うやむやプラズマ

1

 俺のクラスには可愛い男が二人いる。一人は俺の親友と、もう一人は俺。ここでの可愛いとは顔のつくりの事を指す。


「はい、あーんして、あーん」

「恥ずかしいって」

「……イヤなの?」

「ああもう、そんな顔しないでよ、食べるから……」

「んふへへ、あーん」

「あー……」


 教室に、苺の乗ったショートケーキ。多分ケーキの方もここで食われるんか、と思っているだろう。なかなか不釣り合いだ。

 可愛い可愛い俺の親友__[[rb:琴奈 > ことな]]はやや恥ずかしそうに口を開けて、フォークに刺さっているケーキを食べた。俺の差し出したフォークから、ぱくっと。一口でいったそれは琴奈の口には大き過ぎたらしく、口の中に入り切らなかった生クリームが口の周りに付いてしまった。

 まあわざとだけど。俺はこの可愛い琴奈を見たかったんだ。クリーム付けたままもぐもぐしてる。可愛い!


「クリームついてるよ」

「おっえ」

「取ってって?」

「ん」

「うん、いーよぉ」


 可愛いーっ!少し恥ずかしがりやなのにそこそこわがままなのも可愛い。俺は琴奈の口の周りに付いたクリームを指ですくい取り、ごく自然にそれを舐めた。


「口いっぱいに頬張る琴奈も可愛いね」

「……ん、わざわざ手作りのケーキを家から持ってきて調理室にこっそり隠してた[[rb:天眞 > てんま]]も可愛いよ」

「えへへ、ありがとう」


 褒めてるのかかなり微妙だけど、琴奈に可愛いって言われたからヨシ!




 俺のクラスには可愛い男が二人いる。一人は俺の親友と、もう一人は俺。ここでの可愛いとは顔のつくりの事を指す。訂正、顔のつくりだけじゃない。俺達は中身まで可愛い。こんな可愛い男子高校生が同じ場所に2人も揃ってしまい、世界のバランスは保てるのだろうか?俺達が同じ時期同じ場所に集ってしまった事により欠けてしまったどこかの可愛い要素は何かで補わないといけない。子犬とかハムスターとか。頑張れ世界!


「__あのさあ」


 ふと声が聞こえて机の横の辺、お誕生席の方に目をやる。人がいた!人っていうか、クラスメイト。俺達の友達。


「あ、なんだ、いたんだ太郎」

「気付かなかった」

「いやずっといたよ!!」

「もっと存在感出してよ」

「割と音立てて食事してたよ!お前らが自分達の世界に入り過ぎなの!」


 太郎、俺達のクラスメイトで友達。よく一緒にお昼ご飯を食べる仲だ。太郎は嫌なものでも食べたみたいな顔をしながら俺達の顔を交互に見た。


「お前ら、ここ教室、お昼休み、分かる?」

「だから?」

「周りに人いっぱいいんの、分かる?」

「馬鹿にすんなよ」

「自覚ある上でそんな事やってんの!?」

「そんな事って?」

「言わなきゃいけないの……?その砂糖吐くくらいのイチャつきっぷりをさ……、ああ、思い出しただけで寒気が……」

「失礼だな!こんなに眼福な事ないでしょうよ、可愛い男達がイチャついてんだよ」

「あー……何言っても駄目だこの脳内お花畑野郎……」


 太郎は頭を抱えた。そんな事言いつつも俺達とご飯を食べる事は辞めないんだから、太郎もなんだかんだ俺達の事大好きなんだろうな。これ言ったら殴られそうだから言わないけど。

 そして太郎の悩みなんてお構いなしに俺はもう一度琴奈にケーキを食べさせた。一口食べてしまえば慣れたようで、二口目は自然と口を開けてくれた。可愛い。そして太郎はまた俺達をじとっと見つめる。


「ずっと聞きたかったんだけどさ、お前ら……

付き合ってんの?」


 俺は太郎の方に顔を向けた。琴奈も目線を太郎の方にやる。そして無言の時間が流れた。


「……え?なに、俺悪い事言った?」

「やだなあ、やめてよ太郎」


 俺と琴奈はくつくつと笑った。


「付き合ってないよ!」

「付き合ってないよー」


 タイミングもばっちり。打ち合わせしたみたいに同じ言葉が出てきた。それにまた俺達は目を合わせて笑った。太郎はそれを見てドン引きした。


「こわ……いろいろ怖……もうお前らに関わんの辞めようかな……」

「そんな事言ってさ、どうせ課題見せてって泣きつくのは目に見えてんだよ」

「否めねえ……」


 あーもうなんか腹いっぱいだわ、とげんなりしながら一言呟いて太郎は自分の席に戻って行った。俺達見てたらダイエットにもいいんじゃない?なんて、どこまでもポジティブな事を考える。俺は顔が可愛いし性格も可愛いので自己肯定力が高いのだ。


「また言われちゃったね、付き合ってるのかって」

「嫌なの」

「うーうん!全然!」


 俺はにんまりと笑い、琴奈の手を自分の手でぎゅっと包み込んだ。琴奈はぴくっと眉を動かした。そんな事をわざわざ聞いてくる琴奈が可愛い。俺も琴奈に質問してやろう。


「琴奈は?イヤなの?」

「……嫌じゃないよ」

「んふへへへへ」


 抑えきれなかったのかほんの少し広角を上げ、ほんのすこーし頬を赤く染めた琴奈が可愛くて可愛くて俺は今にも踊りたい気分だった。でも踊らない。だって琴奈の手を握る時間のが大事だからね!




 付き合ってるのか、って言われたら嬉しいし、勘違いされてたとしても自分達から否定はしない。あーんってするし、口の周りに付いたクリームだって舐められる。俺は琴奈の事可愛いなーって思ってるし、琴奈も俺の事可愛いって言ってくれる。


 でも俺達は付き合ってない。付き合おうとも思っていない。多分、お互いに。





2

 さてここで可愛い俺達の事を紹介しよう。俺達は別に付き合っていないし、昔からの馴染みの仲でもない。高校に入学し同じクラスになって、俺達は初めて顔を合わせた。


「明星天眞です、みんなと仲良くなりたいです!よろしくお願いします!」


 最初のオリエンテーション、俺の自己紹介の後、教室がざわついた。それもそうだ。出席番号1番の奴がこんなに可愛いくて雰囲気もいいなんて、寧ろ噂になってくれないと困る。教室のいたる所で「可愛い」「凄い名前」「可愛くない?」と囁く声が聞こえてくる。ふふん、どうだ。入学前に美容室も行ったしスキンケアだってバッチリした。俺は高校こそちゃんと友達を作ってみせるのだ。


 そして後ろの席の……伊藤太郎が自己紹介をした。特筆すべき点は無い、顔や名前通りの普通の男だった。以降の数人もそれに倣うように当たり障りの無い自己紹介をしていた。だから俺は完全に油断していたのだ。


(よしよし、かなり好感度高いんじゃないか?俺。可愛いし笑顔もバッチリ!)


 しめしめと俺が密かに笑っていた時だった。


「鬼束琴奈です。よろしくお願いします」


 その声を聞いて、パッと顔を上げ、声がする方を見た。俺の列の最後尾、窓際の特等席、凛と澄んだ声。一瞬の静寂の後、教室がまたざわついた。

 そして俺は声も出なかった。なんせ、


(カッ……か、か、か、)


 可愛い〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!


