2【晴れますように】

1
「雨だなぁ」
「雨だねぇ」
「明日も雨だって」
「最近ずっと雨降ってるもんね」
「俺、明日の遠足楽しみにしてたのに」
「俺も……」
「てるてるぼうず作る?」
「千晶いっぱい作ってたじゃん」
「そうだなー……。あっ、いいこと思いついた!」
「いいこと?」
「お願いしに行くの、神様に」
「神様?」
「うん、神社行って、お願い事しよ」
「神社……近くに無いよ?」
「んん……そうだった……」
「……あ、じゃあ、第二公園は?」
「え、なんで?」
「俺ね、前お気に入りのマフラー外で落としたんだけどね、いっぱい探しても見つからなかったんだ。そしたら、次の日第二公園のおっきな木の枝にマフラーひっかかってたの」
「え!すげーじゃん」
「うん。多分、神様のおかげだよ」
「じゃあ、その木の神様にお願いしに行こ!」
「うん!俺、折り紙持ってるから……これにお願い事書いて、マフラーみたいに、枝に括り付けてみよ」
「いいじゃん!なんか、冒険みたいで楽しいな!」
「ふふ、そうだね。同じ事書いた方が、叶いそうだよね」
「うん。じゃあ、同じ事書こ」

【晴れますように】


2
 入学式、オリエンテーションも終わり、いよいよ通常の学校生活がスタートした。
 想像していたが、勝手に友達は出来てくれない。それもそうだ。同じ中学だった人はクラスに一人もいないし、俺は自分から話しかけるようなタイプではないし、こんな根暗そうなやつ、誰も話しかけてこない。
 千晶は__違うみたいたけど。

「ね、黒川くん」
「っえ、お、俺?」
「うん。黒川くんだよね?ちょっと、相談があるんだけど」

 放課後の事だった。
 初めてクラスの人から話しかけられた。しかも、飛び切り可愛い子にだ。それに、周りに複数の女子がいる。彼女の友達だろう。

「あの……、放課後一緒に帰ってる人、黒川くんの友達?」
「……あー、うん。そう。」

 やっぱりな。予想はしていた。

「名前、何て言うの?」
「……大月千晶」

 何となく言いたくなかったが、渋々その名前を口にする。

「ちあき……ちあきだって!名前もかっこいい」
「王子様じゃん」
「最早苗字もズルい」 

 この子たち、よく名前だけで盛り上がれるな。

「ねえ、あのさ……大月くんの連絡先教えてもらえたりしないかな?」
「えっ……と、それは、あの、本人に聞いてみないと」
「流石にそうだよね〜」
「ごめん……」
「ううん、こちらこそごめんね。あの、よかったら、大月くんに聞いてくれない?連絡先交換してもいいか」
「……わかった」
「本当!?ありがとう!!」
「え、私も!」
「えー!私も!」
「あ、じゃあついでに黒川くんとも今連絡先交換しよ」
「あっ、……はい」

 初めて話しかけられた話題がこれって、どうなんだ。正直、少しだけ期待したのに。
 しかも、俺との連絡先の交換はついで扱い……。
 俺がやきもきしていたら、噂の人物が教室にやって来た。

「旭、帰ろう」
「あ……うん」

 本当に、タイミングまで王子様みたいだ。腹が立ってしょうがない。

「大月くんだ!ヤバイ、かっこいい!」
「ねぇ!ちゃんと聞いといてよ!てか、絶対連絡先教えてね」
「本当にお願いね!」
「ハイ……」

 女子たちから小声でたくさん言われたけど、全く乗り気になれなかった。
 教室の入り口には、俺を見て微笑みながら待っている千晶がいる。ムカつくくらい様になっている。

「ねぇ、俺、教室まで来なくていいって言った」
「だって迎えに行かないとお前先に一人で帰りそうだもん」
「そ、そんなことしないから……」
「嘘でしょ。目泳いでる」
「……」

 そうだけど。

 本当はあれ以上千晶と一緒に登下校したくなかった。
 だけど、千晶が俺を一人にさせるのを異常なくらい不安がって、せめて部活が始まって時間が合わなくなるまでは共に、という誓いを立ててしまった。
 断りたかったけど、断りきれなかった。

