1
「よし、みんな揃ったな」
時は、中3の夏休み。
俺、一宮は自分の部屋に4人の男を集めた。
「は〜い、5人全員揃っております!」
「受験シーズンの大事なときに意味もない招集かけんなよ」
「てか何? なんの集まり?」
「俺、この後塾あるんだが」
「ばかもーん! 今日の招集は他でもない、お前らのせいだぞ!!」
4人は一斉にぽかんとしながら俺の顔を見上げた。全く、とんだ間抜け面共だ。
俺の家は市営住宅なので、とにかく自室が狭い。その中に発展途中の男達が缶詰になっている様子は、さぞ滑稽だろう。
俺はご近所迷惑にならない程度の、まあまあの声量を張った。
「なんか、お前ら……急にモテてないか!?」
そうなのだ。これは由々しき事態だ。
幼馴染で親友でズッ友の俺達は、本当に小さい頃からずっと一緒だった。一蓮托生、五人六脚、ニコイチ……ならぬゴコイチだった。ご近所でこの中の誰かの名前を出せば、ああ、あの仲良しグループの、と言われるくらいの認知度だ。遊ぶ時も、学校行く時も、学校の中にいる時も、みんなでずっと一緒にいた。だから、他人が介入する余地なんてなかったのに。
──最近、生意気にもこいつらはモテ出したのだ!
「え〜そんなことないよぉ。みんな友達なだけ!」
と、へらへら笑いながら喋っているのは、三好という男だ。
チャラい。昔はあんなに可愛かったのに。こいつのねーちゃんがギャルで、お母さんも元ヤンとの噂があるので、もしかしたら敷かれたレールの上を走っているのかもしれない。
「女友達との距離感を測りかねてる! 破廉恥! あんなっ……あんなにベタベタと触りやがって……!」
「え? そうかな」
てへへ、と頭をかいた。思わず許したくなる笑顔だ。
「モテてるって……何を見てそう思ったの」
俺のベッドを我が物顔で占領して、実に面倒くさそうに顔を上げているのは、四ツ谷。
幼馴染の俺達は何を考えているか大体分かるが、四ツ谷の事をよく知らない人達からすると、表情が読めなくて結構取っ付きにくいタイプだろう。一見、だうなー、な感じだ。
「だってさあ!? クラスの女子が、最近……かっこいいって噂してんだぞ! 俺らのグループの事!」
「へえ、よかったじゃん」
「よかったじゃん、じゃない!」
「なんで?」
「……その中に、俺の名前はっ……クソッ……!」
そうなのだ。何故こんなに俺が憤慨しているかと言うと、いつも5人でハッピーセットな俺達だったのに、その「かっこいい」と噂の中に俺の名前は含まれていなかったのだ。
「えー! そんな事ないのになぁ。こんなに懐が広い奴いないだろ」
そう言って俺の肩に手を回したのが、五藤だ。
わははと笑う姿はとても爽やかだ。スポーツマンっぽく、なんとなくサッカーやってそうだなという顔をしているが、実際にサッカーをやっている。サッカーやるために生まれてきたようなもんだ。
「……っ! そうだよな!? 俺にはお前らにない魅力があるはずなのに……!」
なんで! わざわざ俺の名を避けるように噂するんだ!? 俺だってかっこいいだろうが! ……と、憤って、チラッと俺の足元でお行儀良く正座をしている人物を見つめた。
──ああでも、こいつだけは俺と一緒に名前を呼ばれていなかったな。
「二井! どう思う、こいつらの事! 許せないよな!?」
「どうって……別に何とも思わないが」
こいつは二井。真面目、堅物、メガネ!
よくこんなアホな連中と共に十数年間行動してくれたな、と思うくらいまっとうに育っている。勉強一筋なので、こいつは己のみてくれに興味がない。つまり、そういう……「かっこいい」とは無縁なのだ。
「別にってさぁ〜。おかしくない? この三人だけ評価されんの! 俺達だって一緒のグループだっての!」
「……そりゃ、一個人として評価するだろ。俺達は違う人間なんだから」
至極まっとうな意見だが、俺はそういう答えが欲しいのではない。
「そうだけど! そうじゃない! む、二井は分かってくれると思ったのに……」
「つまり、なんだ?」
二井が頭にはてなを浮かべてこちらを見た。もう! 俺と同じ非モテだというのに、俺の気持ちを分かってくれない。
「つまり! モテるの禁止だ、お前ら!」
「え〜」
「モテるの禁止って……」
「それ、どうすればいいんだ?」
五藤、モテるのを自覚した上で悪意無くさらっと質問してきたな。
「それは……うん……まず、女子は全員無視しろ。で、俺達だけと話せばいいし俺達だけと遊べばいい。あと、悔しいけど……世間から見て、これ以上かっこよくなるのも禁止だ。垢抜けるな。垢戻せ」
「垢戻せって」
そうなんだよな。この三人の共通点、それは顔がいいという事だ。顔がいいからモテるなんて、俺みたいに心の美しさを研鑽している人に失礼すぎる。だからこそ異を唱えたいんだ。
「いいか? 絶対だぞ。今は中3の夏休みっていう大事な時期だ。そうこうしてるうち、あっという間に高校生になってしまう。そうなると……高校生になった途端、他の世界から来た女子たちが、あろう事かお前らに狙いを定めるかもしらん。だから、今のうちからこの負の連鎖を止めるんだ」
「モテることを負の連鎖って言うなよ」
今までお気楽にこいつらと遊んでいたが、中3になって徐々にそうもいかなくなってきた。受験が俺達の関係に侵食してきている。だから、もしかしたらこうやって悠長に5人全員で集まれるのは今年度中はこれで最後かもしれない。
「じゃあ、そういう事だ。二井、塾前に悪かったな。三好、ちゃんと勉強しろよ! 四ツ谷、寝るな! 五藤は……とりあえず最後の大会頑張れ。じゃあ、解散!」
みんなはやんややんやと文句を垂れながら帰って行った。さて、俺も勉強をするか。
