【一宮だけ女体化】1mmもないけど、0.9mmならあるかもしれない話


お題:一宮だけ女体化




⚠注意⚠

・一宮だけ先天性の女体化です

・男×女です

・が、全くいちゃついていないし嫌われてます

・都合上陰キャどもの黒野も女の子になってもらってます






1


 頑張って口には出さなかった。でももしかしたら思いっきり顔には出ていたかもしれない。

 体育館に貼り出されたクラス表を見て、げ……と。己の不運さを呪った。唯一仲がいい女の子と離れたことと、幼馴染の男の子と一緒のクラスになってしまったこと。二重で最悪だった。この気持ちをどこかに吐き出したいし喚き散らしたいけど、なってしまったものはしょうがない。私は配属された三組に移動するしかないのだ。重い足を引きずりながら向かうことにした。


 三組の近くまでさしあたると、教室からやけに賑やかな笑い声が聞こえてきた。賑やかさで言うと他のクラスと比べて断トツ。そういう人達が多いのだろう。三組は、勉強を諦めた人や勉強をあまり必要としない人の多いクラスだ。だから、つまり……、そういう人種が多いということ。そして、私は勉強ができないからこのクラスに分けられてしまった訳だけど。

 開けっ放しになっていた教室に意を決して入室すると、既にグループができていて、半円になって盛り上がっていた。キラキラした男の子と女の子が会話に華を咲かせている。その中でも特に中心になっている人物──私の幼馴染──三好をチラッと見て、何故か目が合いそうな雰囲気を察して、すぐに目を逸した。

 こういう感じの人達と、私みたいな地味で勉強もできない人達との差が既にこの教室にある。私みたいなタイプの数名は、一様に自分の席に座って本を読んだりイヤホンを装着しスマホを触ったりして、自分の世界に耽っていた。

 私は静かに自分の席に着き、無性に泣きたくなった。






2


 私の通う学校では、二年から希望進路や学習の習熟度別にクラス分けされる。一組が特別進学コースで、良い大学を目指す人や頭のいい人が多い。二組は一般的な進学コース、そして三組は就職や専門学校進学を考えている人が多い。私みたいな、何も考えてなくて頭も普通に悪い人も三組に入れられる。クラス替えの結果に、もうちょっと勉強を頑張っとけば良かったと一瞬思ったけど、他のクラスのメンバーを見ると各クラスに私の幼馴染達が一人以上配属されているのが分かり、どうあがいても結局同じだなと頭が痛くなった。それなら唯一の友達がいる二組に頑張って入るべきだったかもしれない。


 私には幼馴染と言える存在が四人いる。なんでここまで私が幼馴染達に悩んでいるのかと言うと、答えは分かりやすく、私以外が男の子だから。昔は仲が良かったけど、思春期になってからはお互いに性差を気にし出してしまいすぐに駄目になった。

 まず小学生までは私服登校だったのが、中学からは制服登校になったところから。それまで私はスカートをはくことなんて本当になく、せいぜい七五三の着物で精一杯だった。男の子四人と仲が良かった影響もあるのかもしれない。そこに混じって遊ぶのが当たり前だったので、女の子らしさの欠片もなかった。それが、中学のセーラー服でほぼ初めてスカートをはくことになる。それまで仲が良かった男の子達にどう反応されるのか。分かりきってはいたけど、ものすっ……ごく馬鹿にされて笑われた。似合ってないと言われた。当たり前だろうが。男がメイクもなにも無しで女装するようなもんだ。

 制服が似合わないことはもう諦めていたけど、自分とみんなとの格好の違いを見せつけられて、同じように育ったのに確実に別の生物なんだと実感して悔しくなった。

 それでも最初のうちはみんなと仲良くやろうとしていた。保育園にいた頃からずっと一緒だったし、今更切れない縁だ。四人以上に気の合う人なんていないと本気で思っていた。

 けど、私達が話していたり遊んだりすると、変な噂が立った。私が誰かと付き合ってるとか、私が誰かをずっと狙ってるとか、挙句の果ては私は実は男だとか。小学生の頃は生徒数が少なかったから、男と女が仲良くしていたらこんな噂が立つなんて知りもしなかった。そして、どうやらあの四人は中学生になってから凄くモテるようになったらしく、私は他の女の子からやっかみを買うようになってしまった。

 五人でいると私は女社会からハブられるし、四人は他の男子から揶揄われてネタにされるし。何も言わずともお互いが離れていくのは当たり前だった。

 最後に会話した記憶は中二で止まっている。何か野暮用でみんなに話し掛けた時、その近くにいた男子が、お前らラブラブだよなとか誰と誰が付き合ってんのとかランコーだとかなんとか揶揄って、それをみんなが強く否定して、否定ついでに私を馬鹿にするようなことも言って、それに私が本気で腹を立て、手にしていた筆箱やノートをみんなに力いっぱい投げつけて以来だ。つまり、若干喧嘩のようなものをして完全疎遠になった。切れないと思っていた縁を、筆箱の投球とともに無理やり切断した。

 それから私はなるべく大人しく女の子らしくいようと自分の立ち振る舞いを改めることにした。今までずっと短くしていた髪も、頑張って毎朝天パを抑える努力をして伸ばし続けた。それでも天パは今のところ健在だけど、肩を越すくらいは伸びてくれた。髪の毛を毎日爆発させていたあの私が、今一つにまとめている。小学生の私に比べてかなりお淑やかになったもんだ。


 ありがたいことに中二か高一まで、みんなと同じクラスになることは一度もなかったから、私がキレて以降みんなに話し掛けることも、話し掛けられることもなくなった。私が急にヒスったという噂だけが暫くの間回ったけど、それ以外の私達に蔓延る嫌な噂は無くなった。その代わり、私は急に激昂するヤバい女というレッテルが貼られ、周りから腫れ物扱いをされ、卒業まで友達ができない最悪な中学校生活を送ることになったのだけれど。

 それが、ここにきて、三好と一緒のクラス。四分の一であれど、私を嫌な気持ちにさせたメンバーのうちの一人だ。これは今まで幸運に生活できていたツケが回ったのかもしれない。




 始業式の次の日。つまり、新学期がスタートして二日目。係決めが行われた。

 この学校では委員会の他に、クラスごとで係を決めなければいけない。係とは、クラスの普段の授業や生活が円滑に回るように、全員が何かしらの仕事を割り当てられるシステム。二人一組なので、一年の時私は仲が良かった子と前期も後期も一緒の係をやった。