 そう、その男は可愛いすぎたのだ。

 小さい顔、大きい目、薄い唇、白い肌、明るい髪の毛。全てのバランスが完璧だった。俺の自己紹介から数分しか経っていないのに、また最強に可愛い男が現れてしまった。クラスの女子は嬉しい悲鳴を上げた。俺も嬉しい悲鳴を心で叫ぶ。だって俺は可愛いものや可愛い人が大好きなのだ。やっと見つけた、俺と一緒くらい可愛い男。


 全員が自己紹介を終えてオリエンテーションも終わった休み時間、俺は鬼束琴奈の席まで一直線に向かった。


「ねえねえ、どこ中?」


 琴奈の席の前に回り、机の上に手をついてぐいっと顔を近付ける。琴奈は目を見開いて俺の顔を見た。瞳が零れ落ちそう。近くで見ても可愛い。


「え……っと、ヤマチュー」

「へえ、遠いね!同中の人この学年にいるの?」

「一人もいない」

「!……ほう」


 俺はそれを聞いてニコッと、いや、ニヤッと笑った。


「じゃあ俺と友達になろ!」

「え……?あ、うん……」


 こうして俺達は半ば無理やり友達になった。

 もしかたら、……そんな事はないと信じたいけど、琴奈はあまり乗り気じゃなかったかもしれない。でも俺が毎日毎日しつこく琴奈に付きまとっていたらいい加減琴奈も俺に慣れてしまったらしく、数日後には冗談を言い合う関係に、そして数ヶ月も経てばお互いを可愛いと言い合う関係になった。


 そしてあまりにも琴奈が可愛いので俺のスキンシップはだんだんと大胆になっていき、ボディタッチ、手を繋ぐ、膝に乗る、抱き着く、顔を極限まで近付ける、キスする、


「ちょっと待て」

「ん?」

「ん?じゃないの、なんて?」

「だから、ボディタッチ、手を繋ぐ、」

「違う、最初じゃなくて最後」

「キスする」

「聞き間違いじゃなかった」


 目をぐるぐると回し、太郎はぴたっと手を止めた。珍しく琴奈は放課後用事があるみたいで、太郎と二人でファストフード店に来ていた。やっぱり太郎は俺達との関わりを断てないらしい。


 俺達の話を顔を顰めながら聞くくせに、お前らって中学一緒だったっけとか、なんでそんな糖度の極地みたいな事すんのとか、興味津々なのだ。太郎もなかなか可愛いやつだ。

 ズズズとメロンソーダを吸う。もう無くなったみたいだ。


「俺もう一個買ってくる〜」

「いや待って待って待ってここで中断しないで」

「もう、なによ」

「なによじゃないでしょォ!?え、お前ら、え……キス……すんの?」


 太郎は人目を憚って声量を落とした。


「うん」

「……」

「……あっ!違うよ!?べろんべろんのやつじゃないよ!?」

「表現」

「俺が琴奈のほっぺにチューするの。何回もじゃないよ、たまーに」

「……何故?」

「琴奈の可愛いが最高潮に達して、堪らなくなっちゃったら体が勝手に動くの」

「交番行こうか、俺と一緒に」

「やだやめて!引っ張らないで!おまわりさーーーん!!」

「それはこっちのセリフなんだよ!!」


 ぎゃいぎゃいと騒いでいると周りの視線を集めてしまったようで、店員さんにも冷たい熱を送られた。太郎はこほん、と咳払いをするとなにやら真剣そうに俺を見た。


「もういい加減付き合えよ、お前ら」

「なんで」

「おかしいんだよ、距離感が。いっそ付き合ってくれたほうが清々する」

「ん〜……」

「……なんで悩む?天眞は琴奈と付き合いたいとか思わないの?」


 今日の太郎はやけにグイグイくる。俺はもう飲み干したメロンソーダに刺さっているストローの吸い口をガジガジと噛んだ。


「思わない」

「それはなんで?」


 はいでた、一番難しい質問。テストよりも俺の苦手な球技よりも何よりも難しい。難しいけど、言葉にしてみれば極めて単純だった。


「俺のこれは恋愛感情じゃないでしょ」


 だって俺の恋愛対象は女の子だ。多分。この多分というのは、恋愛なんて暫くしてこなかったのでイマイチ自分自身の恋愛感情に敏感になれないだけで、バイである可能性も実は残されているかも、という意味の多分。

 とはいえ、いくら可愛いくても琴奈とそういうお付き合いをしようとは思わないし、多分琴奈も一緒の気持ちだろう。


「よく言うよ。あんだけのイチャつき具合を見せといてさ……」

「イチャつくのと、そういうのは別でしょ。それに、別にさ、付き合う理由とか意味も見いだせないし」

「はあ」

「だって今のままでも十分幸せだし!俺と琴奈はこれでいーの」


 手持ち無沙汰な俺はメロンソーダが入っていた紙コップを傾け、氷を口に流し込んでガリガリと噛んだ。うっすらと甘味料の味がする。


「二人の関係って何?友達以上、恋人未満か……」

「あっ!?それ地雷だから言わないで」

「ハァ?」

「確かに友達以上で恋人ではないけど、恋人未満って言われるのは腹が立つ」

「なんなんだよマジでさ……」

「普通に恋人みたいな事もしてるし、いや、普通の恋人よりラブラブな自信、あるね」

「本気で付き合うか黙るかどっちかしてほしい」

「いやん、こわい」


 太郎が俺の頭に手刀した。割とちゃんと痛い。


「じゃあ家族みたいな関係?」

「んー、家族じゃ絶対に出来ないような事もするし、それもちょっと違うんだよな」

「じゃあなんだよ」

「俺と琴奈の関係にピッタリの名前なんて付けられないんだよ。百歩譲って、親友」

「……」

「なにさ、その顔!」

「いや……、もうなんでもない。なんでもいいや……」


 太郎がトレーを持って返却口に移動しようとしたので、慌てて俺も着いていく。


「あ、太郎もちゃんと親友だと思ってるよ」

「無理やり俺をその中に入れんなよ、勘弁してくれ」





3

「琴奈!かえろっ」

「うん」


 次の日の放課後。俺達は校門を出て、それはそれは自然に手を繋いで駅に向かった。普通のじゃない、指の間に指を絡めるやつ、恋人繋ぎ。誰が恋人繋ぎなんて付けたんだろうか。恋人じゃなくたって、俺達にはこの繋ぎ方が一番しっくりくる。


 琴奈は今日一日ずっと寝癖を気にしていたようで、空いているほうの手で少し外側に跳ねた髪の毛をくるくると指に巻きつけていた。んん、可愛い。


「琴奈、昨日の用事ってなんだったの?」

「ん?……んー、大した事じゃないよ」


 は、はぐらかされている……!

 俺と琴奈はラブラブだけれど、時々こうやって琴奈に話題をぼやかされる事がある。


「なに、なに!?秘密!?俺に言えない事!?アッ……!!う、う……うのヤツですか……?」

「うのヤツ……?」

「うきわ……」

「浮気ね」


 その単語を聞きたくなくて、俺はぱしっと耳を塞いだ。禍々しい響きだ。言いたくもない。

 琴奈の口が動く。多分、違うよ、と言っている。俺は恐る恐る手を下ろした。付き合ってもないのに何が浮気だ、と突っ込む人間はこの空間にいない。


「別に言うほどの事じゃないから」

「じゃあ言っても良くない!?」

「……言うほどの事じゃなさすぎて、なにしたか忘れた」

「絶対嘘じゃん!」


 あからさまな嘘!可愛いから許すけど!

 俺はむう、と琴奈を見た。そんな琴奈は俺を見てべ、と舌を出す。可愛すぎる。可愛すぎるゆえ、俺は琴奈に抱き着いた。身長が同じくらいなのですぐ側にあった琴奈のほっぺに自分のほっぺをうりうり擦り付ける。琴奈の口からあうう、と声がもれる。可愛い!


