1
「えっ!千晶くんと水族館行くの!?」
「……まあ、うん」
「本当〜!あんたたち、遊ぶの何年ぶり?やだ、私も付いて行きたいくらい」
「やめてよ!」
「なんか、私も楽しみ!帰ってきたらいろいろ聞かせてちょうだいね」
「えぇ……」
千晶と水族館に行く当日。朝、お母さんにそのことを話したら俺よりも喜んでいて、なんだか居心地が悪くなった。
今日は朝起きてからずっとそわそわしていた。準備も早く終わり、テレビを眺めていたが内容は何も入ってこなかった。
暫くすると、家のチャイムが鳴った。きっと千晶だろう。
「あら〜?ふふ、私が出るわね」
「いいって!お母さん!」
お母さんが軽い足取りで玄関に向かい、扉を開けた。何故こんなにテンションが高いんだ。
「あ、おはようございます、おばさん」
「千晶くんおはよう!あらぁ、千晶くん今日もかっこいいわね。旭ー!準備出来てるの?千晶くんよ!」
「もう!分かってるって!やめてよ!」
「お、旭おはよ。ごめん、早かった?」
「や、……あの、全然。さっさと行こう」
「本当にこの子は愛想が無いんだから……!ごめんね、千晶くん。今日一日よろしくね」
「はは、はい。こちらこそ」
「もう行こ。じゃあ、言ってきます」
「行ってらっしゃい!気をつけてね」
お母さんのおせっかいに耐えられず、そそくさと扉を閉めて歩き出した。
「……ごめん。なんか、お母さん朝からテンション高くて」
「いや、うちの親もなんか嬉しそうだったから、ちょっと既視感あって面白かった」
「……なんで親ってそうなんだろうね」
「はは。一大イベント感あるよな」
どうやら千晶の親も同じようになっていたらしい。まるで俺達を囲って周りの人たちが見守っているようでむずむずした。
「旭の私服姿、久しぶりに見た」
「そ……うだね。それ、こっちのセリフでもあるけど」
「まあ、そうか。うん、いいじゃん、その服似合ってる」
「そうかな。なんか、お母さんがはしゃいで勝手に選んで」
「ふ、おばさんコーデなのそれ」
「いい年にもなって恥ずかしいよね」
「着れば関係ないよ」
そうなのだ。いつものようなTシャツとジーンズを着ようとしていたら、お母さんから「こっちのほうがいいんじゃない?」と、あれよあれよと言う間に着せ替えされてしまった。
対する千晶は、なんというか、モデルみたいだ。俺はファッションに詳しくないから、それがどんな服かとか流行りだとかは分からないが、雑誌に載っている人みたいだった。
「何?俺の服変?」
「……いや、そんなことない」
「……かっこいい?」
「う、ん。分かんないけど、かっこいいと思う」
「はは、やった」
俺に褒められたくらいで、千晶は凄く嬉しそうにしていた。きっと誰に褒められても素直に受け取れるのだろう。
俺達は、電車で水族館の最寄り駅まで移動した。水族館まで歩いている時に、そういえば、と思い出す。
「この水族館、小2の時遠足で行った所だよね」
「お、そうそう。覚えてた?」
「うん。晴れますようにってお願いした次の日だったの、思い出した」
「そう!俺も覚えてる。本当にあの日晴れたもんな。どう?懐かしくない?」
「うん。でも、昔過ぎてどんな水族館だったか忘れちゃった」
「まあそうだよな。程よく記憶無くて楽しめるかもな」
10分程歩き、俺達は水族館に到着した。うっすらと残っている記憶を辿ると、たしかにこんな感じだったかも、と思えた。人気の水族館なので、あの頃から廃れたという感じが全くなかった。
入場ゲートをくぐり、チケット売り場に向かう。
