1
夢を見ている。幼い頃の記憶だ。
放課後、ランドセルを家に置いたら、いつもの公園に集合する。
競争しよう、なんて口では言ってないけれど、先に着きたいから全速力で目的地へ向かう。
今日は何をしようか、どこへ行こうか。
あの頃、俺達は何にだってなれたし、二人ならどんなことでもできた。
俺の隣には彼がいて、彼の隣には俺がいた。
そんなの当たり前だ。俺達はずっと一緒だ。
ずっと、一緒だと思っていた。
2
(1107……1107……。あ、あった……!)
合格者の番号が羅列している掲示板の前で、俺は一気に安堵した。緊張が解け、無意識に息が溢れる。
親に吉報を送ろうと携帯電話を取り出した矢先、ふと目線の先、遠くにいる人物をじっと見てしまった。
何故なのかというと、俺の知っている人にとても似ているからだ。
(いや、まさかな……)
別に中学が嫌だった訳じゃない。並の学校生活と、そこそこの成績を収めていた。だけど、同じ中学の人たちが誰も進学しなさそうな、少し遠い距離の高校を態と受験したんだ。
だから、見知った人がいる筈がない……それも、よりによって、あいつが。
一度ほぐれた心が再び張り詰めていくような気がし、逃げるようにその場を去った。
3
「改めて、旭、合格おめでとう!!よく頑張ったわね」
「ありがとう、とりあえず安心したよ」
「まあ、旭の学力なら大丈夫だと思っていたけど、受かって何よりだな」
俺の高校受験合格を祝って、今日の夜ご飯はお母さんがご馳走をたくさん用意してくれた。お父さんの言うとおり、正直手応えがあった受験だったので、あまり心配はしていなかったけれど、受験に合格したという事実は、受験生にとっては最も嬉しいことである。
「でもここからね。特進クラスなんだから、課題も多くて大変そうね。頑張らないと」
「うん。ほどほどに頑張るよ」
「そうこうしてる内に、あっという間にまた受験生だからなあ」
「うわ〜。考えたくないなあ」
「まあ、最初は目の前のことをコツコツとね。……あ、そういえば旭、あの子とは違うクラスなのね」
「……ん?……なんの話?」
当たり障りのない会話をしていたが、いきなりお母さんが脈絡のない事を言い出した。
「あら?知らないの?てっきり同じ進路先どおし、もう話してるかと思ったんだけど」
「や、だから、なんの事?」
「千晶くんよ!一緒の高校でしょ」
「……………………は?」
「あら、本当に知らないのね。さっき千晶くんのお母さんと喋ってたんだけど、千晶くん、普通科受かったって。特進クラスじゃないから、旭とは違うクラスだけど、よかったじゃない」
「……千晶……」
「中学入ってからめっきり遊ばなくなったものね。千晶くんのお母さんも、『旭くん、ウチの子の事忘れてないかしら』って笑ってたわよ」
「……」
忘れていない。忘れる筈なんかない。
だって、千晶は、大月千晶は、俺のたった一人の、唯一の幼馴染なんだから。
4
大月千晶は、俺の幼馴染だ。生まれた時期もほぼ一緒、生まれた病院も一緒、住んでる町だって一緒。病院で出会った母親たちは仲良くなり、そしてもちろん俺達子どもも仲良くなり、よく一緒に遊ぶようになった。
おまけに、俺の住んでいる町は子どもが少ないため、同年代の友達はお互いしかいなかった。
千晶は活発で明るく、俺は引っ込み思案。
対照的な二人だったけれど、不思議なことに馬は合った。何をやっても二人だと楽しく、かけっこ、かくれんぼ、秘密基地作り、お宝探し、探索、なんだってやった。放課後はただひたすらに千晶と遊んでいた。
それも小学生の時までだけれど。
(懐かしい夢を見てしまった……)
受験が終わってから、卒業式を終え、ダラダラと春休みを過ごした。しかし、いつも頭の片隅では幼馴染の事を考えてしまっていた。まさか夢にまで見るなんて。
今日は高校の入学式だ。
自分で選んだ道だが、知っている人がいない状態からスタートするので、少しばかり緊張してしまう。
「おお、ちょうど起こしに行こうと思ってた所だよ。おはよう旭。」
「旭、おはよう!いよいよ入学式ね。緊張してる?」
