思考難読S級愉快犯S


お題:顔のいい獅子倉に振り回される早乙女(獅子倉視点)


※謎世界線です。



1


 ごちんっ


「え」


 柔らかさとかぬくもりより、まず痛かった。己の唇が前歯に思いっきり当たった感覚は、想像してよりも遥かに痛かった。


 お互いにタイミングが悪かっただけだとは思う。俺は落としたスマホを拾おうとし、彼は先生から受け取ったであろうプリントを注視しながら歩いていた。それも、廊下の際際。そこまで端に寄らなくてもいいよと声を掛けたいくらいの廊下の端っこを、彼は足元を見ずにフラフラと。そして、歩いている先には生徒が部活で使っているであろうエナメルバッグが鎮座していた。彼がそれに足を引っ掛けるタイミングと、俺がスマホを拾って体を起こすタイミングがバッチリと被ってしまった。その結果の事故だった。

 ごちんと。

 思いっきり、唇と唇が触れ合った。触れ合ったなんて可愛いもんじゃないな。勢い良くぶつかった。

 痛みで、お互いが咄嗟に口元に手を当てた。


「……った……」


 上唇を舐めると血の味がした。暴力とは無縁、運動も怪我をするような激しい競技はしない俺からしたら、新鮮な痛みだった。

 そして、目の前のアンラッキーな男は口元を手で覆い、俯いたままうずくまっている。だいぶ痛いのだろうか。全く起き上がらなかった。


「あの、大丈夫?」


 一応手を差し伸べると、彼は恐る恐るというように俺を見上げ、そして目を見開いた。


「……あ」


 そう呟いたのは俺の方だった。

 いろいろ言うべきことはあったはずなのに思考がまとまらない。とりあえずこの子とこの子の幼馴染──もとい俺の友達には謝らないといけないなという責務は若干先行した。


「立てる?」


 あまりにも目の前の彼が動かなさすぎるので手を掴んで引き上げようと更に近寄ると、彼は勢い良く立ち上がった。危うくもう一度追突するところだった。


「ごっ、ごめんなさい!」


 そして、脱兎の如く走り去って行った。信じられないほど顔が赤く、泣きそうになっていたのだけは確認できてしまった。


(早乙女くんだったな……)


 姿が消えた方を呆然と眺めながら思う。

 事故で唇と唇がぶつかってしまった相手は、射手矢の大好きな子、早乙女くんだった。






2


 早乙女くん、早乙女若葉くん。同い年で、普通科の子で、射手矢の幼馴染。それくらいしか知らない。今まで話したこともなかったし、話しかけられたことももちろんない。

 射手矢と早乙女くんが廊下で喧嘩、というか射手矢が一方的に喧嘩を吹っ掛けている時は、だいたい俺が射手矢の後ろで見守っている。だから、俺と早乙女くんが一緒の空間に居合わせることは多々あるけど、それでも早乙女くんが俺を認知しているとは到底思えなかった。認知していたとしても、多分俺は嫌われている。全く目を合わせてくれないし、すれ違ってもなんの反応もしてくれない。それどころか、強張った顔をしながら通り過ぎる。射手矢の子分とでも思われているのだろうか。


 だから、先程の事故の件で早乙女くんが後日ゴネてくる場合だってある。そうなったら、7:3くらいでそっちが悪くない? と反論しようと考えた。俺はスマホを拾っただけだけど、あっちは注意散漫だった上に俺に飛び込んできたし。ちゃんと前を向いて歩いていたらこんなことにはならなかった。過失はあちらにある。




 その日の夜、全く寝れなくて三時くらいに部屋を出た。自販機で飲み物でも買おうかと向かうと、近くの休憩スペースに人がいた。自販機のぼんやりとした明かりが、ソファーに座って頭を抱えているその人の背中を照らしている。あまりにも動きがなさすぎて、普通に見てはいけないものでも見たのかと思った。