俺達の志望校は同じ学校の同じ学科だ。ちなみに、俺と三好は頭の出来があまりよろしくはない。対して、二井は優秀だ。偏差値は明らかに違うのに、二井は自分が行けるはずのレベルからランクを落として、俺達と同じ所を志望した。何故? と聞いたら「近い所がよかった」と言っていた。
そして、逆に俺と三好は本気で頑張らないと多分受からないだろう。だから俺は、中3になってから高頻度で先生の元に通っている。おかげで、ちょっとずつ成績も上がっていった。三好もなんだかんだ二井から勉強を教えてもらってるらしいので、まあギリギリ大丈夫だろう。そして四ツ谷と五藤も多分大丈夫だ。
そして俺達は割と真面目に勉強し、見事志望校に合格して同じ学校へと華々しく入学する事になったのだ。
2
「よし、みんな揃ったなっ!!」
「うわ〜大きい声」
「近所迷惑」
「なんか久しぶりだな」
「俺、この後予備校行かないといけないんだが」
「もうちょっと俺が話しやすい雰囲気を作れよ!」
時は、高2の初夏。あれから2年弱経った。俺は再度、この4人に招集をかけた。何故ならば……
「おい、なんではちゃめちゃにモテちゃってんだよお前ら!?」
「たはは、それほどでも」
「仕方ないだろ」
「そんな事言われてもなあ」
「クソッ……つやつやした顔をしやがって!」
案の定、こいつら3人は高校に入って爆モテしてしまった。
俺のあの時の言いつけも守らず、着々と垢抜けていって更にイケメンに磨きをかけた三好、四ツ谷、五藤はそれはもう面白いくらいに女子からモテた。そして、現在進行形でモテている。
おかしい。なんでこいつらだけ。俺達はゴコイチだったはず。しかもおかしい点はもう一つある。
「なんでお前ら3人が同じクラスに固まってんだよ!? 学年のイケメンパワーバランス崩れまくってんだろうが!!」
「それは学校側が決めたことだから仕方ないだろ」
どういう運命のいたずらか、クラス替えでこの3人は同じ1組に固まってしまったのだ。対して俺と二井の平凡組は同じ2組になった。
「1組、他の奴らから『イケメンのクラス』って呼ばれてんだぞ!? たった3人のイケメンが及ぼす影響力、強すぎるッ……!」
「やったー!嬉しい限りじゃん」
「喜ぶな、愚か者! 俺はモテるの禁止って言った!」
「無理だろ。相手の方から勝手に来るんだから」
「クソ……! モテの発言……!」
羨ましい……じゃなくて!
「はぁ……。もう、お前らがモテてしまうのは仕方ない。なんというか……、生まれつき俺の懐が深いのと同じで、お前らの生まれ持った能力なのかもしれない。ようやく俺も気付いた」
「一宮も俺達がかっこいいって思ってんの?」
と、四ツ谷が言った。俺は顔をしかめた。
「……まあ。それは、認めるけど」
俺の顔を見て三好は口笛を吹き、四ツ谷はニヤッと笑い、五藤は俺の背中をばしばし叩いた。痛い。
本当は認めたくないが、三者三様に俺の好みの顔をしている。正直一度見ると目が離せなくなる。悔しいので秘密だけど。
「……だけどな、これだけは守れ。俺達の時間を一番に優先しろ! 女子にうつつを抜かすな! 女子だけじゃない、他の友達や約束事よりも俺達を優先しろ!」
「ええ……無理な時もあるよぉ」
「高校生にもなってそれは無理があるだろ」
「俺は部活もあるしなあ」
本当にこいつらは……。反抗期なのかしら。昔は俺が招集を掛ければすぐにみんな駆けつけてくれたのに。最近、俺がみんなに声を掛けても誰かしらは予定が入っており、全員が揃うことが少なくなってしまった。今日だって、2年になってやっと初めて全員が揃った。こういう事が続くのは阻止しなければいけない。
「うるさい! ごちゃごちゃ言うな。モテればそれで十分青春を満喫できるだろ。そこは許してやる。だから、その代わり俺達を優先しろ。今日みたいに俺が招集をかけたら絶対集まれ! そして昔のように誰が一番大きいクワガタを捕まえられるかとか、河原で誰が一番丸くて綺麗な石を探せるかとかをやるんだ」
「いつの話してんの?」
「懐かしい〜」
「もう俺クワガタ触れねえよ」
「と言う訳で、今日の所はこれで許してやる。二井、予備校前にすまん。三好、デートばかりするな! 不純異性交遊禁止だからな! 四ツ谷、だから俺のベッドで寝るな! 五藤、……は、まあ、部活頑張れ! じゃあ解散!」
そしてまたこいつらは小言を垂れ流しながら帰って行った。ここまで言えば、流石にこいつらも俺の言う事を聞いてくれるだろう。ちなみに二井はこの間一切の発言をしていなかった。
3
……言う事を聞いてくれるはずだった。
夏休みの終わり際に一度、全員に招集をかけた。が、三好が女の子と前々から約束していたと言って集会には欠席した。次に、テスト期間中にみんなで勉強をしようと招集をかけた。が、四ツ谷が付きまとってくる女子達をいっぺんに片付けてくると言って欠席した。ちょっと意味がわからない。そして、それならばと思いテスト明けにテストお疲れ様会をしようと招集かけた。が、五藤が部活忙しくて無理、と欠席した。
全然集まらなかった。でも、1人欠席するくらいならいいほうだった。徐々に欠席する人数が増え、一人、また一人と予定が合わなくなっていき、しまいには3人欠席なんてざらじゃなくなってしまった。
そして、現在。
「……」
「……」
「……なぁ、ここ、分かんない」
「ああ、ここは……」
本格的にあの3人は捕まらなくなってしまい、俺の呼び掛けに応じてくれる人はとうとう二井だけになってしまった。
二井だけ俺の部屋にいても特にやれる事がないので、最近はもう二井と勉強会を開いている。おかげさまで俺の成績も順調に伸びていってる。一件落着!