千晶が「急に誘ったお詫びでチケット代を奢る」と言ってくれたが、流石にそれは遠慮した。
どこまでも律儀な人間だ。
「おぉ……。当たり前だけど、暗いね」
「ふはっ、最初の感想それ?」
「水族館なんて遠足ぶりだから。忘れてたけどこんな感じだったね」
「俺も水族館は遠足ぶりなんだよな」
「え?水族館好きだから選んだんじゃないの?」
「……あー、まあ、そう。好きだけど、なかなか行けなかったから、いいかなって」
意外だった。千晶なら、中学の時とかに女の子と行ってそうなイメージだった。
「なあ、この魚顔変」
「ほんとだ。見て、こっちの魚動いてない」
「え、あれでも生きてるんだ」
「ねえ、この魚ちっちゃい!すごい」
「赤ちゃんかな。可愛いな」
実に3年ぶりの千晶との外出だけど、普通に楽しんでいる。数ヶ月前の気まずさが嘘のようだった。二人で水槽を眺めながら通路を進んでいった。
そして、俺はある水槽でぴたっと立ち止まって見入ってしまった。それを見て千晶が俺に声をかけた。
「キレイだな」
「うん」
「旭、クラゲ好きなの?」
「うーん、好きとか嫌いとかあんまり考えたことなかった」
「キレイだから、見入った?」
「んー……。昔のこと思い出した」
「何?」
クラゲが泳いでいる水槽がライトアップされているのを見て、昔の記憶が蘇ってきた。
「遠足でここに来るより前の話なんだけど、おじいちゃんの家にお盆の期間遊びに行ってて、その近くに水族館があったから、家族で遊びに行ったんだ。そこにさ、こんな感じで……クラゲが水槽の中でたくさん泳いでて、色の付いた光で照らされてて、それが凄いキレイでずっと眺めてた。透明で、口も目もなくて生き物じゃないみたいなのに、ちゃんと動いて、生きてて、それが不思議だった。魚じゃないのにこうやって水槽の中で泳いでて、クラゲって特別な生き物なのかなって思ってた」
「確かにクラゲってなかなか目にする事ないもんな」
「うん。で、おじいちゃんの家の近くに海があったんだけど、我が家に帰る前にお父さんが連れてってくれてさ。……お盆の終わりかな。砂浜にぷよぷよした透明の塊があって、お父さんにこれ何?って聞いたら、死んだクラゲだよって」
「あー、初めて見たらアレ分かんないよな」
「だよね。だから俺、本当にこれが数日前に見たあのキレイで不思議なクラゲなの?ってびっくりしてさ」
「うん」
「……で、かわいそうだなあって」
「死んじゃったからかわいそうってこと?」
俺はどう伝えようか一瞬考えて、口を開いた。
「それもあるんだけど、……水族館で見たクラゲはキラキラしててキレイで、たくさんの人がそれを見てキレイだねって言ってたのに、住む世界が違えば、このクラゲたちは海の中でひっそり生きて、誰の目に止まることも無く死んで、こんな姿で終わっちゃうんだ……って。幼いながらに変な事考えるよね」
「……」
「今思うと、水族館のクラゲたちもいずれは同じように死ぬからどっちにしろ死ぬ姿は変わんないし、それに、クラゲにとって水槽の中での生活か、海での生活か、どっちがいいのかなんて人間には分からないのになって思うんだけどね」
ここまで喋って、ふと千晶の方を見た。俺の方をじっと見ている。
「……ごめん、なんか、こんなとこで話すような話題じゃないよね」
「ううん。なんか、旭らしいなーって」
「え?」
「俺は好きだけどな、旭のそういう考えてること」
「そ、そう……」
「うん。そういうのさ、もっと聞かせて」
「……思い出したらね」