 その人は俺がお茶を購入するまでぴくりとも動かず、自販機からガコンと音がした瞬間、びくーっと肩を揺らした。焦ったように俺の方を振り返る。早乙女くんだった。


「……」


 早乙女くんは口を開け呆然とし、そして慌ててソファーから立ち上がった。

 逃げるなら逃がせばよかったのに、何故か俺はそこで引き留めようとしてしまった。


「お茶、いる?」

「え」


 静止させるための力強い声。こんな真夜中には不釣り合いだ。早乙女くんは俺の声にぴたっと立ち止まり、あ、やら、う、やら鳴きながら熟考した。


「あ、じゃあ、どうも……」


 俺に恐る恐る近付き、お茶を受け取った。ふとソファー前のテーブルを見ると、スマホと水のペットボトルが置いてあった。早乙女くんのだろう。水はほとんど減っていない。絶対俺のお茶は不要だっただろうに、逆に気を遣わせてしまった。


「……ジュースとかのがよかった?」

「あっ、いえ、とんでもない……」


 早乙女くんは俺から絶妙に視線を逸しながら、じりじりと後退した。めちゃくちゃ警戒されている。こんな反応される経験はほとんどないから、新鮮だった。興味本位で早乙女くんに一歩近付くと、びくっと震えた。おもしろいな。


「俺別にあのこと根に持ってないよ」

「ひっ……そ、その節は、とんだ無礼を……」

「いや、いいって」

「ひぃ……近いです……!」

「別に、俺ファンに手出さないよ」

「いやいやいやいやっそういう意味ではっ……」


 慌てふためく早乙女くんがおもしろくてガン詰めすると、早乙女くんは背後のテーブルに足をぶつけた。その影響でテーブルの上のペットボトルが倒れ、早乙女くんの歩行のようにテーブル際際に置かれていたスマホにヒットし、摩擦係数の低い床をスーッと滑っていった。

 確実に俺が悪いので、申し訳無さで早乙女くんのスマホを拾いに行くと、何かに気付いた早乙女くんが物凄い大声を上げた。


「あっ! いいです! やめて!」

「え?」


 何が? と思いながらスマホを拾うと、画面が点灯した。そのロック画面が、なんと俺だった。しかも最近のとか、好評だった撮影の写真とかではない。俺でも思い出せないような写真。多分、顔立ち的に中学生頃だろうか。画質に荒があるので、テレビで放送されていたドラマか何かをそのまま写真で撮ったのだろう。