「……じゃなーーーーーい!!」
「いきなり大声出すな」
「なあなあ、なんでみんな集まんないの!? なんでなの!? 俺みんなに言ったよね、俺達を一番に優先しろって!! え、あれの意味分かってなかったのかな!? もしかして、言葉分かんないのかな、もしかして赤ちゃんかな!? 駄目だ! 今すぐみんなをここに呼んで、二井に言葉を教えて貰おう」
「待て待て」
完全に足が部屋の扉へと向いていた俺の腕を、二井はガシっと掴んだ。
「はぁ、あのなあ。あいつらももう高2だぞ? そりゃ、それぞれの予定があるだろ」
「……でもさ、俺、結構頻繁に招集かけてんのに、こんだけ集まんないのおかしいだろ。もう少し一人一人が全員集まるんだ! という意識を持ってほしい。あいつらは己の顔に傲って、他人を思いやる気持ちをどこかに置いてきてしまったようだ」
「思い込みすぎだ」
「……それに比べて二井はやっぱ違うわ〜」
俺はわんわんと嘘泣きをしながら二井に抱きついた。
「最後に頼れるのはやっぱお前だけなんだよ、二井ィ。やっぱお前は安心感があるよ」
「……安心感?」
「そ。俺と一緒の、特に目立つ事もない、平凡な、普通の人間。昔からお前が一番側にいてくれたよな。やっぱり、二井が一番の友達だぞ!」
二井は今でこそ俺達とは少し離れた所にお屋敷のような一軒家に住んでいるが、昔は俺と一緒の市営住宅に住んでいた。それも、お向かいさんだった。だから4人の中で誰よりも二井と遊んだし、よくお泊りもした。二井が引っ越すと知った日は、それはもう俺の親がパニックになるくらい泣いたものだ。
俺は二井に抱きついたまま、労るように二井の頭を撫でた。
俺は二井に名誉ある一番の友という勲章を授けたのに、何故か彼はどことなく不満そうな顔をしていた。もしかして、平凡と言われた事が嬉しくなかったのだろうか。でも、今更じゃない?
「そう拗ねんなって! 平凡なのは俺も一緒だから!」
「……」
むむ。これは珍しく、二井の機嫌が直らない。いつも優等生のお手本のように気持ちが凪いでいるのに。
「んんー、まあ、お前はメガネ取って髪の毛ちゃんとして、歯見せて笑うようになれば少しはよくなるんだろうけど」
二井は自分の容姿に全く頓着がないが、俺は噂で聞いてしまったんだ。「三好くんは甘い顔が素敵だし、四ツ谷くんはあの気だるげな表情が堪らない。五藤くんは爽やかでかっこいいし、それに──」
二井くんも、ちゃんと整えればかっこいい気がする。
そう、女子達が言っているのを聞いてしまったのだ。
なんで俺だけ何も言うことがないんだ、という事なんかよりも先に、え、二井? マジで二井の事言ってんの? と、そればかりが気になってしょうがなかった。まあ、こんな事言われていたのは本人には秘密だ。
「だからさ、元気だせよ! かっこよくないわけじゃないし」
と、俺は自分の矜持が許される程度に二井を元気付けた。
すると二井はレンズ奥の切れ長な瞳をきらっと輝かせて、俺に言った。
「本当に、そう思うのか?」
「え、あ、うん」
「……一宮は、あいつらみたいな顔、好きか?」
「え? あの3人の事?」
「そうだ」
「あー、………まあ、うん」
本人たちには言えないが、二井ならば言ってもいいだろう。
「そうだな、俺はあいつらの顔は好きだな」
「!」
二井は何か琴線に触れたのか、はっとした表情をして、そして、
「……俺は、用事を思い出してしまった。だから、ここでお暇させてもらう」
「え?急だな」
「じゃあ、また月曜日」
と言って、そそくさと帰ってしまった。
俺は閉まった自室の扉をただ眺めるしかなかった。
4
そして月曜日。俺は、衝撃の展開を目の当たりにする事となる。
俺はいつも通り教室に向かった。ちなみに最近は誰一人として一緒に登校してくれないため、ぼっちだ。まったくもう。
軽くおはよーと呟きながら教室に入り、自分の席に向かう。この間、二井の席がある通路を挟むので、二井に挨拶と軽く雑談をして時間を潰してから席に着くのがルーティーン。なのだが、どうやら、二井の席に知らない人物が座っていた。それに、そいつを囲んで女子達がわいわいと盛り上がっている。え、誰? と周りにいる女子に聞いてみた。
「何言ってんの! 二井くん!」
「は?」
「だから、二井くんだって。めちゃくちゃかっこよくなったよね!?」
「……は?」
俺は隙間からそいつの顔を見た。
確かにかっこいい。美丈夫という言葉が相応しい、かなりのイケメンだ。いや、あれが二井な訳ない。ともすると、転校生だろうか。ならば自己紹介をしなければならない。
俺は女子の隙間をぬって、そいつの前に姿を現した。
「おはよう! 俺の名前は一宮守。よろしく!」
「……っ! 一宮! 助けてくれ!」
「え」
そんな、初対面から馴れ馴れしいな!と思ったが、この声は間違いなく二井のものだった。十数年間ずっと一緒にいたのだから、間違えるはずもない。嘘だろ、おい。
俺は震える声で二井(仮)に話しかけた。
「に、二井……? マジで二井なの……?」
「そ、そうだ。俺だ。一宮、この状況をどうにかしてくれ」
「え、嘘……」
だって、眼鏡もかけてない、前髪も長くない、ちゃんと手入れされている髪型のこのイケメンが、二井であるはずがない。二井は、もっと堅苦しくて自分の容姿に無頓着で……。
そう思ったが、俺は先日の件をハッと思い出した。
『まあ、お前はメガネ取って髪の毛ちゃんとして、歯見せて笑うようになれば少しはよくなるんだろうけど』
……まさか、アレを真に受けたのか。そして、それを実行して、現実にさせてしまったのか!!
