1
カレンダー的に言うと、今日は特別な日に違いない。
そんな日にも関わらず俺の両手はスカスカに空いていて、俺の身の回りからあの幸せな香りが漂う事もなかった。
「まあつまり俺はいつも通りの装備ですが」
「……いるか?」
「余計惨めじゃん。いらないです」
俺の横にいるこの男は片方の手を持ち上げて俺の顔を無表情で見つめた。彼の両手には保健室で貰ったらしい特大のビニール袋が提げられている。保健室て。袋の中にはいろとりどりのチョコレート菓子が。一つ一つのラッピングはとても可愛いのに、それを覆うビニール袋のせいで台無しだ。
「[[rb:容 > よう]]くん、高校生になっても凄いね。むしろ去年の記録更新したんじゃない?」
「中学は菓子類の持ち込み禁止で没収されたから何もない」
「ああそっか。いっぱい貰ってたのにねえ。ああいうのって誰がどう処分するんだろうね。先生とかがこっそり食べてんのかな」
高校に入って初めての2月14日。
隣の男、容くんはこの量のチョコに囲まれても特に大した感情も抱いていなさそう。
「そんなの持って帰って、容くんのお父さんは許してくれるの?」
「……見つからないようにする」
どうせ見つかってやいのやいの言われるくせに。容くんは表情や性格のせいで勘違いされやすいけど、こういうのは捨てずに受け取ってしまう優しい男なのだ。女の子達は容くんになかなか近寄れないけれど、このイベントを利用して下駄箱やロッカーの中に大量にチョコを仕舞い込んだようだ。こんなに貰っているのに、誰一人として容くんに直接チョコを渡した人はいないらしい。容くん怖いし。
高校からの帰り道、俺の家は容くんの家よりもう少し先にある。だから俺は容くんが家の中に入るまで見送ってから自分の家に帰る。
相変わらず、いつ見ても荘厳な和風の家だ。でも俺はこの門の中へは跨がせてくれない。だからいつものように門を開く容くんを眺めるしかない。
容くんは門に手をかけ、少しばかり開けた所で俺の方を振り返った。あー、顔綺麗だな。こういうなんでもない瞬間にこそ思う。綺麗な顔の綺麗な口が薄っすらと開く。
「……お前は」
「はい?」
「…………」
「なにさ!」
「み、……[[rb:充 > みつる]]のは、ないのか」
「俺?」
「チョコ……」
容くんは手にしていたビニール袋をぎゅっと握りしめ直した。何それ、何でそんな事聞くの?
「だからー、俺1個も貰ってないって!」
「え」
「容くんと違ってモテないですから!」
「……」
ほら!と俺はカバンの中も開けて容くんに確認させた。俺の非モテ具合を再確認したかったのか?証拠も見れてこれで満足だろう、と容くんの方を見上げると、容くんは顔を真っ赤にさせてぷるぷると震えていた。
「なに……?哀れみのあまりの震え……?」
「違うっ!充の大馬鹿!!」
容くんは門をッターーーン!!と勢い良く閉め、お上品な容くんには珍しくドタドタと足音を踏み鳴らしながら豪邸に吸い込まれていった。
「は、なに……?」
ポカーンだ。ちょっと考えてみても怒りの理由が分からない。仕方ないのでわけも分からずごめん、とだけメッセージを送る。既読は秒でつくけど返事はない。
容くん難しい。だから友達俺以外にいないんだよ。
2
「おはよう充」
「おはようごっちゃん!」
「オハヨ〜充」
「おはようさとちん!」
「おはよー充、課題見せて?」
「おはようシノ、俺もやってないから無理!」
女子にはモテないけど、友達はいっぱいいる。
どうやら俺は人当たりがいいらしい。お母さんにはなんで女子にはモテないのかね、と言われた事もあるけどそんな息子を産んで育てのはあなたですからね。
教室に入るまで一緒の歩幅だった容くんは友達に捕まる俺なんかは目もくれずにスタスタと自分の席に行ってしまった。昨日はあんなに顔真っ赤にしてたのにな。今は2月の寒さは俺が吹かしてる、みたいな顔してさ。
「こえ〜、楠」
「容くん?」
「あんなさっさと席着かれたら挨拶しようにもできないじゃん」
「しにいけばいいよ」
「無理だって。俺楠がお前以外とちゃんと喋ってるところ見た事ないもん」
「容くん人間嫌いだもんね」
「学校に通う人としては致命的だな……」
ふと容くんの方を見る。まだ授業は始まっていないのに、もう既になにかの勉強をしている。俺とは大違いだ。本当は俺も容くんに口酸っぱく勉強しろ勉強しろと言われている。次のクラス替えのためだ。
「なんで楠は充なんかと……」
「なんかとって」
「いや、俺達みたいモンと住む世界違うだろ。御曹司だし、あいつも将来社長だろ?」
「らしいね。でも容くんも意外と普通の人間だよ。小さい時はバクオンジャー好きだったし、車とかも好きだよ」
「いつの話してんの?」
「俺の中で容くんはそれくらいの子と変わんないよ。出会った時からずっと一緒だよ」
そう、容くんは変わらないのだ。こっちに転校してきた小4の時から。
変わらない、はず、なんだけど。
容くんはちょっとずつ俺から離れている、ような気がする。家の事、学力、周りの目。昔はそんな事もなかったんだ。いや、そんな事あったのかもしれないけど、歳を重ねるとお互いの差を認識してしまう。
1°だけ狂った角度は、その線を伸ばしていくと大きな誤差になっていった。
3
「転校してきた楠容さんです。みなさん、仲良くしてくださいね」
小学校の頃の転校生なんてビッグイベントだ。おまけにその時には既に完成された美しすぎる顔と体に、クラスのみんなは夢中だった。ここ数年で一番の賑わいを見せる。
そんな中俺は黒板に書かれた文字を見て、木と南って書いてくすのきって読むんだ〜と見た事もない漢字の方に関心を寄せていた。まあ、なんというか、「俺は転校生なんかに興味ないですけど」みたいな、割と逆張りなクソガキだったのだ。
「楠さん、クラスのみんなになにか一言ありますか?」
担任だった若い女の先生が転校生に言葉を求める。でもその子はまっすぐ前を見て口を固く結んだままだった。
「…………」
「緊張してるのかな?初めての場所や初めてのお友達は不安だと思うから、みなさん、たくさん教えてあげてくださいね」
はーい!と元気のいい声が教室に響いた。通路を挟んだ俺の斜め前の席にその子は座った。周りの子達は嬉しそうにそわそわしている。対して転校生の子は肩を強張らせたまま、お行儀良く座っている。
なんか、可哀想だな。動物園の中の動物みたい。なんて思ったのは両者に失礼だったかもしれない。
「楠くんは、どこから来たの?」
「名古屋」
「転校初めて?」
「2回目」
「今どこに住んでるのー?」
「分からない」
休み時間、クラスメイトの人達は彼を囲って口々に質問をしていた。あんまり嬉しくなさそうだ。話すのが苦手なのかもしれない。
俺は自分の席に座ったまま、図書室から借りた本を読みながらチラチラとその光景を見ていた。
「俺知ってる!あのでっけー家だろ。前トーエンだったとこにできたでっけー家」
クラスの中心的な男の子が嬉しそうに口を開く。トーエンとは、チェーン店のスーパーだ。数年前そこが立て壊されて、新しくて大きい家が建てられたばかりだった。
「俺のお父さんが言ってた。会社のシャチョーさんがここに引っ越してきて、その子どもは俺達と同い年だって。お前のことだろ?」
「……!」
「えー!すごい!」
「お家おっきいんだね!」
「かっこいい!」
この容姿に加え、社長の息子で金持ち。クラス中が更に色めき立った。でも彼はそれを聞いてぴくりと反応し、急に顔をしかめた。
「……うるさい、もういい、あっち行け」
静まり返る教室。今確かに、この口が喋った。あまりの衝撃に出てくる言葉もないのか、周りにいた人達は悪態をつくこともなく散らばっていった。
この学校始まって以来の人気者は、一瞬のうちに嫌われ者になってしまった。
そんな伝説的な一夜が明け、次の日の授業には音楽があった。4時間目の前の休み時間、どこかに無くした音楽の教科書を探しているうちにもうすぐで授業が始まる、というギリギリの時間になってしまっていた。急ごうと思って教室を見回すと、たった一人取り残された子がいた。楠容くんだった。どうやら彼は、学校を案内してもらう前にみんなから距離を置かれてしまったので、音楽室が分からないらしい。
逆張りをしていたけど、初めての人に興味無い事もない。いや、本当は興味アリアリだった。だから俺はその子に声をかけた。
「音楽室ね、反対の校舎の端っこだよ。急がないと遅れちゃう」
「……」
「一緒に行こっか。俺も遅れて一人で行くの気まずいんだよなー」
「……」
「俺の名前ね、辻充。みつるでいいよ」
そして、その子の手を引いた。最初は驚いた顔をしてぎこちなく歩いていたけど、暫くたてば腕はだらんと垂れ下がり、素直に着いてきてくれた。
「音楽好き?」
「……キライ」
「そーなの?カラオケ嫌い?」
「行ったことない」
「そうなんだ!俺はねー、授業の音楽は嫌いだけどカラオケは好き!楽しいよ」
「……」
音楽室の扉の前で、その子は歩みを止めた。不審に思い振り返ると、俯き、足元をじっと眺めている姿があった。
「どうしたの?」
「……音楽キライ。前の学校、声が小さいって、何回も歌いなおしさせられた」
それを聞いて、俺はハッとした。
こんな子にも苦手な事や嫌な事があるんだ。俺と一緒じゃん。ちょっと顔が良くて家がいいだけの、普通の男だ。なんだか、この子が一気に身近な存在になったような気がした。
「俺が一緒に歌ってあげる!」
「……え」
「大丈夫だよ、2人で歌えば大きい声出せるよ!……でも、今日の授業多分リコーダーだけど……」
キーンコーンと、チャイムが鳴ってしまった。
「あっ!急ご!音楽の先生、遅れたら怖いんだよ!」
もう一度その子の手を引っ張り、音楽室のドアを開けた。勢い良く開くドアの音に反応して、クラス中の視線がこちらに集まる。その子を連れて席に案内し、セーフ!と笑顔でピースする。その子は笑うでもなく、むず、と少し口を緩めた。
それから容くんは俺が何を言わずともちょこちょこと俺の後ろをついて回るようになった。気付けばもう6年。今でも俺は容くんの前に立って歩いている。
4
「充、帰るぞ」
「うん。……じゃあね、カラオケはまた今度!」
友達がおー、と言って俺を見送った。
教室から出て2人だけの空間になった途端、容くんはむっと不機嫌になった。
「カラオケ……」
「行かないよ、また違う日に行くから」
「……」
