漆が変なお菓子作ってきた




1



 もうすぐハロウィンということで、漆が謎の手作りお菓子を配ってくれるらしい。秋晴れの休日、俺ら3人は学校の近くの公園に強制的に呼び出されていた。こんな男子高校生いるか?

 漆が俺達に見せたのは、透明な袋に入ったクッキーだった。ちゃんとかぼちゃとかお化けの形にくり抜かれている。俺達は素直に驚いた。


「わあ、漆くん凄い!」

「お前こういうのも作んの?」

「これは夜差と木闇の分だ」

「え? 俺は?」

「黒野の分はない。お前は食べない方がいい」

「は?」


 どうやら俺のお菓子はないらしい。どういうこと? 食べない方がいいとは。ってか、それならわざわざ俺を呼ぶなよ。


「お前、とうとう漆にまで下に見られるようになったか」

「うるさいな」


 木闇がニヤニヤと笑っている。俺には分かる。こいつは手作りお菓子を貰えて普通に嬉しいのだろう。木闇は顔がいいけどイベントで貰えるお菓子の数は毎回ゼロだからな。俺らもだけど。


「黒野くん、俺のあげるよ」


 夜差が袋からクッキーを取り出して、俺の口の前に持ってきた。開けろということだろうか。夜差は、ん?、と何食わぬ顔をしている。


「だから、黒野は食べたら駄目だ」


 思わず口を開いて受け入れそうになったクッキーを、漆はムッとしながら奪ってまた夜差が持つ袋の中にしまった。


「いやだからなんで」

「黒野にはやらないといけないことがある」


 夜差と木闇は俺らの会話には興味無さそうに、ボリボリとクッキーを食べている。そして漆も俺の前でクッキーを食べ始めた。え、なにこれ、新手のいじめ?


「俺漆を怒らせるようなことした?」

「そうじゃない」

「漆くん、クッキー変な味するー」

「味覚までイカれたのか?」

「それはどうしても変えられなかった。薬品の味は砂糖では消せない」

「え?」

「は?」

「……薬品?」


 夜差と木闇の手がぴたっと止まり、ぎこちなく漆の方を向いた。


「大丈夫だ、合法なやつしか入れてない」

「合法なやつでも菓子の中に薬品入れんなよ!」

「もー! 人体実験するなら前もって言ってって何回も言ってるのに!」

「夜差、もっと怒ってもいいぞ」


 マッドサイエンティストすぎる。漆は馬鹿なくせに、数学と科学の成績だけは異様に良い。真実性は置いておいて、時々現実では信じられないようなものも生み出したりする。今回ばかりはハブられて本当によかった。


「で、なんの薬入れたんだ?」

「幼児化する薬」

「もっかい言って」

「幼児化する薬」

「幼児化する薬かぁ。ってなると思うか?」

「幼児退行する木闇くんとか見たくないよぉ……」

「お前に言われたくねーよアフロ」

「俺そこまで天パじゃないよ!!」

「黙れよハゲ」

「ヒィ……急に毛量減らさないでよ……黒野くーん……」

「はいはい……。幼児退行する薬ってなに、ヤバくない?」

「幼児退行じゃない、幼児化だ」

「幼児化ってなに?」

「つまり、年齢操作」

「はぁ……」


 何言ってんだこいつは。ラノベの読みすぎかもしれない。この2人には可哀想だけど、ただ漆から不味いクッキーを食わされただけということで。


「俺もう帰っていいか? 来た意味マジでない__」


 その瞬間、夜差と木闇の方からボンッ! と爆発音が鳴り、まるで漫画の実験シーンのような白い煙に包まれた。唖然としながら見ていると、徐々に視界が開けていき、そこにはたった数秒までいたはずの2人がいなくなっていた。


「え……」


 その代わりに、違う2人がいた。


「……おかーさん?」

「ここどこぉ……?」


 ガキが2人。周りをキョロキョロと見まわし、酷く不安そうな顔をしていた。これは……夜差と木闇の面影があるように感じる。俺は顔面蒼白になって漆を見た。


「おっ、おっ……お前っ、これっ……」

「大成功だな」

「呑気にしてんじゃねえよ!! どうすんだよこれ!!」

「まあそう慌てるな。戻す方法がある。黒野にはそれをやってもらうためにクッキーを食べさせなかった」

「早く言え!」

「簡単だ。戻す方法は__」


 ボンッ!

