「ぼくのお父さんは遊園地の園長さんをやっています。みんなが笑顔になるハッピーな場所でハッピーをとどけることができて最高だって言っています。みんなお父さんのことをうらやましがります。ぼくはそんなお父さんをほこりに思います。ぼくのしょうらいのゆめは遊園地のお兄さんになることです」
当たり前の事だけれど、その教室では初日にして既にいくつかのグループが出来ていた。新顔の俺は物珍しいのか、多方面からチラチラと視線を感じる。自分で決めた事とはいえ、少しばかりナーバスになった。
誰もいない、誰も知らない高校に行きたかった。その学校は中高一貫高で、山奥にあり深々とした森林に囲まれていた。雑音が無く、中心部にいたら触れ合えないであろう自然が良い影響を与えるのか、文化系の部活や芸術的な才能のある人の成績が良いと聞いた。殆どの人が中学からの持ち上がりのため、受験を受ける必要がない。ただ、編入生がいない訳でもない。かくいう俺もその編入生であった。
入学初日。俺は割り振られたクラスに入り、黒板にチョークで書かれた座席表を見て自分の席に向かった。真ん中の列の真ん中くらい。可も不可もない。隣の席にいた持ち上がりの生徒であろう男が俺に話しかけてきた。
「そとの子?」
「ああ、うん」
この人達は編入生の事を「そとの子」と言うらしい。あまりいい気はしない。
「もしかしたらこのクラスだと君だけかもね。名前は?」
「えっと、たした、なみ」
「タシタナミ?」
「うん、田んぼの下の波」
「へえ、よろしく」
せっかくのそとの子なのに、こんなにも何の変哲もない人間だからだろうか、軽く挨拶を交わしただけで会話は終わった。それでよかった。俺はほっと胸を撫で下ろした。
この後は入学式がある。入学式と言っても、持ち上がりの生徒が多いこの学校は始業式とほぼ変わらないらしいけど。クラスの生徒達がちらほらと席を離れて体育館に移動していく中、一番後ろの席に座っていたとある男子生徒は一向に動こうとしなかった。
教室には俺とその人だけが残る。
なんとなく俺はその人に話し掛けた。
「あの、行かないの?」
机の一点を見つめていた顔が持ち上がり、俺を見る。特徴的な人だった。マレットヘアーというのだろうか、それがだいぶオシャレで今時な髪型になっている。そしてなんといっても、こんなに整った人テレビや雑誌以外で見た事がないというくらい綺麗な顔をしていた。彼は暫く俺をじっと見つめ、口を開いた。
「足挫いて、動けないからここにいる」
「えっ」
どこで挫いたのだろうか。動けないほど痛いのだろうか。そんな人がこんな所にいていいのだろうかといろいろ考えた。当の本人は何も思っていなさそうにあくびを噛み殺す。
「保健室行く?連れて行こうか?」
「いや、いい。保健室嫌いだから。先行ってていいよ。俺はここにいるし」
「でも」
「いいって」
置いていくのは申し訳ないけど、これ以上しつこく言っても嫌われそうだったのでゆっくりと離れて一人で体育館に向かった。
学校が変わっても校長の話の長さは変わんないんだなあとげんなりしつつ、ぼやぼやとこれから先の事を考えていた。実家からここまで通うのに電車、バス、徒歩でトータル2時間はかかる。同じ県内とはいえ、この場所はあまりにも辺鄙すぎる。流石に往復4時間を毎日繰り返す気力はなかったので、寮で生活する事に決めた。家族との別れ、これから始まる新生活への不安、いろいろ考えると気が滅入ってしまいそうだった。
入学式が終わって呼ばれたクラス順に体育館を出る。体育館が一気に賑やかになった中、俺は出口に体を向け、同じ列のひとつぴょこんと飛び出た頭に注目した。あれ、この髪の毛、絶対さっきの人。見間違いだろうかと思ったが、体育館を出る時に顔を盗み見て確信した。さっき俺が喋り掛けたイケメンだった。なんで普通に入学式に参加していたのだろう。足は?痛みを堪えながら列に混じっていたのだろうか。
気になったのでクラスに戻ってから彼にもう一度聞いた。すると、
「歩けたから行った」