「……容くんも一緒に来る?」
「行かない。行くわけがない。そもそも今はテスト期間だ」
「分かってるよぅ」
今から宿題やろうと思っていた、という時にお母さんに「宿題やりなさい」と言われた時のような不快感があり、俺はぷくっと頬を膨らました。
容くんはそんな俺を見てムムムと眉をひそめた。むぎゅ、と容くんの大きな手に頬を挟まれ、口からは息が漏れる。
「分かってない。必死でやれ。死ぬ物狂いでやれ。今回のテストは2年のクラス分けに大きく関わってくる」
「分かってるって〜!頑張るから!ってかそれなら容くんも俺と一緒に勉強すればいいじゃん、見張れるし俺の分からない所教えられるし、それでいいじゃん!」
「……それが出来るんならとっくにやっている」
容くんはこぶしをぎゅっと握った。フン、容くんの意気地なし。その理由を俺は知っている。でも、だからってなんでそこまで律儀に従うんだ。
「というか、だから休み時間には予習復習をして分からない所があったら俺が学校にいる間に聞けって言ってるんだ!」
「そんなガリ勉みたいな事できるわけないでしょ!」
「ガリッ……、………クソ、あんなやつらにうつつを抜かすな!あんな低俗な、中身の無い話しか出来ない連中!」
「誰の事ですかぁー!?クラスメイトの事悪く言わないでもらえますー!?」
「悪口じゃない、事実だ!学校にいる間は俺といればいいって何度も言ってる!」
「じゃあ容くんが俺のとこくればいいじゃん!いっつも自分の席に座ったまま怖い顔してカリカリカリカリ勉強して、みんなから『不動明王』って言われてんだよ!」
「不動明王……!?」
あ、やべ、言い過ぎたかも。
と思って容くんを見ると、肩で息をしながら怒りで震えている。容くんは俺と喧嘩するとすぐ子どもみたいになる。
「充なんて……充なんてどうとでもなればいい!一生1人で勉強していろ!でも1組になれなかったら許さんからな!!」
容くんはその長い脚をスタスタと動かして先に行ってしまった。
どうとでもなればいいって言ったくせに、成績は下げるなと。わがままボーイだ。困ったちゃんだ。でも本当に困ったちゃんなのは、あれだけ感情的に怒っている高1の男子を見ても、あーなんか一生懸命怒ってて可愛いなー、としか思えない俺の方なのかもしれない。
5
「……」
「え、えーーーっと、まあ、元気出して」
「……」
「元気出してなんておこがましいカナ!?ごめんなさいね、俺の努力不足で……てへ」
「……」
「……いやー、容くんは流石だね、1組だね!俺は信じていたよ、容くんは1組だろうなって」
「……充は馬鹿だ。人間的にも、知能的にも……なんで馬鹿は馬鹿を自覚して勉強しないんだ……」
「ちょっとちょっと、そんな綺麗な顔でおディスりあそばせないで……」
結論、俺と容くんのクラスは見事に別れました。
これも全部学力でクラス分けがされるこの学校の制度のせい。容くんがトップレベルの学力をキープしているせい。そして、俺の頭がそこまで良くないせい。
容くんは張り出されたクラス分けの紙を眺めて小さくぶつぶつと呪詛のように呟いている。
__ちょっと、悪い事しちゃったな。
と、思わなくもない。だって容くんには友達がいない。小中どっちもずっと一緒のクラスで、その間もずっと俺としか喋らなかった。つまり、俺と離れてしまったら容くんはひとりぼっちになってしまうのだ。
高校生にもなってなにを、と思うかもしれないけど、容くんは本当に人付き合いが下手だ。俺以外には無視するか、悪態をつくことしかできない。容くんがちゃんと会話できるのは俺だけ。だからだろうか、小学生のような執着を俺に見せてくる。まあ俺も悪い気はしないんだけど。
「まあまあ、休み時間は会いに行くし、帰りだっていつも通り一緒に帰れるし!1年の時とほとんど変わらないよ、ダイジョーブ!」
「……そうじゃない。それだけじゃない……」
集会がそろそろ始まってしまう。俺と一緒のクラスの子達が固まって体育館に移動しだしだ。俺も着いていこうと思い1歩踏み出すと、片方の手をぐいっと引っ張られた。
「どしたの?」
「……」
「……体育館一緒に行く?」
容くんは何も言わずにこくりと頷いた。微かに不満気な顔をしている。不安なんだろうな、俺と違うクラスになるのが。喜んじゃ駄目なんだろうけど、ちょっと嬉しい。
「大丈夫ですよ〜、俺は容くんのズッ友ですから」
背伸びをして、容くんの頭をわしゃわしゃと撫でる。耳が赤い。恥ずかしそうだ。俺達は好奇な目で見られているだろう。でも拒否しないのが容くんだ。容くんは俺に頭を撫でられるのが大好きだから。
「ずっとも、ってなんだ」
「ずっと友達!」
「……」
容くんは俺の手を掴んで指と指を絡ませ、ぎゅっと握った。うお、大胆、と少しびっくりして容くんを見上げると、顔を赤くさせたまま怒っているんだか苦しいんだか分からないような顔をしていた。こういう顔は俺によく見せる。でも歳を重ねるごとに、この表情は男の俺ですら少しドキッとしてしまう。
「ずっと友達のままなのか」
「え?」
「……」
容くんはぷい、と顔を逸らし、俺の手を握ったまま体育館へ向かった。容くんの手が熱い。熱を伝えさせるように、俺も容くんの手を握り返す。容くん脚長いのに、俺の歩くスピードに合わせてくれるんだよな。
6
クラス替えをしても、特に日常生活が変わる事もなかった。
前まで一緒のクラスだった仲がいい子も何人かいるし、新しく仲良くなった子もできた。容くんは1組で、俺は3組。学力で別けられると、こんなに差があるんだとひしひしと感じた。
同じ学力の子で固められているおかげか、このクラスは妙に心地が良かった。
その日最後の授業が終わって鞄にノートを入れていると、俺の近くにいた何人かに声をかけられた。
「ほら、前言ってたカラオケさー、結局行けなかったじゃん。行こうぜ、このクラスの人らで」
「いいね、行きたい!」
「充なかなか捕まらなかったからな。番犬がいたから」
「バンケン?」
「楠」
「あー、授業終わったらすぐ連れてかれてたからな」
「誘いづらさはあったよな」
「えっ!そんなふうに見えてたの?」
番犬……。容くんが番犬か。俺が飼い主?
容くんが犬だったらきっと大きくて毛並みの綺麗な賢い子なんだろうな。あんまりはしゃがないけど、俺が撫でるといっぱい尻尾振るんだろうな。
犬になった容くんの事を考えてふふふと笑っていると、みんなから訝しげな表情で見られた。
「今日この後行かない?」
「えっ」
「いいね、行こ行こ!」
「俺腹減った〜。ポテト食いたい」
「ソフトクリームにつけて食うと美味いよ」
マジで!やってみたい!じゃなくて、ちょっと今日は。
「え、俺今日は行けないよ」
「なんでー!」
「容くん迎えに行かなきゃ」
周りの人達は仕方なさそうに苦笑いをした。
「今日はってか、今日もじゃん」
「そんな事言ってたらいつまでたっても普通に遊べねえよ」
「クラス離れても続けるの?それ」
え、え、そうだけど、そういうもんだと思ってたけど、確かに。俺ってこのルーティーンを続けてたら、もしかしたら放課後制服のままみんなと遊びに行くなんて事が一生できないのかもしれない。
「いいんじゃない?今日くらい。今までずっと楠と帰ってたんだし」
「まあ、そうだけど……あっ!」
ふと廊下の方を見ると、容くんが俺の方を見てじっと佇んでいた。俺は席を離れて教室の窓越しに容くんに話しかける。
「容くん!いつからいたの?声かけてくれればいいのに」
「……するわけない。あんなやつらがいるのに」
「そんな事言っちゃ駄目だよ」
「……」
管楽器のチューニングをする音が聴こえる。校庭からは野球部の掛け声。容くんの声はそれらに紛れ、消えていきそうなくらい弱かった。
「行くのか、あいつらと」
ほんの少しだけ、考えてしまった。それが駄目だったのかもしれない。
「……行けよ、行きたいんなら、別に」
「……え」
まさか、そんな事を言われるなんて。今まで一度だって言われた事がない。そのまま帰ってしまいそうな容くんを俺は必死に引き止めた。
「まって!よう、容くんも一緒に行こうよ!」
「行かない」
「みんないい人だよ!容くんもすぐ仲良くなれるよ!」
「誰がなるか」
「ポ、ポテト!アイスにつけて食べると美味しいって!」
「……」
ああ駄目だ。容くんは歌うのが嫌いだし、俺以外の人間嫌いだし、俗的な食べ物は禁止されてるし。何も引き止められるものがない。どう言えばいいか考えていると、窓越しに掴んでいた腕はあっさりと振りほどかれた。
「……もういい、帰る」
「ま、っ、待ってよ!」
俺はすぐに鞄を取りに戻って、友達には目もくれずに容くんの姿を追いかけた。
「容くん、ごめんね、怒った?」
「怒ってない」
「ほんと?別に容くんの事ほったらかしにしたとかじゃないんだよ、俺容くんとちゃんと一緒にいるよ」
「……分かったから、うるさいな」
容くんはまっすぐ前を見たまま、何も喋らない。容くんが転校してきて初めてみんなの前に立った時みたいだ。
容くん、俺と離れても本当に友達作る気ないんだな。容くんってずっとこんな気難しい人だったっけなあ。
「……」
いや、こんなんだったな。ずっとこんなんだった。ちょっと考えてみたけど、容くんはずっと俺以外の友達がいない。おまけにほっとくとすぐ拗ねる。全く、やれやれ。容くんには俺がいてあげないと。
7
「放課後ね、みんなとサッカーやるよ。容くんも一緒にやる?」
「……やらない」
容くんは昔から放課後は一直線に家に帰っていた。容くんのお屋敷みたいな家はみんな分かるけど、誰もそこに遊びに行った事はなかったし、そもそも容くんと遊んだ事がある人がいなかった。
転校生なんて興味ないと逆張りしていた俺だったけど、容くんと喋るようになってからは、すぐ一人になってしまう容くんの事が気になってしょうがなかった。
だからその日、サッカーのお誘いを振られた俺は、容くんが放課後どう過ごしているのかが気になって容くんについて行った。
「俺の家には入れないよ」
「なんで?」
「お父様が駄目って言うから」
「オトウサマ……?」
果たして世の中にお父さんの事をお父様と呼ぶ子どもは何人いるのだろうか。あまりに聞き慣れない単語で、また別の親族なのか疑った程だった。
「なんで駄目なの?」
「勉強しなくちゃいけないし、いっぱんじんとは遊ぶなって」
「いっぱんじん……」
一般人。流石の俺でも分かるぞ。俺は一般人だから無理だ。容くんと遊べない!