「おはよう、お父さん、お母さん。うん、少しね」
「本当は私もお父さんも一緒に入学式行きたかったんだけど……」
「いいって。今日から二人で出張でしょ?」
「ごめんね……。帰ってきたらお話聞かせてね」
「うん。分かった。二人とも気をつけてね」
うちはお母さんとお父さんが二人でIT関係の会社を経営している。今日から、どうしても外せない大きな仕事があるそうだ。
「うーん……。旭は俺に似て方向音痴だからなぁ……。高校に辿り着けるかすら不安になってきたな」
「それは……、俺もちょっと不安だけどさ」
「あら、大丈夫よ!千晶くんに頼んだから!」
「……えっ?」
聞き間違いだろうか。お母さんが理解し難い言葉を発した気がする。
「ち、千晶?待って、何を?」
「え?一緒に登校するのを」
「千晶くん……あの千晶くんか!まあ、それなら安心だな」
「でしょ?私も、流石に入学初日に一人で可愛い息子を送り出すのが不安になっちゃって……。千晶くんのお母さんに相談したら、千晶くんにお迎え行かせるって」
「ちょっと待って!!そんな事聞いてないし、俺別に頼んでない!!」
「え〜。でも私もう千晶くん本人に頼んじゃったし……」
「……本当に……?」
「8時にお迎え来てくれるって。いいじゃない!見知った人と一緒に初めての高校に行けるの」
「……」
俺を置いて、話がとんとん拍子に進んでいく。
「お、俺。ちゃんと自分で行けるか試したいから、一人で行く。ごめんだけど、来たら断っといて……」
「何言ってんの!いくら遊んでない期間が長いからって、そんな失礼なことできないでしょ。なーに、大丈夫よ!元気だった?とか、春休み何してた?とか、中学の頃どうだったとか話せばいいじゃない」
どうやら、お母さんには俺達のひらいてしまった距離感はお見通しのようだった。そりゃあ、誰とも気さくに話せる母からすればなんてこと無いだろうけども。
「そんな簡単に言うけどさ……ハァ、もういいや……」
「そんな心配することないわ!千晶くん、前会った時何も変わってなかったもの。また前みたいに話せるようになるわ」
「変わってない……」
変わってない、それは絶対嘘だ。
変わってないのなら、俺は、俺達は、きっとまだ幼馴染として関係を続けていただろう。
「さ!早く支度しなさい。あ、冷蔵庫の中に今日の分のご飯入ってるから。お金もここ置いとくから、後は適当に作るなり買うなりしてね。あ、不安だったら大月さんの家に頼んであるから、千晶くんにでもお願いしなさい」
「いや……勘弁してくれ……」
新生活早々、気が重い。
5
「おはようございます、おばさん」
「千晶くん、おはよう!ごめんねぇ、こんなこと頼んで。ほら!あんたも挨拶!」
「……おはようございます」
「うん、おはよう」
「もう、挨拶のひとつも禄にできないんだから……。ごめんね、私達が留守にする間、よろしくね。よかったら気にかけてやって」
「お母さん!!いいから!」
「はは、いいっすよ。任せてください」
「ありがとうねぇ!本当、相変わらず千晶くんは顔も性格も男前ね」
「お母さん、もういいから……」
「あらヤダ。早く行かないとね。それじゃあ、気をつけてね!頑張るのよ!あと、戸締まりはしっかり!怪しい人が来ても出なくていいからね!」
「わ、分かったから!行ってきます!」
お母さんの怒涛のおせっかいに恥ずかしくなり、急いで扉を締めた。
「おばさん、相変わらず心配性だな」
「辞めてほしいんだけどな……」
「大切にされてるってことだろ」
「ただおせっかいなだけだよ」
「……」
「……」
覚悟はしていたが、全く会話が続かない。俺は積極的に会話を広げられるタイプではないので、こういう時にどういう話をすればいいのかが分からない。
「え〜……、あ、千晶は、元気だった?」
「元気……だったよ。……旭は?」
「俺、も元気……だった」
「はは、そっか」
「ウン……」
「……」
「……」
駄目だ。俺の力ごときじゃ、お母さんのアドバイス通りの話題だと会話が成り立たない。
チラッと千晶の顔を見る。