「あーあ……」

「どうしたの」

「このまま琴奈と一体化出来ればいいのに……」


 そしたら琴奈の考えてる事全部分かるし、琴奈に俺の全部あげられるのにな。隣からふふ、と笑う声が聞こえる。そして、俺達はまた手を繋いだ。


「今日は帰ったらなにしよう?」

「天眞が見たいって言ってた漫画仕入れたよ」

「うさにゃんエイリアンず!?」

「うん、うちおいで」

「やったー!琴奈大好き!!」


 俺は琴奈に甘いし、琴奈も俺に甘い。砂糖水で割った蜂蜜に浸かってるみたい。





4

「太郎ってどうせ弟か妹が一人いて、中学の時の成績はオール3で、緑化委員で、目立たない割に不憫な目に合う事多いでしょ」

「なんで分かんの!?」

「絵に描いたような平凡さだね〜」


 美術、相手の顔を描く授業。奇数人数のクラスなため、俺と琴奈と太郎でグループを組んだ。太郎が琴奈を描いて、琴奈が俺を描いて、俺が太郎を描く。本当は俺が琴奈の顔を描きたかったけど如何せん俺は絵がめちゃくちゃ下手だ。この画力で琴奈の可愛さを描こうなんておこがましいにも程がある。よって琴奈のスケッチ権は泣く泣く太郎に手渡した。

 絵って難しい。思うように手が動かない。だから俺は手を動かす代わりに口の方が良く動いてしまった。


「太郎は見た目と中身が一緒だね。面白い」

「なにも面白くねーよ。俺はお前らみたいにキャーキャー言われる顔のが良かったけど」


 ガシガシと太郎の輪郭をなぞっていく。フリー素材の男の子みたいな顔だ。俺は太郎の顔好きだけどな。


「んー、そうかな」


 目と、鼻と、口、バランスが取れない。線が歪んだ、消さないと。


「そうだろ。その顔があれば得だろ、人生」

「あー……」


 うまいこと消しゴムで消せなかった線は黒く滲み、痕が残ってしまった。これはこれで味があるのかもしれない。


「でも俺、中学の時カースト最下位だったし」

「嘘、え?」

「ヤンキーのパシリやってたんだよ」

「天眞が?」

「ウン」


 太郎が顔を上げて俺を見る。琴奈は俺の顔を描いている手を止め、チラッと視線をこちらにやった。


「顔が可愛いからかな?1回目つけられてから標的にされ続けてさ、だから友達も作れなかったし」


 俺はヘラっと笑う。太郎はぽかんとした表情をしている。琴奈は、多分いつも通り。


「ヤンキーとか、あとオラオラしてる人もずっと怖くて苦手。タツセンみたいに大きい人も怖い。余計体育嫌いになっちゃった」


 タツセンとは、俺達の体育教師である。

 だから太郎くらいが一番丁度いいんだよ、と言うとごめん、と返された。別に謝ってほしいわけじゃなかったのに。俺はこの湿っぽい空気が嫌で、話題の矛先を変えた。


「琴奈は中学の時どんな感じだったの?今より小さかったのかな?絶対可愛い!」


 俺の髪の毛を描いているのだろうか、シャッシャと素早い筆音がする。琴奈はたっぷりと間を溜め、作業は止めずに呟いた。


「………………普通だよ、今と変わんない」


 はい、絶対嘘!!


「もー!琴奈っていっつも昔話してくれない!」

「琴奈って結構秘密主義だよな」

「琴奈の一番は俺なのに!全部話してよ!」

「俺の話してもつまんないでしょ」

「つまんなくないよ!?大好きな人の昔の話なんて隅から隅まで聞きたいよ!」


 大好きな人、という言葉の強さに反応したのか、琴奈が微かに笑った。んぐ、キュンキュンするぜ。そして反応したのは琴奈だけじゃなかった。クラス中の女子の視線を集めてしまったようだ。太郎はそれにハッと気付いて、まるでたかる虫を払うかのようにみんなに向けて手首をぶんぶんと振った。


「声でけえよ!おい、このクラスの女子はみんな獣だから気をつけろ!」


 無視無視。太郎の忠告なんて耳に入ってこない。


「ねえ教えてよぉ、どんな子だったの?身長は?得意だった教科は?仲が良かった子は?全部教えてよ!」

「うん」

「うんじゃないの!」

「ふふ、今度ね。見て、天眞」


 またまたはぐらかされた!!でも俺の関心は一気にそちらに移ってしまった。琴奈が完成したらしい俺の似顔絵を見せてくれた。そして俺はその絵を三度見くらいした。


「か、可愛い……!」

「俺の力作、少女漫画風天眞」

「すげえ!?」

「琴奈ってこういう絵上手かったの!?」


 琴奈は少し得意気に笑った。


「天眞、こういうの好きかと思って」

「……ッ……グゥ……!!」


 あぶねーーー!!あまりの可愛さと愛しさに画板割るところだったあぶねーーー!!

 太郎は俺の制御する感情に気付きドン引きし、そしてクラスの女子は一斉に手を止めて俺達をガン見した。


「もう!これではぐらかせると思ってるの!?好き!!!!!」

「うん、俺も」

「あああマジで辞めてこんな所で始めないで外出てってください」





5

 とまあ、俺達は平穏でラブラブで誰も介入出来る隙のない、それでいてどこか不安定で曖昧な学生生活を送っていた。はずだった。


「鬼束琴奈、いる?」


 ヒッと引きつる扉の近くにいたクラスメイトの声が聞こえた。無理もない。クラスメイトに声を掛けたその男は、1つ上の素行不良で有名な先輩だったからだ。

 というか、ちょっと待って、今誰を呼んだ?


 その人物に気付いた琴奈は、今まで見た事が無いレベルで顔を顰め、自分の机の横に下げていた紙袋をひっ掴んでその先輩の元に慌てて駆けて行った。

 その先輩に紙袋を渡しながら、来ないでって言ったじゃん!と感情的に怒る琴奈。どれも全部、俺の見た事無い顔だった。

 

 俺と太郎はその様子を唖然としながら見つめた。

 なんだか楽しそうにからかう先輩と、うんざりした様子の琴奈は暫くやりとりをして解散をした。はあ、と溜め息をつきながら琴奈は戻ってくる。そして何も無かったかのように席に着いた。


「琴奈、い、い、今のって……」

「……気にしなくていいよ」

「いや気にするよ!?あの人とどういう関係なの……?」


 苦い顔をし、そしてぽつりと呟く。


「中学の時の先輩」

「仲いいの!?」

「良くないよ」

「よ、良さそうだったじゃん!」

「良くないよ、本当にそんなんじゃないから」


 ね?と首を傾けながら琴奈は俺の両手をぎゅっと握った。拳一個分の距離。すぐ唇が触れられる距離にあるけど、俺はどうしてもそんな気分になれなかった。


「近いって!他所でやって!」


 太郎が俺達の間にしたじきを挟んだ。それにハッとして俺は琴奈から少し離れた。俺はじっと考える。天眞?と心配そうに言う琴奈の掛け声も耳に入ってこなかった。


 もしかしたら、もしかしたら……琴奈もあの先輩に絡まれてたのかな。中学の頃の俺にみたいに、ヤンキーのパシリとかしてたのかな。


 そこで俺はピーンと閃いた。


 だから琴奈は中学の頃の事話したくないんだ!俺だってあんまり昔の事思い出したくないもん!そりゃそうだ!だとしたら、琴奈はオレが守ってあげないと!