「俺、容くんと一緒にいるのまずい?」
蹴っていた石ころを容くんの方向に転がす。容くんはそんな品のない事をしないのか、はたまた石を蹴りながら歩く遊びを知らないのか、ラリーは続けてくれなった。
「べ、別に……家の前まで、なら」
容くんはぽつりと呟く。厳しい家は大変だな。俺の家とは全然違う。
「じゃあ明日はとおるとしんちゃんも呼んでいい?みんな容くんの家から近いよ」
「嫌だ」
きっぱりと、ハッキリと断られた。ちょっと怖い。
「なんで?2人ともおもしろいよ?」
「……みんな、家のこととか、俺が社長の子どもだとか、お金持ちだとかしか言わない。みんなが友達になりたいのはどうせ俺じゃないよ」
そんな事ないよ、みんな容くんと友達になりたいんだよ、と上手く伝えられなかった。みんなは何と友達になりたいんだろう。容くんじゃない何と仲良くするんだろう、と思ったけれど、小学生4年生の頭では言語化できなかった。
容くんも容くんで、伝えたい事を思うように伝えれずモヤモヤとしていたようだった。
「俺はいいの?」
容くんは目を伏せて、小さく頷いた。
俺は選ばれた優越感から嬉しくなってしまい、スキップなんかをしてみたりした。歩幅が広くなった俺に必死に着いていくように、容くんはとてとてと小走りで俺の後を追った。
容くんはきっと人見知りだから、俺がちゃんと守ってあげないと。と、確かにその時決意した。
その後無理やり容くんの家に押しかけ、見つかってしまった「お父様」に厳しく説教されながらつまみ出されたのは言うまでもない。
8
「容くんは帰ったらいっつも何してるの?」
「勉強だけど」
「じゃなくて、それ以外だよ」
「……勉強だけど」
「嘘!?」
そりゃあ成績いいはずだよ!ずっと勉強しかしてないじゃん。気狂わないのかな。
「もっと息抜きに遊んだりした方がいいんじゃない?」
「そんなに遊びたいなら遊びに行ってこいよ」
「違うよ!別にそういう意味で言ったんじゃないよ」
もう、容くんが難しい。一度曲がった容くんの機嫌を元に戻すのは難しいのだ。
「じゃあ俺も容くんと一緒に勉強する!」
容くんはぴたっと固まった。
「……どこで」
「容くんの家。どうせ家以外禁止されてるでしょ」
「そう、だけど……」
容くんの広角は少しだけ上がり、むずむずとしている。でもハッと何かを思い出してまたいつもの顔に戻った。
「……いや、駄目だ。お父様が……」
あーもう、はいはい、お父様ね!
「うぬん……俺が頼むっ!」
「は!?」
「お父さん今日家にいる?」
「いるけど……いや待て!!」
楠家の敷居を跨ごうとした所で、容くんに肩をがっしり掴まれた。
「やめろ!お父様に怒られて終わるだけだ!」
「もー!じゃあ容くんはずっとこのままでいいの!?容くん、俺と一緒にいたくないの!?」
容くんを見上げる。容くんは顔を赤くしながらぱくぱくと口を開閉させている。俺の事馬鹿馬鹿って言うけど、機械みたいにお父さんの言う事しか聞けない容くんも馬鹿だ。
「いっ、いっ……」
素直じゃない容くんは、なかなかその先の言葉が言えない。だからお父さんにも反抗できないんだ。
「い、いた、ぃ」
「おいなんだ、騒がしいぞ」
容くんの言葉を遮るように門がガラガラと開いた。
その先に立っていたのは、容くんと良く似たしかめっ面の綺麗な男の人。
「お、お父様……。なんでここに……」
「庭の手入れをしていた。容、その子は?」
「おひっ、お久しぶりです!容くんのお友達の辻充です!」
「………………ほう?」
そんな服で庭の手入れを、というほどしっかりとした格好の容くんお父さんは、俺の顔をまじまじと見て形のいい眉をぴくりと動かした。
「……ああ、あの時の無駄に威勢のいい男か」
「無駄に……」
「なんの用だ。用がないならさっさっと帰りなさい」
なんとなく子ども扱いされているような気がする。いやまあ子どもなんだけど。でも俺は怯まないぞ。
「お家お邪魔してもいいですか?容くんと一緒に勉強したいです」
「駄目だ」
きっぱりと断られた。
この美形おじさんめ……!息子と同じような断り方しやがって。
「容くんの家が駄目なら俺の家行くんで!」
「駄目だって」
「じゃあ外で遊ぶんで!」
「余計駄目だろう!君は馬鹿なのか」
息子と同じような乏し方しやがって!
容くんの方をチラッと見ると、目が合った。冷や汗をかきながらふるふると小さく首を横に振っている。なんでそんなに怖がっているんだろう。
容くんのお父さんは容くんを引き寄せ、強制的に俺から離れさせた。
「……というか、君はまだ容に固執していたのか」
「………………ンはァ??」
「もう帰ってくれ。そして二度と容に関わるな」
「………………は、は、え??」
ガラガラピシャン、と門が閉まった。俺は唖然としたまま暫く動けなかった。あまりイライラするタイプではないけれど、珍しく俺は拳を震わせていた。
(はぁ〜〜〜!?固執してんの、どう考えても容くんの方なんですけど〜〜〜!?)
あとなんだよ二度と関わるなって。なんだよあの顔、あのオヤジーーーッ!!
悔しい、悔しすぎる。大人ってみんなあんなもんなの、あんなに人の意見聞かないの。俺の何が駄目なんだよ。俺が一般人だから、俺んちが裕福じゃないからか!?
考えれば考える程怒りが込み上げてくる。それにあの容くんの顔。残念そうな、申し訳なさそうな、何かを言いたそうな顔が頭から離れない。容くんだって本当は普通に遊びたいだろうし、普通の男子高校生みたいな事がしたいはずだ。
容くんは意気地なしだから自分から動けない。だから俺がどうにかしてやらないと。俺は容くんの唯一の友達だから。
9
容くんは頭がいい。どれくらい頭がいいかというと、偏差値が70越えの高校でも多分普通に受かったんじゃないかな、というくらい。別に記憶力が特別いいからとか天才的に脳みそが柔らかいからとかではないらしい。容くんは毎日何時間も勉強している。小さい頃からの積み重ねだって言ってた。容くんはとっても真面目なのだ。
「容くん、本当にこの高校で良かったの?」
高校受験の合否の発表の日、俺は容くんと一緒に結果を見に行った。受かっていて大はしゃぎをする俺の横で、容くんはさも当然というような顔で掲示されている自分の受験番号を眺めていた。
「家からいちば近いし」
「朝弱いもんね、容くん」
容くんなら確実にもっと上の進学校に通えたはず。でも容くんは俺と一緒の高校を選んだ。
「でも良かったよ、容くんがもし違う学校だったら容くん話し相手いなくなっちゃう」
「……う、うるさい。別に、そんな事はない」
「うんうん、はい」
4月から通う高校を出て、容くんと並んで帰った。なんだかんだ、容くんが転校してきてから毎日一緒に登下校している。もう3年は続くみたいだ。
「これからおめでとう会しない?」
「駄目だ、家で勉強しないと」
「なんで〜!合格したじゃん!なんのための勉強よぉ」
「そんな目先の事のためにやってるんじゃない。充はもっと勉強した方がいい」
「げーっ。嫌だよ、そんな事言うのお母さんだけで十分だよ」
とん、とん、と色の違うタイルにだけ足をついて歩く。俺の隣の容くんはブレずに、キレイな線を書くように歩く。容くんは決められた事を決められたように沿う事しかできない。
「容くんはいつになったら俺と普通に遊べるの?」
「……え」
「高校生になったら?大学生になったら?容くんが社長になったら?」
「……」
「容くんも普通の男の子なのにねぇ」
商店街を抜けた先にあるコンビニ。俺は容くんに外で待ってるよう伝えて中に入った。店内を一周して吟味し、2つに割って食べるアイスを1本買った。
容くんは店内から出てきた俺の手元をじっと見ている。
「そんなに暑いか?」
「いや、全然寒いよ。でもご褒美!」
「なんの?」
日本の3月なんてまだまだ寒い。でもアイスをはんぶんこして食べるなんて、なんか幸せでこんなめでたい日には最高な気がした。
「容くんねー、今日頑張って落とし物渡してたから」
合格発表の場で、容くんは地面に落ちた定期ケースを見知らぬ女の子に届けていた。
容くんは殆どの場合自分から他人に話しかけない。俺以外だと尚更。俗に言う「一般人」と会話せず過ごしているうちに、逆に普通の人と話すハードルが上がってしまったらしい。心なしか声も少し震えていた気がする。定期ケースを受け取った女の子は容くんを見て顔を真っ赤にしながらお礼を言っていた。
だから、今日は容くんにとってはいつもより頑張った日なのだ。
「はい、容くん頑張ったね!頑張った日はご褒美だよ」
「……う、」
「大丈夫大丈夫!家に着く前に食べちゃえばバレないよ。ゴミは俺がもらってあげる」
アイスを半分に割り、容くんに片方を差し出した。容くんはだいぶ迷っていたけど、俺が一口食べるとおずおずと受け取った。受け取ったのはいいけど、アイスを顔に近づけてじっと見つめている。
「食べないの?」
「勿体無い」
「んふっ!」
容くんは時々、本当にレアだけど、物凄く素直になる。自覚はないらしい。家ではあまり食べないからだろうか。まだ気温は低いとは言え、流石に永久的に保存しておく事はできない。
「またご褒美あげるよ、容くんが頑張った日は一緒に食べようね」
俺はにたにたと笑った。俺の言葉を聞き、容くんは小さく口を開いてアイスを齧った。
「おいし?」
「……普通」
んな事言って、眉毛と目が垂れてるよ。
容くんは本当に子どもみたいだ。賢いのに知らない事がいっぱいあるし、不機嫌になった時はすぐ分かるけど俺が褒めたら元気になる。
容くんに買い食いを覚えさせる背徳の味、容くんとはんぶんこする幸福の味、あとちょっとの優越の味。こうやって容くんにアイスをあげられるのは俺だけ。
「また食べようねえ」
容くんは目を細めてこめかみを静かに擦った。キーン、俺もうつった気がする。
10
容くんが知らない男と話している。
「あれでしょ、山中湖の近くの別荘。容が家の中で迷子になって泣いたやつ」
「いつの時の話をしてるんだ!お前も泣いてただろう!」
「俺はお前が泣く意味が分かんなくて泣いたんだよ、可愛い俺の不安を煽るな!」
「幼少期の俺に文句を言うな!」
容くんが知らない男と話している!!