喋るのが久しいとはいえ、同じ中学だったのでお互い廊下ですれ違ったり、遠くから姿を見たりはしていた。けれど、こんなに近くで顔を見ることはなかった。
成長期を迎え、もともと端正だった顔つきに磨きがかかっている。知らないうちに、かなり声質も変わっていた。
「……なんか顔変?」
「えっ!あ、いや。なんでもない」
「あ、そう……。あ〜、旭、身長伸びたか?」
「うん。でも、ちょっとだけだけど……。千晶は、凄い伸びた……かな?」
「うん。3年間で20cm近く伸びた」
「え、本当に?」
「そう、だから成長痛痛くて」
「俺には無い悩みだな、羨ましい……」
「きっとこれから伸びるって」
「そうだといいけど……」
「……えっと、あのさ……いや、何でもない」
「あっ、はい……」
「……」
「……」
地獄すぎる。ちなみに、電車で40分ほどかかる所に学校がある。駅にすらまだ着いていない。これがあと40分以上続くとなると地獄でしかない。
「あっ、見て、ここ。懐かしい」
「公園……」
沈黙を破り千晶が指さしたのは、俺達が昔良く遊んでいた公園だった。
「遊具、昔とちょっと変わっちゃったな」
「だいぶ雰囲気変わった感じがする……」
「そうだよな。……あ、でもあの木はまだある」
「……」
「……昔、よくこの木にお願い事書いた紙結んでさ、願掛けみたいなのしたよな」
「うん……」
「覚えてる?何お願いしてたか」
「……あんまり、覚えてない」
「俺、二人で『晴れますように』って書いたの覚えてる」
「あっ、書いたかも……小2の時だ」
「そう!それまでずっと雨降ってたのに、遠足の日だけ丁度晴れてさ、あの木には本当に神様が住んでる!って驚いたよな」
「うん……。あの時はびっくりした」
「だよな。あー、懐かしいな……」
「……じ、時間。電車の時間、ギリギリかも」
「あ、ヤバ!行こうか」
俺達には、昔の話しかできることがない。少しの盛り上がりを見せ、公園を去った。
何をお願いしたか覚えていない、なんて嘘だ。
俺は、最後のお願いをずっと引きずってここまで来たんだ。
結局、叶うことのなかった夢だけれど。
6
その後、俺達は時間ギリギリに電車に乗ることができた。が、電車が鳴らす喧騒にまかせて、お互い喋りかけない。
(やっぱり、2人で登校なんてするんじゃなかった)
絶妙な気まずさと微妙な距離感。お互いがそれを意識しあって、近づくことも、突き放すこともできない。
窓の外を眺める千晶を見る。
彼は、今どんな気持ちなのだろうか。俺と一緒に登校することを頼まれて、嫌だと思わなかったのだろうか。……きっと少しは嫌に思うはずだ。優しいから、俺のお母さんから頼まれた手前、断れなかったのだろう。
(早く、着かないかな)
何としても、今日だけで学校までのルートを覚えなければ。もうこんな空気は味わいたくない。
結局、電車の中では一度も会話することなく駅に着いた。
「結構人いるな」
「うん……大規模校だもんね」
「うわ、なんか緊張してきたな」
「千晶って緊張するんだ」
「そりゃ、緊張するよ。だって知ってる人旭しかいないし」
「俺だけ……」
何で、という言葉は口にできなかった。
何で、わざわざこの学校を選んだのか。
「知らない人とやってけるか心配だな。他校の奴と仲良くなれるといいんだけど」
「……千晶なら大丈夫でしょ」
「そうかな。俺結構人見知りするんだよな」
「ふふ、嘘でしょ、それ」
「……まぁ、嘘だけど。旭は、大丈夫そう?」
「大丈夫って……何が」
「なんか、ほら、うまくやってけるか、とか」
「ん……分かんない。俺は、別に、一人でもいい。勉強頑張るだけだし……」
「そっか……」
「あっ……なんか、ごめん。違う、別に、千晶を否定してるとかじゃなくて、あの、気にかけてくれてるのは分かるから、」
「うん。大丈夫。分かってるよ」
「……」
「……あの、俺が言いたいのは、もしも悩んだり困ったことがあったら、俺を頼ってほしいってことなんだけど」
「え」
「別に、どれだけ友達作るとか、勉強に力入れるとかは、個人の問題だから、俺から口出しはしないんだけど」
「……」
「俺達、幼馴染なんだからさ、旭の力になりたいんだよ」
