12
「寿太郎!」
「ししょ……うおっ」
走ってきた風賀が寿太郎の体に飛び込んで来て、寿太郎は咄嗟にキャッチした。後ろで慶が「こら!」と軽く叱る。
風賀がどうしても寿太郎と遊びたいと言ったので、保護者の慶も参加して今日は三人で出かけている。十二月に入り外はめっきり寒くなった。手袋をした風賀が寿太郎に手を伸ばす。手を繋げ、ということだ。寿太郎はおずおずと風賀の手を握った。
「今日僕と寿太郎はプリンセスなので、にいちゃんがナイトになって守ってね」
「ええ……」
絶対、心身ともに二人の方が強いのに。力不足すぎる。ナイトはこっち、と慶は車道側を歩かされた。その横に寿太郎、風賀と並んでいる。
「師匠、今日はなにをするんだ」
「公園で遊ぼうと思ったんだけど、寒いからやめた」
「え」
「僕ケーキ食べたい」
「えー……。風賀お小遣い持ってきたの?」
「持ってきたよ。パパが三千円くれたからね、にいちゃんとお友達と使いなって」
「ラッキー!」
寿太郎に視線を向けると、「いただけないです」と言わんばかりに首を横にぶんぶんと振っていた。
「寿太郎──弟子は師匠の言うことを聞くんだよ」
「……ハイ」
寿太郎は渋々頷いた。慶は自分の弟が恐ろしくなった。
「僕行ってみたいところがあるんだ。クマのラテアートのお店。この近くにあるよ」
「師匠はそんなことまで詳しくて凄いな」
「フフン。自分の才能が怖いよ」
風賀のこの自己肯定っぷり。寿太郎は、師匠のこういうところを見習わなければ、と尊敬し直した。
「ふーんふふふふふ ふふふふ ふふふふふ♪」
風賀は上機嫌に鼻歌を歌った。有名なクリスマスソング。風賀は一年で十二月が一番好きだ。クリスマスムード一色になった街を歩くと、自然と歌いたくなってくる。
ああ、もうすぐクリスマスか、と二人は思い耽った。
「寿太郎はクリスマスは毎年どうやって過ごしてるの?」
「……家で両親と過ごしてる。変わったことは特になにも」
「ふーん。二日間とも?」
「ああ」
「ふーん。俺と一緒だね」
風賀が向こうを指差し、あの店! と叫んだ。
慶も寿太郎も、同じようなことをなんとなく聞こうとしたけど、お互い勇気が出なかった。
クリスマス一緒に過ごさないですか、なんて。
入店したカフェで、風賀と寿太郎はクマのラテアートが可愛いカフェラテを頼んだ。風賀も寿太郎も同じような表情をしていて、正面にいる慶は思わず吹き出してしまった。
絵を崩すの勿体無い! と言いつつもカフェラテを飲んだ風賀は顔をしかめ、慌てて角砂糖を数個放り込んで容赦なく混ぜた。俺の弟こういうとこあるよな、と慶は若干遠い目をした。
「寿太郎、僕のケーキちょっとあげるから、寿太郎のケーキちょっとちょうだい」
「はい、どうぞ」
寿太郎のカフェラテとケーキは謂わば文口家の奢りなので、風賀に迷いなく差し出した。
「あ」
風賀が寿太郎に向かってぱかりと口を開ける。寿太郎は挙動不審になりつつも、手を震わせて風賀にケーキを食べさせた。慶はオイオイ、とは思ったが、口出しはしなかった。
「美味しい! 僕も寿太郎のやつにすればよかった。にーちゃんにも食べさせてあげなよ」
「え」
「え」
慶と寿太郎の視線がはたとぶつかる。この子はなにを言ってんだ、と慶は風賀の方を向いたけど、風賀は至って真剣そのものだった。いや、真剣な顔つきなのもそれはそれで変だけど。
「寿太郎、にーちゃんにも、食べさせてあげなよ」
「なぜそのような圧を……」
「寿太郎、弟子は師匠の言うことを聞くんだよ」
「パ、パワハラだ……」
寿太郎は覚悟を決め、自分のケーキにフォークを刺し、すくい上げた。腕が伸び、慶の口元に運ばれる。慶はぐるぐると考えた。
え、本当にやるんだ。このフォークって元々寿太郎が使ってたやつだよな。寿太郎なんて顔してんだよ。俺の口元についたクリーム拭って舐めるのには抵抗なかったくせに、これは駄目なのか。どういう違いがあるんだ。風賀、なにを意図してこんなことさせるんだ。
考えているうちに伸ばされたケーキが唇に当たり、慶は口を開いた。少し身を乗り出し、ケーキを口に入れて閉じる。フォークはすっと後方に下がり、慶は咀嚼を始めた。
「美味しい……ね……」
「美味しいね!」
風賀はニコニコと笑って慶を見た。しかし慶も寿太郎も俯いて顔を赤くしながら暫く黙った。一方風賀は大満足。この空気感を味わいたかったのだ。
文口風賀、九歳にして兄と弟子の恋路に茶々を入れるのが大好きだった。
お会計を済ませ、風賀がトイレに行っている間に慶は寿太郎にまた新作のぬいぐるみをプレゼントした。猫のぬいぐるみを渡して以降、これで三つ目だ。トータルで五つのぬいぐるみを寿太郎に渡している。今回はうさぎらしい。それを受け取って寿太郎は顔を綻ばせた。
「やっぱりどれだけ練習しても下手なままだなー」
「そんなことない。前より良くなってる」
「そうかな……。進歩があんまり見られない気がする。ちょっとやそっとじゃダメだねー」
寿太郎はそんなことない、とずっと否定してくれるが、慶はそれがお世辞だということを理解している。
「俺って昔からこうなんだよ。人よりいっぱい練習しないと追いつけないし、やっと成長したと思ったらもうみんな違うところにいるんだ」
「……続けることが偉いだろ」