朝、いつものように容くんを楠家の門の前で待っていると、家の中から容くんが知らない男と出てきた。びっくりしすぎて朝の挨拶もせずに口を開けて2人を見ていた。
その知らない男は俺の姿を見つけて、あっと呟いた。
「オマエが辻?」
「あ、え?はい」
「ふーん、思ったよりちんちくりん!」
コイツめっちゃ失礼!なんだよコイツ!
この失礼な男は容くんと並んで歩いても遜色ないほど整った顔をしていた。容くんより身長は少し低いけど、それでも十分に体格がいい。いや、だからといって失礼さが中和されるワケではない。
「あの、誰ですか」
「いとこで〜す」
「いとこ?」
「容のいとこ。最近2人と同じ学校に入学しましたイエイ」
「んぬ、……後輩!?」
「そう、楠[[rb:出 > いずる]]です!いずいずでいいよ。よろしくね、辻センパイ」
出くんは俺に手を差し出した。握手か、と思って俺も右手を出すと、出くんの手はひょいっと上にすかされた。俺はキョトンとして顔をもちあげる。
「あー、違う違う、駄目だった」
「え?」
「よろしくしちゃいけなかったわ」
訳が分からず、俺は出くんの顔を見る。にこやかなような、何も考えていないような、それでいてたくさん考えているような読めない表情が怖い。出くんの横にいる容くんは気まずそうにしている。
「あのねー、おじさん……容のパパから、オマエを容に近寄らせるなって言われてるから」
「ハーーー!?」
「そゆことで。じゃね」
出くんは容くんの肩に腕を回して歩き出そうとした。俺は出くんの鞄を引っ張った。
「いやいやちょっと待って、なんで!」
「なんでもなにも、おじさんに嫌われてるからでしょ」
「俺なんにもしてない!」
「知んないよ。俺もおじさんに雇われてるんだよ、俺のためにも理解して」
「お金の力!!」
駄目だ、出くんじゃ話にならない。
俺は容くんの前に回り込んで必死に問い詰めた。
「なんでなんで、お父さんになんか言われた!?」
「別に何も言われてない」
「絶対嘘だ!目泳いでるよ!」
「およ、泳いでない!」
「言われたんでしょなんか!何言われたの!」
「っ……」
なかなか本当の事を話してくれない。俺は容くんの制服がシワシワになるのも厭わずに掴みかかった。でも容くんはそんな俺をあっさりと引き剥がす。
「うるさいな、もうほっといてくれ!」
そこからの記憶があまりない。
ケタケタと出くんが笑う声だけが微かに頭に残っている。
「おはよー充」
「ああ、うん、はい……」
「おはよう、今日の古文の小テスト満点取れたらごっちゃんが昼おごってくれるって」
「言ってねえ!」
「ああ、うん、はい……」
「充ー?」
気付いたら教室に辿り着いていた。小テスト?昼ごはん?それがなんだ。何も頭に入ってこない。友達からの問いかけに生返事で答える。
「カラオケ、今月のどっかで行かない?放課後アレだったら充の予定に合わせるよ。普通に土曜日とかでもいいし」
「ああ、うん、はい……」
「ああうんはいbotじゃん」
どうしたんだしっかりしてくれ、と俺を揺さぶる感覚がする。カラオケね、そういえば俺カラオケ行きたかったんだっけ。そういえば俺カラオケ好きだったな。
「行きましょう……今月末の土曜とかね、うん……」
俺の一言でカラオケに行く日が決まった。
容くんは土日も勉強してるか、容くんのお父さん__クソジジイに連れられてどこかによく行っているので、俺は時々普通に友達と遊んだりする。でもその後容くんが誰とどう遊んだかしつこく聞いてくるので遊ぶのは控えていた。おかげでオンラインゲームの腕ばかりが上がった。
「何気に充と遊ぶの初めてだな」
「大丈夫?」
「え?」
「楠くんいなくて」
「……ええ?」
「楠くん呼んでもいいよ」
「何歌うか気になるしな」
「……いやあ、容くんはカラオケ嫌いだしねぇ、あと人嫌いだから。容くんも別に休日まで俺といなきゃ駄目ってわけじゃないから。大丈夫大丈夫」
「じゃなくて、充は大丈夫?楠くんいなくて」
「__えっ」
思ってもみない問いかけに、俺の思考は停止した。誰に、誰がいなくて大丈夫って?
「えっ、えっ!えーっ」
「え、なに」
「大丈夫だよ大丈夫!なんで、なんで!?」
「だってこの前楠くんの事必死に追いかけてたし。充、楠くんと一緒じゃなきゃ嫌なんだと思ってた」
「ほぇ……」
__いやいや。
「いやいやいやいや。別に俺は違うよ、そうじゃなくて、確かに容くんはそうなんだけど、容くんは多分俺と一緒じゃなきゃいけないんだけど、俺はそういうんじゃないから!俺一人で行くよ!そういうんじゃないからねホント」
「必死じゃん」
周りの友達が苦笑しながら俺の肩をぽんぽんと叩いて宥めた。
不服だ。だって本当に、俺はそうじゃない。
容くんは俺がいないとすぐ拗ねるし俺が他の友達と遊んでたらヤキモチ焼くけど、俺は違うもん。
「俺は違うもん」
「はいはい」
違うから違うからと否定しても生温い視線で返される。なんだか恥ずかしくなって口を開けなくなってしまった。
11
容くんが俺を遠ざける理由はなんだろう。まあ100%お父さんのせいなんだろうけど、そもそも容くんのお父さんはなんであんなにも容くんを人と関わらせたがらないんだろう。容くんが他人と関わらないのは半分は自分の性格のせいで、もう半分はお父さんのせいな気がする。
「シノ、ちょっと1組着いてきて」
「えー、なんで」
「容くんに会いに行く」
「1人で行けよ」
「だって1組って意識高くてなんか怖いもん!」
休み時間、俺は友達……篠崎を無理やり引っ張って容くんの様子を見に行く事にした。
「今までそんなことなかったじゃん」
「気付いたのー、休み時間勉強してる人ほとんどだもん。行き辛いでしょ」
「ははーん」
篠崎はわざとらしく眼鏡のブリッジを持ち上げてにやっと笑った。
「喧嘩したな、お前ら」
「してないし!!」
「分かりやすいよなー、充」
思わず掴みかかりそうになった。
「してないしてない!してないって!容くんが勝手になんかいじけてるだけだし!」
俺は大人ですから、ケンカなんてしないのですが。容くんが怒っても可愛いだけだしケンカにならないんですが。というか俺は本当に悪くないのですが!!
「おうシノ見ときな、容くんは拗ねてても俺が話しかければ機嫌が良くなるんだから」
俺は1組の扉を開いて容くんの姿を確認した。いた、ド真ん中の席。俺は篠崎を後ろに立たせて容くんに近付いた。
「ワッ!!……容くん、驚いた?」
「……」
「容くん、あんなに仲良さそうないとこいたんだね。俺知らなかったよ」
「……」
カリカリカリカリ。容くんはノートにペン先をずっと走らせている。ムム。躍起になって俺も負けじと話しかけた。
「んねぇ〜!別荘って何!ナニコ?琵琶湖?別荘持ってるの知らなかったんですけど〜!」
「……」
「出くんは行った事あるの?俺も行きたいなー。どうすればいい?出くんは行ってもいいの?俺も出くんと仲良くなればいい?」
何に反応したのか、容くんはぴたっと手の動きを止めた。そして俺を見て一言。
「黙ってくれ、勉強中だ」
「………………アハハッ!!」
ナニそれギャグ?面白くないよ、容くん。
「……充、チャイム鳴るし行こう……」
俺は篠崎にズルズルと引きずられながら1組を後にした。
「誰が誰に話しかけると誰の機嫌が良くなるって言ってたっけ」
「奥琵琶湖の桜見に行ったことある?超キレイなの。映画みたいにズラっと並んでさ」
「会話しようぜ」
篠崎は次の授業数学だ嫌だな、と何気無い話題を振ってくる。シノもすぐ関係ない話に切り替えるじゃん。授業とか、正直どうでもいい。考えなければいけないのは、容くんが何故か俺に反抗期すぎる問題だ。
篠崎は完全に気を落とした俺を見て肩をすくめた。
「やっぱ喧嘩してたんだな」
「ケンカなんてしてないし。容くんが勝手にあんなこと言ってるだけ……。理由は分かんないけど」
「難しいな」
「……容くん、俺の事イヤイヤになったのかな」
「いや、それはねーだろ。だってあの顔……」
「顔?」
顔、はて。俺にとってはいつも以上に不機嫌な容くんにしか見えなかったけど。
「俺を見る目、凶悪犯みたいだったし。牽制された気分」
………………へー、ふーん、ああそう。
「まだまだだな、シノ」
「うぜ〜……なにがだよ……」
容くんからの許され度が。
12
「ん、容くんどーぞ」
今日のはチューペット。商店街の駄菓子屋で買ったやつだ。割り方失敗すると、あの入れ物がみょーんとなって嫌なんだよな。今回はうまくいった。
「これ、アイスか?」
「アイスだよ」
「どうやって食べるんだ」
去年の夏、まだミンミンと蝉が鳴いている頃だった。その日は確か、容くんが期末テストで学年1位になったからといってご褒美をあげたんだった。容くんは家じゃこんなの食べられないから、公園でブランコに乗りながら太陽の下アイスを食べる事にした。
「ええ、普通にこっから、噛んでひっぱる」
容くんはチューペットを全く知らないらしい。そんな人間この世にいるんだ。俺がお手本として食べて見せると、容くんも真似して食べ出した。容くんみたいにお上品な人に家系ラーメンとか食べさせたらどうなるんだろう。
さくさくしゃりしゃり、と横からこ気味のいい音が聞こえる。容くんの綺麗な顔に人工的な青色が映える。
あまり回数は少ないけど、俺がこうして容くんにご褒美をあげると容くんは決まって嬉しそうなオーラを放つ。顔には表れないけど、俺には分かる。
「おいし?」
「……普通」
まあチューペットは特段美味しい!と言うわけでもない。お家でお高めミルクたっぷりめのアイスを嗜む容くんからしたらかなりランクは落ちるだろう。
「もうすぐ夏休みだねぇ。容くんに会えなくなるな」
「……」
ブランコの鎖がきぃと音を立てる。容くんは学校にいる時みたいに姿勢を正したままそこに座っていた。