水族館の落ち着いた雰囲気のせいだろうか、もしくは暗くて相手の顔がハッキリと見えないからか、俺は妙に饒舌になって長々と喋ってしまった。
それから俺達は歩き出し、ひらけた場所に出た。
ショーが見れるステージと客席がある。
「イルカショー……だって。ちょうどもうすぐ時間だ。見る?」
「イルカ……見たいかも」
「よし、じゃあ見よう」
席に座り、程なくするとトレーナーのお兄さんとお姉さんが出てきて、ショーが始まった。
イルカショーは遠足の時見たが、ただイルカが大きくていっぱい芸をして凄かったという記憶しかない。どんなもんだ、と若干わくわくしながら注目した。
率直な感想を言うと、めちゃくちゃ楽しかった。普通にイルカの芸に拍手をしたり、凄い!とか、うわー!とか、口に出したりしながら見てしまった。
ショーが終わった後、俺は興奮そのままに千晶に感想を語った。
「凄かった!あの、最後2匹一緒に飛ぶやつ、あんな高く飛ぶんだね」
「うん」
「トレーナーの人に抱きつくみたいにしてたやつも凄い可愛かった!」
「うん」
「なんであれって音楽にちゃんと合わせられるんだろうね?トレーナーの人のタイミングが天才的なのかな。だとしたらどれだけ練習したんだろう」
「うん」
「あっ、水、いっぱいとんだね!ちょっと髪と服濡れ……」
途中でハッと気づいて、思わず口をつぐんだ。
「ん、どうした?」
「……なんか、俺ばっか喋って恥ずかしい」
「なんで?いっぱい喋ってよ。感想聞かせて?」
自分だけはしゃいでいるように思えて、顔が熱くなってきた。千晶は俺の目をしっかり見ながら話を聞いていた。
「……そ、その顔やめてよ」
「え?……俺どんな顔してる?」
「なんか……その、お母さん、みたいな」
「ふ、ははは!マジか。そんな顔……まあ、あながち間違いではないか」
「……ちょっと、またうちのお母さんみたいにならなくていいからね」
「うん、はは。ごめん」
俺が話しているときの千晶の表情は、なんとも表現しがたかった。
なんというか、こう、__愛しい、みたいな。
2
全ての生き物を見尽くしたので、そろそろ帰宅する雰囲気になってきた。
「あ……、お土産のとこ、見てもいい?」
「うん。行こうか」
家に何か買って帰ろうと思い、お土産コーナーに寄った。
無難にお菓子かな、と思いお土産を見ていたら、ふとぬいぐるみが目に止まった。
(イルカのぬいぐるみ……)
可愛かった。まるでさっき見たイルカのようだった。そこまで大きくはなく、腕にすっぽり収まるくらいだった。へにゃっとした表情がなんともいえず、気に入ってしまった。
(……買おうか?いや、でも、男で、高校生で、こんなの恥ずかしいか)
迷った挙句、渋々諦めようとした。すると、俺の手の中からぬいぐるみがパッと消え、誰かの手に渡ってしまった。
「オウジくんとリンくん?」
「あっ、えっと、そうかもしれない」
「へぇ」
千晶がひょいと俺の持っていたぬいぐるみを掴んだ。
オウジくんとリンくんというのは、さっきのイルカショーのイルカたちである。
千晶はぬいぐるみを見て少し考え、そのぬいぐるみと新たにもう1つ同じぬいぐるみを手にして、レジに向かって行った。しかも、はははと可笑しそうに笑いながら。
え、買うのか。意外だ。
誰かへのお土産だろうか。
会計を終えた千晶は、俺の元に来てぬいぐるみを1つ差し出してきた。
「はい」
「え?」
「俺からのプレゼント。んー、じゃあ、旭のがオウジくんな」
「え、え?なんで、くれるの?」
「だって旭……ふ、ふふ、すげー欲しそうだったもん」
「……!!」
そうだけど!
