⚠注意⚠
ゴコイチのDom/Subユニバースパロです。
お相手はTwitterのアンケートで決めました。みなさんありがとうございました!
ダイナミクスが日本であまり広まっていないという設定に加え、この世界線の四ツ谷くんは最初から一宮くんだいちゅき♡人間ではありません。
作中Dom/Subの説明や用語の説明をほぼ挟んでいないです。オリジナル設定も多数あるので、というか多分普通のDom/Subじゃないと思うので(私が普段読んでいるDom/Subはこんなんじゃないです)寛容に見ていただけたら幸いです…。
1
昨日に引き続き、今日も一宮の様子がおかしい、と二井が俺達のクラスまで伝えに来てくれた。一宮の様子がおかしいのなんて今に始まったことじゃないし、まあほっときゃいつも通りになるでしょ、というみんなの共通認識は抱えつつも、少し興味本位で一宮の様子を見に行く事にした。
二井が教室入り口のヘリから一宮の席を指差す。
「アレ」
「……寝てるんじゃないの?」
「いや、目開いてんだよ。午前中ずっとあの姿勢のままだった」
指差す方へ目を向けると、机に伏して無気力そうなオーラを放ち窓際を眺める一宮がいた。ここからだと顔は見えない。
「五月病でしょ」
「まあそうかもしれないが……」
「別に今回だけじゃないし」
俺は教室に踏み込み、一宮の席まで移動した。反対側に回り込み、一宮の顔を見る。目に光は無く、寝起きみたいな顔をしていた。そんな一宮とゆっくり目が合う。あ、とか、四ツ谷、とかそういう掛け声すらなかった。
「熱?」
一宮のおでこに手をかざした。ごく普通の体温だった。一宮は机に突っ伏したまま、静かに首を振った。
「いや、あの、違う」
「しんどい?」
「……ちょっとやる気でないだけ」
「ほら」
やっぱりこの季節特有の気だるさじゃない?と二井を見る。二井はそうなのか、と微妙そうな顔をしていた。
俺はポケットに入っていた飴をお供えもののように一宮の机の上に置き、教室を出た。
次の日、一宮は学校を休んだ。欠席理由は分からなかった。昼休み、その話題を同じクラスの三好と五藤に振ってみた。
「定期的にあるよね、たしか中学の頃から……」
「一宮が謎の体調不良で休むやつ?」
「うん。風邪とかでもなさそうだし、休んだ次の日はなんにもなかったみたいにケロリとした顔で学校来るからさ、本当に理由が分かんないんだよね」
「……」
そう、これは今回限りではなかった。馬鹿みたいに底抜けに明るい一宮は一定周期でああいう無気力状態になる。今は五月だから五月病だと言い張れたが、普通に他の月だって同じような事になる。でも、その理由は俺達には分からなかった。
2
その日の放課後、珍しく俺はなんの用もなく一人で下校していた。いつもは大体ちょっと鬱陶しい女子が隣にいる。なんて事を一宮の前で言うものなら大反感を買うので口には出さない。その一宮は今どうしているのだろう、とふと気になった。
(御見舞、行ってやるか……)
御見舞行ってあげる、という旨のメッセージを一宮に送る。数分経ってもメッセージは返ってこなかった。既読すらつかない。俺達幼馴染の事が大好きな一宮は、いつもだったら嬉々として秒で返してくるのに。もしかして、それほど体調が悪いのだろうか。
恐らく今の時間は一宮のお母さんも仕事で家を出ているので一人なんだろう。そんな状況でもし倒れていたりしたら……。と、少し考えてゾッとしたので足早に一宮の家へ向かう。
市営住宅の古びた階段を登り、一宮の住む家のインターホンを鳴らす。数回押しても出なかったので、いよいよ気を失ってるんじゃないかと冷や汗をかいた。いや、ただ寝てるだけだろと思いつつも、急いでドアノブに手をかける。鍵は掛かっておらず、簡単に開けることが出来た。不用心すぎる。
おじゃまします、と小さく呟きリビングに入ると、そこにはソファーの上でぐったりと寝そべっている一宮がいた。俺は柄にも無く顔色を変えて一宮の体を起こした。
「一宮」
「……ん、ん……?あれ、四ツ谷……」
「御見舞に来た。大丈夫?やっぱり熱ある?」
「いやほんと、そんなんじゃないんだよ……」
体調が悪そうなのは一目瞭然だった。でも熱はないみたいだし、風邪でもなさそうだし、本格的に一宮の事が心配になってきた。病名が分からない方が怖い。
とりあえず一宮を自室のベッドに連れて行こうと持ち上げると、ソファーと一宮の体の隙間に空の錠剤のゴミが落ちているのを発見した。
「……なんの薬?」
「抑制剤」
「よ……ん、え?」
一宮の顔を見る。特に慌てた様子は無く、ぼーっとした顔のまま答えていた。あまり聞かない単語に、俺は思わず聞き返してしまった。
「……なんて?」
「抑制剤……無くなってたから貰いに行こうと思ったら病院臨時休診してて、それで、なんかもう無気力になって、帰ってからずっとこうしてた」
「待って、抑制剤って、なんの?」
もしやとんでもない大病を抱えているのではないかと思い、焦りながら一宮に聞いた。そして、十数年間共にこの男と過ごしてきて初めての衝撃的告白を受ける。
「Subの」
「へ」
「ホルモンバランス整えるやつ」
「ん、……え?」
「俺、Subなんだよ」
俺はぴたっと動きを止めて考えた。
「Sub……Subって、え、聞いた事ある……あの?」
「うん。珍しいよな」
Sub、とは。チラッと保健の授業で習ったくらいだ。たしか、最近はダイナミクスというものが存在する、らしい。海外では第二の性として中高で診断する事が義務となっている学校も多いらしいけど、日本じゃまだまだ広まっていない。教科書ですら第二次性徴のページにおまけのように載っているくらい、重要度も低い。
だから、こんなに身近にSubがいるなんて思いもしなかった。しかも、ここまで普通の男が。
「いつから……」
「中2くらいからかな」
「3年も前じゃん」
合点がいった。じゃあ今までの五月病として扱っていた一宮の無気力状態期間って、全部このせいだったんだ。
「……なんで言ってくれなかったの」
半ばやつあたりのように、少し強い口調で聞いた。だって、この馬鹿……一宮なんかに3年間も欺かれていた事に腹を立ててしまった。本人は騙しているつもりなんて一切ないのだろうけど。そして一宮は本当に騙しているなんて事はなく、普通に大馬鹿野郎だった。
「え?言ったほうがよかった?」
「……」
あんぐりと口を開けた。コイツ、ありえない。本当に馬鹿。俺達幼馴染の事大好きとか言いながら(実際には言ってないけど、言ってなくても雰囲気で分かる)、こんな大事な事は隠していたなんて。
叱りつけたい気持ちはやまやまだったけど、それより今は一宮の体調をどうにかする事が先だ。
「どうすれば体調良くなるの」
「抑制剤飲めばマシになるけど……」
「今ないんでしょ?どうすんの?俺が違う病院連れてってあげようか」
「ううん。専門のとこ、休診してる病院しか行ける範囲になくて」
「……じゃあ、今日一日ずっとそれ?」
一宮の顔を見る。いつもはこんなに分かりやすい人間いないだろってくらい表情が変わるのに、今は何も読み取れない。暫く俺の顔を見つめながらぼーっとして、そして口を開いた。
「……もうお前でいいや……」
「……は?」
「俺にコマンド出してみて、四ツ谷」
「え」
俺?
