崩れていった。あんなに執着していたのに、俺達の関係が崩れるのは本当に簡単だった。
きっと、千晶は大海を知らないだけだったのだろう。俺しかいなかったから俺と仲良くしたくれていただけで、たくさんの人を知って、目が覚めたんだ。
それから3年間、千晶とは全く喋りもせず、関わりもしなかった。だから、千晶がどの高校に行くかなんて知る由もなかった。
俺がわざわざ家から遠い学校を選んだ理由はただ一つ、中学の自分から逃げるためだった。もっと言うと、千晶を完全に諦めるため。
それなのに、なんで、よりにもよって、たった一人の同じ中学の同級生が千晶なんだ。
「はぁ……」
膝に顔を埋めて蹲った。
こうして小さくなっていると、昔かくれんぼをして遠くまで行ってしまった時を思い出す。
日も落ちかけていて、肌寒くて、寂しくて静かに震えていた。
人通りも全く無い所で、誰に頼ることも、自分で帰ることもできなかった。なんでこんな所まで来てしまったのだろう、と後悔した。
俺は昔から方向音痴で、よく迷子になっていた。
どうやって進んで来たのか、どこに向かえばいいのか、振り返ると分からなくなるのだ。
それは、今も同じだ。どうやって仲良くしていたかも、これからどうすればいいのかも分からない。
__あの時は、どうやって家に帰ったんだっけ。
朧気な記憶を辿った。
風が強く吹き始めて、一人でいる事が怖くて膝を抱えて泣いていた。
帰れないのならいっそ、もうこのままここで眠ってしまおうかと諦めかけていた。
そうだ。
そんな時だった。
足音が聞こえて、「もういいかい」って声がして、蹲る俺に影が射して、俺の肩を優しく揺すぶって、そして。
「旭、見つけた」
千晶が、見つけてくれたんだ。
7
「旭、見つけた」
目の前にいる千晶は、本物の千晶だろうか。
「大丈夫?具合悪い?」
「……な、なんでここに……」
「ずっと探してたんだけど、どこにもいなくて。瀬戸くんから体調悪いから外出て行ったって聞いた。……ここにいるかなって」
本物だ。紛れもない千晶がいる。目線を俺にあわせてしゃがみ、俺の肩に手を置いている。
俺はきっと、今にも泣きそうな酷い顔をしているだろう。
「だ、大丈夫。もう、なおった」
「……横、座ってもいい?」
「……うん」
勝手口の階段に座る俺の横に、千晶が腰を掛けた。
肩と肩が触れ合う。俺の肩は少し震えていた。
暫く俺達の間に無言が続き、意を決したように千晶が口を開いた。
「俺と周るの、嫌だった?」
「……ううん」
「……じゃあ、俺のこと、嫌いになった?」
俺は涙を堪えながら、無言で首を横に振った。
「……はぁー。……よかった……、本当に」
千晶は思いっきり息を吐いて、自分の髪をぐしゃぐしゃっと手でかいた。
そして、そのまま項垂れてポツリと言葉を溢した。
「俺、中学3年間のこと、後悔してる」
俺は、何が、なんて野暮なことは聞けなかった。
「なんで、なんで……、旭のこと手放したんだろう、俺……」
それは悲痛な叫びだった。
俺は涙を堪えきれず、ボロボロと泣きながら必死に首を横に振った。
「違う、違う……。俺も、か、勝手に避けて……に、逃げた……。おれ、おれが、あきらめたから、おれが」
「旭、ごめん、ごめん」
千晶は俺を抱き寄せて、苦しそうな声でごめんを繰り返していた。
ギターの残響音が鳴っている。今までで一番の大きな拍手の音と、ありがとう、という声が聞こえた。
千晶が俺の体を離して、俺の目を見つめた。
「俺と、また仲良くしてくれる?」
そんな質問、ずるい。
俺はそれを否定することができない。
俺の答えは決まっている。
「うんっ、いいよぉ」
俺はしゃくりながら、ぐしゃぐしゃのみっともない笑顔を見せて、そう返した。
「はは、はぁー、やった……。ありがとう」
そう言って、もう一度俺を抱き寄せた。
千晶も、泣きそうだった。
外がガヤガヤとしてきた。きっとバンドのステージが終わってみんなが体育館から出てきたのだろう。
俺は我に返って恥ずかしくなり、千晶の腕を振りほどいた。
千晶はそんな俺を見て微笑んでいる。
「文化祭ってさ、中学の時は無かったからそこそこ楽しかったけど、ずっと旭の事考えててあんまり集中できなかった」
「……ご、ごめん」
「ううん。仲直りできたからこれでよかったよ」
仲直り……できたのか。やっと。
「旭は文化祭楽しかった?」
「……ううん。楽しくなかった」
「ははっ!そっか。じゃあ来年一緒にリベンジね」
「一緒?」
「うん。予定絶対空けといて。1年前からの約束な」
俺は千晶の言葉に目を丸くする。そして、思わず思い切り笑ってしまった。
「いや……あははは!!俺なんかにそんな事言わないでよ。こっちのセリフだから、それ」
「ふ……ふはっ、じゃあ、お互い約束ってことで」
もうこの約束は裏切れない。
俺は嬉しくなって、千晶にある提案をした。
「うん……。紙に書いて括り付けておく?第二公園の木に」
「ああ〜、すげーいいじゃんそれ、やろうよ」
「見て、俺の役員のシフト表。タピオカミルクティー溢してさ、味のある紙みたいになっちゃった。これ使お」
「んははは!!ほんと、旭、おっちょこちょい……変わらないな!……あは、それに書いていい?」
「うん。……あ、手で千切ったら形こんな……細長い三角になった……ごめん」
「ふ、ふふっ、ふっ……いいよ。俺それに書くから……ふは……」
手放しで千晶が笑っている。こんなに笑っている所を見るのは久しぶりだ。
俺も千晶につられて笑ってしまった。
「ふふ、そんなに笑わないでよ。俺書くからね」
「ごめんごめん。んー、じゃあ俺も旭の真似するかな」
「一緒の書くの?」
「だって、同じ事書いたほうが叶うんだろ?」
千晶がニヤッと笑って俺を見た。
「……うん、そうだね。じゃあ……」
「ははは!願い事それにするの!」
【来年は一緒に溢さず飲めますように】
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