そうだけど、悟られていたことがとても恥ずかしくて、言葉にならなかった。
それを察してか、千晶は言葉を選んで喋ってくれた。
「俺もお揃いだから。俺のはリンくん。はい、貰ってよ。飼い主になってあげて」
「……いいの?」
「うん。遊んでくれたお礼」
「お礼って……。今日は千晶の大会の優勝をおめでとうする日なのに」
「あー、そういえばそうだったな。じゃ、俺からの応援ありがとうのお返しってことで」
「へ?あ、ありがとう……」
ぬいぐるみはもちろん嬉しかったが、それ以上に千晶から何かを貰うなんてことが久しぶりすぎて、嬉しさが顔に出そうだった。
我慢しなきゃと思い、下を向いてぬいぐるみを抱き寄せた。
頭上でふ、と笑った声が聞こえた。
「変わらないな、旭は」
千晶がそう呟く。
そうだよ、俺は昔から何も変わっていない。
3
その日は遠足の日で、行き先は水族館だった。
天気はまさに快晴。昨日まで降り続いていた雨が嘘のようだった。
「なあ!?これって、神様のおかげだよな!」
「絶対そうだよ!お願いしてよかったね」
俺の提案で、近所の公園の大きな木に願い事を書いた紙をくくりつけた。
【晴れますように】と、二人で同じことを書いた。"晴"は、最近覚えた漢字だ。漢字ドリルを見返しながら、拙い字で書き綴った。
すると翌日、天気予報でも雨だったのに見事に晴れたので、行きのバスは二人で大盛り上がりだった。
担任の先生に連れられ、水族館の手前まで来た。クラス全体がわいわいとしていて、先生に「他の人の迷惑になるから、水族館の中は静かにしましょうね」と注意された。
俺は千晶と二人で「おっきな声は出しちゃだめ」と約束しながら、手を握った。
見たことないたくさんの魚が水槽の中を泳いでいて、見ているだけでとても楽しかった。
千晶は、大きな魚を見るたびにすげー!とか、かっけー!とか言っていて、ちょっと笑ってしまった。
暫くして先生が生徒たちをまとめ、イルカショーに連れて行ってくれた。
小学生の団体ということで、特別に前列の席で見ることができた。
間近で見るイルカはとても大きくて、優雅で、賢かった。水しぶきが顔や服にかかってもそれすら楽しかった。
イルカショーが終わり、帰る時刻が迫ってきた。
出口付近にあるお土産コーナーを見て、立ち止まった。
「イルカのぬいぐるみ、かわいいね」
「ほしいの?」
「うん。でも、買えないね」
「お金持ってないしな」
「1800円……って高いのかな」
「さあ、どうだろ」
「ほしかったなあ」
小2の遠足なんてもちろんお小遣いを持っていけないので、イルカのぬいぐるみは欲しくても、ただ未練がましく眺めるだけだった。
すると千晶が俺の小指を自分の小指ですくってきた。
「大きくなったらまた来よう、二人で」
「うん……」
「俺が、ぬいぐるみ買ってあげる」
「いいの?」
「いいよ」
「やったぁ!ありがとう千晶!」
指切りげんまん。子どもの約束が交わされた。
「楽しみにしてるね!」
4
夏休みが終わり、また学校生活が再開した。
気持ちも新たに、とはいかず、俺の心は少し重かった。
「わり、後の仕事頼んでもいい?」
「あー……。うん、分かった」
「ごめんな!次は絶対やるから!」
誰が日直なんて制度を設けたのだろう。
俺はこの性格のせいか、ペアでの日直の仕事を、俺だけに任されることが何故か多い。
そして今回も、日直のペアであった小林くんに「この後外せない用があるから!」と仕事を放り投げられた。
多分、この学校に入ってこれで3回目くらいだ。
しかも、断れずに全て引き受けている。
今は放課後なので、残っている仕事は日誌と黒板消しと窓の施錠、電気の消灯くらいだ。
(ああ、あと頼まれてたみんなの課題も藤崎先生に持っていかないと)
別に一人で出来る量だけど、本来二人でやるものを一人でやっているという理不尽さに、気が重くなった。
自分の席につき、さっさと日誌を書いてしまおうと思った時だった。
「嫌じゃないの?」
「え」