 爆発音が鳴り、白い煙で満たされた。漆が消え、煙の中には漆をそのまま小さくしたような子どもが……。


「……」

「……」


 子どもは何も言わず公園の砂場向かってにゆっくりと歩いて行った。


「なにが慌てるなだよ……めちゃくちゃ慌てろよ……」


 呟いたが、この場にレスポンスをくれる人はいなかった。






2



 点々と所在している子どもたちを遠い目で見ながら、俺は頭を抱えた。事件になる前になんとしても戻さなければ。いやもうこの事象自体が事件だけど。戻し方、見つけないと。

 とりあえず俺は、恐らく夜差であろう子どもに近付いた。他の子より大きい気がする。みんなが同じ年に退行したとしたら、夜差はやっぱり昔から身長が高いみたいだ。


「えーっと、あの……」

「!」


 夜差チャイルドは俺が声をかけるとビクッと肩を揺らし、顔をぐしゃっと歪めた。あ、まずい。


「うわああああぁぁぁぇえええええぁぁあああああっ」

「あーあーあーあー!」


 大号泣。俺はこんな子どもの前で分かりやすく狼狽えてしまった。俺には一人義理の弟がいるが、ガキの頃に出会ったわけではないので、こんな小さい子への接し方が分からない。夜差は高校生になっても異常なくらい泣くんだから、小さい頃なんてちょっとのことでもすぐに泣くだろう。どうしよう、どうしよう。


「えーっとえーっとうわ、どうしよう……」


 なにか持ってないかと思って持っていたリュックの中を確認すると、昔食べてそのまま放置していた、チョコに付属するおまけのシールが入っていた。謎のチョコのキャラクター。しかもキラキラのやつ。

 俺はそれを手にして、夜差の前でしゃがんだ。


「こ、これ、あげる」

「う……」

「キラキラのやつだよ……」

「……」


 お、泣きやんだ。

 夜差は暫く考えていたが、おずおずと俺に寄って来た。そして、小さいふくふくの手でシールを手に取る。光にかざしてシールを反射させ、目を輝かせていた。


「ありやとぉ」


 さっきまで爆音で泣いていた子とは思えないほどニコニコと笑っている。こいつ、幼児とはいえ警戒心がカスだな。


「名前なんて言うの?」

「よさなのです」

「何歳?」

「ごさい!」


 手をパーにして俺に見せてきた。5歳かぁ……。

 改めて夜差を見ると、グルングルンの髪の毛と涙でつやつやとしている長いまつげが印象的だ。ほっぺもふくふくで突きたくなる。服装は、都合よく子ども服に変わっている。この頃に着ていたものだろうか。


「それなに」

「えっ」

「それ、なに」


 夜差とはまた違う、少しかすれた声が横から聞こえた。木闇と思われる子どもが夜差の持っているシールをガン見している。


「シールだよ」

「ちょうだい」

「え」

「ちょうだい!」


 木闇は夜差の手からそのシールを奪い、一心不乱に眺めていた。おいお前、そんなことをしたら。


「ぼ、ぼくのっ……ぼくのおおおおぉぉぉぉぁぁぁああああああああっ!!」

「おれもほしいもん、ズルだ!」

「ぼくのだもんんんんんああああああぁぁぁ」

「あああああちょっと待って待ってもう1個あるからお願い泣かないで客観的に見て俺がヤバイやつみたいになってるから」


 すぐにもう1枚のシールを取り出して夜差に渡すと、2度の大泣きで流石に体が疲れたのか、大きくしゃくりあげながらおずおずと受け取った。


「木闇って昔からこんなにジャイアニズムが発達してるのか……」

「なんでおれのなまえしってるの?」

「あっ……えーっと……き、……凪くんのパパとママと知り合いだから」

「えっ、そーなの!?」


 木闇は目をキラキラさせて俺を見た。眩しい。この頃から既に顔が完成されてる。勝組の遺伝子だ。


「うん、まあ」

「そうなんだ! おれのおとーさんとおかーさん、すげーかっこいいよな!」

「ンンン」


 これ、本当にあの木闇か?