「……友達出来た?」
「いや、全然」
「はは、そっか。……さっきの女子は?」
「……」
「……え、なんで睨むの」
「はぁ。……橋渡し」
「橋渡し?」
「千晶との」
「え?俺?」
「そう。あの子たち、千晶の連絡先教えてほしいって」
「……あー、そういう……」
「……教えてもいい?」
「話したこともないのに……。正直あんまり乗り気じゃない」
「俺だって乗りじゃないよ。でも、女子三人に囲まれて『絶対教えて』って言われたんだけど」
「それは……よかったじゃん」
「よくない!もしも明日教えられないなんて言ったら、絶対陰で叩かれる」
「はぁ、わかったよ」
「!……ありがとう」
「いいけど、条件ね」
「え、何」
「……『教えてもいい?』って可愛く言って」
「……は?」

 トチ狂ったのだろうか。そういえば、コイツはこういうキャラだったか?いや、え、そうだっけ?

「一言言うだけだよ」
「……なんで」
「聞きたいから」
「調子のらないでください。勝手に教えるから」
「冗談だって!ごめん!教えていいけど、返信マメじゃないって言っといて」
「分かった……」

 よかった。俺の高校生活の安寧とプライドは守られたようだ。

「ところで、旭は部活する?」
「ううん、やらないと思う」
「そっか。旭のクラス、課題の量多そうだもんな」
「うん。……千晶は、陸上?」
「そう、陸上続ける」

 千晶は、中学の時も陸上部に所属していた。種目は長距離で、かなりいい成績を収めていた。

「でも、2年で部活は辞めるって母さんと約束したんだ」
「え、なんで」
「もともと、母さん的には中学までで陸上は辞めて、家から近い進学校に入学して勉強を頑張ってほしかったらしいんだけど、俺はここに入学したくてさ。で、母さんが、それなら特進クラスにしなさいって言って。でも、やっぱり陸上はやりたかったし、多分俺特進クラスの課題の量で部活なんて続けられそうになかったし、母さんの妥協案で、3年になるまでに部活辞めて、3年からはちゃんと大学受験の勉強してほしいって」
「……ここの陸上部、強いの?」
「んー、普通。強い人もいるけど、まあ、そこそこって感じ」
「陸上部だったら、もっと強いとこあるよね。家の近くの高校。……そこには行こうと思わなかったの」
「……まあ、なんとなくここがいいかなって」
「……そういうもんなの」
「そういうもんなの。まあ、いいじゃんどうでも。それより、俺部活始まったら多分一緒に帰れなくなるだろうし、それだけが不安だな」
「ど、どんだけ心配すんの。本当に大丈夫だから」
「旭の大丈夫は大丈夫じゃないから。昔もさ……」

 俺の周りは過保護な人ばかりだ。千晶による、俺の恥ずかしいエピソード語りが始まってしまった。
 そうして、なんだかんだ家まで会話して帰った。もう俺が千晶に慣れたからか、もしくは意地をはるのを諦めたからか、前よりは会話は続くようになった。

 でも、また聞けなかった。
 なんでこの高校を選んだのか。


3
 俺は中学の時、写真部に所属していた。部活への入部はほぼ強制だったことと、運動が苦手だったことと、特にやりたいこともなかったことから、割と消去法で写真部に入部した。部員数はかなり少なく、俺にとってはとても居心地のいい部活だった。
 それに、やってみたら、写真を撮るということがとても楽しかった。
 部活の頻度は多くなかったので、空いた放課後の時間には、所属していた緑化委員の活動として学校内にある花壇の手入れをしていた。

 俺は、植物が大好きだ。
 小さい頃は、両親から植物図鑑をよく買ってもらっていた。家で、お母さんと花を育てるのが大好きだった。

 小学校も高学年に上がった頃、家で花を育てているということがクラスメイトの男子にバレて、からかわれた。
 それが俺にはとても女々しくて恥ずかしい事のように思えて、花を育てることをやめてしまった。

 でも、嫌いになれなかった。中学に上がってからは、緑化委員であることを口実に、花壇を触らせてもらっていた。
 用務員の人もいたので、別にやらなくてもよかったと思うが、先生たちは一生徒の自主性を買ってくれ、とても喜んでくれた。