3
とにかくその時は俺も一宮も頭が働いていなかったんだと思う。
俺別にDomじゃないから、とか、詳しくないからそんなん出来ない、とか言うのが道理だったんだろうけど、目の前で無気力に伸びているこの幼馴染を見てどうにかしてあげないとと思ってしまったのだ。
「ど……うすれば?」
「俺もよく知らないから、調べてよ」
と、一宮は言い切った。迂闊すぎる。本当にこんなんで中2の頃から一人でダイナミクスと付き合ってきたのか?無知な俺が言えた事ではないけど。
とりあえずネットの力を借りる事にした。俺が思っていた以上にコマンドというものは種類があるみたいで、プレイには決まりもあるみたいだ。
「セーフワードが必要らしいけど、どうする」
「え、いる?」
「え?」
一宮……。
「四ツ谷なら大丈夫だろ。別に決めなくてもいい」
一宮ーーー!!!!!
迂闊すぎて言葉も出なかった。なんでこんなに馬鹿なんだろう。俺が無茶苦茶な男だったらどうするんだろう。俺がもしも今から爆速でコンビニの1ラック分のお菓子全部買ってこいとか行ったら有無も言わず従うのだろうか。と思いつつも、信頼しきってくれている事に優越感を覚えてしまった。だから、俺も馬鹿だった。
「じゃあ、軽そうなのからやるけど……上手く出来なかったらごめん」
「うん、大丈夫」
俺はソファーの横に立ったまま、一宮はソファーに寝転んだまま、コマンドを出してみる事にした。コマンド一覧に目を通して、簡単そうなものを選ぶ。
「じゃあ……Look」
俺がそう指示した瞬間、バチッ!と目と目が合った。まるで、お互いの間に電気が走ったみたいに、目が離せない。俺はこの求心力というか、理性では抗えない感覚というか、とにかくそういう慣れない現象に困惑した。
そして、それは一宮も同じようだった。目を見開いて、混乱したように俺を見上げる。
「あ……ヤバ、い……なに?これ」
光が宿っていなかった目がキラキラと輝いていた。ぐっ、と俺の気持ちも高まる。
「初めてなの?こういう事するの」
「うん……誰にも言ってなかったし……」
じゃあ、俺が初めてという訳だ。責任重大だ。
一宮は次のコマンドを待ち侘びていた。俺はコマンド一覧を思い出し、一番上に書いてあった単語を言う。
「一宮、……Kneel」
その瞬間、一宮はソファーから降りて俺の足元にぺたんと座った。所謂、女の子座り。
「すご……そんな座り方出来んの?」
男がやると結構痛いと思うけど、一宮はなんの造作もなくそれをやってのけた。Subってそういうものなのだろうか。普通に感心して一宮を見ると、へらっと恥ずかしそうに笑った。
「出来ちゃった」
キュンッ
……いや、キュン?