 これがどう育ったらアレになる?

 人生とはかくも不思議だ……。


「おにーちゃん、ブランコいっしょにやろ!」

「おにーちゃん……!?」

「ぼくもっ、おにーちゃんとブランコいっしょにやりたい」

「……」


 こいつらにお兄ちゃんと呼ばれる日が来るなんて……。普段なんて、義理の弟からゴミかチビか根暗か黒いのとしか言われないのに。弟から兄呼ばわりされるのってこんな気持ちなんだな。


「だめ、おれがさき!」

「うーっ、ぼくがさきがいい……」

「わ、分かったから、順番こ! じゃんけん!」


 大人の指示に素直に従う習性はあるみたいで、2人は小さい手どうしでじゃんけんをしていた。夜差がグーで、木闇がパー。あー、あー……。


「おれのかち!」

「ううううっうええぇぇぇっ………」

「あー! えっと、あとで絶対やるから! 頼むから泣かないで!!」

「おにーちゃん、はやくブランコやろ」

「びええええぇぇぇぇぇっ」

「な、奈之くん! 向こうにお花いっぱい咲いてるよ! 奈之くんのお気に入りのお花がどんなのか、俺気になるなー……」

「おはな……」


 夜差はぴたっと泣き止み、俺が指差した方に駆けて行った。ワンオペ大変……。そのまま律儀に花を観察し始めた夜差を見届けていると、木闇が俺の服をくいっとつまんだ。


「おにーちゃん、はやくやろ」

「あ、うん。俺が押せばいい?」

「うん」


 木闇はいそいそとブランコに乗り上げ、左右の鎖を握った。これ、力加減間違えると俺が罪に問われるよな。小さめに背中を押すと、もっと、とねだられ、徐々に力を加えていった。怖ぇー、小さい子と遊ぶの全体的に怖すぎる。木闇は足をぱたぱたと動かして楽しそうにしていた。


「おにーちゃん、なんでおれのおとーさんとおかーさん知ってるの?」

「えー、えー……。えーっと、んーーーっと……。と、友達……?、なんだ。な、凪くんの面倒を見るように言われてて」

「おれのおとーさんとおかーさんのともだちなの!?」

「う、うん。そうだよ」

「じゃあおれもおにーちゃんとともだち?」


 木闇が短い首をぐぐっと動かし、後方にいる俺を見た。丸いほっぺが赤くなっている。この頃の木闇は天使のようだな。


「うん、友達だよ」

「へへっ……」


 目を細めて笑った。この天使がアレになるんだからなあ……。親が一番びっくりだろうな。


「凪くんは、将来なにになりたいの?」

「んぇー、おとーさんみたいになりたい」

「へぇ、そうなんだ」

「おとーさんみたいに、かわいいおよめさんがほしい」

「ンフフ……」


 今の発言、録音して木闇のお母さんに聞かせたいな。どんな反応するんだろ。ってか、こいつ小さい頃はこんな可愛い夢を持ってたんだな。高校生の木闇は「このツラがあれば特になにしなくても生きていけるだろ」とか言って、人生舐め腐ってるからな。