「琴奈!」

「はい」

「悪いやつなんだね、あの先輩!」

「え?」

「大丈夫、俺が琴奈を守ってあげるから!」

「え??」

「つ、つぎも琴奈があの人に絡まれたら、俺がやめてって言ってあげる!」


 決まった!武者震いをするみたいに俺は体を震わせた。こんな可愛い俺でも、大好きな子を守りたいと思う度胸はあるのだ。

 そんな俺の一大決心を前に琴奈は暫く無言を貫き、そして頬を染めてふふふと笑った。


「ありがとう、でもあの人には近寄らない方がいいよ」

「やっぱり……怖い人だから!?」

「こわ……まあ、うん。だから関わらないでね、絶対」

「じゃあ琴奈も関わっちゃダメ!」


 俺は琴奈に抱き着いた。あやすように、琴奈が俺の頭を撫でる。絶対離さないと言わんばかりに力を込めると、琴奈の着ていたカッターシャツが皺くちゃになってしまった。

 なんだか凄く不安。琴奈は誰にも渡さない!





6

 その先輩の名は、相楽遊と言うらしい。

 俺の知っている情報は、俺達の1つ上で、琴奈と同じ中学出身で、派手な顔と体と髪と素行の悪さが有名で、教師も手をこまねいているという噂がある事だった。

 ヤンチャぶってるとかじゃない、本物の愉快犯。悪行を一つの楽しい遊びとして罪悪感なくこなしてしまう、そういうタイプ。


 ザ・俺が最も恐れている人種の1位。俺は中学の頃、こういう男達に散々奴隷にされてきた。だから、いくら琴奈を守ると決意したとて、怖いものは怖い。


「おい琴奈ァ、14巻だけ抜けてたんだけど」


 その男__相楽先輩は次の日もまた俺達の教室に着て琴奈を呼びつけた。俺はギュンッ!と相楽先輩の方を見る。琴奈は最悪、と一言零し、嫌々相楽先輩の方に歩いて行った。

 琴奈と相楽先輩は話し込んでいる。琴奈は相楽先輩を見上げて文句を言っていた。俺、琴奈に怒られた事ないのに!!


 気付けば俺の足はそこに向かっていて、琴奈と相楽先輩の間にバッと入って琴奈を自分の背中に隠した。

 相楽先輩は一瞬驚いた顔をし、そして俺をじとっと見る。


「……誰?」

「こ、琴奈の親友です!」

「ちょ、天眞、いいって……」

「へぇ、てんまくんって言うの?」


 まるで品評するみたいな視線がやけに気持ち悪くて、そして上から見下される圧が怖くて、俺は体を震わせながらその場で固まってしまった。駄目だ!固まっちゃいけない。俺が琴奈を守らないと。


「あのっ!琴奈に関わらないでください!」

「は?」

「それではっ!」


 結界を張るかのように、俺はパシーン!と教室の扉を閉めた。すぐさま琴奈の手を引いて席に戻る。すると琴奈は手を振り払い、俺の肩を掴んで必死に俺に訴えた。


「天眞!お願いだから、二度とあの人と喋んないで!」

「それっ……それはこっちのセリフ!!琴奈もそんな簡単にあの人のとこ行かないでよ!」

「わかったから……」


 琴奈、変だ。あの人の事になると、俺の知らない琴奈がいっぱい出てくる。なんにも話してくれないし、琴奈と相楽先輩の関係もなんなのか知らない。モヤモヤして仕方ない。


「琴奈のばか……」


 ふと言葉が出てしまった。嘘、本当はばかなんて思ってない。これはただの八つ当たりだ。

 琴奈はちょっと苦しそうに顔を歪めて、俺の手を握った。





7

「おい琴奈ァ」

「琴奈〜」

「琴奈いるかー」


 性懲りもなく相楽先輩が琴奈に絡んでくる!!その度に琴奈はげっと顔を顰め、相楽先輩の元に行く。琴奈はよく相楽先輩に漫画を貸しているらしい。カツアゲだ!琴奈も優しいから断れないのだろう。

 そして琴奈が相楽先輩に呼び出される度、俺も一緒になって着いて行った。ぷるぷると体を震わせながら。琴奈から漫画を受け取ろうとする相楽先輩の手首を掴んだ。


「ん、どうしたのぉ」


 相楽先輩はニヤッと笑いながら俺を見下す。手を出したくせに怖さを拭いきれない俺は冷や汗をかいた。


「こ、これ、借りパクしないですかっ!う、受け取らないで、ください!」

「天眞!」


 琴奈は背後から俺をむぎゅっと抱きしめた。めちゃくちゃ慌てている。俺は獅子に猫パンチをする子猫と変わらない。

 相楽先輩は更に笑みを深め、俺の握力なんて無にする勢いで手を振りほどいた。


「借りパクなんてしないよ、なに、天眞くんには俺がそんな事する人間に見えるの?」


 見えるよ!めちゃくちゃ見えるんだよ!

 俺の顔を覗き込む相楽先輩が怖くて、俺はぴ!と鳴き声をもらして琴奈の後ろに隠れてしまった。情けない。守るとか言っておきながらこのザマだ。

 琴奈は後ろ手で俺を抱え込み、相楽先輩に何かを言って俺を引きずりながら席に戻った。

 琴奈からはあいつと喋るな関わるな近寄るなと口酸っぱく説教されたけど、そんなの俺だって同じ事を言いたい。俺は琴奈が相楽先輩に絡まれる度に、体を震わせながら間に入るだろう。


 そして今、移動教室で体育館に向かっている道中、本当に運悪く相楽先輩にばったりと出会ってしまった。太郎は俺先行くわ!と逃げ足早くこの空間から脱出した。薄情者!


「よぉ、琴奈。と天眞くん」

「ヒッ」

「……」


 相楽先輩は琴奈の肩に腕を回した。ハァァ、あれを思い出す。それまで俺をからかっていたのに、教師が横を通る時だけ同じように俺に腕を回して「俺達仲良しです、こういうスキンシップです」をアピールするあの時のヤンキー。俺はぶるっと体を震わせて相楽先輩の腕を琴奈の肩から下ろそうと試みた。しかしビクともしない。相楽先輩はそんな俺を見てくつくつと笑う。


「天眞くん、カワイ〜」

「!!」


 その言葉に真っ先に反応したのは琴奈だった。俺の力ではピクリとも動かなかった相楽先輩の腕は、琴奈に振り払われた。え?意外と力あるんだ。


「天眞、行くよ」

「あ、うん……」


 琴奈は俺の手を引っ張ってずんずんと歩き出した。相楽先輩は琴奈の横にピッタリとくっついたまま一緒に移動した。


「あー、琴奈は全然可愛くねえなぁ」

「……」


 相楽先輩の言葉をフル無視する琴奈は少し怖かった。無視するのは正解だと思うけど、でもその後の報復を考えるとゾッとする。


「おい琴奈、無視かよ?悲しいなあ、あの頃の琴奈はあんなに可愛かったのにな」

「え……」

「なんせ……」

「わーわーわーっ!!!!!」


 バチーーン!と甲高い音が鳴り響く。琴奈は相楽先輩の口を凄い勢いで塞いだ。俺は目を見開いてその光景を眺めた。


 俺、琴奈がこんなに慌てて大声を出す所なんて見た事ない。

 相楽先輩は楽しそうにその先を言おうとする。


「知ってる?天眞くん。こいつさ、中学の頃……」

「バカ、バカ!!黙って!!」


 ぎゃいぎゃいと騒ぎながら、相楽先輩は琴奈に連れられてどこかへ行った。俺は呆然とその場に佇んだ。そして先程までのやり取りを思い出して、一気にムカムカとイライラが襲ってきた。


 なんであんな人が琴奈の昔を知ってるんだ!俺は何も知らないのに。琴奈の一番は俺で、俺の一番も琴奈なのに。琴奈は俺のなのに!