 今クラス担任が一旦みんなの意見を聞いたり黒板に名前を書いたりしているけど、これも係が決まればその子が担当することになる。議長の係はこのクラスでは人気だったようで、すぐ決まった。立候補制で、定員割れしなければその時点で自動的に係が決まる。最初に決まらないと後々しんどい。でも楽な係は絶対候補者が多いからじゃんけんをしないといけなくなる。ギャル達と対決したり一緒の係になるのは絶対嫌だ。だからいっそ人気がなさそうな、面倒くさそうな係に手を挙げようと決めた。

 狙うはゴミ出し係。その名の通り、教室で溜まったゴミを外に出しに行く係だ。毎日はやらなくていいけど、放課後という貴重な時間を潰すし、重いし、何より移動が面倒くさそう。こんなの絶対誰もやりたくないだろう。そういう理由で、ゴミ出し係に手を挙げた。一瞬周りを見たけど、私以外にやりたがっている人はいなかった。まずはギャルとの争い回避成功。あと一人が誰になるかは流れに見を任せるのみだ。どうせ一軍に押し付けられて、私のような地味な子が一緒にやるんだろう。

 そう思っていた。


「あっ、はーい、俺やりまーす」

「……!?」


 そこで手を挙げたのは、なんと三好だった。幼馴染の、四人のうちの一人。聞き覚えのある喋り口調に、思わず振り返ってしまった。出席番号順なので、私と三好の距離は遠い。そして、また三好と目が合いそうになりすぐに前を向き直した。

 は。

 なんで。こうならないように、面倒くさくて人気がなさそうな係を選んだのに。三好はゴミ出しの内容を勘違いしてるんじゃないか。絶対そうだ。三好昔から馬鹿だし。

 頼むから三好の友達誰か辞めさせろと念じると私の思いが通じたのか、口々に絶対辞めた方がいいってという声が聞こえた。こればかりはそうだそうだ! と加勢しそうになる。なのに、当の三好はえー、そう? とへらへら笑うだけで辞めようとはしていない。そしてそのままゴミ出し係は私と三好の二人で決まってしまった。……最悪だ!






3


 係が決まったその日の放課後、早速ゴミ出しをすることになった。たった二日間でゴミなんて溜まるかよと思ったけど、春休み中に吹奏楽部や運動部が教室を使っていたこともあって、そろそろゴミをまとめないといけないくらいには溜まっていた。

 やるんならさっさとやってしまおう。なんなら三好が介入するより早く。

 ということで、三好がお友達を見送ったり談笑している間に動くことにした。とは言っても、教室に一つだけある燃えるゴミの袋を括って外のゴミステーションまで持っていくだけだ。縦に長いゴミ箱から袋を引き抜き、黙々と口を絞って教室を出ようとすると、三好に肩を叩かれて引き留められた。驚いてびくっとなった。三好は焦ったような顔をしていた。


「え、この後なんか用事あるの?」

「え……ないけど。三好予定あるんなら私やっとくから、帰っていいよ」

「え、なんでなんで」

「一人で十分だし……」

「俺持つって。女の子にやらせるの後味悪いし」


 三好は私の手からゴミ袋を取り上げた。そして私は教室を出たその背中を目で追って、唖然と口を開けた。

 いや、女の子って……。中学の頃は私のこと女に見えないとか散々馬鹿にしてきたのに。今更なんだよ。……まあいい。やってくれるんならいいや。帰るか。

 自分の席に向かい荷物をまとめていると、ゴミステーションに向かったはずの三好が小走りで教室に戻って来た。


「え、いや、持つとは言ったけどさ」

「な、なんだよ」

「……扉とか開けてよ」


 それくらい自分でやってよ。ゴミ置いて開ければいいじゃん。と、言いたかった。昔の私達の関係なら言えていたけど、今は断るのすらも気まずい。


「……分かった」


 まあ、私も同じ係だしな。仕方なく承諾すると、三好はむず、と口を緩めて歩き出した。私もその後ろを着いて行く。

 三好に言われた通り、私は外へ繋がる扉とゴミステーションの扉を開けてあげた。三好はゴミ袋を器用に端の方に投げると、振り返って私を見た。


「よし。じゃ、これからよろしく」

「あ、うん」


 よろしくしたくないのに。咄嗟に思ってもいない返答をしてしまった。






4


「……みたいなことがあって。もうなんか、いつどこで何をしてても気まずいんだよね。ゴミ出しは勿論気まずいし、授業中に当てられた時とか、黒板に書きに行く時とか、シャーペン落とした時すらも気まずい。いちいち見られてないと思うけど、見られてたらどうしようって思う自意識過剰な自分にも腹立つ」

「それは……いろいろ大変だね……」


 新学期が始まって最初の一週間が終わり、金曜の放課後に私は唯一の友達と喋っていた。

 隣のクラス、二組の黒野文ちゃん。去年一緒のクラスだった。高校こそは友達を作りたいと思って、私と同じ空気感があった黒野ちゃんに話し掛けてから、ずっと仲良くしてる。だから一年の頃は楽しかった。学力の差により、二年で別れたけど……。


「五藤くんって一宮ちゃんの幼馴染なんだ……」

「実はそうなんだよ」

「私は……喋り掛けられないなぁ」

「そんなの私もだよ……」


 黒野ちゃんのクラス、二組には私の幼馴染のうちの一人、五藤がいる。運動ができて勉強もそこそこできるなんて憎らしいやつだ。


「あーあ。私ももうちょっと勉強頑張ればよかったな。黒野ちゃんと一緒のクラスになりたかった」

「そうだね」


 手にしていたテストを見返した。新学期一発目にやるテストで、今日返ってきた。私は三組の中でも悪い方だそうで。二組なんて夢のまた夢かもしれない。黒野ちゃんはクラスが離れても定期的に会おうと言ってくれた。




 今日は家に帰ってからもストレスがかかるイベントがある。このテストをお母さんに見せないといけない。一応家事をたくさん手伝ってご機嫌取りをしてみたけど、それによって有利に事が運ぶということはなさそうだ。


「守」

「はい」

「あなたは春休みの間何をしてたの?」

「はい……」

「守、部活は入ってたっけ?」

「入ってないです……」

「習い事はしてた?」

「いえ……」

「お友達と毎日遊んでた?」

「い、一日だけ遊んだ気が……」

「あなたは春休みの間何をしてたの?」

「はい……」


 テーブルを挟んで、真正面にお母さんと、その手元にテスト。真っ直ぐ前を見れない。私は俯いたまま、ただただお母さんからの正論を聞き入れていた。


「別にね、頑張った結果がこれならいいんだよ。人には上限ってものがあるからね。でも守は大した努力もせず、適当にテストを受けて、適当に授業受けて、また適当にテストを受けるだけ。そりゃこんな点数も取るわな」