「おれかっこいいおとーさんになれるかな?」

「うー……、ん。多分なれるよ、多分……」

「おにーちゃんは?」

「ん?」

「おにーちゃんはなにになるの?」

「俺かぁ……」


 まさかこんな小さい子にまで聞かれるとは。俺は今まで将来の夢という夢をもったことがない。つまらない男だ。


「なににもならなくていいから、楽に生きたいかな……」

「ふーん。つまんねー」


 5歳になんか言われたぞ。ごもっともすぎるけど。

 ギコギコとブランコを揺らしていると、弱い力で体を叩かれた。振り返ると、夜差がもじもじとしながら花を数本手にしていた。


「おにーちゃん、ぼくこれすき」


 黄色い花と、紫の花。種類は知らない。夜差は目を腫らしながらもニコニコと笑っていた。


「いいじゃん。お花好き?」

「ん、すきだよー」


 そういえば夜差は高校生になっても花を踏んだだけで泣くような男だったな。この頃から植物は好きだったみたいだ。


「おにーちゃんはすき?」

「え……う、ん。俺も好きだよ」

「えへへ……。おにーちゃんにこれあげるね」


 そう言って、夜差は黄色い方の花を俺に差し出した。受け取ろうと思って左手を出すと、手のひらに置くのではなく、俺の指に花の茎を通しはじめた。


「ん?」

「あのね、ゆびわ」

「指輪……」


 小さい手でぐるぐると巻きつけ、苦戦しながら俺の指__それも、薬指に花のリングを作った。


「これは……」

「おはなのゆびわだよ」

「ハハ……ありがとう。こういうの、保育園のお友達とかにもしてるの……?」

「してないよ。おにーちゃんだけだもん」

「あ、そう……。あの、もしも次こういうことするときは、違う指の方がいいかもしれないね……」

「なんで? おねーさんゆびは、けっこんゆびわでしょ?」

「え?」

「ぼく、おにーちゃんとけっこんしたい」

「ブッ」


 危ない。危うく子どもの顔面に唾を吹きかけるところだった。なんだ、このマセガキは。


「奈之くん、結婚の意味分かってる?」

「うん。ずっといっしょにいるんだよ」

「うーん、まあそうなんだけど……。基本的に男同士じゃ結婚できないよ」

「えっ……」


 夜差は面白いくらいに口をぽかんと開けた。夜差の初プロポーズを奪ってしまって申し訳ない。そうだよな、5歳で結婚なんて分からないだろう。すると夜差はうんうんと悩んで、あっと何か閃いたようだった。


「じゃあおにーちゃんがおんなのこになればいいよ」

「待って」


 夜差ってたまに死ぬほど自己中なんだよな。この頃からそういう人格はできあがっているらしい。


「もぉ、おれも!!」


 ブランコをこぐ手を止めて、夜差と長々喋ってしまったのが不満だったのか、木闇がブランコから降りて自生している花の方に走って行った。そして数本花をむしり取って、俺に見せつけてきた。


「おれも、おれも!!」

「あ、ありがとう」

「おれのがいっぱいある!」

「うん、ありがとう」

「いっぱいだから、おれのがけっこんできるもん!」

「なんなの? コイツらどういう教育のたまもの?」


 貰ってあげないのも可哀想なので、木闇から花束を受け取ると、次は夜差が目いっぱいに涙を溜めた。あーもう……。


「ふ、2人とも、ありがとう! でも俺とは結婚できないんだよ」

「なんで?」

「なんでも、そういうルールだから」

「カンケーねーよ」

「あるんだよ」

「でもおれのおとーさんは、いちばんすきなひととけっこんしたっていってたぞ。いちばんすきなひとならいいでしょ?」

「暴論っ……。てかそもそも、一番好きな人は俺じゃないでしょ。もっといっぱいいるんじゃない? 園のお友達とか」

「んーんー!」


 木闇は首をぶんぶんと振った。俯き、小さい口でぽつりと呟いた。


「おにーちゃんがいちばんすきだもん」

「なんでぇ……?」

「ぼくもおにーちゃんがいちばんすきだよ」

「脈絡がないよ……」


 俺なんて初対面でシールあげただけなのに、何故……? それはもうあのシールが好きなのでは?