「うううううーーーっ」


 俺は子どもみたくその場で地団駄を踏んだ。暫くすると琴奈は戻って来て、そしてまた何もなかったみたいに俺の手を引いて歩き出した。俺は珍しく抵抗して、手を振り払う。


「天眞」

「嫌だ!あんな奴が俺の知らない琴奈の事知ってて、俺が知らないの。ムカつく、ムカつく!」


 感情に任せて叫ぶ。琴奈の瞳が揺れる。

 琴奈はゆっくりと俺に近付いて、優しく俺を抱きしめた。


「今俺と一緒にいるのは天眞でしょ?昔の事は関係ないよ。今は今じゃん」


 ね?と可愛い顔で俺を見つめる。そうだけど、そうだけど!


「そうだけどぉ……」


 ぽす、と自分の頭を琴奈の肩に預けた。琴奈はよしよしと俺の頭を撫でた。絆されるな、いや、これは絆される。


「琴奈、中学の頃の話、言いたくない?」

「まあ、……うん」


 そう言われると、俺も深く探りを入れられない。俺はこのモヤモヤを抱えたまま相楽先輩から琴奈を守らなければいけない。


「大丈夫、俺は天眞が一番だよ」


 そう言って、俺の指に指を絡める。うん、俺もだよ。俺も小さく呟いた。


 それを陰でこっそり見ていた太郎。


「いやもうあれ付き合ってんじゃん……」





8

「あれ、琴奈は?」

「んー、今日休みー……」

「へえ、珍しい」


 その日、琴奈は風邪で学校を休んだ。朝琴奈からその旨のメッセージが届き、俺は絶望した。琴奈のいない日々になんの彩りも無し。俺は琴奈に会うためだけに学校に行っているようなものだ。あ、それだと太郎が可哀想だ。


「太郎も好きだよ」

「は?なに?いきなり、怖」


 こうやって歓談しても、イマイチ気分が乗らない。駄目だ。琴奈がいないと何もやる気が起きない。早く放課後にならないかな。本当は今すぐにでもお見舞いに行きたい所だけど、琴奈に止められちゃったし。


「じゃあ今日はあの先輩も来る事無いな。良かったー」


 と、太郎が安心したように呟く。あの先輩、とは相楽先輩の事だろう。

 そうか!相楽先輩はいつも琴奈に用があるから俺達に絡みに来るけど、琴奈がいないならこのクラスに来る理由もないだろう。それは嬉しい。


「はあー、久々に平穏な日常が……なにする?授業中に手紙の交換とかする?」

「小学生かよ。やらねえよ」

「またまた、俺画伯の絵見たくないの?ライオンの絵とか自転車に乗る人の絵とか見たくないの?」

「……それはちょっと見たいけど」


 太郎、素直!よしよしと頭を撫でるとやめろ!と抵抗された。そして何だかんだ授業中に手紙の交換をする。俺の描いた才能あふれる絵を見た太郎はぷるぷると震えていた。

 こうして恙無く授業も終え、無事放課後になった。やったぜ!相楽先輩にエンカウントしなかった!


 ……と思っていたのは数分前。


「あれー?琴奈が風邪ってホントだったんだぁ」

「ひょわっ」

「天眞くん、驚きすぎー」


 さっさと帰って琴奈の家に行こうと身支度をしていた矢先、凄い力で肩をポン!と叩かれ、恐る恐る後ろを振り返ると、その男はいた。相楽先輩!最悪だ!こんな時に限って太郎はいないし、なんなら他のクラスメイトもいない。正真正銘、この教室には俺達二人だけ。


「あんな奴でも風邪ってひくんだな」

「は、は、はひ」

「後で琴奈の家に見舞いに行ってやらねえとな」

「エッ!あ、あ!?それ、それはっ」

「あはは、そんなビビんないでよ。寂しかった?琴奈がいなくて」

「は、は、は、はい」


 俺がそう答えると、何が楽しかったのか相楽先輩はわははと笑い、俺の背中を思いっきり叩いた。痛い。この強さ、この理不尽さ!本当に嫌いだし怖い。俺は身を縮こまらせながら恐る恐る口を開いた。


「あああああの、琴奈、いないんで、ここにいても意味ないので、おひ、お引き取りください」


 それを聞いて相楽先輩は俺の背中を叩く手をぴたっと止めた。そして、体を屈めて俺の顔を覗き込む。怖くて泣きそうな俺と、心底楽しそうにする相楽先輩。まるで蛇に睨まれた蛙。いや、獅子にロックオンされた子猫。うう、嫌だ。なんで不良というのはこうもイニシアチブを取ってくるんだ。


「なん、なん、なんですか……よ、用がないのなら、俺、帰りますんで……っ!?」


 グシャッ!と音が鳴った。

 帰宅への一歩を踏み出そうとした瞬間、相楽先輩は俺の足にその長すぎる脚を掛けたのだ。(※絶対に真似をしないでね!)俺は無様に転ぶ。状況が理解出来なくて、俺は頭に疑問符をたくさん浮かべながらニヤつく相楽先輩を見上げた。


「???、は、へ??」

「さっさと帰ろうとしないでよ。俺が用あんの、天眞くんなんだけど」

「へ……」


 倒れた状態のまま床に膝をついている俺に視線を合わせ、相楽先輩もしゃがんだ。世界一ヤンキー座りが似合う。そして相楽先輩は俺の顔を片手で持ち上げた。強制的に視線を合わせ、不気味なくらい綺麗に笑った。


「やっぱ超可愛いね、天眞くん」

「あ、あ、え?」


 中学の頃の思い出がフラッシュバックして、カタカタと腕が震えた。相楽先輩は俺の腕をじっと見つめる。


「怖い?俺の事」


 怖いって言えば殴られそうだし、怖くないって言っても何されるか分からん!最適解を頭の中で考えれば考えるほど、体の震えは大きくなっていった。


「あははっ!めちゃくちゃ可愛いじゃん。怖いのに琴奈を守ろうとして俺の前に立ってぷるぷる震えちゃってさあ、ホント面白いよね。堪んない」

「!」


 この人、それでわざと琴奈にちょっかいをかけていたんだ!許せない!でも怖くて何も言えない!

 それでも俺は気持ちで負けてはいけないと、震えながらも相楽先輩を睨んだ。睨んだつもり。多分睨めていない。相楽先輩はそれを全く気にもせず、いや、寧ろ俺の顔を見て不自然なくらい楽しそうに笑っていた。


「可愛い!はは、すっごいイイね。無知で、無駄で、無力で、全部可愛い」


 俺の顎を掴んでいた相楽先輩の手が離れ、そのまま喉仏を伝ってゆっくりと降りていった。ネクタイのノットが掴まれる。それはじりじりと下がり、だんだんと解れていく。俺はなにがなんだか分からず、涙目になりながらその手を追った。鳥肌と悪寒が止まらない。


「琴奈の代わりに天眞くんでもいいよ」


「何が!?!?!?!?!?」


 やっと絞り出せた俺の声は人間の出せる最大デシベルを超えた。そのまま力の限り相楽先輩を振り解き、今までにないスピードで学校を飛び出した。


 もう嫌だ!なんなんだあの男!琴奈のなんなの!?最低、最低!代わりって何、本当に何!?


「うわあああああああ」


 走りながら、俺は考えられる最も最悪の答えに辿り着いた。


 もしかして、琴奈と相楽先輩って、付き合ってた?もしかしてそういう仲だった?やけに距離が近いのって、そういう事だったの!?