「容くんはどっか旅行とか行ったりするの?」
「……避暑地に」
「ヒショチ?」
なんだそれ?その時の俺はそんな言葉聞いた事なかった。今思えば、あれが別荘だったのだろう。
「暑さを凌ぐ所だ」
「へー!いいな!楽しそうだね」
「別に、楽しくない」
「なんで?旅行って楽しくない?」
「……楽しくない。楽しいなんて思った事、一度もない」
容くんはチューペットの容器をぐっと握った。水滴がぽたりと垂れる。俺の手のひらは溢れてしまったアイスの液体のせいでべたついていた。そっちに気を取られ、なんとなく大事そうな容くんの言葉を聞き取れなかった。
「み、充がいないと、なにも、た……楽しくない」
「容くん!ヤバイヤバイ!俺食べるの超ヘタだ!ティッシュ持ってない!?」
「……」
容くんは一言、みつるのばか、とだけ呟いて鞄からポケットティッシュを取り出した。しかも高いやつ……舐めると甘いやつだ……。ありがたく受け取って手を拭った。
「ありがと〜。俺はね、町内の祭りの手伝いやるよ。焼きそば作るの。容くん焼きそば食べたことある?」
「……多分ない」
「そっか。容くんも食べてほしかったなー。いっぱい近所の人とか友達来るんだよ。頑張って作らないと」
「は?」
「ん?」
「……友達、たくさん……?」
「うん」
「……」
容くんは俺の方に顔を向けて、キッと睨みつけた。
「そんなのより、もっと涼しくて広い空間で勉強してた方がいい。避暑地のが断然いいに決まってる」
「いやいや、さっき楽しくないって言ったじゃん」
「俺といる方が楽しい!」
容くんを見る。顔が真っ赤だ。多分熱さのせいじゃない。素直じゃないのに素直すぎる子だ。
「寂しい?」
「っ……!」
「ん、ふふ、いっぱいメッセージくれていいよ、すぐに返信するからね」
「別に寂しくない!」
「あらら、はい、うんうん。夏休み終わって容くんがまた頑張ったら一緒にアイスはんぶんこしようね」
容くんは言葉をつまらせ、前を向いて俯いてしまった。全く、容くんは可愛いくてデカイ赤ちゃんだ。一言でも一緒に遊びたいって言ってくれればいいのに。
そして容くんは遠い地から毎日1日の終わりに一文だけメッセージをくれた。水が冷たかったとか、魚を釣ったとか、鳥がいたとか。いっぱいいっぱい考えて、この文章なんだろう。眠気眼でそのメッセージを読んで、ああ可愛いなーって、心臓がいっぱいになった。
もう去年の話だ。
そういえば、最近全然ご褒美あげてないなあ。
13
容くんがなかなか捕まらない。
「あれ……、容くんは……?」
「楠ならもう帰ったよ」
「えッ!?1人でですか!?」
「いやー、なんか、誰かと。1年の子かな」
放課後、1組に行くと容くんの姿はもうなかった。教室に残っていた、1年の時同じクラスだった子に聞いたらそう答えた。
絶対出くんだ……!今日の朝だって、俺が容くんを迎えに行く頃にはもう出くんと学校に向かっていた。なんでなんで。出くんはそんな事してて楽しいの?貴重な高校生活の一部を、容くんと俺を隔てるのに力を注いでいいのだろうか。
「楠って辻以外に友達いたんだ」
「……ね。俺もそう思った」
容くんに俺以外の友達がいないのは学年中の共通認識らしい。でもその事実も出くんのせいでなくなってしまう。
……いやいや、せいって。別にいいじゃん。
「容くん、普段どんな感じ?」
「相変わらずだよ。誰とも喋んないし、ずっと壁作ってる感じ。……いや、1年の頃よりもっと酷くなったかな」
「酷く?」
「うん。ずっと気張ってる。1年の頃はさ、多分お前がいたからマシだったんだろうな。今はとにかく勉強しかしてない。ずっと問題集睨みつけて、時々イライラしてるのか問題問いたノート破ってる」
「こ、こわ」
「そ。こえーんだよ。このクラスに何人かいるからなー、楠くらい頭いいやつ。もしかしたら内心焦ってんのかも」
「……え」
「あー、悪い。俺塾行かなきゃ」
「あっ、ごめんね、ありがとう!」
「早く仲直りしろよ」
彼は足早に教室を出て行った。
いや、ケンカしてないし。なんで他クラスの人にまで伝わってるんだ。
「してないし……」
ケンカなんてしてない。容くんがきっとお父さんになんか言われて、それで俺を避けてるだけ。
よたよたと廊下を歩く。学年が上がって階が1つ上がった窓から眺める校庭は少しだけ高く感じる。そういえば容くんは高い所が苦手らしい。昔はそう言ってたけど、今はもうそんなことも聞かない。容くんは変わらない、でも、ちょっとずつ、ちょっとだけ成長していってる。じゃあ、俺はどうなんだろう。
「ケンカなんて、してないし……」
「ケンカ?」
「ひょわっ」
誰もいなくなった廊下で佇んでいると、後ろから急に声がかかった。
振り返るとそこには、もう学校にはいないはずの姿が。
「い、出くん、なんでここにいるの」
「んー、カバン、容の机に忘れてきちゃった!」
わはは、と出くんは笑う。だいぶ豪快な性格のようだ。笑っているのに、なんだかちょっとピリッとした空気が流れる。出くんは軽薄そうに笑みを浮かべて俺を見た。
「容はもう先に帰ってるよ。辻センパイはなんでここにいるの?」
なんて意地悪な質問なんだろう。興味があるのか、揶揄っているのか、嫌味なのか。
「……そーなんだ!じゃあ俺も帰ろっかな」
俺も顔に笑いを貼り付けて出くんに背を向けた。咄嗟にねえ、と呼ぶ声が響く。
「容ね、おじさんにいっぱい怒られたみたい」
「__え」
「おじさん頭固いから。一般人に近付くなーって。容の成績落ちてんのもそのせいって思われてる。やっぱりもっといい高校通わせればよかったって」
「……!」
「……ほんとは容ってもっと頭のいい学校通う予定だったんだよ。高校だけじゃなくて、中学から。容が珍しく駄々こねたから、条件付きでここに通ってんの。知ってる?」
「し、知らない……」
思わず振り返る。出くんは眉を持ち上げ、俺を見て嘲笑う。
「容の友達なのに何も知らないんだ」
震えた喉から出かかった言葉は、口内で淘汰されていく。容くんの友達なのに、俺、なんにも答えられない。
「成績を落としちゃいけない、常にトップをキープしろって」
「……」
「だからだよ、容がセンパイのこと避けてんの。一般人と一緒にいるから成績下がったんだろって怒られたんだよ」
じゃあ、容くんが怒られたのって、俺を避けてるのって、もしかして全部俺のせい?俺があの時容くんのお父さんに無理言ったから?俺が容くんの注意を無視して、1人で突っ走ったから?
「……なんで出くんはいいの」
「俺は容の親族だし成績もいいからね。おじさんも認めてるし、特別だよ特別」
__特別。容くんにとっての、特別。
あれ、それって俺じゃなかったの?
「俺みたいなのもいるから。おじさんが連れてくパーティーとかで出会う同世代の人もいるし。容って別に友達いないわけじゃないよ。だから辻センパイが心配しなくてもダイジョーブ」
えー、そうなんだ。
えーーー、そうなんだ。
え?
14
「うっしゃポテトポテト!ポテト頼むぞ!」
「だれかソフトクリーム取ってきてー」
「おい!ドリンク混ぜんなよ!」
「最初誰歌う?」
「俺国家から歌うわ」
「愛国心〜」
全員が飲み物を汲んで席に着いた所で、俺達はコップを持ち上げた。
「んじゃ、中間テストお疲れ様〜!カンパーイ」
カンっと音がなり、みんなが一斉にドリンクを飲む。テストの後の炭酸はウマイッ!と誰かが零す。おじさんみたい。俺は炭酸が苦手なのでオレンジジュースを選んだ。
「いきます、俺。聴いてください__君が代」
「マジで歌うんだ」
ごっちゃん……肥後のオープニングアクトが始まった。意外に伸びのいい声をしている。
「君が代の歌詞ってめちゃくちゃ綺麗な意味なんだよな。知ってる?」
「そうなんだ。知らなかった」
俺の横に座っている篠崎がポテトをつまみながら話しかけてきた。
「あなたの命が永く続きますように、みたいなのだった気がする」
「いい曲だ」
篠崎は眼鏡をぐいっと持ち上げた。雑学が似合うな。
「おい肥後!連続で歌うのやめろ!」
「お前らが次いれねーからだろ!」
肥後が続けて歌い出した。今流行りのバンドの曲だろうか。
「あ〜失恋ソングじゃん……クるな、心に」
「傷心したの?」
「いや、全然」
「失恋した人のテンションじゃん」
「俺カラオケ行くと歌詞の意味とかすげー考えちゃうんだよ」
篠崎は感受性が豊かなんだろう。俺なんてカラオケに行っても歌えて楽し〜くらいにしか思った事なかった。
「みんな合いの手いれて」
「いや分かんねえよ」
「ノリでいけるから!かっこの中のとこ!」
女児向けバトルガールのオープニング曲が流れた。なんだかんだ、全員ノリと勢いで合いの手を入れていてしかもばっちりハマっていたので思わず笑ってしまった。
「ほら、充も歌いなよ」
デンモクが奥に奥にと回され俺のところに来た。何故か、あんなにカラオケに行きたいと思っていたのに自分から歌う気になれなかった。俺はタッチパネルを操作して適当に履歴なんかを見ていた。一時期ハマってた、ちょっと昔のバディもののアニメの曲を選択する。
「うわっ懐かし、俺これ超好きだった」
「最後先輩が後輩庇って死ぬんだよな」
「え、そうだったっけ」
そうそう、俺はそのラストが受け止めきれなくて、どうしても誰かと共有したくて容くんにも見てと勧めたんだった。楠家はアニメ禁止なので結局断られてしまったけど。
イントロが流れる。誰かが手にしたマラカスがシャカシャカとうるさい。Aメロに入ると、この曲を知っているみんなも一斉に歌い出した。
ああでも容くん、口では興味ないとか言ってたけど、本当は見たそうだったな。容くんはアニメが見れないという事を知っていたから、俺は一緒に見ようとは言えなかった。