 育てた植物を写真に収め、また植物を育てる。友達が少なく、何の才能も無い俺の数少ない楽しみの一つだった。

「あの、藤崎先生」
「黒川くん。どうしました?」

 藤崎先生は、俺のクラスの担任だ。とても温和で、優しそうな男の人だ。

「あの……敷地内にある花壇、いくつかありますよね。手入れとか、やりたいんですけど、だめでしょうか」
「え、黒川くんが?」
「はい」
「ほぉ、いいですね。園芸好きなんですか?」
「はい……植物が好きで」
「素敵ですね!じゃあ、用務員の佐藤さんにお願いしてみてください。実は、生徒に緑化を手伝ってもらう話は少しでていたんですよ。多分いいって言うと思うし、他の先生には僕から伝えとくんで」
「あ、ありがとうございます!」
「これから花壇を見るのが楽しみですね」

 今回も植物の世話をしたいと思っていたが、割とすんなりやらせてくれそうで安心した。
 昔はこんな趣味恥ずかしいと思っていたが、今はもうそんな感情は無く、ただ自分の力で育てた綺麗な植物を見たいと思っている。

 俺は用務員の佐藤さんの所へ向かった。

「佐藤さん、すみません」
「ん?私ですか?」

 入学式の時、教職員の紹介で少しだけ喋っていた記憶がある。優しそうなおじいさんだ。

「えっと、あの、花壇の手入れ、とか、植物のお世話、一緒にやりたいです。先生には許可取っています」
「えっ、お手伝いしてくれるんですか?」
「はい。俺、植物が好きなんです」
「おお!そうですか。私も好きですよ。嬉しいですね。では、お願いしてもいいですか?」
「はい!ありがとうございます!……やったあ!」
「ふふ、こちらこそ、ありがとうございます。よろしくお願いしますね」

 こうして、俺は佐藤さんと共に植物の世話をすることになった。用務員業務のほとんどはゴミ出しや清掃のため、なかなか新しい花壇まで手はつけられていなかったらしい。

 さっそく次の日から俺の業務はスタートした。とはいえ、最初は雑草を刈ったり、植物を育てるのに適した環境を作ったりといったところからだった。佐藤さんが花の苗を発注してくれたので、届くまでの間は図書室で図鑑を読んだり、自前のカメラをいじったりしていた。

 その日は、用務員室の勝手口前でカメラを片手にボーッとしていた。
 やけに賑やかだと思い、グラウンドの方を見てみた。各運動部が1年生をメンバーに迎え、初めての練習をしていた。
 そういえば今日の朝、登校中に千晶が複雑そうな顔で「今日から部活始まるのは嬉しいんだけど……旭を一人にさせるのが心配だ。一人で帰れるか?部活終わるまで待ってくれたら一緒に帰れるけど、どうする?あ、見学する?嫌なら、課題やって待っててくれてもいいし」と、怒涛の過保護っぷりを見せていた。もちろん断った。

(千晶も練習やってる……そりゃそうか)

 別に、見るつもりはなかったけど、目に入ってしまった。相変わらず何も分からない俺が見ても綺麗と思えるフォームだ。

(……写真、1枚くらい、撮っても……)

 そう、1枚。たった1枚だ。ここから撮れば、きっとバレないだろう。
 あの時は撮れなかったけど、今なら__

「黒川くん、お花の苗届きましたよ」
「うわあ!?」
「おっと、驚かせてしまいましたか」
「あ、す、すみません!大丈夫です!」
「カメラですか?いいですね。私を撮りますか?」
「ははは、じゃあ撮りましょうか!はい、チーズ」

 佐藤さんは、とても可愛らしいおじさんだ。こんな俺を明るくしてくれる。
 
 早速花壇の側に向かうと、パンジーやチューリップ、ガーベラなどの苗がたくさん届いていた。

「いっぱい……!」
「はい、一応、今回はこの花壇だけでやりましょうか。慣れたらまた違う花壇をやりましょうね」
「はい!」

 その後は、佐藤さんと一緒に苗を植え付け、黙々と作業を進めていった。
 誰に見せるものでもないし、公言もしない。でも、早く育ってほしい。写真を撮る日が待ち遠しい。


4
「え?お前、家で花なんか育ててるの?」
「女子じゃん!」
「うわあ、ダサい!」
「……え?」

 訳が分からなかった。お母さんからは、「お花を愛せるかっこいい男の子だね」と褒めて貰っていたから、彼らの言っている事は、よく分からなかった。

「なんで?……だ、ダサくないよ」
「だって、花なんて女子の趣味だろ」
「お前女なのかぁ〜?」
「旭ちゃんだ!!」
「違う!俺、女じゃない!」
「旭ちゃんだろ!花が好きなんだから」
「ち、違う!違う!!」