「え……?」

「わーーーっ! わーーーっ!!」


 早乙女くんは物凄い形相で俺からスマホを奪った。咄嗟にポケットに隠し、わなわなと震える。


「……見た?」

「ああ、うん……」

「……う゛う゛ううぅぅぅ……」


 そして、崩れ落ちるようにその場で土下座をした。俺に向かって他人が土下座をしている場面を初めて見てしまった。


「え!?」

「……すみません、ファンなんです」

「え、本当にそうなの?」


 地の底から、今にも消えてしまいそうな絞り出した声が這い出てきた。思わず俺もしゃがんで、耳をそばだてる。


「……いつから?」

「……中学生の、時からファンで……すみません……」

「なんで謝るの」

「だって、ファンなのに、あんな事故を……」


 ずび……と鼻をすする音がした。早乙女くんは涙声で、本当にごめんなさいと懺悔を始めた。


「あの、とりあえず土下座やめよう」


 射手矢に怒られそうだし。

 早乙女くんの肩を叩くと、ゆっくり顔を上げた。涙で目がキラキラ光っている。


「別に謝らなくていいよ。事故だったし、危害を加えられたわけじゃないから」


 フォローしても、早乙女くんはしゅんとしたままだった。まあそうだよな。


「早乙女くん、俺のファンだったんだ」

「……なっ、なんで俺の名前知ってるの」

「そりゃあ知ってるよ。射手矢が早乙女早乙女って連呼するから」

「それは……ごめん」

「ごめん?」

「射手矢のせいで、獅子倉くんなんかに、俺みたいな余計な存在を知らせてしまって」

「そんなことないけど……」


 この子はだいぶ卑屈なようだ。今まで射手矢と喧嘩している場面しか見たことなかったから、こんなにネガティブだとは思わなかった。


「なんで俺にファンだって言ってくれなかったの?」

「そんな、簡単に言っちゃうファンになりたくなかった……認知されるなんて言語道断だよ」

「射手矢も今まで何も言ってくれなかったな」

「多分、射手矢は俺が獅子倉くんのファンだって知らないから」

「そうなの?」

「中学の時に獅子倉くんのファンになったけど、中学の時は今以上に射手矢と仲悪かったし……多分そういうの知らないと思う」

「へえ……」


 どうしたものか。射手矢にこのことを伝えたら俺はどうなるんだろう。お前の好きな子は何年も前から俺のファンだよって。


「なんで俺のこと好きになったの?」

「そっ、その言い方だと語弊があるよ」

「好きなんじゃないの?」

「……そう、だけど……。あの、ファンとして、ね」

「分かってるよ」

「……スマホのロック画面にしてるドラマ、見てて」


 やっぱりあれは昔のドラマだったか。多分アンサンブルキャストとして一話だけ出たような気がする。あの頃は今よりもっと知名度もなかった。成長期にも入ってないから、あの子役が俺だと気付かない人もきっと多い。


「あんなちょっとしか出てないのに?」

「でも、絶対凄い俳優になるって思ったから」

「それは……ありがとう」


 直球で褒められると少し照れる。女の子のファンは度々見かけるし、学校内でも話し掛けられたりするけど、男のファンに直接褒められる経験はあまりない。

 だから、これだけで関係が終わるのは勿体無い気がした。


「早乙女くんは、射手矢のことどう思ってる?」

「え……? なんで射手矢?」

「俺よく射手矢と一緒にいるから」

「……嫌なやつだと思ってる。俺のことなんてほっといてほしいのに」


 可哀想な射手矢。全部自業自得だけど。


「じゃあ、射手矢がいないとこで、俺が個人的に早乙女くんに話しかけるのは嫌じゃない?」

「え、なんで……?」

「仲良くなりたいから」

「っえ、っ、な、なんで……!?」

「……? 理由なんている?」

「いや、おかしいよ! 俺獅子倉くんのファンなんだよ!?」

「うん」

「簡単にそういうこと言っちゃいけないよ! しかも、その、俺は、事故で……」

「ああ、うん、キスしたね」

「……」


 早乙女くんは顔をしかめて真っ赤にした。面白い顔。


「リ、リスク管理、しっかりした方がいいよ」


 過失がある方がそれ言うんだ。


「はは、うん、分かった。連絡先交換しよ」

「……今までの全部聞いてた?」

「聞いてたって。リスク管理でしょ。俺が何かしないか見張っててよ」

「違うよ、逆だよ……なんで俺が獅子倉くんを見張るの……」


 俺が駄々をこねた結果、早乙女くんは連絡先を渋々交換してくれた。ファンなんだからもうちょっと喜びなよ。






3


 うちの学校は広く、学科ごとで階や棟が別れている。中でも芸能科と普通科は一番距離が離れている。翌日、俺はその普通科まで赴いていた。芸能科から普通科に用事がある人はほとんどいないので、一般生徒から好奇な目で見られた。

 早乙女くんって何組だったっけ。


「ねえ、早乙女くんのクラスってここ?」

「あっ、ハイッ」


 近くにいた男子生徒に聞くと、慌てて教室に入っていった。運良く早乙女くんのクラスだったようだ。男子生徒は早乙女くんに声を掛けてくれ、早乙女くんはあからさまに焦りながら俺の元まで飛んできた。


「ッねぇ、お、俺、昨日一応言わなかったっけ」

「何を?」

「リスク管理しっかりって」

「うん。だから射手矢は連れてきてない」

「そういうことじゃなくて……。芸能科の人が普通科のフロア来ちゃだめだよ」

「そうなの? そんな校則あった?」

「校則じゃないけど、暗黙の了解だよ」

「そうなんだ。俺、友達少ないからそういうの知らなかった」

「またまた……」


 いやホントなんだよ、と言おうとすると、早乙女くんの隣に誰かやってきた。


「早乙女、食堂行こう」

「あ、うん」


 好青年そうな雰囲気の割に、たくさんのピアス。にこやかなのに目が笑っていない。彼は確か、早乙女くんとよく一緒にいる人。名前は知らない。

 早乙女くんは申し訳なさそうに尋ねてきた。


「俺に何か用だった?」

「余計なお世話だったらごめんだけど、これいる?」

「えっ」

「俺が前に出た舞台のアクスタ」


 去年俺が出た舞台のグッズをポケットから取り出した。同じ所属事務所の若手俳優ばかりが出た舞台で、とにかくグッズで儲けを出した作品だった。噂によると、かなり名義を使わないと当選しない舞台だったらしい。グッズの受注生産もしていなかったので、早乙女くんは持っていないだろうと踏んだ。