凄い面白かったよ、でもラストがしんどくて辛くて誰かと語りたいから容くんも見てほしいな、俺は興味ないしそもそもアニメは禁止されている、まあそうだよね。
それだけで、会話は終わってしまった。容くんは暫く何かを言いたそうにこっちを見て、結局何も言えないままだった。
(言えばよかったかな)
こんな事になるのなら、避けられる前に容くんともっといろんな事やればよかった。
あの時、一緒に見よう、俺と一緒に普通の事普通みたいにいっぱい遊ぼうって、言えばよかったかな。だって、容くんだって、普通の男の子だ。
「きみがぁ太陽ならぁ〜ぼくは月でぇ〜〜」
俺、全然知らなかった。
容くんが勉強の事で悩んでいたなんて。
俺からしてみれば容くんは賢くて馬鹿真面目で、そして一生懸命な人だったから。だから、俺にとっては容くんが人間関係以外で躓く事なんてないって思ってた。
高校受験の合格発表の時も、1年の時のテストで学年1位になった時も、1年で最後のテストの時も、容くんはいつだってなんともないような顔をしていた。__いや、違う。2年生のクラス替えの紙を見た時だけは。その時だけは、確かにずっと不安そうだった。迷子の子どもみたいな顔をして、ずっとずっと、俺の手を強く握っていた。
あの時ちゃんと、容くんに向き合えばよかったのかな。クラス離れて寂しいよって、俺も、本当は思ってたのに。
体育館に着いた俺達は、いや俺は、あっさりとその手を離してしまった。容くんの熱が名残惜しげに追っているのに気付かないフリをしながら、俺と容くんは、それぞれのクラスの列に並んでしまった。容くんは俺に、何を言いたかったんだろう。
「ずっとぉ……ずっとぉ〜〜〜、はなっ、さ、ない、いいぃぃい、う、うううううぅぅぅ」
「!?」
「み、充?」
「うああ、ぁああ、あああぁぁ〜〜〜っ……!!」
「ちょ、おしぼりおしぼり!」
「どうした、腹痛い!?」
瞳が熱い。後悔が止めどなくボロボロと零れ落ちる。熱唱しながら、涙が溢れて止まらなかった。液晶に映る文字もぼやけて何も見えない。周りにいた友達が面白いくらいに慌てふためいている。
「ひっ、うう、ぅ、ひっ、痛くないぃぃぃ……」
「は、腹減ったか!?」
「ほら、ポテト!アイスつけて食うと上手いから!」
「赤ちゃんじゃないんだから!」
「充も感情移入するタイプだったか……」
「そ"う"み"た"い"いぃぃ……」
「ポテト食え!」
「……あ"ま"く"て"し"ょ"っ"ぱい"ぃぃ……」
青春の味だ。思ったより美味しくなくて、でも美味しい。容くんはあまじょっぱいのも、焼きそばの味も、普通のアイスの味も、何も知らなかった。
「……あの時ぼくらぁ〜〜〜、ぐすっ、夢中で光をおいかけてぇぇ〜〜〜」
「いや歌い続けるんかい」
そして俺は容くんを知ったつもりで、なんにも知らなかったんだ。
15
「テスト結果返すぞー、順番に取りに来て」
カラオケ前にやったテストの結果が返ってきた。担任が順番に順位の書かれた紙を渡す。俺より前の出席番号の人が一喜一憂している。俺の順番が回ってきて、担任から紙を受け取る。13位。このクラスには30人いるので、まあ、本当に普通という感じだ。そりゃまあこんな順位だったら1組なんてなれるはずもない。
「充何位だった?」
「13」
「ふふん」
「や、何その顔。シノは?」
「10位」
「変わんないじゃん」
「変わるわ、TOP10に入れるのと入れないのではワケが違う」
篠崎は眼鏡・雑学キャラに似合わずそこまで頭がいいわけではない。10以内に入れた事を自慢気に語っている。
「いやでも正直、お前の順位より楠の順位の方が気になる」
「……うん」
あのカラオケで大号泣した後、俺はその場にいた全員に慰められながら容くんの事を話した。容くんに避けられている事、容くんの成績が下がっている事、だから一緒にいられない事。
みんな真摯に俺の話を聞きながら、なんか、生温いような視線を俺に送っていた。
「痴話喧嘩収束するといいな」
「痴話喧嘩じゃないし!痴話でも喧嘩でもないし!」
「はいはい」
軽く鼻で笑われ、流された。だって痴話ってあれでしょ、男女間のそういう話。違うし、俺も容くんも男だもん。
「今日は1人で1組行ける?」
俺は容くんに、テストどうだった、と聞きに行かなければいけない。それがどういう結果であれ、俺は容くんの事をちゃんと知らないといけない。
「うん、1人で行く」
篠崎はそっか、と笑いながら俺の肩を叩いた。
「なーんかアレだな、お前ら2人ともでけー赤ちゃんみたい」
「な、え、」
「2人でちゃんと仲直りできたら、俺泣いちゃうかも」
「待って、俺はそんなんじゃないよ!容くんは確かにデカイ赤ちゃんみたいだなって思ってたけど、俺はそんなんじゃないよ!俺ちゃんと大人だよ!」
「また言ってるわ」
どっちも子どもだよ、と篠崎が言う。じゃあこの状況を楽しんでる篠崎だって子どもだ。
昼休み、俺は昼食も取らずに容くんの教室に足を運んだ。そこには容くんの姿はなく、代わりに前喋った友達が「出てったよ」と教えてくれた。
容くんはイライラしたり気持ちが落ち着かなくなると、静かな場所に行こうとする。お昼休みの時もよく教室を出て、決まって実験室の勝手口で1人でご飯を食べていた。今まではお昼休みに容くんがいなくなったなと思ったら、よくお迎えに行ってあげていた。もしかしたら容くん、2年になってからずっと実験室でお昼食べてたのかな。
俺の足は実験室へと向かっていた。扉は閉めきられていて、まるで外と中とを明確に遮断しているようだった。
カラッと扉を開けると、端っこの勝手口の前で膝を抱えて座っている姿があった。胸が締め付けられるようだ。まるで脆い橋を渡るみたいに、そっと近付いた。
「容くん」
ピクリ、と少しだけ肩が震える。何も言わない。容くんの横には、返されたテストと線がたくさん引いてある問題集が置かれていた。俺なんかより、ずっとずっと、何倍も努力しているんだろう。
「容くん、しんどい?」
何も言わない。少し開いている勝手口の扉から、温かい風が吹き抜ける。容くんの汗ばんだ首を撫でた。
「ごめんね、俺」
俺、……。
その先が出ない。なんて言えばいいんだろう。どうすれば、容くんを支えてあげられるのだろう。
俺は黙ったまま、容くんも黙ったまま。自分の不甲斐なさに焦っていると、容くんはゆっくりと顔をもたげた。朧気に、微かに視線が交差する。
「……駄目だった。全然、良くない……。お父様に、顔向けできない」
「……」
「充といるから成績が下がっただなんて、思われたくない」
容くんの目は赤く充血していた。容くんは時々感情的になるけど、泣いた事なんて一度もなかった。
なんで、なんでそんなこっそり、俺のいない所で泣くの。
「……だから、もう、俺に関わらないで」
ねえ容くん、俺もこの前容くんのいない所で泣いたんだよ。
16
「っ、くしゅっ……やっぱり3月に外でアイスは寒かったね」
「薄着だ、馬鹿」
「なんか合格発表でドキドキしちゃって、防寒とか全然考えてなかったから」
「……」
「えっ……、マフラー貸してくれるの」
「見てるこっちが寒いから、……つ、使え」
「ありがとう!でも容くんも寒そうだから、はんぶんこね」
「っ、う、え……」
「あはは、容くん背高いからうまく巻けないな」
「ぉ……」
「俺達はんぶんこにしてばっかだね」
「……」
「……」
「み、充は、高校生になったら、どう過ごす」
「どう過ごすって」
「部活とか、とも……友達とか」
「あー。部活はね〜、俺根性ないから入らないかな。友達?は、うーん、いっぱいできるといいね」
「……」
「あっ、なんか答え違った?」
「……いや、別に……」
「別に?」
「……」
「容くんは?高校生になったら友達できるかな」
「俺はいい。友達なんて、作らない」
「また?容くん一生友達俺だけだよ」
「……いい。どうせ、俺の家とか、顔とか、興味寄せるだけ寄せて、それで終わりだ。3年間だけの付き合いだ。そんなものいらない」
「もー、容くんほんと根暗、ネガティブ」
「……うるさい。お前が何も考えてなさすぎるだけだ」
「そんなこと無いよ!俺だっていろいろ考えてるよ」
「例えば?」
「例えば……んー………………。容くん……」
「え、ッ」
「容くん社会人になったらやってけんのかなーとか」
「余計なお世話だ!!」
「んふ、ごめん。容くん本当に人付き合い下手だもん」
「……余計なお世話だ……」
「……」
「……」
「……容くん、なんで俺はよかったの?」
「……よかった、って」
「なんで俺だけ容くんの友達になれたんだろーって」
「……………………」
「……お?……お、顔赤いよ」
「っ、うるさい、そんなこと、ない、み、見るな」
「隠さないでよ〜、なんで俺は友達になれたの?」
「〜〜〜っ……、ぅ、み、充、は、普通、だったから……だ」
「え、貶されてる……?」
「違う!そうじゃない、そうじゃない……。充だけ、俺を普通に扱ってくれた。普通だって、言ってくれた、から……」
「……んへ、……へー、ほう」
「……なんだよ!」
「逆張りも時には役立つなあって」
「どういう意味だ……」
「んーん!んじゃ、俺は特別だね」
「特別……」
「……もし、容くんに友達ができたら、俺はそうじゃなくなるかな」
「……?」
「……ん?いや、別に容くんに友達できていいじゃん、いい事じゃん。ね」
「は?」
「容くんに友達できたら、俺、びっくりして街中パレードするかも!」
「するな!」
17
「充ー、ちょっとおつかい頼まれてくれない?」
「えー……めんどくさいよぉ……。俺今ナーバスなんです……」
「はいはい、青春してますねぇ」
休日、リビングのソファーでぼーっとテレビを眺めてる俺の視界の端に、がま口の財布がチラついた。渋々それをお母さんから受け取って中を確認した。2000円。
