そんなバレンタインもおいしい



 喧嘩をしてしまった。珍しく。


「本当、信じらんない!俺、めちゃくちゃ心配したんだから!!なんで連絡もしてくんないの!?」

「……」

「制服も血で汚れてるし……!」

「……これは俺のじゃない、返り血」

「そんなんどっちだって駄目だよ!もー、後で血抜きしないと……」


 ブツブツと文句を言う。なんとなく所在なさげにしているましゅうくんに、早くお風呂入って来て!と怒りをぶつける。

 ましゅうくんは何も言わず、素直に俺の指示に従って脱衣場に入って行った。


 喧嘩はもうしない、危ない事には関わらない、暴力を振るう人間とは縁を切る。誓いを立てさせたのに、ましゅうくんは今日それを破った。しかも、バレンタインの日に。夕食後にはチョコケーキでも焼いて一緒に食べようと約束していたのに、夜ご飯の時間になっても全然帰ってこないし連絡もつかないし、俺はパニックになって何のアテもなく外に探しに行こうとしていた。

 勢い良く扉を開けた所でちょうどましゅうくんが帰ってきて、俺はその場でへろへろと座り込んでしまった。当の本人は、なんの悪びれもなく普通にリビングに入って行ったので、流石の俺も怒りの沸点に達してしまった。ありえないよ、この俺が怒っちゃうの。なかなかないからね。


 怒っているので、ましゅうくんを待たずに先に夜ご飯を食べる。ましゅうくんのこの後の行動によっては俺、チョコケーキも作らないから。

 ましゅうくんは烏の行水並に入浴時間が短いので、すぐにお風呂から上がってきた。俺はまだ食べてる途中。


「冷たいの嫌だったらチンして」


 怒っているので、俺は動かない。俺に連絡もよこさず俺との約束も破るましゅうくんは、全部自分でやってどうぞ。

 ましゅうくんはタオルで頭を拭きながら食卓の椅子に座った。俺の真正面。冷たくなったご飯を、ましゅうくんはそのまま食べた。

 会話もないまま食事が続く。俺は先に食べ終わり、さっさと台所に移動して食器を洗った。もう、なんだよ。ごめんの一言くらいないの。俺がどれだけ心配したと思ってんの。

 本格的にご機嫌がナナメになってしまった俺は、洗い物を済ませてドタドタと足音を立てて自分の部屋に入り、ベッドの上にダイブした。もうチョコケーキなんて作ってやんない。血抜きだってしてあげない。ましゅうくんなんて、そのまま喧嘩続けとけばいいんだ。


「う〜……」


 なにかも分からない涙が零れる。多分、悔しいんだと思う。俺との約束をないがしろにされた事とか、俺の心配を分かってくれない事とか、全然謝ってくれない事とか。

 布団の上で足をバタバタとさせていると、コンコンと扉の向こうからノックの音が聞こえてきた。俺は何も応えない。すると、ゆっくりと扉が開いた。大きめの足音がこちらに近寄る。


「……おい」

「……」

「おい、……なあ、おいって」

「……おいってなんですか、それ誰ですか」

「……兄ちゃん」


 兄ちゃん、と緊張気味に言われたので、仕方なく顔をちょっとだけそっちに向ける。早く謝っとけば良かったのに。今の俺は、ちょっとやそっとでは機嫌が直らないからな。


「なに」

「……悪かった」

「なにが?」

「……喧嘩したのと、連絡しなかったの」

「……ヤダ、許さない」

「……」


 俺はまたましゅうくんから体をそむけ、枕に顔を埋めた。もうこのまま寝ようかな。

 背後でそわ、と忙しなく体を動かす音が聞こえる。多分、ましゅうくんもいろいろ考えてるんだろうけど、今日の俺は折れてやらない。


「兄ちゃん」

「……」

「兄ちゃん、ごめん」

「……」

「もうしないから」

「……」

「兄ちゃん、ごめんなさい、いやだ……」


 そんな事言って俺の服をぎゅっと掴むもんだから、本当に仕方なく、仕方なーく、ましゅうくんの方を振り返った。目がちょっと赤い。ましゅうくんは案外泣き虫なのだ。


「反省した?」

「うん」

「もう喧嘩しない?」

「うん」

「ん」


 両手を広げて、ましゅうくんに起き上がらせてとアピールをする。散々心配させたんだから、今日くらいは俺のわがままも大人しく聞いてほしい。

 ましゅうくんは俺の脇に手を突っ込み、ぐいっと起き上がらせる。そしてそのまま抱っこしてリビングに運んでくれた。


「……チョコケーキ、作んねえの」

「食べたい?」


 ましゅうくんはこくりと頷いた。もう、仕方ないなあ。忘れてなかったんならギリギリ許してあげる。


 そして見事、コロッと機嫌を立て直してしまった俺はルンルンでチョコケーキを作ってしまった。我ながらチョロいなと思うけど、まあ、そんなのどうだっていいや。

 型から抜いたケーキにナイフを入れて切り分ける。切るの、下手だった。大きさにだいぶ差が出来てしまった。


「ましゅうくん、大きいのでい__」


 隣にいたましゅうくんが、無言で俺の腕を掴んだ。ナイフを持ってない方、腕まくりされた全く鍛えられてない腕を持ち上げて、そしてそのまま、ましゅうくんの口の中に。


「えぇ……チョコケーキじゃないよ……」


 あむあむと、優しく甘噛みされる。寝起きとかにコレよくされるけど、意味は分からない。なんで今?いや、朝だったらいいってもんでもないけど。


「ましゅうくん、ちょっと、あの、……んぅ」

「ん……」

「く、くすぐったいから」


 舌が。ましゅうくんの舌が腕に這って、それが上下に動いて、変な気分になる。散々かみかみして満足したのか、ましゅうくんは口を離した。そして切り分けたチョコケーキと俺の腕を交互に見つめて呟く。


「一緒に食いたい」

「待って、俺の腕、チョコケーキと対等なの?」


 か、カニバリズム?ちょっとやだな、ましゅうくんに食べられたら。いや、ちょっとというか、絶対に嫌だけど。


「いつか食う」

「ヒエ……」


 怖くなって、ずいっとチョコケーキを差し出した。ましゅうくんはそれを受け取って、ご機嫌そうに食卓に向かう。全く、とんでもない子が俺の弟になったもんだ。


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