よく分からない感情に、自分自身を疑った。一宮の事、ちょっと可愛いと思ってしまった。多分気のせいである。
「あー……。どうする?まだやる?」
「んー……」
一宮はその体勢のまま、そして俺から視線を外す事は無く考えていた。普段だったら不自然なくらい俺から目を逸らさない。今更だけど、本当にSubっているんだなと実感した。
「コマンドより、褒めてほしい」
「褒める…」
「うん、褒めてくれたら嬉しい気がする……」
俺はコマンド一覧の下に書いてあったご褒美の項目を見る。……これを言うのか。なんとなく気恥ずかしい。一宮を見ると早く早くと目で訴えかけていた。いっそ犬を躾けるのと一緒くらいの気持ちでやれば振り切れるかもしれない。
俺は意を決して、口を開いた。
「Good boy、ちゃんと出来たね」
屈んで一宮の頭を撫でてあげた。すると、じわじわと目尻を下げ表情を綻ばせた。一宮は嬉しそうに、俺の手の平に頭を押し付けてくる。
「……」
堪らなくなり、俺は更に一宮の頭を撫でた。
なんだこれ。筆舌し難い多幸感でいっぱいになった。
「凄い、四ツ谷、上手だと思う」
一宮は俺の手に自分の手を添えてそう言った。あれ?一宮ってこんなに素直で可愛いっけ。
暫く一宮を撫で続けると、一宮は大きく伸びをした。
「一宮、もう大丈夫になった?」
「うん、ありがと!めちゃくちゃ気力出た!」
ピースサインをしながら笑顔で答える一宮は、いつも通りの一宮だった。それに安心し、俺は一息つく。一宮はそんな俺を嬉しそうにじっと見ていた。
「……なに?」
「いや、四ツ谷ってDomだったんだなーって」
「え……」
「……え?」
沈黙が流れた。考えもしなかった発言だったため、俺の脳はうまく機能しなかった。
「え、俺ってDomなの」
「だって俺にちゃんとコマンド出せたし、Domなんじゃないの?」
「……」
目から鱗だった。そりゃそうだ。俺が出したコマンドに当たり前のように一宮は従っていたけど、俺がNormalだったらこんな事にはならないのだろう。
「俺、Domなのか……」
「ふはっ、今更!」
4
「Domで間違いないですね」
「……マジすか」
翌日の放課後、俺は一宮が通っている病院でダイナミクスを診断してもらった。結果は、本当にDomだった。多分、一宮と昨日プレイしなかったらずっと気付かなかっただろう。一宮はSubのレベルがそこそこ高いらしく、抑制剤を使わないとああやって不調が体に出てしまう事が多いらしいが、俺は16年間自分がDomである事に気付かなかったくらいDomのレベルは低いそうだ。
「とはいえ、DomはDomですから。相性がいいパートナーと出会ったら、Domのレベルはその人限定で上がるかもしれないですね。まあ稀なケースですが」
「はあ、そういうもんなんですか」
「日本じゃまだまだこういうの知られてないですからね。とりあえずダイナミクスについて書かれた冊子お渡しするんで、よくお読みください」
診察が終わり、特に薬なんかを貰うことも無く病院を後にした。貰った冊子をペラペラとめくり、目を通す。
『DomとSubは信頼関係のもと、お互いの意思を尊重し合ってプレイしましょう』
その文章を見て、俺はすっと目を細めた。
__いや、一宮……マジで迂闊すぎない?
俺だったからいいものの、もしもあの空間にいたのが俺以外のDomだったらどうなってたんだ。セーフワードも決めずにDomのされるがままになっていた可能性だってある。
これは最早そうならなかったからヨシ、とはならない。もしかしたらそんな未来だってあるのかもしれない。だとすると一宮は……。
そこまで考えて背筋が凍った。
一宮は本当に馬鹿だから、そうなりかねない。俺がなんとかしないと。
俺は謎の使命感に燃えた。普段はここまで自分から動く事なんてないけど、今回ばかりはそうもいかない。自分以外にダイナミクスを持っている人が身近にいる事を知った時の一宮の顔を思い出すと、庇護欲でいっぱいになった。3年間ずっと誰にも言っていなかった事を考えると、よっぽど心細かっただろう。
と、ここまで考えてなんでこんな気持ちになるんだ、一宮なんかに……と思ってしまう自分もいた。
冊子を読み続けると、Domについて詳しく書かれたページがあった。それを見て、なるほどと一人納得する。
『褒めてあげたい、守ってあげたい、信頼がほしい、世話をしたい、躾けたいとSubに対して思うケースが殆どです』
だからか。昨日の今日でなんとも単純だと思うけど、一度一宮を守ってやらねばと考え出してから、冊子に書いてある通りの事が溢れて止まらなかった。
なんとなく張りがなかった高校生活、やっとやる気が出たような気がした。
5
「一宮」
「四ツ谷!どうしたん?」
次の日、俺は早速一宮の元に向かっていた。教室に顔を出すと、嬉しそうに一宮が走ってくる。……いや、可愛いとかは思っていない。これはいつも通りの一宮だ。
「今日一宮んち行っていい?」
「いいけど……珍しいな。他の人呼ぶ?」
「いや、二人だけで……」
ここまで話したところで、どこで耳をそばだてていたか知らないが二井が割り込んできた。
「なにするんだ、二人で」
じっと俺の方を見てきた。まるで一宮を隠すみたいに壁になっていて、少しムッとした。
「……フツーに、一宮んちの漫画読むだけだけど」
「……」
「ええ、暇なの?」
珍しい!とクスクス笑う一宮。ここでチャイムが鳴り解散したが、授業中二井の態度を思い出してイライラした。ほんと、一宮が絡むとよく突っかかってくるんだよな。一宮を守るみたいに間に入って来てさ。笑える、一宮は俺のなのに。一宮を守ってやれるの、俺だけなのに。
「は……」