と返ってきた。んん?動けないから教室にいると言っていたが。でも歩き方も別に変じゃなかった。会話は全く続かず、諦めて自分の席に戻ると隣の席の男が目を細めて俺に耳打ちしてきた。
「戸上とは仲良くしないほうがいいよ」
「トガミ?」
「田下くんがさっき話し掛けてたヤツ。変だろ?」
「変、どこが?」
「病気なんだよ、そういう」
「……足の?」
「違う違う、虚言癖」
へ。と思わず聞き返した。
「あいつ嘘の事しか喋んないの。中等部からずっとそうだった。まともに会話できねーよ、あれじゃ」
「嘘って、どの程度?」
「んー……、宇宙人と友達、みたいな分かりやすいのから甲殻アレルギーとかいう妙に真実味のあるものまで」
「アレルギーじゃないんだ」
「全然違うって、学食のエビチリ普通に食ってたもん」
「……あはは」
俺は笑った。夢があるような、ないような。なんだか途轍もなく面白い人なんじゃないかと思った。隣の席の子は野上くんの嘘に散々振り回されたのだろう、呆れた顔をしていた。
「……とにかく、変なやつだから。関わんない方がいい、戸上とは」
後ろをチラッと見る。戸上くんは、一番後ろの席で頬杖をつきながら本を読んでいた。何を読んでいるのだろうか。あんなに目立つ見た目をしているのに、まるでみんなの視界に入っていないみたいにひっそりと座っている。そうか、彼も俺と同じで、友達がいないんだ。俺は、中学の時みんなから嫌煙されていた。戸上くんも、もしかしたらそうなのだろうか。
「戸上くんって、寮通い?実家通い?」
「……え」
「寮通いだったら、俺今日から寮で暮らすからいろいろ教えてほしいなって思って」
「……じ、実家から通ってる」
「そうなの?」
じゃあなんで寮生専用の通学路で帰ってるんだろう。きっとこれも嘘なのだろう。
「戸上くん寮生だよね。部屋番は?」
「203」
「それは嘘?」
「……511」
「え、本当?」
「うん」
「俺512だから、多分横の部屋だね。よかったー」
帰り道、俺は戸上くんを捕まえて無理やり隣を歩いた。突然過ぎて戸上くんは驚いていた。虚言癖というのは本当のようで、俺が聞いた質問を殆ど嘘の情報で返す。戸上くんは俺という存在に焦っているようだった。
「誰?」
「あ、ごめん。俺、田下波」
「田下くん」
「うん。戸上くんは、下の名前なんて言うの?」
「正宗」
「へえ、かっこいい」
「嘘、違う」
「だろうと思ったよ。本当は?」
「みする」
「……嘘?」
「本当だよ」
「みするってどうやって書くの?」
「カタカナだよ」
「え、ハーフ?」
「うん、俺ハーフなんだ」
なるほど、どうりで日本人離れしている顔をしていると思った。
「嘘だよ」
「まって、どこからどこまで?」
「カタカナからハーフまで」
妙にハーフで納得してしまっていた自分が恥ずかしい。この顔、ナチュラルでこれなのか。
「みするは平仮名。いい漢字が思いつかなかったらしい。魅了する、で、みする」
「へえ。かっこいいね。俺も本当は違う漢字になる予定だったって」
「ナミ?」
「うん。波じゃなくて、並。酷くない?名は体を表しすぎでしょ」
「でもザブーンの方の波になったんでしょ」
「うん。危機一髪」
俺が笑うと、戸上くんも薄く笑った。中学の時はまともな会話なんてしなかったから、同級生とこんなふうに喋れる事に感動した。
「なんで足挫いたなんて嘘ついたの?」
「……さあ?」
「分かんないんだ」
「めんどくさいでしょ、俺」
「めんどくさいね。でも嫌じゃないよ」
戸上くんは俺を見て目をぱちくりと見開いた。そしてどういう顔なのか、なんとも形容しがたいへにゃっとした口をして呟いた。
「変なの」
「戸上くんが言うんだそれ」
戸上くんは案外喋りやすい人なのかもしれない。
「1階に食堂と浴場とランドリー。食堂と浴場は使える時間限られてるから。基本中等部と女子のフロアは出入り禁止。あと消灯は10時」
「あれ、そんな早いの」
「本当は11時」
「絶妙なとこつくね」
「外出と外泊は届け出がいる。なんか紙に書かないといけないらしいけど、俺殆どやった事ないからこれは他の人に聞いて」
「うん、分かった。ありがとう」
「じゃ、また明日」
「待ってよ!」