俺は愕然と二井を眺めた。まずい、だって、これだと、俺達の中にまた一人イケメンが増えてしまう。というか、俺以外がイケメンになってしまった。大事件だ。俺だけ……俺だけなにもない!
そんな俺を見て、二井は追い打ちをかけるような発言をした。
「一宮、俺、かっこいいか?」
俺はもう何も言うことがなく、口は開けたまま、重い足を引きずって自分の席へと着いた。後ろから「おい、一宮!」と呼ぶ声が聞こえたが、そんなの構っていられない。
その後の授業は全く耳に入らなかった。
5
二井はあの日以降、今までの非モテ歴はドブに捨てる程の勢いで女子からモテまくった。あのグループの人達かっこいいね! から、あの3人かっこいいね! になり、しまいにはあの4人かっこいいね! になっていった。どうしてそのグループの内のあと一人を追加しないのか。
あの日から数週間が経った。
そして、とうとう二井すらも集会に来なくなってしまった。
二井は予備校に通っている。でも、俺が声を掛ければ必ず来てくれたのに。毎回「この後予備校に行かないといけない」と言いつつも、絶対に俺と一緒に勉強してくれたのに。なんで、二井まで。
俺は今、ひとり寂しく自室のベッドの上で膝を抱えている。さぞかし惨めなものだろう。
ああ、遂に俺だけ取り残されちゃった。
でも、取り残されたって、どこに?
みんなはどこに行っちゃったんだろう。
俺って、もしかしてこのままずっと一人なんだろうか。
思い出すのは、昔この狭い部屋がまだ大きく感じていた頃、みんなで集まってテレビゲームをしていた記憶だった。
俺の家はそこまで裕福じゃないからたくさんのソフトを買ってもらえなかった。だから、みんなで別々のゲームを買って、そして俺の部屋に持ち寄って、じゅんばんこに遊んだのだ。特に俺達は格ゲーを好んだ。俺と五藤が強くて、意外と四ツ谷がよく負けていた。勝負が白熱するごとに喧嘩になって、それを俺が間に入って仲直りさせて、それで、お菓子食べて機嫌直して、笑ってまたゲームをやった。
そんな、昔の思い出。
ああ駄目だ。なんか泣きそう。
抱えた膝に目から出てきた水分を染み込ませた。すると、家のインターホンが鳴ったので慌てて玄関に向かった。
扉を開ると、そこには意外な人物がいた。
「よぉ」
「え、四ツ谷? どうしたの」
「んー、暇だったから」
俺達5人の仲がいいとはいえ、四ツ谷単身で俺の家に遊びに来ることなんてなかなか無かった。びっくりはしたが、四ツ谷とちゃんと喋るのも久方ぶりだったので嬉しくなり、深く用件は聞かずに自室に招いた。まあでも、俺も言いたいことはたんまりとある。
「暇だからうちに来たって判断は、まあ正解だ。けどさ、なんで今まで俺が招集掛けても来てくれなかったんだよ!」
「あー。しつこい女に付き添ってた」
「クソ、モテ男め……」
慕ってくれる女子の事を、しつこい女って言うなよ。俺なんか友達すらこいつらしかいないというのに。なんだか悔しくなって、俺は反論した。
「そんな女より、昔から付き合いのある幼馴染の事をもっと大事にしろよ……」
「……ごめん」
と、四ツ谷は俺の目を見るなりすんなり謝ったのだ。おかしい。妙に素直だ。なんだか溜飲が下がり、悔しい気持ちやむかむかしていたものが無くなってしまった。少ししゅん、としてしまった四ツ谷を励ますように、俺は無理矢理笑った。
「ってか、二人で話すの久々だな!」
「そうだな。寂しかった?」
「寂しくなどありませ〜ん! 四ツ谷が捕まらないのなんて、今更だしな」
「……俺が来て嬉しい?」
「え?」
そう言って、四ツ谷が俺を見据えた。
勿論、そんなの嬉しいに決まってる。でも、ここで素直に嬉しいと伝えるのは俺の矜持が邪魔をする。普段なら絶対に言わない。でも今の俺は、久々に幼馴染とまともな会話をする事ができた喜びからか、気が抜けていた。
「うん、嬉しー」
気が抜けたついでに、間抜けに笑みを溢してしまった。そんな俺を見て、四ツ谷は固まった。
「……」
「四ツ谷なんてさ、昔は俺達としか喋れなかったのになあ」
四ツ谷は今でこそこんなに女子を侍らせているが、昔は本当に人見知りで、幼馴染の俺達としかまともに喋る事ができなかった。だから、上級生との交流の場だったり、新しい先生に話しかけられた時なんかは俺が間に入って四ツ谷をサポートしてあげていた。そして、その後は決まってまるくて白いほっぺを吊り上げて、ニコニコとしながらありがとうと言うのだ。
ああ、懐かしいな。
なんて、昔の事を思い出したら、また目が潤んでしまった。涙腺は大人になると脆くなると言うが、早くもそういう時期なのかもしれない。
俺の中の大切な思い出を引っ張り出して昔を回顧していたが、それでも、最近嫌でも思い知らされる事がある。誰にも言ってなかったが、涙を我慢する代わりに言葉が溢れてしまった。
「俺もさ、本当は分かってんだ。もう昔みたいにみんなと一緒にいられない事」
そう。俺は昔の俺達の関係から抜け出せず、ずっとあの頃は良かった、あの頃みたいに戻りたい、とぼやいている、情けなく幼稚な男なのだ。
でも、もうそんな関係も一生は続けられな事を知ってしまった。
「……だからさ、こうやって時々俺と会って、そんで他愛もない話でもできたら、もうそれでいいや。それで十分かも」