「はい……」

「勉強を頑張る努力をしてって言ってるの、分かる?」

「はい……」

「そうやって今はしおらしくしてるけど、これもう何回も言ってるよね」

「あの……次こそは頑張るから……」

「はぁ……」


 お母さんは目を瞑って頭を抱えた。全く信用されていないのが伝わってくる。やっぱりもうちょっと勉強しとけばよかったな……。


「守」

「はい」

「塾に通いなさい」

「え」

「もう流石に見過ごせないわ。塾に通いなさい」

「ええ! 嫌だよ! 私別に大学行こうとか思ってないし! 必要ない!」

「こんな点数だったら就職すら危ういの!」

「お母さんだって勉強できないけど働いてるじゃん!」

「私は勉強してこなかったから就職に苦労したの! だからあんたは頑張る!」


 痛いところを突いてしまったせいか、お母さんは鬼の形相をした。私のバカ。これじゃ火に油だよ。


「塾はもうアテがあるから。実はもういろいろ調べて目星を付けてたんだよね」

「何勝手なことを……」

「あんたが自力で勉強しないからでしょうが。やっぱりね、進開学習塾が一番いいと思うの」

「……どこだっけ、それ」

「虎太郎が行ってるとこ」

「……ッぜっっったい嫌だっ……」


 お母さんが親しげに呼ぶその名前は、二井虎太郎。私の幼馴染のうちの一人。頭が凄くいいので、一組にいる。二井は塾にも予備校にも通っていて、その塾は進開学習塾らしい。

 二井と一緒の塾に通う……? 本当に嫌だ。すれ違うかもしれないじゃん。


「いや、ここから通える範囲の塾の中でここが一番評判いいんだよ」

「二井が通うってことはレベル高いんじゃないの? やめよやめよ」

「レベルで別れるから大丈夫。アホはアホのクラスにいけるから」

「あのさ、もうちょっと言い方考えてくれない? ってかその塾じゃなくてもいいよ。もっと安いとことか近いとこにしよ」

「ここが一番近くて安いんだよ」

「……」


 退路、代替案、共にナシ。なんでここまで不幸が重なるんだよ。


「お母ちゃま……本当に行かなきゃいけないですか……?」

「次の成績表でオール5取れる絶対の自信があるなら行かなくていいよ」

「取れなかったら?」

「これからの守の人生は全部私が決める」

「毒親!」






5


 件の通り、私は二井と一緒の塾に通うことになってしまった。勉強をしていないと、人生の全てが悪い方向に行ってしまう。この年にしてしみじみ実感した。

 トントン拍子で手続きが進み、お母さんに塾に行けと言われた日から一週間後には本当に塾に通うことになった。時間は六時からなので、放課後そのまま塾に直行する。金曜の朝、家を出る前にお母さんから応援メッセージを貰った。


「一人じゃ心細いでしょ」

「うん」

「この前虎太郎に会った時、守をヨロシクって言っといたから」

「なんっでそんっな余計なこと言うっのっ」

「もー、思春期なんだから」


 お母さん、流石に気付いてよ。そんな簡単な問題じゃないの。


「大丈夫だって。虎太郎も勿論ですって言ってたから」

「……勿論って……」


 それは知り合いの家族の前だから建前で言ってるんだ。それに二井と私じゃ授業を受けるクラスだって違う。二井が私を気に掛けるようなタイミングなんて無い。


「ああ、私今日遅番だから迎えに行けないし、虎太郎に家まで送ってもらいな」

「やだよ。別に遠い距離じゃないし、自分で帰れるもん」

「お母ちゃまは心配してんの。あんた昔から危なっかしい、すぐ変な人に絡まれるし」

「大丈夫だって! 私ももう高二だよ」

「不安だなー……」


 結局家を出るギリギリまでお母さんから二井に送ってもらえと念押しされた。あまりにもしつこかったから、適当にハイハイと返事をした。




 そして、放課後。今日は教室のゴミもまだ出さなくてよさそうだったので、荷物をまとめてすぐに塾へ向かった。一度体験を受けにお母さんと行ったことがあるので、ルートは大丈夫。

 塾に到着して中へ入ると、事務の人が教室まで案内してくれた。少人数指導なので、教室の中には六人程しかいなかった。私は空いていた後ろの席に座った。テーブル自体は広く、三席分くらいを一人で使える。授業によってはもっと人が入るのかもしれない。

 授業が始まるまでそわそわと待ち続けていると、通路を挟んで隣の席に座っていた男の子に何度もチラチラ見られた。新顔の私が珍しいのだろうか。居心地が悪かったので、柄にもなく宿題のプリントをやって時間を潰した。


 とりあえず私の今の授業時間は一コマ分の六十分。七時に終了だ。お母さんは、慣れたら時間を増やすと言っていた。最悪だ。

 塾では学校でやった授業の復習をしているらしいけど、そもそも学校で教わったことがすっかり頭から抜けていて、初めましての気分だった。ただ、学校の授業より断然静かで集中できるので、勉強はしやすいなと思った。


 塾での授業が終わり、お腹が空いたのでさっさと帰ろうと玄関へ向うと、どう考えても周りの人間と世界観が違う男が入り口付近で佇んでいた。二井だった。女子生徒達が二井を見てこそこそと色めき立っている。

 私は崩れそうになった顔を必死で抑え、なんとか別の方法で外に出られないか考えた。裏口なら使わせてくれるかも。でも納得させられる理由を見つけられない。どうしたもんかと考えているうちに、二井の方がこちらを向いた。そして、長い脚を素早く動かして私に近寄ってきた。何故か眉間に皺が深く刻まれている。


「こっ……こんばんは……」

「あ、はい……」

「……」


 険しい顔で夜の挨拶をされるとは思わなかった。二井は暫く黙って、緊張気味に言葉を紡いだ。


「む、迎えが、来てるんだ。家の車」

「はぁ……」

「一宮の家まで送るし、の、乗って行くか」

「え……いいよ。二井の家と反対だし」


 危ない。二井の家が昔のままだったらこの理由で断れなかった。昔二井家は私が今住んでいる市営住宅に住んでいた。しかもお向かいさんだった。そのせいもあって、未だに私のお母さんと二井のお母さんは仲が良い。