「とにかく、できないからね」

「なんで!」

「だから、男同士は無理だし、あと年齢もね。5歳と17歳じゃアウトなんだよ」

「じゃあぼくがおおきくなったらいい?」

「ム……。いや、駄目です」

「なんでーっ!」

「あー、もう……。俺は俺より大きくて強くてかっこいい人とじゃないと結婚できません」


 と、出まかせの適当な発言をしてしまったのがよくなかった。


「じゃあ、ぼくがおおきくなって、おにーちゃんよりからだおおきくなったらけっこんしてくれる?」

「え」

「じゃあおれも、おにーちゃんよりつよくなったらけっこんしてくれるの?」

「え……」


 できないよ。と言ってもどうせまたギャンギャン反論されるのだろう。頼むからそんなキラキラした綺麗な瞳でこっちを見ないでほしい。


「わかった……ほどほどにね……」


 俺が渋々頷いたのを見て、2人は二パーッと笑った。あんなに喧嘩してたのに、こういう家に住みたいやら犬を飼いたいやら車は赤いのがいいやらを話し始めて、なんだかどうでもよくなってきた。


 そして、今までこの流れに全く混じらなかった子が1人。

 漆チャイルドは、砂場で城を作ったり、地面に絵を描いて遊んでいた。すげえ、漆をそのまま小さくしたような子どもだ。今と全く変わらない。俺は漆の側に行き、1人もくもくと枝を動かしている横にしゃがんだ。


「なにしてるの?」

「……」

「あーっと……。これはなんの絵かな」

「……」

「……」


 フル無視。俺の言葉なんて耳に入れず、目の前のことに集中していた。一面にはずらっと絵が描かれている。いろんな四角い絵が横一列にたくさん並んでいた。1つ、四角の中に丸が描かれているものを発見した。


「これは国旗?」

「そう」

「お……。じゃあこれは日本?」

「そう。こっちはイタリア、こっちはちゅうごく」

「へぇ、凄いな。……これは?」

「ガーナ」

「ガーナ!?」

「これはカタール」

「カタール!?」

「これはモルディブ」

「モルディブ!?」


 すげえ。たまに国旗見て国名全部言える天才の子いるけど、漆は国旗が描けるのか。そんな特技、俺知らなかったぞ。


「もしかして全部覚えてるの?」

「うん」

「すご……。どれが一番好き?」

「チカは、これが好き」


 漆が指差したのは、大きい三角と小さい三角が重なったような国旗だった。国名は分からない。てか、漆って小さい頃は自分のこと千佳って呼んでたんだな……。カワイ……。


「これはなんて国?」

「セントルシア」

「聞いたことないぞ……。どんな国?」

「セントルシアはカリブかいにあるしまで、ウィンドワードしょとうのセントルシアとうをりょうどにするしまで、ちいさいしまだから、あわじしまくらいのおおきさしかなくて、ピトンっていうふたごのとんがったやまがゆうめいで、」

「うん、うん、うん……」


 天才児だ……。俺の知らない国のことを、齢5にしてペラペラと喋っている。漆の家の部屋に飾ってあった、ピンが刺されまくった地球儀とこの知識は関係あるのだろうか。でもこれは漆が国とか国旗に興味があるからここまで覚えられているのだろう。漆の好きなものに対する学習速度は異常だ。高校生の漆は、興味のない国語と英語の成績はめちゃくちゃ悪いからな。