俺はゴツン!!と額を机に叩きつけた。周りの席の人がびっくりしたような顔で俺を見る。いや、そんなの無視だ。
なんだよ、一宮は俺のって!多分あれだ、一昨日プレイしたからちょっと変な思考回路になってんだ。慣れない事だからそうなっても仕方ない。と、自分に言い聞かせた。
6
2日ぶりに一宮の家にお邪魔する。あの時は焦っていて真っ先に一宮を探す事しか考えられなかったけれど、今は別の緊張感がある。いや、俺が勝手に緊張しているだけだけど。
玄関の下駄箱の上を見る。一宮と、一宮のお母さんが仲良く並んでいる写真がいくつか飾ってある。ダイナミクスが広がっていない世の中で、一宮の事を理解していたのは、多分このお母さんだけなのだろう。
「何読む?俺のオススメはね、新人賞とったコレかな。あと、四ツ谷が途中で読むのやめたコレ。惜しいんだよなー。こっからが面白いのに」
一宮の部屋に入ると、一宮が本棚から選んで漫画を持ってきてくれた。あ、とつぶやき、俺はその手首を掴んだ。
「漫画はいい」
「え、読みに来たんじゃないの?」
「……プレイさせてって言ったら、いや?」
一宮は目をぱちくりとさせた。
「いや、じゃないけど……俺、別にもう体調悪くない」
「……俺がしたい」
数秒後、にまーっと笑って俺が昨日したみたいに、一宮が俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「いいよぉ」
……一宮は、とにかく俺に甘い。昔の名残りだろうが、俺にお願いされる事を喜びだと認識している。
「……じゃあ、今日はちゃんとセーフワード決めるから」
「え?いる?前決めなくても大丈夫だったじゃん」
「……ちゃんと決めよう」
ここ数日で一宮が迂闊ポイントを荒稼ぎしている。本当に心配。この先こいつは真っ当な大人になれるのだろうか。
「じゃあ、無理で」
「分かった。嫌だったらちゃんと言ってよ」
すうっと息を吸う。昨日病院から帰って、俺はコマンドやプレイについて勉強した。だから、前やった時よりは上手く出来るはず。
「一宮、Kneel」
一宮が俺の足元でぺたんと座った。このコマンドは、お互いの関係性を確認するためにやる基本的なものらしい。確かに、満たされるものも多い。
「……今どんな感じ?」
「どんな感じって?」
「俺にコマンド出されて、どういう気持ちになるの?」
「え……難しいな……」
「Say、言って」
少し力を込めて言う。一宮はふるっと体を震わせた。
「嬉しくて、もっとほしくなる……」
「……そっか」
広角が上がりそうになるのを抑える。ちゃんとしたご褒美はまだおあずけだけど、軽く褒めるように右耳を擦ると、一気にとろけたような表情になった。
「早く、次の……」
Subとしてのレベルが高い一宮は、どうやらあまり我慢が出来ないらしい。1回目の時は気付かなかったが、一度プレイが始まると欲張りになるようだ。
「次のコマンドほしい?」
「う、ん……ハ、ぅぅ……」
耳を撫で続けるていると、それに耐えられなくなったのか耳を真っ赤にしながら唸り出した。可愛い。……いや、そんな事はない。
「ちょっと難しいのやってもいい?」
「うん」
「Crawl、分かる?」
そのコマンドを出すと、一宮は恥ずかしがるように一瞬躊躇った。分からない訳ではないようだ。
「いやならセーフワードだよ」
それを聞いて一宮はゆっくりとKneelの姿勢から下半身を持ち上げて四つん這いになった。恥ずかしいのか、小さく体を震わせている。
「……あー……」
まるで本当に犬を躾けているみたいでゾクゾクした。一宮は、どこまで俺の言う事を聞いてくれるのだろうか。
「さっきの漫画、本棚の側に置いてあるでしょ。それ取って来て。Crawlのまま、本は口に咥えて」
「え……」
「いや?」
一宮の顔を軽く持ち上げてじっと見つめると、一宮の顔がじわっと赤くなった。幼馴染の__特に俺のお強請りに弱い一宮はプレイ中でなくとも言う事を聞いてくれそうだけど。
一宮はふるっと首を横に振り、俺の口元を見た。まるで、その先のコマンドを欲しがるように。
「じゃあ、Go。行っておいで」
一宮は恥ずかしがりながらゆっくりと本棚まで移動した。静かな空間の中、床と接する服と肌の音だけが聞こえる。
本棚の側、床に置いてある漫画を前にした一宮は、なにか言いたげに俺の顔を見た。
「……どうしたの?出来ない?」
一宮はうう、と声を漏らした。セーフワードを言わないあたり、出来ない訳ではなさそうだ。恥ずかしいのだろう。
「出来たらたくさん褒めてあげるよ」
極力優しく見せられるように、頑張って笑ってみた。普段表情筋を動かさないのでそれだけでも重労働だった。どうやら一宮にはそれが効いたらしく、散々迷った挙句身を屈めてその漫画を口に咥えた。犬みたい、可愛い。いや、これは不可抗力だ。犬って可愛いし。
「Come、戻っておいで」
早く褒めてほしいのか、行きよりも速い足取りで俺の元に向かってくる。そして俺の足元でCrawlのまま顔を上げた。歯型がつかないように咥えたらしいその漫画を、俺はそっと抜き取った。
凄い、本当にやってくれた。
「Good boy!偉いよ、一宮。良く出来たね。言った事全部やってくれてありがとう。おりこうさんだね」
一宮の体を持ち上げてぎゅっと抱きしめると、一気に力が抜けたように俺にもたれ掛かってきた。そのまま労うように背中を擦ってあげたが、一宮からなんの反応も貰えないのが不安になって顔を覗き込む。もしかして、不快だっただろうか。
「ごめん、無理させ……」
俺は息を呑んだ。
一宮はそれはもう恍惚とした表情でどこかを見ていた。これはもしかして、Sub spaceなんじゃないのか。それに気付いた途端、俺は心臓がどくどくと音を立てたのを実感した。