 早乙女くんは一瞬息をのんで、目を輝かせながらアクスタを受け取った。


「あぅ、あっ、ありがとう……!」


 全面的に出していないものの、全身から嬉しさが滲み出ている。早乙女くんが俺のファンって、ファッションじゃなかったんだ。

 早乙女くんは俺のアクスタをくまなく凝視し、そして俺と隣にいる友達の視線にはっと気付き、コソコソと懐にしまった。


「早乙女、行こ」

「うん。獅子倉くんありがとう」

「いーえ」


 友達は早乙女くんの肩をぐっと寄せて、強制的に歩いて行った。


 早乙女くんってモテるなぁ。






4


「いちいち突っかかってくんなよ! 射手矢マジでウザい!」

「あ゛ぁ!? お前が俺をじろじろ見るからだろうが!」

「見てねえよ!! お前が見てんだろうが!!」

「みっ、見てねえよ!! 誰がお前みたいなブス視界にいれるかよ!!」

「ああそうですか! じゃあもう金輪際近寄らないでください、俺も射手矢に絶対近付かないから!」

「なっ……」


 また始まった。射手矢が廊下ですれ違った早乙女くんにいちゃもん付けるやつ。これに似た喧嘩何回やってんだ。そして自分で吹っ掛けておきながら、なんで射手矢がダメージ食らうんだよ。こいつほんと小学生男子みたい。

 早乙女くんは走って俺達の横を通り過ぎた。すれ違う瞬間、早乙女くんは俺に向かってぺこりと頭を下げたので、俺は小さく手を振った。今までこんなことされなかった。これは前進だ。

 そして、射手矢は頭を抱えて咆哮した。


「クソッ……なんで俺は……!」

「……射手矢って面白いよね」

「ああ?」


 毎回反省してるのに次に全く生かされない。こいつはいつになったら大人になるのだろうか。


「せめて喧嘩吹っ掛けなければいいじゃん」

「……そんなことしたら、絶対早乙女と喋る機会なくなるだろうが……」

「おはようから始めればいいじゃん」

「おはようって言って、今更おはようが返ってくると思うか?」

「思わないけど」

「……無視されるくらいなら、早乙女と喧嘩してでも目を合わせられる方が全然いい」

「あっちがそう思ってるとは思えないけど……」

「あぁ……? お前早乙女の何を知ってんだよ……」


 何も知ってなかったとしても、それくらい分かるよ。絶対迷惑してるもん。


「そんな意地悪ばっかしてたら、誰かに取られちゃうかもしれないよ」

「は? 早乙女が?」

「うん」

「……いや……ないだろ、だって早乙女だぞ……」


 そう言って、射手矢は黙り込んでしまった。誰かに取られる妄想でもしたか、誰かに取られるような思い当たる節があるのか。実際早乙女くんモテてるしな。


「俺がもし早乙女くんと仲良くなったらどうする?」

「……はァ? そうなりたいのか?」

「もしもね」

「……え、普通に殴るかも」

「……はは!」


 射手矢面白いな。俺を殴るより早乙女くんと仲直りする方が難しいんだ。






 数日後のとある日の夜、早乙女くんが寮の食堂で一人でご飯を食べていた。基本的に芸能科の生徒は普通科の生徒と同じ空間でご飯は食べない。騒がれるのも嫌なので、マスクとフードで顔を隠しこっそり早乙女くんに近付いた。食堂が利用できるギリギリの時間だったらしく、人はほとんどいなかった。

 早乙女くんの目の前の席に座ると、早乙女くんは顔を上げて目を見開いた。


「……えっ」

「一緒に食べていい?」

「あ、うん」


 そして、すぐ手元のご飯に視線を落とした。真正面に立つと絶対目を合わせてくれない。早乙女くんって俺の顔好きなのかな。

 早乙女くんはB定食を食べていた。今日は生姜焼き定食。何故か食べる速度を上げ、口の中にご飯をいっぱい入れて頬張っていた。実家で飼っているハムスターのことを思い出した。早乙女くん、なんかハムスターに似てるんだよな。