欲張り過ぎたら、みんな離れていくみたいだ。俺のこのあまり出来の良くない頭でも、歳を重ねるにつれて分かってきた。だから、みんなが俺の所に来てくれるのを待つしかないんだ。
俺は昔の自分と決別するように、四ツ谷に満面の笑みを見せた。
「だから、もう無理してみんなを集めんの辞める。ずっと5人一緒なんて無理みたいだしな。四ツ谷も、気が向いたらまた遊んでくれればいいし」
「あ……」
そこで、タイミング良く四ツ谷のスマホが音を立てた。着信が入ったらしい。
「女の子じゃない? 出たほうがいいよ。ほら、こんな所にいないでさ!」
「え、ちょ、」
俺は四ツ谷を無理やり立たせて、急いで玄関へと追いやった。四ツ谷は仕方なく、というふうに電話に出た。スピーカーから、うっすらと女の子の声が聞こえる。俺は玄関の扉を開けて、四ツ谷を押し出し、勢い良く扉を閉めて鍵をかけた。
そして、扉にもたれ掛かり、ずるずるとその場にしゃがみこんだ。
「……あーあ」
俺って、本当はどうしたいんだろ。
6
俺がみんなといる事を諦めたあの休日が終わり、月曜日になった。
なんだか、二井が更にかっこよくなっている気がする。毎朝と昼食時に集まる「二井ギャラリー」なる者も、減るどころか着実に人数を増やしている。そして、あんなに仏頂面だったのに、最近は歯を見せて笑うようになっている。めちゃくちゃかっこいい。
これだけかっこよくなるのなら、もしかしたら、彼女が作りたくなったとか、好きな人ができたとか、そういう目的が生まれたのかもしれない。昔は二井に限ってそんな事はないだろ、と思っていたが、ここ最近の二井の輝きには目を見張るものがある。なにかしらの理由がないとここまでイメチェンに踏み切らないはずだ。
外見をイメチェンする理由なんて、俺が思いつく限りは一つだ。やっぱり、二井も結局はモテたいのだろう。
だったら、俺みたいなのがいつまでもべったりとしてたら駄目だ。そろそろ、俺も幼馴染離れしないと。
どれだけ二井が俺と遊んでくれなくなっても、この毎朝の挨拶と雑談だけは欠かさずやっていたし、お昼ご飯も一緒に食べていた。もしかしたらこれも、二井の重荷になっていたのかもしれない。
俺は、いつも通り教室に入って、いつも通り二井の側を通った。クラスの女子と話していた二井が俺の顔を見た。
「おはよう、一宮」
「うん、おはよー」
そして俺はそのまま自分の席へと向かった。いつもここで二井と会話を挟むので、なんとなく落ち着かない。ちらっと二井の方を見ると、ぽかんとした顔で俺を見ていた。でも女子に話しかけられ、また会話に戻っていった。
これでいい。
それに、遠くから見るかっこいい二井もなかなか悪くない。ような気がする。
7
その日から、俺は二井を避けるようになった。
二井は大体休み時間になると女子に囲まれるが、たまに隙をついて俺の元に来ることがある。
「なあ一宮、あの、今日」
「あっ、それよりさ、佐藤さんが二井と喋りたそうにしてるぞ! 行ったほうがいいって!」
そんな時はこうやって無理矢理女の子の元にぐいぐいっと背中を押してやる。
こんなイケメンと喋りたくない女子なんていない訳で、誰のとこに連れて行っても喜ばれる。
そしてお昼休みの時は、
「一宮、昼飯一緒に」
「あ、木村さん達がお昼一緒に食べたいって!」
と言って、女子達の机に放り込む。案の定めちゃくちゃ喜ばれる。
そして俺は一人でお昼ご飯を食べる。
1組の3人は駄目だ。全く捕まらないし、どこにいるかも分からない。俺は友達があいつらしかいないので、必然的にぼっち飯をキメる事となるのだ。
そしてとうとう、俺が動かずとも女子から二井に声をかけてくれるようになった。
「なあ、二井のやつ、林さんから呼び出されてるぞ」
「うわー、羨ましいな」
「林さん、めちゃくちゃ可愛いな」
俺は教室の入り口を見た。二井の背中の奥に、すらっとした綺麗な女子が立っている。
林さん、学年のマドンナ的存在だ。とても可愛いのに今まで彼氏を作らず、あの3人にも興味が無さそうな、珍しい人種だった。
それが、ここに来て二井に。二井がタイプだったのだろう。
二井は優しいし真面目だから、きっとこの呼び出しは断れないだろう。ほら、二人で出て行った。
俺は教室でお弁当を食べていたが、なんだか勝手に居心地が悪くなって教室を出た。
俺が向かったのは、俺がかつて使用していた部室の前だった。天文部だったが、人数不足で2年になったタイミングで廃部になった。
この部室は校舎の最上階にあり、この部室以外何もない。だから、ほとんどだれも足を踏み入れないので一人になるには絶好のポイントだった。
俺は扉の前に腰掛け、一度仕舞ったお弁当を膝の上に広げた。
「いただきます」
お母さんが、毎朝早起きをして作ってくれるお弁当だ。
俺の家は母子家庭で、昔からお母さんが夜遅くまで働いていた。だから俺は鍵っ子で、その寂しさを紛らわすようにみんなを家に呼んでいたんだ。
二井がお向かいさんだった時は、二井のお母さんが俺をいろいろ気にかけてくれて、ご飯をご馳走してくれたりもした。二井はその頃から真面目な子だったが、俺が寂しそうにする度にうちに来るかと誘ってくれた。
三好は昔はチャラさのチの字もないくらい、純粋無垢でいつも笑顔な可愛い子だった。俺の家に遊びに来た時はみんなで食べよう、と毎回お菓子を持って来てくれた。