「は……」
俺は、咄嗟に何も返せなかった。
それを、お前が言うのか。そんな言葉を、今、こんなタイミングで。なんで、
(あの時は、俺の事、見放したのに)
「……」
「あ、えーっと、とりあえず、入学式終わったら、迎えに行くから。一緒に帰ろう」
「……別に、いいよ。多分もう一人で帰れるし」
「いや、……あー、俺が心配するからさ、送らせてよ。おばさんにも頼まれてるし」
「……分かった」
「ん、じゃあ、終わったらクラスまで迎えに行くから。待ってて」
学校に着いた俺達は、各学科の集合場所に別れていった。これから入学式だけれど、俺の頭の中は、千晶と、昔の記憶でいっぱいだった。
俺ばっかりずっと片意地張って、俺ばっかり過去に囚われていて、嫌になる。俺の力になる?なんで、そんな事を、今更。
__もっと昔に助けてほしかった。
7
流石、大規模校である。中学の時は中規模校だったので、違いが分かりやすい。新入生達が集まっている体育館を見回して、改めて人の多さに驚く。
入学式、クラスに別れて今後の流れの説明と続き、恙無く今日の予定は終了した。
中学が一緒の人たち、早くも仲良くなれたらしい人たちが、かたまって話をしている。その中にもちろん俺が入るスキもなく、千晶が来るのを一人で待っていた。
そんな中、ひそひそと周りの女子たちが会話するのが聞こえてきた。
「ね、入学式の時さ、私の隣にいた男の人すっごいかっこよかった」
「あ、私も見た!隣のクラスでしょ?どこ中かな」
「えー!私も見たい」
「見かけたら教えてあげる。……って、あ」
「あ、キタキタ!!あの人だよ!」
「うわっ……ほんとだ、超イケメンじゃん!」
「ん?こっちに来そうなんだけど」
「なんの用だろ」
……心当たりがある。多分、千晶だろう。そういえば、中学に入った時も同じように女子たちから噂されていた記憶がある。
教室の扉が開き、そこには案の定千晶がいた。
「旭、帰ろ」
「……うん」
女子たちが小声で何か喋っているが、何も聞き取れない。正直、こんな形で注目されるのは物凄く居心地が悪い。
鞄を持ち、そそくさとクラスを出る。こうなるのもなんとなく予感していたから、一緒に帰るのも嫌だったんだけど……。
「入学式の話ってやっぱなげえよな」
「ね。俺何も覚えてない」
「俺も。どうだった?クラスのやつらは」
「どうだろ……。みんな、最近の人って感じ」
「ははは!お前も最近の人じゃん」
「そうだけど……。千晶のクラスは、どうだった?」
「ん?なんか気さくなやつ多そうだった。みんな、自分から話しかけてくれる」
多分、それは千晶と仲良くなりたいから頑張って話しかけているのだろう。だから迎えに来るのも遅かったんだ。
「……俺なんかと一緒に帰って大丈夫?誘われたりしなかったの」
「何、そんな事心配してんの。大丈夫だって、先に約束してたんだから」
「やっぱり、誘われたんじゃん」
「いや、まあ……。とにかく、気にしなくていいから」
申し訳なさと、人としての違いになんとも言えない気持ちになる。明日からはちゃんと自分の力で帰ろう。
その後、また片道40分の電車に揺られながら帰った。駅に着き、千晶にここまででいいと断ったが、「家まで送らせて」と言われたので、結局最後まで一緒に帰ってくれた。
「あの、行きも帰りもありがとう」
「いいって。道覚えた?」
「うん、多分。……分かんないけど、多分大丈夫」
「……ほんとかぁ?」
「だ、大丈夫だから。だから、明日はいいからね」
「え?いや、いいよ。暫く行き帰り一緒にするよ」
「ううん、いい。本当に大丈夫だから。……俺も、もう高校生だし、ずっと心配されなくても大丈夫。だから、明日から俺の事気にしなくていいから。今日はありがとう」
「……わ、かった」
「……じゃあ、バイバイ」
千晶のお願いを断り続けるのは心苦しかったが、これは俺のためでもあるし、千晶のためでもあるし、ついでに言うと千晶と仲良くなりたい人のためでもある。
俺は家に入り、そのまま自室のベッドへと駆け込んだ。
なんだか、体が重い。心も重い。
「……」