戸上くんに寮を案内してもらったはいいけど、サクサクと説明し、すぐに自室へ行こうとする彼の手を引いた。
「別に他の人の部屋に行っちゃいけないなんて決まりないんだよね?一緒に俺の部屋で喋ろうよ。ご飯もまだでしょ?食堂も行ってみたい」
「……一人で食べたら?」
「冷たいな。寂しいんだよ、ひとり暮らしなんて初めてだから。一緒に行こうよ」
「なんで俺?」
「なんでって、理由必要?」
戸上くんは誰かと行動する事に慣れていないのだろうか。また目を見開いていた。
「……俺普段食堂でご飯食べないよ」
「嘘?」
「……うん」
「ふふ」
多分、他の人だったら自分からこんなに話し掛けられない。何故かは分からないけれど、戸上くんにはガツガツいける。孤立している親近感からだろうか。失礼かもしれないけど、同情半分、興味半分だった。
食堂に案内してもらった。とても広くて、ドラマの中で見るような食堂だったので思わず感動した。
「凄い凄い!中学生からこんなとこ使えるの!?」
「ふ、うん」
「贅沢だなー。オススメのメニューは?」
「んー、全部美味しいよ」
「……嘘言わないんだ」
「食には本気だから」
戸上くんが食券機にお金を入れてボタンを押した。親子丼定食。俺も同じものを食べる事にした。サービスエリアのような食券スタイル。なんだかワクワクした。厨房のスタッフに食券を渡して、戸上くんが座った前の席に座る。戸上くんはそんな俺を凝視していた。
「え、なに?」
「なんで前座るの」
「え?」
「もっと他のとこ空いてるよ、あっちとか、窓際のとことか」
「……え、いや、一緒に食べるって言ったじゃん。嫌だった?」
「嫌、じゃない、けど。そうか。一緒に食べるって、近くの席で食べるっていう意味?」
「ま、まあ、広義的に……広義というか、むしろ狭義的か……、一緒に食べるの意味を考えると、そうなるのかな」
「ふうん」
戸上くんはそう言って、顔を下ろして半分になった食券の文字を眺めていた。
これは、もしかして、戸上くんはかなり人と関わる事を避けてきたんじゃないのだろうか。そわそわと、気まずい隙間を埋めるかのように視線を移動させたり体勢を変えたりしている。俺は苦笑いを浮かべた。
「ごめん、俺席移動しようか?」
「え、いや、別にいい。他人が間近でご飯を食べる所を見るのは勉強になる」
「勉強……?」
どういう観点?
その後完成した親子丼定食を受け取り、あまりの美味しさに無心で食べていると、言われたとおり戸上くんは食べている俺をじっと眺めていた。口にスプーンを運ぶ時の手元、箸をつける順番、あと多分、噛む回数。被験者みたいで妙に緊張したけど、俺同様、戸上くんも俺に興味津々なんだろう。そう考えるとなんでも許せるような気がしたし、少し面白かった。
自室のフロアに戻ると、戸上くんは「じゃ、」と言ってすぐに自分の部屋に入って行った。本当は浴場一緒に行こうよとか、消灯までお話しようよとかを言いたかったけど、流石に気持ち悪いかと思ってやめた。多分、戸上くんは他人と一線を引くような人だろう。
なんとなく公共の浴場に行く気になれず、自室のシャワー室でシャワーを済ませ、何もする事もなくベッドに潜り込んだ。目を閉じてもなかなか寝付けなかった。中学の事、反対を押し切って離れた家族の事、そしてこれからの事。考えてもどうしようもない不安が頭の中をぐるぐる回って、どういう訳かお腹が痛くなった。
「おっ」
「うお」
翌朝、準備をして部屋を出ると隣室の戸上くんとちょうど鉢合わせた。少し嬉しかった。
「戸上くん、おはよう」
「お、おはよう」
早めに部屋を出たつもりだったけれど、戸上くんもなかなか早く学校に行く人のようだ。戸上くんは挨拶をした俺から緩やかに視線を外しながらぎこちなくおはようと返した。
「戸上くん、一緒に学校行こうよ」
「え、なんで?」
「なんでかあ……」
困った。戸上くんに全く悪意がなさそうなのがまた返答に困る。きょとんとした目が俺を見る。
「理由必要?俺が戸上くんと一緒に学校行きたいからだよ」
戸上くんは数秒固まった。そして外側に短く跳ねた毛束を触って、ふうん、と呟いた。戸上くんが歩き出したので、俺も隣に並んで歩いた。