なんだこれ、めちゃくちゃ嬉しい。
「一宮、俺の方見れる?」
コマンドではなく、これはお願い。一宮はゆっくりと意識を俺の方に向け、そして目をとろけさせながらふわふわと笑った。
「気持ち良くて、どーにかなりそう」
「!」
「凄い四ツ谷、才能あるよ」
そう呟くと、一宮は徐々に瞼を閉じていった。Subにとってプレイはエネルギー使うらしいし、眠たくなってしまったのだろう。そのままベッドに運び、すやすやと眠る顔を眺め、頬にそっと手を這わせた。
「……あ"〜〜〜……」
これはヤバいかもしれない。
だってもう、普通に可愛い。
7
一宮と2回目のプレイをしてから二週間が経った。
なんとなく心ここにあらず、みたいな感覚が続いている。通知が溜まる一方のメッセージアプリも見る気になれず、俺はあの日の事を何度も頭の中で反芻していた。かと言って、何回もプレイすると大変だろうなと思い3回目のプレイを誘えずにいる。そしてなんとなく顔を合わせ辛く、一宮と会わない日が続いていた。おかしい。なんで俺が一宮なんかに気を遣わないといけないんだ。
「おーい四ツ谷、次体育だよ」
あの日の一宮みたいに机に突っ伏していると、三好に肩を叩かれた。体育、苦手じゃないけど嫌いだ。このデカイ体を動かすのが億劫すぎる。仕方なく体を起こし、三好と五藤と共に更衣室へ向かう。
「今日2組と合同だって。二井と一宮もいるよ」
「!」
「あ、そうだっけ。種目なんだ……バレー?」
「俺らで固まってやろうよ」
「一宮、ちゃんとサーブ打てるかな……絶望的に距離感掴むの苦手だからな」
「アハハッ!そうそう、サッカーの時もめちゃくちゃボールの手前で空振りしてたし」
「……」
一宮か……。まあ、勝手に気まずくなってるのは俺の方だ。普段通り接すれば大丈夫だろう。それに一宮を相手してくれるやつは4人もいる。俺は隅っこの方でスコアボードでもいじっていればいい。
なんのやる気も起きず、そのまま授業が始まった。ネットを張る準備が面倒くさすぎて、まるで準備をしているかのように体を動かして誤魔化した。が、それがバレてしまったのか体育教師に呼び止められた。
「このポールさ、壊れてんだよ。新しいの取って来たから、これ外の倉庫に適当に置いといて」
「えー……」
「そのでかい体を役に立たせろよ」
「関係ないですよ、俺非力だし」
「あー、じゃあ」
そこの、と教師は近くにいた生徒を呼び止めた。おい、なんでよりにもよって。
「これ、四ツ谷と外の倉庫に運んでくれ」
「はーい」
その生徒……一宮は壊れているポールの端っこを持ち上げた。俺ははあ、とため息をつく。
「おい、四ツ谷も持ってよ」
「……はい」
極力顔を合わせないように会話する。重いな、とか遠くない?とかいう問いかけも、ああ、とかうん、でしか返せない。あーもう、俺はなんなんだクソ。
漸く倉庫に辿り着き、その辺にポールを置く。さっさと体育館に戻って隠居しようと出口に向って歩き出すと、くん、と腕を引っ張られた。後ろを振り返る。一宮がぎゅっと口を結んで俺を見上げていた。俺はごくりと唾を飲み込んだ。一宮は恐る恐る口を開く。
「なあ、俺あの時変な事言った?」
「……あの時って」
「……」
一宮は口をぱくぱくさせて、言葉を選んでいるようだった。若干顔を赤くさせている。
「あの……ふわふわしたやつ」
「ふわ……ああ、えっと……Sub space?」
無言でこくりと頷いた。俺にSubの気持ちは分からないけど、Sub spaceに入るとそういう感覚になるらしい。
「俺、あの時の記憶殆どなくて、いつの間にか寝てたから」
「う、うん」
「四ツ谷に変な事言ったんなら、謝る。……ごめん」
「え……」
そう言って、俺の体操着の裾をぎゅっと握った。
意味も無く一宮が謝るなんて事はない。もしかして、それで俺に避けられたって思ったんだろうか。俯く一宮の顔は見えないが、相当勇気を出したんだろう。ああもうほんと、不甲斐なさすぎる。自分が情けなくなって深くため息をついた。一宮はそんな俺にびくっと反応し、ぱっと手を離した。それを追うように、俺はその手を掴んだ。
「違う、言ってない、から。謝らなくていい」
「……ほんと?」
「うん」
「俺、なんか言ってた?」
あー、と頭を掻く。それは、なんとなく言いにくい。
「……気持ち良くてどうにかなりそう、って」
「……はぇ」
一宮は顔を真っ赤にさせた。つられて俺も顔を赤くする。なんなんだこの空間。
「へ、変な事言ってんじゃん……」
「いや……ヘン、ではないけど……」
シーンと、その場が静まり返る。なんだかいたたまれなくなり、ここから出るように促した。
「体育館戻ろ……。ここなんかジメジメしてるし」
「四ツ谷、何でもいいから俺にコマンド出して」
「はあ?」
「あっ!」
一宮は慌てて自分の口を手で塞いだ。いや、遅すぎる。その動作になんの意味もない。
「……なんで」
「ぱ、パフォーマンス向上のため」
「……」
絶対嘘だろ。咎めるように一宮を見ると、一宮はすすすと視線を逸した。なんだかそれにムカつき、躍起になってコマンドを出す。
「Look」
「あ……」
ゆっくりと目線を合わせようとする。でも、なかなか焦点は合わない。理性と本能が戦っているのだろう。
「一宮、見てほしい、じゃなくて見ろ、って言ってんだよ」
「っ……」
俺がそう言うと、目を潤ませながらやっと視線を合わせた。目一杯首を持ち上げて俺を見る一宮は、やっぱり可愛かった。一宮の耳元に口を寄せ、脳みそを震わせるみたいに深く囁く。
「なんで俺にコマンド出してほしかったの?Say」
「う、う……」