「そうかな。俺はあんまりそう思えないんだよね。やっても無駄なことが多い……」
寿太郎はなんと返せばいいか言葉を選んだ。慶は寿太郎に気を遣わせているということに気付き、慌てて湿っぽい空気を払拭した。
「でも今作ってるのは自信作だよ! なんでカワウソがよかったの?」
実は、慶はこのうさぎのぬいぐるみが完成する前に、次はなんのぬいぐるみがいいかを寿太郎に聞いていた。それがカワウソだった。普段参考にしているサイトに奇跡的にカワウソの作り方が書いてあったので、それを見て現在製作中だった。
「なんとなく」
「なんとなくかぁ。カワウソ可愛いもんね」
寿太郎は頷いた。なんとなくというのは嘘である。寿太郎の中で、カワウソが慶に似ているという確固たる概念があった。だからカワウソがいいと言った。
「頑張って冬休み入るまでに作るよ」
「急がなくてもいい」
「終業式の日、二十四日でしょ? クリスマスプレゼントにしたいから」
それを聞いた寿太郎は、ふいに慶の頭に触れたくなった。もうずっと、慶のことを可愛いと思っている。男に可愛いなんて、とは今更思わなかった。男なのに可愛いものが好きだということを肯定してくれたのは慶だったから。
「クリスマスの話?」
「そうだよ」
戻ってきた風賀が二人の間に入った。今度は二人と手を繋いで歩き出す。
「僕今年もプレゼント貰えるかな」
「どうかなー。風賀はワガママだから」
「大丈夫だ。師匠は俺に優しくしてくれるからきっと貰える」
「僕寿太郎にもにいちゃんにも優しいよ。ずっと優しくしてるもん。それに憎たらしいクラスの子たくさん倒してるから、僕きらガルと一緒だよ」
「最後のはもしかしたらお父さんとお母さんに黙っといた方がいいかも」
「なんでお父さんとお母さん? サンタさんじゃないの?」
「アッ……えとね……」
「なんで?」
「……寿太郎、教えてあげて」
「エッ、俺!?」
「なんで?」
「……お父さんとお母さんは昔からそういう役なんだ。サンタに我が子の善行非行と欲しがってる物を伝えるメッセンジャーだ」
「そうなの!? だから毎年パパもママも僕になに欲しいか聞いてたんだ!」
「風賀が核心に迫り始めてる」
「俺は小四の年に気付いた」
「結構早いね。俺は小六だよ」
「なんの話ー?」
風賀は最高の気分だった。なんでも受け入れてくれる兄と、同じような趣味の弟子が両脇にいる。なにを話しても楽しいし、全部ちゃんと聞いてくれる。クリスマス楽しみだね、と二人に笑いかけた。
13
冬休みに入るけど羽目を外しすぎず、高校生らしい生活と毎日の勉強をうんたらかんたら。担任の長話も半分くらいしか聞けない。なんて言ったって、午前中にはもう家に帰れる。つまりあともう数十分。周りからは冬休みの予定を話し合う声がちらほら聞こえる。
「私これから彼氏とイルミネーション見に行くんだー」
イルミネーション。なんて素敵な響きなんだ。今日と明日は一年で一番イルミネーションが輝くであろう日だ。慶は特別に予定がある訳ではないけれど、周りの話を聞いているだけでそわそわしてくる。
予定がない、というか。
予定をわざと空けてみた。
もしかしたら、もしかしたら寿太郎と遊んだりするんじゃないかと、仄かに期待をしていた。
頭の中でいくつかパターンを考える。
寿太郎から誘ってきたりしないだろうか。いやでもこれはかなり望みが薄い。今までも寿太郎と遊ぶときは自分から声を掛けていた。風賀がどうにかこうにか寿太郎を誘ったり……も、可能性としては低いかも。今日までに風賀がそういう話を持ち出してきたことはなかった。じゃあ風賀をうまいこと使って俺が誘ってみるのはどうか。風賀が遊びたがってると言えば、弟子の寿太郎はきっと断れない。いやでも、そんな姑息な手段はいいのだろうか。風賀に話合わせてと頼むのも情けないし。そうなればもう「普通に誘う」しか方法が無くなる。
それでいくか。クリスマスプレゼントもあるし。そうだ、普通に誘えばいい。いつも通り。普通の日となんら変わりない。たまたま今日がクリスマスイブなだけで。
冬休み前最後の授業を終えるチャイムが鳴り、教室は歓喜の声で満たされた。クラスメイトが冬休みに浮かれる中、慶は武者震いをしていた。
あと三十秒したら声をかけよう、と心の中でゆっくりカウントしていたら、前の席の寿太郎が早々に教室を出て行こうとするのが目に入った。まさか自分に一言も声を掛けずに出て行くとは思わなかったので、慶は焦りまくった。まだなにも準備ができていないのに、と慌てて教科書類を鞄に詰め込んだ。
しかし、寿太郎はただ提出しそびれたプリントを先生に渡そうと動いただけだった。寿太郎自身は筆記用具も鞄も全て机に置きっぱなしである。普通に考えればちょっとの用事で席を外すということが分かるのに、一人で勝手に緊張していた慶はそれに気付なかった。
早く、寿太郎が帰る前に声を掛けないと。
「じゅ、寿太郎!」
寿太郎が振り返る。
あまりの慌てっぷりに机に置いた慶の鞄がバランスを崩し、床に落ちていった。バサバサと教科書とノートが散乱する。喧騒の中では目立つ音ではなかった。
音は、目立たなかった。
「なにこれ?」
近くにいた男子生徒が慶の鞄からはみ出た物を拾い上げた。慶のことを気に入っていて、事あるごとに話しかけてくる生徒だ。