四ツ谷はとにかく俺にべったりだった。俺がよく四ツ谷の仲介役になるから、俺が保護者みたいな感じだった。でも、俺には兄弟がいないから弟ができたみたいで、それが嬉しかった。
五藤はああ見えてゲームやアニメが大好きで、少しオタクな俺の良き理解者だった。お金がなくて新しいゲームが買えないと相談した次の日、五藤は自分のお小遣いでそのゲームを買ってくれた。
みんな、俺の大事な幼馴染で、親友だ。
もしも俺がこれから先未来の配偶者なる者と出会ったとしても、あいつら以上に俺の事を理解してくれる人は現れないだろう。
それくらい、俺の一番大事な人達なんだ。
膝の上に置いたお弁当を見下ろした。
どうしてか、涙が零れ落ちて止まらなかった。
箸を持つ手が震えてうまく卵焼きが掴めない。
俺はとうとう嗚咽を上げて泣いてしまった。
「ううう〜〜〜っうっ、ひっ、うぅっ」
嫌だ。取り残されたくない。
置いていかないでほしい。
本当は、ずっとみんなと一緒にいたい。
みんなモテるから羨ましいとか、自分もモテたいとか、そういうんじゃなくて、ただ単純にみんなとずっといたいだけなんだ。
「うあぁ、うぅ、ひっ、うう〜〜」
高2にもなって涙が止まらなかった。
虚勢を張ってみんなに命令したり、偉そうにしているけど、その実誰よりも寂しがり屋で、昔からちょっとした事ですぐ泣く子だった。俺は幼子のようにわんわんと泣いた。
涙がお弁当に落ちまくって、そろそろ味が変わってきそうだ。
ああ駄目だ、もう泣き止みそうにもない。
誰か、助けてほしい。誰か、
「一宮」
8
声のする方へ、顔を上げた。
「へ……」
「見つけた。やっぱここにいたんだぁ」
「穴場だもんな、ここ」
「結構冷えるなあ」
「なっ、な、ひっ、なんで、ここに、ひぅっ」
4人が、揃いも揃って俺の前に立っていた。学校で全員が揃うなんて、いつぶりだろうか。
「二井が、一宮が元気なくて様子がおかしいって俺達に言ってくれたんだ」
俺は二井を見た。
二井は少し気まずそうに俺を見ていた。
嬉しさなのか悲しさなのか悔しさなのか、よく分からない感情が整理できず、俺の意志とは無関係にまた涙が零れ落ちた。
「一宮、なんで泣いてるの?」
三好が俺の側にしゃがんで、俺の涙を袖で拭った。三好とも、久々に喋った気がする。
どうやら俺は、こいつらとちょっと離れただけでいろいろと制御ができなくなるようだ。俺は恥も外聞もなく嗚咽を交えながらみんなに訴えた。
「う、う、うぅ〜〜〜!! ひっ、みっ、みんな、いっ、いなくなって、え、うっ、俺、一人にっ、なって、ひっ、さ、さみし、寂しかったあぁ〜〜〜っ!!」
そうだ。こんな子どもみたいな訴えだが、俺はずっとずっと寂しかったんだ。みんなが俺から離れていく事が、みんなで一つだった俺達がバラバラになっていく事が、ずっと寂しかった。
俺はえぐえぐと泣きまくった。既に袖はびしょびしょになっていた。ハンカチ持ってくるの忘れたな。
すると、今まで立っていた3人もしゃがんで、そして4人が俺を温めるようにぎゅうぎゅうに抱きしめた。
「すまなかった。寂しい思いをさせた」
「ごめんね〜!!ちょっと目を離しすぎたなぁ」
「……ごめん。もう一人にしないから」
「本当にごめん。こんなに目腫らしちゃって……」
みんなが口々に、俺を抱きしめながら謝ってくれた。俺はもうそれだけで満足だった。さっきまでの涙は何処へやら、いつのまにか泣き止んでいた。
俺はありがとうの意を込めて、必死に笑顔を作った。散々泣いた後だから、上手に言葉が紡げない。
「い、いいよ。許して、あげる。」
「え……」
「だ、って、おれが、落ち込んだら、ぜ、ぜったい、みんな、来てくれるって、分かってたし」
「!」
「一宮ぁ……」
「……」
「一宮……」
隣に座っていた二井が俺の頭を撫でた。
「当たり前だろ」
うん、知ってた。
「えへへ」
俺は緩む頬が抑えきれず、だらしなく笑った。4人の中からうめき声が聞こえた気がするが、多分気のせいだ。
そして三好に後ろから抱っこしてもらったり、五藤にお弁当を食べさせてもらってるうちに気持ちが落ち着いて、まともに喋れるようになった時に二井に質問してみた。
「二井、そういえばさっきの子は? あの、林さんに呼び出されたんだろ」
「え、マジで!? やるじゃん」
「二井もモテるようになったなぁ」
「断ったよ」
「え? 彼女欲しいんじゃなかったの?」
「は、いつ俺がそんな事言った?」
なんだと!? じゃあ、俺の勝手な思い違いだったという事か。
「え、だ、だって、二井、最近どんどんかっこよくなっていくし!」
「……そうか、俺はちゃんとかっこよくなれてるのか……」
「は? 嫌味ですか」
「い、いや、そういう訳ではなくて」
「二井、一宮の言う事いちいち受け止めなくていいよ」
「それに、……なんか、女の子と出かけてるらしいし……」
という、噂を聞いたのだ。先週末、二井くんとデートしちゃった♪ と。なにがしちゃっただ。こんな堅物とデートしても女の子は楽しくないだろう。
俺は二井の顔を睨みつけた。すると、二井はわたわたと横に手を振り、必死に違う、違うんだと否定した。
「すまない、女子と買い物していたのは……俺に合う服を選んでもらったり、その、身だしなみを整えてもらっていた」
「え、なんでよ」