一宮はカタカタと脚を震わせた。腰が抜けそうなほどだったので、慌てて体を支える。
「乱暴な事言ってごめん。これはお願いだから、言わなくてもいい」
「……うう〜〜〜っ」
Subとして、Domの命令は極力従いたいのだろう。セーフワードも言わず、一宮は一人で暫く唸っていた。なんだかそれが可哀想で可愛くて、ふっと笑って子どもをあやすみたいに一宮のほっぺをつまんだ。それに安心したのか、一宮もぽつりと呟く。
「我慢できなくなった……」
「え……」
なんて言った。俺はピタッと手を止めて黙ってしまった。一宮は悔しそうに俺を睨みつけた。
「だから!お前のせいで、たった二週間プレイしてないの、耐えられなくなったの!!」
それはもうギンギンに目を見開いて一宮を見た。体が熱い。血液の流れるスピードが速くなる。Domとしての本能が狂喜乱舞している気がした。多分俺はSubとプレイしなくてもなんの支障もなく生活出来るんだろうけど、こんな事言われてしまったらもう戻れない。
「あああー……。あー、ごめん、はは、そう……」
「笑ってんじゃねーよ……死活問題なんだよ……」
「うん、そうだな、ごめん。……コマンド出す?褒めた方がいい?」
「授業あるし、褒めてほしい」
「分かった」
俺は一宮を抱き込んで頭を撫でた。すっぽり収まるサイズ感。昔、一宮に引っ張られていた時はあんなに大きく感じたのに。今ではこんなにも小さい。
「一宮、可愛い……Good boy」
「!!」
その瞬間、一宮はその場に尻餅をついた。何が起きたか一宮自身も分かっていないようで、目を白黒させていた。
「え、どうしたの……」
不安になって一宮を起こそうと手首を掴んだ。
のだが。
「ぅアッ!?」
「え」
甲高い声が薄暗い倉庫に響く。俺は咄嗟に手を離した。俺達はまたまた顔を赤くした。だって、今の声って。
「い、一宮、あの」
「え?え……止まんない!」
「と……」
「ゾクゾクすんの、止まんない!よ、四ツ谷、なんかやった!?」
「いや、……え?なにも……」
「嘘だ!だって前よりき……」
「き……?」
「……」
今度こそ、一宮は固く口を結んでしまった。結局一宮のそれが治まるまでその場で待機したが、体育館に戻ったらサボりだろといろんな人からどやされた。理不尽だ。
8
俺が勝手に抱いていた気まずさが解消されたと思ったら、次はなんだか一宮の方が俺に余所余所しくなった。
二週間すら耐えられなかった、とか言っておきながら、一宮はあれ以降俺を誘う事はなかった。
あれから三週間が経った。
有り体に言うと、俺はイライラして仕方がなかった。
一宮に若干避けられているような気がするのもそうだし、あと、普通に体が限界を迎えそうだった。なんで?俺、Domとしてのレベルは低いはずなのに。
というか、一宮の方は大丈夫なのだろうか。抑制剤で抑えるにしても限度はあるだろう。
移動教室らしい一宮と二井が廊下を通っているのを教室から眺めて、無意識に机をトントントンと指で叩いた。
「喧嘩中?」
「え」
「一宮と」
それを見た五藤が目ざとく俺に聞いてきた。
「……なんでそう思うの」
「いや、だって……飴食いすぎ」
机の横に引っ掛けてあるスーパーの袋を指差した。その中には、おおよそ一人では食べない量の飴の包装が捨ててある。俺はむ、と顔をしかめた。
「一宮と喧嘩した時、絶対暴飲暴食するから」
「糖尿予備軍〜!」
楽しそうに三好が会話に混ざってくる。何がそんなに楽しいんだ。俺の頬を指でつんつん突く。鬱陶しいのでその指をぎゅっと握る。
「……別に喧嘩なんてしてないし」
「ま、程々にな」
「だから、喧嘩してないってば」
「素直じゃないなぁ」
うるさいな、五藤も三好も。なんで俺が一宮と喧嘩するとそんなに楽しそうにするんだ。自分達だって一宮と喧嘩した時はおかしくなるくせに。いや、俺達は別に喧嘩なんてしてない。
9
土曜日、せっかくの休みなのにごわごわとした耳鳴りが止まず、自室のベッドに伏せていた。とうとう本格的に体調が悪くなってきたみたいだ。体はだるい癖に、妙に食欲が止まらない。流石に抑制剤を処方してもらおうと思い、重い腰を上げた時だった。スマホの着信音が鳴り、画面を確認する。
『一宮 守:ぺ!え』
「は?」
怖。いつもなら無視するが、三週間ぶりなのでちゃんと返してやろうか。
『ぱ!あって返すのが正解?』
『五時す』
『それも誤字ってんだよ』
『誤字ですごめんなはい』
「……」
なんでこうも一宮は……期待を裏切らないというか……。というかどう誤字ったらぺ!えになるんだよ。
『なに?』
『今から家行ってもいい?』
「え……」
一宮単体で俺の家に来る事なんてなかなかない。だから、多分、そういう事なんだろう。
『いいけど』
いいけど、なんて。本当は来てほしい。
ピロンとスタンプが返ってくる。初期から入っている、犬がお辞儀をしているやつ。一宮、スタンプ使えるようになったんだ。昔はスタンプの使い方分かんなくてネットから拾ってきた謎の画像をスタンプ代わりにしてたのに。
程なくして、一宮は家にやって来た。別に身なりを整える必要もないか、と思って俺はバリバリの部屋着で出迎えたのに、一宮は妙に気合の入った格好をしていた。あと、何故かケーキの箱を持っている。
「……どっか行ってた?」
「まあ、……うん」
なんとなく煮え切らない反応に疑問を抱きつつも、部屋に案内した。俺の部屋のローテーブルの上に、ケーキの箱が置かれた。
「その……ケーキ?なんで」
「ああ、食べていいよ。モンブランかショートケーキかどっちがいい?」
「あ、ショートケーキで……」
「はい、フォーク」
「ありがとう……?」
訳も分からないまま、一宮とケーキを食べる。なんだこれ。
「おいしい?」