「な、なんでしょう」

「いや、なんでも」


 早乙女くんは俺の視線に耐えかねて、気まずそうに俺を見た。もきゅもきゅと咀嚼していてキュートだ。


「……それ全部食べるの? 凄い量だね」

「俺大食いなんだよね」


 俺のトレーの上のご飯の量を見て、早乙女くんは驚嘆した。全て大盛り、プラスでおかずも付けている。これでも夜だから遠慮している方だ。


「早乙女くん、ご飯食べるの遅いね。いつもこのくらいの時間なの?」

「あ、いや、さっきまで部屋の掃除してて」

「休日とかにやらないんだ」

「……ベッドにカビ? みたいなのがあったのを見つけて、それで、流石に部屋の掃除しなさすぎたなって」

「カビ……?」

「……獅子倉くんにこんなこと言うんじゃなかったな……」

「俺をなんだと思ってんの」

「人間の汚いところ見せたくない」

「俺だって部屋の掃除全然しないよ」

「でもカビ生えないでしょ?」

「カビは生えないけど」

「……部屋って家主に似るのかな……」

「ふっ……」


 普通に部屋の立地とか湿度とか整備が悪いんだとは思うけど、黙っておいた。


「あ、アクスタありがとう」

「ああ。飾ってる?」

「うん。獅子倉くんと写真撮った」


 早乙女くんはスマホを俺に見せてきた。画面には、俺があげたアクスタと、その周りに俺が出た雑誌やブロマイドが置いてあった。このブロマイドって、そんなに世に出回ってないはず。


「早乙女くんって、俺が思ってたより俺のファン?」

「……そ、そうだけど……」

「へぇー」

「……キモくてごめん」

「え、なんで?」

「こんな男のファンキモいだけでしょ……。学生だからお金も落とせないし」

「そんなこと考えてたの?」

「だってそうじゃない? お金持ってる綺麗なお姉さんのファンなんていっぱいいるでしょ。俺なんて細々とファンやってればよかったのに、こんな……近付きすぎて他のファンに申し訳ない」

「いやいや」


 むしろ近付いたのは俺の方だし。早乙女くんはただ運が悪かっただけだ。俺が近付いたせいで、感情の浮き沈みに翻弄されてるのに。早乙女くんが申し訳なく思う余地なんてない。……事故ってキスしたのは確かに早乙女くんが悪いんだけど。


「俺は嬉しいよ。身近なところに男のファンがいたの」

「嬉しいの……?」

「うん。見て分からない?」


 一応微笑んだつもり。早乙女くんは薄目で俺を見て、分かんないと答えた。






5


 その後も俺は早乙女くんと密会を重ねた。夜の食堂がほとんどだったけど、たまに共用浴場の前でばったり会うことはあった。俺は部屋に風呂がついてるからここは使わないけど、自販機がこの近くにある。自販機目的で行くと、運良く風呂上がりの早乙女くんと出会う事があった。自然乾燥派なのか濡れたまま、普段は目元を隠している重たい前髪が後ろに撫で付けてあり、おでこが丸見えだった。無言でその状態の早乙女くんを見ていると、早乙女くんは俺の視線に気付いて恥ずかしそうにしながら髪の毛をわしゃわしゃと荒らした。

 そういう反応に、可愛いと思ってしまっている自分がいる。ハムスターに似ていると気付いてからだ。毛づくろいをしている実家のハムスターに似ている。俺は動物の中でハムスターが一番好きなのだ。仕方ない。そう思う感情は自然だ。