このクラスの学級委員長である、瀬戸くんがいきなり話しかけてきた。
委員長だけど、ただそれだけで、今までそれほど話したことはなかった。
「手伝うよ。黒板消していい?」
「え、ありがとう。お願いします」
そう言うと、瀬戸くんは黒板を消してくれた。
なんで?といろいろ疑問には思うが、正直ありがたかった。
瀬戸くんは、黒板を消しながら俺の方は見ずに語りかけた。
「何回かあるよね、こういうの。嫌じゃないの?」
「ああ」
なるほど。委員長として気にかけてくれたのか。
「いい気持ちはしないけど、断れないし」
「ふーん……」
その後はお互い無言で作業を続けていた。
日誌を書き終わったタイミングで顔を上げると、瀬戸くんも黒板を消し終えていて、黒板消しをクリーナーでキレイにしていた。
「俺、課題と日誌運んでくる。黒板ありがとう、助かった。また明日」
「待って」
クラス分の課題と日誌を持ち、瀬戸くん挨拶をして教室を出ようとしたら、瀬戸くんに引き止められた。
「持つよ。半分貸して」
「え、いいよ。悪いし」
「なんか危なっかしいの、黒川くん。いいから貸して」
「……ありがとう」
そう言い、瀬戸君はガバっと俺が持っていた課題を半分、いや、半分以上持ってくれた。
俺達は、別に友達ではない。力を貸し合うような関係でもない。
職員室まで、お互い喋る事はなかった。
藤崎先生に課題と日誌を渡し、職員室を出た。
「ありがとう、瀬戸くん。いっぱい手伝ってくれて」
「いーえ。俺、委員長ですから」
「かっこいいね」
「でしょ?」
二人でそのまま教室に帰って行った。
今日は花壇の手入れがまだだったので、早く見に行こうと帰る支度をした。
すると、瀬戸くんにねえ、と引き止められた。
「ね、困ったことがあったら言ってね」
「俺が?瀬戸くんに?」
「うん。黒川くん、誰も頼らなさそうだから」
「そう思ってるんだ」
「そうだよ。俺、黒川くんってもっと気難しい人だと思ってたから、本当は話しかける時緊張した」
「ふ、そういうの本人に言う?」
「失礼だった?ごめんね。まあ、もう俺達友達になったんだし、仲良くしようよ」
「え?」
「え?……えって、え?」
「いや……友達なの?俺達」
「え!!酷い」
「だって、ほぼ今日話したのが初めてみたいなものでしょ。それに、日直手伝ってくれただけで」
「俺の友達の定義は、それくらいからなんだけど」
「ほー……。そっか、友達……」
友達。暫く関わりがなかった言葉だ。
瀬戸くん、友達も多くて明るくていろんな人に愛される人気者だ。これを友達のハードルだとするなら、確かに友達が多いのも頷ける。
遅ればせながら高校で出来た初めての友達に、少し心が踊った。
「じゃあ……よろしくね、瀬戸くん」
「うん。いっぱい頼るんだよ、黒川くん」
5
もうすぐ文化祭の準備が始まる。1時間分使って、文化祭役員の選出とクラス出し物の案を出すことになった。
文化祭役員なんて、みんなめんどくさがってやろうとしていなかった。お前やれよ、とか私部活忙しいから、とかいろいろな声が聞こえる。
俺はその様子をぼーっと眺めていたが、途中で「これってもしかして、役員になった方が後々クラスの出し物で変な役せずに済むから楽なのでは?」と考えるようになった。
乗り気では無いが、これが一番俺が安心できるポジションかもしれない。
俺は手を挙げ、やります、と言った。
クラスの人は嬉しそうに「おお〜!」と拍手してくれた。
役員はあと一人必要なので、誰がやるのかなと思っていたら、すぐにもう一人手を挙げた人がいた。
「は〜い、俺もやります」
瀬戸くんだった。
周りの人が瀬戸くんに声を掛けた。
「え、瀬戸、委員長の仕事もあって大変じゃない?」
「いや、委員長の仕事って実際そんなにないから大丈夫だよ」
「では、瀬戸くんにもお願いしていいですか?」
「はい!」
「文化祭役員は黒川くんと瀬戸くんで決定ですね。よろしくお願いします」
最近友達になった瀬戸くんだ。全く関わったことのない人とやるよりはいいかもしれない。