「俺、寮っててっきり相部屋だと思ってたから、高等部の人は全員個室が割り当てられるって知ってびっくりしたよ」
「成績落ちると監獄みたいな所に入れられて、共同生活しなくちゃいけなくなるよ」
「え、本当?」
「ううん、嘘だけど」
「よくそんな嘘すぐに思いつくね」
一周して感心する。
「まあでも、それもちょっといいかも」
「正気?」
「1人じゃ寂しいでしょ」
「別にそんなことないけど」
「俺はそんなことあるの」
「なんでこんなとこ来たの」
「それは……」
ふと視線を感じた。斜め前を見ると、昨日話し掛けてくれた隣の席の男がいた。目が合うとすぐに視線をそらされ、彼はなんともなさそうに隣にいる友達と喋り始めた。
「……?」
その時は視線の意味が分からなかったけれど、1日クラスで過ごしてみて理解した。俺が戸上くんに話し掛けに行くたびに、周りからじろじろと見られた。そしてそれと比例するかのように、クラスメイトから避けられる。それでも俺は別に構わなかった。
「戸上くん、一緒に帰ろう」
「……なん」
「なんで禁止、嫌なら断ってくれてもいいけど、なんでは使わない!」
「……」
戸上くんはおろ、と視線を動かしてゆっくり頷いた。下校中、暫く無言を貫いていた戸上くんは小さく口を開いた。
「俺と一緒にいない方がいいよ、分かるでしょ。避けられてんの」
「え?」
「俺、変でしょ。多分田下くんもちょっと変なんだろうけど」
「変……?」
「山奥のこんな一貫校にわざわざ編入してくるんだから、普通ではないんじゃないの」
「ああ、まあ……」
「なにか理由はあるんだろうけど、友達作りたいんなら俺と関わるのはやめといた方がいいと思うよ。俺こんなだし、田下くんもマトモじゃないって思われてるよきっと」
戸上くんは自分の事を理解していながらも、所謂その変な癖を続けているのだろう。忠告なのだろうけど、俺を気遣ってくれているのだろうか。出会ってまだ2日目だけれど、俺には戸上くんが悪い人には思えなかった。
「友達つくりたいから、戸上くんと友達になりたいんだよ。嫌だった?」
「!」
「いっぱいの人と関わるの、大変だから。戸上くんといる方が楽なんだよ、多分」
「比較する友達いないのに」
「それはそうだけど……」
言うじゃん、と言い返そうと戸上くんを見ると、広角は歪んでいてほんのりと耳の縁が赤く染まっていた。へえ、ふーん、可愛いじゃん。
「……ははは、宇宙人と友達ってのは本当?」
「……誰から聞いたの」
「誰だっけ。嘘?」
「嘘じゃないよ。握手交わしたら意識飛んで、気付いたら半裸で倒れてた」
「ははは!」
こんな嘘も全部子どもが考えた架空のお話に思えてきて、楽しくなった。俺は彼の名前通り、魅力的な人に出会えたのかもしれない。
「戸上くん、俺はもう友達?」
「友達って、どこからが友達?」
「宇宙人と友達なんでしょ。それと同じ」
「……ごめん、嘘。宇宙人の友達はいない」
「だろうね。俺は友達になってくれる?」
「友達……」
「嫌?」
「嫌じゃ、ない、けど」
「けど?」
「……」
嘘、つかないのかな。つけないのか、いろいろ考えてそうだけど、返す言葉はないみたいだ。
「よろしくね」
俺が右手を差し出すと、戸上くんはその手を凝視し、そしてまるで機械みたいにぎこちなく自分の右手を出した。俺は顔を綻ばせ、緩やかに戸上くんの手を握った。
「今日は皆既月食が見れるらしい」
「えっ、そうだったの。何時から?」
「8時半頃って」
「早く宿題終わらせないとね。一緒に見る?」
「見れないよ、嘘だよ」
「……まあ、そうだろうね」
息をつくみたいに嘘をつくな戸上くんは。
戸上くんは本当に、時々会話困難なくらい嘘をつくらしい。だからだろうか、授業中に先生から当てられることもない。
「あー、惜しい惜しい、ここね!ここ、ここのミスがね、いいミスですねぇ、みなさん、分かります?」