今日一日の事を忘れるように、目を瞑って眠りについた。
8
「なあ旭、一緒に野球やりたくない?」
「えっ!野球やりたい!俺、ずっと習いたいって思ってた」
「だよな!お母さんが、俺に野球習わないかって聞いてきたんだ。旭もやらない?」
「やる!やりたい!俺もお母さんに言ってみる!」
「やった!俺も、ずっと旭となんかスポーツしたいって思ってたんだよな」
「本当?でも俺、ちゃんとついていけるかな?」
「大丈夫だって!一緒に頑張ろう」
「……うん!」
小学生の頃、俺は千晶に誘われて、地域の少年野球の習い事をしていた。単純に体を動かすことは好きだったし、何より千晶と一緒に同じスポーツができるのが嬉しくて嬉しくて、その日のうちにお母さんに頼み込んだ。その頃は他に何も習い事をしていなかったので、お母さんも喜々としてOKをしてくれて、めでたく旭と一緒に野球を習い始めた。
基礎から始めて、どんどん出来ることが増えたり、その日できなかった事が次の日できるようになったりして、最初はとても楽しんでいた。
ただ、練習を重ねるごとに、自分には運動神経があまり無いという事に気づいてしまった。
他の子が出来ることが俺にはできない。楽しかった野球も、人と比べ始めて自分が嫌になる日々が続いた。
一方、千晶は持ち前の運動神経でぐんぐん成長していき、気がついたらチームのエースとして活躍するようになった。
試合にも参加させてもらえるようになった頃に、事件は起きた。
他の野球チームとの試合の日だった。9回表までは、俺達のチームがリードしていた。そして9回裏、相手チームのバッターが打った球が高く高く上がり、俺はそれを取る事ができなかった。多分、他の人であれば取れたであろう。俺のミスのせいで、俺達のチームは逆転負けを許してしまった。
俺は罪悪感と悔しさでいっぱいになった。チームの人たちになんて謝ればいいかをずっと考えていたら、千晶と同じくらい実力のある奴に俺の腕を掴まれ、人気の無い所に連れて行かれた。そこには他に3人くらいいた気がする。
「なんで取れなかったんだよ、下手くそ」
「お前のせいで負けたんだ」
「謝れよ」
「もう試合に出んな。足手まといなんだよ」
この時の記憶はあまり無いけど、心ない言葉をたくさん浴びた。俺はただただ頭を下げて泣きながら謝ることしかできなかった。
彼らが俺に投げかけた言葉は、この試合の事だけではないと感じた。きっと、日頃の練習から思っていたのだろう。
その後は、千晶にも、他の誰にも会うこともなく、家に帰った。ぐしょぐしょに泣きながらお母さん全部話して、野球は辞める事になった。
千晶はそんな俺を気にかけてくれて、俺も野球辞めるとまで言い出したけど、俺の目から見ても千晶は楽しそうに野球をやっていたし、チームにとって大事な存在だったので、それは必死に説得して止めさせた。
野球は放課後の練習がとても多い。俺は学校から帰って、千晶と遊ぶことが少なくなっていった。
そして、少しずつ、少しずつ、小学生ながらに千晶と俺の差を感じるようになった。
たまに遊んでも、やりたいことが合わない時も増えて、喧嘩も多くなっていった。学校の休み時間も、俺は本を読んだり、絵を描いたりすることが増え、千晶は他のクラスメイトと体を動かして遊ぶ事が増えていった。
俺の内気な性格と、千晶の活発な性格の差がよりいっそ広まった。
それでも俺はまだ、大好きだった千晶と一緒にいる事を諦めようとはしていなかった。
9
(また、懐かしい夢……)
千晶の話題が出てから、頻繁に昔の夢を見たり、昔の事を思い出すようになった。
正直、小学生の頃のあのエピソードは嫌な記憶ではあるが、お互い心が未熟だったから起きてしまった事故だろうと割り切っている。
その先の中学に上がった時のことは、……割り切れていたら、千晶と今みたいな関係にはなっていないだろう。
俺が千晶の側を離れる決心をした日。
忘れもしない、中1の夏休み前の日だ。
(……もう思い返すのは辞めよう)
変な時間に寝て起きてしまったせいで、夢見も悪いし寝起きの感情も最悪だ。