その後はクラスの出し物の案出しになり、クラスが盛り上がった。最終的に屋台かお化け屋敷か、というとこまで纏まり、一旦この日の会議は終了した。
放課後になり、早速役員が提出しなければいけない資料があったので、残って瀬戸くんと作業することになった。
「黒川くん、なんで役員なんて立候補したの?そういうタイプじゃないと思ってた」
「だって、出し物で変な役やるよりマシでしょ」
「あはは!そんな打算的だったんだ」
「瀬戸くんこそ、なんで役員やるの?」
「んー、だって普段そんな感じじゃない黒川くんがクラスの代表になるの、面白いなって思って」
「面白い?」
「うん。ある意味俺も打算的かもね」
ははは、と笑いながら瀬戸くんは喋っていた。
「そういえばさ、黒川くんって俺以外に友達いないの?」
「……瀬戸くんは、好奇心で身を滅ぼすタイプだね」
「うん。俺、気になることとか面白そうなことがあったら一直線でさ」
「ああ、そう……。まあいっか。友達ね、いないよ」
「はは、ハッキリ言うね。もしかして一人が好き?」
「一人……好きなのかな。一人でいても別に何も思わないかも」
「強いね。友達他のクラスにもいない?本当に俺だけ?」
「他のクラス……」
千晶の事を考えて、言うのをためらった。
「黒川くん、時々3組の大月くんと登下校してない?」
「え、ああ、知ってるんだ」
「うん。大月くん有名人だしねー。大月くんは友達じゃないの?」
そうか。千晶は有名人だから、自然と俺と一緒にいる所も見られるか。
「千晶は……ただの幼馴染だから」
「それって友達じゃないの?」
「……」
そんなこと考えたこともなくてハッとする。昔は、友達とかそんな簡単な関係では無く、なくてはならない人、みたいな存在だったから。
「友達なのかな……」
「違うの?」
「分からない。でも友達でもなんでもない期間はあったよ」
「え、そうなの?」
「うん。中学の時は全然関わりなかったから」
「幼馴染なのに?」
「うん。まあ、いろいろあって」
「ふ〜ん。なんか複雑だね。俺はもう一緒に登下校するなら友達って呼んでいいと思うけどな」
瀬戸くんはどこまでも前向きで明るい。その性格が羨ましくなる。
資料を書き進めていくと、先程の友達いるかどうかの話を思い出し、ふと昔の事を思い出した。
「ふふ……そういえば、俺、中学の時も同じ質問された。『旭くんって仲良い人俺以外にいないの?』って」
「そいつは友達だったの?」
「うん。しかも、瀬戸くんと同じ学級委員長だった」
「何それ!委員長ってみんな黒川くんに同じ質問するのかな」
「かもね。中学の時もまともな友達ってその子しかいなかったから、もしかしたら俺委員長と友達になるスキルはあるのかも」
「はは、だったら俺はまんまと技に掛かったわけだ」
「そうだね」
二人で談笑しながら作業を進めた。瀬戸くんは気になったことがあればすぐ聞いてくる実直な人だけれど、意外とこの空気も悪くないと思えた。
6
「へえ、旭が役員やるんだ。出し物は決まった?」
「ううん。多分、屋台かお化け屋敷かだって。被らないように他のクラスの案も聞かないと」
「俺のクラスは多分巨大迷路作りそう」
「へえ。そんな案なかった。面白そう」
次の日の放課後、いつものように花壇に水をやっていたら、部活の休憩中に千晶がやって来て文化祭の話になった。もうこの時間は習慣になってしまっていた。
「うーん。役員ね。もしかして文化祭当日も忙しいの?」
「分からないけど、多分いろいろやらなきゃいけないと思う」
「そっか。残念」
「なんで?」
「だって、一緒に周る時間減るじゃん」
「え?」
俺は目を丸くして千晶を見た。
「ごめん、早とちりだった。文化祭俺と一緒に周らない?」
俺は暫く無言で千晶を見つめた。
「ん、なになに」
「いや……え。本当に俺に言ってる?それ」
「旭しかいないじゃん。嫌だった?もしかして予定ある?」
「無いけど……。お、俺でいいの?」
「旭がいいの、分かってよ」
何ということだ。一気に鼓動が早くなった。