慶はその生徒が手にした物を見て息をのんだ。
──カワウソのぬいぐるみだ。
「あ……」
「なにこれ、怖っ! ぐちゃぐちゃじゃん!」
その男子生徒は顔を顰めた。
周りにいた生徒達もつられて慶が作ったぬいぐるみを覗き込んだ。慶はなにも言えなかった。
「あ、もしやこのセンスは……文口が作ったり?」
「……えっと……うん」
「やっぱり! お前が作ったってすぐ分かるな!」
生徒達は笑った。俺にも見せて、とどんどん他の人の手にぬいぐるみが渡っていき、笑い声も伝搬する。慶の指先がゆっくり冷たくなっていく。
寿太郎は目を見開いてその光景を追った。
「手作り? なんで作ったん」
「な、なんでって?」
「こういうの好きなん?」
「あ、うん……好きだから作りたくて、練習で……」
「え、お前が?」
慶は固まった。いつものように、うん、と言えない。もうみんなの顔も見れなかった。
「無理だろ、あと何年かかるんだよ!」
あれ、俺こういうときってどうしてたっけ。
笑って、そうだよね、って言えばいい。
一生無理かも、って言えばいい。
そうだよ。分かりきってることだから、いつもみたいに笑えばいい。
「あは……」
慶は笑おうとした。でも無理だった。
寿太郎が自分を見て悲しそうに表情を歪めていたから。
怖いなんて言われたぬいぐるみを、自分は何個も寿太郎に贈ってしまった。寿太郎がほしいのは怖いぬいぐるみなんかじゃない。可愛いぬいぐるみのはずだ。なんで気付けなかったんだろう。寿太郎が優しいからって、随分身勝手な行動をしたもんだ。
慶の考えは止まらず、禄に声掛けもしないまま男子生徒の手からカワウソのぬいぐるみを奪った。床に散乱した教科書を急いで鞄の中に詰め込み、走って教室を出た。
ざわざわと、不安げに生徒達が会話する。
俺もしかして地雷踏んだ、お前が笑ったからだろ、いやお前も笑ってただろ、それにしても凄い作品だったな、文口って人形とか好きだったんだな。
未だなお笑う声が聞こえる。
寿太郎は震える拳を握りしめて、口を開いた。
「……人の好きなもの、人が頑張ったものを、笑うなよ」
周りにいた生徒達は、一斉に寿太郎の方を見た。全員、寿太郎が発言する場面を授業以外で見たことがなかった。寿太郎の声は怒りで震えていた。
「お前らはあいつを揶揄って楽しいかもしれないけど、慶がどれだけ頑張ったかも知らないのに、どれだけ好きかも知らないのに、簡単に笑うな」
あんなにざわついていた教室が水を打ったように静かになった。全員が寿太郎の言葉を聞いている。
寿太郎は柄にもなく涙が出そうになっていた。
「慶は……」
『怖いのって、二人で分けると半分より少なくなる気がするし。怖いけどやりたいことは、克服したらきっと凄く楽しいことに変わるよ』
寿太郎の脳裏に、慶とクレープを食べた日のことが浮かんだ。涙腺が揺れる。自然と肺から息が溢れた。
「俺、は」
──俺は、慶の抱えている怖さを分け合えていたんだろうか。
寿太郎は教室を飛び出した。寒空の中を無我夢中で走り、気が付くと慶の家の前まで来ていた。一度呼吸を整え、インターホンを鳴らす。
「あれ、寿太郎だ」
家から出てきたのは風賀だった。玄関には母親のものと思われる靴が置いてあったが、慶のスニーカーは見当たらなかった。
「慶は、いるか」
「にいちゃん? まだ帰ってきてないよ。一緒じゃないの?」
「……一緒じゃない」
「寄り道してるのかな。帰ってくるまでうちで待つ?」
「いや、いい。ありがとう」
寿太郎が肩を落として踵を返すと、風賀は待ってと呼び止めた。
「魔法のおまじない、キラキラきらめけ私の心、信じる気持ちが世界を変える、きららエンジェル。さんはい」
「……魔法のおまじない、キラキラきらめけ私の心、信じる気持ちが世界を変える、きららエンジェル……」
きらガル、きららエンジェルの変身シーンだ。寿太郎はこのワンクールを全て見たので、自然とすらすら言えてしまった。
「これで寿太郎はきららガールズになったね。今日の朝にいちゃんにも変身してもらったから、二人ともきらガルだよ」
「慶が?」
寿太郎は、朝から弟のわがままに付き合わされる慶の姿を想像して笑った。
「きらガルはねー、仲間同士の心の電波が同じ波長だから、仲間がどこにいるか、なにを考えてるか分かるんだよ」
「……そうだな」
「だからね、きっと見つかるよ。いってらっしゃーい!」
風賀はぶんぶんと手を振って寿太郎を見送った。
師匠には一生敵わないな、と寿太郎は笑って手を振り返した。
14
近くの手芸屋と検索して出てきた場所は、寿太郎はほとんど足を踏み入れないような所だった。手芸屋の目の前まで来たが、確かに男一人で入るのはなんとなく緊張する。それでも行かないといけない。
店内に入ると、嗅いだことがない独特な匂いがした気がした。布の匂いだろうか。チェーン店ではないようで、言い方は良くないが商品がかなり無秩序に置かれている。まるでダンジョンのようだ。寿太郎が見える限り、店内には客がいなかった。
そのまま奥に進むと、探していた慶の姿があった。刺繍用の糸を手に取って眺めている。もしかして泣いているのではないかと寿太郎は身構えたが、案外そんなこともなかった。
「慶」
「あ、あれ? なんでいるの?」