 私のお母さんからよろしくと言われた責任感だろうか。二井も案外しつこかった。


「大したことない距離だ。気にしなくていい」

「それを言うなら、ここから私の家まで大した距離じゃないし」

「でも、外は暗いし」

「い、いいって。てかうちもお母さん迎えに来るから……」

「……そうか」


 二井は返す言葉を失って黙ってしまった。でも、何故か動かない。迎えが来ていると言っていたのに外に出ない。私も迎えが来ると嘘をついた手前、二井の姿が見えなくなったのを確認してから帰りたい。

 早く帰ってくださいというアピールも込めて、ぎこちなく右手を上げ、二井に向け不格好に手を振った。バイバイ。私のことは気にせず帰りなさいな。

 すると二井は数秒間私を凝視し、ギギギ……と不気味にはにかみながら、私に負けないくらい気持ち悪く手を振り返した。そして、やっと帰ってくれた。


 ……二井、なんかちょっと気味悪かったな。あそこまでコミュニケーション下手そうだったっけ。

 そう思い返しながら一人で家に帰った。






6


 三組には明るいくて賑やかな人が多い。これはだいぶオブラートに包んだ表現だ。ギャル、ヤンキー、一軍、根明が多い。これが語弊なく正しい。

 なので、新学期が始まって三週目が突入しても私は同じクラスの中で仲が良い子を作れないでいた。黒野ちゃんのような、私と同じ感じのタイプがいない。私くらい地味な子はいるけど、その子は自分の世界に籠もるのが好きなようで、一人で生きていけるタイプらしい。困った。本当に困った。私くらい中途半端な人間が一番辛い。

 昼休みは、黒野ちゃんが空いてたらお昼ご飯を一緒に食べようと誘うけど、黒野ちゃんは自分のクラスでちゃんと友達を作れたようだ。毎日誘うのは忍びない。

 なので、今日のお昼はお弁当を食べてから教室で一人でぼーっとしていた。三組は活発な人が多いから、お昼休みの後半になるとほとんどの人が教室を出る。人が少ないから、案外心地は良い。

 すると、私がえらく暇そうに見えたのか、たまたま教室に用事があった担任からお使いを頼まれた。担任が顧問をしている軽音部の勧誘ポスターを掲示板に貼ってというお願いだった。やることないし、これで内申点がちょっとは上がるんじゃないかと期待してお願いを引き受けることにした。


 生徒会室の隣に、部活の勧誘ポスターや大会の結果を自慢できる掲示板がある。生徒会室自体ほとんどの生徒は用事がないので、ここのフロアは滅多に人通りがない。

 私は掲示板に刺さっていたピンを外し、一面を見渡した。どう考えても私の手の届かない左上のスペースしか空いていない。思わず舌打ちをしそうになった。

 そこまで移動し、一応背伸びをして手も最大限まで伸ばしてみる。なんとか……いけるかも。でも下の茶道部と少し被る。少しってか、茶道部の文字が全て被ってしまう。これじゃ駄目かな。流石に茶道部が可哀想か。でもなんとなく絵で茶道部って分かるし。軽音部が一切アピールできないことの方が可哀想。もう貼っちゃうか。

 と、一人で奮闘していると、私が左手に持っていたポスターは、背後からひょいっと奪われた。私の顔に影がかかる。驚いて振り返り顔を上げると、私の幼馴染のうちの一人、四ツ谷が立っていた。その手には私が今まさに貼ろうとしていたポスターが。驚いて声も出なかった。


「ここに貼ればいいの」

「あ……うん」


 四ツ谷は私に覆い被さるようにして、いとも簡単に空きスペースにポスターを貼った。緊張して、ゆっくりと横にずれる。


「あ、ありがとう」

「……一宮、軽音部に入ったの?」

「あ、いや、担任に頼まれただけ」

「そう」


 四ツ谷は私を見下ろした。怖い。なんというか、圧。こんなにデカかったっけ。なんで私は昔四ツ谷と対等に喋れていたんだ。それどころか、あの中で四ツ谷が一番私に懐いていた気がする。その反動か、中学に入ってからは私への反抗が酷かった。今はどんなもんか知らない。ただ、四ツ谷は一組に配属されたので意外と頭がいいということは知っている。

 

「それじゃ……ありがと……」


 ぎこちなく四ツ谷にお礼を言い、そろそろっとその場を後にした。気がつくと、手のひらに物凄い量の汗をかいていた。


 あー、怖かった。というか、なんで四ツ谷はあんなところにいたんだろう。部活探してたのかな。






7


 さあ、今日は二回目の塾だ。今私は週二で塾に通うことになっている。これも、お母さんは慣れてきたら日を増やすと言っていた。鬼だ。

 放課後塾に向かい、授業を受け、速やかに帰ろうと教室を出ようとすると、一人の生徒に引き留められた。前回の塾で、隣に座っていた男の子だ。肩に掛けたスクールバッグの持ち手をぎゅっと握っている。顔はよく見えない。


「さっ、最近、入ってきたの?」

「え、あ、はい」

「俺のこと……覚えてない……よね」

「え?」


 考えもしていなかった発言に、私は目を丸くしながらその人を眺めた。長細くひょろっとしていて、佇まいがどこか弱々しく、声を掛けてきた割に俯きがちで前髪が長い。

 全く覚えがなかった。


「ごめん、分からないかも……」

「あの、俺、長田……です。長田、武」

「ながた、たける……。……ナガタケ!?」

「あっ、そ、そうっ、俺っ」

「ナガタケか……!」


 長田武くん、通称ナガタケはガクガクと首がもげそうなほど頷いた。

 ナガタケは、小四まで私達と一緒の学校に通っていた。それ以降は転校してしまい、会うことも思い出すこともなかった。だから七年ぶりくらいか。

 私達の通っていた小学校は小さい学校だった。今となっては全く考えられないけど、あの頃は私がクラスのリーダー的ポジションだった。リーダーというか、いっそガキ大将に近い。幼馴染達四人は勿論毎日のように連れ回していたし、目の前にいるナガタケのことも散々尻に敷いていた記憶がある。なんといっても、ナガタケは弱かったのだ。小さい女の子の私に刃向かえず常におどおどするくらいには弱かった。あの時は何も考えずにナガタケのことをこきつかっていたけど、今考えると私は本当に最低最悪だったと思う。ただの意地悪なクラスメイトだ。