今日は何日だから、出席番号何番の人、で見事に当たってしまい、黒板に書かれた数式の続きをチョークで書いた。そして間違っていたらしい。普通に指摘すればいいのの、間違いの見本みたいな感じで取り上げられて恥ずかしくなった。俺、この先生苦手だ。教壇から降りて自分の席に戻ると、一番後ろの席にいた戸上くんがにやにやと笑っていた。クソ、さっきまで寝てたくせに。
戸上くんは案外表情のある人だった。初日は俺という存在をかなり警戒していたらしいけど、慣れてくると感情が顔に出るようになった。
「ずるいよ」
「田下くんも、手のつけようのない変わり者だって思わせれば教師も寄り付かなくなるよ」
「無理だね」
「俺、一回クラスの窓全部割って暴れたからね」
「え?」
「嘘だよ」
「よ、よかったー……。まあ、そうは見えないけど」
「俺、非力に見える?」
「うん、どっちかって言うと学校のサーバーとか壊してそう」
「……ああ、それはあるね」
「……え、嘘?」
「嘘だよ」
「も〜!」
時々リアルすぎて真偽があやふやになる時がある。
今はお昼時で、食堂で戸上くんとご飯を食べていた。寮の食堂とは別に校内にも食堂がある。あまり気にしてなかったし両親も何も言わなかったけど、もしかしてとんでもない金持ち学校なのではないのか。
俺と戸上くんがテーブル席に座ると、面白いくらいに誰もその席に寄り付かない。怒りとか悲しさとかは全くない。寧ろ大きな席を2人で占領してしまって申し訳無ささえ生まれてくる。
「ここってもしかして、凄い学校?校舎綺麗だし、ご飯も美味しいよ」
「意識した事なかったけど、別に普通じゃない?ご飯美味しいのはそうだと思う」
「この設備の良さは普通じゃないけど……やっぱりご飯美味しいよね。なんでだろ」
「ああ、食材を近くの農家とか精肉店とかから直接仕入れてるから」
「なるほど、だからか」
「もっと先に行ったとこに、畜産農家がある」
「詳しいね」
「俺んち、麓のお肉屋さんの子だから」
「へえ!」
「嘘だよ」
「流石にちょっと信じちゃったな」
「ごめん、嘘」
「どっち、……ん?」
「嘘嘘」
「いや、だからどっち」
戸上くんはふっと笑った。翻弄されっぱなしだ。でも何故か嫌だとは思えない。俺がおかしいのか、戸上くんを嫌煙する周りのみんながおかしいのか。
「あ、戸上くんソースついてる」
「ん」
「ううん、こっち」
俺は戸上くんの口元に指を当て、それを拭った。トレーに乗っていたペーパーナプキンで指を拭いて前を見ると、戸上くんは目をまんまるにさせていた。それに気付いて、俺は顔を赤くした。
「ごめん!えっと、あは、弟にやるのと一緒の感じでやっちゃった」
「ああ、そういうものなのかと思った」
「そういうもの……?」
「普通の友達は、こういう事をするんだって」
「ア、ええ、どうだろう、やるのかな、俺も友達多い方じゃないし……」
「ふうん」
戸上くんは視線を下に戻し、フォークでくるくるとパスタを巻いた。なんだか1人でやって1人で恥ずかしくなって、更に恥ずかしくなった。
フォークに巻かれたパスタが戸上くんの口の中に運ばれる。それを目で追った。1、2、3、4、5回。それだけ噛んで、喉を通っていった。よく咽ないな。そういえば、戸上くんはたくさん食べるし食べる速度も早い。俺と全然違う。なるほど、初日に戸上くんが俺の食事シーンを観察していた気持ちが少し分かる。ちょっとだけ楽しい。
戸上くんの口元を指で拭ったのは本当に無意識のうちだった。俺には弟がいる。弟は俺と違って異様に食べるのが遅くて食べ方も下手くそだった。弟はミートスパゲッティが好きだけど、いつも上手に食べられなかったから俺が隣でよく口元を拭ってあげていた。手がかかる子だったけど、俺はそんな弟が大好きだ。
と、物理的に遠く離れた弟を思い出して少しナーバスになった。いけないと思い、俺は目の前にあるうどんをかきこんだ。
「……」
眠れない。
消灯前に布団に潜り込んだが、全然寝付けなかった。昼間に弟の事を思い出したからだろうか。ホームシックというやつか、それとも。ごろごろと寝返りをうって何度も体勢を変えたけれど、心臓の奥がずんと重くて寝られそうになかった。
水を飲みに立ち上がり、廊下に出て給水器に向かった。一服してどうしようかかなり迷ったが、511号室__つまり、戸上くんの部屋を訪ねる事にした。