「わあ!わあ!!わあああ!!馬鹿、馬鹿!!俺のばかぁぁぁぁ」


 あまりにも混乱しすぎて取り敢えず自分を罵倒した。そうしないと気を保っていられない気がした。


 だって、だって!琴奈は俺の大好きな人で、琴奈は俺ので、琴奈の全部が好きだから琴奈の全部を受け入れなきゃいけないのに!それだけはどうしても許せない!

 でももっと許せないのが、琴奈がなんにも教えてくれなかった事。なんでずっと俺に黙ってるんだろう。なんで昔の事話してくれないんだろう。俺の知らない琴奈の事を考えるだけでモヤモヤイライラムカムカが止まらない。


 嫌だ。琴奈の事疑っちゃう前に、ちゃんと琴奈に本当の事聞かないと。


 俺はお見舞いのアイスを買うことなんかとっくに忘れ、急いで琴奈の家に向かった。





9

 俺は琴奈の家まで全速力で向かい、家に着いてからコンマ1秒でインターホンを数回鳴らした。数十秒後、少しだけ不機嫌そうな琴奈が出迎えてくれた。


「はぁぃ……」

「琴奈っ!無事!?誰も来てない!?」

「うわあ」


 琴奈の姿が見えた途端、俺は必死に抱き着いた。スウェット姿の気だるげな琴奈、可愛い、凄くいい。じゃなくて!


「た、体調大丈夫?熱は?喉痛い?あっ、来てない?俺以外に、相楽先輩来てない?」

「ちょ、ちょっと、落ち着いて」


 琴奈が俺をどうどう、と落ち着かせた。そのまま案内されて琴奈の部屋に入る。琴奈の匂いでいっぱい!最高!ずっとここにいたい!じゃなくて!


「うう、1日ぶりの琴奈の禁断症状が……」

「いいよ、いっぱいぎゅってしてあげる」


 琴奈はそう言って手を広げてきた。

 俺はおずおずとそこに向かう。


「風邪は?もう平気?」

「うん。熱もないよ。大丈夫、ありがとう」


 それを聞いて、思いっきり琴奈の胸元に飛び込む。俺を支え切れなかった琴奈はそのまま俺とともにベッドにダイブした。クスクスと笑う声が聞こえる。


「天眞、俺がいなくて寂しかった?」

「うん……寂しかった。琴奈は?」

「俺も」


 周りに誰もいないからか、いつもより素直な琴奈が可愛くて可愛くて、俺はまた目一杯琴奈を抱き締めた。痛いよ、と呟く顔は優しい。可愛い。


「さっき、相楽先輩に絡まれたよ」

「は?????」

「エッ」

「は?大丈夫?なんかされた?」


 一瞬、この空間がピリついた。先程までの優しくて可愛い顔はどこへ。


「えっと、足引っ掛けられて、転んで、ネクタイ、解かれそうになった」


 琴奈は口をぱかっと開けて固まった。


「琴奈の代わりに俺でもいいって言われて」

「え、は……?」

「琴奈、代わりって何?」


 体を起こして琴奈を見る。布団に埋もれたままの琴奈は瞳孔をキュッと開いて黙ったままだった。微かにぷるぷると手が震えている。


「……琴奈と相楽先輩ってどんな関係だったの?」

「それは……」

「代わりって……琴奈と相楽先輩は付き合ってたの?」

「違うよ!?そんな訳ない!!」

「じゃあなに!」

「……」


 琴奈はまただんまりを決め込んだ。嫌だ。なんでこの期に及んで何も言ってくれないんだろう。ただの先輩後輩でもない、恋人でもない、言えないような関係って何だろう、……あ。


「アッ、アッ、アッ……」

「……天眞、あの」

「も、もしかして……」


 恋人以上に最悪な関係、思いついてしまった。俺は口を戦慄かせる。


「からっ……体の関係っ……!?」

「ウッ!?違うよ!?!?」

「だって!だって!じゃないと、か、代わりって、……そういう事っ……」

「待って、違う、違うから」

「もう、じゃあなんなの!?」

「……っ」


 それでも琴奈は答えてくれない。俺は我慢できなくてとうとう琴奈に怒ってしまった。


「なんで何も教えてくれないの!?」

「天眞……」

「琴奈なんてもう知らないっ!」


 俺は部屋を飛び出した。琴奈が俺を呼ぶ声が聞こえるが、構わず外に出て走った。駅に着いて、無人のホームでボロボロと涙を流す。


「うううううーーーっ……」


 悔しかったし、悲しかった。琴奈に秘密にされている事、琴奈と喧嘩した事、お大事にすら言えなかった事。

 部屋を出る直前の、悲しそうに表情を歪めていた琴奈の顔を思い出すだけで胸が苦しくなった。制服の胸元を握りしめる。それだけじゃない。俺の知らない琴奈の事や、俺以外の琴奈の好きな人の事を考えると胸が張り裂けそう。


 俺達は付き合ってない。でも、それでも、俺は琴奈の事が大好きだから。





10

 泣きだして数分。


「うええぇぇ……ウッ、うう……琴奈ぁ……」


 普通に無理だった。琴奈と喧嘩したという事実が無理すぎて、電車を待つ数分の間にもうすぐにでもごめんなさいをしようと決意していた。

 琴奈寝てないかな、電話繋がるかな、とスマホを取り出そうとポケットを探る。無い。鞄の中を見てみる。無い!ヤバイ、スマホを琴奈の家に置いてきてしまった。取りに帰らないと。でも、めちゃくちゃ気まずい。しかも今琴奈の家に行ったら相楽先輩がいるかもしれない。嫌だ……いや、だからこそ俺が行かないと。じゃないと、もしかしたら、くんずほぐれつなことを……。


「すっ、すみませんっ!あの、出ます!」


 俺は駅員さんに話しかけてダッシュで改札を出た。


 どうしよう、琴奈と相楽先輩がそういう事してたら。俺のせいだ。俺が琴奈にちょっと酷い事言ったから、俺があのまま琴奈と一緒にいなかったしたらだ。もしその隙に琴奈と相楽先輩が良い仲になってたら__そんなの絶対嫌だ!


「殺してでも奪い取る……!」


 走りながら、生きてきた中で一番穏やかじゃない言葉が口から出てきた。悲しいという感情は一転して怒りに変わっていた。時に怒りは物凄いエネルギーに変換される。

 俺の過去一の全力疾走の果て、息を切らしながら琴奈の家の玄関で荒い息を整えた。ついでに気持ちも整える。頭の中でシミュレーションしていたのは、昔親から教わった何の役にも立たない護身術だった。よし、相楽先輩を薙ぎ倒す覚悟は出来た。


「たのもう!!!!!」


 インターホンを鳴らす。一回では出なかったので、ごくりと唾を飲み込みながらもう一度押す。出ない。俺は二度目の高速ピンポンをキメた。出ない……!!

 俺は慌てて扉の取っ手に手を掛けた。鍵はかかっておらず、簡単に中に入る事が出来た。玄関を見下すと、琴奈が普段履いているスニーカーと、その横に乱雑に置かれている大きいローファー。俺は冷や汗をダラダラとかきながら階段を登った。

 上の部屋から、なにやら揉めている二人の声が聞こえる。何を喋っているかは不明瞭だけれど、不穏な空気は感じ取れた。

 俺は心臓がバクバクと言っているのを必死で抑えながら、琴奈の部屋の扉に耳を預けた。


「おい、俺言ったよな?近付くな指一本触れるな喋りかけんなって」

「いたいいたいマジでやめて!ほんとやめて!骨折れるから!」


 絶句した。

 くんずほぐれつ、そんな可愛いものどころか痛みを伴っている。これはあれだろうか。相楽先輩が嫉妬深すぎて、俺と仲良くしていた琴奈に攻撃をしているんじゃ。


 震える脚を叱責する。駄目だ天眞、気持ちで負けるな。殺してでも奪い取る!