 俺が地上に描かれた国旗を呆然としながら感心していると、漆はやっと俺の方を見てくれた。


「なまえは?」

「ん、俺の?」

「うん」

「えっと、黒野文って言います」

「どこにすんでる?」

「んー、この近く……?」

「なんさい?」

「17」

「すきなたべものは?」

「え、……うどん?」

「チカもすき」

「あ、そう……」


 なんだ、めっちゃ聞いてくるな。


「クロノ、いっしょにおしろつくろ」

「呼び捨て……」


 漆は俺の服を引っ張り、砂場へと歩いて行った。建設途中の砂のお城の前に座り、上から更に水に濡らした砂を盛り始めた。


「俺何すればいい?」

「チカのおうえんしてて」

「一緒にお城作るの意味合ってる?」


 てかそもそも応援って何すればいいんだ。分からないので、適当に雑談でもすることにした。俺、こんなことしてる場合じゃないのにな。


「あの2人と一緒に遊ばないの?」

「なんで?」

「なんでって、1人じゃ寂しくないの?」

「さみしくない」

「保育園で、よく一緒に遊ぶ子とかいない?」

「ううん」


 漆は終始表情筋をぴくりとも動かさず作業していた。この頃からあまり表情がないようだ。


「チカはこわいから、みんなあそんでくれない」

「こわい?」

「チカのあそびはおもしろくない、こわいって」


 手を止めず無心で砂を叩くこの子どもがなんだか可哀想で、俺は思わず手を伸ばしてその頭を撫でた。


「なんで。こんなに可愛くて面白いのになあ。みんな見る目ないよ」

「……チカはおもしろいの?」

「うん。お前は面白いよ」


 漆は数秒間じっと俺を見て、そしてむずむずと口を動かした。


「クロノ、チカやっぱりブランコしたい」


 すくっと立ち上がり、おもむろに駆け出した。そのまま後ろを振り返り、俺に向かって叫ぶ。


「クロノもいっしょがいい!」

「あっ、危ない! ちゃんと前向いて!」


 ガンッ! と音がして、漆はその場で尻もちをついた。運悪く目の前にシーソーがあり、ちょうどいい高さ、漆のおでこに激突してしまった。慌てて駆け寄る。漆は何が起きたか分からないというような表情をしていたが、痛みに気づいたようで、真っ黒い目にうるうると涙を溜めていた。


「あ〜……、よしよし……」


 赤いおでこが可哀想だ。大きな怪我にはなっていないが、俺は気休めでおでこを撫でてあげた。


「い、いたい……」

「うん、痛いな……。泣かなくて偉いぞ」

「そんなんじゃなおらない……」

「え」

「そんなんじゃなおらない」


 この撫でている手のことだろうか。嫌だったのかもしれない。ぴたっと手を止めると、漆は俺の脚にぎゅっとしがみついた。


「いたいとこ、キスしないとなおならいんだぞ」

「コイツらマジでどこの教育受けてんの?」


 親、スペインとかで育児した?


「うぅ……クロノ、いたい……」

「ほっとけば治るよ……」

「いたい、いたい!」

「あっ、あ〜……」


 そんな大声で叫ばれると、俺が怪我させたみたいじゃん。漆は前髪をペラっと上げて、俺に分かりやすく赤くなった場所を見せつけている。強い意志を持った瞳だ……。


「わ、分かったよ……。後で俺が無理やりやったとか言うの無しな」

「うん」


 俺は聞こえないように小さくため息をはいて、そしてつるつるのおでこをめがげて唇を落とした。

 すると。


 ボンッ!!


 白い煙が漆を包んだ。数秒後、その中から見覚えのあるシルエットが現れる。


「……? あれ……」

「う、漆っ……!」


 元に戻る条件、これかよ……。

 漆は自分の姿と小さいままの2人見比べ、首を傾げていた。


「俺、幼児化したんじゃないのか」

「え、してたよ。だいぶ」

「……。そうか。幼児化している間の記憶は一切無くなるんだな。これは失敗だ」

「思い出さない方がいいんじゃない? いろいろと……。ってか、お前! だからさっさと元に戻す方法教えろって言ったんだよ! めちゃくちゃ大変だったんだぞ、たまたま戻せたからいいけど!」