慶はケロッとした顔で寿太郎の方を向いたので、寿太郎は胸を撫で下ろした。
「きらガルの加護だ」
「ん?」
「必要な物があるのか」
「いや、今は特にないんだけど……。今日四のつく日だし。ポイント二倍だからなんか買っとこうと思って」
こんな状況でもポイ活をしていた。思わず寿太郎の口から気の抜けた吐息が漏れる。
「どっちの色がいいかな。カーマインかポピーレッドか」
「俺にはどっちも一緒の色に見える」
「奇遇だね。俺もそう思ってた」
店内に小さく笑う慶の声が響いた。右手は商品を指差し、左手は拳を握りしめていた。カワウソのしっぽがはみ出ている。寿太郎はついそれを見てしまった。慶が寿太郎の視線に気付いて、なんとなく体の後ろに隠す。
「寿太郎、布買ったことある?」
「いや……」
「俺初めてここ来た時、どうやって布買っていいか全然分かんなかった」
寿太郎は顔を上げて周りを見た。様々な色と柄の布がロールになって至る所に立て掛けられていた。
「ああいう布って、店員さん呼んでこんだけ切ってくださいってお願いしないと買えないでしょ? 俺はそれすら知らなくて、ロール丸ごと買うしかないと思ってたから、それごとレジに持って行ってさ……何円になるかも分からないのに馬鹿だよね。その時レジにいたおばちゃんに、んん? って顔された」
まさにこのお店での出来事だ。慶はその時のことを思い出して自然とレジの方を向いた。
「でもそのおばちゃん、『よく持ってこれたね』って笑ってくれて……。そう、めちゃくちゃ重かったんだよね。おばちゃんにぬいぐるみの図面見せたら、このくらい布があったら作れるねって、ちょっと大きめに切ってくれてさ。俺が男だとか無知すぎるとかなにも否定せずに、ただ一緒になって考えてくれて、俺はそれが嬉しかったな」
「いい人だったんだな」
「うん。店を出るとき、おばちゃんに『出来上がったら見せに来てね』って言われたんだよね。……言われたんだけど、その時に作った初めてのぬいぐるみ、下手すぎて見せられなかった。はは……」
「……」
「もしも次行ったときに見せてって言われたらどうしようって思って、それ以降なかなかお店に行けなかった。一年くらい経ってやっとお店に行ったときには、そのおばちゃんは体が悪くなってお店を辞めたてた」
慶は俯いた。その時の自分のことを思い返すと、どうしようもなく嫌になる。こんな話を誰かに伝えたこともなかった。
「俺さ、そうなってホッとしたんだよ。見せなくていいんだーって。親切にしてくれた人が病気になったのに……俺は、良かったって……」
左の手に力を込めた。必要以上に縫製したぬいぐるみは、それでも形が崩れることはなかった。
「俺って最低だし、寿太郎よりもずっと弱い人間だよ。さっきクラスのみんなに自分が作ったぬいぐるみ見られたの、本当に怖かった。分かりきってることなのに、それでも笑われるのが嫌だった。いっつも自分も一緒に笑っておきながら、いつもより頑張ったからって今更……。きっとおばちゃんにも見せなくて正解だったんだよ。下手って笑われる。やっぱり俺、自分が作ったもの、誰かに見られるの怖い……」
店内には陽気なクリスマスソングが流れている。慶は、今の自分になんて不釣り合いなんだろうと惨めな気持ちになった。ただただ惨めだった。数ヶ月練習したって、六個も作品を作ったって、みんなに下手だ怖いと笑われただけだった。
「手、出して」
寿太郎が呟く。慶は言われるがまま右手を持ち上げた。
「そっちじゃない」
そうだよな。現文が苦手な慶でも、こっちの手じゃないと流石に分かっていた。でも躊躇ってしまった。唾を飲み込んで、左手の拳を寿太郎に差し出す。
「開いて」
寿太郎の声があまりにも優しかったので、慶は観念して結んでいた指を解いた。手のひらの上で小さなカワウソのぬいぐるみが横たわる。それを見て、寿太郎は胸がいっぱいになった。
「誰かじゃなくて、俺に見せて」
「……」
「前より上手くなってるの、俺には分かる。これでもう六個目だ。六個分上手くなってる。俺はずっと見てきたし、貰ってきたから、自信を持って言える。本当に、絶対、そうだって言い切れる」
寿太郎には言いたいことがたくさんあった。今日初めて慶の作品を見たようなやつに言われたことは気にするなとか、自分で作ったこともないやつの言うことは真に受けるなとか、自信作って言ってたんだからもっと堂々としろとか。
それでも、目の前の慶に今直接伝えたいことはただ一つだった。
「慶が、俺に渡すために作ったものが下手なわけない。俺は今まで一回も下手だなんて思ったことはない」
「!」
「俺がどれだけ、慶から貰ったぬいぐるみを大切にしてるか……」
慶は今までのことを思い出した。寿太郎にぬいぐるみを渡すとき、一度たりとも下手と言われたことがなかった。
「誰かに見せるのが怖くても、俺には見せてほしい。俺はお前の作品をずっと待ってるから」
慶は顔を上げた。泣いてしまいそうだった。寿太郎が泣きそうだったから。
口をぎゅっと結んで、慶はうん、と答え、カワウソのぬいぐるみを寿太郎に渡した。
「ごめん。ほんとはちゃんと袋とかに入れてさ、クリスマスプレゼントっぽくしようと思ったんだけど、間に合わなかった」
「ううん、十分だ。……ありがとう」