何が違うんだよ。内容だけ聞けば完全にデートじゃないか。俺はまたムスッとしたまま、二井を見た。
二井はふぅ、と一息ついて、さっきまでの慌てた表情とは一転して、どこか大人びた顔つきで俺を見た。
「一宮に、かっこいいって言ってもらいたいから」
「……は、俺に?」
「俺が変わったのも、お前がどうにかすればよくなると言ったからだ。それに、一宮は、この3人の顔は好きだと言っただろう。だから、俺もかっこよくなろうと思って」
「!? ちょ、え、ここで言うなよ!」
「へぇ〜〜〜」
「ふーん」
「ほぉーーー」
3人は一斉に俺の顔を見てニヤニヤと笑った。クソ、だからこの3人には言いたくなかったんだ。
確かに、俺がああ言った数日後に二井は完璧な変貌を遂げた。でも、まさか、俺のためだったなんて。だったら、尚更二井が許せない。
「てか、そんなの……! 俺が一緒に買い物に行くっ!」
「えっ」
「俺にかっこいいって言われたいんだろ!? なら俺に選んでもらえよ! 女子じゃなくて、俺の好みを直接聞け! 分かったな!」
俺は二井の胸ぐらを掴んで立ち上がった。貧弱な俺の力では、何の凄みも無いだろうが。
すると二井は一瞬目を見開いて、そして俺にすごい力で抱きついた。俺の知っている二井は、こんな事をしない。
「う、ぐえっ!? く、苦し」
「うん、分かった」
まるでこのままダンスでも踊るかのように、二井は片方の手を俺の腰に、もう片方の手を俺の手に重ねた。そして、ハッキリとした端正な顔が俺の顔に近付く。二井は、いつだって真剣だ。
「に、にぃ、近い」
「俺は今までも、これから先も、ずっとお前の側にいるぞ」
「──!!」
なんて男だ。
真面目で堅物であるくせに、こういう事を平然と言ってのけるんだ。
確かに、最近は俺が避けていただけで、二井はいつだって俺の側にいてくれた。かっこよくなったのだって、全部俺のためだって言っていた。
二井の顔が更にゆっくりと近付いて、おでこがぶつかった。鼻先どうしが触れる。
二井のすっと伸びた目尻がまろく歪み、俺の瞳を射止めた。こんな甘ったるい顔、初めて見た。こんな顔できるんだ。
俺の口元に、はぁ、と艶っぽい吐息が掛かり、絡めとられた手のひらがじっとりと汗ばんだ。俺はそのあまりの妖美さに腰が重くなり、足先が震えた。
ああ、視線の熱さで、心臓がどうにかなってしまいそうだ。
「ちょ、ちょ、ストーーーップ!!」
「二井ーーー! おい、早まるな!!」
三好と五藤が大きい声をあげ、どこか現実空間から乖離していた俺はハッと意識を引き戻された。
「うるさいな、部外者は黙ってくれ」
「うるさいなじゃないの! 駄目だよ一宮、不純交遊禁止じゃないの!?」
「え……」
「はぁ、一宮なんも分かってない……」
二井と三好・五藤がなにやら言い争っていたが、周りの言っている事が全く分からず、俺は頭上で飛び交う口論を右から左へ流した。
すると、四ツ谷が俺の体を掴んで、今までずっとそのままの体勢だった二井から俺を引き剥した。
「あ、おい!」
「二井の時間は終わり」
四ツ谷は赤く腫れた俺の瞼を一撫でして、それから俺にスマホの画面を見せつけてきた。
「俺、女の連絡先全部消したから」
「えっ!」
嘘だろ。あんなに「ほったらかすほうが面倒な事になる」とか言っていたのに。連絡先消去なんて、何が起きるか分かったもんじゃない。
そして四ツ谷は、分かりにくいがほんのりと頬を染めて俺を見た。
「だから、俺も、一宮の事、優先するし……」
と、ぼそっと呟いた。
え、なんだ、なんだそれ!
……か、可愛いっ……!!
「え〜〜〜!! なんだーーー!! お前、俺の事大好きじゃん!最初からそうしろよな!」
俺は四ツ谷の頭を大型犬よろしくわしゃわしゃと撫でた。四ツ谷は表情が読めないと言われるが、俺には分かる。多分今めっちゃ照れてる。
俺の後をついて回る四ツ谷は、昔から可愛くて仕方なかったんだ。それは、今も同じだ。四ツ谷はずっと可愛い。
「可愛い、四ツ谷。……可愛い」
「……!!」
「えへへ、今日はよく表情変わるな」
「……クソッ、どっちが可愛いんだよ!」
と、四ツ谷が何か小声でぼそっと言った所で、少し不機嫌な二井が間に割って入った。
「一宮、俺は可愛くないのか?」
「え? ……か、可愛い……? まあ、うん、可愛いよ」
「えー! 俺は俺は!」
「は、三好? ……う、うん、三好も可愛いけど」
「みんなだけずるいじゃん。俺は?」
「五藤!? え、まあ、う〜ん? 五藤も可愛いかも……?」
次々に俺は可愛いか、と聞いてくるこいつらは、男子高校生の癖に何も恥ずかしくはないんだろうか。
まあ、俺からすれば小さい頃から家族も同然で育ってきたこいつらが可愛くない訳がない。何人かは今というか、昔の面影を思い出し、必死に可愛いという評価を与えたけど。
そして、俺から可愛いと言われたみんなは一体何がそんなに嬉しいのか、一様に満足気だった。可愛い。
やっぱり、俺はみんなとずっと一緒にいたい。
俺はとっくに取り戻した調子で、廊下に声を響かせた。
「聞け、お前ら! もうこれ以上俺達の絆が綻びないように、彼女つくるな令を発令するからな!」
「……」
「え〜〜〜?」
「え」
「は?」
「無期限だ! 俺が発令を解くまでだから!」
また口々に文句が聞こえてくる。うるさいな!