 それ以外にも、射手矢がいない時は廊下ですれ違う時に挨拶とかしたり。射手矢がいたとしても、目線を合わせてみたり。射手矢にバレないようにこそっとやった。

 射手矢に申し訳なく思いつつも、別に悪いことは何もしてないし、誰にも迷惑かけてないし、と難しいことは考えないようにした。寝取ってるわけでもないしな。

 まあでも射手矢に悪いなと思いながら早乙女くんと接触を続けるくらいなら、いろいろと言っておいた方がいいのかな、とは思い続けていた。


 そういう生活を続けて数ヶ月後。


「早乙女くん、寝れなかったの?」

「え?」

「隈が凄い」

「あー……」


 夜、人の少なくなった食堂に行くと、早乙女くんがぼーっとしながらご飯を食べていた。心ここにあらずという感じだ。


「昨日豪雨だったじゃん」

「うん」

「あれで、俺の部屋雨漏りして、部屋べちょべちょになって」

「えー、カビ生えたのってやっぱり部屋のせいじゃない?」

「多分そうだと思う。雨うるさいし寒いし昨日寝れなくて……。しかも今空き部屋ないらしくて、代わりの部屋用意できないから保健室のベッド使えって」

「え、怖」

「そうなんだよ、怖いんだよ。俺夜の保健室とか絶対無理だからさ……あそこって確か人体模型あったよね」


 早乙女くんは最悪だ、と言って頭を抱えた。

 フム、これは射手矢も知り得ない情報だ。


「じゃあ俺の部屋来ればいいじゃん」

「へ」

「俺の部屋来ればいいじゃん」

「……いや、駄目だよ」

「俺は駄目って言ってないけど」

「駄目だよ!? そんな提案簡単にしちゃいけないでしょ!?」

「なんで?」

「え、分かるでしょ! 獅子倉くんは自分のファンが家無くなったって言ってたら、誰にでもそういうこと言うの?」

「言わないよ。ファンの誰にでもじゃなくて、早乙女くんだから言ってるの」

「……そっ……、いや、ううーん……」


 早乙女くんは長いこと唸って、ため息をついた。


「……リスク管理ちゃんとした方がいいって、マジで……。マネージャーさんとかにそういうこと言われないの?」

「ああ、うん。うち高校卒業するまで親がマネージャーだから」

「だったら尚更厳しく言われるでしょ」

「いや、別に、友達はたくさん作っておけって言われてるから」

「友達……」

「うん」

「獅子倉くんの中で、俺ってファンの立ち位置超えて友達でいいの?」

「違うの?」

「お、俺は獅子倉くんのこと軽々しく友達って呼べないよ」

「……? じゃあ今更よそよそしくする? また前みたいに話し掛けないようにするけど」

「……………………あ、いや……、ううぅぅん……」


 先程よりも更に長い時間唸って、早乙女くんは再度ため息をついた。今度はもっと大きい。


「はあ、……俺って強欲なのかな……」

「はは」


 なんでよ。もっと素直に喜びなよ。

 入浴が終わったら俺の部屋集合ねと提案すると、早乙女くんは唾を飲み込んで身震いした。何その反応。


「ちなみに、俺って友達射手矢しかいないんだけど、友達ってなにするの?」

「……え、何するんだろう……。俺も友達二人くらいしかいないし……」

「……」


 そのうちの一人って射手矢なのかな。射手矢じゃないんだろうな。射手矢、哀れなり。






6


 その後、早乙女くんは入浴を済ませて俺の部屋にやって来た。最初早乙女くんは物凄く緊張していて、入り口で立ち止まり、漫画のように目がぐるぐるになっていた。


「入りなよ」

「あっ、ス……」


 早乙女くんは控えめにおじゃましますと言い、中に入った。そして部屋中をぐるりと見渡した後、中央でゆっくりと深呼吸をしだした。

 深呼吸……。

 その様子をじっと見ていると、早乙女くんは我に返って慌てふためいた。


「あっ、いやっ、決して、そんな」

「はは、何が?」

「いやほんと、なんでもないから……」


 そう言って、早乙女くんは急に発汗した。表情がコロコロ変わって面白い。ちょっとは俺に慣れてくれたと思っていたけど、そうでもなさそう。


「この辺に布団敷くから、使って」

「あ、俺用の布団あるの?」

「俺のベッドがよかった?」

「…………いや、そういうのは、駄目だから」

「駄目?」


 遠慮じゃなくて断定的な拒否なんだ。俺は別にベッド使ってもらっていいけど。

 俺が布団を床に敷くと、早乙女くんはおずおずと腰を下ろした。その横に俺も座ると、早乙女くんはびくっと震え、身構えた。