寿太郎はぬいぐるみを持ち上げて、顔を合わせた。形は歪かもしれないが、表情がなんとも言えず可愛い。慶と似ているような気がして口元を綻ばせた。
そんな寿太郎を見て、慶はやっと作ることの意義を見い出せた気がした。
「寿太郎、ありがとう。俺また頑張るね」
慶がやっといつものように笑ったのを見て、寿太郎は安堵した。
「カーマインもポピーレッドも使えばいい」
「え?」
「クリスマスプレゼント、交換だ」
そう言って寿太郎は慶が見ていた棚から二つの刺繍糸を取り、レジに持って行った。お会計を済ませてそれを慶に渡す。
「えーーー、ありがとう!」
「俺が貰ったものと割に合わないけど……」
「ううん。嬉しい! 次のぬいぐるみはカーマインとポピーレッドのオッドアイにするね」
「サ○ゼリヤの間違い探しかよ」
「知ってる? コ○スの間違い探しも子ども泣かせなんだよ」
外に出ると冷たい風が吹いていた。二人は同時に震え上がりながら歩く。寒いね、今年の冬は暖冬らしい、絶対嘘だよ、暖冬って毎年人間のこと騙してくるよな、なんて会話をしながら。
家の近くにさしあたると、見覚えのある姿が二人をめがけて駆け寄ってきた。
「あ、にいちゃんいた! 寿太郎も!」
「あれ、風賀だ」
勢い良く走って、今度は慶の体に飛び込んでくる。慶はよろけながら風賀を受け止めた。
「なんでここにいるの?」
「にいちゃんと寿太郎探してた。すぐ分かったよ」
「え、凄いね」
「僕たちきらガルだからね」
イエイ、と風賀は寿太郎に向かってピースをした。寿太郎は笑って、そうだなと返す。
「ご飯までまだ時間あるから、みんなでイルミネーション見に行こうよ」
「えっ! ……っと、早くない? まだ三時半だよ?」
「今から歩いて行けばいいくらいに着くよー。人の平均時速約4キロ、イルミネーションまでここから大体4キロの距離、イルミネーションの点灯開始時刻16時半、完璧」
「待って風賀って本当に小三?」
「寿太郎、一回おんぶしてー」
「え……」
師匠の言うことは絶対なので、寿太郎はなんの嫌悪も見せず風賀をおんぶした。風賀がその状態のままGOと言い、言われたとおり歩き出す。数十秒経ち漸く寿太郎は気付いた。あれ、もしかしてこれ約4キロをおんぶコース……。
完全に手のひらの上で転がされたところで、寿太郎は耳元で囁かれた。
「寿太郎、クリスマスににいちゃんと過ごせて良かったね!」
「ン”ッ」
寿太郎は咳き込みそうになった。この男、一体どこまで知ってて、どこからどこまで計算してるんだ。
「……師匠、今日はクリスマスじゃなくてクリスマスイブだ」
「一緒じゃん」
仲が良さそうでなにより。慶は二人とイルミネーションを見られることの幸せを噛み締めながら、寿太郎に着いて行った。
15
寿太郎は年末年始に母形の実感に長期間帰るそうで、冬休み中は全く会えなかった。じゃあせめて年賀状を、と慶は思ったけど、お互いの住所を知らないということに気づいたのはもう三が日を過ぎてからだった。
「にいちゃん、これ学校で寿太郎に渡して」
冬休み明けの登校初日の朝、慶は風賀から葉書を一枚受け取った。年賀状だった。可愛いキャラクターやモチーフがふんだんにあしらわれていて、手書きの挨拶とともに「お年玉ちょうだい」とのメッセージが書かれていた。高校生にねだるな。
「僕今日寿太郎と遊びたい」
「誘ってみようか?」
「うん。夜ご飯も一緒がいい」
「それはどうかな……。寿太郎の家門限厳しいから」
「今日師匠の誕生日だけどって言えばいいよ」
「パワハラだ……」
風賀の言うとおり、今日は風賀の誕生日だった。一番の友達である寿太郎から祝われるのを心待ちにしていた。慶が母に確認すると、普段兄弟ともに仲良くしてくれる寿太郎という男がどういう人間なのか気になっていたらしく、寧ろ食べに来てほしいと言っていた。ちなみに父は朝から風賀の誕生日ということで、風賀より張り切っていた。
「寿太郎に断られても怒らないでよ」
「えーーー嫌だーーー怒るかもーーー」
「もー……」
誕生日は普段よりとりわけわがままになってしまう。めんどくさいことになりそうだったので、慶は早々に家を出た。
通学のときにいつも通る近くの公園の前まで行くと、そこには寿太郎の姿があった。
「え、あれっ! なんでいるの!? 反対方向だよね」
「散歩をしててたまたま……ついでだ」
「? 冬のド平日に……?」
寿太郎は頷いた。嘘である。
「あ、寿太郎、あけましておめでとー。今年もよろしく!」
「……ああ」
「ああってなによ!? ちゃんと返して! 割に合わないよ! 寿太郎にはあけおめことよろで十分!」
「……あ、あけましておめでとうございます……今年もよろしくお願いします……」
慶は最初からそう言えばいいんだよ、と歩き出した。寿太郎はこれが聞きたかった。一番最初に慶の顔を見て、新年の挨拶を貰いたかった。だから無理くり早く起きて慶の家の近くで待っていたのだ。
「出しそびれちゃったよね。ハイ」
寿太郎は慶から年賀状を二枚受け取った。風賀と、慶の分。どちらも寿太郎が好きそうな可愛い柄だったので、寿太郎は額に飾りたくてうずうずした。
「俺も」