511と書かれたプレートの扉の前に立ち、軽くノックをして待った。いやこれ、流石に男子高校生がホームシックで男友達に頼るのは恥ずかしすぎるし、そもそもかなり迷惑なのではないか。戸上くんは多分、スキゾイド的な所がある。特に夜寝る時なんてプライベートな時間邪魔されたくないのでは、と、自分で行動を起こしておきながら不安になった。
じっと待つと、扉が微かに開き、隙間から眠たそうな目を擦りながら戸上くんが顔を見せた。
「ん……田下くん……?」
「あ、えっと、ごめん、えっと」
「うん……」
なんて言えばいいんだ。寂しいから一緒に寝てくれ、なんて言えないだろう。冷静になって考えると馬鹿みたいだ、と思い引き返そうとした。
「ごめん、なんでもない。ほんとごめん、戻るね」
体を隣の部屋に向けると、戸上くんはぱしっと俺の腕を掴んだ。
「眠れないの」
「あ……うん」
「俺はどうすればいい?」
純粋な眼で俺を見る。どうすればいい。確かに、俺は戸上くんにどうしてほしいんだろう。改めて自分の恥ずかしい要求を思い出して顔が熱くなった。
「田下くん?」
「あっ、えっと〜……、はは、あの、寝かせて、ほしい」
「え?」
「ごめん!気持ち悪いのは承知だけど、床でいいから、いやえっと、戸上くんの部屋が嫌なら俺の部屋でもいいから、ベッドも貸すから、あの、だから、一緒の部屋で寝てくれない?……かな」
恥ずかしくていたたまれない。俺は顔を下げて何度もスウェットの生地を握った。駄目だ、余計目が覚めてきた。もう帰ろう。
「ごめんね……えっと、狂言だったと思って忘れて……じゃあ……」
「つまり、一緒に寝ればいいの?」
「え、あ」
「いいよ。どっちの部屋でも変わんないでしょ。俺の部屋でいい?」
「あ、う、うん」
戸上くんは俺を引っ張ってそのままベッドに連れて行った。戸上くんが先にセミダブルのベッドに潜り込み、そして半分のスペースを開けて俺にアイコンタクトを送っている。マジか。まさかベッドまで貸してくれるとは思わなかった。
おじゃまします、と口にして恐る恐る布団に潜り込む。自分の布団と全然違う匂いがして少し緊張したけど、先程までこのベッドで寝ていた戸上くんの体温がまだ残っていて、それだけで一気に眠たくなった。
「……意外」
「なにが?」
「戸上くん、こういうの絶対嫌だと思った」
「うーん、どうだろう。嫌かどうかも分からない。初めてだから」
「そっか」
少なくともまだ嫌がってはないな。そう思うと安心して、だんだんと瞼が重たくなっていった。
「こういうのは、普通の友達はやるの?」
「ん……ん、どうかな、やらない、かも……」
「……ふうん」
あれ、答えってこれで合ってるのかな。でももう言い直す気力もなかった。無事ぐっすり眠れたみたい。
出会いから2ヶ月も経てば、俺達は、……多分、まあ、そこそこ、仲良くなった。
「体育祭の競技何にする?」
「リレーか借り物競争かな」
「それ、絶対嘘でしょ」
「うん。するわけ無い」
「なんでそんな嘘つくんだよ」
「なんでだろうね」
6月、体育祭の時期がやってきた。1つは絶対競技に参加しないといけないらしく、希望種目を紙に書いて提出し、定員オーバーした人気競技はくじ引きでランダムに選出されて、外れた人は第二希望に回るらしい。昼休み、俺は戸上くんとその紙を眺めて悩んでいた。
「1人でも成立するやつがいい」
「リレーと借り物競争絶対駄目じゃん」
「んー、100m走にしようかな」
「え、嘘?」
「え?」
「え……走るやつにするんだ」
「うん……え?」
「いや、だって戸上くん体育の時びっくりするくらいノロノロ走ってるし」
「省エネでしょ」
「省エネどころか、周りのエネルギー吸ってそうなくらいどんよりしてるけど」
「ふ……」
戸上くんはニヒルに笑った。そして、第一希望の所に100m走と書き込む。ええ、本当かよ。俺は絶対嫌だ。倍率が高いのは承知の上で、玉入れと記入した。
「それ、外れたらどうすんの」
「どうしよう……俺走るのも注目されるのも嫌なんだよな……」