「きよこ姉ちゃん、子ども達も連れて遊びに来るからなんか買ってきて。コンビニでいいし」
「へいへい。余ったらもらっていいの?」
「余ったらね。あっ、きよこ姉ちゃんはミルクティーで私は炭酸水ね。まりちゃんはオレンジジュース、てっちゃんはチョコが好きって言ってた。てっちゃんは炭酸飲めない」
「注文多いな」
「はい、お願いね」
無理やり立たせられ、そして無理やり家を追い出された。
あちー、梅雨明けたばっかなのに。ひきこもってばっかだったから、この太陽光は今の俺にはちょっと厳しい。もうすぐで日も暮れそうなのに、全然暑くてへたりそうだ。
この辺りは割と田舎なので、徒歩圏内にコンビニがない。ゆったりと、田んぼに沿いながら自転車を漕ぐ。通り過ぎる風が気持ちいい。人なんて、農作業をしているおじさんしかいない。なんだか歌いたい気分だった。
「きみがぁ太陽ならぁ〜ぼくは月で〜、ずっとぉ、ずっとぉ〜、離さないからぁ〜」
後輩を庇って死んだ先輩、かっこよかったな。
でも、残された後輩の事を考えると心臓が痛くて痛くてしょうがない。2人で生き残る道はなかったのかな。
「ふふーんふーん、記憶のなかぁ〜、燦然と輝くぅ〜、たからもの〜、……」
ふと、昔の事を思い出した。
容くんとアイスをはんぶんこして、バレないようにこっそり食べた事。容くんに一緒に帰ろうって行ったら、静かに頷いた事。俺が一緒に歌ってあげるって言ったら、なんだか泣きそうな顔をしていた事。
容くん今、何してるかな。
あれ以降、俺は容くんに会っていない。学校ですれ違う事もない。何かを察したのか、周りのみんなが囃し立てる事もなかった。
「あの時ぼくらぁ〜、夢中で光をおいかけてぇぇ〜…………あっつ〜……」
信号でじっと止まると、一気に汗が吹き出てくる。目の前、コンビニはすぐそこだ。
自動ドアが開くと、冷たい風が流れ込んできて思わず涼しー、と声が出る。
(なんだっけ、ミルクティーと炭酸水、オレンジジュース……は紙パックのでいいか。チョコと、てっちゃんのはなんかてきとーに)
店内を一周してお目当ての物をぽんぽんとカゴに入れる。コンビニで2000円、気を抜くとすぐに使い切ってしまう。残ったら俺のポケットマネーになるから慎重に選ばないと。
(あとは、……あ)
冷凍のショーケースの前で立ち止まる。外は暑いし、何か食べながら帰ろっかな。
視線を横に移動させながら吟味する。そしてふと、1番値段の安いアイスが目に入った。俺が初めて容くんにあげたアイス。はじめてはんぶんこしたアイスだ。いつだっけ、最後に容くんとアイス食べたの。
思い返してみて、驚いた。去年の夏以降、俺は容くんにご褒美をあげていない。すっかり忘れていたのだ。俺って酷いやつだな、あんなに容くん喜んでいたのに。
アイスを俺から受け取る容くんのキラキラした目。宝物を見るみたいな目を思い出して、少し泣きそうになった。気が付けば俺はそのアイスを1本手に取って、レジに向かっていた。
何を話そうかとか、どうやって会えばいいんだとか、そもそも家にいるのか、とか。
いろいろ考えなきゃいけないはずなのに、自転車を漕ぐ足は止まらない。容くんは今なにしてるんだろう、って考えた時点で、もうこの未来は見えていた。
遠いよ、容くんの家。コンビニと真逆だよ。こんなんじゃアイス溶けちゃうよ。だから、全力で、一生懸命ペダルを漕いだ。
ああそっか、俺、ずっと容くんに会いたかったんだ。
容くんの家が見えてきた。ちょうどのタイミングで、門から誰かが出てくる。__容くんだ。
家の前には高級車が停められていて、どこかに向かうようだった。続いて出くんと、容くんのお父さんも出てくる。俺は自転車から降りて、近くに寄った。
はっと息を呑む。3人とも、よく仕立てられた上質なスーツを着ている。思い出すのは、出くんの言葉だった。パーティー、友達。今からそこに行くのだろうか。そこに行って、容くんや出くんみたいにキラキラしてる人と出会うのだろうか。俺とは全然違う、容くんの横に並んでも違和感のない、ちゃんと釣り合う人と友達になるのだろうか。
じゃあ、俺ってもう、容くんの特別なんかじゃなくなるのだろうか。
がしゃん、と自転車が音を立てて倒れる。それに反応した3人がこちらを見る。容くんのお父さんは不審な顔をして、出くんは驚いた顔をして、そして容くんはもっと驚いた顔をしていた。俺は容くんの方に歩いて行く。進行の先に、阻むように容くんのお父さんが立った。
「……また君か。容と関わるなと言っただろう。今、急いでるんだ」
「……ひとつだけ、容くんに渡したい物があるんです」
「……」
無言は肯定とみなし、俺は容くんに近寄った。容くんはまるで何かに怯えるように俺を見る。守りたいものが守れないのって、本当に怖い。
「はい、これあげる」
「……これ」
「ご褒美だよ。容くん、ずっと頑張ってたから」
そのアイスを袋ごと差し出した。ひとつ、まるまる。
「こんなタイミングじゃはんぶんこできないね。それにもう溶け始めてるかも」
「……」
「後で1人で食べてもいいし、出くんと食べてもいいし、お父さんと食べてもいいし、……捨ててもいい」
「……!」
「……容くん、」
「っ……」
なんで否定してくれないんだろう。なんで受け取ってくれないんだろう。なんで、なんで、俺と一緒に食べるって言ってくれないんだろう。
俺はアイスを持った腕を力なく下ろした。アイスの袋から水滴が落ちるたび、じくじくと心臓も痛くなった。容くんの澄んだ瞳が揺れる。小学生の時から何も変わらない。いや、そうじゃなくて、変わってほしくないって俺が思ってたんだ。
「容くん、もう俺の事いらなくなった?」
声が震える。容くんのお父さんも、出くんだって見てるだろう。こんな空間で、俺だけ場違いで、俺だけ空気読めなくて、でも口から出た言葉は止まらない。
「もう俺がいなくても大丈夫になっちゃったの?」
お願い、そんな事言わないで。お願いだから、いつもみたいに俺の後ろにいて、俺のあとをついてくる容くんでいて。俺以外の全部が嫌で、俺だけ許してくれる容くんでいて。
「……い、行かないで容くん、どこにも行かないで。先に行かないで、置いて行かないで、おれっ、俺の、見えないところ、まで、行かないで……おねがい、おねがいだから……」
泣くつもりなかった。縋るつもりもなかった。これだけ渡して、じゃあねって言って、そしたらもう、容くんの世界に入らないようにするつもりだった。なのに、結局こうだ。
容くんには俺がいないといけないんじゃなくて、俺の方が、容くんがいないと駄目だったんだ。
「容くんがいなくて、寂しい……」
手からアイスが零れ落ちる。ぐしゃっと音を立ててアスファルトに転がった。
背の高い影が俺にかかる。苦しいくらいの熱を感じた。締め付けられた肩が持ち上がる。ぴたりとくっついた心臓はとくとくと俺の体に響いていた。
「死んでるみたいだった、ずっと」
容くんの顔が肩に埋まる。Tシャツにじんわりと涙が滲んだ。喋るのが決して得意ではない容くんは、声を震わせていた。
「俺にはもともと何もない。でも充は違うだろ。人気者で、みんなから愛される。俺は違う……気付いたらいつもこうだ。変えられないんだ。充と離れて、充が他の誰かと楽しそうにしてるの見て、焦って、何もうまくいかない……。死んでるみたいだった。充と離れてから、何も、楽しい事なんてなかった……」
容くんは鼻をすすって顔を上げ、そして地面に落ちたアイスの袋を拾った。
「……ずっと欲しかった。俺の頑張りが足りないと思っていた。もう一生貰えないかも、って」
「なんで、そんな事ない!容くん以上に頑張ってる人いないっ……、俺が、容くんの事ちゃんと見てなかった……ごめんなさい」
「……謝るなよ、結果以外で褒めてくれるのは、充だけなんだ……」
容、と呟く声が聞こえる。容くんのお父さんは、容くんを見て固まっている。
「俺、好きなんだ。本当は、充がくれた普通のアイス、全部好き……1番美味しい。でも、……充が半分食べてくれないと、意味がない」
「!」
「だから、っ、これで最後にしたく、ない……」
容くんはアイスの袋を持った手で涙を拭った。ずるいよ容くん、そんな事言ったら手放せなくなる。容くんには俺が必要で、俺にも容くんが必要で。俺達、ちゃんと2人で一緒にいたいんだ。
「あーもう、2人とも泣いちゃったよ」
俺達をずっと見守っていた出くんが口を開いた。仕方なさそうに苦笑いを零して容くんのお父さんを見る。
「もういいんじゃないですか、おじさん」
「……そんな、許せるわけない……」
「……なんでですか」
駄目だと思いつつも、容くんのお父さんに歯向かってしまった。そうだ、俺はもともと容くんをこの人から救ってあげたいと思っていたんだ。
「なんでですか、俺が一般人だから容くんに関わっちゃいけないんですか!」
「そうだと言ってる!」
「なんで!」
「__だって!」
容くんのお父さんは激昂する。そして俺は数秒後、何も反応できなくなった。
「そんなぽっと出の一般市民に、うちの可愛い息子はやらん!!」
__は?
「こんなに可愛い息子、どこぞの馬の骨だか分からんやつに手垢をつけられたくない!」
「……???」
「容がここに来る前の学校で、容がどんな扱いを受けたか分かるか!興味を寄せるだけ寄せて、……クソッ!、つまらん人間だと、すぐ離れて行って……」
「お父様!その話はもういいです、時効ですっ!」
「だから容には相応しい人と関わってほしいんだ!!」
「……え」
俺は馬鹿にみたいに口を大きく開けて容くんのお父さんを見た。
え、え。つまり、それは……。
「超親バカ……」
「そんな低俗な言葉で括るな!」
あっ、そうだったのか、そうだったのか〜!?