寿太郎の方も、鞄から年賀状を二枚取り出した。慶はそれを受け取り、内容を確認する。寿太郎らしいきっちりした文字の挨拶文の周りには、ファンシーなシールがたくさん貼られていた。慶はニヤけるのを止められなかった。
「シール、一人で買いに行ったの?」
「……行った」
「それで、ぺたぺた貼ったんだ、俺達に渡すために……」
「……」
この大きくて無愛想な男が、一人で可愛いシールを買いに行って、どれが可愛いかとかバランスとかを考えながら貼ったのか。
寿太郎はなにも言わなかったけど、顔が赤くなっていた。
「流石に可愛いすぎるよ〜」
「うるさい……かわいいとかは違う……シールがかわいいだけだ……」
「いや、寿太郎がなんと言おうと寿太郎は可愛いよ」
「っ……」
風賀が弟だからだろうか。慶は可愛いと褒めることに全く抵抗がない。可愛いものが好きな寿太郎が、可愛いと言われて嫌な訳がない。ただ反応に困っているだけで、内心物凄く喜んでいる。
「あ、風賀が今日」
「お誕生日おめでとうございます」
「まだなにも言ってないよ……。よく覚えてたね」
「師匠の誕生日プレゼントも持ってきた」
「そうなの? ありがとう、良かったら今日の放課後うちにこない? 風賀が寿太郎と遊びたいって」
「勿論」
俺が遊びに誘うと若干躊躇うくせに、風賀が入ると間髪入れず了承するよな、と慶は苦笑いした。
「あと、これは難しいかもしれないけど、ついでにうちで夜ご飯食べていかない?」
「え」
「風賀がね、どうしてもって。あとうちの親も寿太郎に会いたがってる。……あ、無理なら全然断っていいよ。寿太郎の家厳しいだろうし」
「……いや、行く。大丈夫」
「え、本当に? 無理しなくていいよ。お父さんとお母さん反対しない?」
寿太郎は首を横に振った。実は、と続ける。
「その……。父さんと母さんに、全部話した」
「……全部?」
「……部屋に、慶から貰ったぬいぐるみと、師匠から貰ったきらガルのガチャを飾ってた。そしたら、二人に見られて」
「え……」
「咎められたわけじゃないけど、父さんに『この部屋に似合わないな』って笑われて、それで……」
「それで……?」
「どうしても黙っていられなくて、これは俺の宝物だってことと、本当はこういうのが好きだってことと、小さい頃バクオンジャーじゃなくてきらガルが見たかったことと、柔道じゃなくてピアノがやりたかったこと、全部話した」
慶はぽかんと口を開けた。だってそれは、寿太郎がずっと言いたくても言えなかった一番の悩みだったから。
「そ、それで……。お父さんとか、大丈夫だった? 寿太郎のお父さんって怖いんだよね」
「いや、あの……。凄いことになった」
「凄いことっ……え、な、殴られたとか!?」
「殴られたとか、そういうんじゃないんだ」
「勘当されたとか!?」
「喧嘩はしてない。……父さんが号泣して」
「え……?」
「『父さんも実は、シルバ○アが大好きで』……って」
「え……………………?」
「そしたら母さんも号泣して」
「んん」
「『ママも本当はバイクと戦車が大好きで』って」
「えぇ……?」
「……全員、キャラを守って言えなかったらしい」
寿太郎の父と母はこのご時世に珍しいお見合い結婚だった。二人とも実家で男たるもの、女たるもの、と凝り固まった偏見の中で育てられてきたので、打ち明けられなかったそうだ。
「それで、……クリスマスプレゼント、欲しかったフリフリのクッション買ってもらった」
「えー!! やったじゃん!」
「全部、師匠と慶のおかげだ」
「いや、俺達なんにもしてないよ」
「ぬいぐるみときらガルのガチャ、どうしたのって言われて、二人のこと話したら、うちの両親も会いたいって」
「え、そうなの? へへ……」
「だから多分、二人の家に行くなら遅くなっても大丈夫。父さんと母さんも喜ぶと思う……」
「あ、そう? やったね」
慶は、踊り出したいくらいの気持ちでいっぱいだった。こんなに嬉しいことはあるだろうか。好きな人の長年の悩みが晴れたのだ。自分のことのように嬉しい。なんとも言えない緩んだ表情で笑っている慶を見て、寿太郎は足を止めた。つられて慶も立ち止まる。
「慶、ありがとう」
寒さのせいか、赤くなった鼻と耳で、そんなことを言う。最初に会話した頃に比べれば、格段に柔らかくなった表情で。
慶は、うん、と返すので精一杯だった。
「嫌いな食べ物とかある?」
「全く無い」
「だからこんなに大きく育つんだろうな。俺も風賀も嫌いな食べ物多くて……あ、多分夜ご飯いっぱい出てくると思うけど、無理しなくていいから」
慶は早急に母親に連絡した。すると、「いっぱい作るね(*^^*)」と返ってきたので、テンションの高さが伺える。普段顔文字なんて使わない。
どうやって風賀を祝うかと作戦を練っていると、あっという間に教室に着いた。普段通り慶が教室の扉を開けると、クラス中の視線が慶の方に向いた。慶は固まる。
「え」
「ごめんっ!!」
「えっ?」
たくさんのクラスメイトが慶の周りに集まって口々に謝罪を始めたので、慶は混乱した。当の本人は冬休みを挟んですっかり忘れていたようで、暫く考えて冬休みに入る前のことを思い出した。
「え、いいよいいよ! わざわざそんな……」
「いや、もう俺達冬休み中ずっと文口のこと考えてて……酷いこと言い続けてたよなって」
「そんなこと思ってたの?」