 現在のナガタケは、あの時のナガタケをそのまま成長させたような風貌。あのまま細長く、手足を伸ばした感じだ。


「ナガタケ、こっちに帰ってきてたんだ」

「あ、うんっ。高校から、こっちの学校で……」

「へー。ナガタケ変わんないね」

「え、あ、そう、そうかな……。……いっ、一宮さん、は、そのっ、あのっ、……かっ、か、可愛く、なっ、なった、ね……」

「……え」

「あっ、いやっ! そのっ、そのっ、せ、制服、スカート……っ」

「あ、ああ……。あの頃はスカートなんてはかなかったからね……」


 私のお母さんか、二井のお母さんか、親戚くらいしにか言われない言葉を言われて言葉に詰まったけど、何故かナガタケの方が私より挙動不審になっていた。褒めるなら堂々と褒めてくれよ。恥ずかしい。


「い、一宮さんも、この塾、これから通うの?」

「うん。成績悪すぎて流石に通えってお母さんが……」

「そうなんだ……。へへへ……そっかぁ……」

「……?」

「一宮さんの家って、どこらへんだっけ……」

「……っえ」


 脈絡のない話題に思わず目を見開くと、ナガタケは我に帰ったかのようにはっと顔を上げ、手を横にブンブン振った。


「あっ、いやっ、く、暗いし、外、おっ、送ってくよ、俺」

「……え、だ、大丈夫だよ」

「でも、でもっ、一人じゃ危ないよ」

「あの……お母さん迎えに来てくれるから……」

「そっ……そっか……」


 ナガタケは肩を落として小さく呟いた。思ったより落ち込んでいる。なんで。せっかくの善意を断ってしまった罪悪感から、ごめんと一言謝って教室を出た。すると、教室の前で二井が突っ立っていたので驚きすぎて思わず叫びそうになった。


「っうぉ、な、なに……」

「……いや、その、家まで送ろうと思って……」

「い、いいって。お母さん来るし」


 私は口早に二井に伝え、足早外に出て、そのまま家へ帰った。

 みんな、なんなんだよ。一人で帰らせてくれよ。






8


 学校に友達がいないと困ることは結構ある。しっかりものの一匹狼ならあまり関係がないけど、私みたいにポンコツなぼっちは、忘れ物をした時が大変だ。気軽に物を借りられる友達が一人しかいない。黒野ちゃんがその日持っていなかったら終わりだ。

 次の授業は英語。鞄の中、机の中、ロッカーの中を探したけど、電子辞書が見つからなかった。無くても授業自体は受けられるけど、あるに越したことはない。特に私みたいに単語を一つ覚えるごとに三つくらい忘れてしまう馬鹿には必需品だ。

 こういう時は、黒野ちゃんに頼るしかない。隣のクラスに行って黒野ちゃんを呼んだ。


「ごめん、電子辞書持ってない?」

「……あー、ごめん、今日持ってきてないなぁ」

「あー……そっかー……」

「他の子に聞いてみようか?」

「え、あ、いや、それは申し訳ないからいいよ」

「でも絶対あった方がいいよね」

「ううん、もう今日は諦めるよ」


 ここでありがとうお願いしますと言えない。謙虚を通り越して、ビビリになったもんだ。

 落胆して教室に戻ろうとすると、黒野ちゃんの横にとある男子生徒がヌっ……と佇んだ。黒野ちゃんは咄嗟にその人を見て、ヒッと声を漏らした。


「俺の貸すよ」

「……え、あ……」

「ん?」


 私の幼馴染のうちの一人、五藤だった。目が焼けそうなほどの爽やかな笑みを浮かべ、私に電子辞書を差し出している。対照的に、私はドッと冷や汗を流した。


「いや、いいよ……。なくても大丈夫だし」

「なんで? ないと困るだろ」

「い、一時間だけだし」

「一時間だけだし、貸しても俺は困らないって」

「いや、でも」


 断ろうとすればするほど、五藤との会話が長引く。そして会話が長引けば長引くほど、周りの女の子からの視線が刺さった。黒野ちゃんも俯いて身体をガチガチに固めている。これでは黒野ちゃんが可哀想だ。


「……じゃあ、今回だけ……」


 散々迷ったけど、結局借りることにした。女の子達からの視線が痛すぎて泣きそうになった。五藤も意地悪だよな。自分がどれだけ注目されているかを知っているはずなのに、こんなにみんなの目が届くところでさ。


「ありがとう、すぐ返す」

「今日使わないし、いつでもいいよ」

「いや、すぐ返す」


 五藤から電子辞書を受け取ると、にこっと笑われた。

 無理だ……。眩しすぎて消えそう。というか消えたい。なんだこの男は。この笑顔すら嘘なんじゃないかと思う。五藤は昔から裏表が激しいから真意が分からなくて怖い。これで貸し一つなとか言われて後々無茶な要求をされる可能性だってある。


 授業が始まるまで黒野ちゃんと喋っていうよかなと思ったのに、いつまでたっても五藤がこの場からどかなさそうだったので、私は早歩きで教室に戻った。ガールズトークに混ざろうとするな。


 電子辞書ユーザーの大体の人は、学校でおすすめされた物を購入している。だから私が使っているものと五藤のものは同じだ。

 英語の授業中に集中力が切れると、私はよく電子辞書内のメモ機能を開いて遊んだりする。猫を描いたりうさぎを描いたりアルファベットを無駄に綺麗に書いてみたり。

 その癖で、なんとなしに五藤の電子辞書のメモ機能を開いてしまった。あ、開いちゃった、と思ったけど、好奇心には勝てず。でも五藤は案外授業態度は真面目だから、メモ書きがあったとしても、正しい使用法なんだろうなと思っていた。

 が。


(……え?)


 一番最初に見たページは、一面真っ黒だった。

 確かにやる。私も時々やったりする。わざと細いペンで画面を塗りつぶしていくやつ。

 でも、それが何枚も続いていた。このメモ機能の最大ページ数は五十ページだけど、四十枚ほど真っ黒に塗り潰されていた。

 これは流石に……。やりすぎ。病的なほどだ。

 一番最後のページ、つまり一番古いメモだけはかろうじて書いてあった文字が読める。でもその文字の上からがしゃがしゃと線が引かれていてなかなか読みづらい。

 「お、れ、ら、の」……。これ以降は黒く塗りつぶされている。

 おれらの、なんだ? 何が書きたかったんだ。これは何を書こうとしたんだ。モヤモヤするな。


 ……ってか、普通に怖!