「文句を言うな! いいだろ、別に! どうせ彼女なんかより俺達5人でいる方が人生を謳歌できる。それに……」
俺は昔と比べてすっかり大人になってしまった顔つきのみんなを見渡して、笑みを深めた。
「俺達、永久不滅のゴコイチだろ?」
9
「じゃあ、そういう事だから。二井、えっとー……俺の事を優先しろ、さっきの発言は信じるからな。三好、女子より俺達と一緒にいた方が絶対に楽しいから。それは覚えておけよ! 四ツ谷は……そうだな、えー、女子からの報復には気をつけろ。五藤、……は、まあ、引き続き部活頑張れ! じゃあ、解散!」
そう言って、昼休み終了のチャイムと同時に一宮慰め大会はお開きとなった。
俺達1組は次移動教室なので、急いでその場から撤退した。
「一宮、元気になったねぇ。よかった」
「だな。それにしても、四ツ谷も思い切ったな」
「……まあ、いつかは清算しようと思ってたから」
四ツ谷は何て事ないみたいな顔をしていたが、多分これから面倒事はやってくるだろう。
それでも、女子との関わりを消したんだ。四ツ谷なりの決意なのだろう。──一宮のために。
一宮は時々……というか割と頻繁にああやって突拍子もない発言をするが、実は俺達の中で一番優しいしお人好しだし友達思いだ。
昔、誰かと誰かが喧嘩した時は必ず間に入って仲を取り持ってくれたし、誰かの誕生日とか記念日にはサプライズをしようと毎年動いてくれる。5人で行動する時は、まず先陣を切ってくれるし、そして、俺達がどんな失敗や失態を晒しても、絶対にあの明るい笑顔で大丈夫、大丈夫と言ってくれる。どんな事をしても、最終的にはなんでも許してくれる。一宮は、昔から俺達に激甘だった。
そんな一宮を、俺達は甘やかさない理由なんて無い。見ただろうか、先の件のあの花が綻ぶような満面の笑みを。
俺達がまだ一宮から離れないと分かった途端、あの笑顔だ。正直、めちゃくちゃ可愛い。泣き顔も可愛かったけど、一生笑っててほしい。
一宮は俺達の事を可愛いと言ってくれたが(殆ど無理矢理言わせた)、俺達からすれば、俺達の存在が一番だと言ってくれる一宮の方がずっと可愛いと思っている。
しかし、一宮が泣き喚くくらいまでほっといてしまったのは駄目だったな。反省だ。
今までは一宮がみんなを繋いでくれていたから、俺達もそれに安心してあぐらをかいてしまっていた。でも、一宮が俺達を諦めた途端これだからな。だんだんと一宮からの招集をかけるメッセージが減り、遂には無くなってしまった時には妙な胸騒ぎを覚えた。
そうなる直前に四ツ谷は一宮に会いに行ったらしいが、その後教室で俺達に青ざめた様子で「一宮がゴコイチ辞めた……」と言った瞬間、三好はスマホの画面を割り、俺は机に穴を開けた。
そして、決め手になったのは二井が俺達のクラスに来て「一宮が……俺を拒否する……」と報告した事だった。一宮には、「一宮が元気なくて様子がおかしいと二井に言われた」と言っておいたが、あれは嘘だ。もう、そんなもんじゃない。二井は血涙を流し、崩壊寸前だった。
二井が珍しく全く平静を保てずに何を言ってくるかと思ったら、とんでもない事件だった。俺達はもうバリバリと殺気を立たせて、誰も話しかけるなと言わんばかりのオーラを放ち、そしてこの4人が揃って廊下を歩いているのにも関わらず、誰からも声を掛けられる事なく一宮の元まで歩いていった。
あんなに一蓮托生だ五人六脚だゴコイチだズッ友だと言っていたはずの一宮にどうお灸を据えようか考えていたが(自分達の事は棚に上げるが)、一人でボロボロと泣きじゃくりながら、冷えた廊下で体を震わせている大事な幼馴染を見て、もう全ての感情がどこかへ行き、気が付けば全員が一宮を抱きしめていた。
そう、俺達は一宮以上になかなか素直になれないが、なんだかんだみんな一宮の事が大切で大好きで仕方がないんだ。
特に、二井と四ツ谷。
多分、普通の好きを超えた感情を抱いている。
二井は昔から一宮と一番近い所にいた。一緒の市営住宅に住んでいた頃は、「いつでも遊びに行けるしお泊りだって週に何回もする」と、幼いながら俺達にマウントを取っていた。二井家の引っ越しが決まった日、二井の絶望しきった顔はそれは見ものだった。それ以降、離れた分の距離を埋めるかのように、更に二井は一宮にぴったりくっつくようになった。多分この先、一宮が最も好きな顔とか仕草を研究して、一宮好みの男になるのだろう。
四ツ谷は、最近まで無自覚だったけど、どうやらやっと一宮に対する感情を自覚したらしい。昔から一宮の後ろをちょこまかと着いていた四ツ谷は、割と大きくなるまで一宮無しでは生きていけてなかったように思う。四ツ谷が間違えて一宮の事を「お兄ちゃん」と言った日は、それはもう全員で笑ったが、唯一一宮だけは顔を赤く染めた四ツ谷の頭を撫でて「お兄ちゃんだよ」と優しい表情で返していた。
思い返せば、ずっと前から一宮の横には二井、後ろには四ツ谷、その周りに三好と俺、みたいな構図ができていたな。
当の本人は俺だけ平凡だモテないみんなと違うと訴えていたが、俺達の中心は確実に一宮なのだ。
一宮から「彼女つくるな令」を発令されたが、実はもう既に、俺達は無意識のうちにそれに従っていた。
俺も三好も四ツ谷も、そして二井も、あらゆる手段を使われ様々な告白を受けた。が、実は誰一人として彼女というハッキリした存在を作ったことはなかった。
何故なのか?
それはやっぱり、どこかでこいつらの存在が一番だと思っているから。一宮の悲しそうな顔を見たくないから。
別に口には出していないが、みんな心の底でそう思っている。
多分一宮が誰かと付き合わない限り、この彼女つくるな令という名の呪いから解き放たれる事はないだろう。
あー、嫌だ嫌だ。せっかくこの顔に産まれて、華の高校時代を送っているというのに、この呪いのせいで彼女一人すらまともに作れないなんて。
なんて思いつつも、一宮のあの蕩けきった笑顔を思い浮かべると、そんな事どうでもよくなるのだ。
まあでも、こいつらといるのがなんだかんだ一番楽しいから、それもそれでいっか。
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