俺なんかが、大事な日の一部を旭と一緒に過ごしていいのだろうか。
それでも誘われたことは嬉しかった。俺は静かに頷いた。
「俺でよければ……」
「やった。空き時間一緒に周ろ」
ニカッと千晶が笑って俺を見た。
俺の顔は赤くないだろうか。居心地が悪くなり、千晶から顔を逸した。
「じゃ、また予定分かったら教えて」
「う、うん」
そう言い残して、千晶は部活に戻って行った。
俺は千晶の言葉を頭の中で何度も反唱し、部活風景を遠くから眺めていた。
7
「えっ……」
「俺2組だった」
「い、嫌だ」
「……俺も嫌だよ。旭と一緒のクラスが良かった」
中学の入学式の時、クラス分けの紙が貼ってある掲示板を見て、俺達は呆然とした。
小学校は人数が少なかったため、6年間ずっと1クラスしかなかった。千晶と俺はずっと一緒の教室で過ごしていた。それが当たり前だった。
なのに、初めて離れてしまう。信じられなかった。もう中学生だし、泣いて喚くこともできない。でも、千晶と離れる事を信じたくなくて、俺は時間の限り掲示板の前で大きめの制服の袖をぎゅっと握りしめながら佇んでいた。
「旭、もう行かないと」
「……」
「入学式出られなくなるよ」
「……お、俺のこと、覚えててね」
「え?」
「……多分、千晶はたくさん友達できると思う。か、彼女とかも、出来ると思う。でも、俺のこと、忘れないでほしい」
「旭……」
「俺、まだ千晶がいないと不安な事、たくさんあるよ。でも、俺……頑張るから、だから」
「うん」
「……また、遊んでね」
「うん……」
俺達は歩き出した。
2組と5組。隣ですらない。
何故かその隔たりが、これから先の俺達の関係の様に思えてしまった。
入学式が終わり、それぞれのクラスでホームルームがあった。
何人か小学生の頃の同級生はいるけれど、知らない人ばかりでとてもそわそわした。
先生が話している最中、「この中に千晶がいれば」なんてどれだけ考えたことか。
一日の工程を全て終え、千晶と一緒に帰ろうと俺は急いで2組に向かった。
教室の中にいた千晶に声を掛けようとしたが、何人かのクラスメイトに囲まれていて、なかなか声を掛けられず扉付近でどうしようか迷っていた。
すると、千晶が俺に気付いたようで、「ちょっと待ってて」と俺に向かって言った。
「あ、もしかして一緒に帰る人いる?」
「うん。ごめん、また今度な」
「そっか、残念だな。帰った後は空いてる?」
「あー……」
俺はそのやり取りを見て、ヒヤッとした。
新しい友達だろう。この後一緒に遊びたがっているんだ。
千晶は俺の方をチラッと見て、気まずそうにしていた。多分、あの子達と遊びたいけど、俺がいる手前そんな事が言えないんだ。
__今日はもう諦めよう。
「千晶、俺先帰るね」
「え」
「頼まれてたこと、あったの忘れてた。バイバイ」
「ちょ、」
俺は震えそうになる声を必死で誤魔化しながら千晶にそう言って、足早に玄関を抜け、校門を飛び出した。
今頃、遊ぶ約束でもしているのだろうか。
仕方ない。だって千晶はかっこいいし、優しいし、話しやすいし、一緒にいたくなる人だ。
仕方ない。仕方ない。
無我夢中で走っていたら、第二公園に着いていた。
大きな木を見上げる。もうずいぶんとこの木にお願い事をしていない。
俺は鞄の中に入っていたノートを取り出して一部を千切り、その紙に乱雑な字で書き綴った。
【変わらないで】
こんなのは最早願い事なんかじゃない。ただの、俺の我儘だ。
誰にも見つからないように、葉に隠すようにそっとその紙を括り付けた。
8
文化祭当日まで残すところ1週間となった。
校内はちゃくちゃくと準備を進めていて、賑やかな毎日が続いていた。
放課後、文化祭役員の集まりがあるため会議室に向かった。
当日の流れ、文化祭期間の役員の仕事内容と配置、注意事項などが担当の先生から語られた。結局、俺達のクラスはお化け屋敷をやる事になった。クラスの人たちでそれぞれ役割を決めて、シフトを組んで回す予定だ。俺と瀬戸くんは役員の仕事があるため、お化け屋敷のスタッフの役割は免除された。