「え」

「俺中学も高校も仕事で修学旅行行けなかったんだよね。だからお泊り楽しみで」

「はぁ……それは……痛み入ります……」

「早乙女くん、好きな子いる?」

「そんなド定番な……」

「いないの?」

「……いないよ。女子と喋らないし」

「ふーん。じゃあ、男は?」

「え?」

「好きな人って、別に女子だけに括る必要ないよね」

「え……いや……お、俺、そういうふうに見えた……?」

「ううん。そうじゃないけど。射手矢は?」

「は?」


 早乙女くんの表情が一気に崩れた。推している対象に向ける顔じゃないな。


「射手矢? なんで?」

「好きじゃない?」

「好きじゃないよ! なんで!?」

「だって、射手矢は早乙女くんのこと好きだし」

「んぁ?」


 早乙女くんはまた変な顔をして、そして苦笑いをした。


「獅子倉くん、そういう冗談も言えるんだ」

「……うん、冗談でーす」


 ちょっと面白そうだと思ってぶっこんだけど、ただ射手矢がダメージを負うだけになった。ごめん。早乙女くんって、本当に射手矢のことなんとも思ってないんだな。まあ全部射手矢が悪いよな。


「そんな早乙女くんに相談なんだけどさ」

「あ、うん」

「今俺の部屋に早乙女くんを住まわせてるって射手矢に報告しないといけないのね」

「え、なんで?」

「そうだな……」


 さっきの話は冗談ではなく、射手矢は早乙女くんのことが本気で好きだから、一応言わないと申し訳ないんだよ、とは言えず。


「普通に、いつも一緒にいる友達が自分の部屋に誰か住まわせてたら言うくない?」

「……それもそうか」

「それでね、何か……うまい言い訳ない?」

「え、言い訳?」

「うん、早乙女くんが俺の部屋に仮住まいする言い訳」

「え、普通に、俺の部屋が駄目になったから、善意でって泊めてあげたって言えばいいんじゃない?」

「……それもそうか」


 確かに、言い訳もなにも、人助けだしな。そのまま言えばいいか。射手矢なんて言うかな。怒るだろうな。


「あ、じゃあもういっこいい?」

「うん」

「俺と早乙女くんがキスしたこと言っていい?」

「……うん?」

「俺と早乙女くんがキスしたこと言っていい?」

「……あ、うん……………………。あっ、今のうんは、ちゃんと聞こえてたよのうんで、……………………え、駄目だよ」


 早乙女くんは唖然としながら俺を見た。意味分かららないという顔だ。スウェットの生地をギュッと握っている。


「駄目なの?」

「だ、駄目だよ!? なんでいいと思ったの!?」

「早乙女くんは隠したいの?」

「隠したいよ! 隠したいっていうか、だって、ほら、……わざわざ恥ずかしい思いしたこと言う必要ないでしょ……」

「俺とキスしたのって恥?」

「いやっ……そういうことじゃ……、ってかその、シンプルにキスって言うのやめない……!?」

「え、なんて言えばいいの?」

「……じ……事故チューとか……」

「はは、可愛い」

「かわっ……」


 あ。俺、人に直接可愛いって言ったの初めてかも。

 と、思うと同時に、自然と早乙女くんの頬に手を添えていた。今からされることが全く分からない早乙女くんは、眉を下げながら顔を赤くしている。そのまま顔を近付けても一切抵抗をしない。

 いいの? 簡単にできちゃうけど。


「……ッ」

「……ふふ」

「……ぅ」


 簡単にできてしまった。あの時の衝撃に比べれば、随分柔らかくて温かい。唇を離すと、早乙女くんはもっと顔を赤くしていた。肌の原型が分からないくらい。


「事故じゃなくなったね」

「……えっ、なんっ、なんでっ……え?」

「ん?」

「なん、なんで、したの?」

「なんでだと思う?」

「わ、分かんない」

「分かんないよね。俺も」

「……ファンに、手出さないって、言ってた……」

「うん。言ったね」

「な、なんで……」

「早乙女くん、」


 早乙女くんの目をじっと見ると、今日は珍しく逸らされなかった。でもぷるぷると震えて細かく呼吸を繰り返している。可哀想とは思わない。可愛いだけだ。


「俺、早乙女くんが思ってるほどいい人じゃないよ」


 もう一度、ゆっくりと早乙女くんにキスをした。避けようと思えば絶対に避けられるくらい、ゆっくりと。でも早乙女くんは避けなかった。目をきゅっと瞑って、俺を受け入れた。