「縄取りとかは?やってるフリしてても多分バレないよ」
「ああ」
俺は苦笑いを浮かべた。戸上くんはそういう思考が異様に早い。多分、今までそうやって省エネな方に生きてきたのだろう。俺は第二希望の空欄に縄取りと書き込んだ。
「多分、第一希望になるよ」
「なんで?」
「俺、みんなの競技の決定権あるから」
「見え見えの嘘じゃん」
「嘘じゃないよ、俺理事長と繋がりあるから」
「え?」
「嘘だよ」
「本当だったらとんでもない事言ってるからねそれ」
澄ました顔をしている。もう流石に慣れたけど、戸上くんとの会話の五割は嘘に塗れている。時々絶対嘘だろ、と思う事が本当だったりするので侮れない。
授業が終わり、自室に帰って俺はスマホで検索エンジンを開いていた。打ち込んだ単語、「虚言癖 なぜ」。
自己中心的、わがまま、注目されたい、プライドが高い、寂しがり、頑固。タイプはいろいろあるらしいけど、なんだかどれもしっくりこない。妄想性パーソナリティ障害、根拠のないことを真実だと信じ込んでしまい結果的に嘘つきだと思われる。うーん、多分違う。嘘をついてからネタバラシまでの時間が短すぎる。反社会性パーソナリティ、自分の利益や欲求のために繰り返し嘘をつく。これは絶対違うな。戸上くんの嘘、利益全然なさそうだし。
画面をスクロールしていくと、虚言癖のある人との関わり方と書かれたページに移った。先頭に書いてある見出し、まず第一に、あまり関わらないようにする事。
「ふはっ!」
思わず吹き出した。ガッツリ関わっちゃってるな。寧ろ俺は戸上くん以外と関わっていない。
あとは、大げさに反応しない事、2人きりで行動しない事。俺、駄目じゃん。尽く逆に動いている自分にツボり、暫く1人で笑っていた。
変だよな、戸上くん。
虚言癖のくせにどれにも当てはまらない。というか、虚言癖抜きにしても戸上くんは少し……だいぶ……変わってると思う。人間以外の何かが生まれ変わって、頑張って人間らしい生活を送っているんじゃないかと時々思う。それか、戸上くん自身が宇宙人であるか。戸上くんはいろんな感情が抜け落ちているのか、存在しているけどその感情が理解できないのか、俺や他人が論理的じゃなく感情で起こした行動について何故なのかとよく聞いてくる。大体はうまく説明ができないから曖昧に答える。まるで子育てみたいだ。かなり遅れてやってきた、なぜなに期。
「戸上くん」
511号室のドアをノックして、数秒待つ。すると戸上くんが歯を磨きながらドアを開けてくれた。
「はい、どうぞ」
「おじゃまします」
自分の枕を抱いて戸上くんの部屋の中に入る。戸上くんは洗面台に向かったので、俺は先にベッドに向かった。主人より先に布団の中に潜ると、暫くしてから戸上くんも中に入ってきた。
「あー……今日はあんまり眠れない日かも」
「田下くん、科学の時間寝てたしね」
「こっそり寝たつもりだったけど……」
「バレてたよ」
つん、とつま先が戸上くんの足に当たった。少し冷たい。違和感がないようにゆっくりと離れさす。
戸上くんと一緒に眠った日から、定期的に、というか、ほぼ毎日一緒に寝させてもらっている。一度人肌に慣れてしまったら、1人で寝るのが寂しくなってしまった。
「眠くなるまでお話しよう」
「なにを?」
「うーん……。なんか、俺に聞きたい事とかない?」
「ききたいこと」
「うん。なんでもいいよ」
「んーーー……」
「うん」
「んーーー……」
「……」
「んんーーー……」
「……そんなに何も出ない?」
「難しい。何を聞けばいい?」
「それを聞いてるんだよ」
「明日までに考えとく」
「企画倒れだよそれは……。じゃあ俺が戸上くんに質問してもいい?」
「うん」
戸上くんは寝入る時、絶対に仰向きになる。俺は横を向いて戸上くんの肩を見つめた。
「戸上くんは、えー……んー……、中等部の頃から寮生活なの?」
「ああ、うん」
「凄いね。偉い……」
「偉いの?」
「家族と離れて生活しなくちゃいけないでしょ。偉いよ。俺は無理だな……」
「今やってるじゃん」
「寂しいから戸上くんと一緒に寝てるんだよ」
「ああ、それだ」
「ん?」