 花は女性のイメージだと彼らに刷り込まれ、ようやく自分が悪口を言われているのだと気付いた。そうなると、自分のこの趣味が酷く女々しくて「かっこよくない」ものだと思えてしまった。

「おい、やめろよ」
「なんだよ千晶。お前、こいつと仲いいんだろ。恥ずかしくねえの、女だぜ、こいつ!」
「ち、違う……」
「お?泣くのか?女だもんな、泣くよな!」
「だからやめろって!お前らこそかっこ悪いぞ」
「……はぁ?なんだよ、それ。チョーシのんなよ。旭と仲いいお前もダサいからな」
「意味分かんねーよ、それ。別に旭はダサくないし、人の好きなもののこと悪く言うなよ」
「っ、このやろっ!!」

 千晶はからかわれていた俺を庇ってくれた。小学生にして、本当に出来た子だったと思う。
 しかし、相手がキレて千晶に殴りかかろうとしていた。
 俺はもう、自分の趣味を否定したいのと、千晶が殴られてしまうかもしれない恐怖に、必死に叫んでいた。

「や、やめてよ!!俺、女じゃない!花も、好きじゃない!!」
「あ、旭……?」
「違うから……。俺、好きじゃない……。き、き、嫌い。お、俺、女じゃ、ない……」

 自分に嘘をついてしまった。
 彼らから馬鹿にされたこと、好きなものを嫌いと言ってしまったことが悔しくて、悲しくて、情けなくて、涙が溢れて止まらなかった。
 まさか高学年にもなった男が本当に泣くとは思わなかったのだろう。彼らは、見るからに狼狽え、その場を後にした。 

「旭、ごめん」
「うっ、うぅ」
「ごめん……」
「ぅ、うぅっ」

 千晶が何に謝っているのか、その時の俺には分からなかった。
 俺が泣き止むまで、千晶はずっと側にいてくれた。


5
 春を越え、梅雨も明け、時は7月。
中間考査も終わり、夏休みは目の前だった。
 部活に励んでいる千晶とは、本格的に別々で行動をするようになってしまった。
 
 まあ、別にいいんだけど。

 テスト期間中だけは、部活が無くなるため、一緒に登下校していた。
 そういえば、成績が悪かったら補習で部活に参加できなくなるし顧問に怒られると言っていたけど、大丈夫だったのだろうか。
 ……いや、考えるだけ無駄だ。やめよう。
 俺はまあまあの成績だったが、流石は特進クラス、順位的には真ん中くらいだった。
 テストを終え、一段落したので、久しぶりに植物の世話を再開することにした。
 最近は、佐藤さん無しで手入れを任されている。自分だけで出来ることが増えて嬉しい。

 夏休み前日の事だった。
 終業式の後は軽くホームルームがあり、早い時間に学校が終わった。俺は帰宅せず、花に水をやったり、雑草を抜いたりしていた。佐藤さんからは、「夏休み中は無理しなくてもいい」と言われていたけれど、植物の世話をしに毎日学校に行くつもりだった。

 花に水をやり終え、満開に咲いている花たちを見渡す。

 真夏日だ。太陽がジリジリと辺りを照らしている。
 汗がぽたりと花びらに落ち、土に吸い込まれていった。
 その様子をただじっと見つめていた。

「旭」
「!」
「ああ……やっぱり、旭だ」
「っ、千晶……」

 急に名前を呼ばれ、思わず息をのんだ。
 千晶だった。練習着を着て、タオルで汗を拭っている。片手にはボトルを持っている。今は部活の休憩中だろうか。

 正直、千晶にはバレたくなかった。

「千晶がこの花育ててんの?」
「う、ん」
「……やっぱり!すげーじゃん!!」
「そうでもないよ……水やって、雑草を抜いてるだけ」
「それがすげーんだって。毎日やってんの?」
「できるだけやるようにしてる」
「へぇ〜。そっか。……嬉しいな」
「え?」
「いや、別に。明日からは?来るの?」
「うん。行くつもり」
「え、毎日?」
「うん」
「はは、すげー!根性あるな」
「や、やめてよ。毎日部活ある人に言われると恥しい」
「もう部活みたいなもんだろ。そっか、じゃあ夏休みも毎日会えるか」
「え」
「休憩中、また会いに行っていい?」
「は……」
「嫌?」
「……い、嫌じゃない、けど」
「ん、ありがとう。熱中症気をつけろよ!じゃあ!」