 長くキスを続け、早乙女くんが俺の胸元を叩いた頃、やっと唇離した。早乙女くんは咄嗟に俯き、肩で息をする。


「これも、射手矢に言っていい?」

「……だっ、だめ……」

「だめなの?」

「……秘密にして……」

「秘密にしていいんだ」


 頬に添えた指を動かし、軽く肌を撫でると、早乙女くんは恥ずかしそうに目を細めた。俺も久々に気分が高まり、思わず口角が上がってしまう。


「秘密にしたら、俺誰からも怒られなくなるよ?」

「……っ」

「射手矢にも怒られないし、怒られないから、また早乙女くんにキスするかもしれない」


 早乙女くんは押し黙った。ファンに手を出す俳優なんてサイテー。俺はそう思う。でも早乙女くんはイエスともノーとも言えない。可哀想に。俺はそんなにいい人じゃないのに。


「二人の秘密なら、もういっかいやっても、誰も何も言わないね」


 そう言って、俺は再度早乙女くんに唇を寄せようとした。


 のを、早乙女くんは手で阻止した。俺の口に早乙女くんの手のひらがぶつかる。

 そのまま早乙女くんを見ると、もう勘弁してくださいと言わんばかりの困った顔をしていた。


「おっ、俺っ、か、顔が良いってだけで、な、流されるような男、じゃない、から……! に、二回、は、許しちゃった、けど……」


 そして、早乙女くんは俺の攻撃を受け付けないように、ずるずると顔を下げた。早乙女くんのおでこに前髪が張り付いていて、今の一瞬でどれだけ汗をかいたかが分かる。

 ……なんだそれ。なんだそれ!


「ふははは! 何それ、超可愛い」

「……!? かわいいっ? どこが!?」


 可愛すぎるよ。だって、絶対流されてたもん。ほぼ流されてたようなもんなのに、いっちょまえに抵抗して。二回も許したら、そこで止めても進んでも同じなのに。早乙女くんは流されていないらしい。


「はー、……分かった。射手矢には秘密ね。俺達共犯ってことで」

「共犯……にしたのは獅子倉くんだよ……」

「うん、そうだね。じゃあ誰にも言わないでね」

「……口約束って……。そんなの駄目だよ、リスク管理しっかりしなよ……」

「俺は別に、早乙女くんが射手矢に『獅子倉くんと事故チューも故意チューもした』って言ってもいいと思ってるよ」

「言わないよ!! 何、言わせたいの!?」

「うん」

「なんで!?」

「なんか、面白そうだよね。俺射手矢に何されるんだろうって」

「面白くもなんともないよ! 獅子倉くんってこんな人だったの!?」

「嫌だった?」

「嫌っ………………、じゃ、ないけど……」


 早乙女くんは尻すぼみにぼそぼそと呟いた。

 

「はは。まあ、早乙女くん俺の顔と演技で俺のこと好きになったもんね。俺の性格とかどうでもいいか」

「そういうわけじゃ……」


 次は、ないけど、とは続けなかった。

 卑屈でネガティブで、その上正直者だ。これは射手矢共々捻くれ者になるわけだ。早乙女くんも射手矢も面白いな。

 顔の火照りが治まらない早乙女くんが可愛くて、もう一度キスをしようとしたら、早乙女くんに普通に体を殴られた。

 早乙女くんも意外とそんな人だったんだ。








・早乙女と射手矢で遊ぶ獅子倉

・考えていることが表情に全く出ないので、その支離滅裂言動で親しくなった人を度々怖がらせる獅子倉

・射手矢にバレてもそれはそれで楽しそうと思う獅子倉

・実はファーストキスだったから少しくらいは早乙女に責任を取らせようとしてる獅子倉

・絶対追われるより追う方が楽しい獅子倉

・なによりもこのドキドキハラハラを楽しんでいる愉快犯な獅子倉



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