「ああ、そうか。じゃあ、黒野は俺にキスをしたんだな」

「そっ……」

「ふーん」


 ふーんってなんだよ。何気に不安でたまらなかったんだぞこっちは。そんな珍しい顔で俺を見るな。


「……お前、小さい頃自分のことチカって読んでたんだな」

「え」

「案外カワイーのな」

「ぉ……」


 腹が立ったので一人称について言及すると、なんと、もっと珍しいことに漆は顔を赤くした。恥ずかしさでぷるぷると体が震えている。


「……あ、あの一瞬だけだ……」

「嘘つけよ。あれいつまで続けてたの?」

「……言わない」


 これは、結構大きくなるまで続けてたな。可愛いじゃん。


「てかあの2人どうすんの」


 あの2人、夜差と木闇は意外と仲良く遊んでいた。地面に家の間取りを描いている。バカでかハウスが出来上がっていた。


「キスすれば元に戻るぞ」

「嫌だよ」

「俺はよかったってことか?」

「ちげーよ! お前、小さい頃から何も変わんねえな。てかお前がやれよ」


 5歳児に高校生男子がキスをするという業が深い行為はもうやりたくない。漆に全てを投げつけると、意外にも漆は分かった、と言った。


「え、マジで?」

「ああ」


 スタスタと2人の元まで歩いて行き、俺が漆にやったみたいに、それぞれのおでこにキスをした。しかも、物凄い勢いで。すごい絵面だ。完全にアウト。漆の親が見たら泣くだろう。勢い良くやると早く戻るとかそういう効果があるのだろうか。キスをしてコンマ秒後には、2人は元の姿に戻っていた。漆もその速度を把握していなかったようで、夜差のおでこにキスをした状態で夜差が大きくなってしまった。漆はうわ、と言って咄嗟に離したが、数秒後、夜差は自分が何をされたか理解したようで、漆の顔を見て非常に面白い顔をしていた。


「えっえっ……えっ、ええ、ぇぇぇ……??」

「失礼だな」

「俺なんで今漆くんにデコチューされたのぉ……?」

「あ、そっか、記憶ないんだ」


 かくかく云々。こんな狂った実験が行われ、その解除方法も狂っていたからそのせいだよということを2人に説明すると、夜差はぴえ、と泣き出した。


「うう……俺、漆くん嫌だ……黒野くんのが良かった……」

「嫌だよ!」

「待て、じゃあ俺も……」

「木闇も俺が戻した」

「ッッックッソ!!!!!」


 木闇は顔を真っ青にし、おでこを腕でガシガシと拭いた。なんか漆が可哀想に思えてきた。


「え、じゃあ黒野くんが俺らの面倒見てたの?」

「そうだよ、もう絶対やりたくない」

「えぇ、勿体無いなあ……」

「勿体無いってなに?」


 なんて言って夜差は不満そうにしていたけど、本当にもうやりたくない。まあでも小さい頃の夜差も今の夜差もほぼ変わらないかもしれない。

 隣にいた木闇がいやに静かだったので見てみると、食あたりした? というくらい顔を歪めていた。今日は全員珍しい顔をする。


「……マジで俺ガキになってたのか? 俺のガキの頃のまま……」

「うん」

「……俺、何言ってた?」

「……多分、聞かない方がいいと思う」


 木闇が自分の中で今の木闇を是としているなら、昔の自分の愛くるしさはタブーだろう。大量の花をむしり取って俺に差し出し、可愛いプロポーズをしてくれたぜ! なんて言ったら俺が死ぬか木闇が死ぬかどちらかだ。十中八九俺が死ぬ方だな。


「消せ」

「は?」

「記憶から消せ、さっきの俺を」

「……無理だけど」

「荒治療してほしいか?」

「待って待って」


 木闇に胸倉を掴まれた。怖え〜……。マジで殴りかねないからな。


「分かった、俺は何も言わないしもう全て忘れた」

「それでいいんだよボケカス」


 コイツ、息を吐くように汚い言葉を使う。


「てか、もうこんな時間じゃん! 俺この後予定あるんだよぉ。こんなに時間取るんなら早く言ってよ漆くん!」


 夜差は公園の時計を見て慌てていた。軽く1時間は経っている。俺の体感としては一瞬だったけど、確かにお菓子を貰うだけと思っていたイベントでこんなに時間を取られると思わなかっただろうな。でも漆は申し訳なさのカケラもなかった。