「おいしいけど……や、なんで?いきなり」
別に俺の誕生日でもめでたい事があったわけでもない。そんな日に意味もなく一宮がこういう、少し贅沢な物を買ってくるなんて絶対にありえない。失礼だけど、絶対にない。
「なんか買って貰ったから」
「……お母さん?」
「いや」
一宮はもぐもぐとモンブランを食べながら、ほんとに、なんてことないように、まるでモンブランを口に含むくらい軽いノリで、こう言った。
「知らない大人の人」
「は?」
「知らないは言いすぎか。アプリで知り合った男の人に」
「待って」
「俺、その人とプレイしてきた」
「__は」
「帰りにケーキ買ってくれたから、3個あって、1個はお母さんに残したから、あと1個どうしようかなって、前飴くれたし、四ツ谷にお返しで、あ、ほんとはすぐ返事返ってこなかったら三好の家行こうと思ってたんだけどな。三好甘いの好きだし、四ツ谷、いつもは既読遅いし、」
「……」
飴のお返しでケーキは割に合わなすぎるだろとか、俺が駄目だったら三好にあげようと思ってたなんて馬鹿正直に言うなよとか、いやまあそれは勿論そうなんだけど、そんなどうでもいい事なんて言い返せる余裕も無かった。
「あと、あの、はい、オススメの漫画持ってきたから、よかったら読んで。これ、12巻からがほんと、面白くなるから。そこまでよくある王道展開なんだけど、こっから、全部変わるから」
「……一宮」
「11巻覚えてる?11巻の最後で死んだキャラいたじゃん、あのバディが凄く良くて、かっこいいからさ、多分四ツ谷も好きだよ」
「一宮」
「あとこれ来年アニメ化するから、今見といた方がいいよ。アニメ作る会社、作画凄いキレイなとこだから、絶対いいよ。ちゃんと12巻からも見てほしいな、って言ってもアニメ化する所って精々3巻くらいまでなんだけど、だからまあ、四ツ谷はアニメ見ないかもしれないけど、というか四ツ谷ってあんまアニメとか見ないけど」
「一宮!!」
「全然駄目だった!!」
荒い呼吸だけが部屋に響く。肩が大きく上下する。一宮は目に涙を浮かべた。なんでそっちが泣きそうなんだよ、俺だって泣きたいんだけど。
「ぜんぜん、だめだった……」
「……」
俺はフォークをタルトに突き刺したまま、手を離した。一宮のモンブランがバランスを崩し倒れていく。
「……コマンド出されてる時、ずっと怖かった。お母さんと一緒に相手選んだんだよ、だから、いい人だったのに、それでもなんか怖くて」
「……なんで、そんな事、したの」
本当はもっともっと言いたい事はある。叱りたい事だって、たくさんある。でも、今の俺にはそれを聞くので精一杯だった。何を言ってしまうか分からず、一宮を傷つけてしまいそうで。
一宮はぎゅっと拳を握って、だって、と呟く。
「四ツ谷とやったの、気持ち良すぎた、から、俺がおかしいって思って、四ツ谷はおかしくないって、でも、抑制剤、最近全然効かなくて、怖くて、だから……」
一宮の瞳から涙が流れ、倒れたモンブランの上にぽたりと落ちた。
俺は激しく動く肺と感情を無理矢理押さえつけていたが、遂にそれも限界を迎えた。
「……俺、は」
机に手を置き、身を乗り出す。一宮の涙に濡れた顔がこちらを見る。喉がグル、と音を鳴らす。俺は口を大きく開けて、その生白い首元を見据えた。お腹が減って仕方がない。
「これでも、おかしくないって言えるの」
本能のまま齧り付いた。びく、と動脈が動いた。ケーキなんかじゃ満たされない。三週間、ずっと我慢してきた。
「ッぅ、いた、い、四ツ谷」
それでも、一宮は俺を突き放す事も抵抗する事もしない。そういう所が本当に嫌いだし、どうしようもないくらい愛しい。
「俺は、どうすればいい。一宮は、どうしてほしいの。……なんで、俺のとこ来たの」
「……」
「一宮……」
本能が叫んでいた。轟々とした感情はもう理性でどうにか出来るようなものではなく、ただそこに佇んでいる。我慢なんてできない、早く、早く、一宮、
「まもる」
「おれ……俺に、コマンド、出して」
振り絞るような声だった。飴よりも、ケーキよりも甘くて溶けそうな、目の前の男は、
「四ツ谷じゃないと、駄目だった」
俺が守りたいし、俺が支配したい。
10
「一宮、Kneel」
一宮は俺のコマンドを聞いてすぐにペタンと座り直した。不安と期待に満ちた目が俺を見る。
俺は目の前にある食べかけのショートケーキを手で掴んで一宮の前に差し出した。
「俺はこれをどういう気持ちで食べればいいの。一宮はこれで俺が喜ぶと思ったの?」
「だっ、て……」
「俺はこんなの食えない」
手を一宮の口元に近づける。もともと綺麗だった形のそれは、俺が崩したから見る影もない。
「食べて、このまま」
「え……」
無表情で一宮を見る。どうしようもない。一宮は本当にどうしようもない人間だけど、俺だってもうどうにも出来ない。
「食べろ」
「っ!」
「これは俺のじゃない。一宮の。お前が怖がって、無理して、つらくなって、後悔して、なんにも満たされないのを我慢して貰った、一宮の気持ちだろ」
「あ、……」
「食べて、Eat」
一宮は呼吸を荒くしながら俺の手のひらの上に乗っているショートケーキを口に含んだ。手は床につけたまま、上体を前に傾けて、必死に、下手くそに食べ進めた。咀嚼する音と、嚥下する音と、しゃくり上げる音が交互に響く。
「……俺も、しんどかった。だるいし、イライラ止まらないし、お腹空いて仕方ないし、もう散々だよ、こんなの。最悪。病院だって限られてるし、金かかるし、ダイナミクスなんて気付きたくなかった」
「は、ぁ、ハア、ん、う、ぇ」
「俺はもう数カ月味わうので十分。もういいや。でもそんなん出来ない、これと一生付き合っていかないといけないから、もう諦めるしかないんだよな。はあ、つらい」