 こんなの、何も知らずに見たらめちゃくちゃ怖いだろ。五藤ってやっぱり闇が深いのかな。外面だけはいいし、普段抑制している感情はこれくらい真っ黒なんだろうか。私、無償でこの電子辞書を借りてもいいんだろうか。

 とんだ呪物だった。私にはパワーが強すぎので、授業終わりにすぐに五藤に電子辞書を返した。爽やかな顔をして「もういいの?」と伺う五藤がかなり怖かったので、大きく頷いてすぐに退散した。

 教訓、忘れ物には気を付けよう。






9


 放課後、ゴミ出し係の仕事をやることにした。ゴミ箱が満タンになったら捨てるルールなので、案外活動は少ない。一週間に一度くらいだ。この係は結構当たりかもしれない。


 もう一人のゴミ出し係、三好はと言うと。初回以降は絶対サボると思っていたのに、意外にもちゃんとやってくれている。私が一人でゴミをまとめていると、すぐに気付いて持ち運んでくれるし、逆に三好の方が先にゴミを出す準備をしていたら、私に声を掛けてくれる。絶対一人でやれる作業のはずなのに、わざわざ私を呼び止める。これならもういっそ一人ずつ週交代とかにした方が楽なんじゃ……と思ったけど、まだ提案できていない。あからさまに三好を避けていると思われるのも、それはそれで気まずいのだ。

 今日はゴミ出し四回目。作業中は二人だけということもあって、よく三好の方から話し掛けてくる。今更気の許せる幼馴染なんていないけど、二人だけの空間であれば三好とはまだ喋りやすい。知能レベルが一緒なので、昔はよく三好と馬鹿騒ぎをしていた。


「一宮、二井と一緒の塾通ってるんでしょ」

「なんで知ってんの?」


 ゴミ出しを終えて、教室まで歩いている時だった。ふと三好がそんなことを聞いてきた。私は誰にも言っていない。黒野ちゃんにすら私が塾に通い始めたことを言っていないので、情報の早さに驚いた。


「二井から聞いたからね」

「……三好って、今も二井達と遊んだりするの?」

「ん? うん」

「そっか」


 多分、私達が幼馴染だと知らない人からすると二井と三好が交わるのなんて想像もつかないだろう。学力は天と地ほどの差がある。ノリの軽さも全く違う。それでも今もずっと仲が続いているらしい。今更その輪に入りたいとは微塵も思わないけど、今でもみんなが仲良くしているのは少し嬉しい。私が抜けたせいでみんなの仲も悪くなってしまうのは流石に心苦しいし。


「俺も二人と同じ塾通おうかな〜」

「えー……」

「何その反応」


 気持ちが態度に表れてしまった。三好は私を見て口を尖らせる。


「……三好は自分で勉強すれば点数取れるじゃん。やらないだけで」

「なんだよ、行っちゃだめなの」

「駄目じゃないけど……」


 そうなると、私がとにかく気まずい。ただでさえあの塾には微妙な関係の知り合いが二人もいるのだ。


「……あ、ナガタケ覚えてる?」


 話題を変えるために、その私達の共通の知り合いを出すことにした。


「ナガタケ? ……ああ、小学生の時に一緒だった?」

「うん。ナガタケも同じクラスにいた。今こっちに帰ってきてるんだって」

「え?」

「びっくりしたよ。私のこと覚えてて、あっちから話し掛けてくれた」

「……どんな感じだった?」

「うーん。なんか、……今も話すの苦手なのかな。頑張って私に話し掛けてる感じだった」


 ナガタケと言えば、小学生の頃もずっとおどおどとしていて、特に授業で当てられた時なんかは顔を真っ赤にして固まっていた印象が強い。ナガタケ自身も人と話すのが苦手と言っていた。そんな子が、転校して新しい環境でやっていけるのか……とあの時は危惧していたけど、薄情でクソガキだった私は、そんなナガタケの存在も忘れていた。


「ナガタケ、私のこと嫌ってると思ってたからさ……話し掛けられるとは思わなかったな」

「……いや、だって、ナガタケって……」


 三好は珍しく真剣な表情をして考え込んだ。ナガタケが、なんだ。今の私は数時間前の五藤の電子辞書のせいで、ちょっとの不穏な空気も怖いんだから。


「なんだよ……」

「……なんでもない」

「なんでもないことなくない?」

「なんでもないって。なんでもないけど、ナガタケはあんまり懐かせない方がいいよ」

「……? え?」


 三好が意味深に発言したタイミングで、教室に着いてしまった。教室内には何故か四ツ谷がいて、私達の方を見ていた。通常運転なのは分かっているけど、視線が鋭くて思わず肩を揺らした。


「遅いよ」

「あーごめーん、お仕事してたから」


 三好は四ツ谷に向かっててへへと頭を掻いた。四ツ谷はそのままじとっと私を見つめる。居心地が悪すぎて、三好をチラ見した。三好は私の視線を察して解説をくれた。


「今から四ツ谷と買い物なんだ」

「あ、へー、そう……」

「一宮も来る?」

「えっ」

「え」


 余計すぎる提案に私は驚いたけど、四ツ谷も驚いていた。目をガン開きして三好を見ている。こんなに開眼している四ツ谷、見たことない。

 そんなの、四ツ谷の方も嫌だろ。勿論私も嫌だし。


「や、私今から塾だし、帰るよ」

「そっかー」

「……一宮、塾通ってんの」


 四ツ谷は目を丸くしたまま口を開いた。あの一宮が、という顔をしている。私だって未だに塾に通っていることを信じていない。


「あ、うん」

「二井と一緒の塾だって。あれ、四ツ谷知らない?」

「知らない。……なんだよ、あいつずっと黙ってたんだ……」

「もっとお喋りしなよー。せっかく二井と一緒のクラスなんだから」

「うるさいな」


 三好は四ツ谷を小突いた。四ツ谷は不機嫌そうに舌打ちをする。怖い。

 確かに、二井と四ツ谷は昔からウマが合わなかった。二人とも大人しそうに見えて、意外と気が強くて頑固だ。考え方のタイプや好みも違うから対立するんだろう。ずっと一緒にいる幼馴染と言えど、相性はある。


「あとさ、一宮のクラスにナガタケがいるんだって」

「ナガタケ……。……長田、武?」

「そうそう」

「それは…………………………」

「……えっ、何よ……!?」


 ナガタケの話題が出た途端、四ツ谷も意味深に黙り込んでしまった。何何、ほんとなんなの。五藤の電子辞書くらいなんなの。


「……帰り道気を付けた方がいいよ」

「え、なんで」

「……」

「っだから、何ッ……」


 久々に幼馴染達と長話をしていると、塾に急がなければいけない時間になっていた。結局ナガタケについて何も分からないまま、私はダッシュで塾に向かった。






10


 そんな会話があったから、今日の塾は失礼ながらナガタケを警戒した。これで五回目の塾だ。ナガタケと一緒になるのは今日で三回目。ナガタケは時間ギリギリに来て、そして通路を挟んで私の隣の席に座った。