 そう言って、千晶は颯爽と駆けて行った。

「あ〜……」

 花を見に来るんじゃなくて、会いに来る。
 俺を、目的にしてくれている。

「はぁ、嫌だ……。うるさい、うるさい、心臓」

 心臓がどくどくと音を立てる。
 遠くで蝉が鳴いている。

「あつ……」
 
 夏の日差しが俺を照りつけていた。 


6
 夏休みに入り数日がたった。約束通り、千晶は部活の休憩時間中に俺に会いに来てくれた。
 毎日時間を決めて行っている訳ではないので、タイミングが合わず、会えない日もあった。
 そしたら次の日、千晶が少し悲しそうにしていたので、何故だか俺も罪悪感に駆られ、明日は何時くらいに来て何時までいると伝えるようになってしまった。
 千晶は満足そうだった。

「俺、明日一年生大会なんだよ」
「一年生大会?」
「うん。県の一年生だけで競う大会」
「そうなんだ。頑張って」
「……ドライじゃない?」
「本当に思ってるよ」
「本当か〜?……あのさ、応援、来ない?」
「え?」
「今年は市内の陸上競技場でやるんだけど……どう?」
「えっ、……と」
「……」
「あの、その、ごめん。行かない」
「そっか……」
「あ、いや、違う。嫌じゃない、嫌じゃなくて、えっと、ひ、人いっぱいいるのが苦手で、その」
「うん。分かってるよ。ごめん」
「……ごめん」
「ううん……。じゃ、いい結果報告できるように頑張ってくるから!期待してて」
「わ、分かった。……ここで、応援してるから」
「!」
「会場の方角向いて、頑張れって言う……」
「ふは!何それ、可愛いじゃん」
「……明後日は、10時からお昼くらいまでいる、から」
「うん。分かった。結果はその時までお楽しみな」
「うん……」

 そこで、千晶とは別れた。

 これだけ心が痛むなら、観に行けばいい。
 でも、行こうと思えなかった。

 確かに人混みは苦手だけれど、そんなのはただの建前でしかない。
 俺はきっと、千晶の輝く姿をこの目で見たくないだけだ。

 前に進んで変わっていく千晶と、ずっと同じところにいて、何も変われない俺。
 __その差を、まざまざと見せつけられるようで。


7
「じゃん!どうよ、これ」
「え、凄い……。1位……」
「うん、頑張った」

 大会の翌日、大きな賞状を手にして千晶はやって来た。

「県の一年生の中で、1番ってこと?」
「まあ、うん。そういうこと」
「凄い」
「ありがと。旭が応援してくれたおかげかも」
「いや……俺は、別に」
「ちゃんと方角向いて頑張れって言ってくれた?」
「い、……言った」
「はは、見たかったな、それ」

 嘘だと思われたかもしれないが、実際は本当にやっていた。小声でだけど。

「俺、今多分旭が頑張れって言ってんな〜って思って走ったら、調子良かったんだ」
「お、大げさだって」
「本当だよ。ね、俺、頑張ったんだけど」
「うん?」
「ご褒美ほしい」
「ご、ご褒美?」
「うん」

 意外な言葉がでた。結果だけに拘るタイプだと思っていた。

「ご褒美って……俺、お金そんなに無いよ」
「お金とか、物じゃなくていいから」
「物じゃないって……な、何がいいの」
「ん〜、じゃあ、夏休み中に二人でどこか遊びに行こう」
「え」
「……だめ?」
「だめ、じゃないけど……。そんなの、ご褒美じゃないでしょ」
「いや、俺は嬉しいけど。旭と遊ぶのなんて本当に数年ぶりだし」
「……多分、俺と遊んでもつまんないよ。俺、昔より喋るの下手だし」
「そうか?俺は今も楽しいけど」
「……はぁ、分かったよ。いつにする」
「!……いいの?」
「うん。いつがいい」