明日からはまた今までどおり、俺と千晶は別世界で過ごすことになるのだから、千晶について考えるだけ無駄だ。
ベッドからのそのそと体を起こし、リビングに降りる。食欲は無いが、せっかくお母さんが作ってくれた夜ご飯は無駄にできない。
炊き込みご飯と生姜焼き、どちらも俺の好きなご飯だ。温め直すといいにおいが漂い、少し食欲が出てきた気がした。
お母さんはあの日、俺が泣きながら野球を辞めたいと言ったら、俺のことを抱きしめて一緒に泣いていた。
楽しそうにしていた野球が、日に日に浮かない顔で帰ってくるようになっていたことをずっと気にしてくれていたらしい。
これはきっかけに過ぎないが、うちの両親が若干過保護なことにも繋がっているのかもしれない。
夜ご飯を食べながら学校のことを考えていたら、明日一人で学校に辿り着けるか不安になってきた。ちなみに俺は本当に方向音痴なので、覚えよう覚えようと思っても、一回辿っただけでは道順は覚えられないのだ。
しかし、一人で大丈夫と千晶に言ってしまった手前、誰に頼ることもできない。
明日は早めに出て頑張って一人で行こう。
10
「……なんで来たの」
「ごめん、やっぱ一人で行かせるの不安だわ」
翌朝、俺が家を出ようとした時間より早いタイミングでインターホンが鳴った。
こんな時間に誰だ?と思って扉を開けたら、千晶が立っていた。思わず扉を閉めかけたが、千晶が扉を凄い力で抑えていて無理だった。
「いいって!まだ早いし、家に帰ってゆっくりしなよ!」
「いや、一緒に着いてくから。よく考えれば、1回しか通ってないあの片道を旭一人で行かせるの、不安すぎるって気付いた」
「なんで!俺のお母さんかよ!!」
「まあ、お前のお母さんから頼まれてるしな」
「うう……」
本当は、学校まで誰かと行けたら凄く嬉しい。でも、それ以上にあの気まずい空気を味わいたくない。でも、でも……。
「……まだ準備できてないから、リビングで適当に待ってて」
「!……分かった。おじゃまします」
……断れなかった。
千晶は、俺の事を考えて、俺と一緒に学校へ行くために、俺より早く準備をして来てくれたんだろう。俺の我儘だけで、千晶の優しさを無下にはできなかった。
「おぉ……旭の家、久しぶりだ……」
「……ソファ座ってていいよ」
「ありがと……」
久しい訪問に、千晶も少し緊張してるようだった。そわそわと、いろんな所に目線を移動させている。なんだかむず痒い。早くも、これ以上同じ空間に2人でいるのはしんどいと思ってしまった。さっさと準備して外に出たほうがまだマシだ。
「準備できた。行こう」
「お、おう。早かったな。忘れ物ない?」
「多分」
「提出する資料は持った?」
「持った」
「定期は?」
「……持った」
「ハンカチとティッシュは?」
「なんだよ!そこまで心配しなくていいから!」
「はは、ごめん。なんか、やっぱり旭の事になると、いろいろ気にかけてしまうみたいだな」
「っ……」
「ん?」
「…………か、過保護はうちの親だけでいいから……」
なんだよそれ。なんだよそれ!
ずっと自分から距離をとっていた事が馬鹿らしく思えてくる。
千晶をあんなに拒否していたのに、少し嬉しいと思っている自分が恥ずかしい。
「じゃ、行こっか」
「……うん」
千晶の事は、昔みたいに一番仲がいい人とは思えない。それでも、もしかしたら、これから先俺達の間の何かは少し変わるかもしれないと思った。
11
千晶が、俺と遊んでくれなくなった。
なんで?どうして?
部活が違うから?
運動が苦手だから?
千晶に他の友達がたくさんできたから?
__俺が、千晶に似合わないから?
昔みたいに、二人でたくさん遊びたい。テスト勉強も、二人でやりたい。
本当は、スポーツだって一緒にやりたい。
もうどうしていいのか分からない。
神様に、お願いするしかない。
大丈夫だ。だって、いろんなお願い事を叶えてくれた神様なんだから。
【仲良しに戻れますように】
__これが、俺の最後のお願いだった。
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