俺にあたりが強かったのって、俺と容くんを離れさせようとしてたのって、大きすぎる愛が故の行動だったんだ!?ああ、そう……。
「じゃあ、容くんの成績が下がったから俺と離れろってのは……」
「……」
「……俺と離れさすための、こじつけた理由ですか……」
「……」
図星なのだろう。態とらしいほど咳払いをし始めた。ああなんか、急にこの容くんの顔にそっくりなおじさんが可愛く見えてきた。ツンデレって遺伝するんだな……。
「容くんの事本当に大切なら、もっとちゃんと、容くんの意思を尊重してください」
「っ……」
「……お父様、それは、本当ですか……」
容くんもお父さんの心理をしらなかったのだろう。目をぱちくりと見開きながらお父さんを見ている。
容くんのお父さんは、ばつが悪そうにぽつりと呟いた。
「……容の成績が良いだとか悪いだとかは、些細な事だ。お前はどうしたって努力し続けるだろう」
「……お父様……」
「この子と隔てた事によって容が落ち込んでしまったのなら、謝る。……すまなかった」
「! そんな、お父様……やめてください」
頭を下げたお父さんを、容くんは慌てて止めた。そした容のお父さんは俺の方に体を向けた。
「……君にも悪い事をした。大人気なかったよ……。すまない」
「本当ですよ」
「み、充!」
「もっと親子でちゃんと話し合ってください」
「……ああ」
「あと俺、容くんにとって、とっても大事な人みたいです。俺も、容くんが大事です。だから、容くんとたまには遊んでもいいですか?」
容くんが俺を見てぴたっと固まった。容のお父さんは今まで強張っていた表情を緩め、はは、と力なく笑った。
「……君は凄いな」
「……」
「分かった。……今度うちにも遊びにおいで。詫びないといけない事がたくさんある」
「ほ、本当に!?本当ですか!?」
「ああ、本当だ」
俺はやったー!と容くんに抱きついた。容くんも嬉しいのか、ぶるぶると体を震わせていた。
「ありっ……ありがとうございます、お父様……」
容くんのお父さんはふっと笑って、……ちょっと涙を堪えて、いやむしろ、ちょっと悔しそうにしながら車に乗り込んだ。お騒がせヤローすぎるぞ、親バカモンペ。
「おじさんのあんな顔初めて見た〜。はは、辻センパイすげー。俺とも今度遊んでよ」
「え?」
「おじさんから貰ったバイト代いっぱいあるんだよ、どっかデート行こうよ」
「え?」
「しょっぴくぞゴラァ!!!」
容くんは出くんに殴りかかろうとしていたが、出くんはそれを華麗に躱してわははと笑いながら車内に吸い込まれて行った。
容くんは俺を抱きかかえたまま、窓越しに出くんを睨みつけている。
「容くんも乗った方がいいんじゃないの?パーティーでしょ?」
「……行きたくない……」
「もー、よく分かんないけど、行かないといけないんでしょ」
「行きたくない。知らない人とたくさん喋らないといけないの、嫌だ……」
「修行だね」
ぐい、と容くんの体を押してもなかなか離れない。容くんは手にしている物を見つめて名残惜し気に呟いた。
「アイス……」
「溶けちゃったね。仕方ないよ」
「……」
食べたかったんだろうな。俺とはんぶんこして。
堪らなくなり、俺はもう一度ぎゅっと力強く容くんに抱き着いてあやすように頭を撫でた。
「容くんがパーティーで頑張って人と喋ったら、また買ってあげるよ。今度はちゃんとはんぶんこして、容くんのお家で食べよ」
ね?と容くんの目を見ると、容くんは顔を赤くしてゆっくりと小さく頷いた。
容くんはようやっと俺から体を離し、車の扉を開けた。車内に乗り込む前に、俺の方を振り返る。
「……また月曜日。朝、待ってる……」
パタン、と扉が閉まり、エンジンを噴かせて車が発進した。
1つ深呼吸をして、倒れた自転車を起こしてサドルに跨った。反対方向、ペダルに足を乗っけて俺も発進させる。
夕方、涼しくなった風が頬を撫でた。あぜ道を通りながら、俺は口ずさんでいた。
「きみがぁ太陽ならぁ〜ぼくは月で〜、ずっとぉ、ずっとぉ〜、離さないからぁ〜……」
そうだね、ずっと離せそうにもないなあ。
18
「……そういうわけで、容くん、俺らと一緒にご飯食べますんで」
「今日!?急!」
「あらやだ!ちょっと、片付けないと!」
「早めに言ってよー!俺今日コンビニ弁当なんだけどー!」
「いやみんな改まりすぎ」
いつものお昼休み。俺はいつもどおりクラスの友達と固まって席をくっつけていた。でもいつもと違うのは、この中に容くんが加わるという事だ。
「痴話喧嘩終わったと思ったら……成長しすぎじゃない?」
「容くんもね、人嫌い克服しようと頑張ってるんだよ。……いやだから痴話でも喧嘩でもないからね!」
ぎゃいぎゃいといつも以上にはしゃぐ俺達の教室に、可哀想なくらい恐る恐る扉が開く音が聞こえた。
「あ、容くん!こっちだよ」
「……ぉ……」
「はい、座って!どーぞ」
「……し、失礼、します……」
まさに借りてきた猫。俺の前じゃそんな事言わないくせに。容くんはたくさんの目に囲まれて、かなり緊張しているようだった。でもやっぱり俺の友達は流石だった。相手が誰であれ、いつものテンションで会話をしてくれた。
「楠、いっつも昼何食ってんの?」
「こういう、普通の弁当、だけど……」
「普通のレベル高〜!そのそれ、からあげ?超美味そう」
「肥後、たかんなよ」
「たかってねえよ!」
「……食うか?」
「へ!?いいの!?」
意外すぎる発言に、みんなは目を丸くした。ちょっと俺もびっくりしてる。容くんの方からそんな事言うなんて。容くんからからあげを受け取った肥後は、大事そうにそれを食べて、目を輝かせた。
「んっ!え!ウマ!?なにこれウマ!?」
「そ、そうか」
「すげーな、このレベルのもの毎日食えるんだ!……全然敵わないと思うけど、俺のパンも一口あげる〜」
そう言って、肥後は手にしていた焼きそばパンをちぎって容くんにあげた。
「容くん、焼きそば初めてじゃない?」
「……ああ」
「焼きそば初めて!?」
「今日は焼きそば記念日だな」
「……なんでこれは、パンに挟まっているんだ?」
「生粋のぼっちゃんだ……すげー……」
容くんは動物みたいにくんくんと匂いをかいで、少しだけ口に入れた。上手く口に入らなかった麺がたらんと垂れる。なんか可愛い。周りのみんなもそれを見てニコニコと笑っていた。
「な、なんだ……甘い……?しょっぱい……、なんで麺とパンが合うんだ……?」
「ハハハ!!食レポ斬新すぎるだろ!」
「他にも食べた事ないのある?」
「多分いっぱいあるよね、容くん」
「食わせて〜」
ケラケラと笑い声が響く。容くんは気恥ずかしそうに、でも嫌な顔はしてなかった。よかった、ちゃんと打ち解けてる。周りも容くんが意外と絡みやすいと安心したのか、自分のご飯を分け与えたり、容くんに質問したりしていた。
「楠くん、面白いね」
「……は、俺が……?」
「うん、だいぶ面白いと思うけど」
「初めましてのタイプだからな。喋ってて楽しいわ」
「……俺がか?」
「そうだって」
容くんはぱちくりと目を見開いた。驚くよね、そうだよね。なんだか俺は胸がざわざわしている。
「……そんな事言われたのは、初めてだ」
と、容くんは微かに笑った。一気に周りのボルテージが上がる。あの楠が笑ったぞ!と、SSRを引き当てた時のような高揚感に似ていた。
容くん、楽しそう。あー、めっちゃ楽しそうじゃん。へぇ、楽しそう。
「……る、みつる」
「……」
「おい、充」
「あ、へ!なに!」
「おい、顔。凄い顔してる」
「へっ」
「笑って笑って」
隣の篠崎がこそっと耳打ちした。え、俺どんな顔してたんだろう。と思い、広角を無理やり引き上げた。そこで、自分が全く笑えていなかった事に気付いた。この場で、この空気で、俺だけ。
「あー……」
「痴話じゃん」
「いや、だから……、…………」
「否定しないんだ」
うっせ、うっせ。ガンッ、とみんなの見えない所で篠崎の足を踏んづけた。
19
その日の帰り道、俺達はコンビニに寄っていた。前までは容くんは外で待機していたけど、今は一緒に店内に入っている。容くんはアイスを選ぶ楽しさを覚えたらしい。
「……これ」
「これでいいの?」
こくりと頷いた。いろいろあるのに、選んだのは結局あの1番安いアイスだった。
購入して店を出て、そのアイスを2つに分けて半分を容くんに渡した。
「はい、今日お昼いっぱい頑張ってたね」
「……ん」
「感動しちゃったよ。俺、容くんがあんなに他人と喋ってんの初めて見た……パレードしなきゃ……」
「パレードするな……」
帰路を歩きながらアイスを頬張る。遂に容くんに食べ歩きを覚えさせてしまった。流石に容くんのお父さんは怒るかな。これは秘密にしておこう。
いやはや、熱い。とにかく熱い。だからこそこの安くてなんの変哲もない普通のアイスが美味しく感じた。
「……お前の友達、みんな、……い、いいやつだった……」
容くんは恥ずかしそうに口を開いた。
わ、わー!嬉しい、嬉しいのに。それと同時に、ちょっとモヤモヤしてしまう。容くんの中のいいやつ、俺だけだったのになあ。最近まで、俺には無い感情だと思っていたのに。
「これは……そうかぁ……」
「は?……なに?」
「こんな感じかー。って、思ってんの」
「何が?」
容くんは何も分かっていないようだ。容くんはさんざんこの感情を抱いてきたのだろう。容くん、俺の事大好きだし。
俺はアイスをもそもそと食べながら不可思議そうな顔をする容くんを見上げた。
「じぇらし〜」
つまり、ヤキモチ。焼かれるのはいいけど、焼くのはしんどいんだ、これ。
あーんと最後の一口を放り込むと、横からボタボタと音が聞こえた。容くんの手元からアイスが垂れている。
「容くん、溶けてる溶けてる!早く食べ__」
ないと、の忠告は吸い込まれていった。
ちゅっ、と俺の口から音が鳴る。
ん、俺の口?容くんの口?いや、どっちかなんてどうでもいいや。
ほんのりとソーダの味がするそれは、すぐに俺の口から離れていった。……柔らかかった。
「……いや、……食べるの、間違ってる、よ……」
「……………………ま、間違って、ない……」
「……アッ、へ、……へぇ〜……」
容くんは流石の俺でも見た事ないくらい真っ赤な顔をして、空いている方の手で必死に表情を隠した。
なんっ、なんだよ、それ。
俺もつられて顔を赤くさせる。
ちょっと待って容くん、意外と順序踏まないタイプ。ねえ、自分で仕掛けといて気まずくならないでよ。
「容くん」
「……」
「容くん〜?」
「……」
「よーくんっ!」
「……う、うるさい、な」
「ハーっ!?他に言う事あるんじゃないですか!?」
俺は容くんの前に回り込んで、道を塞いだ。容くんは顔を真っ赤に、汗をびっしょり流しながら口を震わせた。
「な、なかったことに、……」
ムカついて、思わずほっぺを抓った。
「いっ!?」
「なかったことにしていいの?」
「っ、え……」
「他の言葉、俺、ちゃんと聞きたい」
ボタ、ボタ、と容くんの手を伝ってアイスが溶け落ちる。もう原型は残っていない。勿体無いな。仕方ないから、俺がまた買ってあげる。
容くんは口をパクパクと開いたり閉じたり、面白いくらいに目を泳がせている。
す、す、す。音を震わせながら息が漏れた。頑張れ、あとちょっと。ほんの少しだけ、素直になって。
そしたら俺も、ちゃんと素直になるからさ。
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