 千晶とまともに遊ぶのは、小6ぶりかもしれない。少しだけ、気まずくて億劫だという感情がよぎったが、そんな事はいくらなんでも言えなかった。

「じゃあ、明日」
「あ、明日?急じゃない?」
「明日久々の1日オフだから、明日がいい」
「いいの?体休ませた方がいいんじゃない」
「余裕余裕。むしろ疲れとれるから」
「ふ、変なの。じゃあ明日ね。俺、遊びの予定とか立てられないけど」
「ん〜、水族館は?」
「水族館……」
「楽じゃない?あんま喋らなくていいし」
「千晶はそんなんでいいの?」
「いいよ。遊びたいけど、連れ回したい訳じゃないし」
「……俺のこと気遣ってくれてるよね、ごめん」
「いや!違う。そうじゃなくて、……えっと、ちゃんと、俺の意思で、水族館に行きたいと思ってる」
「千晶、水族館好きだったっけ」
「うん……まあ」
「……分かった、じゃあ水族館行こう」
「やった……!じゃあ、明日10時に迎えに行くから」
「うん」
「あとさ」
「ん?」
「旭、まだ写真撮ってる?」
「っえ、」
「続けてるんなら、カメラ持ってきてよ。俺、撮ってるとこ見たい」
「う、うん。分かった、持ってく」
「よかった。俺、旭の撮る写真好きなんだよな」
「え?……俺の撮った写真、見せたことあるっけ」
「見たことある。中学の、夏休みにやってた写真部の校内展示」

 まさか、あんなひっそりと設けられた展示スペースの存在を知っていたなんて。
 お互い離れていた期間に俺の作品を見られていたと思うと恥ずかしくて、顔に熱が集まった。

「綺麗だったな。3年のときの写真、覚えてる。なんて名前の花?」
「あれは……カレンデュラ」
「カレンデュラ?初めて聞いた」
「キンセンカの方が有名かな。キク科の花だよ」
「へぇ。流石、よく知ってるな」
「全部詳しいわけじゃないよ。好きなものだけ」
「それでも俺からしたら凄いけど。今も写真撮ってる?」
「まあ、ぼちぼち」
「そっか。よかった」
「よかった?なんで」
「ん、なんでもない」

 最近の千晶は、俺の趣味や好きなものを確認して安堵する節がある。なぜなのかは分からない。

「明日、楽しみだな。今日みたいに晴れるといいな」
「……うん」


8
「ねぇ、今走ってるの、千晶くんだよね」
「かっこいいよねぇ……」
「ちょっとクールだけど、そういうとこもかっこいい」
「でも友達といる時ちょっと怖くない?」
「あー、たしかに。一軍って感じが強いよね〜。あんまり近寄れないかも」
「千晶くんっていうか、周りの人ちょっと怖いよね」

 中学の話だ。緑化委員の活動を終えて、帰ろうとしていた時だった。
 ふと、廊下で窓の外を見ている女子たちの会話が聞こえてきたので、無意識にグラウンドの方を見てしまった。

 千晶が、綺麗なフォームで走っている。
 まるで美術品みたいだった。
 思わず足を止めて見入ってしまう。

 千晶は、俺とは程遠い世界にいる。俺はここからただ眺めるしかない。

 ケースに入れていたカメラを取り出す。
 ガラス越しにその姿を写し、ピントを合わせた。
 撮ろうと思っていたわけじゃないが、いつの間にかカメラを構えていた。

 髪が風に靡いている。軽やかに走る姿は、鳥みたいだ。

 __撮りたい。

 シャッターボタンに指をかける。

 押していいのか。押したら、この気持ちは満足するのだろうか。
 迷っていたら、昔の記憶がふとフラッシュバックした。

『あいつ、お前の幼馴染?』
『うん、まあ』
『似合わねーな。めちゃくちゃ地味じゃん』
『はは……』
『あんな奴と一緒に学校行ったり帰ったりしてんの』
『……時間が合えばな』
『へぇ。そんな時間勿体ねえって。部活無い時は俺らと遊ぼうぜ』
『……』
『何?嫌?もしかして結構仲良かった?あんな奴好きなのかよ』
『……俺は__』

 嫌だ。やめてくれ。

 俺はカメラを降ろして、その場に蹲った。

「っ、ハァ……」

 深く呼吸をする。
 俺が撮りたいのは、あんな人じゃない。違う。

 なんでこうなってしまったのだろう。
 神様なんていなかった。あんなお願い事をしても、ただ虚しくなるだけだった。

 6時を知らせる校内放送が鳴った。
 一人残された廊下は、酷く寒々しかった。

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