 俺は意を決して扉を開けた。




「おい相楽先輩!!琴奈から離れろっ……ん、ん、ん?」


 くんずほぐれつは大正解。

 いやでも、思っていたのと180度違った。


 俺はこれでもかと目を見開いてソレを見た。


「ん、ん、ん、ん?え?」

「!」

「わあ、天眞くん、さっきぶり……助けて」


 琴奈が相楽先輩に、それはそれは華麗にコブラツイストをキメていた。琴奈が、相楽先輩に。


「え?琴奈……?」


 俺と目が合う琴奈。ピタッと動きを止め、その状態で固まった。相楽先輩の顔が真っ赤になる。


「いやちょっとここで固まらないで!?マジで洒落にならんから!肉、ミシミシいってんの聞こえる!?死ぬ死ぬ死ぬ!!」


 琴奈はよく分からない顔で俺の目を見ながら、ゆっくりと技をかけるのをやめた。


 そして、一言。


「えー……。プロレスごっこです」

「なんで!?!?」


 ごっこの域じゃない!!


「俺と相楽先輩は昔プロレス研究クラブに所属していました」

「絶対嘘じゃん!!!!!」


 中学生でプロレス研究クラブに所属してるやつ見た事ないよ!俺は目を白黒させ琴奈を見る。琴奈はそれでも「俺、何か間違った事言ってる?」みたいな顔を貫いている。

 相楽先輩はそんな琴奈を見て盛大に吹き出した。


「琴奈、もうバレたんだし言えばいいじゃん」

「……」


 琴奈の眉がぴくっと動く。あんなに豪快な絞め技を披露しておきながら、何かに恐れるかのように琴奈の手が震えていた。

 琴奈が何も言わないのに痺れを切らせ、相楽先輩が口を開く。


「琴奈はね、ヤマチューで三年間トップ張ってたバリバリの不良だよ」


「え……??」


 トップ? フリョー?

 ……この顔で?


「……え、琴奈、本当……?」


 俺が恐る恐る聞くと、琴奈は気まずそうに俯いた。いじらしいその姿は、とても不良だったとは思えない。


「……本当って言ったら、天眞はどう思う?」

「……」

「怖い?俺の事。一緒にいるの、嫌になる?」


 そう言って、琴奈は黙ってしまった。


 __ああ。だから、ずっと隠してたんだ。


「琴奈」


 俺は琴奈に近寄り、そっと抱きしめた。びくっと体が震える。本当に、俺の琴奈はどこまでも可愛い。


「琴奈、怖くないよ。俺、どんな琴奈でも大好き」


 琴奈の瞳がふるっと揺れる。俺の背中に琴奈の腕が回った。


「……でも、俺、天眞の嫌いなヤンキーだったんだよ。殴り合いもしてたんだよ、自分より大きい男だってシメるし」

「うん、シメてたね……」


 俺は先程の光景を思い出して苦笑いをした。

 でも、俺を抱きしめるこの腕はいつも優しい。


「俺、こんなんじゃなかったんだよ、全然。可愛くなんかない……」


 背中にしがみついていた手がぎゅっと俺の衣服を握る。俺は胸がいっぱいになった。


「ううん、可愛い。ずっと、全部可愛い」


 ちゅ、と頬に口づけをする。琴奈は面くらい、固まったまま俺を見た。瞳がきらきらと光る。


「俺に嫌われるのが怖くてずっと隠してたの?」

「うん……」

「んふへへっ」


 俺はまたぎゅーっと力を込めて抱きしめた。俺はヤンキーが怖くて、琴奈もそんな俺に嫌われるのが怖くて、なんか変な感じだ。


「可愛いよ!大丈夫、大好き。琴奈の事、全部受け入れるよ。それに……」


 俺は琴奈に言われた事を思い出して笑った。


「今俺と一緒にいるのは琴奈でしょ?昔の事は関係ないよ。今は今じゃん」

「!」

「ね?」


 そう言って微笑むと、琴奈はなんだか泣きそうに顔を歪ませ、ふふ、と綺麗に笑った。可愛い。

 そしてその顔が俺の頬に近付く。さっき俺が鳴らしていたリップ音が、琴奈の口元からうまれる。それに気付いた俺は、顔を真っ赤にして琴奈を見つめた。


「は、はえ……」

「天眞、ふふ、凄い顔」

「こ、琴奈がちゅーしてくれた……」


 唇が触れたところに指を這わせた。思い出すほど、ゾクゾクが止まらない。


「一生顔洗えない……」

「何回だってしてあげるよ。でも、ほっぺだけでいいの?」

「へ……」


 琴奈の指が、俺の唇にそっと触れた。

 バクバクと心臓が音をたてる。いいのだろうか、そんな事。俺達は付き合っていない。でも、それをしてしまったら、俺達は。


「琴奈」

「なあに」

「琴奈は、俺の事……好き?」


 可愛く綺麗に、そしてなんだか少し男らしく琴奈は笑う。


「うん、世界で一番好き」


 耳が、体が、心が溶けそうだった。嬉しい、嬉しい!俺は琴奈が好きで、琴奈も俺が好き。こんなに幸せな事ってない。


「琴奈、してほしい」

「ん?」

「ほっぺじゃ足りない……」


 俺がそう小さく呟くと、琴奈はうん、と言って笑いながら顔を近付けた。ゆっくりと、あたたかな温度が俺の温度と交じる。俺は期待に胸を膨らませ、仄かに口を開けた。


 __お互いの唇が触れるまで、あとちょっと。




「……ねえ、俺いるんだけど」

「わあっ!!!!!」

「チッ」

「舌打ちしたよね!?」


 完全にその存在を忘れ去られていた相楽先輩は、我が物顔でソファーを占領していた。そうだ、相楽先輩!


「琴奈、相楽先輩とどういう関係なの?」

「ああ……ザコだよ」

「俺泣いちゃいそ〜……」


 およよと泣き真似をする相楽先輩。琴奈の正体が分かってから、一気にこの人も怖いだけの人じゃなくなってしまった。……完全に怖くないわけじゃないけど。


「もともとヤマチューのトップは俺だったんだけどね」

「えっ!?やっぱり怖い人だ……」

「俺、怖くないよ?可愛い子大好きだし!可愛い子には優しくするよ」

「嘘だ!絶対嘘!だって俺の足引っ掛けてきたし」

「……」

「無言で胸倉掴んでくんのやめて!?」


 琴奈はまた舌打ちをして相楽先輩をその辺に放り投げた。琴奈……本当はいろいろ我慢してたんだな……。

 相楽先輩は少し咳き込み、やれやれと肩をすくめた。


「こんな感じでさ、琴奈めちゃくちゃ凶暴でしょ……。可愛いなって思ってちょっと手出したら何故か琴奈にトップの座を奪われてて……だから、俺は琴奈の舎弟みたいなもんだよ」

「よく言うよ。性懲りもなく絡んできやがって」

「酷いなあ。琴奈友達いないから仲良くしてあげてんのに」

「あ?」

「スミマセン」


 言葉の応報。トップだったらしい琴奈によくもまあそこまでつっかかれるなと思うけれど、やっぱり上下関係は琴奈の方が上のようだ。


「え、じゃあ……あの、相楽先輩の言ってた琴奈の代わりに俺でもいいってのは……」

「ああ、俺の愛でる対象」

「エッ」

「俺可愛い子大好きだからさー。琴奈の事いっぱい可愛がってんのに無視されるし蹴られるし殴られるし、全体的に痛み伴うんだよ。酷くない?でも俺の癒やしには可愛い子って必要だからさ、それで天眞くん」


 相楽先輩が俺の方に近付いてきた。俺は反射的に体を震わせる。


「ほら!殴るどころか、俺が近付いただけでこんなに震えるんだよ。可愛すぎない?いっぱい可愛がってあげたい」


 ね?と言いながら俺の頭を撫でる相楽先輩。可愛がるって何。やっぱり怖い。このまま頭をグシャッ!って潰しそう。俺は先の事を考えてまた震えた。

 そして、そんな俺を引っ張って腕で守るように抱きしめる琴奈。


「残念。天眞は俺のだし、絶対渡さない」

「琴奈ぁ……!」


 琴奈が、天眞は俺のって!俺のって言った!