あの日のことだけではない。このクラスメイトたちは、今までの慶に対する態度を考え直していた。冬休みが開けたら、全員で謝ろうとも。慶の前の生徒は、気まずそうに笑った。
「よく考えたら、まず形にできるのがすげーよなって。俺だったら指怪我するもん」
「俺は家庭科で作ったカバン、最後は先生にほぼやってもらったし……」
「だから、自分の力で頑張ってる文口は凄いよ。俺達が軽率な発言をして傷付けてたよな、ごめん」
素直に謝るみんなを見て、慶は大きく首を横に振った。
「ううん。俺はさー、普通に嬉しかったよ。昔からクラスの流れについていけなくてノリとか分かんなかったけど、高校入って、みんなは俺が失敗ばっかしても笑って、いろいろ教えてくれて。そういう人、周りにいなかったから」
小学校や中学に比べると、慶にとって高校はよっぽど楽しいものだった。冷たい視線は向けられず、失敗を笑い飛ばしてくれる。そういう経験は今までなかった。慶は、慶なりにクラスのみんなを大事に思っていた。
「これからも、仲良くしてくれたら嬉しい」
「お前……いいやつだよなー!! そんなの、勿論!」
謝罪していた生徒達がわんわんと慶に抱きつきた。慶はくすぐったくてわははと笑った。
そんな状況が、喜ばしいような、間に割って全員を引き剥がしたいような。寿太郎は慶の後ろで厳つい顔をしていた。
慶に抱きついていた生徒は、そんな寿太郎に気付いて声を掛けた。
「平岡もいいやつだよな」
「!」
まさか自分に注目が向くとは思わず、寿太郎は肩を震わせた。
「平岡と文口ってかなり仲良かったんだな!」
「え、うん? そうだよ」
「平岡、文口のことだいぶ大事なんだなーって……」
寿太郎は物凄い勢いでその生徒に近寄り、かる〜く胸ぐらを掴んだ。
「なにも言うなよ……」
「は、ハイ……」
やっぱり平岡は怖い。生徒は涙が出そうだった。
寿太郎のキャラがみんなに知れ渡るまで、あと一ヶ月ほどはかかった。
16
まるで寿太郎の方が誕生日なのではないかというくらい、寿太郎は文口家に歓迎された。
文口父母に挨拶をした寿太郎は、親の仇なんじゃないかというくらい顔が強張っていた。真剣になるとこの顔になるらしい。文口父母は、自分たちの息子がやっと連れてきた友達がまさかこんなに厳つくて体の大きな人だとは思わず、「あら……あらっ、あらっ……!」と禄に言葉も出せず、何故かぺこぺことお辞儀をして恐縮するばかりだった。寿太郎は目上の人への礼節を大事にするので、お辞儀をされた分だけ自分もぺこぺこと返していた。大きい男がここまで何度も頭を下げている図は中々恐ろしいが、どうやら怖いのは顔だけだと気付いた両親は、すぐに寿太郎と打ち解けて、寿太郎自身のことや慶の学校生活のことを根掘り葉掘り聞いていた。
自分の誕生日なのに自分より注目されている人がいるのと、大事な弟子が一生捕まっていることが気に食わない風賀は、話を遮るように寿太郎に抱きついた。
「だめー! 寿太郎は僕とにいちゃんのだから!」
慶はぎょっとした。他意はないと分かりつつも、その言い方はなんだかちょっと。風賀に抱き着かれた寿太郎と目が合ったが、すぐに逸らされた。母はあらあらと笑い、父は風賀ラブなため少しジェラっていた。
夜ご飯は風賀の好きなものだけが食卓に並び、風賀は大喜びだった。寿太郎も、出された分だけ残さずきっちりと食べていた。あまりにも綺麗に食べるので、両親も作法を褒めていた。寿太郎は「父さんの影響です」と答えた。慶は、まだ見たことのない寿太郎の父のことを、きっと寿太郎に似ているんだろうなと想像した。
「寿太郎! プレゼントちょうだい!」
ご飯を食べ終えた風賀はプレゼントプレゼントととにかくうるさかった。慶と寿太郎は、「これを早くに渡してしまうときっとご飯どころではなくなってしまう」と見越して、最後まで取っておいた。寿太郎は改まったように咳払いをして、鞄からプレゼントを取り出した。
「師匠、お誕生日おめでとうございます。無病息災、更なるご活躍を願っ」
「オッケー! ありがと! プレゼントちょうだい!」
「コラコラ」
慶の叱ってるんだか叱ってないんだか分からない注意をスルーして、風賀は寿太郎からプレゼントを奪……貰った。待ちきれずにびりびりと紙袋を破くと、風賀は目を輝かせてそれを広げた。
「うわーっ!? プリンセスだ! プリンセスだ!!」
中に入っていたのは、ピンク色の可愛らしいドレスだった。もっとも、高校生の財力で買える程度のクオリティーではあるが、風賀はそのドレスを持って寿太郎の周りをぴょんぴょん飛び跳ねた。寿太郎は風賀にプレゼントするのを心待ちにしていたけど、思った通りの反応をしてくれて大満足だった。
「ねえこれ今着てもいい!?」
「ああ」
「やったー!!」
風賀はその場で服の上からドレスを着始めた。寿太郎の見守る目が優しい。もしかしたら自分が幼少期に欲しかったものじゃないのかなと思うと、慶はなんともいえない気持ちになった。
ドレスを着た風賀がその場で一回転して、得意気に両手で裾を持ち上げる。
「似合う?」
「うん、風賀似合うよ」
「僕可愛い?」
「うん、可愛い!」
「ふへへへへへ」
風賀は勢い良くその場から駆けて行き、パパー、ママー! と叫んで、両親に自慢しに行った。
「寿太郎、ありがとうね」