「ふゥ、ン、ん、ヒッ、うぅぅ」
「だから、一宮、」
手のひらに、一宮の唇が当たる。不格好に崩れたショートケーキは、もうあと一欠片だった。
「ずっと一人で我慢してて辛かったでしょ」
「……!」
「凄いよ、一宮」
一宮が顔を上げた。口の周りはベトベト、上手く食べ切れなかったクリームで汚れているし、目は真っ赤だし、ぐちゃぐちゃでみっともないけど、全部可愛い。
「う、う、うううぅ……」
ボロボロと瞳から涙が零れ落ちた。俺も、一宮も、昔は泣き虫だった。俺はみんなより弱いのが嫌で、一宮は一人でいるのが嫌で。
一宮は顔を歪めて口を震わせた。
「ひっ、ほ、ほんと、は、こわ、怖くて、Subなの、気持ち悪いって、言われて、みんなから、……きら、嫌われたら、ひうっ、どうしようって、思って」
「……」
「ずっと、言えなかった、の。だ、だから、四ツ谷と、やるの、いっぱい気持ちい、いい、から、怖くて、き、嫌われたくなかった、から、俺、おれ、」
「……うん」
「うあ、あああ、ううぅぅぅ、ごめん、なさい、ひっ、ぅう」
俺は一宮の隣に移動し、震える体を包み込んだ。コマンドなんて使わなくても、いつだって一宮は俺を満たしてくれる。
「偉いね、一宮。頑張ったね。一人で、いっぱい頑張ったんだ。Good boy、よしよし」
「っあッ」
「もう俺もおんなじようなもんだからさあ、一人じゃないよ。二人で頑張ろ。俺も、一宮じゃないと駄目なんだと思う……体しんどいの、なくなったし。凄いよ、一宮のおかげだ。ありがとう」
「は、ぁ、う……」
体温を移すみたいに一宮を抱きしめた。一宮は小刻みに震えながら、徐々に体重を俺に預ける。完全に俺にもたれ掛かった頃、一宮の顔を眺めた。泣き腫らした目で、幸せそうに俺を見る。
「天音……あまね」
「うん」
「あまね……」
「うん……」
そうやって暫く俺の名前を呼び続けた一宮は、安心しきった顔で眠りについた。気が抜けて、一宮を抱えたまま俺も目を瞑る。
ショートケーキの最後の一欠片は、結局食べないままだった。
11
「レベル4+ですね」
「……マジすか」
医師が俺に薄紙を1枚見せてきた。いろんな表とグラフ。2ヶ月ほど前に検診を受けた時のグラフと見比べると、ダイナミクスの数値が劇的に急増していた。
「この間診察した時は、え〜……レベル1-くらい……1も無かったですね。この数ヶ月でここまでレベル上がる事ってなかなか無いですね」
「……あんまり良くない事ですか」
「いえ、ダイナミクスのレベルの高い低いで良し悪しを判断するのは個人にお任せしているので、私達医師の方からはなんとも」
「はあ……」
「ただ」
医師がその他の表を指差す。いろいろ説明を受けたが、俺にはあまり良く分からなかった。
「他の数値はとても安定しているので、ちゃんと向き合えているのかな、と思います」
「!」
「良いパートナーに出会えましたか」
カルテに何かを書き込みながら、医師は優しげに俺に尋ねた。
「ああ、まあ……はい」
「ほう。では、プレイしても体調が良くならないみたいな事があれば、お二人で検診受けに来てください」
「……はい」
「とりあえず緊急時のための抑制剤は出しておきますね。あまり飲みすぎないように。なるべくプレイで体調ととのえるようにしてください」
「あー、はい。ありがとうございました……」
俺はぺこりとお辞儀をして診察室を出た。待合室で待っている男の横に座った。
「俺、あの医者苦手……」
「ええ、なんで!優しいじゃん」
「なんか、あの何でも分かった上で聞いてそうな目が……」
「そう?」
受け付けのスタッフに呼ばれ、手続きを済ませる。隣の調剤薬局で薬を貰うよう指示された。別にもう帰っていいよ、と一宮に言うと、いやいや、と返された。
外に出ると、秋らしい高く澄んだ空が広がっていた。少しずつ紅く染まった葉っぱが風に揺れる。
「四ツ谷、身長何センチ?」
「分かんない…183とか」
「でかー」
少し分けろよ、と一宮はくすくす笑う。それで一宮の一部になれるなら、それはそれでアリかもしれない。
「中2の頃大ゲンカしたじゃん、俺達」
「ああ、うん……」
「そっからだったかも」
「……一宮が、Subの症状出たの?」
「うん」
確かに、俺達が喧嘩した後一宮は暫く学校を休んでいた気がする。その時の俺はきっと自分のせいだと思い、休んでいる一宮の家に謝りに行った。一宮はベッドの上でくたくたに倒れ、泣きながら笑っていた。多分もう診断が出ていたのだろう。あの時は一宮がなんで体調が悪いのかも、なんで泣いていたのかも、なんで無理して笑っていたのかも分からなかった。
それからちょっとずつ一宮の成長は止まっていき、俺は体ばかりが大きくなり続けた。
薬局に入り、説明を受けながら薬を貰う。保険は適用するけど、それでもまだどこでも手に入れられる薬ではないらしい。
「俺薬嫌い」
「おこちゃまかよ」
「一宮に言われたくない」
一宮は俺を見ながらんふ、と笑った。
「ダイジョーブ、俺最近薬飲まなくても良くなったから、多分四ツ谷も大丈夫だよ」
「ん……」
一宮は何も言わず俺の手を握った。最近よくやる。なんでだろう。なんでかは分からないけど、一宮がやりたいんならそれでいいや。
「この後なにする?」
「五藤、今部屋を断捨離してるらしい。二井と三好が手伝ってるって」
「え、フィギュアとか捨てんのかな!?俺達も行こ!」
一宮は俺の手を引いて歩き出した。あの頃と変わらない。一宮の背中はいつだって大きい。
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