集まりも終わり、瀬戸くんと共に教室に向かった。
「はぁ〜。もうちょっと自由な時間あると思ったんだけどな」
「意外と仕事あったね」
「俺、いろんなやつに一緒に周ろーって言っちゃった」
「人気者は大変だね」
文化祭当日の役員のシフト表を渡されて、割とみっちり駆り出される事になっていてびっくりした。
「黒川くんは誰かと周る?」
「あー……」
その質問に、少しだけドキッとした。
「あ、ごめん。黒川くん友達いないか。失礼な事聞いちゃった」
「その質問が失礼だからね」
「ごめんごめん。じゃあ一人?俺と周る?」
「いや、えっと……」
「……あ、もしかして大月くん?」
「……」
瀬戸くんの鋭い発言に、無言でこくりと頷く。すると瀬戸くんはニヤニヤと笑いながら俺の背中をバシバシ叩いた。
「なんだ〜!意外と仲良しじゃん!なんか変な気持ち〜」
「変?」
「うん。やっと懐いてきた猫がもとの飼い主のとこ行く感じ」
「猫ですか……」
「俺、動物好きなんだよ。でも俺んちマンションだからペット飼えなくてさ」
「うん」
「だからマンションの周りに居ついていた猫を可愛がっていたんだけど、1匹全然懐いてくれない猫がいてさ。他の猫とも仲良くできてなさそうだし、どうにかしたいって思ってたら、そいつ死んじゃって。……なんか黒川くんその猫に似てるんだよね」
「ふ、不謹慎だよ……」
「だからさ、なんかほっとけないんだよ。黒川くん」
もしかして、それで仲良くしてくれたのだろうか。
「まあ、文化祭なんておっきい学校行事を一緒に過ごせる人がいて、安心したよ。空き時間のタイミング合ったら俺とも周ろ!」
「うん、ありがとう」
俺達は別れて、瀬戸くんは帰って行った。
当日の空き時間も分かったので、千晶に伝えようと思い、千晶のいる教室の前まで来た。
今日は千晶も部活の無い日で、俺の役員の集まりが終わるまで待つから一緒に帰ろうと言ってくれた。
教室に入ろうとして、ふと会話が聞こえて足を止めてしまった。
「えー!なんでよ。文化祭一緒に周ろうよ」
「いやだから……他に周る人いるんだって」
「いいじゃんちょっとくらい!千晶と一緒に周りたい人いっぱいいるのにさ、勿体無いよ」
体が固まったかのように動けなかった。千晶が、女の子と言い争っている。俺は息を潜めて、その様子を伺っていた。
「え、その子とだけ周るの?誰?……もしかして彼女!?」
「違うって。なあ、もういいだろ」
「ケチ。あーあ、千晶誘って楽しもうと思ったのに。……ちょっとでも駄目?時間作れないの?」
「あー……まだ分かんないから」
「その子次第って事?じゃあ、空き時間一緒に周れるじゃん!他の子も誘っとくね」
「おい!勝手に話進めんなよ」
もうこれ以上その会話を聞きたくなかった。
そりゃそうだ。千晶なんて絶対誰かに誘われるに決まってるし、みんなも千晶と一緒に周りたいはずだ。
俺なんかが独り占めしていい存在じゃない。
__そうやって、千晶を諦めてきたんだ。
俺はグッと心の中で決心し、教室の扉を開け、千晶を呼んだ。
「千晶」
「!旭……ちょっと待ってて、準備するから」
「あ、ううん。急がなくていいよ。ちょっと、こっち来て」
「ん?」
千晶は手にしていた鞄を机に置き、こちらに来た。
先程千晶と会話していた女の子が不思議そうに見ている。未だに、誰かに注目されながら千晶と喋ると緊張してしまう。
「何?」
「俺、役員の仕事忙しいから、他の人と周ったほうがいいよ」
「え」
「誘ってくれたのに、ごめん。あと、急用を思い出したからすぐ帰るね。待っててくれたのにごめんね。じゃあ」
「っ、おい、旭!」
俺は逃げるようにして教室を後にした。
遠くで千晶が俺を呼ぶ声が聞こえるが、振り返らなかった。
走って家を目指す。とにかく走って、走って、息が上手に吸えなくなるまで走り続けた。
体の中が痛い。どこが痛いのかすら分からない。
俺は心の中で何度もごめんなさいを繰り返した。
文化祭は、もう目の前だ。
0コメント