 俺は嬉しすぎてまた琴奈の頬にキスをした。胸がきゅーっとなって、幸せでいっぱいになる。琴奈がくすぐったそうにクスクスと笑う。可愛い!!


「もー、俺可哀想じゃん。ちょっと味見くらいよくない?一口さあ」

「次はジャーマンスープレックスかけるけど」

「じゃ……?」

「スミマセン……」


 その技を掛けられた事があるのか、相楽先輩は遠い目をしながら身を震えさせた。よっぽど怖い思いをしたのだろう。


「……そういう事だから、天眞。遊とはなんにもないから」

「琴奈……」

「……俺が好きなの、天眞だけ、だから……」

「……琴奈っ♡」

「あーもうマジで帰っていい?いや、帰ります、お邪魔しました」


 相楽先輩が部屋から出ていき、パタンと扉が閉まる。正真正銘二人だけの世界になった俺達は、それはもうデロデロの甘々にイチャイチャした。

お互い見つめ合っては笑い、何度も何度も可愛いを言い合った。

 ……ちゃんとキスしたかは秘密である。





11

「うっそ、うそ、嘘?」

「ホント」

「嘘つけよ」

「本当だって」

「……あれで?」


 寧ろミステリーだろ。開いた口が塞がらなかった。


 そよそよと穏やかな風が髪をなびかせる秋晴れの空の下。屋上で俺と琴奈は珍しく二人で会話していた。


「俺てっきり……二人はもう付き合ってんだと思ってたんだけどさ……え?付き合ってないの?最初からアレ?」

「まあ、うん」

「……ッハーーー……怖……」


 これだけ可愛い男が揃えば性別とか関係ない。あのイチャつきっぷりを見るに、どうせ付き合ってるんだろうなと思っていたが、全くの無実らしい。

 

「でもさ、流石にもう付き合ってるでしょ」

「いや、付き合ってない」

「正気?もしかして可愛い男同士付き合ってはならん条例みたいなの発令されてる?」

「されてるのかもしれない……」


 フェンスにもたれながら、琴奈は珍しく大きくため息をついた。


「付き合おうって言えばいいじゃん」


 そう言うと、琴奈はキッと俺を睨みつけてきた。本当に、天眞くんの前以外だと凄みが違う。


「断られるのが怖いんだよ」

「ブッ!!!」


 笑止千万。吹き出さずにはいられなかった。あの琴奈が。ヤマチューだけじゃない、近辺の中学も締め上げてトップに立ったあの琴奈が。断られるのが怖いという理由で告白出来ないなんて。面白いにも程がある。


「ヒィーッ!可愛いなあ琴奈!」

「ころすぞ……」

「はい怖い怖い。ってか、どう考えても天眞くんも琴奈の事大好きじゃん。99%うまくいくって」

「99だろ」


 琴奈は紙パックに入っているストレートティーをストローでずずずと吸いながら、ぼやっと呟いた。


「天眞は違うんだよ……。残りの1%の世界で生きてんだよ。俺に向けてるその感情は恋愛の好きじゃないって思ってんだよな。天眞、恋愛感情がなんなのかよく分かってないから」

「おこちゃま」

「可愛いよな」


 隠しもせず、天眞くんのなんでもを可愛いと言う。まあ可愛いけど。

 一面にひらがなの「を」を書いて「途中で訳分かんなくなっちゃった!これって本当にをって書けてる?」と天眞くんがノートを見せて、琴奈が「可愛すぎて俺がをになりたい」と言った時は、流石に意味が分からなくて俺が狂っちゃったのかと思った。多分、お互いが何をやっても可愛いと思う後頭葉になっているのだろう。


「だから、天眞を混乱させるくらいなら暫くはこのままでいい」


 大男泣かせ(物理的に)の琴奈が、こんなに健気だなんて。天眞くんは中学の頃の琴奈の事を知らないと嘆いていたけれど、俺からすれば琴奈の意外すぎる一面は全て天眞くんが知っている。天眞くんの方がかなりレアなのだ。猛獣使いと呼びたい。


「じゃあ天眞くんはフリーって事か。俺も参戦していい?」

「遊って利き手どっちだっけ」

「いやほんとごめんて冗談冗談!イッツアプリティジョーク!」


 琴奈は俺の左手の指をぎゅっと握った。ぎゅっと?違う、ごぎゅっと。ミシミシと骨が泣いている。というかなんで俺の利き手合ってんだよ。洒落にならない。琴奈はやるといったらやる男なのだ。


「……ま、遊のおかげで超可愛い天眞も見れたけど」

「どれだ……?」

「俺が守る!って、……ふふふ、俺、守ってあげるって言われたの初めて……可愛いよなあ、可愛いだろ?可愛いって言え」

「カワイーーーッ……」


 強要が過ぎる。恐喝と一緒だこんなのは。


「最近もさ、昔やられた俺の腕の傷跡見て『痛かったねえ、クラシック音楽とか傷跡に聞かせれば早く消えるかな?』とか言ってさ……馬鹿じゃない!?可愛いすぎんだよ!!」

「可愛い……?」

「すっっっ……げー可愛いんだよ……」

「聞いてないなこれ……」


 琴奈はニヤける顔を抑えようともせず、気味悪く笑った。天眞くんにも見せてあげたい。いや、多分これすらも可愛いというのだろう。全く、とんだバカップルだ。本当に怖い点が、カップルじゃないという事実。


「ま、琴奈が丸くなってなによりです……」


 あんなに荒くれ者だった琴奈がこんなに更生するなんて。全て「可愛い」という言葉の力だろう。


「禁欲生活だけは頑張りなね。さぞ苦しいだろうけど」


 こんなに顔が可愛いとはいえ、琴奈もれっきとした男子高校生だ。健全であればそれなりに性欲はあるだろう。一切手を出せない状況で、ゴールの見えない戦いに挑まなければいけないのだ。溜まるものは溜るしかなり辛いだろう。

 俺は琴奈のこの先の苦労を考えて十字架を切った。


「バーカ、楽しさしかないだろ」


 琴奈は片方の広角を上げて不敵に笑う。

 強い相手に向かう時の、琴奈の笑い方。


「今からじっくり仕込んで俺無しじゃ生きられないようにして他の女も男も寄せ付けずに気持ちいい事なんか何も知らないまま育てて18超えて体が成熟しきった頃にぐちゃぐちゃに抱いてとんでもない快感を覚えさせて俺とセックスする事が大好きな天眞にする計画はもう始まってんだよ」


「……わあ〜……」


 前言撤回。

 丸くなるどころか、尖り過ぎて先が見えない。


 誰だこの男を可愛いなんて言ったやつ。こんな強欲で雄臭い男、なかなかいない。

 どうやら、天眞くんは本当に厄介な男を捕まえてしまったらしい。十字架を切るべきは天眞くんの方だった。



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