 ナガタケって、小学生の頃みんなに何かしたの。いっそ正直に聞きたかったけど、一旦やめておいた。私だってナガタケにいろいろやっちゃってるし。


 つつがなく授業が終わると、やっぱりナガタケに話し掛けられた。家まで送るよ、と。でも私はそれを断って、すぐに外に出た。

 今日も今日とてお母さんのお迎えはない。欠員で最近は遅番が多いらしい。塾から帰ったら、お母さんからはしきりに二井に送ってもらったかと確認されるけど、いつも嘘をついている。今まで一度も送ってもらったことはない。二井と気まずい帰宅をするくらいなら、ちょっと心細くても一人で帰った方がいい。


 塾から私の家までは徒歩十分ほど。遠くはない。全然歩ける距離だ。部活してる女の子だって、これくらいの時間にこれ以上の距離を歩いて帰ってる。だから大丈夫だ。何も問題ない。イヤホンもしてない。変な物音や足音が聞こえたらすぐに分かる。

 そう、分かってしまうのだ。


 ぺた……ぺた……


 後ろの方から、独特な足音が聞こえる。ビーチサンダルのような、ソールが薄い靴の音。

 普段はこれくらい全然気にしない。でも、四ツ谷がさっき帰り道には気を付けた方がいいよとかなんとか言ってたから。だから、妙に意識してしまう。

 この足音から遠ざかろうと思って早足で歩くと、後ろの足音も同じように早くなった。


 嘘だろ。

 まさかそんなことは。気のせいなんだろうか。そう思って小走りになると、その足音も速度を早めた。

 肝が冷える。あり得ない。私が後をつけられるとか。だって、私だぞ。私なんかが。私何をしちゃったの。

 怖くなって、遂には全力疾走で逃げた。もう後ろを気にしてる余裕なんてない。目の前に広がる道は街灯が最小限にあるのみで、人もいない。こんなことになるなら遠回りしてでも大通りから帰ればよかった。あと、もっと体力をつけておけば良かった!


「ッ、あっ、あのっ!」

「わーーーーッ」


 肩をガシッ! と掴まれて、自分でもびっくりするくらいの声が出た。心臓も出た。口から出てる。ぶるぶると身体を震わせながら後ろを向くと、ナガタケがしんどそうに呼吸をしていた。ナ、ナガタケ……。


「あのっ、なんっ、なんですかっ!?」

「いやっ、えっと、あのっ、あのっ……お迎えっ、ないのっ……」

「あ、ええっ、ありますあります、その辺で、お母さんがっ」

「う、嘘、だよね……」

「は、ひぃ」

「家、もうすぐで着く、よね」

「あああえええ、何か勘違いをっ」

「かっ、隠さなくて、いいよっ……。い、一宮さんが、マンションに住んでたの、おっ、思い出したから、あの、あれ、白いとこ、だよね……」

「……うぁ、え、すっ、ストーカー!」

「ちっ、違うっ、違うよ! あの、ほんとに違くて! ただ、一宮さんと、喋りたいだけで……っ!」

「じゃあ普通に喋ってきてよ……!?」

「わかっ、分かったよ、じゃあ、い、今から、あの、お話しよ、」

「なっ、えっ、や、夜分遅いので、今日じゃなくてもよくない!?」

「しょっ、小学生の、ときみたいに、お、俺の、俺のことっ、いじわるして、いっ、いいから、俺と、いっぱい、お話して、たくさん遊ぼ……!」

「んぎゃあーーー!!」


 ナガタケに両手をぎゅっと握られ、二度目の悲鳴を上げた。思い切り見をよじったけど、こんなにヒョロいのに全く動かない。完全に目がキマってるナガタケが怖くてめいっぱい顔を逸した。


 すると、小さくうめき声が聞こえた。私の手を握っていた熱もどんどん解かれていく。

 不審に思って恐る恐る顔を上げると、なんと、五藤がナガタケのことを締め上げていた。──なんで、どこから五藤が。

 口を開けて呆然とその光景を見ていると、五藤はヒヤッとするような笑みを浮かべた。


「長田くん、久しぶりだな」

「お、あ……」

「一宮になんか用だった?」

「っお、……ぅ」

「ああ、これじゃ喋れないか」


 五藤はナガタケから手を離した。ナガタケはゴホゴホと咳き込んで、顔を真っ赤にしていた。ちょっと可哀想。


「いや、いやっ、俺は、一宮さんと、話したかっただけですっ」

「じゃあこんなとこまでこそこそと着いてこないよな?」

「違います、いっ、一宮さん、が、帰るの早くて、せ、せっかく会えたのに、全然喋れなかった、から」

「だから後をつけたって?」

「つけたんじゃなくて、追いかけただけで」

「それを後をつけてるって言うんだよ」


 ナガタケの行動に呆気に取られていると、次は私の後ろから一宮、と名前を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、何故かそこに二井と三好と四ツ谷がいた。正直、五藤がナガタケを絞めていたことよりも驚いてしまった。