「そんなんなのに、なんでこんな所に来たの?」
そういえば言ってなかったな、と思い、目を瞑って中学の事を思い出した。まぶたの裏にじんわりと無邪気な顔が浮かぶ。
「いろいろあるんだけど……。俺、実は双子なんだ」
「へえ、おんなじ顔?」
「ううん、二卵性だから、全然似てないの。見る?」
戸上くんは顔をこちらに向け、頷いた。俺は枕元に置いたスマホのカメラロールを遡り、弟がカメラに向かってピースサインをきめている写真を戸上くんに見せた。
「似てないね」
「でしょ?可愛いでしょ、俺の弟。均って言うんだ」
「ひとし」
「うん。俺は当初の名前通り、本当に普通な……並な人間に育ったんだけど、均はそうじゃなかった。全然均しくなくて、……うん、あれは天才だな」
均の顔を頭に浮かべた。均の生活リズムと俺の生活リズムが全く合わなくて、実家を離れてから全く電話ができていない。均は機械に滅法弱いから、メッセージのやり取りもしていない。
「天才?」
「うん。記憶力が異常に良くて、文字も形も絵も覚えるのが得意だった。保育園児の頃にはもう全部の国の名前と国旗を当てられたし、読んだ本の文章全部暗記してたり」
「へえ。ギフテッドってやつ?」
「そうかもね。昔は少し攻撃的だったから、そんな気はしてた。今は全然そんな事ないけどね。あと均は芸術の才能も凄くてさ、記憶力がいいから一瞬見た景色を思い出して脳内のイメージを細かく模写できるの。ビルの窓の数まで合ってるんだよ、凄いでしょ」
「うん……凄いね」
「ねー。それにほら……顔もこんな可愛いんだ。ずっとかわいいんだよ。均は俺の事なーくんって呼んで、俺の事大好きで、可愛いの。均は可愛いし有名だし人気で、凄いねって、みんなから」
「……」
「……だから、俺は違うのかって、からかわれて。もうさ、ほっといてくれればいいのに。無視して、相手しないようにしてたら、嫌なやつ呼ばわりされちゃって」
「……」
「俺は均の事が大好きで、そう、大好きだったんだけど、……分かんない、なんでだろう、時々嫌いだった。憎らしいって、生まれて初めて思った。均はなんにも悪くないし、均の事大好きって思ってる気持ちの方がずっと大きいんだ。でも、憎いって感じるのは、大好きよりもずっと重かった。一瞬感じたら、うわって広がって、止まんなかった」
「……」
「……戸上くん、寝た?」
「……」
戸上くんから返事は返ってこなかった。静かな寝息が聞こえてくる。俺はまぶたに手を当て、深く息を吐いた。
「……去年の夏、隣で寝てる均の首元に手を置いた。ちょっとだけ力を入れて、悲しくなってすぐにやめた。で、1人で静かに泣いて、もう均と離れようって思ったんだ。大好きな弟を、嫌いになりたくなかった。……だからだよ」
手の体温でまぶたが温かくなり、だんだん微睡んできた。戸上くんの寝息に重ねるように呟く。
「戸上くんは、なんで嘘つくようになったんだろうね」
体育祭当日になった。
なんと、俺の出る種目は第一希望で通ったらしい。こういうのはだいたい弾かれる人生だったけど。隣で猫背気味に立つ戸上くんを見る。もしかして本当に戸上くんに競技の決定権があるんじゃないかと疑ってしまう。
「なに?」
「……いや。暑そうだなって……」
6月とはいえ、もう既に夏日を記録している日も多い。今日も例にもれず絶好の体育祭日和となってしまった。半袖短パンの装備の横で戸上くんは、重たそうな色の冬用ジャージを、上下とも着ている。
「風が肌に当たるの、気持ち悪くない?」
「地球で生きていけないよそれは」
「俺宇宙人だからね」
「はいはい……」
戸上くんの嘘を軽くかわしつつ、俺達は指定の応援席に座った。正直、全く活動的になれない。クラスの一部……ガチ勢には申し訳ないけど、出なきゃいけない競技だけ出て、あとはどこか誰も来ない所で休憩しようと思っている。
「もうすぐじゃない?100m走」
「うん、待機列並んでくる」
「いってらっしゃい」
ここまで考えてボツにしました。残念…
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