「想定外だったから」

「漆くんのそういうとこイヤ!」


 夜差はぴえ〜と泣きながら帰って行った。普通に可哀想。それに乗じて木闇もテンション低めに帰ってしまったので、公園に残るのは俺と漆だけになってしまった。


「……俺らも帰るか」


 漆は頷いた。結局漆の口からはごめんのごの字も出なかった。コイツといると調子狂うな。

 漆の家はとんでもなく辺鄙なところにあるが、途中のバス停までは俺の帰路と同じ道なので、2人で歩いて行った。


「今回のは失敗作だった」

「失敗作というか、お前の行動とか段取り全てが失敗だよ」

「違う、戻ったときに幼児化したときの記憶が一切無いのが計算外だった」

「いや、……それは別にいいと思う」


 特に木闇とか……。


「黒野、その花なんだ」


 漆は俺の手を指差した。手にしたままだった花束と薬指に巻きつけられた花のリング。


「チビ夜差とチビ木闇にもらった」

「なんで?」

「普通に、プレゼント」

「だから、なんで」

「特に理由なんてねーよ」

「理由なくプレゼントを送る人なんていない。なんでだ?」

「なんでお前そんなしつこいんだよ」


 無視しようと思ったけど、俺が答えるまで漆はなんでなんでと言って口を閉じなかった。本当にコイツしつこい。渋々答えることにした。


「これは笑い話なんだけど」

「ああ」

「2人からプロポーズされた」

「ああ?」


 漆がいつもより少しだけ目を見開いた。俺の手を彩っている花をガン見している。


「それで、なんて言った」

「え……できないって」

「それであいつらが納得したのか?」

「お前すげえな……。うるさかったから、適当にあしらったけど」

「なんて?」

「なんでそんなこと聞くの?」

「質問に質問で返すな」


 漆にそれ言われるの死ぬほど腹立つな。普段人の言うこと聞かないくせに。


「俺より大きくて強くてかっこいい人とじゃないと結婚できないって、返したけど……。ヤバイな、改めると俺とんでもなく恥ずかしい野郎じゃん」

「そうだな」

「そうだなって」

「……俺は?」

「ん?」

「俺は黒野にプロポーズしてなかったのか」

「されてたまるかよ」

「……」


 漆はそうか、と呟いて前を見た。急に静かになった。目線の先にはバス停が見える。


「やっぱり、記憶ない方がいいな」

「だろ」


 というか、俺わざわざ呼び出されてやったことと言えば子ども3人の子守りだったんだけど。戻し方も分からなかったから無駄に不安な気持ちになったし、なんの休日だったんだ。

 暫く歩くとバス停に辿り着いたので、漆とはここでお別れだ。はて、なんで漆はこんな薬を作ったんだろう。別れる間際にそんなことを思ったけど、聞いてもどうせロクな回答が出てこないのなんて分かりきっているので、なにも振らない。


「黒野」

「んー」


 去り際、漆は突然道路脇に生えていた雑草を引っこ抜いて俺の眼前に突きつけた。突拍子がなさすぎて怖い。


「これやる」

「本ッッッ当にいらないんだけど」

「……クッキー、黒野の分だけなかったから。詫び」

「なんでこれでいけると思ったん?」


 俺が離れると、漆がその分近付いてくる。絶対に貰ってくれるまで追いかける気だ。某お前んちお化け屋敷少年が某主人公少女に傘を押し付けるシーンくらい、頑なだった。


「分かった、貰うけど……」

「ん」

「左手が草花でいっぱいになった……」


 なんてやりとりをしているうちに、バスが到着した。今度こそ本当にお別れだ。休み1日無駄にした感が否めない。


「じゃあ、また学校で」

「ん」


 漆はバスに乗り込み、車窓から俺を一瞥することもなく発車した。


 ……どうしよう、この草花。なんとなく捨て辛い。

 




 

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