「え……!?」

「早く、こっち来な」


 三好に手招きされて、ナガタケのことを気にしながらも近寄った。


「あいつらはほっとけばいいから。先に帰ろう」

「え、でも」

「間に入る気?」

「……」


 四ツ谷に厳しい視線を向けられ、反論をせずみんなに着いて行った。チラッと振り返ったけど、ナガタケは街灯の下で五藤にお説教され続けていた。

 私の方は当たり前のように三人に送られているけど、そもそもがおかしい。


「なんでみんないるの?」

「二井から連絡があったんだよ。それに、今日一宮がナガタケの話してたから、ずっと気掛かりで」

「え、なんで」

「……あいつ、一宮に気があったし。小学生の頃から……」

「え゙っ」


 二井はもごもごと言いづらそうに答えた。

 ちょっと。いや、かなり、信じられない。冗談にしても笑えないし。


「嘘でしょ?」

「本当だ」

「私ナガタケのこと家来みたいにしてたよ」

「あいつはそれが嬉しかったんだろ」

「……うそぉ……」


 いろいろと気持ちの整理がつかず、私は口をぽかんと開けたまま考え込んだ。


「というか、やっぱり迎えが来るっていうのは嘘なのか? 俺が送るって言っただろ」

「……だって、十分くらいの距離だし」

「その十分の距離でこんなことになったんだろ」

「……いや、でも、確かにちょっと怖かったけど、五藤もみんなも大げさだって。本当に、純粋に私と話したかっただけかもしれないじゃん」

「「「んなわけないだろ!!」」」


 三人に一斉に怒られ、ちょっと泣きそうになった。

 今更なんだよ。私のことあんなに男扱いしてたくせに。


「だって私だよ!? 性格も見た目も女らしくないし、なにかがあるはずないじゃん! みんなが一番知ってるでしょ!」

「浅はかな考えも大概にしろよ! 女の体であることが問題なんだよ!!」


 二井が凄みながら叫んだ。私は顔を顰めて固まった。


「うわ〜……、二井、今の発言はちょっと……ノンデリすぎ……」

「キモ……」


 三好と四ツ谷が侮蔑の視線を二井に投げた。そう。私もそうだと思った。

 二人に咎められたことで二井が途端に顔色を変え、慌てて首を横に振った。


「いやっ、ちがっ……別に、他意はなくて、そのままの意味で、じゃなくて、そういうことなんだけど、そ、そうじゃなくて、だから、一宮は女性だから、そのっ……」


 あんなに賢い二井が、こんなにも賢くなさそう。どれだけ言葉を重ねても上手にまとめることができず、二井は諦めて深いため息をゆっくり吐いた。


「……頼むから……。何かあってからじゃ遅いから、塾の帰りくらいは送らせてくれ……」

「あ……ハイ……」


 二井が、あまりにも情けなさそうに俯きながら懇願するから、私は頷くしかなかった。


「ほーん。じゃあ俺も暇だったら迎えに行こうかなー」

「えっ」

「ねー、四ツ谷」

「……え」

「どうせ四ツ谷も暇でしょ」

「……」


 四ツ谷は私をチラッと見て、仕方なさそうにため息をついた。

 いや、私だって別に希望したわけじゃないんだけど。


「五藤は……。まあ、こういうことがあったら、すぐ五藤に連絡するといいよ」

「あ、うん……。最終手段にする……」


 どうかナガタケが生きて帰れますように。





11


「……ってことがあって。二年になってからもうめちゃくちゃなんだよね」

「へ、へぇー……」


 次の日の昼休み、私は黒野ちゃんとお昼ご飯を食べていた。中庭の、日陰になっているところ。今日は黒野ちゃんを捕まえることができてラッキーだった。そろそろ最近の生活を誰かに共有したかった。

 昨日あったことを簡単に話すと、黒野ちゃんは顔を引きつらせていた。黒野ちゃんは陽キャ嫌いだから、私が幼馴染達に囲まれているの想像して嫌になったのだろう。


「どうしよう、私なんか噂されてない?」

「噂……っていうか、五藤くんから電子辞書借りた子って有名にはなってる。五藤くんって基本的に他人に物を貸さないらしいから」

「もーーーーどうしよーーーー」


 中学の時みたいなるのはもう絶対にごめんだ。こういう行為がどんどん尾ひれがついて最悪な噂になってしまうのは経験済みなのに。

 それで、二井とは塾が終わったら一緒に帰ることになったし、三好とは係が一緒だし、四ツ谷は謎に絡みがあるし、噂の宝庫だ。ちょっとでも行動を間違えたら絶対に女子達の目の敵にされる。目眩がして頭を抱えた。


「でも、実際あんなにかっこいい幼馴染がいろいろ助けてくれたり近くにいたりしたら、誰か一人くらいは好きになっちゃったりしないの?」

「……いや……ないよ」

「1mmも?」

「1mmも……。だって私男の人苦手だもん」

「今更? 幼馴染とは昔仲良くしてたんじゃないの?」

「昔はみんなのこと異性とも思ってなかったから。うちお父さんがクズだったから、それもあって男の人は1mmも信じてないし。だから、1mmも可能性はない」

「……そっか……」


 それに一度裏切ってきた人達だ。簡単に信じるなという意地も私の心の奥底にある。1mmたりともない。ないったらない。


「とりあえず、黒野ちゃんは私のために電子辞書毎日持ってきてよ」

「まず自分の行動を改めなよ」

「うーん、その通り」


 五藤からはもう借りない。というか、なるべく誰の手も借りない。それが一番だ。私は今こそ自立した女になるのだ。


 そう決意した次の日から、何故か幼馴染達がよく絡んでくるようになり、不気味なほど優しさを見せつけてくるようになった。本当に何故。








◎一宮 守(♀)

髪の毛がちょっと長い。今まで恥ずかしくて無理だったけど、高校生になってやっとワンピースを着れるようになったぞ!


●二井 虎太郎(♂)

二井のママと一宮のママが仲がいいので、スーパーでばったり会った時の話を聞かされる。二井ママは「守ちゃん、ワンピース着てて可愛かったわ〜(*^^*)」と二井に話すので、血涙を流す。一宮のワンピース姿を本当に本当に見たいと思っている、硬派な男。


●三好 叶斗(♂)

段々と髪の毛が伸びている一宮に嬉しさと焦りを感じている。初めて髪をくくって登校してきた時は目が飛び出るくらい驚いたし、一宮が更に遠くに行ったような気がして泣きそうになった。いつかヘアアレンジをしてあげたいと思っている。


●四ツ谷 天音(♂)

日々一宮に関する日記をつけているけど、気味が悪いことは自覚しているので誰にも言えてない。ナガタケより全然ストーカーしてるとも言えない。


●五藤 空良(♂)

一番モテる牽制マン。一宮が嫌がらなかったら平気で彼氏面しようと思ってるけど、全くそういう段階でもないのは分かっている。メモ機能を一宮に見られたことは気付いていない。








〜裏設定〜


・二井、三好、四ツ谷、五藤は、一宮から筆箱を投げつけられてから高一までの期間を「大後悔時代」と呼んでいる


・みんなナガタケのことは完全に敵として見ているけど、一宮が唯一の友達と呼んでいる黒野ちゃんのことは一応大事にしてあげようも思っている。でも唯一ではなくない? と対抗心も燃やしている


・ナガタケはこのあと四人からバッチリ言動を見張られることになる。それでも一宮と仲良くなることを諦めないので隙を見つけては一宮に話し掛けるぞ!


・ナガタケは小学生の時に一宮にバレないように放課後尾行して家を特定していた、無自覚で若きストーカー。それがバレて当時も五藤達に裏で怒られていた


・黒野ちゃんがいるということは、漆くん、夜差くん、木闇くんもいる。

漆→二組

夜差→一組

木闇→三組

木闇はほぼ不登校。漆と黒野ちゃんは同じクラスだけど関わりはナシ。夜差は勿論関わりナシ。この世界だとこの四人が交わる可能性はかなり低い。



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