「いや……。俺が救われた気持ちになる。あげてよかった」
「うん、そうだね」
「……師匠は俺よりずっと強い。でも、もしかしたらこの先、なにかがあって可愛いものを辞めたくなる時がくるかもしれない。そうだとしても、俺は師匠がその時一番熱心になれるものを応援してあげたい。一旦やめても、また可愛いものが好きになったとしたら、今よりもっと楽しませてあげたい」
「親じゃん」
寿太郎の愛が重くて、慶はクスクス笑った。
「でも、うん……そうだね。本当にそうだよね」
「……これは別に、師匠のことだけじゃなくて……慶も、だから」
「……あは」
ありがとう、と素直に返せばいいのに、寿太郎が顔を赤くしながら気を張って言うせいで、慶も照れてまともに返せなかった。最近こんなことばかりだ。
「寿太郎! 散歩しよ!」
風賀が駆け足で戻って来るなり、寿太郎の腕を引っ張った。
「え、今から?」
「僕この格好で外行きたい」
「…………俺が職質されるかも」
「んじゃにいちゃんも」
「えー……外寒いじゃん……」
「大丈夫! 三人くっつけばあったかいよ!」
そう言って、風賀は慶の腕も引いた。
風賀はなんて魅力的な誘いができる子なんだろう、と感心しながら慶は立ち上がった。
「風賀ー、もうよたよたじゃん」
「んー」
「十分くらい前まで元気だったのに」
「師匠、足元あぶないぞ」
「んー……」
二人に手を繋いでもらった風賀は最初は意気揚々と歩いていたのに、その時にはすでに体力の限界が来ていたようで、今は目をしぱしぱとさせながら二人に引っ張られていた。慶がスマホで時間を確認すると、いつもは風賀が寝ているくらいの時間だった。風賀はよく寝る子なので就寝時間が早い。
「にいちゃん、だっこして」
「えー」
「僕今日誕生日だし……」
「もー……」
慶は「こんな小三いませんて」と言いつつも、仕方なく風賀を抱き上げた。流石に中学年ほどの身長を抱いて歩くのにはそこそこの厳しさがある。それでも風賀は今日誕生日だ。慶は、あと何回だっこさせてくれるか分からないしな、とそのまま歩き続けた。わがままでも、生意気でも、慶にとっては唯一無二の可愛い弟だった。それは風賀も一緒で、慶は風賀にとってまだまだだっこしてほしい優しいにいちゃんだ。
暫くすると風賀が静かになった。今日一日はなんだかずっと賑やかだった。寿太郎と仲良くなってからは、毎日が楽しくて時間が過ぎるのが勿体無く感じるなと慶は思った。
「寒いねー」
「寒いな」
「……あ、見て、あの家柵のとこにダウンひっかけてある」
「落とし物なんじゃないか?」
「この一番寒いときにダウン落とす人ってなんなんだろうね」
「今年は暖冬だからな」
「暖冬にも限度あるよ。……あー……」
「……」
「……球技大会来月だね。どっちにする?」
「……あー、バスケ……」
「寿太郎バスケっぽいよね」
「バレーは、その、なんだ、サーブが全然できなくて」
「へえ、寿太郎にもできないことってあるんだ」
「そりゃあるだろ」
「ふーん。俺もバスケにしよっかな……」
「……いいんじゃないか?」
「一緒のチームになれるといいねー」
「そうだな」
「……」
「……」
家に近付くにつれ、だんだんゆっくりとした足取りになっていく。寒いし、風賀は重いけど、それ以上にお互いが別れを惜しんでいた。会話が長引けばもう少し一緒にいられるかもしれない。慶は必死に次の話題を探した。
「えっと、寿太郎ももうすぐ誕生日だよね。今月だっけ」
「あ、ああ」
「風賀が、寿太郎になに欲しいか聞いてって言ってた」
「別に、俺はなにもいらない」
「そんなこと言わずにさー。寿太郎は風賀くらいわがままになってもいいよ。なにかさ、可愛いものほしくない? 自分では手を出せないくらいの、一番可愛いやつ」
「……ある」
「あるんじゃん! なんでも言っていいよ、俺と風賀なら多分堂々と用意できる」
「慶がほしい」
「し……」
二人の歩みが止まった。信じられないことに、このタイミングで雪が空から降ってきた。
入りが絶妙だな、ロマンチックにも程があるだろ、寿太郎って足大きいな何センチだ、軽自動車だとしたらあんまり可愛くないよな、と慶は頭の中でいろいろ考えた。いろいろ考えて、笑って会話を続けようと思ったけど、それはできなかった。
「慶が……い、一番、可愛いと、思う、から……」
茹だるようなこの顔。細かい雪が寿太郎の近くでふっと溶けて消えている。こんなに一生懸命な寿太郎を、誰が揶揄えると言うのか。
慶は寿太郎と同じくらい真っ赤な顔をして、風賀を抱き締めている腕に力を込めた。
「吝か、ではない……」
慶の発言を、寿太郎は頭の中で反芻した。漢検一級の男、頭の中でその意味を考える。
慶は寒さを忘れ、手に汗を握りながら寿太郎を見上げた。なんせこちらは現文の成績2の男だ。
「……使い方合ってる?」
「……多分」
多分、多分というか、絶対そう。絶対そうだ、絶対! と言い切れない自分が歯がゆい。寿太郎はどこまでいっても恥ずかしがりやだった。
後で辞書で調べよっか、と照れながら熱で雪を溶かす二人に、狸寝入りをしていた風賀はわざとらしく口笛を吹いた。
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